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秋葉原通り魔事件
47
:
kei
:2008/06/19(木) 14:12:51
私自身の書き込み訂正です。
「こんな親ならいない方がマシ」
は言いすぎでした。謹んでお詫びします。
それとKenさん、この事件を事故だなんて
ふだんの書き込みからは想像できないです。
kenさんほどのかたが。どうしたもんでしょう。
どうもおじゃましました。
48
:
Ken
:2008/06/19(木) 15:04:55
犯罪に対する態度についてどう考えたらよいのでしょうか?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1211686553/97
魚雷氏>>まあ極端な例を出しますれば、タクマやサカキバラ、ミヤザキと我々一般人の心理がさほど変わりが無いとも考えられず、彼らの心理を理解する事が容易ではないので、その辺のところを研究して頂きたいものです。人間とて動物。様々な条件が重なると、稀にこういった犯罪者が出現する。事件というより「事故」に近いものだ。てなことであれば私にも理解出来ますが。
−−−
私も子供育ててますからね、ときどき自分の子供が犯罪者になったらどうしようとか
考えてしまいます。このあいだ、学年末テストの直前になって実は娘がぜんぜん
数学を理解していないということに気づいて、焦って毎日何時間も問題集やらせました。
娘は半べそでしたけど...。自分もしんどかった。しかし、その甲斐あって娘は
見事合格。そんなの子供の将来を想う親だったら普通にやらせることじゃないですかね。
加藤家のように習い事を毎日びっしりやらせてる親なんて日本にはいくらでも
いますよ(うちは違うけど)。愛情かけて育てたら普通は犯罪者になんてならないですよ。
ちょっと無責任ですけど。
高校までは親の期待を一身に受けて育ったものの、一般大学に進学できずに派遣社員に
甘んじてしまう。そんな人1万人、10万人のオーダーでいるのと違いますか。女性に
もてなくて悩んでいる若い男性、そんなの100万人のオーダーでいますよ。殺人とは
どんなに理不尽に見えても殺人者には殺人者なりの理屈があるわけですよ、普通。
でも、この加藤容疑者はなぜ無関係な人を大量に傷つけたのか、なぜ秋葉原を
選んだのか、たぶん自分でも説明できないと思いますよ。なぜタクマがサカキバラが
殺人を犯したのか、そんなの常人には永遠に理解できっこない。だから考えるだけ
無駄なのではなかろうかと。
逆に「事故」だと割り切ればやるべきことは自ずと知れる。一説には柳刃包丁が
もっとも殺傷力が高いそうですけど、人殺し専用の道具でしかないダガーナイフなんてのは
規制されてしかるべきでしょう。加藤容疑者のネットの殺害予告は気づいた人が
掲示板の管理者にメールしたそうですけど、休日で担当者がチェックしてなかったそうです。
今後はネットユーザーの間で直接、警察に届け出ようという機運が高まることでしょうし、
実際、すでにそうなっているようです。司法当局はネット上の殺害予告をしらみつぶしに
検挙し、たとえいたずらであっても厳罰に処すべきです。警察の運用云々というのは
事件があったときの警察官の対応です。現場には多数警察官がいたそうですけど
結局何人も刺されているでしょう。警察官が最後に拳銃を抜いたら加藤容疑者が
観念しておとなしくなった、と報道で読みましたけど、もっと早くなんとか
ならなかったのかなあと。米国だったら無茶な運転をした後包丁もって降りてきた
時点でズドンですよ。先日も地元で親子喧嘩に包丁持ち出した娘さんが駆けつけた
警察官にその場で射殺された、なんて事件がありました。まあ、日本で警察官が
そういう乱暴な対応をしないのは日本が凶悪犯罪が少ない平和な国であることの
裏返しなので幸せなことではあるのですが。あと、拳銃というのは案外当てるのが
難しいそうです。歩行者天国なんて流れ弾も心配ですしね。ただ、拳銃をもっと
早く抜くだけでも効果があったのではないかなあとか思ってます。
「事故」というのは必ず起こりうる。だからそれが起きたときにできるだけ被害を
少なくするための地道な努力は大切だと思いますね。
49
:
かんさい
:2008/06/19(木) 16:55:36
>すみませんが、意味がわかりません。
<今回の>という言葉が多かったです、失礼
殺人行為自体は関係ないということ
>これもよく意味が分かりませんが、よろしければもうすこし詳しくご説明願いたいです。
殺人に至ってしまうのは単純に狂ってるから
行為に社会的、時代的背景は関係ない
手段のみに関係します
>でありますから、そのおかしな精神状況について分析をしたいわけです。
そんなの判るわけないでしょ
もともと精神力が弱い人なんだよ
>しかし、加藤本人がそう言っているわけですから、
我々がそれを「言い訳にならん」と無視してしまうのはいかがなものでしょう。
彼の生い立ちや精神状況を知るうえでのヒントであるわけですから。
知ったところで狂ってるとしかいえないでしょ
親のせいで7人殺すか?
そんな理屈通るわけない
子供でもわかるよ
容疑者を擁護したい気持ちも必要なのか?
私は疑問です
50
:
人間魚雷
:2008/06/20(金) 00:24:29
私はこう思う、俺はこう思う、
わかるわけない、意味が無い、子供でもわかる、
頭がおかしい、狂ってる・・・・・
まさに不毛地帯。
私はこれにて退散いたします。
Kei様と親になりたくない男様のレスに、ほっとしました。
51
:
紫煙狼
:2008/06/20(金) 01:39:10
>>49
容疑者の心理を理解しようと努めることと、容疑者を擁護することは同義ではありません。
よく知りもせず、よく考えもせず、直感だけで批評することを私は恐れます。
容疑者のどこに間違いがあって、容疑者の何が間違っているのか、容疑者はなぜ間違えたのか
それを知るための努力もせずに、そのための労力もかけずに、単に「狂っている」と結論を
出すのは非常に簡単ですが、非常に危険です。
なぜなら「狂っている人間」を罪に問うことはできませんから。
「そんな理屈通るわけない 子供でもわかるよ」仰るとおりです。そんな通らない理屈を捏ねている
加藤容疑者の心理を深く見つめることによって、第二、第三の加藤容疑者を生まないための何かが
掴めるかも知れない。犯罪者の心理を深く見つめることによって、次の犯罪が起きたときに犯人像を
推測し容疑者を絞り込んだりするためのデータが得られる。プロファイリングですよね。悲劇を繰り
返さないために、その可能性を少しでも低減するために、犯罪者の心理を理解しようと努めることは
社会的には無意味ではありません。自分の可愛い子供が凶悪犯に育ってしまわないよう親の立場で
何に気をつけなければいけないのか?私には子供が居ませんが、そういう視点で子育てを考えるのも
大切なことです。
子供は家庭だけで育つわけではありません。国政としての教育方針(学習指導要綱)も子供の人格形
成に大きな影響を持つことはお分かりですよね?社会が悪いことを理由に犯罪を正当化することは
できませんが、犯罪者が生まれにくい社会を目指さないことには進歩がありません。その鍵を実際に
犯罪を犯した者から学び取ろうとする姿勢を持つ事には意味があるんですよ。目的があるんですよ。
次の世代により良い社会を残す義務があるんですよ。我々には。
あなたには、無理で無意味であったとしてもね。
52
:
mayuminh
:2008/06/20(金) 03:33:15
Kenさん、私はあまり、親の育て方と犯罪を簡単に結びつけたくはないのだけど、
あなたが行った、お嬢さんへの数学コーチと、
週刊現代に掲載されていた加藤容疑者の弟さんの告白(立ち読みしただけなので
詳細は再現できないけれど)から垣間見える教育とでは、
「私も結構、教育パパですよ」という例のおつもりで書かれたのかもしれないけれど、
むしろ違いが浮き立っているように感じられます。
あなたは数学ができなくて困っている子どもに、数学を、厳しく教えた。
加藤容疑者の母親は、勉強がよくできるようにという名目で、子どもを支配
しようとしていた印象が強いです。まぁ本人は意識していなかっただろうけど。
話題になっている作文も、親が気に入るまで何度でも捨ててしまう(こう書き
なさいと押し付ける親は、はいて捨てるほどいるだろうけど。それも困りもので
はあるけど、へいへい言っておけば済むこと。このやり方は洗脳くさい)
女子生徒から好意を示すハガキが来ると、冷蔵庫にそれを貼る、なんて形でいま
しめる。などなどの事例が出てきて、勉強を教える親、習い事を強制する親と
いうよりは、相手の内面を壊した上で自分が入り込んでコントロールしようと
しているな、という印象を持ちますね。
家庭において、愛情と支配の区別は難しく、親なら誰もが陥りやすい穴のような
ものなので、母親が悪いからこんな犯罪を、とは言いたくないのですが。
53
:
特殊
:2008/06/20(金) 06:19:05
この容疑者の生い立ち、時代背景を論じても意味はないと思う。そこには我々が学び、参考にする
素材が一切ないからである。
稀に世に出る人の姿をした化け物である。生まれながらにして欠陥品である。
仮に他の人間がコイツと同じ環境に育ったとしても、全員が今回の罪を犯すわけではあるまい。
そりゃ「殺したい衝動」ってのは本気、冗談問わず経験のある人はいるであろう。
しかし通常、大半の人間は理性が働き、モラルや法を、最終的には自分を守る。
この容疑者はそういう自制心や罪、恥の意識が欠けて生まれてしまったバカである。
バカからはなにも学べないってこと。
54
:
かんさい
:2008/06/20(金) 10:48:26
>私はこれにて退散いたします。
退散するくらいなら最初から無視しておけばいいのに
そちらが質問したから答えたんだけど
時間の無駄でしょ、質問しないでよ
犯罪者の気持ちを理解したい、と考える人が本気で言ってるのですか?
私は一応議論くらい出来る、加藤よりはマシかと思います
ここで論破出来ないが犯罪者は理解したい
変ですよ
以前よりあなたの意見は変だなと思ってたので
ここに来ないと言うならちょうど良い機会です
安心して閲覧できます
55
:
かんさい
:2008/06/20(金) 10:51:45
>次の世代により良い社会を残す義務があるんですよ。我々には。
そのような社会的責務を感じ打てるなら、ここでの議論は滑稽でしかない
もっと他の場所で影響力ある発言をしなければ無意味ですよ
プロファイリング・・・などと言うのであれば尚更
捜査機関がここでの議論を参考にすることなど有り得ませんが・・・
本気ではないですよね?
>自分の可愛い子供が凶悪犯に育ってしまわないよう親の立場で
何に気をつけなければいけないのか?
犯罪者になる前、人間としての愛を教えるんです、躾ですよ
人間は犯罪者にならない為だけに生れてきた訳ではない
基本的な躾が出来てない人に限ってあなたのような飛躍的発想になる
出来てないとしても子供が乗り越えられるか?です
乗り越えられなかった加藤に責任が有り、親は関係ない
成人ですから
>子供は家庭だけで育つわけではありません。
それなのに、こんなこと言うのですからおかしいですよ
親としての責任はどうした?国政が犯罪を生むと言いたのかな?
子供を育てるのは親の責任ですよ、国家ではありません
あなたみたいに凶悪犯にならない為の育て方や国家的教育など、
飛躍的なことしか考えられない人は足元すくわれちゃいますよ
健康で優しく育って欲しいという気持ちだけで十分でしょ
子供が出来れば分かりますよ
56
:
かんさい
:2008/06/20(金) 10:52:37
>この容疑者はそういう自制心や罪、恥の意識が欠けて生まれてしまったバカである。
バカからはなにも学べないってこと。
ごもっともです
57
:
かんさい
:2008/06/20(金) 11:14:07
書き忘れましたが・・
わざわざ改行して書かれてるので重要なのかなと
>なぜなら「狂っている人間」を罪に問うことはできませんから。
私は責任能力云々の話をするつもりはないので
説明不足で誤解されたのであれば失礼しました
書き直しますよ
無差別殺人犯は狂っていますよ
正常な人間は無差別殺人を犯しません
理由などないですよ
因みに精神鑑定にて無罪の人間は狂っていません
そういう言い方は差別になるからやめたほうがいいです
病気ですからね、気をつけたほうがいいですよ
私の無差別殺人犯が狂っているという考え
この考えが差別といわれても気にしません
動物も理由なく殺戮は行わないですよ
動物以下なんですよ、加藤は
理由なき殺人なんて、だから狂っている
58
:
紫煙狼
:2008/06/20(金) 11:41:22
>基本的な躾が出来てない人に限ってあなたのような飛躍的発想になる
「紫煙狼は基本的な躾ができていない人間である」と?
