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小6同級生殺害事件

29辻風:2004/06/07(月) 16:58
>>20 【昔のドラマで「マシンガンとセーラー服(?)」】
それは、「セーラー服と機関銃」・・・ですか。(汗)
よけいな一言スミマセン。(大汗)

30M_I:2004/06/07(月) 22:27
>>27>>29
それです。微妙に違いましたね(笑 ご指摘感謝。

31はな:2004/06/08(火) 01:02
辻風さんのおっしゃるように小学生といえども殺意を持つことはあると思います。
この人を殺したい、この人がいなくなったらいいのに、などの感情は誰でも持ったことはあると思います。
でもそれは大体において一時的なものだと思うのです。
ただし辻風さんのように実のお兄さんから日常的に執拗な暴力にさらされ続けていたならば、
相手に強い殺意を抱くのは、自分を守る防衛本能としてすごく自然なことだと思います。
ただし、この加害者の少女は、殺害した少女から殺さざるをえないほどの強い迫害を受けていたとは思い難いのです。
加害者の少女は、元々「殺人願望」のようなものを彼女の嗜好?として持っていたように見えます。
テレビで彼女のHPの一部を写していましたが、気になったというか、ちょっとギョッとするのは、
HPが黒をバックに赤の文字で綴っていることです。
そこには、「血」と心の中の「悪」といったものへの傾倒・賛美が感じられます。
ゴスロリ少女が恋人の大学生と共謀して彼らの家族を殺害しようとした事件がありましたが
彼女のHPもやはり黒字に赤文字というのが、何か印象深く、ひっかかっていました。
今回事件を起こした少女は、人を殺したいという願望・妄想の世界にとらわれていたように思う。
なぜ、彼女はそこまで攻撃性を持つに至ったのでしょうか? 
体重のことや、ぶりっ子、といわれたからと言って、そこまで気にして過剰に反応し、
攻撃性を持つ、というのはやはり彼女なりの何らかの原因、そして抑圧・蓄積があったのではないでしょうか?
難しいかもしれないが、ぜひ彼女の心の過程が明らかになればいいと思う。
 話は変わりますが、私はかねてからこういった凶悪犯罪を低年齢で犯した人が真に更生できるのか、
ということに強い疑問を持っています。本当に更生って可能なのでしょうか?
更生に取り組む、周りの人達が余程真剣に、しかも忍耐強く向き合っていかないと無理だろうし、
しかも少年少女時代で殺人など、極端なとこまでいった場合、その嗜好って隠すことはできても
本質的なものって変えられるものだろうか? 長崎の駿ちゃんの時もそう思ったのですが・・・

32Low:2004/06/08(火) 09:23
被害者のお父さんの手紙を読んで、心の底から苦しくまた悲しくなりました。

加害者の少女は、人を殺す事自体は何とも思っていなかったように思われます。
殺しの手段を何通りか考えていたり、犯行後15分もの間冷静に見届けて死を確実なものとしたり。
殺人そのものには罪悪感を覚える様子が無い反面、犯行に至る動機たるや誰でもあのくらいの頃には、身に覚えのあるささいないさかいに過ぎませんでした。
加害者は、法律上は責任能力がないことから間違いなく実刑にはなりませんが、これまで知ってきた事件でも加害者に責任の自覚が無い、と思えた事はほとんど無かったのに対し、この加害者はまさに責任というものに、罪の重さや命の重さに、あまりにも無自覚であったという意味で、責任能力が無い…到底子供にしかできない犯行だと感じぞっとしました。
今日は、朝からずっと重い気分です…。
被害者の冥福を祈ります。

33特命希望:2004/06/08(火) 11:02
私も被害者の父親の手記を読んで涙がでました。
拙い文章が逆に新聞記者である父親の混乱と苦悩を如実に表わしていると思う。

事件当初、マスコミの会見に淡々と答えていた被害者の父親、
ショックで教壇に立てなくなった担任教師などを非難する声もあるが、
こういう凶悪犯罪に慣れきって、マスコミ受けする=一般受けするパフォーマンスでなければいけないような風潮が恐ろしい。

誰だって当事者になれば、ショックで麻痺状態になり頭と身体が別々だったりするだろうに、
そこまで他人への想いを馳せられない風潮に問題があるのではないだろうか。

酒鬼薔薇事件を代表に起きた数々の少年凶悪犯罪。
「またか」と興味本位に、事件に慣れてしまうことがないように
自らを戒めてます。

34:2004/06/08(火) 12:27
今の若者(もちろん子供も含みます)は死に対してあまりリアリティーを
感じないのではないでしょうか。
我々の世代は祖父や祖母と同居しているのがあたりまえで、人が年老いて
死んでいく事を身近で経験します。まして今は老人ホームや病院で最後を
迎える人がほとんどですし。
子供にとって身近な人間の死はとてもショックなことです、でもとても重要な
経験だとおもいます。
交通事故もそうですが、いくら言葉や文章で悲惨な事と教えるよりも、
事故車を現実に見たほうが戒めになるとおもいます。
殺人事件の現場写真を公開するわけにはいかないでしょうけど、
なにかいい方法はないんでしょうか?

35辻風:2004/06/08(火) 16:05
>>31 【はなさん】
「殺人願望」ですか・・・。
確かに僕も件の少女の殺意の根元を被害者からの物と限定して書いたわけではないのですが、
もし少女が個人的にこれだけ殺伐とした妄想を抱いていたのであれば、様子はかなり違ってきますね・・・。
はなさんのおっしゃるとおり、何か別の、よっぽどの抑圧・蓄積などの原因が有るかもしれません。

こういった少年少女の更生については、非常に難しく、また非常に長い年月を要しなければいけないと思います。
どんなに優れたカウンセラーや心療内科を動員しても、少なくともその人の年齢分の時間(件の少女なら11年)
必要かと思います。それでもその後、果たして社会でまともな生活が出来るか、微妙なところだと思います。
実は僕も、30近くになってまだ親元を離れられず、未だに鬱病やパニック障害に悩まされ、社会復帰が出来て
いません。件の少女も、これから非常に苦しく、死んだ方がましと思うぐらい苦しい時間を過ごす事を強いられる
と思います。まあ、それが自業自得という物なんですけどね・・・。

36riko:2004/06/08(火) 23:27
加害者の子は「特別」になりたかったのかも。
バトロワをみて柴崎コウのファンになったのを考えると
(あの作品では柴崎の演じた相馬光子は、複雑な家庭環境や育った過程での
悪質な性的悪戯で歪んでしまい、躊躇いなくクラスメートを殺していく少女でした)
相馬のような冷徹な殺人鬼というものに、ヒーロー性を見出していたように思えます。

被害者の子が母親と死別という辛い体験は、加害者の子からすると
平凡ではない、まるで小説かマンガの登場人物のような人生に(彼女からみればです)
「羨ましい」と思ってしまったような気がします。
自身のHPに肉親と死別してしまったような詩を書いてみたりするあたり
ガミガミうるさく、バスケを辞めさせた母親がいないことを想像して
どんどん「死」が軽くなっていったのではないでしょうか。

殺人を犯した後、教室に血まみれの自分をクラスメートに見せにいくあたり
「特別になった自分」をアピールしたくてたまらなかったような気がします。
彼女を手厚く特例のケアしていく事は、ますます彼女の中の
とある感情を刺激し、増長していきそうな気がします。

37M_I:2004/06/08(火) 23:46
>>36
最有力のように思います。事件の少し前に中学校に侵入した学生が放送室にバリケード
を張って「今から皆さんに殺し合いをしてもらいます」というアナウンスをしたという
事件の報道がありましたが、加害女児がそれに何か触発された部分はあったかもしれない
と思ったりもしてたのですが、バトルロワイアルの内容のほうが重視すべきでしょうね。
(・・・バトルロワイアルも観てないんだよな自分)

38M・K:2004/06/09(水) 00:31
被害女児の写真を使い続けるメディアに辟易してきました。
いつも言われることですが、被害者の人権は何処へ?

39はな:2004/06/09(水) 01:21
昔さんがおっしゃるように、今の子供達は死に対する実感にかけていると思います。
私も小学校低学年の時に祖母の死に立ち会いました。それは悲しくもあり同時に大変衝撃でもありました。
身近な人の「死」というものを、自分の中で消化するのにしばらく時間がかかりましたが、
今思えば、そのような経験をしたことは自分にとって大変良かったと思います。
でも、今の核家族化が進む社会ではなかなかむずかしいのでしょうか・・・
 辻風さん、現在もいろいろと苦しんでいらっしゃるようで、お気持ちお察しします。
辻風さんのように家族の内部で暴力を振るわれたりするということは、後々までもつらいことですよね。
たとえそれが肉体的暴力でなくても、言葉の暴力やネグレクト、また過度の干渉や過保護も、
無言の内にその子の「自己を否定する」ということであり、子供にとって大変な苦しみを強いることだと思います。
それによって受けた「無意識下の自己否定の記憶」を拭い去ることは大変困難ですし、そこを一から自分自身で自己を肯定し直し
自分の存在意義を創り直していくというのは、大変なことだと思います。
またこういうことは、往々にして家族の中でも感受性の高い子、やさしい子やいい子が親や家族の欲求不満や不安の犠牲になりがちです。
本来ならば、子供の良い所悪い所含め、全てを、親・家族から受け入れられてこそ、
その子は自分を肯定し、自己を形成し、本当の意味で強くなっていけるものなのです。
しかし、自己が形成されるスタート時点での家庭環境で、自己を否定され、踏みにじられ続けられたならば(家族はその認識がない場合が多いが)
その人はずっと自己否定観にさいなまれるであろうし、自分の価値を見出していくことはとても大変なことだと思います。
 近年、生じている様々な問題、凶悪少年犯罪、幼児虐待、リストカット、摂食障害などは
どれも根底にある問題は共通していることのように思います。
「自分に存在価値を見出せない」ゆえに「自分自身生きている感覚が実感として感じられない」。
だからこそ、手首を切ってその瞬間は生きている感覚が得られるのだろうし、拒食にしても同じだろう。
「他人を殺す」という行為も逆説的ではあるけれども、「自分を殺したい」という欲求の思いの表れのような気がします。
肉体的暴力であれ、過度の干渉によって自己が侵食されたにせよ、その子の内部ではその度に何度も
「自己が殺され続けてきた」のではないでしょうか。
大げさな表現のようですが、目には映らないその子の心は、何回も血が流れ、何度も引き裂かれたに違いないと思います。
全てとは言いませんが、このような殺人を犯す少年少女は、「人を殺すことによって擬似的に、(同時に)自分自身をも殺していて、そのことによって
自分の生きている実感を得たい」という逆説的な深層心理があるような気がします。
 このような事柄が頻発する裏側には、親自体が、自分自身生きていく上での存在価値や意義を見出せていない、ということが大きな要因である気がします。
中心が定まらず、どこかぽっかり空いた空洞、無意識の内にそれによって生じる不安や強い欲求不満を抱えたままに
子供に向かい、子供を無意識に「餌食」にしてしまっている親が増えているのではないでしょうか?
まず親自身が子供に(精神的に)しがみついたり、奪ったりしないで、精神的に自立し成長すべきだと思います。
 辻風さんも本当に大変な思いをされてきたのでしょうが、だからこそ、そんなあなただからこそ、
見えてくるもの、他の人にはできないできること、がきっとあると思います。
非常に不公平で残酷な運命ですが、あなたがそのようなところに生まれてきたことも、きっと何かしらの意味があるのだと思います。
あなたが生まれてきたことも、何かしらの意味があるはず。でもそれを見つけられるのはあなただけです。
いくつになっても決して遅くはないと思います。ささやかなことでもいい、あなただから見える、あなたの場所だから見えること
がきっとあると思います。

