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御本尊のご開眼について

37直人:2004/11/07(日) 12:01
川蝉さん、こんにちは。

 私のものは重須蔵日禅授与本尊です。
 大石寺蔵のものは、
  
  弘安三大才庚辰五月九日、比丘日禅に授与す、(日興上人御加筆右の下部に)少輔公
  日禅は日興第一の弟子なり仍て与へ申す所件の如し、(また同御加筆御華押と蓮字と
  交叉する所に殊更に文字を抹消したる所を判読すれば)本門寺に懸け奉り万年の重宝
  たるべきものなり。東京 法道院。(富要8-P187)

で、重須蔵のものは、

  弘安三大才庚辰五月九日、比丘日禅に授与す、(御判の内に他筆にて)本門寺に懸け
  万年の重宝たるべし、(伯耆曼荼羅と称す)北山本門寺。 (富要8−P215)

です。日蓮聖人が同一日時に、御本尊をニ幅授与するとは考えがたいので、何れかが模写
でしょう。堀師は「禅師へご授与の御本尊については、興師の加筆が現存すべく、それと同
形のが北山本門寺にも法道院にも現存する」(詳伝P613)と云っていますので、大石寺蔵の
ものも重須蔵のものも大きな差はないと思います。
 大石寺蔵日禅授与本尊は明治時代、日応師が買い取った(河邊メモ)ものが法道院に昭
和45年まであり、それが大石寺へ奉納されたわけです。とすれば、それ以前は、大石寺に
はなかったわけです。「河邊メモ」の日禅授与本尊の項目だけ引用しておきます。

  一、戒旦之御本尊之件 戒旦の御本尊は偽物である。種々方法の筆跡鑑定の結果
  解った。(字画判定)多分は法道院から奉納した日禅授与の本尊の題目と花押を模写し、
  その他は時師か有師の頃の筆だ。日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている
  (中略)
  ※日禅授与の本尊は、初めは北山にあったが、北山の誰かが賣に出し、それを応師が
  何処かで発見して購入したもの。(弘安三年の御本尊)
  (『日蓮正宗〝落日の真因〟』P227-228)

 日禅授与本尊を板曼荼羅の原本とするならば、上代から大石寺になければならないです
ね。しかし、もう一幅の日禅授与本尊が重須にあるということは、日禅授与本尊は重須に格
護されてき、その中で模写本が成立。その後、流出し法道院へ。という過程じゃないだろう
かと愚考したりします。
 興門の所伝では、北山と保田は組み、大石寺と西山は組み、互いに対立してきた歴史が
ありますから、そうした中、大石寺僧が重須に出向いて御本尊を書写するだろうかという疑
念が拭えないのです。
 また、「模写」とは「そっくりそのまま写し取ること」(三省堂提供「大辞林 第二版」ネット版)
ですから、日禅授与本尊と板曼荼羅は相当似ていなければならないだろうと思うのですね。
しかし、日禅授与本尊と板曼荼羅は似るところがなく、相違が目立つので、私は「河邊メモ」
で云うところの「模写の形跡」というのは本来、一幅だった日禅授与本尊を模写したからだろ
う。それによって、ニ幅の日禅授与本尊が成立したものだろうと思うのですね。

>大石寺蔵のものと板曼荼羅の相似点を指摘しているようです

 さきの発表大会の質疑応答の時は重須のものを用いていると聞いた気がしますが私の聞
き間違いでしたか。


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