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秋葉原通り魔事件
1
:
アッキー
:2008/06/08(日) 14:55:31
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/151398/
6月8日午後零時半ごろ、東京都千代田区外神田4の秋葉原電気街の中心部で、男が刃物ようなものを振り回し、通行人を次々と刺した。男は身柄を確保された。
東京消防庁によると、けが人は10人以上とみられ、刺された6人のうち5人が心肺停止状態だという。現場には救急車17台が出動し対応に当たっている。
目撃者らの話によると、最初に歩行者天国にトラックが突っ込み、7、8人をはねて止まった。その後、運転していたとみられる男が通行人らを次々と刺したという。
以上、現場を目撃したアッキーがネットカフェから投稿しました。
98
:
無精髭
:2008/07/31(木) 22:28:25
>>95
>死刑論に関してはこの人、死刑囚の尊厳は尊重するべき、と主張してますよね。
>結局それを突き詰めると死刑反対の立場をとらざるを得なくなるのと違いますかね。
いや、寧ろ逆でしょう。あの人、Kenさんが(歴史的に)「野蛮」だとして退ける
処刑法を色々と吟味した挙句、切腹がもっとも死刑囚の尊厳を守るものである、なんて
趣旨のことを言い出すのですから。しかも、ギロチンと比較して介錯はより人道的だ
とも言い出す始末。何か、根本的に間違っているかと思います。死刑囚というのは、
その名誉が守られさえすれば、殺しちゃっても好い存在なのですかね(本村氏の死刑論と
類比的ですよね。改悛した後、殺しちゃうところなんかが)。もちろん、殺さずにおいて
さえいれば、いくらでも名誉(というか人権)を傷付けても良いという訳ではないのですが。
子どもじみたことをお聞き致しますが、Kenさんは、仮に安楽死のような死刑が可能だとして、
それでもそんな死刑は「野蛮」であると仰ることで、現在のお立場に踏み止まりますか?
安楽死が認められた社会(つまり、ある種の自殺が認められた社会)でなければ、そもそも
ありえない話ですけど。死刑囚にだけ安楽死を与えて、一般市民には与えないというのは、
変ですから。私は、死が他者から強要される以上は、安楽死であろうが何だろうが、
死刑は野蛮(私の言葉では残酷)であるという考えです。
P.S
>>93
さんの仰ることに共感いたします。もし、加藤容疑者が事件を起こすまでの半生に、
大なり小なり関わって来た人間の中に、無責任に彼を非難したりする者がいるとするならば、
閉口する他ないですよ。私は、報道の影響が強い為かも知れませんが、被害者に同情できないです。
但し、加藤容疑者には意識的に同情しません。(なんか自分でも良く分からないんですけど、)
不公平ですからね。
99
:
Ken
:2008/08/01(金) 01:57:54
切腹とか介錯ですか。確かに「根本的に間違っている」かも。これが右傾化と
いうやつか...。
>>死刑に関して
まさしく「完全より程度の問題」を思い出してほしいのですが、死刑に限らず
あらゆる刑罰というのは「これ嫌だな、もう二度と受けたくない」と思わせる
ために存在しているわけで、あらゆる刑罰には必ず苦痛が伴います。要はその
苦痛が罰に見合っているのか、その残虐性を社会が許容できるのかどうか、という
程度の問題なのです。
死刑に関して言うと、殺されること自体が精神的にすでに相当な苦痛のはずです。
ですからそれに肉体的な苦痛を加味する必要性はまったく感じられません。死刑の
目的は殺すこと自体、社会から抹殺することのはずです。この点において、切腹なんて
ものすごく痛そうな方法は論外ですし、絞首刑も勢い余って首チョンパなどあるわけで、
必ずしも適切な方法だとは思えません。安楽死(薬物注射)のほうが望ましいわけです。
肉体的な苦痛という野蛮性が取り除かれてもなお、死刑には殺されるという精神的
苦痛、社会の構成員を殺害するという野蛮性が残るわけです。つまり、後に残されるのは
そういう苦痛や野蛮性を社会が受容できるかどうかという程度の問題です。日本の
ように殺人など人為的な原因で人が死ぬことがめったにない社会では、誰かを
殺すことに対する免疫がなく、社会にとって誰かを殺す、殺されるという事態は
耐え難いはずです。そういう認識が広がればやがて日本からも死刑がなくなるだろうと
考えているわけです。
100
:
紫煙狼
:2008/08/01(金) 12:21:07
どうせ死ぬなら、少しでも苦痛が少ない方法で死にたいと思うのですが、
どういう方法なら苦痛が少ないかを窺い知る方法ってないですよね。
確かに、一酸化炭素中毒で死の淵から生還した人は
「目の前がチカチカしたかと思ったら意識がなくなって、
苦しいとかそういうのは全く感じなかった…」とか言いますよね?
でも、それって「所詮は生きている人の証言」でしかなくて、
本当に死ぬ瞬間を味わっていたら、そんな生易しくなかったかもしれない。
脳波を計って云々とか、血液を計ってアドレナリンが云々とか言う試みも、
本当に有効なのか正直疑問なんですよ。(そういう研究の必要性は否定しません)
イタコの口寄せが科学的に証明されて、あらゆる死因による死者多数に
アンケートをとった結果、比較的苦痛の少ない方法が選定された…。
ならわかるけれど、それは有り得ないし。結局、傍から見ている人が
勝手に「これなら苦痛が少なそうだ」と判断しているだけですよね?
こう考えると、死を望まない者の命を奪うという行為は、程度の差は有れど
一様に残虐で野蛮な行為なのではないかな…と思うのです。
無論、犯罪者が行う殺害行為の残虐性と、死刑執行の残虐性を同列に比較する
意図はありませんが、人道的に残虐性を阻却される殺害なんてのは、
止むにやまれぬ事情において同意の下行われる場合のみではないかな…と。
従って、死刑囚から執行の同意を確実に得る方法を考えなければ、
死刑は野蛮でも残虐でもないという結論を得ることは難しいかと。
ただ、残虐で野蛮な行為を行った者に同害報復することを目的として死刑に
賛成する方々にとっては、野蛮云々なんて問題にならない、むしろ野蛮で
残虐であれば残虐であるほど良いのでしょうね(苦笑)
101
:
key
:2008/08/01(金) 20:08:24
私は同害報復論を強く支持するので、まさに
>野蛮云々なんて問題にならない、むしろ野蛮で
>残虐であれば残虐であるほど良い
と思っていますが、最近はそれに加えて
野蛮で過酷な刑罰は「死刑になりたくて」という動機を減らすのに
非常に効果的なのではないかと思っています。
>殺されること自体が精神的にすでに相当な苦痛のはず
という前提は、現代社会においてすでに揺らいでいるのです。
殺されることが精神的に苦痛でない者にとって、
現在の安楽な死刑は罪の重さにつりあわないと感じます。
>これ嫌だな、もう二度と受けたくない
死刑については、これを本人が感じることはありません。
しかし生き残った人間が感じることは出来ます。
であるならば、「死刑になれば安楽に死ねる」という前例は誰のためになりますか?
