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日興上人の身延離山について

20空き缶:2003/12/11(木) 19:09
ROCKさん、お久しぶりです。
御影は「万年救護本尊」とともに保田の重宝なので、チョッと無理なのではと思われます。

ただ、現在は御影を安置している堂は「御堂」と称しています。以前は「御本尊堂」でした。
大石寺も昔は御影堂が本堂と呼ばれていましたと思いますが、富士方では実際のところ御影信仰があったのではないでしょうか?

御堂−本御影堂−本堂−御本尊堂−御影堂など、御影安置の場所の呼称にも色々あるようです。

ROCKさん、「門徒存知事」はどうなんでしょう?大石寺の論師達は「日澄師草案の興尊加筆」といっていましたが、他の興尊真筆遺文との矛盾点が多くいまいち信頼を置きかねています。
興尊と御影信仰を論じる時、御影信仰派の持出す文証はご存知の通り興尊の御消息遺文です。
しかし私は、興尊は御影を「生身の日蓮聖人」のように思い接しておられたのであって、信仰の対象(御本尊)にしていたかについては疑問ももっています。
そもそも御影は「末代未見の者」の為に、日法師が彫刻されたのが始まりと伝わりますが、池上の本門寺などでは御影に対する考え方はどうなんでしょう?
ご存知でしたら御教示ください。


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