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門下・門流史関係
15
:
直人
:2004/05/19(水) 01:12
顕正居士さん、こんばんは。
>電波なお友達とは訣別
波で始まるHNの人となら去年に訣別しています。現在はまったく関係ありません。
>宗祖は日蓮聖人であります。
その通りです。誤解させたようですね。「宗祖・日興上人」は蓮興二祖−この掲示板では
相応しくない書き方ですから日蓮聖人、日興上人と云いましょう。−という意味で書いたも
のです。
>日蓮聖人の遺文から発達した教義はそれぞれに合理性があれば互いに尊重しあうべき
これについても異論はないです。しかしあくまでも宗祖(日蓮聖人)が正、他の諸師は傍
でしょう。
>派祖日興を絶対とし、合わなければ日蓮聖人も後世の学徳も一切経もお認めにならない
>のですか?
私は日興上人を絶対視したつもりはないですよ。上の「>日蓮聖人の遺文から発達した教
義」とも関連しますから一緒に云いましょう。例えば、今日の大石寺では貫首は宗祖人と同
格、或いは、代理人であるというようなことを言ったり、「貫首と大御本尊と一体である」という
人さえいますね。けれども、こうした思想の根源は日教師の学説であること、それを日寛師が
著書に引用しているだけであって、決して宗祖、日興上人に「貫首は大御本尊と一体である」
という思想を見出すことはできないでしょう。
ただ、途中の貫首がこう云ったからこれが「伝統思想」と思うのはあまりにも危険でしょう。戒
壇論で云えば近代までは《天生原戒壇・六萬坊》が信じられてきましたが、史料を見たときそ
れは大石寺本来の伝統的戒壇論ではなく、興門他山の思想でした。つまり、宗祖、日興上人
にない思想を「伝統思想」であるというのは如何なものか、と問うているわけです。ゆえに私は
「大石寺伝統的本仏論であると云うのであれば、宗祖・日興上人の確実な文証によって」と述
べたのです。
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