やりたい放題やって死にたい人間にとってはこの上ない福音です。
これって社会のためになりますかね?
102
:
key
:2008/08/01(金) 20:32:33
追記です。
死刑=社会からの抹殺、については
今回の加害者などすでに「抹殺されたも等しい」
と本人が思い込んでいる状態です。(その時点で視野狭すぎますけれど)
加害者にとって状況は悪くなりようがないのです。
103
:
無精髭
:2008/08/01(金) 22:10:51
>>99-102
のお書き込みを拝見いたしましたが、
再び死刑論争を始めるに当たって、機が熟したと申すか、
一切の道具立ては整った、と思いました。
そろそろこの話題もスレ違いになって参りましたようですので、
ここら辺りで強制的に「死刑制スレ」に接続させて戴いても宜しいでしょうか?
私の勝手な一存によりますが、あちらで死刑廃止論者と同害報復論者の
思想的対決を観戦いたしたいですしね(笑)。常々、思っていたのですが、
死刑制廃止派の人たちにとって、最も手ごわいと申すか、論破できず、共通了解
も望めないような種類の相手は、同害報復論者なのではありませんか?
この難敵と申すか、死刑廃止論者にとっての天敵を、時代錯誤的であるとか
「野蛮」であるとか言って忌避してしまうことは、禁物かと思われます。
とりあえず、「死刑制度についてひと言お願いします」スレッドに
投稿された書き込みのリンクを張って置きますので、以後、
死刑に関連したお書き込みはあちらに投稿して戴けると、
一読者の私といたしましては、幸いでございます。
104
:
無精髭
:2008/08/01(金) 22:17:40
訂正 ()内の文を加えてお読み下さい。
15行目>(こちらでこれまでに)投稿された書き込みのリンクを張って置きますので、以後、
105
:
おやじ急死
:2008/08/01(金) 23:32:19
ひとが死ぬ ってどういうことかわかるかどうかじゃないの?
ひとをした知識ひけらかすのもたいがいにしたほうがいいよ。
今まさに人殺しもしくは自殺しようとしているひとに何言える?
どう止める?
研究するため殺さすの?死なすの?
個別の理解のレベルにのっとって判断できるの?
結果を凝集して省いて話しやすいところじゃないの。
すべて科学的風なものに懐疑
商売がらみ
106
:
無精髭
:2008/08/02(土) 00:23:57
>>105
おやじ急死さまへ
このスレでの一連の書き込みにおける「知識ひけらかし」の流れは、
ひとえに私が作り出したものでございます。貴方様の仰る通り、
確かに、当該事件に関する書き込みとしては、余りに的外れなもの
でございました。事件関係者の方々に対する配慮にも欠けていたと
思われますので、この場を借りて、謹んでお詫びいたします。
貴方様の仰る通り、殺人であれ自殺であれ、死に魅せられた人間に
対しては、私たちのような凡庸で保身的な小市民の吐く言葉など、
全くの無力でございます。しかし、当該事件も含め、現実をそのままに
受け止めることが出来ないほど、私たちは弱いのですから、まるで
負け犬の遠吠えのように、いつまでも要らぬ「知識のひけらかし」談義
を止められないのです。物事をあるがままにスマートに捉えることなく、
わざわざ奇を衒ってしまう理由も、同様です。結局は、己の為に言いたい
事を言っているだけ、自分の自尊心や社会的立場を守る為、正しく、
「商売がらみ」が原因なのです。貴方様は、実に鋭いと思います(勿論、
お世辞とか皮肉とかではなく)。
・・・犯罪とか刑罰について、社会成員としての私たちはどう考え・
生きたら宜しいのでしょうか?
107
:
無精髭
:2008/08/02(土) 08:32:33
上記、失礼にあたる言葉がございましたら、お許し下さい。
108
:
無精髭
:2008/08/04(月) 21:09:01
とりあえず、(こちらでの)私の書き込みはこれで最後に致したく存じます。
>>98-99
に関連して。
>>94
で挙げさせて戴いたブログですが・・・
http://critic5.exblog.jp/8783749/
このエントリへのコメントに、当該事件と山口県光市母子殺害事件に対する
この御方(ブロガー)の反応の違いが指摘されています。二つの事件の加害者は、
共に「機能不全の家庭の出身」であるのにも関わらず、後者では、「熱烈に
本村氏に感情移入されてい」たのに、今回の事件の場合だと、被害者と
「その遺族に対する想像力はどのくらい働かされている」のかが見えて来ない。
これは、一体どういうことか、といったような趣旨のコメントで、
私も同じような不信感を抱きました。
109
:
無精髭
:2008/08/04(月) 21:09:35
>>これが右傾化というやつか...。
http://critic5.exblog.jp/8840574/
この御方って......右なのか左なのか今一合点がいかないのですが、まあこの御方
の政治的信条・思想的立場に関しましては、Kenさんの裁量にお任せ致すとして(笑。
そんなお時間、ないですよね? 私も御免ですw)、死刑論に限って申せば、この
御方は世の流れの右傾化を代表しているというより、日本人のアイデンティティー
に訴えようと必死になっているように見えます。本村氏の死刑論と日本人の死生観
や集合的無意識(!?)といった概念を接合することで、日本国民一億人に迎合
していると申すか、受けを狙っているのではないかと思うのです(民意間の妥協点
を探っていると申すより、かつて日本人論が一世を風靡したように、イデオロギー
で人を動かしたい(動かせると思っている)のかも知れません。そういえば
ちょっと前に、新渡戸稲造の『武士道』とか藤原正彦の『国家の品格』とか、
売れましたしね〜。私は武士とか侍とかいう言葉、嫌いです。Kenさんは違う
でしょうけど)。でも、死刑制賛否の論点からいいとこ取りをしようという折衷派
の人みたいな感じは残りますので、何と申すか、複雑な考えをお持ちの方のようで、
私の見方もだいぶ混乱しております。入江(元key)氏のような一般的(?)同害
報復論者と比較すると、その特殊さが際立っているのが分かります。
日本人論
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E8%AB%96
武士道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E9%81%93
(騎士道、なんてのもあった
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E9%81%93
)
『国家の品格』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%81%AE%E5%93%81%E6%A0%BC
ぷちナショナリズム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B7%E3%81%A1%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
110
:
無精髭
:2008/08/04(月) 21:10:04
この御方の話題は(死刑論を除いて)止めましょう。何やら熱烈な支持者がいる
ようですが、どうにもこうにも、付いて行こうと言う気が起こらない。にも
関わらず、この御方のブログを碌に読みもせずにいい加減なことをいうのは、
もっと盲目的でしょうから。ただ死刑論については、寸評ではなく、もっと良く
吟味してみたいです。本村氏と完全に一致しているとまでは言えなくとも(氏も
自分の死刑論が誰かに代弁されるのは、さぞかしご迷惑でしょうが)、同害報復
論者としてのスタンスや目的意識などは、案外通底していると思います。
追記 「○○の尊厳」って、私のような阿呆にはよくわからないですね。この御方
の場合、一応暴論・極論と自ら認めた上で、選択自裁制を死刑囚の(人間としての)
尊厳を保障する死刑制度として提案しておりますが、単なる物として扱われるのは
どんな死刑でも同じだと思われます。況してや、「自己の生命と引き換えに絶対的
反省へと導く。生命の尊さの悟りへ至らせる」ことで「神になる(成仏する)」
というのはちょっと、前半部分が余計なような気が・・・。「死は生の一部」と
言うのなら、生きている内に人は死を体験していることになりますから、わざわざ
処刑される必要もない訳でしょう?
