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門下・門流史関係
78
:
川蝉
:2004/07/29(木) 14:19
思いついた事を。
日順師の「表白」の
「我朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し、月氏震旦に勝たり」(宗全2−P317)
の意味するところは、直人さんの
>「久遠実成釈尊を本仏本尊として日本国に本門戒壇を建立するこ
>とによって「我朝は本仏の所住なるべき」となると考えるのは穿
>った見方であろうか。
と云う解釈に賛成です。
表白の「我朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し、」の文のすぐ前には
「請い願わくば此の法座に来臨影響の釈迦多宝・十方三世の諸仏・諸菩薩・諸天等・上行無辺等の地涌千界の大菩薩・・」
(富集宗義部1・11頁6行)
とあるし、
また「誓文」にも
「未曾有の大曼荼羅・所在の釈迦多宝十方三世の諸仏・・」
(富集宗義部1・28頁7行)
とあって、大曼荼羅本尊に釈迦多宝等が在すと云う考えがあります。
そこで、大曼荼羅が本尊とする法華信仰が行われている日本には本仏釈尊が常に来臨影響されていると云う考えを持っていたので「我朝は本仏の所住なるべき」と記されているのだろうと推測されますね。
日順師の「表白文(誓文)」の
「本尊総体の日蓮聖人」(宗全2−P340)
とは、一見、大曼荼羅全体を日蓮聖人 と拝する宗祖本仏思想の言葉のようにも見えますね。
しかし、「御本尊の中の日蓮聖人」の意に取れるとも思われます。
順師の「本門心底抄」を見ると、
「総体所顕の十界を互具の仮体と号するなり,所以に釈迦多宝・十方分身の諸仏の所在は仏界なり、上行無辺行浄行安立行等の四大士は本化の菩薩界なり、(中略)遍く之れを勧請して載せざることなし、此れ則ち善悪凡聖・大小権実皆悉く具足し擣シ和合の本門至極の大曼荼羅の故なればなり」(富集宗義部1・31頁6行)
とあって、十界勧請の大曼荼羅を「総体所顕の十界」と表現して居るようです。
各尊がそれぞれの界に所在しているのが十界勧請の大曼荼羅であると述べているわけですね。
日蓮聖人が大曼荼羅の中に所在されている事を示しているのが日蓮聖人の花押署名であると順師は考えていたのではないでしょうか。
そこで、「別しては本尊総体の日蓮聖人」と表現されたという解釈も成り立つと思われます。
「表白文(誓文)」の7年後の「本門心底抄」には
「神力別付の上行応化の日蓮聖人」(29頁7行)
とあり、また34頁4行には
「是れ我が弟子応に我が法を弘べし」等と天台の「下方を召し来る三義」をもって日蓮聖人の出現と戒壇建立必然を証しています。
ですから「本門心底抄」には日蓮本仏思想は見えないといえます。
もし「表白文(誓文)」の「別しては本尊総体の日蓮聖人」の言葉が、日蓮本仏を語るものならば、ほぼ7年後の「本門心底抄」にも明確に日蓮本仏思想が出ていて当然と思われるのに、日蓮本仏思想が打ち出されていませんね。
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