40BB:2004/06/09(水) 05:08
 大変興味深くこの書き込みを読ませて頂いています。特に辻風さん、はなさんのやりとりは
この事件の本質をとらえているような気がします。この事件がきっかけで、私の幼少期を振り
返る事が多いですが、私自身にも「殺意」らしきものをもって妹に接していた時期があります。
それは些細な兄弟喧嘩が原因。団地の屋上から妹を突き落とす夢を見ていたのを鮮明に思い出
す事ができます。で、朝起きて一人で安心している自分がいました。逆に妹に包丁を突きつけ
られた事もありましたが・・・今頃になってヒヤヒヤしています。今、私は独身。妹は結婚し
て子供が一人います。その姪を通して、本当に子育ては難しいんだろうなと思います。五歳に
なる子ですが「死」というものに非常に興味を持っている様子です。さかんに言われている事
ですが、昔と違って今の子供は、早い時期から様々な情報を得ています。そんな子供の発言や
行動にビクッとする事もしばしばです。私は独身なので偉そうな事は言えませんが、今の親達
は子供に対して非常に過敏になり過ぎているのではないでしょうか。今回のような事件が起こ
ると、親の立場としても、昔と違って様々な情報が入るようになっています。「なぜこんな事
件が起こったか社会に還元すべき」として色々な報道がなされていますが、どうか頭でっかち
にならないで、自然な形で子供に接して欲しいと思います。まあ、所詮、独身の言うことかも
知れませんが・・・

41M_I:2004/06/09(水) 23:39
親による抑制は確かにあったでしょうけどネットで吐き出している部分もありますし
バスケ部は結構厳しいらしい事も分かってきましたよね(負けた罰に100周走れ!とか)。
それと被害者よりも仲の良い友達がいると供述してきましたね、本当なんだろうか。
まあ強弱はあれど、いろいろな感情が混ざっていそうですが、事件前から軽度の暴力が別の生徒にも
あった事はやっぱり気になりますよね。今精神鑑定の最中のようですが、躁鬱診断が出るか出ないか。
喧嘩状態にあった被害者が選ばれたのはやはり被害者に対しての純粋な怒りもなければいけないでしょうし。
自分が教えて出来たHPなのに使いこなせるようになったら悪口を書かれるようになった、というのは思った
以上に腹の立つ事だったのかもしれないですね。痩せる宣言や自分を中肉中背呼ばわりするのは、普通に考えれば
「言われて傷つく前に自分で言っておく」ようなものですし、いろんな感情が混在する内でどれが一番強いのか。
鑑定結果が気になりますね。

42M_I:2004/06/09(水) 23:46
自分は割と自由奔放に育てられたほうなのでちょっと想像できないのですが、
親に対しての不満のようなものを他人にぶつけてしまう事が少年期にはあるもんなんですか?

43Katsu:2004/06/10(木) 00:12
マスコミとかワイドショーで、単純にインターネットやバトロワを
持ち出されることは、不愉快さを感じつつも、今回の加害者に
おいては、この2つの要素は、外せないような気がしてきました。

一部の方もおっしゃってますが、加害者には、自分にとって
邪魔な存在がいることから、その存在をなくすために殺人へと
軽くジャンプするような精神面を持ち合わせていたわけです。
ここから、何らかの種を持っていたとは思うのですが、その種を
育てるのにインターネットやバトロワから得られる情報は、
一役買ってしまったのではないだろうかということです。

小学校の高学年は、急速に親から離れ周りとの接触による
刺激を受けるのではないかと思います。大人が理解できる
ストーリーも大体は掴めるような年齢ですよね。

#変な言い方ですが、小学校の低学年に、バトロワを見せても
途中で飽きてしまうのではないかと思いますが、高学年に
なってくると、不快な気持ちは感じつつも、そのストーリーを
理解するくらいの能力は持つというようことを言いたいのです。

私自身は、仕事がら、世間でインターネットが流行るまえから
利用し、非常に便利なもので、ライフスタイルの変化をもたらす
非常に有益なものと感じていますが、自分の娘がパソコンを
使い出すことを考え、何らかの対策が必要ではないかと
感じています。

#ちなみに、1ヶ月くらい前にバトロワ1st DVD版を見ました。
話題にもなったので、気軽に見てました。が、結局、この
作品は何が言いたいのかなというのが感想です。
とはいえ、やはりR指定は正しいと思うし、あんなものを見て
ヒーロー気分にさせられるのもわかるような気がする。
でも、何と言うか、メッセージとしては、悪い方向にしかいかない
ストーリーだなと思いました。

44Katsu:2004/06/10(木) 00:17
あと、この事件で加害者が教室に戻った時、担任は学習ルームに
行ったんですよね。

今日のニュースで、加害者も怪我しているということで、保健室に
連れていったとあるけど、この差に、加害者が他の六年生を
傷つけることがなくて、亡くなったお嬢さんには悪いけど、救い
だなと思いました。

加害者のHPから見ると、最終的なターゲットとしたのは
亡くなったお嬢さんだったが、そこに至るまでに、同じクラス
の子供達にも不の感情を持っていたようだから...

担任が出た後、クラスの誰かが、何か変なことを言ったら
更なる被害があったのではないかと想像してしまいました..

45関口弁護士:2004/06/10(木) 01:02
担任教諭は、女児の返り血を見て「来るな」と叫び、女児が指差す学習ルームへ走った。
入口で被害者を発見、救急車を呼ぶよう叫ぶ。
それを聞いた3年担任教諭が、現場を確認後階段を駆け下り教頭に連絡。
教頭が119番する。ここまでで10分。
一方異変に気付いた6年教室隣の5年担任教諭が女児を保護、抱えるように
1階保健室まで運ぶ。間もなく養護教諭が現場に駆け付け脈を取るうちに
救急隊員到着。ここまで女児の登場から15分。

2時被害の可能性は十分あったようにおもえる。
女児を残して駆け出した時点で。

女児が被害者に対して「会って謝りたい」といっているのが非常に気になる。
もう帰ってこないことを理解しているのか?
どこかでリセットボタンの存在を信じてはいないか?

46はな:2004/06/10(木) 04:39
BBさんやKatsuさんのおっしゃるように今の時代の子育てっていろいろ難しいだろうなあと思います。
私には子供はいませんが、もし子供ができたら、自分の子供時代には身の回りには無かった携帯とかパソコンとかを
どう与えるかという問題に突き当たるだろうな、と思います。
私的には、子ども自身が稼いでそれを自分で買って費用を賄うようになるまではできれば与えたくない、というのが今の気持ちです。
これらの道具はとても便利だけど、犯罪者に近づく危険性は格段に上がる、と思うのです。
そしてそれは犯罪の被害者になる可能性だけではなく、子供を「加害者」にする可能性も多分にある気がします。
クリックひとつで、普段の生活の中では身近に接することなんて無いであろう、犯罪者の頭の中・「世界観」に
触れてしまうという危険性だってあるからです。「心」としてもまだ発達途中である子供時代に、そんな暗闇に触れるとしたら・・・
個人差はあるでしょうが、心に「隙間」のある子は、影響を受ける危険性は否定できないと思います。
今回の長崎の女児も小学校3年の頃から、ネット上の残虐映像にはまっていたらしいですし・・・
現在の情報・映像社会は、人間の欲望のままに、どんどん刺激的にエスカレートしていっていますよね。
ましてや、ネット上では子供にとってその影響が計り知れないような刺激の強すぎるものも、
興味さえあればなんの垣根も無く接してしまう可能性があると思うのです。
私はこわくて見ていませんが、チェチェンやイラクの米兵の首斬りの動画(おそろし・・)とか
ネット上で出回っているようですが、そんなものを、もし子供が目にしたらどうでしょう?
大人でさえ見たらたぶん後々引きずると思いますが、感受性の強い子供時代に見たら、いったい・・・
私は、「ジョーズ」ですら子供の時分に観た時の恐怖は強烈で、トイレに行く度に怖かった記憶があります。
子供というのは、好奇心が強いものです。怖いもの見たさで受け止めれる器以上の、あまりにも強すぎる刺激に
会う危険性が、今のネット社会ではあると思います。それは、小学生のみならず、思春期の中高生においても言えるます。
 映画やテレビなどのメディアにしても、表現の自由を声高に主張する前に、映像や情報がいかに多くの人に強い影響を
与えるか、という自覚と責任を持ってから制作して欲しい。
今のメディアは、より刺激的に、より興奮できるもの、より話題性があるもの、より視聴率とれるもの、
といった具合に加速化していってるけど、何かちょっとグエッて感じ。経済優先とはいえ限度がある。食傷気味です。
作り手の「品性」に欠けるものがやたら目に付く気がする。 刺激が強けりゃあ、いいってもんじゃない。
目立ちたい、売れたい、競争に負けたくない、儲けたい、そして名誉欲で、
自分の欲さえ満たせば何でも作って、たれ流しですか?と言いたくなる。
メディアに携わる人は、その影響力を考えて、もの作りをして欲しいです。
それから、もうそろそろネットの規制・罰則も本気で腰をすえて取り組むべきでは?
このままじゃあ、未来はますます殺伐としたものになりそうな気がします。

47BB:2004/06/10(木) 15:30
 私はつい最近チェチェンの映像見ました。ほんと恐ろしいです。失礼な言葉の引用かもしれませんが、
被害女児のお父さんのコメントの「お腹の中で熱いボールがゴロゴロ回る」といった感じでし
た。でも人間てほんと何なんでしょうね?リアルタイムで報道されるイラク戦争。ミサイル、
爆弾で何人死んだと報道されます。そんな映像が報道されるという事は、要はそれが一般大衆
には報道しても差し支えない受け入れられるものなのでしょう。その映像等を通して戦争の悲惨
さ等を伝えたいのだろうけど、果たしてどこまで伝わるものなのか?少なくとも私にとっては、
チェチェンの映像が戦争の現実を伝えるものとして一番衝撃的なものでした。麻痺してんのかな?
そして、そんな映像を見ないと戦争の恐ろしさや人の死に対する恐怖を感じられない自分が嫌に
なったりしています。チェチェンの映像で「なんであんな事ができるのか?」と信じられない気
持ちですが、宗教観や過去から現在までの歴史が彼らをそうさせたのかな?と思ったりしていま
す。なんにせよ人間のとりまく環境て大事やな思いました。家族、近隣関係、学校、職場、政治、
国際協調、そんな色々な組織と関係する人間に求めらる環境て難しいですね。
はなさんの言うとおりネット規制て必要ですよね。でも、「死」や「性」についてどこまで規制
したらいいのかなぁ?難しい問題ですね。

48辻風:2004/06/10(木) 15:36
>>39
レス遅れてすみません。
はなさん、このご返答には大変感謝しています。こんなに自分を励ましていただき、感激しています。
僕にとっての大きな励みとなりました。これをきっかけに、社会復帰へ弾みをつけていこうと思います。