「無理に残酷な死刑を残して続ける必要はない」とか、ギロチンはその時代として
は「苦痛の少ない・死刑囚の尊厳に配慮した」人道的処刑法として考案されたとか
言いながら、その一方では「殺した人間は殺された人間の身体と精神の恐怖と苦痛
を追体験しなければならない」として、これを先に守られるべきだとした、人として
の尊厳と区別しておりますが、前半部分を信じるならば、これは私には作為的な
区別のように感じられます。
111
:
無精髭
:2008/08/04(月) 21:19:16
・・・まっ、どうでも好いことなんですがね・・・。
112
:
おやじ急死
:2008/08/04(月) 22:16:28
何がしたいのかわからないひとは自ずから語ろうとするなよ。
難しいこということで自己満足。
113
:
紫煙狼
:2008/08/04(月) 23:10:57
>>112
どなたに対する書き込みかはわかりかねますが、
少なくとも、貴公の投稿が
>>105
,
>>112
ともに、
何かを人に伝えようとする文体でないことだけは確かなようです。
>>105
においては「て・に・を・は」すら使いこなせていない。
何かを述べるなら、最低限の日本語文法は守っていただきたいものです。
114
:
おやじ急死
:2008/08/04(月) 23:29:16
>>113
すべてはわたしの意思でおこないました。申し訳ございません。
(やはりすべていじめってこういうところかな)
語る口ご想像のままに・・・・・・。
半意図的な文法でした。
今後もご想像豊かに。
さようなら
115
:
Ken
:2008/08/06(水) 00:19:21
>>109
藤原正彦の『国家の品格』
このFTの翻訳記事、おもしろかったですよ。
FTと昼食を 「国家の品格」藤原正彦さんと─フィナンシャル・タイムズ
http://news.goo.ne.jp/article/ft/nation/ft-20070323-01.html
「ある東京の大学の教授が電子器具を使って実験した結果、日本人は虫の音を聞くのに右脳を使うが、欧米人は左脳で聞いているので、日本人は虫の音を音楽として聴き取るのだと証明した」
―――
これは角田忠信元東京医科歯科大学教授の研究ですね。記事は全体的に日本人論
うぜーって感じですかね。何か勘違いがあるようですが、私も時代錯誤な武士道は
嫌いですよ。
116
:
Ken
:2010/07/27(火) 14:27:42
加藤被告の幼少期。かなり悲惨です...。
【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(4)】笑われながら風呂に沈められ…スタンプ10個で罰 「母の意に沿わないと怒られる」
http://sankei.jp.msn.com/court/12696/crt12696-t.htm
母親は父親との不仲のはけ口に加藤被告に辛く当たったみたいです。
117
:
森蔵
:2010/07/29(木) 15:07:33
加藤被告
自らの子供時代を語ったのは非常に興味があります。
原因を語らずそのまま死刑では、繰り返し事件が起きます。
たしか、サカキバラの母親もひどかったような・・・。
118
:
紫煙狼
:2010/07/30(金) 00:04:46
難しいですね。。。
母親から受けていた待遇が本当なら、これは、躾ではない。
相手が自分の子供でも尊厳を冒涜するような躾は許されない。
正直、記事を読んでいて、涙があふれました。こんな境遇で
正しくまっすぐに育つ子が、一体何割居るでしょう。
でも、悲しいかな、私にとっては、この境遇でさえ、
加藤被告の犯した犯罪を情状酌量する材料にはなりません。
加藤被告にどのような判決が下りようとも、
母親は自分の犯した罪を残りの人生、反省し続けるのでしょうか?
加藤被告の母親へのアピールは初めて通じたのでしょうか?
だとすれば、こんな悲しいことは、こんなハタ迷惑なことは、
そうは、ほかにはありません。
119
:
Ken
:2010/07/30(金) 12:31:16
まあ、これはかなりはっきりとしたかたちの虐待ですね。ただ、虐待を受けた人みんなが無差別大量殺人犯になるわけではないので、加藤被告には免れ得ない責任があるとは思いますが。
母親に関してはさほど反省しているそぶりはないですね。加藤被告の尋問に先立って行われた母親の証人尋問の要旨から。
「たとえば、被告を屋根裏に閉じこめたり、窓から落とすまねをしたり、お尻をたたいたり。被告は食べるのが遅かったので、早く後片付けをしたくて、食事を茶碗(ちゃわん)からチラシの上にあけて食べさせたこともありました」
「もっとも、子供たちに強く当たったのは、私としてはあくまでしつけの一環と思っていました。単に不満のはけ口ではなく、なにがしか子供たちにも理由があったと思います。ただ、そこまでしなくても良かったとも思います」
こんだけ虐待しといて、結果的に息子が大量殺人まで犯しといて「そこまでしなくても良かったとも思います」くらいしか思ってないみたい。あるいは
「私は被告がなぜ今回の事件を起こしたのか分かりません。被害者や遺族の方には申し訳ないと思いますが、経済的な損害賠償は不可能です。私は被告を見放すことはなく、できる範囲でこたえていきたいです」
はたからみて加藤被告の人生を不幸にしたのは誰だかはっきりとしているにもかかわらず、「私は被告がなぜ今回の事件を起こしたのか分かりません」ですよ。もう救いようがないですね。
というか、こんなふうに神経が図太くないとあんなひどい虐待を子供に加えることはできないでしょう。
父親も全然頼りないですね。
120
:
Ken
:2010/07/30(金) 13:55:28
母親を殺していたら情状酌量してあげてもいいかなと思います。
121
:
たかころり
:2010/07/30(金) 18:35:52
親を殺したい子供は年々増えていきますね
122
:
紫煙狼
:2010/07/31(土) 02:21:43
この母親も、同じような躾を受けて育ったのだとしたら?
