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門下・門流史関係
87
:
川蝉
:2004/11/03(水) 16:11
興師は大曼荼羅の前に祖師像を安置していたと推測出来ます。
「御影の御見参に」(宗全2−150)
「聖人御影の御宝前に」(宗全2−151)
とあっても、宗祖を本仏と拝していたとは云えません。
私どもが仏壇に何か供物を供えるさい、親や我が子の位牌がある場合、「母(或いは父)に供えさせて頂きます」とか、「○○ちゃん、どうぞ」と云う言葉が思わず出るものです。
興師は、御影を通して宗祖が常に見守ってくれていると確信していたのでしょう。そして師に対する給仕をつくされていたと思われます。給仕の想いから「聖人御影の御宝前に」等の言葉がでたのでしょう。
伝・朗師の「本迹見聞」にも
「今家法主聖人は」(宗全1ー16)とあります。
これは「日蓮法華宗を始め、基となった聖人」と云う意味です。
興師が「法主聖人の御神殿に」(宗全2−162)
と称しているのも、「真の法華の宗旨を始めた聖人」と云う趣旨の言葉でしょう。
「法華聖人の御宝前に」(宗全2−180)
は、法華経弘通の聖人と云う意味でしょう。
「御経日蓮聖人見参に」(宗全2−187)
は、
建治元年五月の御書「上野殿御返事」に
「父の御ために釈迦仏法華経へまいらせ給にや」
とあります。背後に大曼荼羅を懸けた釈迦立像の前に法華経を置いた御宝前であったと思われます。
故に、「釈迦仏法華経 」と書かれたのでしょう。
興師の「御経日蓮聖人見参に」と云う表現は、この日蓮聖人の表現と同例と思われます。
興師は大曼荼羅の前に御御影、その前に法華経を安置していたとも推せられます。ゆえに 「御経日蓮聖人見参に」と書かれたのでしょう。
「仏 聖人の御座候座に」(宗全2−188)
とありますが、この「与由比氏書」の二行目に
「仏の御施餓鬼絶え候処に」とあって、精霊を仏と称しています。ゆえに、「仏 聖人」は「仏(精霊)と日蓮聖人の影現されている席」と云う意味と思われます。
「曾根殿御返事」にも
「又聖霊御具足法華聖人の御宝前」(宗全2−180)
とあります。この意味は「故人の聖霊が御具足している(現れている)日蓮聖人が照覧されている御宝前」ということであろうと思われます。
「与由比氏書」の 「仏 聖人の御座候座に」の意味を「仏(精霊)と日蓮聖人の影現されている席」と解釈できる例証となりましょう。
宗全2−181の「曾根殿御返事」
「仏にまいらせて候」
宗全2−183の「曾根殿御返事」
「仏の御見参に」
とあるのも、「精霊に供養した」と云う意味か、或いは「久遠実成釈迦如来に供えた」と解釈すべきだと思います。
「或いは、久遠実成釈迦如来に供えたと解釈すべきである」
と云う理由は、
「与波木井実長書」
「久遠実成釈迦如来の金剛宝座なり。・・上行菩薩日蓮上人の御霊崛なり」(宗全2−169)
とか
「原殿御返事」
「日蓮聖人の御法門は、三界衆生の為めには釈迦如来こそ初発心の本師にておわしまし候を」(宗全2−173)
等とあるので、興師にとって「仏」といえば「久遠実成釈迦如来」
である道理ですからです。
また直人さんがご指摘したとおり「報佐渡国講衆書」に
「しょほっしんの、しゃかほとけ(釈迦仏)」(宗全2−178)とあるからです。
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