立派な躾をお受けになった方の仰ることとは思えませんね。
さすがの私も内心穏やかではいられません。
貴方が私を嘲笑するなら、私は貴方を哀れみます(^^)
59
:
Ken
:2008/06/20(金) 11:49:14
公序良俗に反しない限り、誰でも何でも書き込んでいいと私、思ってますけどね。
しかし、かんさいさん、あなた言葉遣いに気をつけたほうがいいです。私もしばしば
失言してしまいますけど。それこそ、あなたのほうが足元すくわれちゃってます。
>>健康で優しく育って欲しいという気持ちだけで十分でしょ
>>子供が出来れば分かりますよ
なんですか、この物言いは。子供がいることはそんなに特権的なことですか。
世の中には子供がほしくても授からない人がいくらでもいるというのに、そういう
人に対する配慮がまったく感じられないです。
>>そういう言い方は差別になるからやめたほうがいいです
>>病気ですからね、気をつけたほうがいいですよ
オマエモナー
60
:
かんさい
:2008/06/20(金) 12:09:47
>なんですか、この物言いは。子供がいることはそんなに特権的なことですか。
世の中には子供がほしくても授からない人がいくらでもいるというのに、そういう
人に対する配慮がまったく感じられないです。
紫煙狼さんが子供が授からないとは知りませんでした、失礼しました
私も子供はいませんがそのくらいは分るよ
というつもりで書いたんですが・・・
失礼しました
しかし、
>>そういう言い方は差別になるからやめたほうがいいです
>>病気ですからね、気をつけたほうがいいですよ
これは精神病の方が狂っている人、と誤解されている紫煙狼さんの為に言ったのですが?
感謝されても非難される覚えはないな
しかも関係ないあなたから
kenさんこそ失礼ではありませんか?
あなたには何も言ってませんよ
いきなりなんですか?
同一人物なのかい?
>オマエモナー
最悪ですよ
あなたこそ言葉遣いに気をつけるべきですよ
61
:
かんさい
:2008/06/20(金) 12:19:08
>>基本的な躾が出来てない人に限ってあなたのような飛躍的発想になる
「紫煙狼は基本的な躾ができていない人間である」と?
基本的な躾が出来ていてもそあなたのような発想をする人がいる
なら、それでいいじゃないですか
私はそう思わないだけですよ、一般論だと思いますが
あなたがどう躾けられたかなんて興味ないです
良い躾を受けたならそう思っていればいい
他人がどう判断するかは別です
私はきちんと躾られてはいません
なぜなら親いませんから
だから親がいるのに親のせいで殺人?心の闇を調べなければ?
ばかばかしい下らない話なの
わかりましたか?
62
:
Ken
:2008/06/20(金) 12:22:24
気を取り直して、Mayumiさんへの回答です。
週刊誌なんてセンセーショナリズムの塊で、どうせ裏の取れないことしか書いてないので
議論の出発点にはしたくないのですが、「冷蔵庫にはがき」といのは意図がよく
分からんのですが、やりすぎだとは思います。でも、作文を納得するまでやり直させる、
というのはMayumiさんも認めているとおり、当たり前のことなんじゃあ?私、それ
娘に対して普通にしてますよ。どうしても気に食わなかったら最後は自分で書き込んじゃう。
あと、宿題見てたら不真面目な態度に痺れ切らしてプリント破いちゃうとかしょっちゅうですよ。
先生に提出しなきゃならないから子供は泣きながらテープで留めてます。今まで
一度も考えたことなかったですけど、私って過干渉なんですか?いつも「たまには
子供の宿題見てよ!」って奥さんに尻叩かれて仕方なくやってるんですけど。
子供に接するときに権威・威厳が必要なときもあるし、子供の将来や安全のために
子供の行動に一定の枠をはめるのも必要なことですよね。ただ、干渉が過ぎると
子供は自信をなくして自立できなくなってしまう。Mayumiさんも書かれているとおり、
愛情と支配の按配・バランスというのは難しいです。私のやり方にも問題はあると
思いますよ。宿題破いちゃうなんて大人気ないしやりすぎですよね。加藤母にも
やりすぎの部分はあると思います。
教育のつもりで親が子に自分のエゴを押し付けている場合もありますよね。自分の
夢を子供に託す、みたいな。加藤母にはそういうのもあったかもしれませんが、
これはよくない。子供も一人の個人であって親の所有物じゃないですからね。
本人の意思は尊重しなければならない。でも、こういう親もごまんといますよね。
スポーツとか楽器とかやらせて、もうめちゃくちゃなしごき方してる人、いくらでも
いるでしょ。
もちろん、こういうのは悪い子育てのやり方ですよ。子供がぐれちゃったり成長したら
絶縁されたりするかもしれない。でも、どうやっても無差別大量殺人鬼の作り方だとは
思えないのです。こういうのはこの事件とは無関係に、昔からそういう育て方は
しちゃだめ、と言われていることなんじゃあ。そうではなくて、加藤母はそんな
半端なのじゃなくて、なにやら意識的無意識的に邪な企みでやっていて、加藤容疑者の
人格を崩壊させていたとしても、事件があるまでなぜ学校や会社でたいした問題行動を
起こしていないことが私には理解できません。もう親元を離れてずいぶん経っていて
事件が起こるまで、交友したり会社に勤めたり普通に社会生活を送っていたようにしか
見えないのですが。弟さんにもなにやら犯罪傾向があるのですか?
63
:
Ken
:2008/06/20(金) 12:34:16
紫煙狼さんの個人的な事情は私のあずかり知らないところです。私は掲示板の
書き込みは様々な立場の人が読むということを想定した上で、誰が読んでも不快な
気分にならないように書き込むべきだという一般論を指摘したまでです。かんさいさんが
いうところの、精神的な病の人が読んでも不快な気分をしなくて済むように言葉遣いに
気を付けろ、というのと同じだと思います。
かんさいさん、あなたはそうやって差別的な言葉遣いを戒めたそばから、子供が
いない人にとって差別的な物言いをしたから、私はそのことを皮肉ってるんですよ。
こんなこと説明したら私の投稿が面白くもなんともなくなっちゃうじゃないですか。
ちなみになりすましはBoroネ申が常に見張っているので心配しなくていいです。
64
:
紫煙狼
:2008/06/20(金) 12:40:57
>精神病の方が狂っている人、と誤解されている紫煙狼さん
精神病でここ数年ほど通院している私に面白いことを仰いますね(^^)
刑39ならびに刑39の2では決して精神病患者に限定した表記はありませんよ?
私は「精神病患者」を「狂っている」と表現することに強い抵抗を感じますが、
「心神喪失状態」の人を「狂っている」と表現することに抵抗はありませんので、
それが差別だとすれば、その謗りは甘んじて受け入れましょう。
あと…確かに我が家は子供を授かることができない事情があるのですが、
(家内が癌で闘病中ですから。)KENさんは別に紫煙狼家の内情を知って
このように書き込んだのではなく一般的に見て子供を授かることができない事で
悲しい思いをしている方々がどのように感じるか、を説いているわけです。
>私も子供はいませんがそのくらいは分るよ
>というつもりで書いたんですが・・・
と、文章の意図が分かるように釈明していただければ、悲しい思いをする人も少ない
のではないでしょうか?若干、配慮が欠けていたかもしれませんね(^^)
全体を通して、どうも色々とあなたは混同していらっしゃるようです。
私の文章が稚拙で支離滅裂だから、そのような誤解を与えてしまったのでしょう。
私も「わかりやすく、文意が伝わりやすい文章」を心がけますので、
冷静に気長にお付き合い願えれば幸いです。
65
:
ケットシー
:2008/06/20(金) 12:43:02
横から失礼いたします。
かんさいさんの仰るように躾や教育で愛を教える、それは非常に重要な事だと
思います。子供を育てる上でそれは核であるとも思います。
ただ、それは全ての親が完璧に行える事でしょうか?
凶悪犯を出してしまった親の中にも自分は完璧に躾けたはずだと考えた親はい
なかったのでしょうか?自分はいると思いますよ。
人を傷つけてはいけない。自分の嫌な事を人にしてはいけない。
基本的で誰もがまず教える事ですよね。でもそれでも起きる時は起こるんでしょう。
そういった親は躾けに失敗しただけだ。そう思うかもしれません。
その通りなのかもしれません。しかしながらそうやって切捨ててしまうのは
自分には非常に怖い事に思えるのです。
自分の正しいと思った通りの躾け教育をしても起こってしまうのなら何を信
じていけばいいのか。そういった時に社会的な面や色々多角的な視点で見て
みるのも決して無駄ではないのではないかと思うのです。
もちろんそれらに偏って頭でっかちになってしまうのも問題だと思いますが
要するに重要なのはそれらのバランスなのではないかと思います。
自分は紫煙狼さんのように次世代の為に等とは言えません。大勢の人のためとも言えません。
ただ、そうやって考えたことを自身の周りの一握りの人々には還元できるので
はないかと思っております。少なくとも足元を固めるということはこういうことだと
自分は考えております。
駄文失礼いたしました。m(__)m
66
:
mayuminh
:2008/06/22(日) 09:00:23
>>62
kenさん、こういう返信は私信めいてしまって、ちょと躊躇われるのですが…
私の周辺…親どうし・もしくは仕事の関係で教育関係の人と話す時…子どもの問題
行動と親の接し方はよく話題になります。
何度も書くように、家庭において、愛情と支配は区別がはかりがたく、こうすべき
という明快な答えなど簡単には得られないし、簡単に答えを得ようとすることは、
むしろ危険だと思っています。
厳しい親、過干渉の親は世の中にいくらもいる。それでもたいていの場合、子どもは
無事に育っていく。それならば私たち親には、注意できる点はまるでないのか…
もうこれは、はっきり言って、私の個人的な自戒のポイントなんですが…
カルトの洗脳手法に似てしまう手法は、避けたいということです。
たとえば作文などにおいて、親の価値観や、優等生的な文章を押し付ける、という
ことは世間にごまんとあることなんです。
だが、何度でも破り捨て、こちらの意向をさぐらせて答えに到達させるという
手法は、やはり若干、危険ではないか。
子どもの性的な成長を過度に抑圧する、悪趣味なルールを持ち込んで管理する。
情報や交友関係を極度に制限する中で指導をする。
まぁ他にもいろいろあるんですが。
躾けの厳しい親、過干渉の親というのは、問われれば誰もが愛している、と答える
ものなんですよ、愛ほど始末に終えないものはない。
しかし自戒しておかなければいけないのは、閉ざされた空間の中で、安直に従わせよう
とすると、手法が洗脳と似てしまう。
危惧しておかなければいけないのは、支配がとけかかった時、または時間や空間
を置いて支配から逃れた時こそ、迷走や爆発が起こりがちなのではないか、
ということです。
69
:
loveless
:2008/06/23(月) 00:34:59
話題が教育論にシフトしつつありますが、、、、
確かに教育に失敗している印象はあります。
事件の重大性を認識しつつ、いまだに被害者への配慮はまったくなく、その一方で、
涙を流して自分の生い立ちを話して、自分の不幸を訴えているようですから。。。
しかし、この犯人の生い立ちって、そんなにも不幸なものなんでしたっけ?
(人7人を殺害しておいて、なお涙なくして語れない?)
あと、政治家やマスコミが、本件を格差社会に絡めて問題視するのは注意が必要と思います。
彼らは、本件を利用して自己の(政治的な)主張を強化したいだけです(または、単に分析が足らないか。。)
#個人的には、そのような政治家は次の選挙では落としたい。。
まだ犯人が完全に自己の心情を吐露していない以上、現時点では誰も真の理由を知ることはできません。
この時点で、本件の動機をあれこれ言うのは、あくまで想像の範囲と思います。
(ひょっとしたら永久に解明できないかもしれない)
もし、このような事件を防ぐとしたら、対症療法しかありません。
今回の場合は、「車」と「ダガーナイフ」が凶行の直接の道具となったわけですが、車を規制するのは
経団連が健在なうちは無理なので、せめてナイフだけでも規制すべきです。
#ダガーナイフのような両刃のナイフは日本では不要でしょう(許可するとしても刃渡り5cm以下とか)。
あとは、歩行者天国の出口(車道と接する箇所)には、マイクロバスのような障害物を置いて
車の進入を物理的に防ぐのがよいと思います。
70
:
紫煙狼
:2008/06/23(月) 01:52:55
別にタガーナイフを規制することに反対する理由はないのですが…。
加藤容疑者は「タガーナイフが無かったら犯行に及ばなかった」のでしょうか?
もちろん、時代劇に出てくる辻斬りの殿様みたいに、殺傷武器を手に入れたから、
使ってみたくなって止められない、という心理が底に潜んでいた可能性も十分に
考えられるし、実用面として考えて両刃でなければならないなんて私には一部の
大工道具しか思いつかないですからね。規制という発想が出てくるのは至極当然
だとは私も思うのです。
ただ、タガーナイフの美術的価値を愛でている善良なコレクターに対して、
今回の事件がタガーナイフを規制する必要十分条件に該当するとは思えません。
タガーナイフなんてのは拳銃より日本刀より安価に容易に製作できますから、
規制したところで、チンピラの新しい財源になるくらいしか思いつきません。
善良なコレクターに我慢を強いて、善良ではない犯罪者にはまったく用を成さず、
挙句、ブラックマーケットに新しいネタを提供するのは、先日の円より子議員の
「美少女ゲーム規制の請願」と同じで、目的に対する方法論として疑問です。
今回の犯行が出刃包丁による犯行だったとしたら、包丁の規制を行うのですか?
