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日興上人の身延離山について

19ROCK:2003/12/11(木) 18:34
[某掲示板を見て思ったこと]

《興門には宗祖御影を本尊ととらえ、保田妙本寺は宗祖御影を本尊視している》とのことであるが、
これは上代興門教学としては正しくないのではないだろうか。なぜなら、「富士一跡門徒存知事」に、

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一、 聖人影像の事 (以下略)
一、 本尊の事 (以下略)

(「富士一跡門徒存知事」『日蓮宗宗学全書』② 121、123頁 1983年)
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と記されているように、本尊と宗祖御影は別な存在であったようであるし、堀師も、

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御開山当時の御影に対する崇重の念は、記念のためであることが存知抄の御文のとおりであること
は明々たるが、いずれの時代からか本尊御影が一対みたいのようになった。それは富士の各方面で
あったとみえて、八品の開祖日隆は、東国の富士門流では御影を本尊としておると、批判の筆を残し
ておる。

(『富士日興上人詳伝』 390頁 1963年)
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とのべ、《宗祖御影=本尊》思想は後代の邪義としており、保田は《宗祖御影=本尊》思想を改める
べきではなかろうか。


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