49BB:2004/06/10(木) 16:19
 >>48
 私からも一言。辻風さん頑張って!私の知り合いにも同じ様に過去のトラウマを引きずっている
人がいます。原因は親からの暴力。人付き合いがうまくいきません。色々話は聞いたけど、内にに
秘めた傷は他人からああやこうや言われてもなかなか解決できない問題やとよくわかりました。な
かなか人に話せない悩みもでもあるし。辻風さんの自業自得という言葉を妙に悲しく受け取った私
でありますが、社会にでればもっと辻風さんの気持ちをわかってくれる人はたくさんいるはず。同
情じゃなくて。早く克服されることをのぞみます。

50はな:2004/06/10(木) 18:01
BBさんのおっしゃるように、>>「死」や「性」についてどこまで規制したらいいか
という問題って、難しいですね。子供にとって、「死」や「性」についてまったくの無菌状態で育つ、
というのも、かえって不健全だと思いますし・・・
結局、発信する側の判断なんでしょうが、責任の問われないネット上で、良識を求めるというのも
理想論にすぎないでしょうしね・・・
>>宗教観や過去から現在までの歴史が彼らをそうさせたのかな?
本当、最近の中東などの紛争を見ていると、宗教ってなんなのかな?って考えさせられますね。
 辻風さんへ
今の世の中、鬱に、誰だってなる可能性は持っていると思います。
私の身近にも鬱の人がいます。それを見ていると完治とかっていうのは、なかなか難しいもんだなあと思います。
私自身、訳も無く、気持ちが沈んでどうしようもないことがよくあります。
病院で診てもらったことはないのですが、やはり鬱だろうなあと思います。
私もそんな自分がイヤでイヤで認めたくなかったですが、
「まあ、しゃあない。そんな部分も含めて自分なんだな。
マイナスでもあるけど、見方によっちゃあ、それってプラスにもなるなあ。そういう経験をしたからこそ
大事に思えること、発見できること、感動できることってあるなあ。」
と思うようになり、大分楽になりました。
鬱の人って、得てして真面目で責任感が強くて、完璧主義の人がなりやすいようですね。
でもはたから見てると、鬱って目に見えるような症状がないので、そのつらさってなかなか分かりづらいものですよね。
怠けているように見えたり、気合の問題だとか。でもそんな自分を許せないのは、誰よりもその人自身なんですよね。
私の場合は、これからも気長に鬱な自分とも付き合っていこう、と思っています。
気持ちが落ち込んできても、しばらく下に沈んでいて上を通り過ぎるのを待っていると、
(場合によっては、とことん落ちるとこまで落ちていったら)必ず上に上がってくるのが分かってるからです。
まあできるだけ、鬱にならないようにとは思いますが、鬱になってもあまりそれを自分の中で強く否定して
自己嫌悪にならないで、受け入れていこう、と思っています。
 辻風さんも気長にどうぞ***
ここのスレッドと関係ない話を長々してしまい、すいません。

51辻風:2004/06/10(木) 18:18
>>49
なんだか、色々な人達にこれだけ励ましてもらって、本当に感動しました。
件の少女も、世の中にはたくさんのいい人やいい世界があるということに早く気づいて、更正していって
欲しいと思います。

ところで、僕は以前、隣近所の6〜7歳くらいの子供たちがゲームボーイで遊びながら、「もうすこしで
こいつ(多分ゲームの敵キャラ)を殺せるのになあ」と話し合っているのを目撃したことがあります。
しかもそのすぐ隣に親達がいたのに、誰もその発言について何の言及もしなかったのです。
こんな小さな頃から「殺す」という言葉を当たり前のように使い、しかも周りが何の疑いも無くそれを当然の
事として受け止めてしまっている状況というのは、やはり異常だと思います。
これではやはり、子供たちが「殺すと言うこと」や人の命に対して、どんどん無知、無感覚になっていくのも
しょうがないと思います。
安易な批判をするつもりはありませんが、やはり有毒な情報、表現については、親がちゃんと見極め、
子供をそこから遠ざける、情報源も何らかの自主規制をするということが必要かと思います。

52BB:2004/06/10(木) 19:24
>>51
誤解のないように書かせてもらいますが、辻風さんの前のレスで加害女児のこれからについて
自業自得と表現された事について、私が勝手に、辻風さんが自分と加害女児の心境を重ね合わ
せて、今の辻風さん自身を自業自得と考えられているのなら悲しいな思ったわかです。勝手な
解釈すいませんね。はなさんが書かれている様に「そんな自分」を受け入れることも大事でし
ょうし、また逆に自分を攻めすぎるのもいけない。ほんと頑張ってくださいね。
 私も小さい頃はおそらく「殺すぞ」とか言ってたはず。子供てある意味残酷やもんね。でも
近所や学校の友達といろんな遊びをする中で、例えば簡単な話、友達がこけて血がでるのを見
て「可哀想」と思う心境や、喧嘩しているのを見て「恐い」と思う状況がたくさんあったと思
う。それに近所には外で遊んでいると友達も含めていっぱい人がおったような気がする。人格
を形成する中で多くの人達と関わった気がします。死とかいろんな事についてどんな教育を受
けてきたかは自分自身定かでないですが、「その時がくれば知る」といった感じ。今はそれが
とても早いんでしょうね。でもその分、いわゆる将来有望な「かしこい」子が育つのも事実な
んでしょうけど。ほんと難しい世の中です。

53はな:2004/06/10(木) 23:35
辻風さんがおっしゃるように子供たちがゲームで、敵キャラを倒す世界に没頭しすぎるのも
ちょっとなあ・・て感じがしますね。
私が以前バイトしていた所の隣の店が、店先にゲーム機を置いていて、
そこに塾帰りの中学生ぐらいの、一見とてもおとなしそうな一人の男の子がよく立ち寄ってたのですが、
その子はゲームをしだすと、北斗の拳ばりに
「きえ〜っっ、うりゃあ〜っっ」と、ものすごい奇声をあげ、
ゲーム機を破壊せんばかりのすざましい勢いで、ダンダン叩きながら、いつもゲームをするのです。
「か〜なりストレス溜まってんなあ」と思いながらも、ちょっとギョッとしちゃう異様な光景でした。
この子の将来だいじょうぶかいな???とちょっと心配しちゃいました・・・
 BBさんがおっしゃるように
>>死とかいろんな事についてどんな教育を受けてきたかは自分自身定かだはないが、
  「その時がくれば知る」といった感じ
というようなのが、普通ですよね。
一方で、自分を大事に思えず、自分を愛せず、自分の死について軽んじてる人は、
他人の死(生)に対しても、価値を感じず、軽んじるんだろうな、って気がします。
 ちょっと話が違うかもしれないけど、イラクの状態とか見ていると、
イラクもアメリカも、求めるばかり・奪うばかりで、なにかとても進歩がないし、
生産的でない気がします。イスラエルとパレスチナにしても、相手を責めてばかり。
やったらやりかえすの繰り返し。いつまで続けていくのでしょう。
相手も自分達と同じように、血を流していて、悲しみがあるのだ、という「想像力の欠如」。
憎しみもパワーをもたらすけれど、与える愛もパワーをもたらす。
 私は、イスラム教が唯一で絶対であり、イスラム教の為に死んだら聖職者になれる、
なんてイスラム教の理論は、ものすごく嫌いですが(まあ極端な信者の場合なのでしょうが)
他人の不幸の上に、自分の幸せを築こうというイスラエルやアメリカの考えも大嫌いです。
他人の不幸・涙の上に幸せを築いても、いつか絶対自分自身にブーメランのように返ってくると思います。
 きれいごとではあるかもしれないけれど、イラクとか見てると、奪いあうのではなく、
もっと与え合うようにならないかなあ・・・と思います。
 長崎の加害女児の育った環境は分かりませんし、全くの架空論ですが、もし求められすぎたり、
奪われたりすることなく、厳しくとも無償の、与えられる、環境で育ったのならば、
彼女はどうなっていたんだろう・・・と思います。

54BB:2004/06/11(金) 03:05
>>53
たぶん今回の事件は起こってなかったと思います。事件後両親と面会していますが、
お母さんは泣くばかりで一言も声をかけられなかった。あの子がなぜこんな事を・・・
家では「いい子」だったんでしょうね。皆さんも述べられていますが、仮に、加害
女児には自室があり、テレビ、ビデオ、パソコン等すべてが与えられているとする
と子供が何をしているかわかりませんよね。今はそれがあたり前なのかしら?あま
りにも親と子供の共有する時間が少なすぎる・・・親はいちいち子供に干渉する存在
だと思います。そんな中で子供は親に反発し、怒られ、叩かれ、許され、褒められ、
愛情を感じていくものなのではないでしょうか。その繰り返しの中で親は「少し甘や
かしすぎたな・・・」とか「厳しすぎたかな」と感じていくものだと思います。親は
いつまでたっても子が心配とよく聞きます。そんな親と早熟する子供のギャップを
埋めるのは、親と子の本当の意味での人間の付き合いだと思います。最後に一番辛い
思いをするのは親。でも今回の事件は早い年齢で起きてるから親だけを責めるのは
酷なのかな?自分に子供ができた時は自信ないなぁ・・・偉そうな事はなんぼでも言え
るね。

55M_I:2004/06/11(金) 19:13
加害女児のHPを見てみましたら、話して聞かせれば分かる子だろうし供述に嘘はなさそうですね。
自己の理想願望は残るにしてもいわゆる客観的な伝説性の狙いは、まったく無いといって良さそうですね。
この手のを聞くとすぐにそれ系を連想してしまうのですが、この子の場合はむしろ表面的な若者文化の価値観
に対して反発があって、合わせれば内側で自己嫌悪や葛藤が沸き、反した表現をしたら「ぶりっ子」と言われたり、
仲間内で誰かの悪口を言ったとしても内面では言いたくなさそうな感じの子という印象でした。
「なれない子が悪くなろうとして行き過ぎた」とか?誰かに恋感情を持っていたんだろうか。

56BB:2004/06/11(金) 19:54
>>55
それなら救われますね。報道ではやたらと事件の原因究明をかけて、いわゆる
「心の闇」を追求する否定的な意見が強いから。かく言う僕もそんな一人か・・
そんな子供の叫びを察知できるようにならんとあかんね。

57むむ・・・:2004/06/13(日) 00:32
子供は大人と同じようにずるいし、大人が考えているほど純真でも純朴でもない。
加害者の女児はあくまで罪人だ。

58ポチ:2004/06/13(日) 00:44
弁護士の言葉、先生の言葉、報道の人間の言葉・・「普通の子だった」
普通はどこにあるのか、想像はしても実行に移すのは普通ではない。
「普通の子だった」の言葉は、すでに解明するだけの力も資格もない。

かつて、ビートルズも長髪も世の中を乱すものという批判があった。
今はパソコンや茶髪、ゲームや漫画の所為にする人がいる。
解らない事には罪を擦りつけ、いっぱしの評論家気取りの親の年代。
教育が悪いなんて声高に叫ぶオッサン・・そもそも教育は親の役目。
国語や算数と人間教育は違うものではないか?
自由と放任、躾と虐待、甘えさせると甘やかすの違いが判らない親達。

私は九州長崎在住。事件の原因は違う所にあると信じている。
Res25にあるように地域差も確実にあると信じる。
長崎は佐賀、鹿児島、沖縄、青森等と並んで一番賃金の安い県。
生活の為に共働きが多いのも長崎の特徴で親との交流時間は少ない。
  少女は親より友達の少女を好きだったのかもしれない。
裏切られた心は憎しみに変わり易い。。