71
:
Ken
:2008/06/23(月) 13:53:21
事件が起こる前から刃渡り15cm以上のナイフは規制されていたそうです。規制される
ことに意味がないんだったら初めからこんな規制もないですよね。
ガン・マニアっていますよね。この人たち銃を収集したり鑑賞したり、なかには
撃ってみるのが好きな人もいると思いますけど、人殺しにはなんにも興味ないでしょう。
だから、この人たちに実銃を開放したところで全然オーケーだと思いますけど、
そうはなってないですよね?拳銃なんかは純粋に人を傷つけたり殺したりするための
だけの道具で、悪用されると被害が大きくなりますからね。
包丁は料理するための道具ですけど、ダガー・ナイフは拳銃と一緒で、人殺し専用の
道具なんですよ。まあ、だから規制されるのは当たり前ではないかと。包丁と
違って規制されても実用性から来る不便というのはないですからね。
ちなみに刃物業界の中ではすでに生産・輸入の禁止と自主規制しているところが出てます。
ダガーナイフの生産中止へ 岐阜・関の刃物団体 (共同通信)
http://news.www.infoseek.co.jp/search/story/12kyodo2008061201000681/%25A5%25C0%25A5%25AC%25A1%25BC/
それで、こっちはナイフ・マニアの方のブログですけど、冷静に規制もやむなしと
受け止められている様子が窺えます。
http://d.hatena.ne.jp/machida77/20080609
http://d.hatena.ne.jp/machida77/20080610
72
:
mayuminh
:2008/06/23(月) 20:20:05
ダガーナイフがなかったら反抗に及ばなかった、ということはないと思います
が、被害が若干でも少なかったかもしれない…どうでしょうか。
コレクターにとってはどうなんでしょう。安易に手に入らないというのは、
コレクターにとっては、それはそれで喜びが増えるかも(マニアの人、違って
いたらごめんなさい。学生時代の知人にガンマニアがいたのですが、薀蓄を楽
しむ傾向が強いように感じたので…なかなか手に入らないというストーリーを
楽しむことになるのでは、と思ったのです)。
あと、知人の女性がまだ20代の頃、自宅アパートで仕事中に、ガス点検を装っ
た男性を室内に入れたとたん、包丁を出され、脅されたという事件がありました。
彼女はその、包丁を握った犯人の手を、はっしと掴んでぐいぐい押し返し…犯
人は「人殺しぃ!」と叫んで後ずさり。逮捕にいたったのですが。
仲間内では「強盗に人殺し呼ばわりされた女」と武勇伝を賞賛されていますが、
「あまり立派な包丁ではなかった。このレベルの凶器ならたいした犯罪者では
ない」との判断もあったようです。ダガーナイフだったら、どうだったん
だろう。かなり怯えてしまったかもしれません。
まぁこれは余談ですが。
73
:
Ken
:2008/06/24(火) 00:41:29
>>ダガーナイフだったら、どうだったんだろう。かなり怯えてしまったかもしれません。
少なくとも事件が起きてしまった今現在、ダガーナイフで脅されれば誰しもパニックに
陥ることでしょう。上掲のナイフ・マニアの方も認められていますが、いったん
大衆に植え付けられてしまった恐怖感を取り除くのは容易ではないと思われます。
74
:
紫煙狼
:2008/06/24(火) 01:01:14
>事件が起こる以前から刃渡り15センチ以上のナイフは規制されている。
>規制されることに意味が無いなら、はじめからこんな規制は存在しない。
お!KENさん久々に面白いこと言い出しましたね(笑)
正直な話、KENさんが本気で仰っているとは思えない。得意の皮肉ですか?
「規制したほうが良いという人たち」+「規制することに反対しない人たち」
の総数が「規制をしてはいけないという人たち」より多ければ
「規制に意味が無くても実施される」ものではありませんか?
そしてその規制は強化されることはあっても緩和されることの無い規制ですよね。
拳銃による犯罪が増えれば規制を強くする要因になりこそすれ
拳銃による犯罪が減少しても規制によって減少したものとして扱われる。
どんな事情がそこに介在しようとも、規制を緩和する理由にはなりえない。
ここには「拳銃を犯罪の武器にすることを考えた人の増減」は全く計上されない。
拳銃犯罪が増えても減っても規制は正当化されるのですよね?
私が特にタガーナイフの規制に懐疑的なのは、
拳銃と違って、マニアは自作するような程度のものだって事なんですよ。
多少の手先の器用さと根気があれば、誰にだって自作できるようなものでしかないし、
中で火薬を爆発させる拳銃と違って暴発して自分が怪我をする可能性も無い。
人殺し専用の道具だから規制するのは構わないけれど、規制したってタガーナイフで
人を殺したい人は自作するなり闇ルートで入手するなりしますよ。
高度の技術が無ければ製作が難しい改造拳銃でさえなくならないんだから、
たかがナイフ(されどナイフ)を規制したって、絶対に入手しますね。
だって、私自身、拳銃を入手したり自作するのは難しいと思いますが、
タガーナイフくらいなら自作する自信ありますもん(笑)
(実際、登山用ナイフは自作しましたよ。使う機会は殆ど無いけど。)
タガーナイフを規制するなら、タガーナイフの所有者を調査した結果として、
タガーナイフを持たない人より犯罪者の出現率が高いことを明示してほしいですね。
でなければ、ただの弾圧ですよ。(まぁ、私は別に構わないけれど…)
75
:
Ken
:2008/06/24(火) 03:00:43
いや、皮肉とかそういうことじゃなくて、事件がある前から刃物が規制されていた
ということには、なんらかの予見性とか合理性があったからではないか、という
ような一般論が言いたかっただけです。ナイフは家での所持は認められるが、
外で持ち歩くことが基本的に禁止されてますよね。事件の前から。こういうのは
合理的な規制ではないですか。
私が紹介したブログの意見は私にとってうなづけるものだったので、そのまま
コピペしときます。
−−−
報道からもこの事件がナイフの規制につながる可能性は高いだろう(どういう方向性かが問題だ)。アメリカなどでもそうなのだが、刃物は刃物そのものの危険性で規制されるのではない。日用品ではなく、武器としてデザインされたものが犯罪者に使われるから規制されるのだ。ニューヨークやカリフォルニアではヌンチャクが規制されているが*1、これもヌンチャクの殺傷力云々よりもヌンチャクでバカやらかすのがいたせいである。飛び出しナイフ(スイッチナイフ、オートナイフ)やバタフライナイフが各国で規制されているのも、バカガキやチンピラがこの手の刃物を好むのが原因だとされている。
要するに「犯罪者に好まれる日用品ではない刃物」だから駄目なのである。ここで問題なのは「犯罪者に好まれる」という部分が印象によって決定されるということだ。あるいは実際に犯罪に多く使われているのかもしれないが、統計的なデータよりも悪い印象が社会に広まることが規制につながる。
こうした状況でナイフ愛好者が「刃物は人を殺さない。人が人を殺すのだ」と主張しても社会に対して説得力はない。この言葉は身内(ナイフ愛好者)同士でしか通用しない。身内が少ない以上、意味のある言説だとは思えない。第一、人を規制するよりも刃物を規制するほうが主張としても社会制度としても容易なのである。携帯電話を子どもに持たせるな、というのと同様に。しかもナイフの場合(特に日用品から離れたものほど)、一般人にとって必要性が低く、容易に排斥論を生む。この手の犯罪が起きるとナイフ愛好者には「庖丁のほうが犯罪に使われる」と主張することがあるが、これもあまり意味はない。庖丁ほどナイフは世間に必要とされていないからだ。
ではナイフ愛好者はどうすれば良いのか?これは難しい問題だ。特にカスタムナイフや高品質のファクトリーナイフを愛好している人間からすると、犯罪に使われているナイフと自分たちが好むナイフはまるで別物なのだが、法律ではその辺の差異は問題にならない。犯罪者がよく使うナイフの世界とは別のナイフの世界があることが社会に認知されれば良いのだが…いずれにしても少数派なので規制に対抗するまでに至るのは厳しいだろう。
76
:
Ken
:2008/06/24(火) 03:04:21
これに引き続くエントリではナイフ規制派とナイフ愛好家の両者が納得できるような
折衷案を提案されています。おとしどころはそんなところじゃないですかね。
−−−
もしダガーナイフを規制から守りたければ、ダガーに対する恐怖心を除かなければならないが、それは容易ではない。この場合、ナイフ愛好家が規制そのものを攻撃してもあまり理解は得られない。日用品ではない刃物なんて趣味の世界の話で、人は他人の理解しがたい趣味には冷淡なものだ。規制そのものを攻撃するより、「危険人物には手に入らず、愛好家は苦労すれば合法的に手に入る」くらいの規制を提案するなら世間も納得できるかもしれない。例えばダガーの販売と購入を許可制にして許認可に金と時間がかかるようにすれば(アメリカの軍用銃の民間販売規制のように)、今回のような犯罪に使われることはまずなくなる。しかし国や刃物業界はそこまで考えてくれるかどうか…。
77
:
mayuminh
:2008/06/24(火) 21:00:20
↑国や刃物業界は、考えてくれないかな?
日用品ではない刃物なんて趣味の世界の話…でも、美的な側面や文化的な側面
で、比較的認知度の高いものだと思うのですが。ごく普通の、女性同士の会話
でも、意外に刃物の魅力を語る人は多く、これは両者納得の道がわりと見つか
りやすい分野と思っているのですが、甘いかな。
(なんでも規制すればいいってもんじゃない、それはわかるのですが)
78
:
無精髭
:2008/06/26(木) 20:59:07
凄く間の抜けた事であると覚悟した上で申し上げますが、
ナイフの美術的価値は、刃がついていない(切れない)と損なわれるのでしょうか?
日本刀の様に、試し切りみたいな事は必要が無いようにも思われるのですが。。。
79
:
Ken
:2008/06/26(木) 23:41:18
私も同じこと考えていました。日本だと実銃を所持するのは非常に難しいので
ガン・マニアの方はモデルガンで満足しているわけでしょ。
このナイフ・マニアの方もセレーションがついていたら刃渡りが長くても規制を
受けない、と書いておられるので、ナイフにも同じような考え方があるのでしょう。
でもやっぱり、マニアの方は刃のもつ美しさに魅入られているのでは?私には
ナイフの趣味がないので想像ですが。
80
:
紫煙狼
:2008/06/27(金) 00:20:34
一概に単純比較はできませんけど、いわゆるスポーツカーマニアに
「日本の公道で走るのに、どうしてそんなにスピードが必要なの?」と。
裕福なスポーツかーマニアが所有するフェラーリなんて、時速200キロ近く
出そうと思えば出るんでしょう?日本中のどこを探しても、サーキット以外に
そんなスピードを出してよいところなんてありませんよ(笑)
ある車好きは排気量の大きなエンジンの、腹に響くようなエンジン音が
たまらないらしくって、そんなにエンジン音が好きなら録音して流せば
いいじゃないの?
ちょっと本題に近くて、居合抜きを長年やっている人。
彼の腕前は、私はよくしらないけれど、結構なものらしい。
そして、当然のように彼は日本刀に詳しくて、本身の鑑定眼にはかなり
自身があるとのこと。その彼と骨董巡りをした際に、彼は安価な
「なまくら」を購入。なんでも最後に出した砥ぎ師の腕が悪いとか。
そのなまくらを、彼の信頼する砥ぎ師に出したところ、いきなり
評価額が5倍に跳ね上がったとか。そこに至って思ったわけです。
なるほど、砥ぐ技術が生み出す芸術的価値もあるよね、と。
実際、後で見せてもらったら、天と地ほども違うのね。本物って。
モノがモノだけに、危険性を考えて刃をつけないという販売も
やむを得ないと思うけれど、純粋に美術的価値を求める人ほど、
切れ味(というより、砥ぎの美しさ?)を求めるのでは?
そういう意味では「刃をつけない」刃物は美術的価値は半減以下でしょうね。
それから、どんなに「なまくら」な模造品でも、材質が金属であれば、
家庭用の砥石で簡単に2〜3人は十分に殺傷できる程度の刃をつける
ことは可能だと思いますよ?(よほど柔らかい金属でつくる?)
まぁ、規制するならするで、販売所持は免許制、そして製造は認可制に
しなければ駄目でしょうね。(何度も言っていますが芸術的価値ではなく
殺傷能力を求めるなら、素人にも制作できます)なので、本当は刃物すべての
製造を認可制免許制届け出制にするべきでは?
ただ、まぁ、そこまでやっても、殺人の意図を持って自作する人には
何の意味も持ちえませんが。やらないよりはマシかな。
81
:
紫煙狼
:2008/06/27(金) 12:11:45
色々考えてみたのですが、規制するのは自然な流れとして…。
規制されているという事実で安心するのは危険ですよね。
いつぞやの強盗事件(かなり以前)で、銃を持った強盗が入ってきたが、
銃なんてのは規制されていて簡単に入手できるわけないんだから、これは
オモチャに違いない!ということで勇気を振り絞って強盗に歯向かい、
見事、強盗を捕まえた…その後日談として「強盗に使用された銃は本物だった」
という事件があったでしょう?この被害者は「とてつもなく強運の持ち主」です。
その頃に比較すると、今は一般人でも簡単に銃を入手できますから、
よほどのことがない限り「本物かもしれない」を前提に行動しますよね?
「だろう運転は厳禁!」の世界ですね。
規制されているから安全なのではなく、規制されるものがあるくらい危険という
認識で毎日を過ごすべきですね。
ただ、そういう認識すら必要ない世の中が実現することを切に願いますが。。。
82
:
無精髭
:2008/06/27(金) 12:51:29
>>80
>ある車好きは排気量の大きなエンジンの、腹に響くようなエンジン音が
>たまらないらしくって、そんなにエンジン音が好きなら録音して流せば
>いいじゃないの?
