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摂折について。
3
:
川蝉
:2005/06/13(月) 12:13:18
今成教授は、
《折伏とは、「受難を怖れぬ常不軽菩薩の礼拝行」のごときものではなく、悪口雑言の類であり、物理的な暴力も辞さない強引な布教方法である。》
と定義されているそうですが、もし折伏の語意が「悪口雑言の類であり、物理的な暴力も辞さない強引な布教」と云う意味に限定されるのであれば、日蓮聖人の化導方法は折伏でないと言い得ましょう。
しかし、日蓮聖人が実際に行われた化導形態は、「受難を怖れぬ常不軽菩薩の礼拝行のごときもの」と今成教授が言うところのもので、「今ま日蓮。強盛に国土の謗法を責むれば」(開目抄・昭定603・学会版233)と云う姿でした。古来宗門ではそれを折伏と称しています。
日蓮聖人が不軽菩薩の化導方法に倣われた事は、
弘長二年二月の「教機時国鈔」
「又謗法の者に向ては一向に法華経を説くべし、毒鼓の縁と成さんが為なり。例せば不軽菩薩の如し。」(昭定242。学会版438)
文永十二年三月の「曽谷入道殿許御書」(真蹟)
「今は既に末法に入りて在世の結縁の者は、漸漸に衰微して権、実の二機皆悉く尽きぬ。彼の不軽菩薩末世に出現して、毒鼓を撃たしむるの時也。」(昭定897。学会版1027)
文永十一年(或いは建治元年)の「聖人知三世事」(真蹟)に
「日蓮は是れ法華経の行者なり。不軽の跡を紹継するの故に 」
(昭定843。学会版974)
等の御書によって分かります。
古来から宗門では、宗祖はご自分の化導方法を折伏であるとされていたと、古来言い習わして来た根拠は、
「開目抄」に
「邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす、不軽品のごとし。」
(学会版235頁)
とあるからです。
ただし、今成教授が、ここにある「不軽品のごとし。」の言葉は真蹟に無く後人の付加と指摘していますので、真蹟在・曾存遺文でない御書は証拠と認めない人もいるので、別な面から検討してみます。
文永十二年三月の「曽谷入道殿許御書」に
「今は既に末法に入りて在世の結縁の者は、漸漸に衰微して権、実の二機皆悉く尽きぬ。彼の不軽菩薩末世に出現して、毒鼓を撃たしむるの時也。」(昭定897。学会版1027頁)
「今末法に入つて二百二十余年、五濁強盛にして、三災頻りに起り。衆と見との二濁、国中に充満し、逆と謗との二輩四海に散在す。専ら一闡提の輩を仰いで棟梁と恃怙、謗法の者を尊重して国師と為す。」(昭定900。学会版1030頁)
とあります。
日蓮聖人は当時を大判して、謗法者充満・本未有善者充満と判じら
れたのですから、「開目抄」に
「邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす」(学会版235頁)
とある通り、日蓮聖人の採られた化導方法は当然の事に、「折伏を前とす」する化導方法であったと云わざるを得ません。
故に、古来から日蓮聖人の化導方法は折伏と称されているのです。
また日蓮聖人が不軽菩薩の化導形式を折伏と観ておられたことも確かです。
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