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よかったレス

1匿名さん:2003/11/08(土) 20:38
よかったレス

2匿名さん:2003/11/08(土) 20:38
当事者にとっては、自衛隊がどう遅れたかなんてわからんからし、
警察も、自前の警察署がつぶれて、警察の人も総がかりで
中の埋まった署員を助けようとしてるねん。でも今まさに、
その掘ってる横に机を置いて、(自分も掘りたいだろう気持ちを抑えて)俺らの言う
誰がどこに埋まってるとかの調書も同時に取ってるわけよ。
本当に異様な光景で、誰も助けてくれへんという無力感が漂ったとき

どこまでも続く道のかなたから
自衛隊の車列がたくさん見えたとき、みんな拍手して
道に駆けつけたもの。
どれだけ嬉しかったか。

あの人らプロやから、もーすごい勢いで掘り起こしてくれるの。
中の人は助かってないことが多かったけど
俺ら、あそこの中で生き埋めになってるかもしれない思うだけで
体かきむしりたい思いやったから。
生きてるにしろ死んでるにしろ、埋まった人が出てくるということは嬉しかった。

大きな公園のあちこちに自衛隊が駐留してテントはって、近くに
そういった人がいてくれてるというだけで力ずよかった。

ほんまに、神戸の人にとって自衛隊はヒーローやねん。

3匿名さん:2003/11/23(日) 02:07
数年前自衛隊のT-33が西武線の送電線切って墜落した事があったけど、ベテランパイロット
は住宅地に墜落させる危険性を避ける為に機を捨てなかった(脱出を遅らせた)そうだ。結果
亡くなった。

4匿名さん:2003/11/23(日) 02:08
彼らはすぐにベイルアウトできたのに誰にも迷惑のかからない河原まで飛行機を持っていき、
そして激突寸前に(無駄だともちろん分かっているが)射出装置を作動させました。

なぜなら、あとで事故検分のときに射出装置をメンテナンスしていた担当のメカニックに
『おまえのメンテナンスが悪くて脱出できなかったのではない 射出装置はこのようにキチンと作動した』と
伝えるためにそうするのだと、自衛官の父から次の日に直で聞きました。

その頃俺は生意気盛りだったけど、泣きました。

軍人さん、ありがとう。

5匿名さん:2003/12/01(月) 22:56
床屋には大抵本棚があって雑誌なんかが置いてある。
夕方にもなると客が適当に読んで適当に戻すから本棚はぐちゃぐちゃだ。

しまりかけの床屋に飛び込んだリーマン二人。俺とどこぞのしょぼくれたおっさんだ。
長椅子の上にまで散乱した雑誌類が、今日の繁盛を物語っている。

たまたま一人分空いてたんで、タッチの差で俺を先にやってもらう事になった。
おっさん悪いけどもうちょっと待っててな。

終わって驚いた。あれだけ雑然としてた本棚がきれいに片付いてる。
どうやら待っていたおっさんが全部きれいに戻してくれたらしい。
それも一番下に雑誌、児童書はタイトルが読めるように、単行本なんかは巻数順
タイトル別にと見事に整理されてる。

おっさんは既に席について刈って貰ってる。
なんかお礼を言いたい気分だったけどそれも変だし、外の自販機でおっさんと
店員二人に缶コーヒー買って置いて帰ってきた。

6匿名さん:2003/12/03(水) 22:07
  _、_    消防の頃、厨房がえらく大人に見えた。
( ,_ノ` )
     ζ
    [ ̄]'E
.      ̄
  _、_     「俺もああなるのかなぁ…?」とか結構ワクワクしたもんだ
( ,_ノ` )
  [ ̄]'E ズズ
.    ̄

  _、_     しかし実際なってみると、そんなことを考えていた頃とあんまり変わらなかった。
(  ◎E


  _、_     これからも実際そんなもんなのかい?>>人生の先輩
( ,_ノ` )
         ガチャ
    [ ̄]'E
..     ̄

7匿名さん:2003/12/03(水) 22:07
  _、_    実際そんなものだ。
( ,_ノ` )
     ζ
    [ ̄]'E
.      ̄
  _、_    だがな、忘れちゃいけない。お前が消防の頃に感じていたように、
( ,_ノ` )
  [ ̄]'E ズズ
.    ̄

  _、_     今の消防も同じようにお前を見ている。
(  ◎E


  _、_     かっこいい「大人」でいられるようにするんだ。子供が間違わないように。
( ,_ノ` )
         ガチャ
    [ ̄]'E
..     ̄

8匿名さん:2004/01/07(水) 22:22
旦那が帰ってくる時に
ウチのどこかに隠れてる。
帰ってきて、いろんな所を開けて
私を探している音がする。

…わくわくして、なんだか止められない。

9匿名さん:2004/01/19(月) 22:59
241 名前:名無しさん@明日があるさ 投稿日:2004/01/19(月) 15:09
俺、実際結婚するまで婚約指輪と結婚指輪が有るって知らなかったんだよね。
単に妻のと自分の指輪買って終わりだと思ってた。結婚指輪だけでいいと思ってたんだなwまったく無知だよ。
んで、結婚する時に親父に「指輪はどうした?」って聞かれてさ、初めて婚約指輪の存在を知ったんだな、これがw
新居に引っ越すのに、敷金・礼金やら、家具を買い揃えたりで、俺は貯金を殆ど使い果たしてたんだが、
それを知った親父が「俺が買ってやるから、お前が買った事にして渡せ」って、結構な額の指輪を買って来てくれたんだよね
普段は親父とロクに口も聞かなかったんだが、あの時は感謝で涙が出たね