若しやと思い、「車 エンジン音」で検索してみましたら、それはもう、
出てくるわ出てくるわ(笑)
「フェラーリ エンジン音」で検索しても、出ましたw
世の中には奇特な方もいらっしゃるのですね。
83
:
無精髭
:2008/06/27(金) 18:24:22
↑カー・マニアの方々を愚弄した心算はございませんので、悪しからず。
ただ、マニアの方々からしてみれば、
エンジン音を録音して聞く事に満足できない、と言うよりは、
四六時中聞いていても飽きない位惚れ込んでいるからこそ録音なさるのだと、
小生は思いました。
84
:
紫煙狼
:2008/07/03(木) 08:18:07
かんさいサンのレスの最後の一言は「わかりましたか?」でしたね。
相手に理解してもらうための努力を最低限もせずに
「わかりましたか?」も何もないじゃない(笑)
自分では「議論できる」とか言っておいて、議論の基礎がなってない。
人間魚雷さんへの暴言の数々も、内心穏やかではいられない。
人の意見を耳にし、学び、切磋琢磨するという姿勢が見られない。
今更ながら、無駄な時間でしたね。
もう少し骨のある人物かと思っていただけに残念です。
85
:
無精髭
:2008/07/03(木) 22:18:31
かんさい氏を吊るし上げる心算はないのですけれど、
変わった主張をなされるなぁ、と思った事は事実です。
特に、
>>41
<殺人の仕方>には社会的、時代的背景は影響してますけどね
>>49
殺人に至ってしまうのは単純に狂ってるから
行為に社会的、時代的背景は関係ない
手段のみに関係します
この辺りは、面白いと思いましたよ。妙な掛け値なしで感服致しました。
そう主張される理由、その根拠をもっと詳しく話して下されば、尚、良かったのですがね。
>>57
無差別殺人犯は狂っていますよ
正常な人間は無差別殺人を犯しません
理由などないですよ
因みに精神鑑定にて無罪の人間は狂っていません
そういう言い方は差別になるからやめたほうがいいです
病気ですからね、気をつけたほうがいいですよ
私の無差別殺人犯が狂っているという考え
この考えが差別といわれても気にしません
動物も理由なく殺戮は行わないですよ
動物以下なんですよ、加藤は
理由なき殺人なんて、だから狂っている
以上も、初見の際にはびっくり致しましたが。
「狂っている」事の定義を聞いて見たかったですね。
かんさい氏の主張は
>>44
でKen氏が仰っている事に集約されるのでしょうが、
それだけでもないような気も致します。
これで議論が終わってしまうのは惜しいなぁ、と思いました。
86
:
無精髭
:2008/07/04(金) 00:01:07
・・・でも・・・
誰にでもそうだと思いますが、議論は難しいものですよ。
それをみんなで築き上げる建築物に擬えるならば、議論に参加する各々が
己に適した役割を演じ・務め切らなければ、まともなものは出来ないでしょう。
かと申して、事前に作られた設計図に則って作業を始めるなら、何が出来上がるかは
それ以前に知られている事になりますから、その分物を作る面白味は半減するでしょう※。
完成型をおおよそ把握した上で施工する事と、結論を予め措定した上で議論する事を
同等と見做して考えますと、建築と同様に議論にも協調性が必要ですが、それだけに
重点を置き、あたかも議論の目的はこれに参加する全ての論者の共通理解・意見の一致(統合)
であり、それこそ第一義であると考えるのは、聊か個人の意見・主観に対して狭量ではないかな、
とも思われます。別に、共通理解を深める事や、自他の意見間の溝を埋める事を軽視している
訳ではありません。議論には、皆で手と手を取り合い・汗を流し合いしながら、協力して
建築物を築き上げる方法の他に、ただ自分にとってのみ糧となり喜びとなる様な方法も
あって然るべきだし、集団的目的と個人的目的を混同しないように気を付けてさえいれば、
その方法で議論を完遂しようとする意思は、何ら議論の支障にはならないと信じる、
こういった事を申し上げたい訳です。
最初に結論ありきの議論にははっきり申して意義を感じられません。
(死刑存廃問題に食指が動かない理由の一つはこれです。もう一つ、本質的問題としては)
あっ、でもこれは皆様にはどうでも宜しい事だった。失礼。
※勿論、設計図と実際上の建築方法は違いますけれどもね。つまり、事前に完成型(結論)や
その工法過程(議論の道筋・段取り)を知っていても、実際に出来上がった完成型を見る事や
施工する事(労働)の実体験までも把握する事は不可能ですから。この場合、感覚だけは現実に
即しているのです。
87
:
無精髭
:2008/07/04(金) 00:03:35
>もう一つ、本質的問題としては)
書き損じです。でも今回の場合は訂正せずとも、
まぁ好いか、という感じです(笑)
88
:
か
:2008/07/11(金) 22:48:42
結局顔 これ以上のキーがある。出してみろ
89
:
通りすがり
:2008/07/23(水) 21:42:32
論争の流れはあえて見ないで
今度は八王子で起きましたね・・
池袋の時は1ヶ月経たないうちに下関で起きましたが
今回も秋葉原から、そんな日も経たないうちに発生しました。
これも連鎖なんでしょうかね・・
結局、理由も秋葉原、池袋、下関のときと似たようなものみたいですし・・
9年前と大して時代背景変わってないみたいですね
ほんと、いつ巻き込まれてもおかしくない世の中ですよ・・
90
:
Ken
:2008/07/30(水) 07:16:47
宮台氏の論考を読んで一つだけ腑に落ちたのは何ゆえに犯人が秋葉原をターゲットに
したのか、ということだけであって、このことに関して殺人の手段・方法にのみ
社会的、時代的背景が影響しているというかんさいさんの見立てに私は賛同しているわけです。
宮台氏(や東氏)の主張の中で不満があるのは、たとえば犯人はロスト・ジェネレーションだと
言ってみたり、事件は過当な受験教育や格差社会の弊害だと言ってみたりする
わけですが、25歳というのはぎりぎりロスト・ジェネレーションにかかっているか
どうかという年齢であって、受験教育がどうとかいうのもずいぶん昔から言われている
ことで、むしろ昨今は少子化のおかげで競争は弱まっている。加藤容疑者も第二次
ベビーブーマーから少し遅れているわけで受験競争はまだましだったはず。格差社会と
いうのもよくわからん。よい学校に入ってよい会社に正規雇用されるというのは
昔から言われている成功した人生の典型例・価値観なわけであって、学歴社会・
学校歴社会の弊害もずいぶん前から存在しているわけで、何をいまさら、と思うわけです。
それで、宮台氏とは逆に保守的な学者の論考も新聞で読んだのですが、伝統的な
家族の姿に回帰せよ、とかそういう感じで、それもなんだかなあ、と思いました。
全体的に言えるのは、こういう識者の声というのは自分がもともと持っていた
問題意識に秋葉原の事件を当てはめているだけであって、自分の個人的なアジェンダの
ために加藤容疑者を利用しているだけじゃないか、そんなんで加藤母を批判するなと
懐疑をもちました。
もう一つ加藤母批判で納得できないのは、結局「いい学校」という価値観、宮台氏は
そんなものもはや存在しない、幻想だと言い切るわけですが、そういう事件は
ナンセンスな社会的価値観のせいで起きたという立場に立脚すると、「いい学校」という
価値観自体が別に加藤母の発明ではなくて、彼女もそういう社会風潮の影響下にあった、
ということも認めるべきであって、つまり加藤本人だけでなく加藤母も社会の
ナンセンスな価値観の被害者であると主張しなければつじつまが合わないと思うわけです。
何ゆえに加藤母(やその他の大人)ばかりが悪者扱いされるのかなあと。加藤容疑者の
罪が薄められるのと同じ理由で、加藤母の罪も薄められるべきではないのか、
と思うわけです。
91
:
Ken
:2008/07/30(水) 07:24:18
刃物の規制というのも昔っからあることです。一説によると、無限回廊でも取り上げられている
浅沼社会党委員長暗殺事件がそのさきがけとなったそうです。子供に刃物を持たせるな、
という。それ以来、飛び出しナイフとか最近だとバタフライナイフとか規制されてきた
わけで、ダガーナイフも同じ運命をたどるだけですね。
92
:
Ken
:2008/07/30(水) 07:26:08
こっちの論考はちょっとおもしろかった
暗黙共同体へ−秋葉原事件で考える
公開日時: 2008/06/20 16:44
著者: 佐々木俊尚
http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2008/06/20/entry_27002871/
93
:
おやじ急死
:2008/07/30(水) 23:52:14
加藤君は刑は免れないにしても更生の余地があるようにおもえる・・・・・・。
だれかとの良い出会いがあればそこまでしなくてもよかったんだと感じてくれそう。
犯人探し(どうしてそんなことしたの?)は難しいにしても・・・・・・。
社会が日々ますます薄っぺらくて、生きにくいのに困っているのは君だけじゃない。
置かれた環境の下で不公平感はだれしもある。だから欲も絶望もでてくる。
なぜそのへんの人は自分の人生で被った負の部分を後輩にうまく伝えようと献身できないのだろう。
例えば給料下がるからかな。ずるいんだね多分。
すべてのとある経験を蓄積し共有することはできないとしても
その努力が最近あんまりなしね。余裕ある懐のでかいやついねえな。
ちっちゃいやつばっかし。
94
:
無精髭
:2008/07/31(木) 01:10:26
>>92
読みました。amazonでは自殺志願者が入用とする商品の購入履歴という
痕跡によって、図らずも「中間共同体」或いは、「情報共有圏」が暗黙の内に
生成されてしまうという件には、不謹慎ですが、思わず噴き出してしまいました。
然しながら、佐々木氏の言う「第4のセグメント」に分類される人々が
上のようなある種偶発性に頼ったものによって救われるとは、
到底思えないのですが。
ところで、これはどうですか?
http://critic5.exblog.jp/8775803/
有名かどうかは分かりませんが、アクセス数が多いブログなので、もうご存知かと思いますが。
上に挙げたものの他にも、
http://critic5.exblog.jp/i3
秋葉原通り魔事件関連のコメントはありますが、はっきり申してKenさんには
あまり勧められないですね。私も特に面白いとは思わないし。
あと、スレ違いになりますが、ここのブログには山口県光市母子殺害事件に
関する記事もございます。特に、本村氏の死刑論についての記事が下記。
http://critic2.exblog.jp/3251270/
神格化し過ぎな観が致しますが、まぁそれを差し引けば、本村氏についての
正確な理解と言えるでしょう。それでも断然、紫煙狼氏の解釈の方が私好み
ですけどね。
http://critic5.exblog.jp/8840574/
#8840574_1
こんな死刑論を展開する位の人ですから、「死刑は野蛮」と言ってみたところで
「だからこそ必要なんだ」と言い返されるのがオチなのかも。
しかし、私の考えでは、「野蛮」という同じ理由で、死刑に反対する者と賛成する
者との間には、おそらく「死」に対する認識上の食い違いがありますね。
どちらの立場がより理性的であるのか、ということには余り意味がないと思いますが、
「野蛮」とか「残酷」とかいったことが他者の肉体において顕現するのを真っ直ぐに
見つめているのはどちらの立場か、と問うのだとすれば。。。
95
:
Ken
:2008/07/31(木) 02:41:11
この4類型というのがどれほど妥当性があるのか興味があったんですけどね。佐々木氏や
上のおやじ急死さんに共通しているのは加害者(や自殺者)に対する暖かな視線だと
思うのですが、ちょっとしたことで孤独感が癒されて事件や自殺が防げたのではないか、
と考えるのは人の人情じゃないですかね。そういう優しさは悪くないと思いますよ。
本村氏に関するエントリは読んだ覚えがあるので、この掲示板でも以前紹介されたのと
違いますかね。派遣社員って本当に結婚も許されない、DNAを残すことが許されない
くらい悲惨なもんなんですかね。この人の男女の出会い観、結婚観は古臭いというか
ナンセンスな気がするのですが。
死刑論に関してはこの人、死刑囚の尊厳は尊重するべき、と主張してますよね。
結局それを突き詰めると死刑反対の立場をとらざるを得なくなるのと違いますかね。
96
:
無精髭
:2008/07/31(木) 21:20:58
>>95
前の投稿で「思わず噴き出した」と書いてしまいましたけど、佐々木氏の論考を
小馬鹿にしたつもりはこれっぽっちもございません。もちろん興味深い内容でしたよ。
ささやかなエピソードも実に好ましいものでしたし。情報提供、有難うございます。
佐々木氏の挙げられた4つの類型ですが、第3番目まではさもありなんと頷けるのです。
Kenさんの仰る「妥当性」も充分に有効ではないかと。でも、最後の4番目ばかりは、
既に第3番目の類型に否定的に含まれている(現実に応用する前に、理論として説かれた
段階で、もう妥当しちゃってる)という点で、「う?ん」と首を傾げざるを得ないですね。
つまり、第4のセグメントは第3のそれに依拠した否定的意味しか持ち得ないのと思われる
のですから、第1から第3までの分類に漏れてしまった者は、もはや救いようがない存在
なのではあるまいか、と思われるのです。それだけでなく、佐々木氏が、社会人としての
生き方を分類していること自体、世の中の価値序列を、これまた暗黙の内に肯定していなければ
出来ないことなのではないか、とも思えてしまうのです。第1の類型が社会において最も
上位にあるのは明らかですし、その次に第1類型を尻目に別の価値を生み出す生き方を
選択した第2類型が続き、そこにおける底辺の人間が社会で生き残る最後の手段として
第3類型を創造する訳でしょう。何だか、見方によれば、完全にピラミッド型権力社会とも
言えますよね。そんな社会で第4の類型の認識があると持ち上げたところで、最底辺を認識
したに過ぎないのですから、全ての人間を救わにゃならねぇと息巻くのは単なる建前で、
実際のところは現実的に無力じゃないかと。
それと、佐々木氏は第1類型として「都会に出て成功する上流層」を挙げた後、すぐに異種の
第2類型に飛躍しているようにも見え、第1類型には「都会に出て失敗する下流層」やら
「(略)そこそこの暮らしをしている中間層」やらも含まれるべきであるのは言わずもがなです。
同じことは第2類型にも言えますけど。そして、第1類型の底辺と、第2類型の底辺、及び
第3類型の底辺(つまり第4類型)の内、どれが一番、社会的に見て割を食っているかと
決められるのでしょうか? (自分で言いながらも、スッゲー詭弁ww)
因みに第3と第4の類型は排中律だとして、一つに扱ってしまっても構わないのではないか
と思います。
97
:
無精髭
:2008/07/31(木) 21:45:41
>>96
文体とか構文、乱れてますけどお許しください。
まあ、モテない男にはモテない男なりの対処法があるでしょうから。
今のご時世、そんな欲望の代替方法などは幾らでも見つかると思いますね。
もてない男
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%81%84%E7%94%B7
在野の学者ですが、金塚貞文氏をご存知ですか? オナニズム研究の第一人者で、
『共産主義者宣言』を訳していますし、多分、左の人でしょう(生年から察するに
全共闘世代かも知れません)。山形浩生氏による書評があります。
http://cruel.org/cut/cut199208.html
哲学者の大森荘蔵に影響を受けたとのことですが、アカデミズムには全く相手に
されていないご様子。何はともあれ、ユニークな御仁です。
98
:
無精髭
:2008/07/31(木) 22:28:25
>>95
>死刑論に関してはこの人、死刑囚の尊厳は尊重するべき、と主張してますよね。
>結局それを突き詰めると死刑反対の立場をとらざるを得なくなるのと違いますかね。
いや、寧ろ逆でしょう。あの人、Kenさんが(歴史的に)「野蛮」だとして退ける
処刑法を色々と吟味した挙句、切腹がもっとも死刑囚の尊厳を守るものである、なんて
趣旨のことを言い出すのですから。しかも、ギロチンと比較して介錯はより人道的だ
とも言い出す始末。何か、根本的に間違っているかと思います。死刑囚というのは、
その名誉が守られさえすれば、殺しちゃっても好い存在なのですかね(本村氏の死刑論と
類比的ですよね。改悛した後、殺しちゃうところなんかが)。もちろん、殺さずにおいて
さえいれば、いくらでも名誉(というか人権)を傷付けても良いという訳ではないのですが。
子どもじみたことをお聞き致しますが、Kenさんは、仮に安楽死のような死刑が可能だとして、
それでもそんな死刑は「野蛮」であると仰ることで、現在のお立場に踏み止まりますか?
