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なぜ創価学会は異流義化したのか?

3直人:2005/05/04(水) 18:42:42
 皆様、ご無沙汰しています。これからもちょくちょく書き込ませていただきますので宜しくお願い
致します。

 『慧妙』を読んで思ったこと。最近、法華講と創価学会の法論記録を見ると必ず三宝論が論じ
られている。いうまでもなく、大石寺門下の三宝論は日寛師の『当流行事抄』における、

  久遠元初の仏宝豈異人ならんや、即ち是れ蓮祖大聖人なり(中略)久遠元初の法宝とは即
  ち是れ本門の大本尊是れなり。(中略)久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山上人なり。
   (宗全4−P111)

というものを踏襲しているのである。それにしても、学会側が「仏宝は日蓮聖人」であるといえば、
法華講側は『人間革命』「講師筆記試験優秀答案」を論拠として創価学会は会長本仏論である
というのは学術的にはいかがなものであろうか。確かに昭和30年代〜40年代にかけて会長本
仏論が語られたのは事実ではあるが、この点について創価学会は昭和54年、『特別学習会テ
キスト』を作成・配布してその中で誤りを認めている。その意味では第一回SGI世界青年幹部会
における池田氏の、

  学会もこれまで「会長本仏論」など、こちらが聞いたこともない(笑い)、想像すらできないよ
  うな珍説をたてているかのごとく宣伝され、それを圧迫の口実とされてきた。
  (『池田大作全集』77−P360)

という発言は批判されるべきものではある。
 ところで、法華講側は『祈祷抄』の、

  仏は人天の主、一切衆生の父母なり。而も開導の師なり(定本P677)

という御文を引いて、日蓮聖人は主師親三徳兼備の本仏であるとするのである。けれども、日
蓮聖人は『下山御消息』において、

  自讃には似たれども本文に任せて申す。余は日本国の人々には上は天子より下は万民に
  いたるまで三の故あり。一には父母也、二には師匠也、三には主君の御使也。
  (定本P1331)

と仰せられている如く「主君の御使」であれ本仏ではない。何より、先の『祈祷抄』の御文には、

  釈迦仏独主師親の三義をかね給えり(定本P677)

とあることを肝に銘じるべきでしょう。
 さて、初期興門の三宝論を明示すれば、

  日蓮聖人云く本地は常光寂光地涌の大士上行菩薩六万恒河沙の上首也久遠実成釈尊
  の最初結縁令初発道心の第一の御弟子也。本門教主は久遠実成無作三身寿命無量阿
  僧祗却常住不滅、我本行菩薩道所成寿命今猶未尽復倍上数の本仏也。法を云えば妙法
  蓮華経の涌出寿量以下の十四品本極微妙諸仏内証八万聖教の肝心一 切諸仏の眼目
  たる南無妙法蓮華経也。弘通を申せば後五百歳中末法一万年の導師也。   
  (宗全2−P253〜254)

となるわけで、 ここに見られる三宝論は日蓮聖人門下の三宝論と大きく変わるところがない。
日蓮聖人を仏宝、板曼荼羅を法宝、日興上人を僧宝とする日寛師の学説は所詮後代の創作
であって日蓮聖人、日興上人の立義を伝えるものではありませんね。
 大石寺門下は何処も我こそは日蓮聖人の正嫡門家であると自称しますが、そういうならば
なるべく日蓮聖人の御義、日興上人の教説から外れないでほしいものです。


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