242 名前:241 投稿日:2004/01/19(月) 15:16
まだオチが有るんだが、
親父もお袋と結婚する時、結婚指輪と婚約指輪が有るってのを知らなくて、
やっぱり自分の親に買って貰ったんだと。
後でお袋がコッソリ教えてくれた。

俺は現在結婚2年目で、夏には子供が産まれる予定。
何つーか、家族を大事にする家庭を作りたいと思う。自分の両親を目標に、頑張ろうと思うよ

10匿名さん:2004/01/19(月) 23:09
770 :恋人は名無しさん :04/01/17 15:00
ちょっと板違いだけど書いてみる。

一年以上前に別れて、いまは友達として付き合ってる女の子がいるんだけど、
冬休みのある日、その子から「一緒に本を探して欲しい」というメールが来た。
駅前で待ち合わせて二人で大きな本屋をいくつか探したけど、結局本は見つからなかった。

本屋を出た後、軽く食事でもすることになり、飲食店を探す。
ちょうど昼食の時間帯で街はものすごい人だかりだった。飲食店もほとんど満員。
空いている店を探して街を歩く。二人ともあまり店を知らない上に、優柔不断なので
入る店がなかなか決まらない・・・。

ふと、彼女の手が素肌のままで冷たい空気に晒されていることに気付いた。
付き合ってるときなら迷わず手を繋いで歩いていたところだけど、今はできないことだ。
でも手を繋ぎたい。どうしても繋ぎたい。・・・迷った挙げ句に、俺は彼女の手を握った。
そのとき彼女は俺を見上げたが、何も言わなかった。そのまま手を繋いでいてくれた。
]
付き合っているときには気付かなかった、彼女の手の温もりの貴重さ。
ただ手をつないで歩くのってこんなにドキドキすることだったんだ・・・
今更気付いた事実。彼女の手はとても温かいけど、とても悲しかった。

長文失礼。

11匿名さん:2004/01/21(水) 00:42
今日、日本海側の某特急に乗ってたんだが、DQN団体に遭遇。騒ぐわゴミはほうり投げるわビールこぼして他人の荷物や服を汚すわ....添乗員に注意したら「仕方ないでしょう」と平気で言う(某大手)
しまいには上を脱ぎ捨て裸踊り、車販のねーちゃんに絡む絡む。見かねた乗客が車掌室に走った。
すると若い車掌さんが来たので注意するかな?と見てると。「うっさいんじゃゴルァ!」と座席一蹴り.......
オヤジは「なんだ客に向かってその態度は!」
「マナーも守れないヤツに客の資格などありません」
オヤジ「新聞に投書するぞ」
「どーぞご自由に、あんたらは他のお客さんに大迷惑かけてんです、車内の秩序を守るのは車掌の職務です!!」
添乗員「でも金払ってんだから客じゃないか」
「だいたい添乗員が仕切るのが仕事では?!自分の仕事もできないのに偉そうなこと言わないでください!」
添乗員+オヤジ「でもあんたのやりかたは悪い」
「じゃあ他のお客さんに聞いてみましょう、このうるさい人たちをこのまま放置して私は行くわけにはいきません、鉄道警察に介入してもらいます
少しお時間をいただきますがよろしいですか?」

もちろん大賛成しましたよ。他の我慢してた乗客は車掌に賛美を送りました
「今すぐお前ら出て行け!」「添乗員やめちまえ!」「社会の屑は飛び降りろ!」
の批判の嵐。団体(15人くらい)は一気に静かになり、添乗員は連行されました。

んで茶髪の車掌さんだけどもしやこのスレの前のほうに書かれてた人かな?
だったとしたら多少荒っぽいけどこういう人は今のJRには必要だとオモタ

12匿名さん:2004/01/21(水) 00:43
添乗員と騒いでた親父5人ほど引きずり下ろされました。
その後の放送
「快適な○○号の旅をお楽しみください。車内では乗車記念オレンジカード(ry
とあり、何食わぬ顔してくる車掌さん。
その車両に乗ってたほぼ全員がオレカ買ってました。
どっかの社長ぽいおじさんなんか「商売人やなぁ」と言いながらなんと20枚お買いあげ。
問題処理を的確にこなし済んだ事は気にせず黙々と業務、もちろん漏れも3枚買いますた。

13匿名さん:2004/01/21(水) 00:43
オヤジは「投書するぞ!」とか「お前名前なんていうんだ!」とか「苦情を上げるぞ」とか
添乗員は「会社に報告する」
と申してました。
シャショさん全くひるまず、「どーぞご自由に、なんなら裁判しますか?金払えば神様なんてバカげたこと言わないでください。他人に迷惑掛ける 神様 なんていますか?」
とオヤジに
「どうぞ報告してください、私も報告します。JRから取引打ち切られるでしょうね」
と添乗員に。
どちらも言い返せなかった。
ただ、このやりかたどこかで聞いたことあるなとオモタけど元大阪車掌区の方が出してる本の内容に似てる。
もしやよく読んでるのかな?とオモタ。
漏れは子供連れだったんだがあれ以来警官になりたいと言っていた長男が「ボク車掌さんになる」と言い始めた。

