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門下・門流史関係

88直人:2004/11/04(木) 09:39
川蝉さん、こんにちは。

 「法華聖人」「御経日蓮聖人」「仏聖人」についての御教示、大変参考になりました。私も大
曼荼羅の前に祖師像(御影)を安置していたと思いますし、御影について云われた消息文が
あるからとて日興上人は宗祖本仏論者であったとは考えません。しかし、川蝉さんが仰られ
るように私たちは「○○さん、どうぞ」という念が沸きます。日興上人も日蓮聖人への恋慕渇
仰があったでしょう。それゆえに、「御影の御見参に」(宗全2−P150)、「聖人御影の御宝前
に」(宗全2−P151)と云われたのでしょうね。
 先日、「御影が郷門に持ち去られ日時師が替りの御影を再建しているのはどうか?」(趣旨)
というような質問をいただいたわけですが、それもまた、その当時の人が日蓮聖人への尊崇
の念や恋慕渇仰があったからなのだろうと。それが、『富士一跡門徒存知事』の「御影を図す
る所詮は後代に知らしめん為なり」(宗全2−P121)ということなのでしょう。日蓮聖人の御姿
を後代に伝えるのは、後代、日蓮聖人をお慕いする人が出てくるからでしょう。そこに御影の
意義があったのでしょうね。
 日時師の時代にはもうすでに御本尊と御影が一対になっていたかもしれませんが、日興
上人はあくまで久遠実成釈尊を本仏と拝し、御本尊は大曼荼羅であったでしょう。
 あの質問は私にとって大変有意義なものでした。


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