最後に、背景を考えたい。
戦中戦後の昭和20年前後の10数年は(産めや増やせ)で爆発的な
人口を占める。  碌な食い物も無く碌な教育も家庭も受けなかった。
その時代の子供達は今や世の中を動かす年代、、政治も役人も・・
そして、その子供達は今、親として小学生や中学生を育てている。
恵まれない家庭と教育、そのツケが今回ってきているようだ。
特に地方は優秀な人間は都会に流れた。
残った末裔は今、子育てと孫育ての失敗に気付いていない。
本当の原因は身近に・・鏡を見るべきだ・・私を含めて。

59riko:2004/06/13(日) 01:41
>>55
M_I さんは加害者の少女のHPのどの部分にそうお感じになったのでしょうか。
私も恥ずかしながら、彼女のHPを拝見しましたが、 M_I さんのおっしゃるような
「話して聞かせれば分かる子」とも「内面では悪口を言いたくなさそうな感じの子」とは
思いませんでした。
これは受け取り方が違うからなのでしょうけど。
日記の最後の日付を2011年12月と記すのは、自分が出所してくるあたりを計算しての
日付なのかと思いましたし、5月末の日記では、運動会の事を楽しく語っておりますが
その影では、その日に二度目の被害者のHPの内容を消去するという改竄を行っております。
その頃から被害者の殺害を計画していたらしいので、被害者とのやり取りを消去しておきたかった
という犯罪者独自の狡猾な計算が見え隠れしますが。

死人に口はありませんか。生者はいくらでも後付が可能です。
真実かもしれませんし、罪から逃れたいからかもしれませんし、自分の罪の
重さに耐え切れないでの逃避かもしれません。
ただ、もう被害者の少女は、加害者の少女が望んだ「普通の生活を送りたい」と
思ってももうできません。被害者のお父さんも同じです。
犯行現場を見てしまった下級生も、クラスメートが殺人を犯し、被害者の血がついた
加害者の姿をみてしまったクラスの子供たち。
何も彼らはしていませんが、確実に心に傷を残しております。
正直私は加害者の女の子の心のケアよりも、この巻き込まれてしまった人達の心のケアを
長期の計画できちんと取り組んでいって欲しいと思います。

あと、個人的に「大人はダメだな」と思ったのは、加害者の少女の容姿が可愛かったようで
彼女のファンクラブ的なHPが存在している事でしょうか。
いい大人が、小学生の女の子、しかも犯罪を犯している子を必要以上に持ち上げている様は
ある意味狂気ですね。集団だからこそ、ワイワイ騒いでいるのでしょうけど。
こういう方たちも人の親になるんでしょうね。日本はどうなってしまうんでしょうか。

60riko:2004/06/13(日) 01:45
>死人に口はありませんか。生者はいくらでも後付が可能です
すみません、上記の文は
>死人に口はありませんが、生者はいくらでも後付が可能です
でした。失礼いたしました

61Low:2004/06/13(日) 01:52
>>57
同意です。
もともと子供は良くも悪くも「純粋」だから、善や悪という観念すらもっていません。
経験を積んでいかなければ、暴力はむしろクールに映るかもしれません。
私は大人と子供の違いは、道徳的宗教的意味での罪の重さを知っていることではなく、自分の社会的立場の認識とともに罪の重さを知ることだと思います。
伝統的に言えば、恥の文化がこれに近いかもしれません。
それがちゃんと分かっていればバトルロワイヤルは過激な発想のエンターテイメントであり、インターネットは裏も表もある知識の宝庫であり、便利な通信手段となりえます。
分かっていない人は、大人だろうと子供だろうと、何に興味をもっていようと問題を起こしやすいでしょう。
加害者の少女も、自分自身、そして自分にまつわる全ての関係者への社会的影響を実感し、今頃は罪の重さに気づいたでしょうか…。

62M_I:2004/06/13(日) 18:33
そうか、役に入りきっているんですね。「とくダネ」で加害女児が描いた絵が公開されてまして、それによると
最初は「女の子らしい少女」でそれから小説内で登場するような「目の釣り上がった悪魔っぽい少女」になって、
最後が「頭から蛇の生えたマスコット」的なものになっているんですが、これはもう紙の上に理想像の少女が
出ることはなくなった、つまり「自分がそれに成った」からですね、何で気づかなかったのか。
ということは「冷静に供述している」時は役に入っている時で、「核心部分に触れると泣き出す」のは現実性が
見えるから役では対処できない。そして孤立しだしたのはその役が「協調性のない周りを出抜くような人物」
であるから無意識的に自分から離れていった結果なのかもしれない。これは一貫性ありますね。
「犯行時と感情の起伏が激しい」と言われますが、その時も冷静に淡々とやっていた可能性もありますよね。

>>59
すいません、ちょっと関係なくなってしまいそうな感じになってしまったので簡略してお答えしますと、
まず詩ですね、いかにも書き始めな感じで慣れなてないのであのような「自分を取り巻く環境」を書くしかなかったのかもしれませんが、
「さまざまな棒の詩」やなんかでの本気具合を見てみると(酔ってる部分はありますが)やはり関心事なんだろうと思いました。
要は詩の中の「皆で照らし合えるはず」とか「色んな人がいるけど」とかを本心だと信じるか信じないかという所で、信用してみました。
ここから「中身は親寄りな模範的な良い子だが、友達(若者の価値観)に合わせようと頑張っていたのかもしれない」となりました。
「有名な詩人の引用」は、数日前に被害者の「変な意見?」に対してのアンサーで「詩というのはそういう性質のものであってぶりっ子ではない」
というお断り的なものを入れて割りと我慢する子で、指摘されたようにどうやら酔ってる部分もあるため帳尻合わせの意味もあるようですが、
この辺りからこれら親から受けた影響のようなものを「通用しない悪いもの」として封印し、盲目的に不良っぽさをめざしていったのかもしれない。
また、「異常な記述である」とメディアで部分的に音声付きで報じられたもので、「私は人を奪う事は許されないのでしません・・・(何奇麗事いってんだ)」
などは、実際に確認してみると「殺らなければ殺られる状況下では奇麗事」という意味合いが強いように思いました。(HP自体は割と普通だろうと)
最後の日記で散々書いた後に「不快でも苦情は出さないでクダサイ」と入れたりして、くだらなさを理解していながらツッパっているのか。
・・・とかだったんですが、何と言いますか当初自分が想像した程でもない「普通っぽさ」が元に存在しているのなら別の方向も考えてみようかなと
思ったという感じです。(ファンクラブの会員にあらずです)

63新井 泉:2004/06/16(水) 13:22
私は某掲示板をRomっていたクチですが、今回の事件に関してはマスコミ各社が掲示板に振り回されて
いた感が否めません。

活字媒体は板の追従をしている様で地元を取材している様な記事はない、挙句某誌は加害少女の写真を
修整無しに掲載してしまう始末。
放送媒体に関しては加害少女の書いたイラストで精神鑑定をしていたみたいですが、その中にあった
加害少女の名前を修正無しで放送してしまったり、最後に書かれたイラストは後になって「某アニメ
キャラを書いたのでは?」という投稿後ぱったりその手の話題が放送されなくなりました。
また「髪」だけを書いたイラストにも色々論説を展開していた先生がおりましたが、これは少加害女が
遊んでいたサイトの「アバター」の髪型を書いた物と判明、結果これらの精神鑑定がいかに当てにならない
かを世間に晒す結果となってしまっている。

その時代における遊びの文化、つまりは我々も知らない現在リアル小6の遊び方(当然男女の差もあるであろう)
を理解し、またその世代の人間関係を知ってこその話しではないかとも思う。
犯行の動機というのは所謂怨恨でよいと思うが、それに至った過程をもう少し掘り下げてはどうかとも思う。
(加害少女が遊んでいたサイト云々ではなく、加害少女の家庭環境や友人関係を含めて。)

しかしながら思うに加害少女は犯行時、よく言われる「ネットとリアルの区別」が付かなくなっていたのでは
ないでしょうか?

64:2004/06/16(水) 17:22
「ネットとリアルの区別」
精神的にまだ幼い子供(大人も含めて)チャットやメールの会話がどのような
感情をおこすのかわかりませんが、人と人とがコミュニケーションをとる時
相手の表情や反応を観察しながら、人間関係を学んでいくものです、
顔や声のない会話は相手に必要以上の誤解や勘違いを与えてしまう危険もあります。
大の大人でさえ感情的な書き込みしたりすることがあるほどですから、
子供なんだから面と向ってやりあえばちょっとした喧嘩で、済んでるとおもうんですど。

65riko:2004/06/16(水) 22:42
>>62
レスどうもありがとうございました。
あと誤解を持たせるような書き方をして申し訳ございません。
M_Iさんを件の少女のファンクラブ会員など思っておりません。
丁度そのファンクラブのHPを見つけてしまい、大人はダメだ…と本気で
嘆いていたところでしたので。
本当に申し訳ございません。

私が彼女のHPを見て思った事は、ある意味「言葉遊び」をしている気がしました。
こういう言葉なり、詩なり、短文なりを掲示すれば皆が感心してくれそう!と
子供なら一度では思う、他人に認められたい、いい風に評価されたいという顕示欲です。
ですから、私は彼女の詩でも短文でも「こう思える自分ってかっこいいでしょ」という気持ちが
見え隠れしているように感じますし、日記の最後の「苦情は言わないでクダサイ」は
子供独自の、自分は他人に文句を言うが他人には言われたくないからの一種の防止策で
つけた一言なんだと感じました。
受け取る側の心構えの違いで、こうも解釈が違ってくるものですね。自分の性格の悪さを
改めて感じてしまいました。

少女たちの学校の校長先生が、被害者の「お別れ会」を催したいと被害者の父親に
打診したようですね。父親からは断られたようですが…
あの被害者の父親の、行間から血の涙が滲んできそうな会見文をみても
そんな事をよく考え付くものだと、ある意味感服しました。
今回の事件は学校に全て責任があるとは思っておりませんが、こうも被害者の心情に
鈍感な人が学校の責任者なのも考え物だとは思います。
(事件の翌日も休校にしなかったり、保護者への説明会を学校で行ったり…)

66特命希望:2004/06/17(木) 00:27
>そんな事をよく考え付くものだと、ある意味感服しました。

同感です。
被害者の葬儀がないので、学校側としては「お別れ会」を催したい意向なのでしょうが、
確かにこの校長は、学校の立場しか考えていないようにみえますね。
夏休みも近いことだし、「お別れ会」をして早くこの事件に結着をつけたい様子がみえみえです。
(私も自分の性格の悪さを改めて感じてしまいました。笑)

生徒たちに作文を書かせるという話には嫌悪感を覚えました。
書かせるというからには、強制的なんでしょうね。
事件からまだひと月も経っていないのに、
生徒にしてみれば、傷口に塩を塗りこむような作業ではないでしょうか。
そして、自分の感情を抑えて「悲しい」「恐ろしい」「信じられない」と大人たちが聞きたいような感想のみ書くでしょう。
まるでテストのように。
ひとつだけの模範解答を求めて。
皆一斉に。

その中から学校側は何を見つけるつもりなのか。

67BB:2004/06/17(木) 16:20
>>65
同じく同感です。「被害者の心情に鈍感な人が学校の責任者なのも考え物」。ほんまに。
逸脱するかもしれませんが、今、教師が生徒に猥褻な行為をしたり、教師が教師を恐喝
したり愚かな事件が起こっています。わけわかりません。大人のモラルの低下する中で
子供によい教育を求めるのが難しい世の中なのかも。それにしても学校では教師として
資格があるかどうかの判断をどのように行っているのかしら。一般の会社では、クビか
ほされるのが現実。あらゆる資格業でもいい仕事をしない人は噂が噂を呼びなかなか仕事
がまわらないものだと思います。教師はよほどの問題を起こさないかぎり、例え転勤にな
っても教師。子供と関わる存在です。その辺を真剣に考えて欲しいものです。

