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大東亜戦争(太平洋戦争)の真実

102凡人:2016/02/26(金) 10:07:51 ID:VlxKdLtM0
二・二六事件から80年 「血染めの芝生」警護の誇り今に伝える
2016.2.26 07:44 Sankei

殉職した清水与四郎巡査が倒れたとされる「血染めの芝生」に水をやる警視庁警備部の関岡明警護課長(後方の写真は殉職した警察官に遺影)=2月25日午後、東京・霞が関の警視庁(宮川浩和撮影)

 陸軍の青年将校らが軍事クーデターを狙った昭和11年の「二・二六事件」は、26日で80年となる。政府要人が殺傷され、首相官邸など日本の中枢が占拠された大事件。警視庁も応戦したが強力な武装と兵力に圧倒され警察官5人が殉職した。東京・桜田門の警視庁本部には当時をしのぶ“遺品”が引き継がれ、首都の治安を担う誇りを今に伝えている。

 警視庁本部16階。警護課の窓辺に置かれたプランターに芝生が茂っている。首相官邸で襲われた岡田啓介首相(当時)を警護中に殉職した清水与四郎巡査=当時(29)=が倒れ、鮮血で染まった庭の芝生を移植したものだ。

 「命がけで警護する。同じ任務を持つ先人の誇り、気概を感じる」と警護課の関岡明課長は語る。同課には、首相や外国元首ら要人を守るSP(セキュリティーポリス)が所属する。

 警視庁史などによると、清水巡査は官邸の裏門に近づく部隊に気付き、岡田首相に危険を伝えた。直後、侵入した兵士と銃撃戦になり、十数発を被弾。事件当日は大雪で、鮮血は積雪を溶かし芝生に染みた。この間に、岡田首相は身を隠して、九死に一生を得た。

 事件後、岡田首相は東京都葛飾区の浄心寺に清水巡査の墓を建立。「清水与四郎君の殉(たお)れた場所の芝草」と記した碑の前に芝生も移植された。同課は参拝を続けてきたが、事件を後進に伝えようと平成9年末、寺に依頼してプランター1鉢分を譲り受けた。毎日、課員が水やりを欠かさず、大切に手入れされている。

 首相官邸は14年に新築。警視庁もテロなどに対処する総理大臣官邸警備隊を新たに発足した。同隊は警護課に置かれ、約100人が勤務している。

 海外で過激組織などのテロが相次ぎ、日本でも緊張感が高まる中、主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)が5月に迫る。「サミットはもちろん、日々一つ一つの警護全てが重要だ。先輩方の心構えをかみしめつつ、任務に当たりたい」。関岡課長は力を込めた。

 二・二六事件 昭和11年2月26日、陸軍の青年将校が1483人の兵を率い起こしたクーデター。天皇親政を唱えて高橋是清蔵相、斎藤実内大臣ら政府要人を殺害、永田町一帯を占拠した。29日までに鎮圧され将校らは処刑。犬養毅首相が暗殺された7年の五・一五事件に続き、軍部が影響力を増す契機となった。


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