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門下・門流史関係
63
:
直人
:2004/07/04(日) 09:08
川蝉さん、こんにちは。
私が疑問に思っているのは宗祖が「観心本尊抄」「報恩抄」において一尊四士義を展開されて
いるのに、「観心本尊抄」「報恩抄」撰述以降の成立である「四条金吾釈迦仏供養事」「日眼女
釈迦仏供養事」に、
釈迦仏の木像一体(定本P1182)
三界主教主釈尊一体三寸木像造立(定本P1623)
とあって、未だ一尊四士の造像がなされていないことはどうしたことだろうかと。弟子檀越に一
体仏を本尊とすることを認められ、宗祖も釈尊一体仏を本尊と崇められていたのが気になると
ころです。
釈尊一仏本尊である。鎌倉の小庵の本尊は佐前佐渡身延を通じて変わらなかった宗祖の
本尊であったのである。(『大崎学報』104−P10)
もっとも「観心本尊抄」は富木常忍に宛てられたものですから、富木常忍が四菩薩を造立し
ようとして「四菩薩造立抄」が宛てられたことも充分に考えられますね。「四菩薩造立抄」を後
代の偽作としたのは軽率だったなと反省しています。
けれども、「日代上人に遣す状」に、
大聖人御記文に帝王御崇敬あって本門寺建立以前には遺弟等嘗て仏像造立すべか
らず(宗全2−P408)
とあって、日代師は、
仏像造立の事、本門寺建立の時也(宗全2−P234)
と云うのでしょう。宗祖が本尊とされたのは釈尊一体仏でしたし、弟子檀越が造立したものも
釈尊一体仏でしたから、一尊四士はおそらくは戒壇堂安置の本尊を云い、それ以外は釈尊
一体仏でもよいと考えておられたのではないでしょうか。
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