15匿名さん:2006/01/17(火) 21:10:06
俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。


それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにグレた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。


俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。


そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。



俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。

16匿名さん:2007/09/12(水) 14:18:16
元彼女とは同い年で20から27歳まで付き合ってた。

一応お互いの親に紹介して、このまま結婚すると自分も思っていた。たぶん彼女も思っていたと思う。

25歳の時、彼女の親父さんが癌だということが判明し、彼女は看病のため地元へと帰っていき遠距離恋愛が始まった。

そしてある日彼女の親父さんがなくなった。

朝4時頃に泣きながら電話があった。

電話をきった後すぐ飛行機を予約し、彼女の地元へ向かい通夜と葬式の手伝いをした。

彼女の母親はすっかり衰弱していた。

僕は彼女に3回プロポーズしている。

1回目は彼女の父親が癌だと判明した時、花嫁姿を見せてあげようとプロポーズした。

彼女の父親から「東京に娘はやれない。」と断られた。

自分がいなくなった後の妻のことを考えたのだろう。

2回目は彼女の父親がなくなって1年たった頃だった。

彼女はいった。「母親を残して東京にはいけない。」

俺はいった。「お母さんも一緒に東京に呼んで、三人で暮らそう。」

彼女の母親から「地元から離れることはできない。」と断られた。

まだ夫の死から立ち直ってはいなかった。

自分も仕事を捨てて彼女の地元にはいく勇気がなかった。

そして3回目のプロポーズが最後のプロポーズになった。

親の問題は何も解決はしてなかったけど、婚約指輪を買って彼女に話したいことがあるから地元にいくと電話した。

彼女はいった。「もう他に付き合ってる人がいるの。。いえなくてごめんね。。。」

僕と彼女との恋人関係は終わった。

3年が過ぎ、お互い30歳になっていた。

彼女は、彼氏と別れていた。自分も新しい彼女と別れていた。

僕はいった。「旅行に行こうか?」

彼女はいった。「Hなしで友達としてね。」

1泊だけど楽しい旅行だった。本当に何も違和感のない旅行だった。

冗談をいいあって、素直に笑って、昔みたいにお酒を酌み交わした。お互い30歳だねと笑いあった。

帰りの飛行機の中、考えたら駄目なことだが、

「彼女の父親が癌にならなかったら、どうなっていたんだろう。」

と僕は考えていた。

こんなこと考えても何もならないし、誰も幸せにならないなんてわかってるけど考えていた。

それとももっと僕がうまくやっていれば他の道があったのだろうかと考えていた。

羽田に近づき東京のネオンを見下ろしながら考えていた。

僕は何故彼女を旅行に誘ったんだろうと後悔した。

何かを得たのかもしれないが、どちらかといえば何かをまた失くしたのかもしれない。

これからも色々なものを引きずって僕は生活をしていくと思う。

色々な問題にぶつかって、色々な人と出会い、その中で何かを得て、何かをまた失うのだろう。

それでいいのかもしれない。

我ながら30歳で情けない男だと思う。

でもそれでいいのかもしれない。

とりあえずだ。

僕は元彼女と旅行してきた。

17匿名さん:2007/09/12(水) 14:25:08
元彼とは同い年で、二十歳の頃から7年間付き合っていた。
お互いの親にも紹介をして、このままこの人と結婚すると、思っていた。彼もおそらくそう思っていたと思う。
付き合って五年目の時、実家の父が癌だと知らされた。
それまで父に頼りきって生きてきた母は混乱し、とても一人にしておくわけにはいかなかった。
私は実家へ戻り、彼とは遠距離恋愛が始まった。
電話口で、いつも彼はすまなそうに、仕事が忙しいことをそれとなく口にする。
私の都合でこうなったのだから、彼が申し訳なく思うことはないのにと私はいつも思っていた。
そんな彼が、逆に私には苦しかった。
彼に余計な心配をかけたくなくて、悪くなる一方の父の容態についてもあまり詳しくは言わず、当たり障りない近況だけを伝えた。
私が彼の前で取り乱し泣いたのは、父が死んだという連絡の電話をしたときだけだった。
彼はすぐに来てくれて、お通夜とお葬式の手伝いをしてくれた。
彼が来てくれて本当に嬉しかった。
私ひとりでは、すっかり弱り切った母を支えることもできなかったかもしれなかった。
彼からは、三回プロポーズをされた。
一回目は私の父が癌だということがわかったとき。彼は「花嫁姿を見せてあげよう」と言ってくれた。
嬉しかったけれど、私はすぐに頷くことができなかった。
なぜかはわからない。
父の死が妙にリアルに迫ってくるような気がしたのかもしれない。
彼の誠実さをわかっていながら、そんな言葉尻をとらえていちいちひっかかるる自分も嫌だった。
結局、父が「東京に娘はやれない。」と言ったことで、この時は話が終わってしまった。
