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犯罪に対する態度についてどう考えたらよいのでしょうか?

131紫煙狼:2008/06/24(火) 00:12:26
被害者の命が尊いのは(加害者以外の)誰にだってわかることですよね?
でも、被害者の命が尊いからといって、加害者の命は尊くないなんてのは、
やっぱり命というものの価値を比較している点で誤りに思えるのですよ。

比較するなら命の価値ではなく、人間としての価値や、人生の価値だとおもうのです。
これなら私も気持ちよく加害者の人間的価値は限りなく低く、加害者の人生の価値を
高く評価しなければならない理由は全くないと断言します。

ただ…命の価値は比較不能です。数学的に言えば虚数の大小を比較するようなものです。

5+3i>2+3i

素人目には正しそうに見えますよね。でも数学的には誤りなんです。でも…
5+3>2+3
は正しいですよ。なぜでしょう?
それはi(あい)が無いからなんです。命の尊さを比較しないのはiがあるからなんです。
被害者も加害者も等しくiせば、人間的価値の大小を比較することはできても、
人生の価値を比較することはできても、命の尊さを比較することはできない。
それが私の考える人間愛だと思います。

132ケットシー:2008/06/24(火) 01:28:11
紫煙狼さんに倣いスレッドを少しお借りいたします。
無精髭さんお誘いいただきありがとうございました。m(__)m

なるほど。紫煙狼さんが命を価値を比較しないという意味が少しわかってきた
気がいたします。ただ、自分の不明瞭な文章のせいで紫煙狼さんに誤解を与え
たかも知れないので一応断っておきますが、自分自身としては人間の命が一番
尊い等と思ったことは一度もありません。あくまで人間社会において根幹の部
分においてそれがあるのではという話です。自分も命の価値を比較するという
のはやはり違うとは思うのです。ただ種として見た場合、命の価値比較すると
言うより優先順位の問題なのですが、人間に重きを置かざるを得ないのかなと、
自分はそう考えているのです。
種の危機に瀕しては他の種を淘汰してでも生き残らねばならない。これは生命
としての根幹であると考えています。もし鯨を絶滅させねば人間が滅ぶという
のなら自分は迷うことなく鯨を絶滅する側にまわることでしょう。
もっともやはり何らかの十字架を背負う事になるとの覚悟の上でですが。
こういった考え方は種としてのプログラム、人間社会における刷り込みや教育
で醸成されていった物ではあるのでしょうが、やはり必要ではあると感じるのです。
まぁ、あくまでこれらは有事の話で余裕があるのであれば他の種にも優しくし
てあげたいものです。それが出来ると言うことが人間であるという事のちっぽ
けなプライドなのではないかと思います。
もっともこんなもの欺瞞な上に偽善でしかありません。現在の環境問題だって
結局のところ自分たちのケツを拭いてるに過ぎませんし、『地球に優しい』な
んて標語には正直辟易しています。ですがまぁ、これだけはいえると思うのです。
『情けは人の為ならず』。これは他の生命や自然にも当てはまると思うのです。
結局は自分達の為だと言う虚しい考え方かもしれませんが、自分には地球の為
にだとか言うおためごかしよりはよっぽどしっくりくるように思います。

133ケットシー:2008/06/24(火) 03:16:31
さて、相当脱線してしまいましたが、以前書いた人外だから簡単に命を奪える
のくだりについて紫煙狼さんからレスを頂いて少し考える所がありました。

まず『虫の命は人の命より尊くない』、これは実際に虫の命がそうだとか言う
わけではなく、人が無意識に持っている認識だと思います。
確かにいざ虫を殺そうとする人間が虫の命の比較なんて考えているわけはあり
ませんが、無意下にこの認識を持っているからこそ行動に移せるのだと思います。
さらに、これに紫煙狼さんが仰っていた『思い入れがないから非情に徹する事
ができる』というの当てはめるとしっくりくるように思います。
『思い入れがない』とは『無関心』であること。
つまり言い換えれば『虫の命に無関心だから殺せる』ということになります。
これを凶悪犯に置き換えて『他者の命に無関心だから殺せる』とした場合正直
薄ら寒く感じました。
まぁ、こう感じるのもあくまで自分が『人間』であるからなのでしょうが。

兎にも角にも命を天秤で量る事の是非は言わずもがなですが、我々の無意識
下には『命の天秤』が必ずどこかにある。それは認めなければならない。
自分はそう考えているのです。

最後に紫煙狼さんの仰る命の価値という部分がどうやら自分の捉え方とは異
なっていたようです。
自分は命の価値と聞いてそれまでの人生、これからの人生また生を全うする
までをもろもろ含めて『命の価値』と捉えていました。
もちろんそれで単純比較できるようなものとは考えておりませんでしたが。
間違って居たら申し訳ないのですが、紫煙狼さんはそれらを別の物と捉えて
考えておられたのですね?
手前勝手ですがなんとなくすっきりしましたw

駄文失礼いたしました。m(__)m

134人間魚雷:2008/06/24(火) 20:29:46
さすがに蚊を生け捕りにしたことは無いですが、
一旦生け捕りにしてしまうと殺すに忍びないというのはよく分かります。
「犯人を殺してやりた」と叫ぶ被害者遺族でも、
後ろ手に縛られた犯人を目の前に出され、殺してもいいですよと言われても
実際に殺せる人は少ないのではないでしょうか?
そこで「国家」という感情の無い「化け物」のカを借りることになるのでは?

