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法華経の悪人成仏と親鸞の悪人しょうき説との違いは?
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管理者
:2003/09/09(火) 12:46
川蝉さんの説明でお分かりと思いますが、龍谷大学の仏教大辞彙に、
アクニシ ンョウキ 悪人正機 悪人は弥陀本願の救済を蒙らしむる主正の根機なりとの意。選択集下に曰く「極悪最下の人の為に極善最上の法を説く」と。愚禿鈔上に曰く「一に菩薩、二に縁覚」三に声聞辟支等(浄土の傍機也)、四に天、五に人等(浄土の正機也)」と。元暁の遊心安楽道に曰く「四十八の大願、初に 先づ一切凡夫の為にし、後には兼ねて三乗の聖人の為 にす、故に知んぬ浄土宗の意は本凡夫の為、兼ねては聖 人の為なり」と。口伝鈔に曰く「一、如来の本願はもと 凡夫の為にして聖人の為にあらざる事。本願寺の聖人、黒谷の先徳より御相承とて、如信上人仰せられていはく、世の人つねにおもへらく、悪人なをもて往生す、いはんや善人をやと。このこととをくは弥陀の本願にそむき、ちかくば釈尊出世の金言に違せり。そのゆゑは五劫思惟の劬労、六度万行の堪忍しかしながら凡夫出要の為なり。また聖人の為にあらず。しかれば凡夫本願に乗じて報土に往生すべき正機なり。(中略)かるが故に傍機たる善凡夫なを往生せば、もぱら正機たる悪凡夫いかでか往生せざらん。 しかれば善人なをもて往生す、いかにいはんや悪人をやといふベしとおほせごとありき」と。歎異鈔に曰く「一、善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世の人つねにいはく悪人なを往生す、いかにいはんや善人をやと。この條一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり(中略)善人だに往生す、まして悪人をやと、おほせさふらひき」とあり。これ弥陀の本願は十方衆生を救済せんと願じたるものなれば、人・天・声聞・縁覚・菩薩の凡聖五乗に互りて博く被らしむベしと雖、其主眼とする所は声聞・縁覚・菩薩の聖者にあらずして、人・天の凡夫にあり。其凡夫の中に於て、善凡夫よりも悪凡夫を以て主眼とす。これ本願力にあらずんば永く成佛すること能はざるものなればなり。故に此悪人正機は佛慈悲の究竟を顕はすの語なり。されども佛悪人を好むとの意にはあらず。凡そ佛には慈悲・智慧の二門あり。慈悲門に於ては悪人正機なり、智慧門に於ては是非善悪を照して非悪を悪む。譬へば父母の衆児に対するに一視平等なるも、特に不肖悪性の児に対して慈念瞬時も息まず、而も其不肖悪性を好むに非ざるが如し。佛また然り、悪を救ふも悪を好まざるなり。好まずと雖大慈悲の心主として悪人の上にあり、故に悪人正機にして善人なほ往生す、いかにいはんや悪人をやと云はざるべからざるなり。然るに法然上人の法語には「罪をば十悪五逆の者なほ生ると信じて、小罪をもおかさじと思ふベし、罪人なほ生る、何況や善人をや」(法然上人行状画図第二十一・和語燈第四)とありて、其意相異なるが如し。之に就て興隆の口伝鈔録には「元祖は常途因果の理に准じて願生心を起すベしと勧む。これ浄土門初開の時なるが故に。その本意は選択集に遊心安楽道(前出)の文を引き、及び所々に機悪を疑ふを誡むる為凡の釈義あるにてその意見るベし」とあり。覚寿の口伝鈔略述に「元祖(法然)の語と、世人のおもはくと言は同じきに似たれどもその意各別なリ。もと元祖の御言は本願にほこりて造悪を許す邪見を試むる意にて、十悪も五逆も往生すればとて小罪をも犯すべからずと示し、悪を慎み善を作すべしと勧善懲悪す。これ更に往生の為に非ず、邪見を誡むる意なり。凡そ元祖一代の御教化種々あり。悪人正機を勧むるあり、耶見を誡むるあり。和語燈につよく信ずる方を勧れば邪見を起し、邪見を起させじと誘ふれば信心つよからず成るが、術なき事にて侍る也とあり。これより見れば上の和語橙第四の文は邪見を誡むる言なり。爾ればこの世の人の語は、元祖の耶見を誡め給ふ語を誤りて、止悪作善が往生の為になるやうに心得たるなり。故に本願の意趣に背けりと誡むるも、元祖の御言を破するに非ず。吾祖(親鸞)も邪を誡むる時は、薬あればとて毒を好むべからずとあり。元祖と同意なり。又元祖も本願の正機を顕すには機の深信の釈を引きて勧むるは吾祖と同意なり」とあり。千巌の口伝鈔講義其意また同じ。
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