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法華経の悪人成仏と親鸞の悪人しょうき説との違いは?

14三吉:2003/12/01(月) 07:45
皆様、頭が良くていらっしゃる。
私は以上の説明は難解すぎると思います。

「悪人正機」という語は親鸞にはない。親鸞がなにを「正機」と言っているか主著「教行信証」をみると一箇所だけだが以下のように言っています。
「観経」に「若仏滅後諸衆生等」とあるが、これの意味するところは「未来の衆生が往生の正機」たることを顕しているのだよと。
未来のあらゆる人が、弥陀の本願を機縁として往生するのだよと。
理念的には特に悪人に限定した話ではないのだが、実際的には、悪人の自覚がなければ、往生したいと本人は思わないので、「信」上、自覚がターニングポイントとなります。
努力はしなくてよいです。弥陀が正しく清く努力した結果に乗ろうというのが浄土教、他力の法門ですら。能力も金力も努力も必要はない。愚かであるという自覚と、南無の気持ちがあれば充分。
ところが親鸞晩年の頃、「本願を誇り」わざと悪さして、悪いほうが救われやすいんだといい、努力して悪さをする者がでてき、「なんでやねん!」と親鸞はあわてふためき、「薬があるいうて、なんでわざわざ毒のむねん!」と絶句したそーです。


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