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門下・門流史関係

82直人:2004/09/17(金) 23:51
〔宗史余話〕
 
 今ここに記すことは文献的論拠がなく云わば「素朴な疑問」であることを了承下さい。昨日、
西山の某師と対談してきたわけですが、彼の主張は次の如くでした。

  「百六箇抄」は「具騰本種本迹勝劣抄」(西山口伝書)のパクリであり、「御本尊七箇相承」
  は「円融大曼荼羅口決」(西山口伝書)の一部が流出したものである

 しかし、私としては一概に頷首できない。そもそも、両巻血脈抄は日尊門流によって偽作され
たものが日教師に相伝され、日教師の大石寺帰伏によって富士に伝わったものと考えられる。
しかし、西山は辰春問答に際して「両巻血脈抄が日尊師へ相承されたことに異議はない」と云
い、これによれば、その当時、西山に両巻血脈抄は存在しなかったようである。
 日精師の「家中抄」には日代師にも相承されたと伝えられているが、日代相承説は西山日順
師によって形成されたものと伝えられている。興門の所伝によれば、重須が保田と組んで大石
寺に対抗したのと同様に、西山も大石寺と組んだと云うのである。これが日辰師以降もあったの
であれば、《悟胤映隆順》の頃に大石寺から西山へ両巻血脈抄・「御本尊七箇相承」が流れ、西
山日順師が日代相承説を形成し、大石寺から流入した相伝書を逆手にとったものかもしれない。
 なお、日精師は日順師より100年後の人なので、「家中抄」はその当時の興門で語り伝えられ
ていた伝承を検証せずそのまま記しただけであろう。


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