68ぶう:2004/06/19(土) 12:00
同感です。
私も逸脱しますが、教師や医者や警察官、弁護士には、
適性検査も是非やっていただきたいなと思います。

69V3:2004/06/19(土) 12:20
(採用時の)適性検査というより、服務状況のフォローアップが必要なのでは
ないでしょうか。必要なら外部有識者のチェックも交えて。

70ikkunn:2004/06/20(日) 01:32
>服務状況のフォローアップが必要なのではないでしょうか。必要なら外部有識者の
チェックも交えて。
 
 私も概ね同感です。友人の小学校教諭の話ですが、教職というものは極めて閉鎖的
な世界であるそうです。学校の周りに金網が張り巡らされている事がこれを象徴する
ように、外部の人間に口を出させない雰囲気があり、特に年輩の教師はその傾向が強
いとの事。最近になって教師にも適性試験を課すような動きがあるそうですが、この
ような教師に対する第三者的な評価機関をもっと充実させるべきだと思います。

 それと同時に、現場の教師のカウンセラー的な機関も併せて設立すべきだと思いま
す。昨今の教師による不祥事を擁護するつもりはありませんが、現場の教師も大変な
ストレスを抱えていると思うからです。人に平気で刃物を向ける者がいるかも知れな
い空間の中、背中を向けて授業をしているのですから。

71V3:2004/06/20(日) 12:26
それにしてもこういう事件が起こる度に思うことですけど、「先生」が随分
軽く威厳のない存在になったものですね。
高校時代ラグビー部だったけど、監督の先生は本当に怖く厳しい人でした。
日々の練習や合宿はスポ魂ドラマそのままだったし、今なら問題になりそうな
体罰もザラでした。気合い入れとかいって試合前には往復ビンタ食らってたし
真冬の練習など水泳部員でも嫌がる屋外プールで水中騎馬戦や水中ラグビー。
1年が退部でもしようものなら3年は連帯責任で全員叱り飛ばされました。
でも先生は自分にも厳しい人だということをどの部員も知ってたし、俺ら悪ガキ
連中に体ごとぶつかってくれた人でしたから、反発はおきなかったです。
当時でも校内暴力やイジメは問題だったし、どこかの中学で教師が生徒をナイフ
で刺した事件もありましたけど、体罰もその当時からあったとはいえ、居眠りで
ビンタやゲンコツはともかく「血書」というのを見ると、違和感を覚えます。
よくそんなことをさせることを思いついたものだと、呆れています。自分の手も
痛むビンタより 恐怖感しか与えない安易な体罰を与えた様に思えて。
長崎の事件でも担任の教師が入院したとのこと、個人の体調のことをとやかく
言うつもりはありませんが、いくら想像を絶する凄惨な事件だったとはいえ
事件後に、何か全力で児童生徒にぶつかっている姿勢を感じないのです。
そのことの是非は措くとしても、警察が取調べで6時過ぎまで残したり捺印させたり
するというのに対して、担任として体を張って抗議するような一幕があっても
よかったのでは。

72V3:2004/06/20(日) 12:30
↑あ、高校時代ラグビー部だったし 法律系自営業者なので 裁判員制度批判
の投稿ばかりしまくってますけど、テレビによく出る茶髪の某弁護士では
ありませんので、念のため。

73BB:2004/06/20(日) 14:09
その通りですね。私の学校も三階から牛乳ビンが落ちてくるような学校で、決して環境
のよいものではありませんでした。が、今思い返すと、そういった問題を起こす生徒に
ついて専任の教師なる者がいて、問題があるごとに呼び出しをかけて話合っていました。
お互い殴り合って、服に血の跡がついたまま教団に立っていた先生を思い出します。こ
のやり方がいいのか悪いのかわかりませんが、V3さんのおっしゃる「全力で児童生徒
にぶつかっている姿勢」は当時でも今でも認めることができます。
 私は、なんとなく中学生ぐらいまでで、ある程度の「人格」なるものが形成されてし
まうのではないかと考えています。それは一部の子供達を除いては、「与えらた環境」
だからです。部下は上司を選べないとはよく言いますが、子供も学校を選べない。そん
な中で、例えば子育てに悩む親、家庭の中で漫然と不満を抱く子供がいるとすれば、そ
ういった問題を一番認識できる存在は教師だと思うのです。教師にそこまで求めるのが酷
かもしれませんが、昔は、それが自然だったのではないかと思ったりしています。今は、
体罰問題等で教師と生徒の間で一定の距離が置かれているような気がします。色んな
悩みを抱える子供達と接する大人は、親であれ、教師であれ、地域住民という一つの組織
の中で、犯罪抑止のため誰かが歯止めになってほしい。
 あとV3さんに質問させていただきたいのですが、判例で、加害者の家庭環境から
殺人を犯すまでの様々な人間関係の経緯が述べられますが、その内容をもっと公に客観的
に一般市民に認識させる方法はないのですか?結果として全国民が反省するより、事前
に認識させる方法。洗脳させるのではなくて・・・

74V3:2004/06/21(月) 16:59
自分としてまとまった見解・感想 あるいはそれを生み出すのに十分な知識を
持ち合わせていませんので、申し訳ありませんがコメントは差し控えたく存じます。

75BB:2004/06/23(水) 01:40
突然の質問お許しください。すみませんでした。

76:2004/06/23(水) 18:05
昔から嫌な先生は存在してましたね、三十年も前の小学校の話しですけど
同級生二人が喧嘩をして双方ケガをしたときに、片方はいわゆる悪ガキで、
片方は学級委員で、学級委員は保健室、悪ガキは廊下に立たされ、
どちらが悪いという喧嘩じゃなくて男同志の普通の殴り合いだったのに、
女の先生だったけどそれで嫌いになりましたね。
家に帰って親に話したら、おまえの言ってる事は正しいって父親に言われて
学校の先生も間違ってるんだって思った記憶がありますね。
自分の息子も小学校に通ってますけど、昔の先生と違う所は、子供や親に
必要以上に気をつかって妙な感じがします、昔は生徒を呼捨てで呼ぶのは
あたりまえだし、もっと良い意味で雑に扱っていたような気がします。
今の先生は壊れ物でも触ってるような感じがするんですけど...。

77黒たん:2004/06/23(水) 19:25
>>76 昔さん
昔から嫌な先生は存在してましたね、三十年も前の小学校の話しですけど
同級生二人が喧嘩をして双方ケガをしたときに、片方はいわゆる悪ガキで、
片方は学級委員で、学級委員は保健室、悪ガキは廊下に立たされ、
どちらが悪いという喧嘩じゃなくて男同志の普通の殴り合いだったのに、
女の先生だったけどそれで嫌いになりましたね。

酷い話ですね。学級委員と悪ガキと言う立ち位置だけで決め付けてるって…
そんな感じですか。でもいますよね、そういうのって。
私も厭な教師随分見ました。感情の起伏が激しいのとか、私生活で厭な事が
あるとそれを教壇に持ち込んで生徒に当たるのとか…それはまだいい方で、
出来のいいのと悪いのとを露骨に差別して、前者に対しては
「試験こことここが出るから、ここをやっておくように」
って教えていた教師もいました。因みにそれ知ったのは、私が卒業してからで
したが…。受験に向けて一生懸命勉強していたのに…自分が不出来なのが悪い
んですがね、一にも二にも(泣)でもこんな事やられちゃあ、どんなにやった
って…どうにもなるわけないよなって思いもしましたが、同時に腹立たしさも
感じましたね。公正に中立に見るべき教師がやる事かよって、でもそれ以前に
教師以前の人間としてやる事かって。
…出来の悪い落ちこぼれのヒガミなんて言われたらそれまでかも知れませんが。

それはそうと、この事件も未だに色々言われている中、新宿で女子中学生が
男児を突き落とすという事件が発生しましたね。男の子の命に別状なかったの
はまだよかったですが…。「よかった」というのも語弊があるかも知れませんが、
命を軽く、と言いますか…粗雑な扱い方見方だなって感じがします、どちらの
件にしても。子供でも命ってどんなものかって、重く大事なものって分かる事
じゃないかと思うんですが…上手い事言えないんですが。

78えふ:2004/06/23(水) 21:51
長崎の事件も新宿の事件も、何だか少し前まで言われていた
「キレる」というのとも微妙に違うような感じを受けます。
普通キレる、というとそれまで長い間蓄積されてきた鬱憤が限界を超えて・・
という感覚があるのですが、この2つの事件はものすごく短絡的で、
(表現は悪いですが)「ムカついた」→「殺す」という直結思考以外に
選択肢を持たないかのような、デジタル思考で起こしたもののような印象です。
長崎の事件にしても、「直接話し合ってみる」という一般的には至極当然であろう
プロセスが抜け落ちていますし、新宿の事件でもいきなり最悪の選択をしてしまってます。

最近の子供の心のストレスが取りざたされていますが、ストレス以前に
このぐらいの年代の子供(うちにも1人いますが・・)の心そのものが
何だか粗雑というか、それこそ「1」か「0」しかないような感じを悲しいかな受けます。

新宿の事件で突き落とされた男の子が運良く軽傷で済んだのは本当に
不幸中の幸いですね。これがトラウマにならなければいいのですが。

余談ですが、私も学生時代は問答無用で殴られた世代です。先生の方も
「お尻をひっぱたく専用の棒」を持ち歩いていたぐらいでしたよ。
まあ当時は本当に自分が何かしでかした時は反論も文句もなかったように覚えていますが。
ただし「連帯責任」だの何だの言われた時は後々まで根に持ったりしましたね。
利点と言えば殴られるとどれだけ痛いか自分が「良く」分かってるので
自分以外の人間に同じようにしようとは思わないという事ぐらいですかね。

79特命希望:2004/06/24(木) 10:16
えふさん、奇遇ですな(笑)。
私も学生時代は問答無用で殴られた世代です。
悪ガキだったものですから、ほとんどの男の先生にやられましたね。
だからといって恨みはありません。大嫌いな先生はいましたけどね。
今思い出すと、子供心にも、この先生は感情で怒ってるとか私のために叱ってるとかが判っていました。
小学生も高学年になれば本能的に大人の性質を見抜くんですね〜。

昔さんのおっしゃるように、
>今の先生は壊れ物でも触ってるような感じがする。
そのとおりです。
そして親も含めて、すべての大人が子供に対して腫れ物に触るように扱う世の中になった。
子供は大人が思うより、ずっと単純で敏感で狡賢いですからね(こういうこと書くとどっかの団体から石を投げられる時代ですが)
大人に対して、そっと顔色を覗いつつ胡坐をかいて増慢する。
そのくせ、きっとどこか不安で物足りないんだな。
面と向かってきてくれる大人がいないから。

大人も子供も、怒ったり泣いたり感情を顕わしてはいけないような。。。
マニュアルでがんじがらめの息苦しい世の中になってしまった。
ストレス、ストレスといわれるけど、怒りも悲しみも小出しにできない環境だから爆発しちゃうんだよね。

