[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
門下・門流史関係
82
:
直人
:2004/09/17(金) 23:51
〔宗史余話〕
今ここに記すことは文献的論拠がなく云わば「素朴な疑問」であることを了承下さい。昨日、
西山の某師と対談してきたわけですが、彼の主張は次の如くでした。
「百六箇抄」は「具騰本種本迹勝劣抄」(西山口伝書)のパクリであり、「御本尊七箇相承」
は「円融大曼荼羅口決」(西山口伝書)の一部が流出したものである
しかし、私としては一概に頷首できない。そもそも、両巻血脈抄は日尊門流によって偽作され
たものが日教師に相伝され、日教師の大石寺帰伏によって富士に伝わったものと考えられる。
しかし、西山は辰春問答に際して「両巻血脈抄が日尊師へ相承されたことに異議はない」と云
い、これによれば、その当時、西山に両巻血脈抄は存在しなかったようである。
日精師の「家中抄」には日代師にも相承されたと伝えられているが、日代相承説は西山日順
師によって形成されたものと伝えられている。興門の所伝によれば、重須が保田と組んで大石
寺に対抗したのと同様に、西山も大石寺と組んだと云うのである。これが日辰師以降もあったの
であれば、《悟胤映隆順》の頃に大石寺から西山へ両巻血脈抄・「御本尊七箇相承」が流れ、西
山日順師が日代相承説を形成し、大石寺から流入した相伝書を逆手にとったものかもしれない。
なお、日精師は日順師より100年後の人なので、「家中抄」はその当時の興門で語り伝えられ
ていた伝承を検証せずそのまま記しただけであろう。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板