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日蓮仏法上、自殺の罪とその消滅法について

2川蝉:2005/05/17(火) 16:46:21
初信者さんはじめまして。

御知人さんは気の毒でしたね。私もそういった追いつめられた状況を迎えるかわからないと思うと、人ごとではないですね。

「自殺は悪であるから、自殺者は霊界にて苦しむ」とテレビに出演するような霊能者たちが書いたり云ったりしていますね。
さて、
講談社刊「原始仏典6の145頁」に「瀕死のバァッカリ」という御経があります。
悟りを得たが、苦痛にみまわれ、重体のバァッカリ尊者は刃物で自殺をします。世尊が大勢の比丘たちとバァッカリ尊者のもとに向かわれた。すると黒雲が動き回っていた。
「比丘たちよ、これは悪魔パーピマンが善男子バァッカリの魂がどこに留まっているのか探し求めているのであるが、しかし、比丘たちよ、善男子バァッカリは、その魂がどこにも留まることなく、完全な涅槃に入ったのである」
と述べられた、とあります。

また法華経の「薬王菩薩本事品第二十三」には
一切衆生喜見菩薩が日月浄灯明仏を供養するために焼身しますが、命終の後、また日月浄灯明仏の国の中に生じて、さらに仏道修行したと、あります。

このように、例外として自殺の許容があるものの、法華経「法師品第十」の
「是の人は自ら清浄の業報を捨てて、我が滅度の後に於て、衆生を愍むが故に悪世に生れて広く此の経を演ぶるなり。」
との文から考えると、仏教徒の覚悟としては、最後まで浄仏国土の願行を貫くべしと云うのが法華経の立場でもありましょうね。

日蓮聖人も「如説修行鈔」に
「一期をすぎん事程もなければいかに強敵重なるとも、ゆめゆめ退する心なかれ、恐るる心なかれ。たとひ頸をばのこぎりにてひき、どう(胴)をば、ひしほこ(稜鉾)を以てつゝき、足にはほだし(?)を打ち、きり(錐)を以てもむ(捫)とも、命のかよはんほどは南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へて、唱へ死にしぬ(死)るならば」
と申されていますが、この文の意から考えますと、やはり、最後まで浄仏国土の願行を貫くべしと云うのが基本的お考えであろうと思います。

大智度論にも、臨終の一念が悪いと悪所にひかれるとあります。一般的には覚悟を決めた、崇高清浄な気持ちをもって自殺する人は極めて稀で、たいがいの人が悲しみや恨み辛みや、執念をもって自殺するのでしょうから、可哀想に想って、充分な供養をしてやる必要があると思われます。
この掲示板のスレッド「29番お墓について」の13番を閲覧してみてください。


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