おおいに余談でした。
失礼。

80:2004/06/24(木) 11:55
「キレる」
子供や若者の犯罪にマスコミがよく使いますけど、私は反対ですね、
むしろ、未熟、幼い、という言葉のほうが適切だとおもいます。
精神的に未熟でどうしていいかわからなくなり犯罪をおかしてしまう、
えふさんが言うように「キレる」という意味が違いますね。
それに特命希望さんが言うようにストレスという言葉も簡単につかいますよね、
ストレスは必要なものなのに、と言うか無い生活なんて無い訳ですから。
子供には好い意味でのストレスはじゃんじゃん与えていかないと、
精神的に虚弱な大人になってしまいます。
友人の家で子供に用事を頼んだ時、勉強があるからできないと子供が拒否し、
親はそれで納得してる会話を聞いて、おもわず怒りたくなってしまった経験が
あります、自分の子供の頃は絶対なかった会話ですから。

81今の先生て・・:2004/07/01(木) 18:07
 この前NHKの番組で、教師が生徒に「死」をテーマに授業をしていましたね。
「死んでも生き返ると思う」という意見に大多数の生徒が手を挙げてビックリする
教師。死のイメージに関するアンケートで「殺す」「血」等の答えが多いのに、
情報社会云々の議論をする教師。当たり前の事をわざわざ確認する授業をしている
ような気がしました。こどもなんてそんなもの。私も死んだら生き返って欲しいと
いう願望があります。どなたかおっしゃてましたが死について模範解答を求める教育
をしている感じです。こういう世の中だからしかたないとは思いますが、ちょっと
奇異に感じました。

82M_I:2004/07/05(月) 01:37
そういえば本屋でバトルロワイアルを少し立ち読みしたんですけど、「カマトト女」とかの
記述があったので最後の日記の暴言とか子供らしからぬ難しい言い回しとかはこの小説で覚えた
ものかもしれません(辞書で調べて読んだ)。凄く大人びた子供ということではやっぱりなさそうです。
あと心身共に退屈な中で暴れられるような空想に傾倒していくのは自然なことですけど、もし
「役に入りきっていた」のならこういう事が考えられます、(僕が読んだ一部分ですが)小説で登場する
女子生徒は男子生徒に色仕掛けで近寄って油断させたりして殺したりするのですが、()←カッコ内で
その女子生徒の心の声が語られてまして、例えば(普通そういう時はまずキスからでしょう馬鹿だねえ)
とかそんな感じでして、加害女児が誰それを追い掛け回したて暴力ふるったとかそういう時は登場人物
のように心の中で呟いていたのかもしれません。これは多分面白かったのではないでしょうか(僕はやりませんけども)。
この呟く内容は勿論小説内で登場するような「賢くて抜け目のない非常な女子中学生」ですから、もしこの頭で呟く言葉が
殺そうと言ったら先導されてしまうことってないですかね。(絞殺はダメね、時間が掛かるわ)とか言うんですよ。
で、そんな感じでカーテンを閉めるところまでいきますよね(これからあんたは殺されるのよ)この時もまだ続いていたのなら
椅子に座らせた時には若干「もう引き下がれない」という感じしませんか?これが行動の敷居が低い理由だったんじゃないでしょうか。

83M_I:2004/07/05(月) 01:52
非常→非情

84のんち:2004/07/08(木) 00:21
7月6日、新潟県三条市の小6男児が同級生を柳刃包丁で切りつけ、腕などに
怪我を負わせました。校内での事件です。
加害児童は日頃悪口を言われたりしていた被害児童を恨み、切りつけようと、
朝、ランドセルに柳刃包丁を忍ばせて通学したそうです。
殺意があったかどうかは分かりませんが、どこの小学生も朝礼などで先日の
小6殺害事件の件を聞かされているはずです。それがどんなに痛ましい事件で
どんな結末を迎えるか。知っているはずなのに何故・・・。

85ikkunn:2004/07/10(土) 03:24
昨今の少年犯罪の凶悪化・多発化(?)の原因の一つに「命の重み」という言葉がよく
使われる。これについて以下の問題を提起したい。

「命の重み」を子供達に教えるべきなのは、一体誰なのか。

学校教育で、週に1・2時間の道徳の授業で、担任教師が責任を持って教えるべきと
の意見もあるが、私はそうは思わない。
「命の重み」を語り、「人に刃物を向けてはならない」との社会の最低限のルールを
教えるのは、子供の親の役目であると私は思う。

子供に「友達」として接する親が増えているそうだ。果たして「友達」が「命の重み」
を教える事などできるのか。それは即ち、子供に対して真剣に向かい合い、子供を叱
るという「嫌な役目」を、学校や教師に押し付けているだけではないか。
親が子供に真剣に接する事なく、その役目を学校や教師に転嫁する。現場の教師が真
剣に子供に接すれば「体罰」「教育の行き過ぎ」として非難する。その結果として、
「命の重み」を教える大人がいなくなってしまうのではないか。

私は、現代の教師は「学問・技術を教える人」に専念すべきであると思う。勿論、子
供に接する職業である以上、相応の倫理を備えるべきである事は当然であるが、その
学問・技術を学ぶ前提として「カッターナイフは物を切る道具であり、人を殺す道具
ではない」等の道徳教育は、子供の親がするべき事であると私は思う。

86GORIE:2004/07/13(火) 10:12
よく、子供の情操教育にTVやマンがやゲームが有害と言うと「そんなことはない」と
反論される方がいるけど、私はやっぱり「ある」と言いたいです。
実話ですが、先生に向かって小学校低学年の子供が「呪文を唱えれば、
死んでも生き返るんだよ」と真剣に言ってたらしいです。
それだけ子供の頭の中はまだ真っ白状態なので、ゲームで他人をボコボコに
倒したり、簡単に生き返ったりすると、大人がいくら「死んでしまったら2度とは
生き返らないんだ」と教えても実感として捉えられないと思います。
大人と違って「それとこれとは別」と、まだ考えられないんです。
R15指定の映画も、人生経験や分別ある大人が娯楽として観るのと、子供が見て
現実と混同してしまうのでは大違い。
少年期の体験って、それだけ重要だと思います。
「死」を本当に実感するのは、自分の大切な人を亡くすか、自分の死を悟った
時でしょう。 それ以外は想像でしかない。
どこまで死をリアルに想像できるか・・・大人でも難しいと思います。

87:2004/08/24(火) 22:58
今日ラジオで作家の重松清氏がこの事件をコメントしてました。
重松氏はこの事件の取材をしていて感じたことを以下のように述べていました(概略です)。

佐世保は戦前から軍港として栄えた町。現在もアメリカ軍の基地があることで有名である。
軍港の地理的条件として周囲を山で囲まれていることが第一である。それは敵から基地の存在や全容をわかりにくくする為に必要な条件なのだ。
港湾施設、特に軍港のある町は山沿いに集落が広がるため必然的に坂道が多くなる。佐世保もその例に漏れず坂道に作られた町である。
加害者が通っていた小学校は山の中腹にある。そして加害者の家はそこからまた更に上がった所にあった。
そして加害者の通学路・町へ出る道路はは勾配が大人が自転車を漕いで上るのもきつい程の坂道だった。
周囲にはコンビニも何もなく子供が遊べる広い場所も小学校以外に無かった。
加害者は犯行の何ヶ月か前までバスケットボール部に所属していた。練習を休むことなくこなしていたが、親が辞めさせたという(詳しい経緯は語られていなかった)。
加害者の学校が終わったらすぐに家に帰るという生活が始まった。
遊びに出るのにも広い場所が無く、近くのコンビニへ買い物に行くにも坂道を降りて町に出なければならない。
坂道を降りるのは簡単だが登るのはつらい。自然と学校から帰ったら家に閉じこもるという生活に変わっていった。
部活をやっていた頃は学校生活のストレスもバスケットで汗を流すことで発散できた。
しかし部活を辞めてしまった加害者のストレスは溜まるばかりだった。
そんな時に出会ったのがインターネット。
学校での鬱積した思いをHPで発散するようになる。
インターネットの情報は感受性の高い小学生にとってどれほどのものだったか。
バトルロワイヤルを似せた小説をHP上に掲載したことがそれを物語っている。
そして犯行に至る温床をこのHPで作り上げていく・・・。
(仕事中で詳しくは聞けませんでしたがこういう感じのコメントでした。間違っているところがあればご指摘願います)

重松氏は東京と違って遊べるところも無い、ましてやコンビニすら近くにないという地理的環境も事件の起きた原因と考えています。
そしてストレスの発散が部活を辞めたことでできなくなってしまったこともそれに輪をかけてしまったとも指摘してます。
正直驚きました。実際そういう観点で事件を見ていない私にはこんな想像はできませんでした。

この重松氏のコメントについては明日のラジオで続きが聞けます。
ニッポン放送(1242khz)「うえやなぎまさひこのサプライズ!」午前9:35頃の「教えてサプライズ」のコーナーで重松氏が登場しますので興味のある方は聞いてみてください。

88:2004/08/24(火) 23:36
重松氏は東京と違って遊べるところも無い、ましてやコンビニすら近くにないという地理的環境も事件の起きた原因と考えています。
そしてストレスの発散が部活を辞めたことでできなくなってしまったこともそれに輪をかけてしまったとも指摘してます。

重松氏は東京と違って遊べるところも無い、ましてやコンビニすら近くにないという地理的環境のなかでストレスの発散が部活を辞めたことでできなくなってしまったことが原因とも指摘してます。

すいません。訂正してお詫びします。

この事件では学校の対応、責任がクローズアップされていましたが、学校よりむしろ家庭の責任が大きいと思っています。
子供の変化を最も見せるところが家庭であると思います。些細な変化に気づかないまでも変化を見つけるきっかけはどこかにあったはず。
子供の変化に気づかなかった=子供に関心があまり無かったと言っているようなものだと私は思います。
子供のインターネットに対する管理も「インターネットとはどういうものか?」を親が知らずに子供の思うままに野放しにしていたこともどうかと思います。
親の責任って重大ですね。

89とおりすがり:2004/08/25(水) 10:00
>「命の重み」を子供達に教えるべきなのは、一体誰なのか。

改めてこう問われると、答えに窮しますね。
確かにそれは、親の責任と答えたくなりますが、
自分に置き換えてみると、果たしてそれは親に教わった事なんだろうか?
という気持になります。
私事になり恐縮ですが、今思えば、小さい頃は随分と残酷だったと思います。
バッタやトンボを殺してみたり、蛙をおもちゃのように扱ってみたり、
蜂の巣を面白半分にとってみたり・・・
そんな子供の頃の私でも、他の子供たちが、集団で蛇を殺したり、
蛙に爆竹等をくわえさせたりといった、虐待行為には、こころを傷めたりも
していたのは覚えています。
現在の私は、虫も殺せない人間になってしまいましたし、その他の子供達も、
普通に大人になり、命の重みを知って生活しているように感じます。
でも、どこで変わったのか?誰に教わったのか?と問われると明確には
答えられません。何時の間にかそうなっていたとしか。
親に、命の重みを説いてもらったような記憶は、ほとんどありません。
(忘れているだけなのかもですが)
小さい頃は、親がよく見ていた自然物のドキュメンタリーなども
アニメなどが見れないなどの理由で、好きではなかったですが、
今は、好んで見ては、自然の営みや、命の偉大さに涙したりもします。

言い換えると、何時の間にかそうなっていたので、いざ子供にそれを教えようと
思っても、どうやって教えていいのか迷います。
単に、「命は尊い物なんだよ。」と説いて重みを知ってもらえるのだろうか。
と思ってしまいます。
勿論、そう教える事が無意味とは思いませんが、多くの加害者の親も
それは、したんではないのかなと思ってもいます。

