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門下・門流史関係
66
:
川蝉
:2004/07/04(日) 14:15
「日代上人に遣わす状」は、尹師は師日尊の像造に対する疑問を日代師に問い合わせた書状ですね。
尊師が以前には「興師は像造を誡めていた」と云っていたのに、ある人から立像釈尊と脇士十大弟子像を寄進を受けた。
そこで富士門流の僧俗が「形像を本尊として立て置くべきでない」と非難をよせた。
尊師の説明は
「形像を本尊として立て置くべきでないことは勿論であるが、観心本尊抄・報恩抄によれば曼荼羅本尊のごとく一切の大衆を造立すべきであるとの意が見える。宝塔末座の立像(一体仏)は高祖の本懐ではない。しかし一向に仏像造立を難ずるは、実に一辺の義である。
宝塔造立まで(曼荼羅のごとく造立すること)四菩薩だけを造り添え脇士とし、大曼荼羅の脇に立て奉ったのである。」
と云う説明であった。
伝説では、大聖人の御記文に「帝王が帰依し本門寺建立される以前には、仏像造立すべからず」とあるそうであるし興師も同様の見解と聞いているが、仏像造立についての実義はいかなるものか教えて頂きたい。という内容の書状ですね。
この「日代上人に遣わす状」の中に、
「大聖人の御代には富木禅門の造るところの仏像・・みな以て御開眼供養候い畢んぬ云々」と尹師は、富木殿の一尊四士像は日蓮聖人の開眼供養を受けたものと見ていますね。
また日大師の「日尊上人仰云」にも、尊師が、「大聖人の御代に真間富貴五郎入道常忍、ミソ木を給いて造立す(取意)」(宗全2−420)と、富木殿の一尊四士像は日蓮聖人の御代に造られたものとしていますね。
「日尊上人仰云」によると、尊師は一尊四士像を略本尊とし、資縁があれば造立してよいと云う見解ですね。(宗全2−420)。
国主帰依の暁の本門寺は曼荼羅の木像化が本尊造立についての記文相伝としていますね。(宗全2−420)。
ご指摘のように、日代師は、「日代上人に遣わす状」の返事「宰相阿闍梨御返事」に
「仏像造立の事、本門寺建立の時也」(宗全2−P234)
といっていますね。
これは、
「国主が帰依し本門寺建立の時に仏像造立することが日蓮聖人の本意であり、曼荼羅本尊図はその為めのものである。いま仏像を造立しても良いと云う見解は私的に戒壇をしても良い事になってしまう(取意)」(宗全2−P234)
ということで「仏像造立の事、本門寺建立の時也」と書いていますね。
「仏像造立の事、本門寺建立の時也」とは「曼荼羅の像造は本門寺建立の時である」と云う意味ですね。
日順師「心底抄」に
「本門の戒壇、其れ豈に立てざらんや。仏像を安置すること本尊図の如し」
とあること、また、
「日代上人に遣わす状」の中に見える尊師の「宝塔造立まで」との見解から推すると、日代師の
「御本尊図は其れが為めなり」(宗全2−P234)
とは、本門寺の本尊は曼荼羅の木像化と云う見解のようですね。
国主帰依して建立される本門寺の本尊は曼荼羅の木像化であって、今はまだ造立すべき時期でないと云う見解は尹師の師の尊師と同じですね。(続く)
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