したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

御本尊のご開眼について

39直人:2004/11/08(月) 03:21
勉強中さん、こんばんは。

 重須七代・日国師の時代と云えば『富士年表』を追う限りは大石寺では日鎮師・日院師の
時代ですね。重須六代・日浄師は明応六年に板曼荼羅を「未見未聞の本尊」であると云い、
日有師が偽作したものと批判していますね。仮令、日禅授与本尊が上代から大石寺にあっ
たとして板曼荼羅が日禅授与本尊の原本であったならば大石寺が偽作原本を容易く売るも
のでしょうか。それも対立してきた重須に。それをすれば重須に板曼荼羅偽作の正体を明か
すようなものです。
 私は『日国定書』を見ていないので何とも云えませんが、「予の代に上野(大石寺)」の大
石寺とは原文ママでしょうか。それとも編者註でしょうか。編者註であれば、対立相手に御
本尊を売ったりするとは考え難いので「上野」とは大石寺ではなく妙蓮寺であったかもしれ
ませんね。仮令、大石寺であっても大石寺が日禅授与本尊を原本としたのであれば、その
原本を容易く手放すとは考えられませんから「御正筆御本尊」とは日禅授与本尊ではなく
別な御本尊であった可能性もありますね。

>一文字一文字切り取って重ね合わせ

 日禅授与本尊の首題を「南」「無」「妙」「法」「蓮」「華」「経」と一つ一つ模写し、それを板に
模刻したというのでしょうか。しかし、『御本尊集』を見る限り、№90の「今此三界御本尊」を除
外すれば№86以降、「南」字のヒゲは「大毘沙門天王」に到達していますし、日禅授与本尊の
図顕前日ものである№92、№93も「南」字のヒゲは「大毘沙門天王」に到達していますが、板
曼荼羅の「南」字のヒゲは極端に短く、弘安三年五月の御筆法とは異なっています。「各文字
を模写・原図」(大会配布資料)としたのであれば、板曼荼羅はもっと忠実に模刻(再現)され
ていたはずであろうと思うのです。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板