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門下・門流史関係

77直人:2004/07/27(火) 01:19
■宗史抜書(6)
 〔日順師の学説について〕

 日順師の著述は宗祖本仏思想の見られるもの、宗祖本仏思想の見られないものに大別するこ
とができる。日順師は「表白」において、

  我朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し、月氏震旦に勝たり(宗全2−P317)

と云うのである。しかし、これより10年後日興上人の命によって日順師が執筆した「五人所破抄」
には、

  日蓮聖人は忝くも上行菩薩の再誕(宗全2−P80)

とあって、《宗祖=上行再誕》が保持されており宗祖本仏義まで発展していない。執行海秀氏は
『興門教学の研究』において、

  本朝の本仏が直ちに日蓮本仏を表明するものか否かは明らかではない。久遠の本仏を本尊
  として戒壇を建立せんとする意が窺われる。(『興門教学の研究』P132)

と述べている。久遠実成釈尊を本仏本尊として日本国に本門戒壇を建立することによって「我朝
は本仏の所住なるべき」となると考えるのは穿った見方であろうか。これより8年後日順師は「日
順阿闇梨血脈」を著述しているが奥書の血脈系譜に、

  南無久遠實成釈迦如来上行菩薩後身
  日蓮聖人
  本門所傳導師日興上人
  (研教1−P277)

とあるのみで、本文からは宗祖本仏思想を見出すことはできない。堀日亨師は『富士日興上人詳
伝』において、

  この血脈は、順師の多くの遺編に似ず、全文宗祖本仏の香い芳しからず、いわんや、この血
  脈図においては、まったく上行日蓮で無相承家の説と遠からず(詳伝P300)

と述べている。血脈系譜は『富士宗学要集』では、
 
  南無久遠實成釈迦如来上行菩薩――後身日蓮聖人(富要2−P25)

となっている。この系譜に疑義をはさんだのが執行氏であった。

  ただ問題なのは(中略)南無久遠実成釈迦如来上行菩薩といい、その後身を日蓮聖人として
  いることである。ところで『富士宗学要集』の編者が「日心本の系線明ならず」とあるところから
  すると、これは原本には恐らく「南無久遠実成釈迦如来――上行菩薩後身日蓮聖人」とあった
  のではないかと思う。(『興門教学の研究』P129)

執行氏の「南無久遠実成釈迦如来――上行菩薩後身日蓮聖人」とする指摘は大石寺においても
認められている。高橋粛道氏は「三位日順師の著書」において次の如く記している。

  (南無久遠実成釈迦如来)      上行菩薩後身日蓮聖人(『日蓮正宗史の研究』P246)

 ところで、日順師は興国三年、「表白文(誓文)」を著し、

  本尊総体の日蓮聖人の御罸を蒙り(宗全2−P340)

と記している。宗祖を本尊視するこの記述は宗祖本仏思想を伝えるものであると云わざるを得な
いように思う。しかし、日興上人在世の時代、日興上人寂後数年の時点では未だ宗祖本仏思想
を伝える記述は見られない。これは換言すれば、日興上人に宗祖本仏思想がなかったことの証
左でもある。
 かかる推考が許されるならば、興門における宗祖本仏思想は「日順阿闇梨血脈」成立以降、
「表白文(誓文)」が成立するまで、すなわち、宗祖滅後55年〜61年の間に日順師によって創作
されたものであろう。

【註】
本稿には多々誤りがあるかもしれない。その場合は諸賢からの御批判を賜りたいと思います。


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