したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

大東亜戦争(太平洋戦争)の真実

2凡人:2011/11/06(日) 15:57:19
故横井庄一氏は何故「戦争のことを話さなかった」のか。戦争の証言者となるべき者が何も語らないで、この世から消えていなくなること、真実が失われて行くことに悲しみを覚える。
*****
故横井庄一さん 戦後の姿手記に
2011年11月5日 夕刊

 太平洋戦争の激戦地グアム島のジャングルで二十八年間生き抜いた元日本兵、故横井庄一さんの妻美保子さん(83)=名古屋市中川区=が、帰国後の夫の姿を描いた「鎮魂の旅路〜横井庄一の戦後を生きた妻の手記」を出版する。美保子さんは「帰国後の生活は、グアムで亡くなった一万九千人の日本兵の仲間たちへの鎮魂。戦争を知らない人が増え、こうした本が後世に残ってくれれば」と祈っている。

 帰国後の生活を一冊にまとめるのは、横井さんの願いだった。生前にグアム島での耐乏生活に関する本を出版したが、「日本に帰ってからのことは、おまえが書いてくれ」と美保子さんに託したという。

 今回の手記では、横井さんと美保子さんの出会いが描かれる。二人は横井さんの帰国後に、お見合いで知り合った。すでに有名人になっていた横井さんは、美保子さんに「私を見に来ただけだろう」と言い、美保子さんが怒ったというエピソードが記されている。

 今は美保子さんが一人で暮らす自宅には、横井さんの死後、洞穴を再現した記念館を建てた。開館日の日曜日になると、十人近くの人たちが来館する。東日本大震災後は、被災地の惨状と戦火を重ねた若者も訪ねてきた。

 そんな中、美保子さんが思い出すのは、横井さんのこんなつぶやきだ。「(周囲の人が)みんな、子どもや孫のあることが当たり前のように思って暮らしている」

 美保子さんは「普段、『せっかく帰ったのだから楽しまないと』と自宅では戦争のことを話さなかった。けれど、帰ってきて子も孫も持てず、やはり戦争で損をしたという気持ちがあったのでしょう」。時代に振り回された夫の人生をおもんぱかる。

 「鎮魂の旅路」は、美保子さんが書きためた手記を中心に、横井さんの手記や生前のインタビューを掲載。横井さんの晩年の闘病生活も書かれている。横井さんの死後、記念館の準備や管理に追われ、出版は先延ばしになっていたが、今年、記念館の開館五周年を迎えたのを機に「自分が元気なうちに」と編集を進めた。美保子さんは「編集の都合で本に載せられなかった話はたくさんある。できたら今度は小説のような形でまた書いてみたい」と話している。

 「鎮魂の旅路」は、ホルス出版(大阪市)から十一月中に発売予定。千二百円(税抜き)。問い合わせは、プレス・サリサリ・コーポレーション=電06(6356)5237=へ。

 横井庄一さん 1915年、愛知県佐織村(現愛西市)生まれ。41年に出征し44年にグアム島に上陸。戦後も投降せず、72年1月に現地の住民に発見されるまでの28年間洞穴などで生活。帰国時に話した「恥ずかしながら帰ってまいりました」は流行語になった。同年11月、美保子さんと結婚。帰国後は全国で講演を重ね、趣味の陶芸は個展を開くまで熱中した。97年に82歳で死去。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板