二回目は、父が亡くなって一年が経った頃。
父がいない日々にまだ馴染めない母をひとり置いて、東京に行くことはできないと思った。彼にもそう言った。
彼は「お母さんも東京に呼んで、一緒に三人で暮らそう」と言ってくれた。
でも、今の母が、新しい土地で新しい生活に順応できるとはとても思えなかった。
結局、母が「地元から離れることはできない。」と彼に言った。
そう言われては、彼も引き下がるより他なかったのだろう。話は終わった。
私は二度も、逃げた。母を説得することも、彼にきちんと向き合うことからも。
そのうえ、彼がこの土地へ来て一緒に暮らすと言ってくれれば…などとかすかに期待している。
そんな自分が許せなかった。
これ以上彼を振り回すわけにはいかない。
私が彼との未来を諦めればすむことだった。
私のこれからは、この故郷にあるんだ、そう言い聞かせて彼のことも東京のことも、忘れようと決心した。
私が唯一した決断だった。
三回目、これが最後のプロポーズになった。
彼が突然、話があるからこっちへ来ると電話をくれた。
いつもより真剣な声色で、すぐに結婚のことだと察しがついた。
私は言った。他に付き合っている人がいる、と。
私と彼は、7年目に、終わった。
その後、3年が過ぎた。お互い30歳になっていた。私も彼も、その後新しい恋人と付き合い、同じく別れていた。
彼が言った。「旅行に行こうか?」
私は言った。「Hなしで友達としてね。」
たった一泊、でも本当に楽しい旅行だった。不思議なほど、自然に彼と一緒にいられる自分がいた。
冗談を言い合って、素直に笑って、昔みたいにお酒を飲んで。お互い30歳だねと笑いあった。
彼はそのまま、帰っていった。彼の乗る飛行機をデッキで見送りながら、昨日の夜の言葉が、ぼんやりと思い浮かんだ。
「お互い30歳だね」。
若い頃…彼の隣で無邪気に笑っていた頃は、30歳の自分はもっと大人だろうと想像していた気がする。
実際は、何も変わっていない。
私はいつまでも優柔不断で、他力本願で。
たったひとつ、自分でした決心でさえも、こんなふうに揺らいでしまう。
思わずこぼれた涙を慌てて拭き取って、私は空を見上げるのをやめた。
私はいつでもいくじなしで、二十歳の頃と変わらない子どものままで。
でも仕方がない、それが今の私なんだから。
彼と旅行して、そのことを思い知った。たぶん、そのための旅だったんだと思う。
過ぎた時間は取り戻せない。
あの頃のように振る舞えたのは、私たちが遠く離れてしまったからだ。
彼の乗った飛行機が雲間に消える時、一瞬光ったように見えたのと同じだ。
デッキに吹く強い風が、不意に私の体を強く煽った。
倒れそうになるのは、隣に彼がいないからじゃない。
風に逆らおうとするからだ。
私は出口へと踵を返した。風は背中を押してくれた。

18匿名さん:2008/03/04(火) 16:03:30
待ち合わせた彼女を待ってて見かけたのは、大学生風のカップルだった
男が女の子の正面に立って、何かしきりに手を動かしてた。手話だ

彼はやっと手話を覚えたこと、覚えるのは結構大変だったこと
女の子を驚かせようとして、その日まで秘密にしてたことを伝え、
女の子の方は彼が勉強してることを知らなかったこと、本当に驚いたこと、
嬉しいと思っていることを伝えて、そのうちもどかしくなったのか彼の手を握って
2度3度、嬉しそうにその場でほんの少し飛び跳ねてみたりしてた

悪趣味な盗み聞きだとは解ってたけど、その時ようやく手話を使いこなせる
様になったばかりの俺には、それは例えば外国の街で突然耳に入ってきた
日本語が気になる様に、申し訳ないけどどうしても気になる光景だった

たぶん、俺はにやけてたと思う。怪しい奴に見えたかもしれない。
でも、それは微笑ましくて、こっちまで心があったかくなる光景だった

服の裾が引っ張られる感覚に振り返ると、そこに俺の彼女が来ていた
何を見てたのかとか、顔が嬉しそうだとか、もっとはやく私に気づけとか、
微妙に頬を膨らませて、もの凄い勢いで手話を繰り出す彼女に、
俺は手話でごめんなさいと伝え、ちょっと昔を思い出してたことを伝えた

それでも彼女は少し首を傾げ、その”昔”を知りたそうな表情だったけど、
俺は笑ってごまかした
今目の前にいる女の子を驚かそうと、秘密で手話を勉強してた頃の事だ
……とは、恥ずかしくて言えなかった

19匿名さん:2008/04/22(火) 23:22:52
引退を決め、名古屋とレッドスターとの引退親善試合を終え、ベオグラードに旅立つ数日前、私(ドラガン・ストイコビッチ)は家族4人で名古屋のレストランに出かけた

レストランに入っても、誰も振り向かないので、今日は自分の事を知らない人ばかり何だろうなと思い、4人で楽しく会話していた。

ところが、食事を終え、立ち上がったとたん、一斉にお店中に拍手の音が鳴り響いた。
一瞬何が起こったかわからずボーゼンとしたが周りを見回して見ると、皆、笑顔を見せながら、コチラに向かって拍手しているではないか。しかも、「ピクシーありがとう」という感謝の言葉を口にして・・・
なんと、この人達は、私達を気遣って、食事が終わるまで、敢えて、無関心を装ってくれていたのである。


ケガをして、傷心でやってきた私を助けてくれたのはむしろ日本のほうなのに、なんという人達なのだろうか。私が居た他の国で、こんなに素晴らしい人達がいただろうか。
私たちは思わず涙が出そうになった。
本当に日本に来て良かった、と改めて思った。私はこの日のことは一生忘れないだろう。

