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摂折について。

41伝六:2005/06/30(木) 16:31:32
仏が佛教を説いたのは、衆生を救うためである。その救い方を二つに大別すると摂受と折伏である。摂受のほうは、平たく言うとほめたりすかしたり、あぶなく思ってもハラハラしながら、見ていて、機会をみて教えてやろうというようなやり方で、折伏というのは、きつく言って、ときにはどやしつけるようなやりかたで、悪いことをやめさせる説法ということになると考えます。慈悲の発動の二方面で、摂受になるか折伏になるかは衆生の「機」によるのです。「機」の集合したものが、「時」であり「国」と考えられます。我我に「機」を判定する力はない。日蓮聖人も「機」の判定は佛説によられたと信じます。話はかわりますが、今の世はどうですか、立正安国はどうなっていますか。煽邪亡国の動きが大きいのでありませんんか。どうしても対治悉檀としての折伏を発動しなければ、(本化上行の折伏とはちがいます)。世は救えません。世が救えない佛教なら、苦しんでやる必要はない。


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