したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

摂折について。

33shamon:2005/06/28(火) 10:12:01
犀角独歩さん(この掲示板で罵詈雑言を残していった通りすがり)は、自分の主張に違う文証はあくまで否定して、相も変わらず宗祖の言う折伏とは「首を刎ねること」のみであると威勢が良いようです。御遺文も、恣意的にしか読まないのでしょう。ついには、話が噛み合わないから、彼の「富士門流信徒の掲示板」では「話しかけるな、大聖人門下掲示板でも勝手にやれと言うようなことを川蝉さんに書いていますね(笑)。

「立正安国論」において、「客の曰く、もし謗法の輩を断じ、もし仏禁の違を絶たんには、彼の経文のごとく、斬罪に行うべきか。(涅槃経のように謗法の者の首を刎ねるべきか)」との問いに対して、宗祖は「夫れ釈迦の以前の仏教はその罪を斬るといえども、能仁の以後の経説はすなわちその施を止む。(それは釈尊がこの世にお現われになる前の仏教の話で、今の釈尊がこの世に現われてからは、殺害という罪を犯さず布施を止めて謗法を対治することである」と述べられています。即ち、日蓮聖人の「折伏」の思想では、釈尊も宗祖も「首を刎ねる」意味は取らないのは明らかです。

さて、観心本尊抄の「この四菩薩、折伏を現ずる時は、賢王となって愚王を誡責し、摂受を行ずる時は、僧となって正法を弘持す。」ですが、したがってこの折伏も「首を刎ねること」ではありません。ちなみに、誡責の「誡」は言偏に戒めると書きます。四菩薩である賢王は愚王を、誡責することによって折伏するのです。

また、宗祖が述べられている「摂受を行ずる時は、僧となって正法を弘持す」とは、ここで問題になっている安楽行品の如き摂受のことではなく、勝鬘経に説かれた「摂受正法」の意味でありましょう。この「摂受正法」とは、真実の教え(法)を受持することで、そのためには自らの身命を顧みることなく、他を利益せんと心がけることであると勝鬘経には説かれています。即ち四菩薩である僧は、不軽菩薩の如くに、他の利益のために不自借身命で正法を受持するのだと宗祖は述べられているのです。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板