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御本尊のご開眼について

53川蝉:2005/05/23(月) 09:32:13
伝六さん今日は。

「本尊問答抄」は文面上、「法華経は能生、仏は所生」であるから経の方が勝れているという法勝仏劣を面に出し、だから大日如来を本尊とするより勝れた法華経題目を本尊とすべきである。と教示されています。
御存知のように、能生所生・能証所証・能説所説の関係があるので勝劣を一辺に限る事は出来ないと田中智学大居士が説明しています。
「本尊問答抄」も、勝劣を一辺に限る事は出来ないと云うお考えの基に述作されていることは間違いないと思います。

「本尊問答抄」に於いては、
法仏の勝劣は本来、一片に限られないと云う立場でありながら、迹門的に法勝仏劣を面に立てて大日如来本尊を破しており、題目は、久遠釈尊能証の法、所説の法であり、久遠釈尊の証悟・お心であると云う説明が面に立っていない。ゆえに、対機説法の御書であると云える。しかし真意は観心本尊抄の本尊観と相違や変化はなく法仏一体の立場にあり、法勝仏劣に限った本尊観ではない旨を述べたのです。
もう一度読み返してください。

田中智学大居士は「日蓮主義教学大観4・2497頁)」に
「斯く法勝仏劣は諸宗統一の為めであるから、法勝仏劣対他門というのである、しかしながら対他門であるから方便であるというのではない。この対他門の当所にすぐに真実はあるのである。」
と説明されていますが、この説明を私も云わんとしているのです。「対他門」を「浄顕房等の機根に対応した御書」と表現していると理解下さい。


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