と想像して怖くなりました。世の中には愛情があれば体罰も許されると
考えている親も多く居るようですが「それは本当に愛情ですか?」という
大きな問題が一つ目。「その愛情を子供は理解していますか?」が二つ目。
キモオタの一方的な愛情はターゲットとなった人にとって恐怖です。
仕掛ける側がどんなに愛情を持っていても、それが相手に伝わらなければ
愛情ゆえの行為も全て「脅迫」や「暴力」や「虐待」でしかない。
双方に堅い絆と強い愛情があれば、ムチで打ったり、蝋燭の蝋をたらしたり、
(検閲削除)したり(表現自粛)しても許されますが、それが全く無ければ
身体に軽くタッチしただけでも刑事訴訟の対象になりうるわけです。
これは行為の程度問題ではなく、双方の意思疎通の問題です。
加藤被告が人との意思疎通に難を持っているのと同じく、
この母親にも人との意思疎通に難を持っているのだろうと思いました。
123
:
老婆心
:2010/07/31(土) 20:58:36
kenさんへ
≫120
母親を殺していたら情状酌量してあげてもいいかなと思います。
上記の文の真意に関し、補足の説明をしていただけないでしょうか。
文字どおりの意味だとすると、穏当な考えとは思えないのですが。
124
:
無精髭
:2010/08/01(日) 10:25:40
>>116
被告が持つ、相手に何かを止めさせたいと思った際に口ではなく行動で「アピール」してしまう癖というのは、
明らかに母親譲りでしょう。子どもを折檻するのに理由を一切告げないという点が被告のそれと似ていますので
(母親の場合、理由と呼べるものなんて実はなかったんでしょうけど。だいいち、虐待するのにどんな理由が
あるんですかって話)。
ところで、事件発生当初のメディアの論調(主に原因追究に関する)は大きく分けて二つあったという記憶が
あります。一つは、ネットやらオタクやらゲームやらナイフやらの規制に関する議論。もう一つは、派遣切り
やら格差社会やら若者の怒りやらを問題とする議論。しかし裁判が始まってみたら、どちらの論点もこの事件が
起きた背景にはどうもあまり関係がなさそうだって感じが否めませんよねぇ。結局、被告が過ごした幼少期の
異常な家庭事情が大きく取沙汰されたくらいで、そこからさらに社会全体に波及するような問題性は見当たら
なかったわけで(親から子への虐待という問題はありますが、すべての家庭に共通する問題ではないです)。
こんな凄惨な事件を起こすようなヤツだから一体どれくらい狂った内面を持っているんだろうと半ば期待(?)
していた人も、ふたを開けてみれば案外フツーというか結構理解できる部分が多くて、何か拍子抜けしたみたいな
感想を持つんじゃないでしょうか。ちなみに、同年に起きた土浦連続殺傷事件の犯人と比べると違いが際立っていますよね。
とかなんとか書いてみましたが、児童虐待の問題はホントどうにかするしかないでしょう。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/child_abuse/
#backToPagetop
児童相談所による強制立ち入りが少ないというかその対応のマズさ・遅れのことなんかも、もう何遍も繰り返し
議論されているはずですよね。なのに、年々事態は悪化するばかりと言っていい。最近大阪ではマンションの一室
から幼児二人の遺体が見つかったという事件がありましたけど、あれも色んな意味でふざけんなーって話ですよね。
>>123
察するに今回のKenさんはかなり怒ってるんじゃないですかねえ。ご承知のようにKenさんは基本的に正義感の人
ですから。あと、私も子どもを虐待するような輩に対して穏当である必要などないと思うのでKenさんの気持ちは
よく分かります。上で書いた大阪の幼児置き去り死の事件についても、これがもし本当なら母親のやったことに
対して「10年以下の懲役を科すとかだったら軽くネ?」とか思っちゃいますから。ただ、老婆心さんの仰りたい
ことは要するに「たとえどんな相手にも言っていいことと悪いことがある(もうちょっと言い方があるんでないの?)」
というの社会良識とか倫理観念の持ちようの問題だと思いますので、これもこれで私としてはよく分かる。
まぁそんな経路で、私も以下のような疑問を持ったのでした。
125
:
無精髭
:2010/08/01(日) 10:29:18
>>119-120
被告が母親を殺すなんてことがありえたかどうかは疑わしいですよ。被告は中学生の頃、後にも先にも一度だけ
母親を殴っているでしょう? その時の心境を聞かれて「悲しかったです。何でこうなっちゃうんだろうという
気持ちでした。涙が流れました」と答えていますよね。今まで虐待してきた親を一発殴っただけでめげてしまうのに、
さらにエスカレートしてそれを殺しちゃうなんてことはちょっと想像できないですけど。
まあ、そんなことより私が引っかかっているのは、被告が人生のどの時点で母親に復讐したら世の中の人々の理解
なり同情なりを得られただろうか、ということなんですね。たとえば、まだ幼いがゆえに虐待による被害が大きい
であろうと思われる小学生の頃に復讐が行われていたのなら、理解なり同情なりが得られたのは確実でしょう。
そしてそれよりは多少落ちるでしょうが、中学生の時点で復讐したとしてもまぁだいたい世間の反応は同じような
ものではなかったかと思います。しかし、私が思うに高校生の時点ぐらいからだんだん雲行きが怪しくなってきて、
短大生になってから成人するまでの期間を過ぎてしまえば、重い腰を上げて被告が復讐したところで、おそらく
「いまさらそんなことしなくても」みたいな白けた反応が世間から返ってくるのではないでしょうか。
というのも、被告が中学生になってからは、母親を一発殴っていることの他にも物に当たったり壁に穴を開けたり
といった行動を取るようになったという証言から分かるように、親に対する被告の反抗を親は抑えることができ
なかったらしいですから。つまり何が言いたいのかというと、中学生の頃のある時点から被告と母親の関係はそれ
以前のような一方的な力関係ではなくなっていたということです。確かに、両親、特に母親からの命令(主に進路・
進学や成績の件に関して)は相変わらずあったようですが、もはや暴力で有無を言わせず被告を従わせるなんてことは
母親にはできなくなっていたのではなかったかと。私は、被告と母親があまり口を利かなくなるきっかけになった
という、被告による一度限りの暴力が起きてからは、母親による虐待は一度も行われなかったであろうと考えるのが
自然かと思います。
母親による虐待が既に行われていない時点では以前その虐待を受けて育った子どもはいつまでも復讐・反撃する