安楽死が認められた社会(つまり、ある種の自殺が認められた社会)でなければ、そもそも
ありえない話ですけど。死刑囚にだけ安楽死を与えて、一般市民には与えないというのは、
変ですから。私は、死が他者から強要される以上は、安楽死であろうが何だろうが、
死刑は野蛮(私の言葉では残酷)であるという考えです。
P.S
>>93
さんの仰ることに共感いたします。もし、加藤容疑者が事件を起こすまでの半生に、
大なり小なり関わって来た人間の中に、無責任に彼を非難したりする者がいるとするならば、
閉口する他ないですよ。私は、報道の影響が強い為かも知れませんが、被害者に同情できないです。
但し、加藤容疑者には意識的に同情しません。(なんか自分でも良く分からないんですけど、)
不公平ですからね。
99
:
Ken
:2008/08/01(金) 01:57:54
切腹とか介錯ですか。確かに「根本的に間違っている」かも。これが右傾化と
いうやつか...。
>>死刑に関して
まさしく「完全より程度の問題」を思い出してほしいのですが、死刑に限らず
あらゆる刑罰というのは「これ嫌だな、もう二度と受けたくない」と思わせる
ために存在しているわけで、あらゆる刑罰には必ず苦痛が伴います。要はその
苦痛が罰に見合っているのか、その残虐性を社会が許容できるのかどうか、という
程度の問題なのです。
死刑に関して言うと、殺されること自体が精神的にすでに相当な苦痛のはずです。
ですからそれに肉体的な苦痛を加味する必要性はまったく感じられません。死刑の
目的は殺すこと自体、社会から抹殺することのはずです。この点において、切腹なんて
ものすごく痛そうな方法は論外ですし、絞首刑も勢い余って首チョンパなどあるわけで、
必ずしも適切な方法だとは思えません。安楽死(薬物注射)のほうが望ましいわけです。
肉体的な苦痛という野蛮性が取り除かれてもなお、死刑には殺されるという精神的
苦痛、社会の構成員を殺害するという野蛮性が残るわけです。つまり、後に残されるのは
そういう苦痛や野蛮性を社会が受容できるかどうかという程度の問題です。日本の
ように殺人など人為的な原因で人が死ぬことがめったにない社会では、誰かを
殺すことに対する免疫がなく、社会にとって誰かを殺す、殺されるという事態は
耐え難いはずです。そういう認識が広がればやがて日本からも死刑がなくなるだろうと
考えているわけです。
100
:
紫煙狼
:2008/08/01(金) 12:21:07
どうせ死ぬなら、少しでも苦痛が少ない方法で死にたいと思うのですが、
どういう方法なら苦痛が少ないかを窺い知る方法ってないですよね。
確かに、一酸化炭素中毒で死の淵から生還した人は
「目の前がチカチカしたかと思ったら意識がなくなって、
苦しいとかそういうのは全く感じなかった…」とか言いますよね?
でも、それって「所詮は生きている人の証言」でしかなくて、
本当に死ぬ瞬間を味わっていたら、そんな生易しくなかったかもしれない。
脳波を計って云々とか、血液を計ってアドレナリンが云々とか言う試みも、
本当に有効なのか正直疑問なんですよ。(そういう研究の必要性は否定しません)
イタコの口寄せが科学的に証明されて、あらゆる死因による死者多数に
アンケートをとった結果、比較的苦痛の少ない方法が選定された…。
ならわかるけれど、それは有り得ないし。結局、傍から見ている人が
勝手に「これなら苦痛が少なそうだ」と判断しているだけですよね?
こう考えると、死を望まない者の命を奪うという行為は、程度の差は有れど
一様に残虐で野蛮な行為なのではないかな…と思うのです。
無論、犯罪者が行う殺害行為の残虐性と、死刑執行の残虐性を同列に比較する
意図はありませんが、人道的に残虐性を阻却される殺害なんてのは、
止むにやまれぬ事情において同意の下行われる場合のみではないかな…と。
従って、死刑囚から執行の同意を確実に得る方法を考えなければ、
死刑は野蛮でも残虐でもないという結論を得ることは難しいかと。
ただ、残虐で野蛮な行為を行った者に同害報復することを目的として死刑に
賛成する方々にとっては、野蛮云々なんて問題にならない、むしろ野蛮で
残虐であれば残虐であるほど良いのでしょうね(苦笑)
101
:
key
:2008/08/01(金) 20:08:24
私は同害報復論を強く支持するので、まさに
>野蛮云々なんて問題にならない、むしろ野蛮で
>残虐であれば残虐であるほど良い
と思っていますが、最近はそれに加えて
野蛮で過酷な刑罰は「死刑になりたくて」という動機を減らすのに
非常に効果的なのではないかと思っています。
>殺されること自体が精神的にすでに相当な苦痛のはず
という前提は、現代社会においてすでに揺らいでいるのです。
殺されることが精神的に苦痛でない者にとって、
現在の安楽な死刑は罪の重さにつりあわないと感じます。
>これ嫌だな、もう二度と受けたくない
死刑については、これを本人が感じることはありません。
しかし生き残った人間が感じることは出来ます。
であるならば、「死刑になれば安楽に死ねる」という前例は誰のためになりますか?
やりたい放題やって死にたい人間にとってはこの上ない福音です。
これって社会のためになりますかね?
102
:
key
:2008/08/01(金) 20:32:33
追記です。
死刑=社会からの抹殺、については
今回の加害者などすでに「抹殺されたも等しい」
と本人が思い込んでいる状態です。(その時点で視野狭すぎますけれど)
加害者にとって状況は悪くなりようがないのです。
103
:
無精髭
:2008/08/01(金) 22:10:51
>>99-102
のお書き込みを拝見いたしましたが、
再び死刑論争を始めるに当たって、機が熟したと申すか、
一切の道具立ては整った、と思いました。
そろそろこの話題もスレ違いになって参りましたようですので、
ここら辺りで強制的に「死刑制スレ」に接続させて戴いても宜しいでしょうか?
私の勝手な一存によりますが、あちらで死刑廃止論者と同害報復論者の
思想的対決を観戦いたしたいですしね(笑)。常々、思っていたのですが、
死刑制廃止派の人たちにとって、最も手ごわいと申すか、論破できず、共通了解
も望めないような種類の相手は、同害報復論者なのではありませんか?
この難敵と申すか、死刑廃止論者にとっての天敵を、時代錯誤的であるとか
「野蛮」であるとか言って忌避してしまうことは、禁物かと思われます。
とりあえず、「死刑制度についてひと言お願いします」スレッドに
投稿された書き込みのリンクを張って置きますので、以後、
死刑に関連したお書き込みはあちらに投稿して戴けると、
一読者の私といたしましては、幸いでございます。
104
:
無精髭
:2008/08/01(金) 22:17:40
訂正 ()内の文を加えてお読み下さい。
15行目>(こちらでこれまでに)投稿された書き込みのリンクを張って置きますので、以後、
105
:
おやじ急死
:2008/08/01(金) 23:32:19
ひとが死ぬ ってどういうことかわかるかどうかじゃないの?
ひとをした知識ひけらかすのもたいがいにしたほうがいいよ。
今まさに人殺しもしくは自殺しようとしているひとに何言える?
どう止める?
研究するため殺さすの?死なすの?
個別の理解のレベルにのっとって判断できるの?
結果を凝集して省いて話しやすいところじゃないの。
すべて科学的風なものに懐疑
商売がらみ
106
:
無精髭
:2008/08/02(土) 00:23:57
>>105
おやじ急死さまへ
このスレでの一連の書き込みにおける「知識ひけらかし」の流れは、
ひとえに私が作り出したものでございます。貴方様の仰る通り、
確かに、当該事件に関する書き込みとしては、余りに的外れなもの
でございました。事件関係者の方々に対する配慮にも欠けていたと
思われますので、この場を借りて、謹んでお詫びいたします。
貴方様の仰る通り、殺人であれ自殺であれ、死に魅せられた人間に
対しては、私たちのような凡庸で保身的な小市民の吐く言葉など、
全くの無力でございます。しかし、当該事件も含め、現実をそのままに
受け止めることが出来ないほど、私たちは弱いのですから、まるで
負け犬の遠吠えのように、いつまでも要らぬ「知識のひけらかし」談義
を止められないのです。物事をあるがままにスマートに捉えることなく、
わざわざ奇を衒ってしまう理由も、同様です。結局は、己の為に言いたい
事を言っているだけ、自分の自尊心や社会的立場を守る為、正しく、
「商売がらみ」が原因なのです。貴方様は、実に鋭いと思います(勿論、
お世辞とか皮肉とかではなく)。
・・・犯罪とか刑罰について、社会成員としての私たちはどう考え・
生きたら宜しいのでしょうか?
