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31川蝉:2003/10/11(土) 15:07
もう一つ追加です。
『日蓮聖人伝百話・50 竜口法難 八』において、
『種々御振舞御書』の
「此にてぞあらんずらんとをもうところに、案にたがわず兵士どもうちまわりさわぎしかば、左衛門尉申すやう、只今なりとな(泣)く。日蓮申すやう、不かく(覚)のとのばらかな、これほどの悦びをばわらへ(笑)かし。いかにやくそく(約束)をばたがへらるるぞ」
の文を挙げ、
「処刑にうろたえる頼基を、日蓮聖人は法難を法悦として受けめた動ぜぬ立場から制し、なだめた様子を伝えている」(224頁)
と、解釈しています。

しかし、はたして四条金吾殿のうろたえぶりを記している文と解釈して良いものでしょうか。
四条金吾殿は、いよいよこれで今生最後の別れという悲しさと、法華経の行者が素懐を果たさないで斬首されてしまう無念さ等の気持ちから、泣かれたのであろうと、私は思うのです。腹を切る覚悟であったのですから、うろたえたのでは無いでしょう。

『日蓮聖人伝百話』は、
「四条金吾殿宛の一連の消息をみると他の四条殿が泰然自若としてうろたえなかった事を称賛したものばかりである。ゆえに四条殿がうろたえた様子を記している『種々御振舞御書』は史料としてはいかがなものであろうか(取意)」(224頁)
との趣旨を論じています。

四条金吾殿宛の一連の消息を提示していますが、その一つは文永八年九月二十一日の『四条金吾殿御消息』です。
しかし、この御消息は文中に
「三光天子の中に月天子は光物とあらはれ、龍口の頸をたすけ。明星天子は四五日已前に下て日蓮に見参し給ふ。」
とある御消息です。『日蓮聖人伝百話』の立場から云えば、偽書とすべき御消息と云う事になりましょう。ですからこの御消息をもって『種々御振舞御書』の史料性を疑う根拠の傍証とすることは無理がありましょう。

竜の口に於いて、法難に殉ずる覚悟を示したのですから、四条金吾殿宛の御消息等に四条金吾殿の覚悟を賞されていても『種々御振舞御書』の記述と何ら矛盾しているとは云えないと思います。

四条金吾殿宛の建治三年九月の『崇峻天皇御書』は真蹟は身延曾存の御書です。この御書に
「返す返す今に忘れぬ事は頸切れんとせし時、殿はとも(供)して馬の口に付てなきかなしみ給しをばいかなる世にか忘なん。」(昭定・1394頁)
とあります。この文は『種々御振舞御書』の記述と一致しています。

「左衛門尉申すやう、只今なりとな(泣)く。日蓮申すやう、不かく(覚)のとのばらかな、これほどの悦びをばわらへ(笑)かし。」と記述している『種々御振舞御書』は史料性が欠けると云う『日蓮聖人伝百話』の論述は、少しずさんであろうと思います。


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