権利があるということはちょっとなさそうに思えます。ましてや親元を離れて(親との関係がギクシャクしていた
から離れざるを得なかったのだとしても)転職を繰り返し、リアルでもネットでも人付き合いがうまくいかなかった
のは「幼少期に母親から受けた虐待のせいだ」と思って、遅ればせながら母親に復讐しにはせ参じるなんていうのは、、、
確かにコミュニケーション能力や人格における欠陥の原因が母親の虐待にあるのだとしても、なんか違うような気が
するのですが…。
母親による躾とは名ばかりの虐待に関しては私も酷すぎるし他人事ながら許しがたいとは思いますが、じゃあ被告に
殺されても仕方がないと言えるほどだったかというとさすがにそう断言できる自信は私にはないですよ。情状酌量の
件は当たり前だと思いますけど、虐待を受けて育った者が必ず自分を虐待した者を殺すとも限らないわけですし、
やっぱり被告がこの母親を殺した場合でも徹底的に厳粛に断罪すべきでしょう。あるいは、もし母親だけでなく父親
をも殺した場合、虐待に関して現状の情報のみで判断するなら、極刑に処してもよいとさえ私は思いますよ。
シェンさんが
>>122
で言っていることにはこれも関係してくるのかなぁ、と。
http://d.hatena.ne.jp/gordias/20071023/1193106234
126
:
紫煙狼
:2010/08/01(日) 22:42:26
ああ、うん、珍しくKenさんは言葉足らずかもしれないですね。
>>120
>母親を殺していたら情状酌量してあげてもいいかなと思います。
>>123
>文字どおりの意味だとすると、穏当な考えとは思えないのですが。
>>124
>老婆心さんの(中略)言っていいことと悪いことがある
この3つを読んで、自分の解釈に自信がなくなりました。
私は
>>120
の発言を
「被害者が母親たった一人であった場合」もしくは「被害者に母親が含まれていたとして、
母親が殺害されたという部分のみに対して」は「情状酌量しても良いと思う」という発言と
捉えたのですが、120の発言では必ずしも限定的と捉えない解釈もあるな、と。
つまり、例示的に書くなら
「母親を含まない18人を殺傷した」→「死刑」
「母親を含む19人を殺傷した」→「無期懲役」
のように「被害者に母親が含まれていたら全体的な刑罰を情状酌量しても構わない」という
凄まじい解釈も可能ではある文章表現であるから、真意を明確に表現するように老婆心さんが
確認したのだと思ったのですね。
ところが、無精髭さんがそこに言及した
>>124
ですっかり
「母親がどんなに悪かったとしても、母親への犯行を肯定的に述べるのは不適切である」
という意味であったのかな?と。それはそれで確かにスジも意味も通りますものね。
127
:
紫煙狼
:2010/08/01(日) 22:42:50
で、これって、日野OL放火殺人の件にも(部分的に)相通じるモノがあるかな、と。
つまり「キャシーが殺害した相手が師匠本人のみであったなら情状酌量の余地はあった」
という意味で「師匠を殺害していれば」というような発言が結構あるのと同かな、と。
児童虐待を特別に重視する視点から言えば、加藤被告がこのような犯罪を犯す人物になってしまった
原因の一端は虐待にあると結論します。そしてその虐待に加藤被告は恨みを持っていたのだから、
その恨みを晴らすための犯行として、目的と方法が一致すれば、動機としては若干なりとも同情できる
部分はあると考えられ、人によっては情状酌量の余地を認めることが可能になります。
しかし、実際問題で言えば、加藤被告の人格形成に母親による虐待が大きな影響を持っていたことを
認めざるを得ないとしても、本件は「母親への恨みを晴らすための犯行」ではないので、そもそも
被害者に母親が含まれる余地はないですよね?もし、まかり間違って母親が被害者に含まれていたり
母親だけが被害者であったとしても、それは「たまたま目に入ったヒトが母親だった」となれば、
これは、やはり情状酌量の余地はないのかもしれません。
私は、加藤被告の幼少時の待遇(境遇)に対して、非常に同情的です。加藤被告が可哀想で涙が出ました。
しかし「不幸なヒトは他人を不幸にする権利があるのか?」というと、それは全然違うわけで、許容できる
限度を示すとすれば「不幸なヒトは不幸をもたらした元凶を跳ね除ける権利がある」のが限度で、その結果
「不幸をもたらした元凶が不幸になる」ということに関しては、ある程度なら情状酌量の余地がある…。
と考えます。
その結果、加藤被告は可哀想で仕方が無いけれども、本件犯行に関しては一切酌量すべき事実はなく、
極めて重い刑罰(現行法制では死刑となりますでしょうか?)が課せられるべきであるとなります。
なお、念のために付け加えますが、私は「死刑を廃止するべきである」とは主張していますが、
死刑が廃止されていない現在「死刑判決を下してはいけない」とも「死刑執行してはいけない」とも
主張するツモリはありません。
128
:
無精髭
:2010/08/02(月) 10:25:19
一々突っ込みませんでしたが、シェンさんが老婆心さんの書き込みのことで推測しているような
>>120
の多義性は、
老婆心さんの書き込みより前の時点ですでに私には読み取れていましたよ。たしかに「凄まじい」内容ではありますが、
>>120
に対する読解としては特に飛躍しているわけでもないですし。結局、他人の書いた文章の意味が多義的に感じ
られたとしても、今話し合っている話題からは逸れないような、またそれを書いた他人の言いたいことに対しある程度
配慮できるような、よりスタンダードな読み方をすべきなので、当初のシェンさんがしたような読み方を選択する
というのがセオリーじゃないかと。まぁ私の場合はそうだったんですけど、老婆心さんも私と同じ意見ではないかと
思ったのは、以前もKenさんの書き込みに対して老婆心さんが似たようなことを書き込んだことがあったからですよ。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1047995308/2732-2734
これはごく私的な嗜好の表明や感情吐露への批判もしくは窘めとも取れるでしょう。
そこで翻って
>>120
と
>>123
を読み返してみると、「母親を殺していたら」というKenさんの仮定が、私の推測
通り実現性に乏しいことを述べたものに過ぎないのであれば、自衛なり復讐なりが目的で母親を殺してもちっとも
おかしくないような状況が被告の過去には散見されたとか、人生のここら辺りから母親に対する明確な殺意が
芽生えたとかいったことがまだ論じられていないわけですから、老婆心さんがKenさんに対して「ありえそうにない