107
:
無精髭
:2008/08/02(土) 08:32:33
上記、失礼にあたる言葉がございましたら、お許し下さい。
108
:
無精髭
:2008/08/04(月) 21:09:01
とりあえず、(こちらでの)私の書き込みはこれで最後に致したく存じます。
>>98-99
に関連して。
>>94
で挙げさせて戴いたブログですが・・・
http://critic5.exblog.jp/8783749/
このエントリへのコメントに、当該事件と山口県光市母子殺害事件に対する
この御方(ブロガー)の反応の違いが指摘されています。二つの事件の加害者は、
共に「機能不全の家庭の出身」であるのにも関わらず、後者では、「熱烈に
本村氏に感情移入されてい」たのに、今回の事件の場合だと、被害者と
「その遺族に対する想像力はどのくらい働かされている」のかが見えて来ない。
これは、一体どういうことか、といったような趣旨のコメントで、
私も同じような不信感を抱きました。
109
:
無精髭
:2008/08/04(月) 21:09:35
>>これが右傾化というやつか...。
http://critic5.exblog.jp/8840574/
この御方って......右なのか左なのか今一合点がいかないのですが、まあこの御方
の政治的信条・思想的立場に関しましては、Kenさんの裁量にお任せ致すとして(笑。
そんなお時間、ないですよね? 私も御免ですw)、死刑論に限って申せば、この
御方は世の流れの右傾化を代表しているというより、日本人のアイデンティティー
に訴えようと必死になっているように見えます。本村氏の死刑論と日本人の死生観
や集合的無意識(!?)といった概念を接合することで、日本国民一億人に迎合
していると申すか、受けを狙っているのではないかと思うのです(民意間の妥協点
を探っていると申すより、かつて日本人論が一世を風靡したように、イデオロギー
で人を動かしたい(動かせると思っている)のかも知れません。そういえば
ちょっと前に、新渡戸稲造の『武士道』とか藤原正彦の『国家の品格』とか、
売れましたしね〜。私は武士とか侍とかいう言葉、嫌いです。Kenさんは違う
でしょうけど)。でも、死刑制賛否の論点からいいとこ取りをしようという折衷派
の人みたいな感じは残りますので、何と申すか、複雑な考えをお持ちの方のようで、
私の見方もだいぶ混乱しております。入江(元key)氏のような一般的(?)同害
報復論者と比較すると、その特殊さが際立っているのが分かります。
日本人論
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E8%AB%96
武士道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E9%81%93
(騎士道、なんてのもあった
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E9%81%93
)
『国家の品格』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%81%AE%E5%93%81%E6%A0%BC
ぷちナショナリズム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B7%E3%81%A1%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
110
:
無精髭
:2008/08/04(月) 21:10:04
この御方の話題は(死刑論を除いて)止めましょう。何やら熱烈な支持者がいる
ようですが、どうにもこうにも、付いて行こうと言う気が起こらない。にも
関わらず、この御方のブログを碌に読みもせずにいい加減なことをいうのは、
もっと盲目的でしょうから。ただ死刑論については、寸評ではなく、もっと良く
吟味してみたいです。本村氏と完全に一致しているとまでは言えなくとも(氏も
自分の死刑論が誰かに代弁されるのは、さぞかしご迷惑でしょうが)、同害報復
論者としてのスタンスや目的意識などは、案外通底していると思います。
追記 「○○の尊厳」って、私のような阿呆にはよくわからないですね。この御方
の場合、一応暴論・極論と自ら認めた上で、選択自裁制を死刑囚の(人間としての)
尊厳を保障する死刑制度として提案しておりますが、単なる物として扱われるのは
どんな死刑でも同じだと思われます。況してや、「自己の生命と引き換えに絶対的
反省へと導く。生命の尊さの悟りへ至らせる」ことで「神になる(成仏する)」
というのはちょっと、前半部分が余計なような気が・・・。「死は生の一部」と
言うのなら、生きている内に人は死を体験していることになりますから、わざわざ
処刑される必要もない訳でしょう?
「無理に残酷な死刑を残して続ける必要はない」とか、ギロチンはその時代として
は「苦痛の少ない・死刑囚の尊厳に配慮した」人道的処刑法として考案されたとか
言いながら、その一方では「殺した人間は殺された人間の身体と精神の恐怖と苦痛
を追体験しなければならない」として、これを先に守られるべきだとした、人として
の尊厳と区別しておりますが、前半部分を信じるならば、これは私には作為的な
区別のように感じられます。
111
:
無精髭
:2008/08/04(月) 21:19:16
・・・まっ、どうでも好いことなんですがね・・・。
112
:
おやじ急死
:2008/08/04(月) 22:16:28
何がしたいのかわからないひとは自ずから語ろうとするなよ。
難しいこということで自己満足。
113
:
紫煙狼
:2008/08/04(月) 23:10:57
>>112
どなたに対する書き込みかはわかりかねますが、
少なくとも、貴公の投稿が
>>105
,
>>112
ともに、
何かを人に伝えようとする文体でないことだけは確かなようです。
>>105
においては「て・に・を・は」すら使いこなせていない。
何かを述べるなら、最低限の日本語文法は守っていただきたいものです。
114
:
おやじ急死
:2008/08/04(月) 23:29:16
>>113
すべてはわたしの意思でおこないました。申し訳ございません。
(やはりすべていじめってこういうところかな)
語る口ご想像のままに・・・・・・。
半意図的な文法でした。
今後もご想像豊かに。
さようなら
115
:
Ken
:2008/08/06(水) 00:19:21
>>109
藤原正彦の『国家の品格』
このFTの翻訳記事、おもしろかったですよ。
FTと昼食を 「国家の品格」藤原正彦さんと─フィナンシャル・タイムズ
http://news.goo.ne.jp/article/ft/nation/ft-20070323-01.html
「ある東京の大学の教授が電子器具を使って実験した結果、日本人は虫の音を聞くのに右脳を使うが、欧米人は左脳で聞いているので、日本人は虫の音を音楽として聴き取るのだと証明した」
―――
これは角田忠信元東京医科歯科大学教授の研究ですね。記事は全体的に日本人論
うぜーって感じですかね。何か勘違いがあるようですが、私も時代錯誤な武士道は
嫌いですよ。
116
:
Ken
:2010/07/27(火) 14:27:42
加藤被告の幼少期。かなり悲惨です...。
【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(4)】笑われながら風呂に沈められ…スタンプ10個で罰 「母の意に沿わないと怒られる」
http://sankei.jp.msn.com/court/12696/crt12696-t.htm
母親は父親との不仲のはけ口に加藤被告に辛く当たったみたいです。
117
:
森蔵
:2010/07/29(木) 15:07:33
加藤被告
自らの子供時代を語ったのは非常に興味があります。
原因を語らずそのまま死刑では、繰り返し事件が起きます。
たしか、サカキバラの母親もひどかったような・・・。
118
:
紫煙狼
:2010/07/30(金) 00:04:46
難しいですね。。。
母親から受けていた待遇が本当なら、これは、躾ではない。
相手が自分の子供でも尊厳を冒涜するような躾は許されない。
正直、記事を読んでいて、涙があふれました。こんな境遇で
正しくまっすぐに育つ子が、一体何割居るでしょう。
でも、悲しいかな、私にとっては、この境遇でさえ、
加藤被告の犯した犯罪を情状酌量する材料にはなりません。
加藤被告にどのような判決が下りようとも、
母親は自分の犯した罪を残りの人生、反省し続けるのでしょうか?
加藤被告の母親へのアピールは初めて通じたのでしょうか?
だとすれば、こんな悲しいことは、こんなハタ迷惑なことは、
そうは、ほかにはありません。
119
:
Ken
:2010/07/30(金) 12:31:16
まあ、これはかなりはっきりとしたかたちの虐待ですね。ただ、虐待を受けた人みんなが無差別大量殺人犯になるわけではないので、加藤被告には免れ得ない責任があるとは思いますが。
母親に関してはさほど反省しているそぶりはないですね。加藤被告の尋問に先立って行われた母親の証人尋問の要旨から。
「たとえば、被告を屋根裏に閉じこめたり、窓から落とすまねをしたり、お尻をたたいたり。被告は食べるのが遅かったので、早く後片付けをしたくて、食事を茶碗(ちゃわん)からチラシの上にあけて食べさせたこともありました」
「もっとも、子供たちに強く当たったのは、私としてはあくまでしつけの一環と思っていました。単に不満のはけ口ではなく、なにがしか子供たちにも理由があったと思います。ただ、そこまでしなくても良かったとも思います」
こんだけ虐待しといて、結果的に息子が大量殺人まで犯しといて「そこまでしなくても良かったとも思います」くらいしか思ってないみたい。あるいは
「私は被告がなぜ今回の事件を起こしたのか分かりません。被害者や遺族の方には申し訳ないと思いますが、経済的な損害賠償は不可能です。私は被告を見放すことはなく、できる範囲でこたえていきたいです」
はたからみて加藤被告の人生を不幸にしたのは誰だかはっきりとしているにもかかわらず、「私は被告がなぜ今回の事件を起こしたのか分かりません」ですよ。もう救いようがないですね。
というか、こんなふうに神経が図太くないとあんなひどい虐待を子供に加えることはできないでしょう。
父親も全然頼りないですね。
120
:
Ken
:2010/07/30(金) 13:55:28
母親を殺していたら情状酌量してあげてもいいかなと思います。
121
:
たかころり
:2010/07/30(金) 18:35:52
親を殺したい子供は年々増えていきますね
122
:
紫煙狼
:2010/07/31(土) 02:21:43
この母親も、同じような躾を受けて育ったのだとしたら?
と想像して怖くなりました。世の中には愛情があれば体罰も許されると
考えている親も多く居るようですが「それは本当に愛情ですか?」という
大きな問題が一つ目。「その愛情を子供は理解していますか?」が二つ目。
キモオタの一方的な愛情はターゲットとなった人にとって恐怖です。
仕掛ける側がどんなに愛情を持っていても、それが相手に伝わらなければ
愛情ゆえの行為も全て「脅迫」や「暴力」や「虐待」でしかない。
双方に堅い絆と強い愛情があれば、ムチで打ったり、蝋燭の蝋をたらしたり、
(検閲削除)したり(表現自粛)しても許されますが、それが全く無ければ
身体に軽くタッチしただけでも刑事訴訟の対象になりうるわけです。
これは行為の程度問題ではなく、双方の意思疎通の問題です。
加藤被告が人との意思疎通に難を持っているのと同じく、
この母親にも人との意思疎通に難を持っているのだろうと思いました。
123
:
老婆心
:2010/07/31(土) 20:58:36
kenさんへ
≫120
母親を殺していたら情状酌量してあげてもいいかなと思います。
上記の文の真意に関し、補足の説明をしていただけないでしょうか。
文字どおりの意味だとすると、穏当な考えとは思えないのですが。
124
:
無精髭
:2010/08/01(日) 10:25:40
>>116
被告が持つ、相手に何かを止めさせたいと思った際に口ではなく行動で「アピール」してしまう癖というのは、
明らかに母親譲りでしょう。子どもを折檻するのに理由を一切告げないという点が被告のそれと似ていますので
(母親の場合、理由と呼べるものなんて実はなかったんでしょうけど。だいいち、虐待するのにどんな理由が
あるんですかって話)。
ところで、事件発生当初のメディアの論調(主に原因追究に関する)は大きく分けて二つあったという記憶が
あります。一つは、ネットやらオタクやらゲームやらナイフやらの規制に関する議論。もう一つは、派遣切り
やら格差社会やら若者の怒りやらを問題とする議論。しかし裁判が始まってみたら、どちらの論点もこの事件が
起きた背景にはどうもあまり関係がなさそうだって感じが否めませんよねぇ。結局、被告が過ごした幼少期の
異常な家庭事情が大きく取沙汰されたくらいで、そこからさらに社会全体に波及するような問題性は見当たら
なかったわけで(親から子への虐待という問題はありますが、すべての家庭に共通する問題ではないです)。
こんな凄惨な事件を起こすようなヤツだから一体どれくらい狂った内面を持っているんだろうと半ば期待(?)
