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門下・門流史関係
61
:
川蝉
:2004/07/03(土) 15:59
高橋粛道師の著書忘れていましたが購入していました。
高橋粛道師は、
「四菩薩を添えるべきだと云う見解は日興上人の義であるから、日常の一尊四士は、日興上人が正応元年12月に原殿書に、四士を添えよと教示した以降に造られたものであろう(取意)」
としているようですが、「観心本尊抄」には四士を添えて寿量の仏を表すという教示がすでにありす。
興師に依らずとも、富木殿や太田殿などは 「観心本尊抄」により寿量の仏を表すには四菩薩を添えるべきであることは御存知であった事でしょう。
「四菩薩を添えるべきだと云う見解は日興上人の義である」という仮定そのものが成り立たないと思われます。
そこで、日興上人の原殿書以降を待つまでもなく、大田乗明殿が日蓮聖人に供養してもらった一尊四士像を持仏堂に祀っていたことは充分考えられます。日裕上人の「法華本妙両寺聖教録」に『大聖人御供養厨子に御入』との記は「全くの虚偽」と断定することは如何と思われます。
「富士一跡門徒存知事」について、山川智応博士は、「本門本尊論」に於いて、
《 富士門流においては、一尊四士の造立は、大聖人御時代にはなかりしものとするかの如くではあるが、白蓮日興師の「富士一跡門徒存知事」(宗学全書本)は、興師の正本が存在してゐない。・・
現存の「門徒存知事」は、聖滅141年応永29年の寫本が最古の底本で、その文には、下総の一尊四士弘通は、聖滅22年の嘉元元年以後とし、その弘通者を、大聖直弟の帥公日高その弟子大輔公日裕と、辨阿闍梨の弟子犬貳公日裕との三師を混濫して書かれてゐるのに考へると、この部分は後年の加筆と認めねばならぬやうだ。何となれば興師が、老耄の白痴とでもなられない限りは、大聖入御直弟の帥阿闍梨日高師の存生の頃に、『辨阿闍梨弟子輔公日高」などとは、決して書かれるはずは全くないからである。 》
と指摘しています。
高橋粛道師が文証とする「富士一跡門徒存知事」の「追加八箇条」
は他門との対立意識が相当強くなってきた時分のものであるらしいので、「日興が義を盗み取って」の文が門流の交錯を正確に伝えるという見解は如何なものかと思われます。
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