私達のほうこそ言いたい「日本の皆さん、ありがとう」と。

20匿名さん:2008/05/08(木) 14:14:33
のびた「待ってくれスネ夫、僕も行く。君を一人で逝かせるもんか!」

スネ夫「悪いなのびた。この戦闘機は一人乗りなんだ。お前は連れていけない」

21匿名さん:2008/12/10(水) 18:03:49
俺の近所に住んでた爺さんの話。

一人暮らしだった爺さんは子供好きで、ちっちゃい頃の俺もよく遊んでもらってた。
ある時、爺さんの家で見た暴れん坊将軍(だったと思う)の1シーンで
老中と主役が「じい」「若」と呼び合うのを二人で真似して
俺「じい!今日も遊びに来たぞ。」
爺「若、よくぞいらっしゃいました。」
なんて呼び合って遊んでいた。
そんな関係は俺が他県の大学に進学するまで延々と続いていた。

卒業後に実家に戻ってきたらなんと「じい」が脳卒中やって入院中だという。
さっそく見舞いに行ってみたら「じい」はたくさんの管に繋がれてベッドに横たわっていた。
看護士の話では外界からの刺激にはなんの反応も示さない状態だと言う。
俺は「じい」に呼びかけてみた。
「じい、俺だぞ。覚えてるか?」
ダメもとのつもりだった。・・・が、次の瞬間、閉じられていた「じい」の目がカッと見開き
そして今まで昏睡してたとは思えないようなハッキリとした声で喋った。

      「若、ご立派になられましたな。」

22匿名さん:2009/01/19(月) 16:09:57
【日銀砲】
日銀上司「いいか、これから1分ごとに10億円づつ円売りドル買い介入を行う」
日銀部下「1分ごとに10億円も?」
日銀上司「そうだ1分ごとに淡々と売り続けるんだ。これから24時間売り続けるんだ。」
日銀部下「24時間ですか?」
日銀上司「そうだ。為替相場に終わりは無いんだ。もちろん交代要員も用意してあるが出来るだけ頑張ってくれ。」
日銀部下「はー、、。でも1分間に10億円だと1日に1兆円以上の資金が必要ですが?」
日銀上司「今、30兆円用意してある。当面はこれを使う」
日銀部下「それを使い切ったらどうするんですか?」
日銀上司「財務省が保有している200兆円もの米国債のうち、比較的短期のものを最大100兆円売って新たな介入資金を作る」
日銀部下「米国債なんか売っちゃっていいんですか?」
日銀上司「円売りで買ったドルで新たに米国債を買い、国庫に返還するので問題は無い。
       とにかく相手が折れるまで淡々と売り続けるんだ。休んだらヘッジの思う壺だ」


これを35日間続けました。
この結果アメリカのヘッジが2000社倒産しました。
また、行方不明になったり自殺した人も大量にいました。

23匿名さん:2009/01/29(木) 09:43:26
1993年、日本にアジア太平洋地域インフルエンザ・センターが作られた。

それまでアメリカ、イギリス、オーストラリアにしかなかったセンターが
日本に設置されることになったのは、なぜか。

インフルエンザ・ワクチンは、毎年、WHOの専門家会議で、データをもとに今年流行しそうな
インフルエンザを決定し、それに基づいて製薬メーカーがワクチンを作っている。
それまで日本はその元になるアジア各国の膨大なデータを収集し
WHOに送付する仕事だけをやっていた。

担当していた根路銘国昭氏は、これだけの仕事をやってるのに、
日本にインフルエンザ・センターがないのはおかしいとWHOに手紙を書いた。
それに対する返事は
「WHOも国連の安保理と同じで第二次大戦の戦勝国で構成している。
よって日本は入れない。」というものだった。
彼はさらに抗議の手紙を送ったが返事は同じ。
それどころか、WHOに批判的人物として、彼と日本に対し冷淡になったという。

ここで普通の日本人ならどうするだろうか。
なんとか謝罪して、今までどおりの扱いにしてもらおうと努力するか、
そもそも抗議など最初からしないかもしれない。

だが根路銘氏は違った。
なんと、日本が集めていたアジアのデータを1年間、WHOに送るのをやめたのだ。
インフルエンザの大半はアジアから発生するから、そのデータがないと
ワクチンが作れない。WHOは大騒ぎになったという。

そして翌年、根路銘氏にWHO専門家会議への招待状が来た。
その会議で、日本にアジア太平洋地域のインフルエンザ・センターを
作ることが決定され、彼が初代センター長に就任することになった。

24匿名さん:2009/01/29(木) 09:43:42
こうしてインフルエンザセンター長になった根路銘氏だが、
WHOはアメリカの製薬メーカーの意向を受けた学者が力を持つ世界だった。

1993年フランスで開かれた国際会議で、アメリカが新開発した
生ワクチンを、まず日本で使うべしという議題があがった。
日本は生ワクチンの効果には疑問をもっていて既に使わなくなっていた。
根路銘氏は、「日本を実験台にして、うまくいけば各国で使うつもりだろう」
と感じたという。
その会議には日本の学者も数十人参加していたが誰も反対しなかった。

根路銘氏ひとりが、「日本は先進国であり、ワクチン政策に君たちの指導を
必要とする国ではない」と反論した。
そこでアメリカの学者に、君たちのデータをOHPで映してほしいと頼んだ。
そして日本のデータと比較すると、日本のワクチンの方が明らかに効果があるとわかり、
他の学者からも「ネロメの方が正しい」
と意見があがった。
こうしてこの議題は流れ、日本人がモルモットにされるのを防いだ。