結末を想像して情状酌量してもいいとかいうのは単なる感情論なんじゃないの?」と突っ込みを入れたのはきわめて
自然な反応じゃないかと思うんですよね。
あと気になったのは、この事件が発生してから丸2年経って、Kenさんにも色々と変化が訪れたみたいだってことです。
前と比べてあまり改行しなくなったことに始まり(笑)、それこそ一つ一つ数えて指摘していきたいのですが、私も
私でだいぶ変化しているようでして、自分のことを棚に上げてあーだこーだ言うのも間抜けだとも思うんで、とりあえず
現在の話題に関係がある点だけを指摘したいと思いますが。
が、その前に極端な話、Kenさんのことを嫌いな人からすれば、2年前と現在とでは考えが180°転回してるみたいに
見えるんでしょうけど、それは単に、事件発生時点では(そして裁判が始まるまでは)加藤母が行ったしつけを虐待と
断定するための決定的な材料がなかったから、被告が事件を起こした原因は幼少期に受けたしつけにあるとするような
主張をあえて展開しなかったというだけで、今は裁判も始まったことだし原因やら責任の所在についてあれこれ言える
ための情報がどんどん集まってきているので、議論の文脈を変えることができるというか論点を選択する幅が広がった
から自ずと主張も様変わりするというわけですよ。だから、加藤母の責任をあまり追及せずに(つまり犯人の生い立ちを
云々する環境論を重視せずに)素朴な自己責任論や規制論に話が流れていかざるを得なかった状況から2年後に、加藤母の
責任を追及する方向に議論が突っ走りかねない勢いが出てきちゃっているのは表面上の変化に過ぎないんですよ、おそらくは。
2年前に強調されていた、被告が被害者及び社会に対する関係の中で責任を取っていかなきゃならない・法に基づいて
厳粛に裁かれなければならないといったパブリックな文脈と、今強調されている、被告が幼少期に受けた母親の虐待が
もとで他人や社会との関係をうまく取り結べなくなってしまっただろうから、被告の歪な人格形成に関しては母親に
多大な非があるといったプライベートな文脈とは、Kenさん本人の中ではすんなりと連続しているはずですよ。その証拠に、
事件発生当初からKenさんは他の事件を引き合いに出してですが、無差別大量殺人と生い立ちの関係について同情的な
理解を示していますからね。
129
:
無精髭
:2010/08/02(月) 10:25:48
さてここまで書いちゃうと、2年前のKenさんと現在のKenさんの相違点とは、決して言説上に矛盾や齟齬として
はっきりと刻印されたものではないということが自ずと分かるでしょう。この度あらためてKenさんの過去の書き込みを
読み返して見ましたが、その文脈は思った以上に複雑巧妙なものでした。Kenさんの変貌ぶりというのは結局、
自らの言説には回収されることがない怒りを今回露にしたことと、被告の両親批判といった感じで極度に論点を絞った
ことが原因で、周りにはあたかも転向したかのように見えているだけではないでしょうか。むしろ、私が問題にしたいのは
以下の文章です。
>はたからみて加藤被告の人生を不幸にしたのは誰だかはっきりとしているにもかかわらず、「私は被告がなぜ今回の事件を起こしたのか分かりません」ですよ。もう救いようがないですね。
事件を起こす前から自分のしつけのせいで被告が不幸であったことを認めた母親が、自分のせいで被告が不幸であることと、
秋葉原で無差別大量殺人を起こしたこととの因果関係が理解できないというのは別に奇異なことでもないでしょう(ただし、
Kenさんが指摘しているようにこの母親の発言からは、自分が子どもに施してきたことが虐待ではなくあくまでもしつけ
であったと思い込んでいる節が読み取れますから、そういう自己正当化をやめて自分がやってきたことは虐待に他ならない
ということを自覚しなければ、被告が事件を起こしたことなど理解できるわけないだろうなぁとは思いますね)。被告を
間違って育ててしまったからといって、将来的にも被告が不幸になる可能性を予測すべきだったとは言えるでしょうが、
被告の内面や思考パターンまで知っていなければならないというのはさすがに無理な注文でしょう。やはり被告が事件を
起こしたことと、被告が不幸であることとは分けて考えた上で母親を批判すべきではないでしょうか。過去ログを読んで
思ったのですが、以前のKenさんはそれらをちゃんと分けていたのではなかったでしょうか。以前のKenさんは被告の
母親のしつけについてそれが虐待である可能性をも計算に入れた上で、しかし事件発生直後の段階では事件の因果関係に
関わる情報はどんな媒体・情報源からのものであろうと疑ってかかるべきだというスタンスから、あえて被告の母親批判は
避けつつ・抑えつつ議論していたはずです。ならば被告の母親が虐待を行っていたということが事実だと分かったとしても、
それによって何の説明もなく(だから極端といわざるを得ない)母親批判に転じたり、被告の生い立ちと事件の背景とを
短絡しかねないような発言をしたりするのはいかがなものかと思います。
さらに以下の発言は、母親における育児ノイローゼとか夫婦不和によるうつなどの可能性をまるで無視した発言でしょう。
>というか、こんなふうに神経が図太くないとあんなひどい虐待を子供に加えることはできないでしょう。
ただし、私は怒りの表出については、上辺だけは妙に強がってみたりなどと虚飾するのではなく、できるだけ率直に
自然のままの形で表現すべきであると考えます。そしてこれは、各自がKenさんの書き込みに対して、論旨と別扱いで
評価(というか共感なり反発なり)したほうがよい項目ではないかとは思っておりますけれども。
130
:
無精髭
:2010/08/02(月) 10:26:17
シェンさんだから安心して書けますけど、私は師匠の言動は不倫相手に殺されるほど悪質ではなかったと思いますよ。
師匠が殺されてもおかしくないほどキャシーに対して酷く振舞っていたかどうかは、師匠の言動を独立に評価するだけで
定まることではたぶんないです。それには師匠から見たキャシーの言動、そして師匠とキャシーの関係をよくよく洗い出す
必要があるはずなので。師匠の言動に結婚詐欺とかDVに該当する要素が見当たらない以上、師匠とキャシーが合意の下で
不倫関係を結んでいたという事実を前提に、双方の言動を公平に評価すべきであると思います。つまり不倫の発端に注目
するならば、道徳的観点によって男女差を見出す視点を排すべきだというのは当然です。また、常に双方の合意によって
維持・進行するような不倫関係において対等な男女というのは、相手を騙したり相手に騙されたりといったことでしばしば
