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門下・門流史関係
53
:
直人
:2004/06/28(月) 18:45
オスカーさん、こんにちは。
こうは考えられないでしょうか。宗祖の真筆かどうかは分からない、偽筆濃厚な本尊が要法寺に
存在していた、それが後代、紫宸殿本尊と称されるようになった。
本山十五代圓智院日性師 後陽成帝仙洞御所講経の筵に侍るの節斯の本尊を掛け帝の拜
覧に供せられ其の因みを以て、桃園天皇宝暦六年二月廿ニ日六條中納言を以て天覧に供し
た故に是を紫震殿の曼荼羅と称する(『先徳遺風』P29)
これによると要法寺において紫宸殿本尊と称されたのは宝暦6年以降のようです。要法寺に紫
宸殿本尊と称される本尊があるということが大石寺に伝わったことによって、大石寺は弘安三年
太歳庚辰三月日の本尊を紫宸殿本尊と称するに至ったものではないでしょうか。
宝暦6年は通用もなくなっていた時代ですから、日志師の「昔、京都通用の節は此の本尊ある
を聞かず」という指摘も頷けるわけです。
要法寺において紫宸殿本尊と称された時期−宝暦6年
大石寺において紫宸殿本尊と称された時期−文政年間
つまり、戸田城聖氏が云っていたような紫宸殿本尊は宗祖真筆本尊にはなく、紫宸殿本尊は
まず要法寺で称され、それが大石寺においても紫宸殿本尊と称されるに至った。要法寺は偽筆
濃厚な本尊を紫宸殿本尊と称し、大石寺は本来誰人かに授与された本尊(安国82番)を紫宸殿
本尊と称していると。
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