根路銘氏はこうも言っている。
「この会議の後、対立したアメリカの学者とすごく仲良くなった。日本人同士だとこうはいかない」

26匿名さん:2009/01/29(木) 09:47:36
またジュネーブのWHO本部で12人の専門家によるワクチン決定の投票において、
アメリカのワクチン11票、日本のワクチン1票でアメリカ製に決まった。
もちろん1票は根路銘氏のものだ。根路銘氏は科学的に見てこの結果はおかしいと
閉会30分のコーヒーブレイクのときに、2日間の討議で使った110カ国のデータを
つき合わせてコンピュータにかけた。するとアメリカ製は日本の半分しか効果がないと出た。
彼はこの結果を見せて、居並ぶ学者たちに
「君たちは政治家か、科学者か。科学者ならこのデータをどう見る」
と問いかけた。すると議長がテーブルを2回たたいて
「私の判断で採決を取り消します。ドクターネロメが提案した日本の意見に従います」
と結果をひっくり返した。「まるで映画のようだった」と根路銘氏は言う。

27匿名さん:2009/01/30(金) 09:39:49
663 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2009/01/05(月) 22:09:28
その日に限って妙に混んでた昼飯時の大学の学食で、
テーブルの相席を頼んだ。
メニューの載ったトレイ持ってテーブル指差し

俺「すいません、ココ空いてますか?」
嫁(無言で頷く)

嫁さん、友達と二人連れなのに妙に静かだったから、
キレイなのに何か無口な女の子だなとか思ってたら、
食事が終わって始まったおしゃべりは、手話だった。

会ったのはそれが初めてで、俺にとってはたぶん最初で
最後の一目惚れ…なんだけど、これは会話とは言えないかな


667 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2009/01/06(火) 17:10:59
>>663
どうやって口説いたんだ…?

28匿名さん:2009/01/30(金) 09:40:10
671 名前:663[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 23:26:24
口説くって、プロポーズ?

プロポーズは携帯のメールを使った。
必死に、かつびっくりさせてやろうとこっそり勉強した甲斐があって、
その頃にはもう普通に手話で意思疎通できるようになってたんだけど、
プロポーズはなんかこう、くすぐったいというか恥かしいというか、
とにかく直接言いづらくて、メールの文章に凝った言葉や甘い言葉をたくさん並べた。
なんか、付き合い始めたばかりの頃を思い出してニヤニヤしたりしてね。

まあメールでもかなり恥かしいけど、それでもなんとか伝えられそうだと思えたんで、
ボタンひとつで送信できるように準備した携帯をポケットに突っ込んで、
二人で焼きいも食べながら歩いてる時に不意打ち的に送った。

嫁さん大喜びで、それは良かったんだけど、唯一の誤算は、
嫁さんにその恥かしいメールをしっかり残されちゃったこと

思えば付き合い始めの頃、俺との筆談に使った手帳のページや喫茶店のコースター、
大事にとっておく様な女の子だったんだっけって、思い出しても後の祭りでございますよ

29匿名さん:2009/01/30(金) 09:40:51
>>18

679 名前:663[sage] 投稿日:2009/01/08(木) 21:04:21

あー…これはまだ結婚する前、カップル板に俺が書いたレスだな
美術館に手話通訳付きのイベント見にいった時、見かけたんだ
彼も彼女も可愛いカップルだった。

上手いこと言葉にできないけど、この二人見たのがきっかけで、
結婚する覚悟決めたんだよね。

しかし、いきなり目に入ると文章の恥かしさに冷や汗出るな。
しかも既婚女性板なんて、ちらっと覗いたことすらないというのに


680 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2009/01/08(木) 21:09:34
>663
こんな偶然もあるんだな。>コピペ
嫁さんと、末永く幸せにな。o( ゚∀゚)ノシ 


681 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2009/01/08(木) 22:04:35
何かデジャヴだったから適当に貼ったんだが、まさか本人だったとはな。

いやー、腹立つわーw

30匿名さん:2009/03/26(木) 13:59:50
日本語訳
我がキューバを2度も破った日本国のWBC連覇を心から祝福する。
我がキューバは予選で敗退したが、世界一のチームに負けての敗退だ。
世界一の日本に負けたことを誇りに思う。
永遠の友、日本国民の皆様心からおめでとう。
                                 フィデル・カストロ

31匿名さん:2009/06/24(水) 10:32:57
コンビニで大学生くらいの女の子が買い物しながら電話してた。
熱は?とかひえピタ買ってくからね!とか言ってたから、
どうやら家族(多分妹とか弟)が熱を出した模様。

良い子だな、て思いながら近くでお弁当を選んでたんだけど、
その女の子が「プリンね、わかった買ってく!」って言ったから、
多分電話の相手にプリンを頼まれたんだと思う。

電話を切った後、女の子がデザート売り場でプリンを探し始めた。
けどゼリーとかヨーグルトばっかで、プリンは売り切れて無くなってしまってた。
近くに他のコンビニは無いし、どうしよう…って感じでしょんぼりし始めた女の子。

