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法華経の悪人成仏と親鸞の悪人しょうき説との違いは?
20
:
ぽん州
:2003/12/06(土) 21:42
三吉さん どうもありがとうございます。 てっきり親鸞教の方かと思い
質問させていただきました。
「唯信鈔文意」には
この一如よりかたちをあらはして、方便法身と申す御すがたをしめして、
法蔵比丘となのりたまひて、不可思議の大誓願をおこしてあらはれたま
ふ御かたちをば、世親菩薩(天親)は「尽十方無碍光如来」となづけた
てまつりたまへり。
この如来を報身と申す、誓願の業因に報ひたまへるゆゑに報身如来と申
すなり。
とありますし
「一念多念証文」には
この一如宝海よりか たちをあらはして、法蔵菩薩となのりたまひて、
無碍のちかひをおこしたまふをたねとして、阿弥陀仏となりたまふが
ゆゑに、報身如来と申すなり。
とありますから、報身如来であると思っています。ただ 浄土宗のほうでは
報身如来か三身即一如来かの論争があるやに聞いてますが どんなもんで
しょうね。
親鸞の著書には真偽に注意を払わなければならないものが多数有るようで
上記の「唯信鈔文意」も真偽未決のように思えます。書誌学だの文献学だの
という以前に 本願寺と高田専修寺の正嫡争いみたいに 門外漢には思えます。
さて 当該スレは 一方に親鸞の悪人正機説が扱われていますが、三吉さん
の #15
>「悪人正機」という語は親鸞にはない。
というように、そもそも師匠の法然の「悪人正機」を親鸞が受け売りしたもの
という説もあったように記憶してます。法然の親鸞以外の弟子の門流の寺から
詳しくは覚えていませんが 「法然上人は 善人往生す況や悪人おや とお説
きになった」という文書が発見されたということでしたが、その後の研究は
どう発展しているのか 興味のあるところです。
まあ それはともかく 阿弥陀さまは六波羅蜜を行じ、それも大経によれば
たとへば大海を一人升量せんに、劫数を経歴せば、なほ底を窮めてその
妙宝を得べきがごとし。人、至心に精進して道を求めて止まざ ることあ
らば、みなまさに剋果すべし。いづれの願か得ざらん
といったように 大海の水を一升づつこつこつと汲み出していけば最後には
妙宝を得ることが出来るという 世自在王仏の教えで大変なご自力聖道門を
歩かれたのですね。
自力は認める だけど 煩悩具足の凡夫の衆生は 誰ひとり自力による
成仏など出来ない という思想は 法蔵比丘の自力成仏が必要とされるの
でしょうね。 阿弥陀さまの功徳を回向していただかなければならないわけ
ですから。
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