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【大石寺教学の研究】質疑応答は此方で

22直人:2005/09/15(木) 19:08:06
 管理人さん、久しぶりに投稿させていただきます。

〔『本尊抄得意抄添書』について〕

 二箇相承を論じる時『本尊抄得意抄添書』の真偽が問題となる。『本尊抄得意抄添書』におけ
る問題の箇所は、

  興上一期弘法の付属をうけ日蓮日興と次第日興は無辺行の再来として末法本門の教主日
  蓮が本意之法門直受たり、熟脱を捨て下種を取るべき時節なり(宗全1−P44)

である。日興上人を無辺行菩薩と位置づける文献といえば、まず両巻血脈書が思い浮かぶが、
日順師の『日順阿闍梨血脈』に「殆ど無辺行の応現か」(宗全2−P335)とあり、日順師は日興
上人を無辺行菩薩の再誕と考えていたもののようである。ただ、「応現か」といって断定に至って
いない点は、日興上人を無辺行の再誕と見る思想はこの頃から萌芽していったということを物語
っているように思われる。
 『日興上人御遺告』よれば、日興上人は久遠実成釈尊を本門教主と見るのであって「末法本門
の教主日蓮」という点は大いに疑わしい。日蓮聖人を本門教主と位置づけたのは尊門の日教師
である。日教師は両巻血脈書を富士に伝えた人であるので、この時に『本尊抄得意抄添書』が成
立したのだろう。
 だいたいにおいて、『本尊抄得意抄添書』末尾によれば、

  下江房日増(宗全1−P45)

に宛てられ、それが今日、佐渡世尊寺に存するという。『本門寺並直末寺院縁起』(P353)によれ
ば、佐渡世尊寺は開山を日興上人とし、開基を下江房日増とするのである。日増師は日興上人の
教化によって文永十年(1273)、世尊寺を法華道場に改めた。けれども、『富士年表』によれば、
建治元年(1275)の項に、

  6.22 佐渡世尊寺2代下江房日増寂84(過)(『富士年表』P34)

と記されている。御宗門の『日蓮宗年表』も殆ど同じ見解で相違は「6.22」のところを「6.1」として
いるのみである。徳治3年を西暦に換算すると1308年であり、これは日増師寂後33年に当たるの
である。
 これらを勘案した時、私は『本尊抄得意抄添書』の正筆であるとは到底考えることができない。


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