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門下・門流史関係
89
:
直人
:2005/02/02(水) 22:59:38
■宗史雑書(8)
〔戒壇本尊の形態について〕
日蓮正宗常泉寺の信徒であった松本和道(佐一郎)氏は昭和32年、『尋勝論』と題する国柱会
批判書を著している。松本氏は山川博士の「聖祖の大曼陀羅本尊図式に文永建治と弘安との二
大別のある所以の法義を闡明す」(『信心』249号所収・筆者(直人)未見)を挙げて山川博士は本
門戒壇の御本尊を仏像と考えているが、田中智学居士は本門本尊を仏像で表すことはできない
といっていたから、山川博士の論考は智学居士に師敵対するものであるという(『尋勝論』P6〜8・
要旨)。そして、その論拠を智学居士の『本門本尊造立私義』に求めている。
『本尊造立私義』(展転社)を一読してみたが、確かに仏像で表すことは難しいもののようで智学
居士は仏像に否定的ともとれる。しかし、智学居士は『本尊造立私義』において、
一国同帰の時となッて、勅命によッて国立として本門大戒壇を造立する場合には、それこそ世
界中にただ一つの聖壇であるから、経費もヘチマも議論はない。壇相、形像、妙工良技をあげ
て如何なる難工でも出来るであらう。又その時節には任運に本化の菩薩が、帝王種なり智臣
なりに生まれ出でて、不思議なる大手腕を振はるることと考へるから、その時の事は吾等の心
配するに及ばざる所とおもふ。(『本尊造立私義』P118)
といい、これによれば、一天広布の暁に建立される大本門寺の御本尊は大曼荼羅を形像化するも
のと考えていたもののようである。であるならば、山川博士の論考は師敵対ではない。思うに智学
居士は大本門寺の本尊は仏像であるが、その他の寺院、在家は大曼荼羅を拝すべしといいたか
ったのではないだろうか。
こうした本尊論は興門にも見られる。日順師は『本門心底抄』において、
広宣流布せば本門の戒壇其れ豈に立たざらんや仏像を安置することは本尊の図の如し
(宗全2−P346)
といい、日代師は『宰相阿闍梨御返事』において、
仏像造立の事、本門寺建立の時也(宗全2−P234)
といっている。ところで、大石寺を中心とする大曼荼羅正意論者は日順師の『法華観心本尊抄見
聞』や『摧邪立正抄』の、
法華本門の戒壇を建てんと欲し、本門の大漫茶羅を安置し奉つて当に南無妙法蓮華経と唱
ふべしと、公家武家に奏聞を捧げて道俗男女に教訓せしむ(宗全2−P355)
という文を依文として戒壇本尊の形態は仏像ではなく大曼荼羅であるというのである。けれども、
『本門心底抄』『宰相阿闍梨御返事』を踏まえてみれば、大曼荼羅の形像化は本門寺戒壇一箇
所に限られ、その他寺院等は大曼荼羅を拝すべしであるとするのが『摧邪立正抄』の文意であろ
う。
その意味では曼荼羅正意・造仏正意といった何れかが正意であるとする正傍論は元来なかった
ものと考える。
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