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御本尊のご開眼について
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:
顕正居士
:2005/05/21(土) 02:43:31
川蝉さん。こんばんは。
一妙日導師は『祖書綱要』第23巻の本門本尊三種異目章に
「今家の本尊に又二種有り、一には久遠実成の釈尊を以て本尊と為し、本化を以て脇士と為す、是れ三大
秘法の随一にして本門の本尊と名くる者也。真間の生身仏、及び四條金吾の持仏の如き是れ也。二には
首題を以て本尊と為し釈迦多宝等の十界を以て脇士と為す、是れ未曾有の大曼荼羅也。是れ観心の本尊
也」と教観二種の本尊ありとする。
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049111&VOL_NUM=00012&KOMA=6&ITYPE=0
しかし『本尊問答抄』によれば本門の本尊また妙法五字ではないかと問を立て、然り、「本門八品の本尊は
法を以て本尊と為す」、「本門八品の本尊は唯だ是れ題目の五字の体用」であると答える。ただし本尊抄に
『来入末法始此仏像可令出現歟』等の文あり、「本門八品の本尊は仏を以て本尊と為す」の意義あるべし、
結論して「大曼荼羅即寿量品の釈尊の自受用身の形貌也」と料簡する。
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049111&VOL_NUM=00012&KOMA=31&ITYPE=0
一尊四師をもって教門の本尊、仏本尊とし、大曼荼羅をもって観門の本尊、法本尊とする分類観を問答抄
に適用することは妥当であろうか?行学日朝師は『法華経為本尊事』に「問答鈔には題目に限る本尊云云、
観心鈔には三部十界倶に本尊云云、其相違如何」と問を立てる。
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049288&VOL_NUM=00000&KOMA=35&ITYPE=0
本尊抄、報恩抄には教主釈尊を本尊と為すとし大曼荼羅の形貌を示す。本尊問答抄には能生の法を本尊と
為すとし首題本尊(元意本尊)を示す。三抄を料簡すれば大曼荼羅の全体が本門教主釈尊であるが、中尊
は法であって仏ではない意義となる。中尊を仏とすれば、多宝仏と並坐する釈迦仏と別の仏がおられること
になる。それでは毘盧遮那仏の応化が釈迦仏であるとする通途の考えに戻ってしまうと思うのです。
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