答えのない文章になってしまい恐縮ですが、
これは私だけで、皆さんは、教わった記憶や、命の大切さ知った時など
どんな感じなのか聞いてみたなと思って書き込みしました。
(スレタイから著しくずれてしまってすみません。)

90特命希望:2004/08/25(水) 11:59
>改めてこう問われると、答えに窮しますね。

その通りですね。でもこの問題を考える良い機会を与えていただきました。
私の場合もとおりすがりさんと同じようなものですが、物語や童話などで自然と「死」の恐怖や悲しみを覚えたことが多いです。
簡単に挙げれば、マッチ売りの少女とかフランダースの犬とか、最後に主人公が死んでしまう話。
それから、飼っていたペットが死ぬとお墓を作ったりしましたね。お墓を作ったのは自発的なのか、誰にどこから教わったのか憶えていないんですが、自然に...としかいいようがない。
自分の子供に対しては、本でもTVでも現実においても、死に関する事柄が出てきたら意識して話題にしたりもします。その場合、単に死は恐いとか悲しいだけじゃなく、その死に対してどう思うか、どう感じるか聞くことも大切なんですね。
と、いま気づきました(笑)。

91清十郎:2004/08/25(水) 16:29
初めまして。ここのスレを見て、命の尊さについて色々考えさせられました。
私は、やっぱり、家庭の影響やメディアの影響は大きいと思います。
両親が子供に好きなものを与えていたらどうなるでしょう?
残虐な映画とかゲームを幼少の時からやっている子供と、ちゃんとした親の
元で人間形成された子供では、感受性等においても大きな差が出ると思いま
す。子供は白です。白に色々な色を塗るのは環境なのだと思います。その環
境で一番身近なのが「家庭」であり「家族」です。

92:2004/08/25(水) 17:04
>改めてこう問われると、答えに窮しますね。
子供に死について教える事はなかなか難しいですね、
でも、みなさんも気付いてないかもしれませんが、普通に親の愛情を
受けて育つことが一番の命の教育なんだと思いますよ、
自分の親や家族がなにより大切に思えて、自分も愛されている事が
充分わかるように育てば、自然に育んでいくものだとおもいます。
学校や授業で教えられるものではありません。

93とおりすがり:2004/08/26(木) 16:28
特命希望さん、清十郎さん、昔さん、貴重なご意見ありがとう御座います。
周りの人から注がれてる愛がそういう心を形成すると私も思ってきました。

しかし、私が、どうなんだろう?と思うに至ったのは、
神戸須磨区の事件の加害者の親が書いた手記を読んでからです。
読んでみて、あの親の教育や、愛情が常軌を逸脱したものであれば、
ああ、やっぱりと思えたでしょうが、
手記すべてを鵜呑みにするわけにはいかなくとも、そこに書かれている
親の心情、教育、子供への愛情は、我が家で受けたそれと何ら変わる事なく、
普通であるように感じました。
(もちろん、息子の異変に気がつかないなど、普通であるはずがない等、
 批判的な意見はあろうかと思います。)
しかし、普通に育て、普通に接する中で、ほんの些細なサインで我が子が殺人者では
ないかと、疑えるものではないとも思いました。
(ほんの些細なサインもなかった(気がつかなかった)と記されています。)
勿論、親の責任は免れ得ないものではありますが、ではどうやって、命の尊さを
教えたらよかったのか?と思わされた次第です。
そして、どうして自分はこういう風に命について思えるようになったのか?と。

しかし、答えはやはり、
みなさんおっしゃる通り、周りの人から知らないうちに注がれてる愛が、
そういう心を形成する。
なのでしょうね。
みなさんの意見を読むうちに、また、そう思えてきました。

94はな:2004/08/27(金) 08:16
 今日のニュース番組で「加害児童を作らないためのプログラム」が最近注目されているという
内容の特集をしてました。
児童による加害致傷事件が頻発する近年の流れを受け、日本でも、アメリカで開発されたプログラムを
導入し、幼少期から虐待を受けてきた児童達の更生等にこのプログラムを活用している、とのことでした。
 そのプログラムの内容は「相手が〜した時に、自分はどうするか。そしてそれをしたら、
相手はどう思うか。」ということを、頭の中でシュミレーションをする、というようなものでした。
インストラクターが中心になり、子供達に質問し、答えをひきだし、そのシュミレーションの
トレーニングをしていき、自分をコントロールするやり方を身に付ける、ということをしてました。
 番組では、このシュミレーションプログラムが、加害児童になるのを未然に防ぐ対策として
大いに期待されてる、としてました。
・・・でも私は、このニュースを見てて、どうもすっきりしないものが残りました。
一番肝心なはずの子供の「心」に触れ、迫るような部分が含まれていなかったからです。
そのマニュアル通りの、システム化されたプログラムは、確かに「自分をコントロールする」
という技術を身に付けさせる点では、一定の効果を上げるかもしれない。
 でも技術的なことは、必要ではあるけども、あくまで表面的なことであって、
「加害児童を作らない」為には、もっと真の問題点、「問題の根っこにあるもの」
に目を向けなければ、あまり意味がないし、本当の解決にはならない気がします。
 殺傷事件を犯した加害児童・少年達に共通してるのは、「他人の気持ちに対する想像力の乏しさ」、
「強い自己否定観とそれが故の過剰な自己顕示欲」と「心の未成熟さ」であると思う。

 とても重要なのは、彼らが「他人や動物の命を大事に思えない」ということは、その奥底には、
『自分自身の命・存在が大事に思えない』
という無意識下の「強い自己否定」を抱えているということなのです。
子供が「心を育てる」為には、まず親もしくはそれに代わる対象が、
「愛情」をたっぷり注ぐことが絶対条件だと思います。
親と言う存在から愛され「無条件に自分という存在を受け入れられ」て育った子供は、
自分を愛することができ、自分自身を認めることができ、強くなり、そして心が育まれる。
 「愛情」は子供の心を育む「肥料」なのだと思います。少なかったり、
または「過剰」にやりすぎると、子供の心を殺してしまいます。
 虐待というのは、体罰だけでなく「その子の存在を認めず、人格を抑圧・侵食しようと
する(親が気で気付いてない場合が多い)」というのも、精神的な虐待なのです。
 無視や拒絶も、また逆に過度の干渉・子供との癒着も
子供の人格を、侵害し、抑圧し、破壊するということでは同じです。

 虐待を受けた子供に限らず、加害児童を作らない為に、最も必要なのは、
身近な人が(親が一番ですが)時間は短くてもいい、ちゃんと子供と向き合い
愛情を向け「子ども自身が自分という存在を認められる」ようにすることだと思います。
そうやって初めて、子供は、自分を愛し、自分以外のものも愛し、他人の痛みが分かり、
「(自分と他人を含めた)命の重さ」というものを大事に出来るようになると思います。

95はな:2004/08/27(金) 09:18
上のに、付け加えますが・・・
 「命が尊い」ということを子供に教えるのに、
「命は尊い。人を傷つけてはいけない」ということを、言葉で教えるのも
必要かもしれませんが、

口に出さずとも、態度で
「親子喧嘩をする時もある。でもあなたは私にとって大事な、かけがえの無い存在」
と、暖かく包むような愛情を持って、子供と接した方が、
何倍も、効果があると思います。
自ずから、「自分も他人もかけがえのない存在なのだ」という意識が育つと思うし、
自分以外の人や物にも愛情を注げる人になると思います。

96特命希望:2004/08/27(金) 09:30
まったくはなさんのおっしゃるとおりです。
しかし、それが出来ていないからこそ加害児童は増える一方なんですよね。
ここの掲示板で述べられている意見を全国の親が見ている訳ではないのです。
ほとんどの親は、はなさんと同意見でしょう。
でも、そこから漏れてしまった親、また、そういう親に育てらていない子供は?
そのプログラムというのは、そういう子供たちを一人でも多く、一日も早く救おうと考え出されたものではないでしょうか。
何が正しくて何が間違っているかを教育することも大事ですが、すでに間違って育ちつつある子供にいま出来ることは何かということも大事なことだと思います。

97清十郎:2004/08/27(金) 17:15
特命希望さんのおっしゃる通り、
恵まれない環境で育ってしまった子供達のケアする体制や、
保護する施設がもっと整うと良いですね。

その他、情報化社会と言われるように、小学生でもアダルト
サイトや残虐な情報が簡単に見れてしまう環境が凄く怖いで
すね…。うちは昔は凄く貧乏で、両親も厳しく、TVの内容も
限られたものしか見せて貰えませんでした。でも、図書館と
かで本を借りて読んだり、広告の裏に絵を書いたり、友達と
遊ぶ時は、サッカーとか田んぼで泥まみれになって楽しく過
ごせたものです。「今の世代」の子供達は、環境においても
難しい世界に生きているのかな〜って思います。
書いていて恥ずかしくなってしまいますが、それでも、どん
な環境でも、少しの「愛」に触れる事が出来れば、その子供
は、ちゃんと人を愛する事が出来る様になるのだと思います。
少しでも多くの人に、ここの掲示板を見てもらいたい気持ち
になります。

98はな:2004/08/27(金) 19:34
匿名希望さん、清十郎さんのおっしゃるように、
恵まれない環境で育ってしまった子供達のケアする体制を整えるのは今、本当に必要ですよね。
>すでに間違って育ちつつある子供にいま出来ることは何かということ
を考え、実践するのは大切なことですよね。
 そこで、虐待を受けて育った子供達に、何よりもまず必要なものは、「愛情」だと思います。
それらの子供は、幼い頃から虐待を受け続け、無言下にずっと
「自分の存在を否定され続けて」きました。
その為、自己防衛故に、他人に対して被害者意識が強く、攻撃的になるというような
問題行動を起こす場合が多くなります。
 これらの問題行動を起こす子供に限らず、虐待を受けてきた子供達に
「命は尊い、大切なものです。他人を傷つけてはいけません。」と教えても
頭では、理解できても、「心」には響きにくいと思います。なぜなら、彼らはずっと
「彼ら自身の存在・命を軽んじられ、傷つけられ続けてきた」訳ですから。
 目に見える虐待に限らず、虐待を受けてきた子供達は、心の中で血を流しています。
「誰かに愛されたい」「誰かに自分の存在を認めて欲しい、気付いて欲しい」
と渇望し、心の底で叫んでいるのです。
 親が虐待している場合、親以外の誰か大人が、ひとりでもいい、
「自分のことを気にかけてくれている。自分と向き合ってくれる」という存在
がいるということは、その子にとって、大きな支え、救いとなります。
「あなたは愛されていい存在なんだ。本当はかけがえの無い存在なのだ」と
心で感じさせるようにすることだと思います。
 そうしなければ、その子達が大きくなり、自分の子供を持った時、
頭では分かってても、心が制御できなくなります。
自分が愛を受けてこなかった訳ですから、子供に愛を与えることが許せません。
自分が受けた痛み、寂しさを子供にも味あわすことで、擬似的な復讐をしようとします。
子供の頃からの怒り・不満が、自分の中で抑圧してきた分、増長され大きくなり、
自分の子供に対して、より虐待をエスカレートさせる、ということが往々にして生じるのです。
 この「負の連鎖」を」断ち切るには、誰か大人が、虐待を受けてきた子供に
真剣に向き合い、愛情を注ぐことだと思います。べったりでなくてもいい、
例え短い時間であっても、真剣にその子と向き合い、その子自身を見てあげることだと思います。
 確かに子供と向き合い、愛情を注ぐのは、本当にエネルギーがいるし、大変なことだと思います。
でも、虐待を受けてきた子供を、真に救うには、そこしかないと私は思います。
 そしてこれはもっと大変かもしれないけれど、親のカウンセリングも本当は必要だと思います。

