したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

門下・門流史関係

64顕正居士:2004/07/04(日) 11:51
直人さん。川蝉さん。

日興上人の『原殿御返事』に
http://nakanihon.net/nb/haradono.htm
「日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は一二人書き奉り候えども、
未だ木像は誰も造り奉らず候に、入道御微力を以つて形の如く造立し奉らんと思し召し立ち候に、
御用途も候わざるに、大国阿闍梨の奪い取り奉り候仏の代わりに其れ程の仏を造らせ給えと教訓し
参らせ給いて、固く其の旨を御存知候を、日興が申す様には、せめて故聖人安置の仏にて候わば
さも候いなん。
それも其の仏は上行等の脇士も無く始成の仏に候いき、其の上其れは大国阿闍梨の取り奉り候いぬ、
なにのほしさに第二転の始成無常の仏のほしく渡らせ給うべき。御力契い給わずば、御子孫の御中に
作らせ給う人出来し給うまでは、聖人の文字にあそばして候いしを安置候べし。いかに聖人御出世の
本懐南無妙法蓮華経の教主の木像をば、最前には破し給うべき」とあります。
1 久遠実成の如来の画像は一二人が書いたが、2 久遠実成の如来の木像は誰も造っていない、
3 随身仏は上行等の脇士も無い始成の仏である、4 南無妙法蓮華経の教主の木像は聖人御出世の
本懐である。要するに、「日蓮聖人御出世の本懐」は「南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来」
の「木像」の造立である。『本尊抄』に「末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」に当る
のでしょう。
したがって日興上人の具象的の本尊観は三位日順師が述べるように、曼荼羅の諸尊を立体的に造立
することである。「画像は一二人書き奉り候えども」、絵曼荼羅でも一二人しか(合格のものは)
造れなかったのだから、「御力契い給わずば」、木像の造立には才能ある仏師を召集する人望、財力
がたいそう必要である。「来入末法始此仏像可令出現歟」とは東大寺盧舎那仏の造立のような盛儀で
あると考えたのではないでしょうか。だから「未だ木像は誰も造り奉らず候」は蓮祖在世に一尊四士
が造立されなかった意義には必ずしも読めない。「それも其の仏は上行等の脇士も無く始成の仏に
候いき」の「それも其の仏は」の語句からは、蓮祖在世に一尊四士の造立があっても変でありません。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板