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暴力と日本社会

83凡人:2003/12/04(木) 05:21
原爆は二度と使用してはいけない兵器という認識は多数のアメリカ人も同じである。アメリカが議会制民主主義を貫く限り、将来原爆を使う可能性は稀。ここで気になるのは原爆反対の市民団体のそうしたエネルギーの使い方。今の世界を見渡すと、市民団体が今までいったいどこにいたのか疑いたくなるほど、核兵器が核散していることである。しかもインドやパキスタンといった民主主義の地盤が弱い国や反国際社会の北朝鮮すら核兵器保有国に名前を連ねる。イランや北朝鮮への核兵器開発への強い非難やロシアの核燃料や核弾頭のずさんな管理体制、テロリストの核兵器取得への強い監視等、核兵器が使われないように、日米を問わず力を結集する必要がある。それにも関わらず、現実の世界が置かれている危険性を無視し、原爆のおかげでいつのまにか被害者として振舞っている日本、しかも、反米感情をあおるだけの、アメリカ非難はあまりにも視野が狭い。第二次大戦の加害者としての日本を再認識し、二度と同じ核の被害者にならないようにすることに努力する必要がある。日本人が一番の危機感を感じなければならないのはアメリカの核政策ではなくて、日本の原爆反対市民団体の指導者たちの頭の硬直化にあるということだ。
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エノラ・ゲイ:訪米市民団体に、原爆投下正当化のメール[毎日新聞12月4日]
 広島に原爆を落としたB29爆撃機「エノラ・ゲイ号」を米・スミソニアン航空宇宙博物館が15日から一般公開することに抗議し、広島から訪米する被爆者の所属する市民団体に2日以後、「原爆投下は素晴らしいことだった」などと原爆投下を正当化する内容の英文メール4通が届いたことが分かった。エノラ・ゲイの展示を巡っては、95年にも米で原爆投下の正当性を巡る論争が起きた。広島からは被爆者ら3人が、11〜18日に訪米する。メールは訪米団の通訳も務める小倉桂子さん(66)が代表を務める市民団体に送られてきた。小倉さんによると、差出人はそれぞれ違う外国人名で、団体名などの記載はなかった。メールには「われわれはそこに爆弾を落としたことを素晴らしいと思っている。エノラ・ゲイも誇りに思っている」などと書かれていた。中には、「地獄へ落ちろ」と書いたものもあったという。広島からの抗議の訪米を報じた記事を添付したものもあった。エノラ・ゲイは原爆投下から50年となる95年、機体の一部が同博物館で特別展示された。当初は広島や長崎の被害実態を同時に伝える「原爆展」として企画されたが、退役軍人団体や米議会から強い反発があり、エノラ・ゲイの歴史と復元作業だけに焦点を当てた展示に切り替えられた。95年当時に原爆資料館長だった被爆者の原田浩さん(64)は「被爆50年の夏、米新聞に核兵器廃絶を訴える全面広告を出した時も、同様のメールが届いた。原爆を正当化する声を乗り越えて核兵器の恐ろしさを伝えることが、ヒロシマに求められている」と話している。
<<エノラ・ゲイ号>>1945年8月6日に、広島へ原子爆弾を落とした米陸軍航空隊所属の爆撃機の名称。同機のポール・ティベッツ機長(当時)の母親のファースト・ネームからとった。機体は、第二次大戦中に製造されたB29型重爆撃機で、全長30・2メートル、翼幅43メートル。原爆投下用に改造されていた。同号は同日午前2時45分(日本時間同1時45分)、原子爆弾リトル・ボーイを搭載し、12人の搭乗員とともに、太平洋西部のマリアナ諸島テニアン島の基地から飛び立った。原爆投下時の科学観測と写真撮影を行う2機を従えていた。日本時間午前8時15分、高度約9600メートルで原爆を投下した。同号は一線を退いた後、解体し保管された。95年には米スミソニアン博物館が同機の胴体部分などの展示し、併せて「原爆展」も企画したが、米議会や退役軍人団体などが強く反発、原爆投下の正当性をめぐる論争に発展した。結局、原爆展は中止され、短い説明文とともに機体だけが展示された。長崎に原爆を落としたB29爆撃機「ファットマン」は、オハイオ州デイトンのライト・パターソン空軍基地に展示されている。


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