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門下・門流史関係

59直人:2004/07/02(金) 19:53
川蝉さん、こんばんは。

 高橋氏は「宗祖在世に一尊四士は造立されたか」において、

  中山二世・帥日高も本妙寺に嘉元年中(一三〇三〜一三〇五)に造立したようで、それが
  三世・日祐の『法華本妙両寺本尊聖教録』の本妙寺分に見える。すなわち
    釈迦仏立像四菩薩大聖人御供養厨子御入
    已上本妙寺
  の箇所である。この本尊が「大聖人御供養」というのは全くの虚偽と思われ、帥日高が嘉
  元年中に造立したものであろう。以前には輔日高がどういう人か断定できず、松本佐一郎
  氏は「中山門徒の高師か祐師のことであろうと思はれる」(富士門徒の沿革と教義三六五)
  していたが、輔は帥の誤写であると指摘され(日顕上人『造像並に本尊に関する近来の異
  議について』大日蓮二百十号二一)、日高は中山二世の帥公であるとほぼ断定された。し
  たがって、本妙寺の一尊四士は帥日高によって造立されたことが知れる。(中略)日祐の
  『本尊聖教録』は成立年代に疑義をはさむ人もいるがそれには
    「釈迦仏像並に四菩薩 厨子御入
    (中略)
    已上法華寺
    釈迦仏立像並四菩薩 大聖人御供養厨子御入
    打物題目、釈迦多宝二尊像
    並四菩薩像 各一体
    (中略)
    已上本妙寺」
  と記されている。つまり、『常修院本尊聖教事』にある一尊四士が、日祐の『本尊聖教録』
  の法華寺分にあたり、本妙寺の一尊・両尊四士は日高によって新たに造立された
  (『日蓮正宗史の研究』P71〜74)

と云い、「大聖人御供養」と伝えられる一尊四士は日高師の造立と考え、「富士一跡門徒存
知事」追加八箇条に富木常忍の記載がないのは「記載漏れ」ではないかと推測しています。
 宗祖在世の時代に一尊四士の造像がなされていれば、宗祖滅後、各門流において造像が
なされてもそれは一体仏ではなく、一尊四士でしょうから中山の一尊四士は日高師の造立と
も考えられなくもないのです。そうした場合、宗祖滅後、中山で四菩薩の添加が行われその
権威付けとして中山の僧侶が「四菩薩造立抄」を偽作したのではないかと考えれば辻褄が
合うように感じるわけです。
 それから、これは>>57を読み直して、書き入れるのを忘れていたことに気づいたことですが、
宗祖には一尊四士が見られますね(「報恩抄」)。けれども「日眼女釈迦仏供養事」等に見ら
れるように釈尊一体仏でも認めています。
 随身仏を久遠仏と拝し弟子檀那にも釈尊一体仏を認めていた宗祖ですが、戒壇堂に安置
する本尊は一尊四士と考えておられたものではないかと思います。それが「尊師実録」の「
本門寺の本尊造立記文相伝別に之有り」(宗全2−P420)というものではないかと。
 宗祖が弟子檀那に対して釈尊一体仏を認められたのに対して日興上人は造像するなら四
菩薩を添加した一尊四士にするべしだと云うわけです。ここに宗祖と日興上人の本尊間の決
定的な相違があるのでしょう。だから日興上人は「日興が義」としたものではないかと考えて
います。
 『本門本尊論』は未見ですが今度読んでみたいと思います。


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