135紫煙狼:2008/06/25(水) 00:44:40
ケットシーさん
仰るとおりです。もし「命の価値」が複合条件で成立するものであれば、
しかもそれが第三者から評価しうるものであったとすれば、「ゴキブリは気持ちが
悪いから命の価値が無い」とか「クジラは賢い動物だから命の価値がある」とか
傲慢で身の程知らずな第三者によって生き物の命の価値が比較されることを
肯定せざるを得なくなります。

「命の価値は、絶対不可侵で、生き物万物に等しく与えられた価値である」
こう定義することによって、全ての生物の命は等しく尊いものであるから、
不必要に手前勝手な尺度で与奪を決定付けることは許されないと結論できるのです。
そして、これを以ってはじめて、不必要な殺生の罪深さが明確になるのです。
しかし…人間の価値というのは、与えられるものではなく自ら作り上げるものです。
だから人間の価値というのはその人の生き方ひとつで上がりも下がりもするのです。
この前提に立って、もう一度繰り返すと、宮崎元死刑囚の命の価値は万人と同じく
尊いものであると確信する。しかし宮崎元死刑囚の人間としての価値は評価に
値しないと断言する。私は断固として宮崎元死刑囚を永遠に許さない。

他者の命の価値を軽んじた宮崎元死刑囚の犯行は人間としてではなく、生きとし生ける
ものとして決して許されるべきではない。しかし、それを理由に宮崎死刑囚の命を奪う
ことは、単にその論拠が世間一般に受け入れられるものであったか否かの差でしかなく、
合法であろうが非合法であろうが「殺人者」の謗りを免れるものではない。なぜなら、
合法、非合法の境界線は「世間一般による多数決の原則」でしかないのだから。
そう言う事が言いたかったわけです。(ケットシーさんには伝わったようで嬉しいです。)

もちろん、無理に賛同していただく必要はありません。そういう変わった考え方の人も
居るんだな程度に思って記憶に留めておいていただければ、何かの折に考え方のツールの
一つ、もしくは愚な考え方の一例として役立つかもしれない。その程度で十分です(^^)

136紫煙狼:2008/06/25(水) 01:59:43
>>134
>そこで「国家」という感情の無い「化け物」のカを借りる

私の個人的意見では、法廷で被告の死刑を求めた被害者と被害者遺族は
死刑に立ち会う権利、それも放棄してはいけない権利があると思うのですよ。
自分たちが受けた被害が同害報復される瞬間を目に焼き付けてほしい。そして
お亡くなりになった被害者の墓前で胸を張って正義が行われたことを報告して
いただきたい。

死刑判決を受けるような凶悪な犯行に比べれば、絞首刑というのは比べるまでも
無く人道的な方法で命を奪うわけですから、身内が殺された瞬間を思えば、
とても生易しい方法で死刑は執行される。
ぜひとも、いかに死刑が生ぬるい刑罰であるかを見てきて皆に知らしめてほしい。
よりジワリジワリと恐怖を与え時間をかけて苦しめながら死に至らしめる刑罰が
必要であることを皆に知らしめていただきたい。
そうすれば、他人事であることを良いことに被害者遺族の気持ちも考えず
死刑廃止を唱えるような螺子の外れたヤツもいなくなるでしょう。

しかし、加害者の死を願い、それを主張しつつも、自ら手を汚すこともせず、
あまつさえその願いがかなう瞬間に立ち会うことすら躊躇い拒むのであれば、
目を背けるのであれば、私はそれを「卑怯」と表現しかねない。

137ケットシー:2008/06/25(水) 02:49:27
紫煙狼さん
いえ、紫煙狼さんの仰る通りです。愚かな考え方なんてとんでもないですよ。
前回のレスで自分は命の価値を複合的に捉えたと書きましたが、まず始めに奪
われた命の先にある未来、其処に目が行ってしまったんです。
実は自分の住んでいる家の隣が保育園だったりするのですが、毎日楽しそうに
騒いだり泣いたりそんな子供たちを見ているせいでしょうかね。この子達は大
きくなったら何になるんだろう?等と時折考えるのです。
その子供たちとそう年端も変わらない子供たちの命が奪われたのです。
自分にはまぶしい未来が突然摘み取られたのです。
何とも遣る瀬無い。とてもではないが許せない。
だからこそ宮崎元死刑囚の命の価値を認めることが出来なかった、認めるわけ
にはいかなかった。自分を振り返ってみるとおそらくそういうことなのだと思います。

仰るように命の価値を複合的に考えれば、人間の秤によって勝手に命の大小が
定義される危険があります。ただ、自分の以前までの『命の価値の比較』はあ
くまで人間社会で人間のみを対象としたもののつもりでした。それも、何を残
しただとかで比較する事ではなく、いうなれば皆罪を犯したものでなければフ
ラットの状態でありそれこそはかりかねる物という曖昧な定義でした。
(この辺のニュアンスの説明が難しいのですが^^;)
あくまで人間社会でと定義したのは、紫煙狼さんの危惧された事柄を避ける為
です。基本人間には他の生物の『生』を推し量る事などはできません。
(もちろん人間自身であってもはかることなどできないのですが)
さてそんな浅薄な考えではあったわけですが、紫煙狼さんの仰るように『命の
価値』を不可侵と位置づけて『人生の価値』、『人間としての価値』と分けて
考えた時、自分の考えもよりしっくりくるように思います。
結局のところ自分の考えの中でも違和感のある所を紫煙狼さんに埋めていただ
く形になり、大変ありがたく思っております。m(__)m

138無精髭:2008/07/25(金) 23:23:30
>>126-137での紫煙狼氏とケットシー氏のやり取りのきっかけとなった、両氏による一連の書き込みです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1213666022/17-20
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1213666022/26-28
以上、「宮崎勤死刑執行」スレッドより。未見の方は、宜しければ是非これらを>>126-137の前に接続してお読み下さい。


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