していた人も、ふたを開けてみれば案外フツーというか結構理解できる部分が多くて、何か拍子抜けしたみたいな
感想を持つんじゃないでしょうか。ちなみに、同年に起きた土浦連続殺傷事件の犯人と比べると違いが際立っていますよね。
とかなんとか書いてみましたが、児童虐待の問題はホントどうにかするしかないでしょう。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/child_abuse/
#backToPagetop
児童相談所による強制立ち入りが少ないというかその対応のマズさ・遅れのことなんかも、もう何遍も繰り返し
議論されているはずですよね。なのに、年々事態は悪化するばかりと言っていい。最近大阪ではマンションの一室
から幼児二人の遺体が見つかったという事件がありましたけど、あれも色んな意味でふざけんなーって話ですよね。
>>123
察するに今回のKenさんはかなり怒ってるんじゃないですかねえ。ご承知のようにKenさんは基本的に正義感の人
ですから。あと、私も子どもを虐待するような輩に対して穏当である必要などないと思うのでKenさんの気持ちは
よく分かります。上で書いた大阪の幼児置き去り死の事件についても、これがもし本当なら母親のやったことに
対して「10年以下の懲役を科すとかだったら軽くネ?」とか思っちゃいますから。ただ、老婆心さんの仰りたい
ことは要するに「たとえどんな相手にも言っていいことと悪いことがある(もうちょっと言い方があるんでないの?)」
というの社会良識とか倫理観念の持ちようの問題だと思いますので、これもこれで私としてはよく分かる。
まぁそんな経路で、私も以下のような疑問を持ったのでした。
125
:
無精髭
:2010/08/01(日) 10:29:18
>>119-120
被告が母親を殺すなんてことがありえたかどうかは疑わしいですよ。被告は中学生の頃、後にも先にも一度だけ
母親を殴っているでしょう? その時の心境を聞かれて「悲しかったです。何でこうなっちゃうんだろうという
気持ちでした。涙が流れました」と答えていますよね。今まで虐待してきた親を一発殴っただけでめげてしまうのに、
さらにエスカレートしてそれを殺しちゃうなんてことはちょっと想像できないですけど。
まあ、そんなことより私が引っかかっているのは、被告が人生のどの時点で母親に復讐したら世の中の人々の理解
なり同情なりを得られただろうか、ということなんですね。たとえば、まだ幼いがゆえに虐待による被害が大きい
であろうと思われる小学生の頃に復讐が行われていたのなら、理解なり同情なりが得られたのは確実でしょう。
そしてそれよりは多少落ちるでしょうが、中学生の時点で復讐したとしてもまぁだいたい世間の反応は同じような
ものではなかったかと思います。しかし、私が思うに高校生の時点ぐらいからだんだん雲行きが怪しくなってきて、
短大生になってから成人するまでの期間を過ぎてしまえば、重い腰を上げて被告が復讐したところで、おそらく
「いまさらそんなことしなくても」みたいな白けた反応が世間から返ってくるのではないでしょうか。
というのも、被告が中学生になってからは、母親を一発殴っていることの他にも物に当たったり壁に穴を開けたり
といった行動を取るようになったという証言から分かるように、親に対する被告の反抗を親は抑えることができ
なかったらしいですから。つまり何が言いたいのかというと、中学生の頃のある時点から被告と母親の関係はそれ
以前のような一方的な力関係ではなくなっていたということです。確かに、両親、特に母親からの命令(主に進路・
進学や成績の件に関して)は相変わらずあったようですが、もはや暴力で有無を言わせず被告を従わせるなんてことは
母親にはできなくなっていたのではなかったかと。私は、被告と母親があまり口を利かなくなるきっかけになった
という、被告による一度限りの暴力が起きてからは、母親による虐待は一度も行われなかったであろうと考えるのが
自然かと思います。
母親による虐待が既に行われていない時点では以前その虐待を受けて育った子どもはいつまでも復讐・反撃する
権利があるということはちょっとなさそうに思えます。ましてや親元を離れて(親との関係がギクシャクしていた
から離れざるを得なかったのだとしても)転職を繰り返し、リアルでもネットでも人付き合いがうまくいかなかった
のは「幼少期に母親から受けた虐待のせいだ」と思って、遅ればせながら母親に復讐しにはせ参じるなんていうのは、、、
確かにコミュニケーション能力や人格における欠陥の原因が母親の虐待にあるのだとしても、なんか違うような気が
するのですが…。
母親による躾とは名ばかりの虐待に関しては私も酷すぎるし他人事ながら許しがたいとは思いますが、じゃあ被告に
殺されても仕方がないと言えるほどだったかというとさすがにそう断言できる自信は私にはないですよ。情状酌量の
件は当たり前だと思いますけど、虐待を受けて育った者が必ず自分を虐待した者を殺すとも限らないわけですし、
やっぱり被告がこの母親を殺した場合でも徹底的に厳粛に断罪すべきでしょう。あるいは、もし母親だけでなく父親
をも殺した場合、虐待に関して現状の情報のみで判断するなら、極刑に処してもよいとさえ私は思いますよ。
シェンさんが
>>122
で言っていることにはこれも関係してくるのかなぁ、と。
http://d.hatena.ne.jp/gordias/20071023/1193106234
126
:
紫煙狼
:2010/08/01(日) 22:42:26
ああ、うん、珍しくKenさんは言葉足らずかもしれないですね。
>>120
>母親を殺していたら情状酌量してあげてもいいかなと思います。
>>123
>文字どおりの意味だとすると、穏当な考えとは思えないのですが。
>>124
>老婆心さんの(中略)言っていいことと悪いことがある
この3つを読んで、自分の解釈に自信がなくなりました。
私は
>>120
の発言を
「被害者が母親たった一人であった場合」もしくは「被害者に母親が含まれていたとして、
母親が殺害されたという部分のみに対して」は「情状酌量しても良いと思う」という発言と
捉えたのですが、120の発言では必ずしも限定的と捉えない解釈もあるな、と。
つまり、例示的に書くなら
「母親を含まない18人を殺傷した」→「死刑」
「母親を含む19人を殺傷した」→「無期懲役」
のように「被害者に母親が含まれていたら全体的な刑罰を情状酌量しても構わない」という
凄まじい解釈も可能ではある文章表現であるから、真意を明確に表現するように老婆心さんが
確認したのだと思ったのですね。
ところが、無精髭さんがそこに言及した
>>124
ですっかり
「母親がどんなに悪かったとしても、母親への犯行を肯定的に述べるのは不適切である」
という意味であったのかな?と。それはそれで確かにスジも意味も通りますものね。
127
:
紫煙狼
:2010/08/01(日) 22:42:50
で、これって、日野OL放火殺人の件にも(部分的に)相通じるモノがあるかな、と。
つまり「キャシーが殺害した相手が師匠本人のみであったなら情状酌量の余地はあった」
という意味で「師匠を殺害していれば」というような発言が結構あるのと同かな、と。
児童虐待を特別に重視する視点から言えば、加藤被告がこのような犯罪を犯す人物になってしまった
原因の一端は虐待にあると結論します。そしてその虐待に加藤被告は恨みを持っていたのだから、
その恨みを晴らすための犯行として、目的と方法が一致すれば、動機としては若干なりとも同情できる
部分はあると考えられ、人によっては情状酌量の余地を認めることが可能になります。
しかし、実際問題で言えば、加藤被告の人格形成に母親による虐待が大きな影響を持っていたことを
認めざるを得ないとしても、本件は「母親への恨みを晴らすための犯行」ではないので、そもそも
被害者に母親が含まれる余地はないですよね?もし、まかり間違って母親が被害者に含まれていたり
母親だけが被害者であったとしても、それは「たまたま目に入ったヒトが母親だった」となれば、
これは、やはり情状酌量の余地はないのかもしれません。
私は、加藤被告の幼少時の待遇(境遇)に対して、非常に同情的です。加藤被告が可哀想で涙が出ました。
しかし「不幸なヒトは他人を不幸にする権利があるのか?」というと、それは全然違うわけで、許容できる
限度を示すとすれば「不幸なヒトは不幸をもたらした元凶を跳ね除ける権利がある」のが限度で、その結果
「不幸をもたらした元凶が不幸になる」ということに関しては、ある程度なら情状酌量の余地がある…。
と考えます。
その結果、加藤被告は可哀想で仕方が無いけれども、本件犯行に関しては一切酌量すべき事実はなく、
極めて重い刑罰(現行法制では死刑となりますでしょうか?)が課せられるべきであるとなります。
なお、念のために付け加えますが、私は「死刑を廃止するべきである」とは主張していますが、
死刑が廃止されていない現在「死刑判決を下してはいけない」とも「死刑執行してはいけない」とも
主張するツモリはありません。
128
:
無精髭
:2010/08/02(月) 10:25:19
一々突っ込みませんでしたが、シェンさんが老婆心さんの書き込みのことで推測しているような
>>120
の多義性は、
老婆心さんの書き込みより前の時点ですでに私には読み取れていましたよ。たしかに「凄まじい」内容ではありますが、
>>120
に対する読解としては特に飛躍しているわけでもないですし。結局、他人の書いた文章の意味が多義的に感じ
られたとしても、今話し合っている話題からは逸れないような、またそれを書いた他人の言いたいことに対しある程度
配慮できるような、よりスタンダードな読み方をすべきなので、当初のシェンさんがしたような読み方を選択する
というのがセオリーじゃないかと。まぁ私の場合はそうだったんですけど、老婆心さんも私と同じ意見ではないかと
思ったのは、以前もKenさんの書き込みに対して老婆心さんが似たようなことを書き込んだことがあったからですよ。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1047995308/2732-2734
これはごく私的な嗜好の表明や感情吐露への批判もしくは窘めとも取れるでしょう。
そこで翻って
>>120
と
>>123
を読み返してみると、「母親を殺していたら」というKenさんの仮定が、私の推測
通り実現性に乏しいことを述べたものに過ぎないのであれば、自衛なり復讐なりが目的で母親を殺してもちっとも
おかしくないような状況が被告の過去には散見されたとか、人生のここら辺りから母親に対する明確な殺意が
芽生えたとかいったことがまだ論じられていないわけですから、老婆心さんがKenさんに対して「ありえそうにない
結末を想像して情状酌量してもいいとかいうのは単なる感情論なんじゃないの?」と突っ込みを入れたのはきわめて
自然な反応じゃないかと思うんですよね。
あと気になったのは、この事件が発生してから丸2年経って、Kenさんにも色々と変化が訪れたみたいだってことです。
前と比べてあまり改行しなくなったことに始まり(笑)、それこそ一つ一つ数えて指摘していきたいのですが、私も
私でだいぶ変化しているようでして、自分のことを棚に上げてあーだこーだ言うのも間抜けだとも思うんで、とりあえず
現在の話題に関係がある点だけを指摘したいと思いますが。
が、その前に極端な話、Kenさんのことを嫌いな人からすれば、2年前と現在とでは考えが180°転回してるみたいに
見えるんでしょうけど、それは単に、事件発生時点では(そして裁判が始まるまでは)加藤母が行ったしつけを虐待と
断定するための決定的な材料がなかったから、被告が事件を起こした原因は幼少期に受けたしつけにあるとするような
主張をあえて展開しなかったというだけで、今は裁判も始まったことだし原因やら責任の所在についてあれこれ言える
ための情報がどんどん集まってきているので、議論の文脈を変えることができるというか論点を選択する幅が広がった
から自ずと主張も様変わりするというわけですよ。だから、加藤母の責任をあまり追及せずに(つまり犯人の生い立ちを
云々する環境論を重視せずに)素朴な自己責任論や規制論に話が流れていかざるを得なかった状況から2年後に、加藤母の
責任を追及する方向に議論が突っ走りかねない勢いが出てきちゃっているのは表面上の変化に過ぎないんですよ、おそらくは。
2年前に強調されていた、被告が被害者及び社会に対する関係の中で責任を取っていかなきゃならない・法に基づいて
厳粛に裁かれなければならないといったパブリックな文脈と、今強調されている、被告が幼少期に受けた母親の虐待が
もとで他人や社会との関係をうまく取り結べなくなってしまっただろうから、被告の歪な人格形成に関しては母親に
多大な非があるといったプライベートな文脈とは、Kenさん本人の中ではすんなりと連続しているはずですよ。その証拠に、
事件発生当初からKenさんは他の事件を引き合いに出してですが、無差別大量殺人と生い立ちの関係について同情的な
理解を示していますからね。
129
:
無精髭
:2010/08/02(月) 10:25:48
さてここまで書いちゃうと、2年前のKenさんと現在のKenさんの相違点とは、決して言説上に矛盾や齟齬として
はっきりと刻印されたものではないということが自ずと分かるでしょう。この度あらためてKenさんの過去の書き込みを
読み返して見ましたが、その文脈は思った以上に複雑巧妙なものでした。Kenさんの変貌ぶりというのは結局、
自らの言説には回収されることがない怒りを今回露にしたことと、被告の両親批判といった感じで極度に論点を絞った
ことが原因で、周りにはあたかも転向したかのように見えているだけではないでしょうか。むしろ、私が問題にしたいのは
以下の文章です。
>はたからみて加藤被告の人生を不幸にしたのは誰だかはっきりとしているにもかかわらず、「私は被告がなぜ今回の事件を起こしたのか分かりません」ですよ。もう救いようがないですね。
事件を起こす前から自分のしつけのせいで被告が不幸であったことを認めた母親が、自分のせいで被告が不幸であることと、
秋葉原で無差別大量殺人を起こしたこととの因果関係が理解できないというのは別に奇異なことでもないでしょう(ただし、
Kenさんが指摘しているようにこの母親の発言からは、自分が子どもに施してきたことが虐待ではなくあくまでもしつけ
であったと思い込んでいる節が読み取れますから、そういう自己正当化をやめて自分がやってきたことは虐待に他ならない
ということを自覚しなければ、被告が事件を起こしたことなど理解できるわけないだろうなぁとは思いますね)。被告を
間違って育ててしまったからといって、将来的にも被告が不幸になる可能性を予測すべきだったとは言えるでしょうが、
被告の内面や思考パターンまで知っていなければならないというのはさすがに無理な注文でしょう。やはり被告が事件を
起こしたことと、被告が不幸であることとは分けて考えた上で母親を批判すべきではないでしょうか。過去ログを読んで
思ったのですが、以前のKenさんはそれらをちゃんと分けていたのではなかったでしょうか。以前のKenさんは被告の
母親のしつけについてそれが虐待である可能性をも計算に入れた上で、しかし事件発生直後の段階では事件の因果関係に