揉めるというよりは、ただ単に利害の調整やシェンさんが仰るような主導権争いに忙しいだけでしょう。
避妊しなかったとか堕胎を迫ったとかいうことがその人間を殺す理由になるとか思っちゃうのは、加藤被告が言うところの
「アピール」と同じようなもので、どちらに対しても思慮が足りないところを妄想で埋め合わせるといった異常性を感じますよ。
ちなみに、師匠の妻がキャシーなり師匠なりを殺した場合、あるいは二人とも殺した場合は情状酌量は考えられるんですが。
師匠がキャシーを殺しても情状酌量が考えられないのと同じ理由で、キャシーが師匠を殺しても情状酌量は考えられないですね。
要するに私が危惧するのは、もしキャシーが師匠を殺していたら一方的に師匠が悪者にされ、かたやキャシーは悲劇の
ヒロインに…みたいなことになっていたのではないかということですね。不倫関係とはいえ、キャシーは師匠に深く
傷つけられていたという主張の根拠として、キャシーは師匠を殺したいと思うまで憎んでいた、なぜなら実際にキャシーは
師匠を殺したのだから、みたいなことを言い出すのは早合点であることはなはだしいわけですよ。キャシーが師匠を殺した
という結果だけで、事件後その不倫関係についての解釈が不公平で偏屈なものに堕してしまいかねない雰囲気が作られて
しまうのだとすれば世も末でしょう。
たとえば不倫関係でキャシーがノイローゼになったという事実が立証できたから減刑される、ということなら話は分かりますが、
キャシーが師匠に騙されたとかいったことで減刑されるのには納得がいきません。相手に避妊を拒否されたり堕胎を迫られたり
するだけでノイローゼになる人間が存在するとはどうしても思えませんので。そういうふうに心を病んでしまうのは何かしらの
葛藤があるはずだからで、相手からの要求が理不尽であるかどうかは主に自分と相手との関係性に依存するのであって、そもそも
相手から要求されるばかりでなく自分も相手に対して要求できるという関係に立っているからこそ、葛藤の末に相手からの要求を
呑むという選択が可能になるわけでしょう。
>「不幸なヒトは不幸をもたらした元凶を跳ね除ける権利がある」
シェンさんが誤解されることはまずないとは思いますが、一応他の方々のために
>>125
で示した考えを補足して置きます。
私はその考え自体には賛同しているのですが、そこに時間という要素を加味した場合もなお同一の内容を保持して
いられるかというのが私の疑問でありました。つまり極端なことを言ってしまうと、加藤被告と同様のケースで、
かつ加藤のように事件は起こさず中年になるまで転々と仕事を変えて最終的にホームレスになった時に、「自分が
こんなに不幸なのは親のせいだ」といって、実家へ帰って今や足腰も頭も弱った親を殺してしまった場合でも
情状酌量すべきかどうかってことです。ただ、シェンさんの意見を聞いて、案外こんなでも情状酌量はアリかな
と思うようになりました。
ちなみに、本件の被告の場合、無差別大量殺人を犯して裁判にかけられている今が不幸であることと、事件を起こす以前に不幸
であったこととでは責任の所在が異なるという意味で、二つは質的に異なる不幸であることはいうまでもありません。
131
:
紫煙狼
:2010/08/02(月) 16:23:59
>加藤被告と同様のケースで(中略)情状酌量はアリかなと思うようになりました。
納得性の問題ではないでしょうかしらねぇ…。もう少し厳密に言えば、判事の
自由裁量の範囲内の問題かな?と思うわけです。
たまたま、そこに情状酌量の余地を感じる判事が居てもおかしくはないし、
全く感じない判事が居てもおかしくはない。少なくとも、個々の感じ方にしか
正解は存在しなくて、私の感じ方と判事の感じ方が異なっていても、どちらが
「人類普遍の真理」としての正解とは言えないでしょうねぇ。
敢えて言うなら「情状酌量」ってのは「情状により酌量しても良い」であって
「情状を汲んで酌量しなければならない」ではないでしょうなぁ。
従って、基本的に「迷ったら酌量しない」が正しいのかも知れませんね。
ただ、これが「無期懲役」と「死刑」の狭間での酌量であれば、ぜひ酌量してあげたい。
しかし「酌量して無期懲役」だと相当強い世間様の反発もあるだろうから、私が判事なら
判決の表現としては「酌量してなお死刑」もしくは「酌量せずとも無期懲役」という形で
落ち着けたいと考えあぐねるでしょうね。
もっとも、日本の風潮では犯罪者への判決が重過ぎる!という世間の反発は見た事が無いですね。
99.9%「判決が軽すぎる!」という反発ですから、やっぱり「迷ったら酌量しない」が正しいのかも。
これだけ厳罰化と死刑が大好きな国民性ですから、世間の皆様に愛される判事になるには、
有罪判決は常に法定限度いっぱいの刑罰(一切割り引かず)可能な限り死刑判決、という
実績を積めば良いのかもしれませんね。
132
:
Ken
:2010/08/08(日) 15:36:26
>>123
いや、私はいつも文字通りの意味でしか書かないですよ。
自分に危害を加えていた人を殺害した場合、普通情状酌量が認められます。特別なことではないです。
虐待は殺人事件の直接的な原因ではないですが、加藤被告は母親から手ひどい虐待を加えられていたので、この母親を殺害していたら情状酌量は認められていたと思います。実際には、全く無関係の人々を殺傷しているので情状酌量の余地はないでしょう。
私が書いたのは文字通りの意味でしかないので、「母親は殺されても仕方がない」「むしろ殺されるべきだ」というような含意はないです。
普通、子供が犯罪を犯したら、たとえそれが小さな罪であったとしても親は自分の育て方に何か問題があったのではないか、と考えるものです。加藤被告の母親は自分の息子がこれほど大きな事件を引き起こしたにもかかわらず、そういった視点は皆無のようです。あるいは、この事件は掲示板での嫌がらせが発端であったと加藤被告は証言していますが、実際に嫌がらせを行った人はいまごろそれを知ってこんなことになるくらいならそんなつまらないことしなければよかったと悩んでいることでしょう。この母親にはそういう悩みは皆無のようです。
これほどの虐待をしても平気なのは、それが子供の心にひどい傷を与えていることが認識できないからなのでしょう。神経が図太いというのはそういう意味です。
133
:
老婆心
:2010/08/08(日) 18:52:01
kenさんへ
ご回答ありがとうございました。了解しました。
>>120
>母親を殺していたら情状酌量してあげてもいいかなと思います。
の文を見たとき、
「母親への犯罪(殺害)」を「単に仮定した」、というより、
「母親は殺されてもしょうがない」という判断