そしたらすぐ近くにいたおばさんが、女の子の肩ちょんちょんって叩いて、
「これあげるわ」って、会計したばっかのプリン女の子に差し出した。
女の子は「いえそんな悪いです!」って断ってたけど、
おばさんが「いいのよ食べたがってるんでしょう?」みたいな感じで、
ニコニコしながら女の子にプリンを手渡した。

女の子すっごく泣きそうになりながら、
何度もありがとうございます!って御礼言ってた。

おばさんの優しさにも、女の子の優しさにもすごくほっこりした。

32匿名さん:2009/12/09(水) 16:44:03
俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。
この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、
良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、
やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。

あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。
でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、
その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。
当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、
「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。

それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。

そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。

33匿名さん:2009/12/09(水) 17:00:27
両親は、仲が悪いのだと思っていた。
冷たく見えるぐらい素っ気なかったから。

両親の兄弟姉妹などから、幼なじみで大恋愛だったとか、周りの反対を押しきって結婚したんだとか聞かされても、到底信じられなかった。


母が子宮癌で手術を受けた。
手術の終わる時刻を見計らって病院へ行くと、父が母のベッドの傍に座り、好きな歴史小説を読んでいた。
麻酔から覚醒したのか、母が痛い痛いと呻きだした。
父は即座に小説を閉じ、母の右手を両手で包み込んだ。
『ユミ、大丈夫だよユミ…』
まだ意識が戻りきっていないながらも、父の声に母が反応して答えた。
「タカちゃん…痛いよ…タカちゃん…」

父と母が名前で呼び合うのを聞いたのは、それが初めてで、最後だった。




母の通夜の後、棺の中の母の頬を何度も何度も父は撫でていた。
黙って撫でていた。

34匿名さん:2009/12/09(水) 17:01:31
あるベトナムの村に宣教師たちの運営する孤児院がありましたが、爆撃を受けてしまいました。
宣教師達と2人の子供達が即死し、その他の者も重傷を負いました。
重傷になったものたちの中でも8才の女の子は最も危ない状態でした。
無線で助けを求めると、しばらくしてアメリカ海軍の医者と看護婦が到着しました。
大量に出血したことにより危ない状態にあり、早く手当をしないと少女は命を落とすことになります。
輸血が必要でした。しかしどうやってそれを行うことができるというのでしょうか。
言葉が通じないため、ジェスチャーを使って子供達を集め、何がおきていたのかを説明し、
誰かが血液を提供することが必要であることを伝えようとしました。
沈黙の時間がしばらく続いた後、一本の細い腕が恐る恐るあがりました。
ヘングという名の少年でした。
急いで少年の準備をすると、苦しむ少女の隣に寝かせ、輸血ようの管をとりつけました。
少年は黙ったまま天井をじっと見つめていました。
しばらくすると、少年は自由になっている手で顔を覆うと、しゃくりあげるように泣いているのでした。
医師がどこか痛いのかと尋ねるとそうではないようでした。
しかし、しばらくするとまた、しゃくりあげ、今度は大粒の涙をこぼしていました。
医師は気になり、再び尋ねましたが、またもや彼は否定しました。
ときどきしゃくりあげていたのが、やがて静かに泣き出しました。
明らかに何かが間違っているようでした。
すると別の村からベトナム人の看護婦が現れました。
医師はその看護婦にヘングに何が起きたのか尋ねてくれるように頼みました。
すると少年の苦しそうな表情はゆるみ、しばらくすると彼の顔は再び平静を取り戻しました。
すると看護婦はアメリカ人の医師達に説明しました。
「彼はもう自分が死ぬのかと思っていたんです。あなた達が説明したことを理解しておらず、少女を助けるため、全ての
血液を提供しなければいけないと思ったようです。」
すると医師はベトナム人看護婦の助けを借り、少年にきいてみました。
「そうであればどうしてあなたは血液を提供しようと決心したんですか。」
すると少年は単純に応えました。

「あの子はぼくの友達なんです。」

35匿名さん:2009/12/09(水) 17:03:47
258 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/11/29(日) 22:26:20.60 ID:gNHu4ATDO
スレ見てて自分の不甲斐なさを感じた
クソ・・・母親にしてあげたこと何一つないじゃんか・・・

260 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/11/29(日) 22:27:30.65 ID:bIFkntpA0
>>258
きっとおまえのかあちゃんは
おまえが生きてるだけで幸せだろうよ

36匿名さん:2009/12/09(水) 17:04:27
20代後半の会社の女がさ、やっぱ年収1000万欲しいよね〜。とか言ってたのでね。
勢いにのって言ってやったんですよ。
「1000万?まず専務クラスではうちみたいな中小じゃまずいかないよね。
まずよってこの会社はアウト。でさでさ、年収1000万だっけ。上場企業のさ、
サラリーマン。俺から見れば超エリートの課長級。平均年収いくらだと思う?」
「1000万くらい?」
「1000万ありえない。ありえないよ。正解はね750万円。ちなみに部長クラスになると
ようやく900万円代かな?でさ、でさ、部長クラスって言ったらもう40代半ばから後半
だよね?だよね?それでも1000万に届かない訳だけどキミってオッサン趣味な訳?
ここで女唇を噛みはじめる。俺、さらに続ける。
「まあさ。違うのは解る。解ってる。キミがいうのは若くてイケメンな高収入男だろう。
でもさ、でもさ、一般的に考えてよ。年収1000万のサラリーマンってさ。新入社員から
人口の多い団塊世代のおじさんを含めた全サラリーマンの5%としかいない訳。
これは仮に、仮の数字だよ。既婚者とか結婚する気0のやつとかオッサンを引けば
キミが出会える年収1000万円男はぐっと減る訳。特に年功序列の団塊世代のおじさん
が平均を引き上げているから、結婚適齢期の30歳前後に限ればちょうど氷河期世代
でもあるから、30歳前半で年収1000万以上は人口の1%もいないんじゃないじゃな。
だいたいキミはだよ。ルックスとしては並だよね。(ホントは下の上くらいだが)はい、
そこで問題。キミは何を持って自分以上の容姿を持った女性に対抗するつもりなの?
もう20代後半ってだけでも明らかにきびしいよね?よね?」
「ルックスとかじゃなく性格とかで見る人だっているし!!」
「性格?年収1000万とか金でしか男みてない女の性格の何処にひかれるんだよw」
女、大声で俺の容姿を罵りヒステリックに叫ぶ。俺、苦笑しながらその場を立ち去る。

