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門下・門流史関係

67川蝉:2004/07/04(日) 14:17
(続きです)

ただし、「宰相阿闍梨御返事」に
「造立過無くんば、何ぞ大聖の時、此の仏に四菩薩十大弟子を造り副えられざらんや」(宗全2−P235)
とあるので、日代師は尊師と異なり、一尊四士の造立も否定していたようですね。

>「四菩薩造立抄」を後代の偽作としたのは軽率だったなと反省し
>ています。

とのことですが、真蹟が無いこと「日常目録」に題名が記されてないことから偽書説が出で来るようですが、内容的には親撰に思えますね。
「日常目録」と「日裕目録」とにある「御恋慕由事」。あるいは「日裕目録」の「本尊造立事」が 「四菩薩造立抄」であろうと云う見解があるそうです。

本化妙宗の高橋智遍居士は
「立像釈尊は嘱累総付の教主にして日蓮聖人の随身仏なり。大曼荼羅図顕後は前に法華経を安置しても本門本尊とはなりません。
現存遺文からは大曼荼羅図顕後はどのような形で立像釈尊を捧持されたかについて、確証がない(趣旨)」(本尊論正義112頁)
と論じていますが、四菩薩を添えていないけれども(形式は整っていないけれど)、日蓮聖人は、一体像を無始久遠仏として拝されていたのではないでしょうか。

顕正居士さん、こんにちは。

『原殿御返事』の分析、全く同感です。


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