(「母親の殺害を容認するような考え」)が前提にあるように
読み取ってしまいました。
私としましては、加藤被告の母親の育て方(加藤被告に対する接し方・扱い)
に関する報道の内容が仮に事実だとしましても、その証言をどのように解釈
するかは、また別問題と思えます。
したがいまして、加藤被告の母親への犯罪を仮定するとしましても、
『加藤被告が、無関係の第三者でなく、実の母親を殺していたとしたら、
動機の点で、わからないわけではないし、その場合、
情状酌量の余地もあるのでは』
といった程度の感じ方をしていました。
そのため、今回のような質問をしてしまいましたが、ご容赦ください。
134
:
無精髭
:2010/08/14(土) 12:36:22
ネット上の反応を広く調べたわけではないですが、シェンさんやKenさんのように事件とは
別に、生い立ちの点で加藤被告に同情し、母親の責任を問うている人って結構いるのかも
知れないですね。私はというと、事件発生当初から事件関係者に対する同情にリミットを設けて
いたためか、被告の幼少期が悲惨なものだったことが明らかになってもあまり心が高ぶらないのですが。
加えて、加藤被告の幼少期については現在明らかになっている情報とほぼ同じ内容のものが
事件発生後ほどなくして出回ったのを憶えていたので、裁判での証言や供述に改めてショックを
受けるということはなかったです。
http://nakaosodansitu.blog21.fc2.com/blog-entry-1171.html
思うに今と2年前が違うのは、これまで疑いの域を出ていなかった虐待情報について、
どうやらホントだったんだねといえる状況になったことくらいかと。つまり、幼少期に
被告が受けたと噂されていた虐待が、実際はもっと酷かったということが裁判で分かった
わけではありませんでした。
Kenさんやシェンさんが母親のしつけの一部を虐待認定することに異議はないのですが、
その全てを虐待認定することができないのは当たり前なわけで、ちゃんと母親を批判するには
虐待としつけの線引きをする必要があると私は考えています(裁判で明らかになった母親の
「しつけ」には、私見では明確に虐待であるといえるものと虐待であるかどうかがあいまいな
ものとがあるので)。
けれども今思えば、虐待が行われたと仮定した上で母親の責任を問えるような論旨を前もって
整備しておくべきだったかも。もはや後の祭りですが。裁判が始まってその機会を逸してしまった
こともあって、母親に対してシェンさんやKenさんほど厳しいことを言えない今の自分に
もどかしさを感じます。
また先のレスで書いたように、被告が受けたとされる虐待について、それが被告にとって
母親殺害の動機となりえたかどうかが疑わしいと思っています。なので、そこから逆向きに
虐待の程度や被告の耐性を過小(過少)に見積もる傾向が私にはあるのかなと。
余談ですが、加藤被告が母親に復讐したとして、その方法が常軌を逸していたりあまりに
残虐であったりしたばあいは情状酌量ってどうなんだろうとか考えています。トラックで
自宅に突っ込んでタガーナイフで母親メッタ刺しの場合とか。あるいは、被告が壁に八つ
当たりするのでなしに直接母親に暴力を振るうようになって、ある日予期せず母親を殺して
しまった場合とか。
135
:
紫煙狼
:2011/03/29(火) 22:15:59
震災の件もあって、余計な書き込みを控えておりましたので、今更と言う感じもありますが…。
加藤被告の一審判決は、やはり死刑判決でしたね。
この事件の犯人たる加藤被告が最高刑の判決を受けないとすれば、今後、どのような犯罪が
起きたときに最高刑の判決を下すのか?という部分もあって、加藤被告に最高刑の判決が
下ったことには私も異論はありません。
ただ、私が同意するのは「最高刑」であって最高刑の内容が死刑であることを必要としません。
例えば、現行法制に置いて最高刑が無期懲役であれば無期懲役で、20年程度の有期懲役が最高刑なら
20年程度の有期懲役でも、私は異論が無いのですね。
でも、この判決のニュースがYahoo!ニュースに載った時、そのニュースのコメント欄には
「絞首ではなく、自動車で撥ねた後、タガーナイフでメッタ突きにすべし!」のような
コメントが多数残されており、またそれに対して「私もそう思う」をクリックしている人が
これもまた多数いらっしゃったのですね。つまり「本当なら死刑でも飽き足らない」派?
この処罰感情の強さと言うのは、何なのでしょうね…。
普通の日常生活に於いて、私たちは人に罵詈雑言を浴びせかけたり、死を願っていることを
クチにすることは許されません。しかし、許されないから我慢しているだけで、実は誰でも
人に憚られる事無く悪口雑言を並べ立て、怒りに任せて人を殺してやりたいという鬱屈した
思いをかかえている。それをじっと押し殺している。
でも、凶悪犯に罵詈雑言を浴びせかけることを非難する人は少ないですからね。
社会正義と言う大義名分も在る。そうすると人は普段の鬱屈した思いを凶悪犯にまとめ投げ
するのでしょうか?平たく言えば、自分の心の平穏、心の快楽のために、合理的理由をもって
非難し、罵倒し、死を望み、あまつさえ場合によっては自分が処刑人になることを厭わない。
むしろ、好きにしてよいなら是非とも処刑人に立候補したいと思う人までいる。
一昔前のアメリカの刑事ドラマの主人公のセリフを思い出しました。
「なぜオレがデカになったかわかるか?合法的に人間を撃ち殺せるからさ。」
136
:
Ken
:2011/04/03(日) 13:43:58
紫煙狼さんの言いたいことよく分かります。
私、スプラッター映画をひそかに愛好してるんですけど、あれ好きだって公言するのはちょっとはばかれますね。変な人だと思われないかなと。
一方で、生身の人間に対してナイフでメッタ刺しにしろなどということをためらいもなく、むしろそれは正義だと言わんばかりに放言できる人がいるというのはちょっと怖いです。
ただ、こういうのってネット弁慶なだけでは。ネットだと面と向かって言えないことでも平気で言う人いますから。普段周囲の人間にそういうこと言ったりはしなさそうですけど。別にそれなら問題なしというわけでもないですが。
138
:
減二
:2014/04/12(土) 01:46:09
すみません、、ご紹介のため、トップに張らせていただきます。
142
:
減二
:2014/04/12(土) 21:54:09
何度も申し上げている通り、ここは事件のスレッドなのですから、
販売目的のご投稿はお控えください。
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