関わる情報はどんな媒体・情報源からのものであろうと疑ってかかるべきだというスタンスから、あえて被告の母親批判は
避けつつ・抑えつつ議論していたはずです。ならば被告の母親が虐待を行っていたということが事実だと分かったとしても、
それによって何の説明もなく(だから極端といわざるを得ない)母親批判に転じたり、被告の生い立ちと事件の背景とを
短絡しかねないような発言をしたりするのはいかがなものかと思います。
さらに以下の発言は、母親における育児ノイローゼとか夫婦不和によるうつなどの可能性をまるで無視した発言でしょう。
>というか、こんなふうに神経が図太くないとあんなひどい虐待を子供に加えることはできないでしょう。
ただし、私は怒りの表出については、上辺だけは妙に強がってみたりなどと虚飾するのではなく、できるだけ率直に
自然のままの形で表現すべきであると考えます。そしてこれは、各自がKenさんの書き込みに対して、論旨と別扱いで
評価(というか共感なり反発なり)したほうがよい項目ではないかとは思っておりますけれども。
130
:
無精髭
:2010/08/02(月) 10:26:17
シェンさんだから安心して書けますけど、私は師匠の言動は不倫相手に殺されるほど悪質ではなかったと思いますよ。
師匠が殺されてもおかしくないほどキャシーに対して酷く振舞っていたかどうかは、師匠の言動を独立に評価するだけで
定まることではたぶんないです。それには師匠から見たキャシーの言動、そして師匠とキャシーの関係をよくよく洗い出す
必要があるはずなので。師匠の言動に結婚詐欺とかDVに該当する要素が見当たらない以上、師匠とキャシーが合意の下で
不倫関係を結んでいたという事実を前提に、双方の言動を公平に評価すべきであると思います。つまり不倫の発端に注目
するならば、道徳的観点によって男女差を見出す視点を排すべきだというのは当然です。また、常に双方の合意によって
維持・進行するような不倫関係において対等な男女というのは、相手を騙したり相手に騙されたりといったことでしばしば
揉めるというよりは、ただ単に利害の調整やシェンさんが仰るような主導権争いに忙しいだけでしょう。
避妊しなかったとか堕胎を迫ったとかいうことがその人間を殺す理由になるとか思っちゃうのは、加藤被告が言うところの
「アピール」と同じようなもので、どちらに対しても思慮が足りないところを妄想で埋め合わせるといった異常性を感じますよ。
ちなみに、師匠の妻がキャシーなり師匠なりを殺した場合、あるいは二人とも殺した場合は情状酌量は考えられるんですが。
師匠がキャシーを殺しても情状酌量が考えられないのと同じ理由で、キャシーが師匠を殺しても情状酌量は考えられないですね。
要するに私が危惧するのは、もしキャシーが師匠を殺していたら一方的に師匠が悪者にされ、かたやキャシーは悲劇の
ヒロインに…みたいなことになっていたのではないかということですね。不倫関係とはいえ、キャシーは師匠に深く
傷つけられていたという主張の根拠として、キャシーは師匠を殺したいと思うまで憎んでいた、なぜなら実際にキャシーは
師匠を殺したのだから、みたいなことを言い出すのは早合点であることはなはだしいわけですよ。キャシーが師匠を殺した
という結果だけで、事件後その不倫関係についての解釈が不公平で偏屈なものに堕してしまいかねない雰囲気が作られて
しまうのだとすれば世も末でしょう。
たとえば不倫関係でキャシーがノイローゼになったという事実が立証できたから減刑される、ということなら話は分かりますが、
キャシーが師匠に騙されたとかいったことで減刑されるのには納得がいきません。相手に避妊を拒否されたり堕胎を迫られたり
するだけでノイローゼになる人間が存在するとはどうしても思えませんので。そういうふうに心を病んでしまうのは何かしらの
葛藤があるはずだからで、相手からの要求が理不尽であるかどうかは主に自分と相手との関係性に依存するのであって、そもそも
相手から要求されるばかりでなく自分も相手に対して要求できるという関係に立っているからこそ、葛藤の末に相手からの要求を
呑むという選択が可能になるわけでしょう。
>「不幸なヒトは不幸をもたらした元凶を跳ね除ける権利がある」
シェンさんが誤解されることはまずないとは思いますが、一応他の方々のために
>>125
で示した考えを補足して置きます。
私はその考え自体には賛同しているのですが、そこに時間という要素を加味した場合もなお同一の内容を保持して
いられるかというのが私の疑問でありました。つまり極端なことを言ってしまうと、加藤被告と同様のケースで、
かつ加藤のように事件は起こさず中年になるまで転々と仕事を変えて最終的にホームレスになった時に、「自分が
こんなに不幸なのは親のせいだ」といって、実家へ帰って今や足腰も頭も弱った親を殺してしまった場合でも
情状酌量すべきかどうかってことです。ただ、シェンさんの意見を聞いて、案外こんなでも情状酌量はアリかな
と思うようになりました。
ちなみに、本件の被告の場合、無差別大量殺人を犯して裁判にかけられている今が不幸であることと、事件を起こす以前に不幸
であったこととでは責任の所在が異なるという意味で、二つは質的に異なる不幸であることはいうまでもありません。
131
:
紫煙狼
:2010/08/02(月) 16:23:59
>加藤被告と同様のケースで(中略)情状酌量はアリかなと思うようになりました。
納得性の問題ではないでしょうかしらねぇ…。もう少し厳密に言えば、判事の
自由裁量の範囲内の問題かな?と思うわけです。
たまたま、そこに情状酌量の余地を感じる判事が居てもおかしくはないし、
全く感じない判事が居てもおかしくはない。少なくとも、個々の感じ方にしか
正解は存在しなくて、私の感じ方と判事の感じ方が異なっていても、どちらが
「人類普遍の真理」としての正解とは言えないでしょうねぇ。
敢えて言うなら「情状酌量」ってのは「情状により酌量しても良い」であって
「情状を汲んで酌量しなければならない」ではないでしょうなぁ。
従って、基本的に「迷ったら酌量しない」が正しいのかも知れませんね。
ただ、これが「無期懲役」と「死刑」の狭間での酌量であれば、ぜひ酌量してあげたい。
しかし「酌量して無期懲役」だと相当強い世間様の反発もあるだろうから、私が判事なら
判決の表現としては「酌量してなお死刑」もしくは「酌量せずとも無期懲役」という形で
落ち着けたいと考えあぐねるでしょうね。
もっとも、日本の風潮では犯罪者への判決が重過ぎる!という世間の反発は見た事が無いですね。
99.9%「判決が軽すぎる!」という反発ですから、やっぱり「迷ったら酌量しない」が正しいのかも。
これだけ厳罰化と死刑が大好きな国民性ですから、世間の皆様に愛される判事になるには、
有罪判決は常に法定限度いっぱいの刑罰(一切割り引かず)可能な限り死刑判決、という
実績を積めば良いのかもしれませんね。
132
:
Ken
:2010/08/08(日) 15:36:26
>>123
いや、私はいつも文字通りの意味でしか書かないですよ。
自分に危害を加えていた人を殺害した場合、普通情状酌量が認められます。特別なことではないです。
虐待は殺人事件の直接的な原因ではないですが、加藤被告は母親から手ひどい虐待を加えられていたので、この母親を殺害していたら情状酌量は認められていたと思います。実際には、全く無関係の人々を殺傷しているので情状酌量の余地はないでしょう。
私が書いたのは文字通りの意味でしかないので、「母親は殺されても仕方がない」「むしろ殺されるべきだ」というような含意はないです。
普通、子供が犯罪を犯したら、たとえそれが小さな罪であったとしても親は自分の育て方に何か問題があったのではないか、と考えるものです。加藤被告の母親は自分の息子がこれほど大きな事件を引き起こしたにもかかわらず、そういった視点は皆無のようです。あるいは、この事件は掲示板での嫌がらせが発端であったと加藤被告は証言していますが、実際に嫌がらせを行った人はいまごろそれを知ってこんなことになるくらいならそんなつまらないことしなければよかったと悩んでいることでしょう。この母親にはそういう悩みは皆無のようです。
これほどの虐待をしても平気なのは、それが子供の心にひどい傷を与えていることが認識できないからなのでしょう。神経が図太いというのはそういう意味です。
133
:
老婆心
:2010/08/08(日) 18:52:01
kenさんへ
ご回答ありがとうございました。了解しました。
>>120
>母親を殺していたら情状酌量してあげてもいいかなと思います。
の文を見たとき、
「母親への犯罪(殺害)」を「単に仮定した」、というより、
「母親は殺されてもしょうがない」という判断
(「母親の殺害を容認するような考え」)が前提にあるように
読み取ってしまいました。
私としましては、加藤被告の母親の育て方(加藤被告に対する接し方・扱い)
に関する報道の内容が仮に事実だとしましても、その証言をどのように解釈
するかは、また別問題と思えます。
したがいまして、加藤被告の母親への犯罪を仮定するとしましても、
『加藤被告が、無関係の第三者でなく、実の母親を殺していたとしたら、
動機の点で、わからないわけではないし、その場合、
情状酌量の余地もあるのでは』
といった程度の感じ方をしていました。
そのため、今回のような質問をしてしまいましたが、ご容赦ください。
134
:
無精髭
:2010/08/14(土) 12:36:22
ネット上の反応を広く調べたわけではないですが、シェンさんやKenさんのように事件とは
別に、生い立ちの点で加藤被告に同情し、母親の責任を問うている人って結構いるのかも
知れないですね。私はというと、事件発生当初から事件関係者に対する同情にリミットを設けて
いたためか、被告の幼少期が悲惨なものだったことが明らかになってもあまり心が高ぶらないのですが。
加えて、加藤被告の幼少期については現在明らかになっている情報とほぼ同じ内容のものが
事件発生後ほどなくして出回ったのを憶えていたので、裁判での証言や供述に改めてショックを
受けるということはなかったです。
http://nakaosodansitu.blog21.fc2.com/blog-entry-1171.html
思うに今と2年前が違うのは、これまで疑いの域を出ていなかった虐待情報について、
どうやらホントだったんだねといえる状況になったことくらいかと。つまり、幼少期に
被告が受けたと噂されていた虐待が、実際はもっと酷かったということが裁判で分かった
わけではありませんでした。
Kenさんやシェンさんが母親のしつけの一部を虐待認定することに異議はないのですが、
その全てを虐待認定することができないのは当たり前なわけで、ちゃんと母親を批判するには
虐待としつけの線引きをする必要があると私は考えています(裁判で明らかになった母親の
「しつけ」には、私見では明確に虐待であるといえるものと虐待であるかどうかがあいまいな
ものとがあるので)。
けれども今思えば、虐待が行われたと仮定した上で母親の責任を問えるような論旨を前もって
整備しておくべきだったかも。もはや後の祭りですが。裁判が始まってその機会を逸してしまった
こともあって、母親に対してシェンさんやKenさんほど厳しいことを言えない今の自分に
もどかしさを感じます。
また先のレスで書いたように、被告が受けたとされる虐待について、それが被告にとって
母親殺害の動機となりえたかどうかが疑わしいと思っています。なので、そこから逆向きに
虐待の程度や被告の耐性を過小(過少)に見積もる傾向が私にはあるのかなと。
余談ですが、加藤被告が母親に復讐したとして、その方法が常軌を逸していたりあまりに
残虐であったりしたばあいは情状酌量ってどうなんだろうとか考えています。トラックで
自宅に突っ込んでタガーナイフで母親メッタ刺しの場合とか。あるいは、被告が壁に八つ
当たりするのでなしに直接母親に暴力を振るうようになって、ある日予期せず母親を殺して
しまった場合とか。
135
:
紫煙狼
:2011/03/29(火) 22:15:59
震災の件もあって、余計な書き込みを控えておりましたので、今更と言う感じもありますが…。
加藤被告の一審判決は、やはり死刑判決でしたね。
この事件の犯人たる加藤被告が最高刑の判決を受けないとすれば、今後、どのような犯罪が
起きたときに最高刑の判決を下すのか?という部分もあって、加藤被告に最高刑の判決が
下ったことには私も異論はありません。
ただ、私が同意するのは「最高刑」であって最高刑の内容が死刑であることを必要としません。
例えば、現行法制に置いて最高刑が無期懲役であれば無期懲役で、20年程度の有期懲役が最高刑なら
20年程度の有期懲役でも、私は異論が無いのですね。
でも、この判決のニュースがYahoo!ニュースに載った時、そのニュースのコメント欄には
「絞首ではなく、自動車で撥ねた後、タガーナイフでメッタ突きにすべし!」のような
コメントが多数残されており、またそれに対して「私もそう思う」をクリックしている人が
これもまた多数いらっしゃったのですね。つまり「本当なら死刑でも飽き足らない」派?
この処罰感情の強さと言うのは、何なのでしょうね…。
普通の日常生活に於いて、私たちは人に罵詈雑言を浴びせかけたり、死を願っていることを
クチにすることは許されません。しかし、許されないから我慢しているだけで、実は誰でも
人に憚られる事無く悪口雑言を並べ立て、怒りに任せて人を殺してやりたいという鬱屈した
思いをかかえている。それをじっと押し殺している。
でも、凶悪犯に罵詈雑言を浴びせかけることを非難する人は少ないですからね。
社会正義と言う大義名分も在る。そうすると人は普段の鬱屈した思いを凶悪犯にまとめ投げ
するのでしょうか?平たく言えば、自分の心の平穏、心の快楽のために、合理的理由をもって
非難し、罵倒し、死を望み、あまつさえ場合によっては自分が処刑人になることを厭わない。
むしろ、好きにしてよいなら是非とも処刑人に立候補したいと思う人までいる。
一昔前のアメリカの刑事ドラマの主人公のセリフを思い出しました。
「なぜオレがデカになったかわかるか?合法的に人間を撃ち殺せるからさ。」
136
:
Ken
:2011/04/03(日) 13:43:58
紫煙狼さんの言いたいことよく分かります。
私、スプラッター映画をひそかに愛好してるんですけど、あれ好きだって公言するのはちょっとはばかれますね。変な人だと思われないかなと。
一方で、生身の人間に対してナイフでメッタ刺しにしろなどということをためらいもなく、むしろそれは正義だと言わんばかりに放言できる人がいるというのはちょっと怖いです。
ただ、こういうのってネット弁慶なだけでは。ネットだと面と向かって言えないことでも平気で言う人いますから。普段周囲の人間にそういうこと言ったりはしなさそうですけど。別にそれなら問題なしというわけでもないですが。
138
:
減二
:2014/04/12(土) 01:46:09
すみません、、ご紹介のため、トップに張らせていただきます。
142
:
減二
:2014/04/12(土) 21:54:09
何度も申し上げている通り、ここは事件のスレッドなのですから、
販売目的のご投稿はお控えください。
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