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日本経済史

305名無しの桃大生:2006/07/28(金) 04:42:53
日本で19世紀後半から20世紀初めにかけて進行した産業革命の特徴は、紡績・
製糸業における機械制生産の成功と、重工業の形成によって特徴づけられる。
紡績・製糸業においては、1883年に大阪紡績会社がイギリス製の機械を導入し
当時としては大規模な1万錘の工場を建設して、手紡ぎ・ガラ紡を駆逐した。
それまでは政府の殖産興業政策により各地に2000錘規模の紡績所が
建設されていたが経営不振に陥っていた。
大阪紡績会社は渋沢栄一が設立し、最新鋭の工場を昼夜二交代制で稼動させた
もので、莫大な利益を上げた。これに刺激を受けて東京・大阪に大規模な
紡績工場が登場した。生産された綿糸は国内市場からインド産の綿糸を
駆逐し、1890年には国内綿糸生産量が輸入量を上回り、1894年の
綿糸輸出関税撤廃と翌年のd日清戦争の勝利によって、1897年には
輸出が輸入を上回り、中国・朝鮮市場へ進出した。
紡績業が製糸業と並んで日本の有力な輸出産業に転換しえたのは、株式会社に
よる大量の設備投資資金の集積に成功したことや、紡績機械をミュール機から
より生産性の高いリング機に入れ替えたことが主な理由である。
次に重工業では陸海軍工廠の存在があげられる。旧幕府の長崎製鉄所の
主要機械類を受け継ぎ設立された大阪砲兵工廠では火砲の製造が行なわれた。
1901年には鉄鋼の国産化をめざして、中国大冶の鉄鉱石と筑豊炭田の石炭を
使用して、ドイツの技術をもとに官営八幡製鉄所が操業を開始した。
室蘭には民営最大の兵器会社である日本製鋼所が開設された。工作機械業では
アメリカ式旋盤の製作に池貝鉄工所が成功した。富国強兵をめざした
重工業振興であっただけに、重工業の発達は軍需産業に偏ったものであった。


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