37匿名さん:2009/12/09(水) 17:05:18
俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。
俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」
なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!
って悪態ついたときの母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。

どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、
ニチイのゲーム売り場の前まで来て買うのやめた。

そのかわりに小3の妹にアシックスのジャージを買ってやった。
いままで俺のお下がりを折って着ていたから。

母にはハンドクリーム買ってやった。
いっつも手が荒れてたから。

去年俺は結婚したんだけど、
結婚式前日に母に大事そうに錆びたハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね、、。初めて言ったよ。。

「生んでくれてありがとう」
って。

38匿名さん:2010/05/26(水) 13:02:14
さっき実家から救援物資が届いた。
お米とか缶詰とかカルピスとか、うっほほーいと喜んでいたら封筒が入っていることに気付いた。
中には5000円札と、メモ一枚。
「これでお刺身でも食べなさい。
赤唐辛子入れておいたからお米に入れておきなさい」
とのこと。
5000円もする刺身ってどんなだよと突っ込みを入れながらも、こないだの電話で刺身高くて
買えねえよと言っていたのを思い出した。お母さん、漏れの仕送りのために月5000円かかる
お花習うのやめたのに、こんなとこで使ってんじゃねえよ。
眠いからって1限サボったりしてて、
お母さんはその間もせっせと仕事していて、
漏れ、明日の1限は何があっても行こうと思ったぞ。
前期のテストすげぇがんばってやるぞ。見てろお母さん。ありがとう。

39匿名さん:2010/06/04(金) 15:32:50
蕎麦屋で隣のテーブルに座った人達
A「で?最近どうなの?」
B「なにが」
A「好きな男でもできたんじゃないかってSが気にしてた」
B「誰に?」
A「Bさんに」
B「んー、すきって言うか、素敵だなぁと思う人はいますね」
A「へー、誰?」
B「なんでAさんに教えないといけないのさ」
A「そりゃごもっとも」
しばし無言
A「その人とどっか行ったりすんの?」
B「あー、はい。その人も忙しいみたいだからなかなか会えないんですけど
この間誘われて海に連れて行ってもらいました。へへへへ」
A「へー、そう。でもさ、俺とだって行ったじゃん。海。海好きなの?」
B「まぁ、ね。その人が連れて行ってくれるならどこでもいいです。山でもいいです」
A「ふうん。意外と奥ゆかしい事言うね。
忙しい合間に誘うんだから相手もBさんのことは憎からずなんじゃない?」
B「そうかなぁ。そうだといいなぁ。へへへへへ。
その人ね、ちょっと珍しい車に乗ってて・・・なんて言ったかな(以下車の外見の説明)
A「それって○○じゃない?俺の車と一緒かも。
つか、俺の車位覚えといてよWWWその車が好きな人に悪い人はいないよ!がんばれよー」
B「・・・もうだめ。もうこれ以上頑張りきれないです」
A「ふんばれ」
B「じゃ・・・じゃあね。本当の事言うとわたし、○○に乗って海に行った事一回しかない・・・のね。
うん。せっかく応援してもらったけどもうこれ以上はふんばれないです」

Aは何かに気がついたようだった。なんか私までドキドキしちゃった。

40匿名さん:2012/07/09(月) 12:53:49
大声:ゾーマ連戦行きます 賢者以外× @2 今賢者2人
賢者の石(1000円)は最低でも10個ある方のみでサクサク行きます。

‐戦闘終了‐

刹那:なんで太郎さんメラゾーマばっか撃ってたの?
killer:ふん…
カオス:wwwwwww
太郎:え?
刹那:何MPけちってんの?普通にイオナズン連発だから
刹那:メラゾーマだと78回かかるけどイオナズンなら52回。常識でしょ
killer:常識だな…
カオス:ケチるなよww
太郎:すいません、知らなかったんです
刹那:しかも最初は全員でボミオスだから、理解者のみって言ったのに
killer:無知は…万死に値する……
カオス:どんまい太郎www
太郎:すいません次からやります
刹那:アタッカーはボミオスの後イオナズン18回撃った後

‐キッズタイム終了‐

‐刹那さんがログアウトしました‐
‐killerさんがログアウトしました‐
太郎:……
カオス:踊る宝石狩りでもいくかwwwwwww
‐刹那さんがパーティーから追放されました‐
‐killerさんがパーティーから追放されました‐


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