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御本尊のご開眼について
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:
顕正居士
:2005/05/24(火) 00:41:48
川蝉さんご紹介の茂田井師と執行師の問答は面白いですね。Web上に執行海秀師の『日蓮宗の本尊』
(「みのぶ」誌・昭和43年)という文章があります。
http://homepage3.nifty.com/juhoukai/gyoshobunnko/shigyou2.pdf
「インド出現の釈尊を除いて本仏はありません」といわれておりますから、中尊を仏と解することに賛成
しなかったのでしょう。体用本迹だから変ではないんだ、というのを考えてみますと。
「体用」というのは中国思想に固有の概念だそうです。「中体西用」(中学為体、西学為用)のように頻りに
使う。「体言」、「用言」もこれから来ているらしいから、体というのは不動の何かで、用は変化するもので
あろう。天台大師は法華玄義そのほかに六重本迹、本迹ということの六種類の意味を述べる。その中の
一つに体用本迹があります。
「四に體用に約して本迹を明かすとは。昔最初に修行し理に契ふに由り、法身を證するを本と為す。初に
得る法身本なる故に、即ち體より應身の用を起す。應身に由って法身を顯すことを得。本迹殊なりと雖も
不思議一なり」(玄義巻第七上)
天台宗では仏の内証を自受用身といい報身に摂するから、法身といえば真如実相の理である。だから
中尊を法身であるというのは、中尊が法であるというのと矛盾はしません。
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