あと、清十郎さんがおっしゃるように、今は情報が溢れていますよね。
過激な性描写や、大人が見てもショックを受けるような、残酷な映像や情報を、
実質上、何の歯止めも無く、見ようとすれば子供が簡単に見れてしまうという
今の世の中は、本当に子育てが難しく、やりづらくなってきてますよね。
 今の情報過多の時代は、ある意味大人も子供も、心の豊かさを蝕んでいるような気がします。

99:2004/08/28(土) 00:43
今回の事件はたぶん「ごく普通の家庭の子供」が起こした殺人です。
その分余計に不気味さを感じました。
あらゆる情報が簡単に手に入る時代、こうやって顔が見えない相手と様々な話題で話ができるようになってしまった今日だからこそ起きた感じがします。
加害者の親は勉強に集中してもらいたいが為に部活をやめさせた。
親は自分が育った経験から、今の生活の現状から、せめて子供にはいい学校に行ってもらおう、幸せになってもらおうと色々と手を尽くす。
しかしそんな加害者の将来への期待が先行してしまって加害者本人の今の心情に気づかなかった。
それがネット上での加害者の姿。
そういう倫理を無視した今のネット対策の甘さも原因かもしれません。

命の尊さや他人との関わりを教える上で「甘さ」は禁物だと思います。
口で言ってもわからなかったらぶん殴ってでもわかってもらうしかないかもしれません。
私は小学校の時クラスメートの女の子に理由は思い出せないのですが(喧嘩したのかな?)足を蹴って捻挫させたことがあったんです。
そのときは先生に拳骨喰らってボコボコにぶん殴られましたね。
「お前は何したかわかってんのか!怪我させたんだぞ!」って。
「身体を傷つける事は心も傷つけることなんだ。辛いって気持ちにさせることなんだ」と言い、
「人には優しくするんだ。優しくすればきっとお前に必ず良い形になって返ってくる。」と言いました。
それからは女性にはすっかり「甘く」なってしまいましたけど(笑)。
喧嘩でもそうでしたね。相手を殴っても「これ以上やったら」っていうのがどっかにありました。
そして次の日にはすっかり仲直りしていたり。
そういうのってクラスメートや近所の遊び相手からは「仲間内のルール」として覚えて、先生、親、周りの大人からは人との和を「叱られて」覚えたことですよね。

最近の子供は外に出ないですよね。近所の子の声が聞こえなくなりました。
もっと外で遊ばせたほうがいいかもしれないです。自然にそういうことを身に付けていくと思います。
あと大人はもっと他人の子供でも叱れるようになりましょう。

100:2004/08/31(火) 14:13
もっと外で遊ばせたほうがいいかもしれないです。
私もそう思います、でもこの間、町内の回覧板にこんなコメントが書いて
ありました。
「最近、道路でキャッチボールや縄跳びをする子供がいるので、車の通行に
危険ですので、子供に注意して下さい。」ん?...とおもいましたね、
住宅地の奥まった所にある、住人しか通らないような道路で交通量が非常に
少ないわけで、どうせコメントを書くなら、
「最近、道路でキャッチボールや縄跳びをする子供がいるので、車の運転には
充分注意して下さい。」ですよね、
子供に道路で遊ぶ危険を教えるのは当然なんですけど、なんか変。

101ゼロ:2004/08/31(火) 23:25
愛知県豊田市の市立小学校で、男性教諭(56)が6年生の理科の授業中、長崎県佐世保市で起きた女児殺害事件について「殺されるのは当たり前だ。殺した方は悪くない。周りが悪い」などと発言していたことが31日分かり、愛知県教委は「不適切」として、教諭を同日付で停職2カ月の懲戒処分とした。
 県教委によると、教諭は6月3〜4日、6年生の3クラスで受け持っている理科の授業時間中、それぞれ事件の話題に言及。「この学校でも(同様の事件が)起こるかもしれない。おまえらもそういうふうになるんだぞ」などと話したという。
 保護者からの苦情を受けた学校側が教諭に事実関係を確認したが、教諭が否定したため、児童を対象にアンケート調査を実施。その結果、91人中49人が発言のあったことを認め、「すごく嫌だった」「怖かった」などと感想を記した。
 教諭は学校に対し、「多くの時間を使って事件への思いを話したことは不適切だった」としながらも、「授業では『(加害者は)きっと何かで思いつめ、そういうことを実行してしまった。誰もがその子と同じなのです』と話した」とし、誰もが加害者になりうる可能性があることを指摘したかったと釈明しているという。

やれやれ。。。

102:2004/09/01(水) 00:26

長い間教師やってると自分の考えだけが先行してしまって大事な事を忘れがちです。
社会の出来事を自分の目だけで見てるとこんな感じになるんでしょう。

103:2004/09/01(水) 11:41
「殺されるのは当たり前だ。殺した方は悪くない。周りが悪い」
先生も直接、こういった意味の事を言った訳ではないんでしょうけど、相手が小学生
ですから、言葉がたりなかったのか、真意がうまく伝えられないでしょうね。
でも、私は良くも悪くも、事件について生徒と話しをする姿勢は良いと
おもいます、普通は触れたくない話題ですからね。
現場でどういう話しをしたかわかりませんが、
「多くの時間を使って事件への思いを話したことは不適切だった」..?
なんで不適切なんでしょうね、話しの内容であって、こういう話は必要なん
だとおもいますけど。
「不適切」で懲戒処分..生徒になにも言えない教師が増えそうな気がします。

104:2004/09/04(土) 01:23
>私は良くも悪くも、事件について生徒と話しをする姿勢は良いと
おもいます、普通は触れたくない話題ですからね。

ただしこれは言葉を選んでもらわないといけません。
「殺されるのは当たり前だ。殺した方は悪くない。周りが悪い」
「お前らもこうなる可能性がある」
この言葉を発した時点でアウトだと私は思います。
大人の言葉に敏感な年頃の人間を相手に話をするわけですから。配慮不足を感じます。
逆にこの先生は生徒に対してこの事件について生徒同士で意見を交わす時間を作ったのでしょうか?
生徒の意見を聞いたのでしょうか?
話し合いの場を作ることによって事件を改めて認識し、命がいかに大事なものかを学ぶことが出来ると思います。

>「多くの時間を使って事件への思いを話したことは不適切だった」..?
思いを伝えるのは大いに結構です。
しかし受ける側の気持ちを多少でも考慮すべきだと思います。

105はな:2004/09/04(土) 03:08
そうですね。事件について生徒と話して、いろいろ考える機会を持とうと
するのは、とても大事でいいことだと思いますが、

>「殺されるのは当たり前だ。殺した方は悪くない。周りが悪い」
 「お前らもこうなる可能性がある」

という発言には、どう考えても疑問を感じますね。
加害児童の方に感情移入して、
加害児童の肩を持ってるようにしか思えません。

106芥川:2004/09/05(日) 18:28
>「殺されるのは当たり前だ。殺した方は悪くない。周りが悪い」
言い方については「ゥウム。。。」だが結構同意。当たり前って言うのは違うと思うが
加害者の肩を持とうが被害者の肩を持とうが、それは悪いことか?いいことか?
加害者の肩を持つのは悪い?

107はな:2004/09/05(日) 21:01
芥川さん。
あなたは、加害者に共感されてるのですか?
加害者とご自分を重ねて、自己擁護したいのでしょうか?
加害者の児童にも、同情すべき背景があったかもしれません。
それしても、加害者の肩を持つというのは、想像力が欠けているとしか思えません。
なぜ、どのような理由で、加害者の肩を持ちたいのでしょうか?

108:2004/09/06(月) 00:41
私が87、88で書いたとおり加害者は別に特殊な環境にあったわけでもない普通の女の子です。
それが部活を辞めたのをきっかけにネットの世界に入った。
ネットの世界が加害者を変えた。
背景を知ればある程度加害者の心情も理解できなくはありません。
しかし彼女は命の重さを知らずに人を殺してしまった。
当然犯した罪は決して許されるものではありません。
どのようにして彼女が事件の重みを意識して被害者に償うのか?
その経過を見守りたいと思ってます。
何回も話に出てますがこれをきっかけに学校や家庭での子供の接し方について考える必要があるとは思います。
この事件について子供と話し合った家庭が多かったという話を聞きました。

芥川さんとはなさんに断っておきますが、私はどっちの肩を持つとかそういう意味合いで例の発言を行った教諭を批判しているわけではありません。
この発言によって少なからず生徒の心情に悪い影響を与えてしまったことが問題なのです。
教育の場で「殺す」とか脅し口調のショッキングな発言をすること自体論外だということなんです。
事件についての考え方は人それぞれです。
それについて私がとやかく言う筋合いはありません。
私の考えは87、88、99の通りです。

109特命希望:2004/09/06(月) 00:44
>>加害者の肩を持つのは悪い?

はい、悪い事だと思います、犯罪は犯罪(ましてや殺人)ですから。
好き嫌いではなく倫理感の問題です。
これが解かっていないから犯罪が起こってしまうんです。

110:2004/09/06(月) 12:19
やっぱり先生の話しの内容ですよね、ただ誰にでも起きうる事件だと
言いたかったんだと思います。でも、小学生に恐怖感をあたえず、理解させるのは、
非常に難しい事でしょうね、どう話せばいいのか想像もつきません。

111:2004/09/06(月) 23:03
話して理解させるのではなくて、生徒たちで話し合うとか生徒の意見を聞く。
生徒自身の心情を聞き取り、そこから先生が改めて問いかける。
一方的な見識を説くのはあまりよろしくないかと。
事件を一番重く受け止めているのは同年代の生徒です。
道徳の時間で常識を説くこととは別問題ではないかなと思います。
普段の授業から生徒に話をさせることが大事。
意思の疎通とはどういうものか?
我々が当たり前に思っていることが意外に通じなかったりする。
これが現代に生きる子供の姿です。
とにかく話をしてもらう。どんなことでもいいです。
くだらないことでもなんでも話をする。
そして日々の些細な変化をそこから感じ取り、一つ一つのことを学んでいく。
勉強も大切だけどそれよりももっともっと大切なものがそこにあるんじゃないかな。
そんな気がします。

112芥川ユウヒ:2004/09/06(月) 23:07
肩を持ちたいとは思いません。
ただ、善悪の判断が何か曖昧でどうにかしないといけないもので、
そのままで悪やらを判断するのは納得いかないな、と。
殺人はワルイコトだと基本的には定められています。ソレだけじゃなくならないですよね。
だからあいまいにしておくのは怖いんです
正統派な意見ばかり吐いて生きたくないです。
正統な意見ほど恐ろしいものはないですよ。

113はな:2004/09/07(火) 03:37
う〜ん。つまるところ、芥川さんは、
「なぜ、人を殺しちゃいけないの?」って疑問を持ってらっしゃる、のでしょうか?
今、あなたは、
>善悪の判断が何か曖昧でどうにかしないといけないもので、
 そのままで悪やらを判断するのは納得いかない
と思い、
>殺人はワルイコトだと基本的には定められています
という現状に、疑問を持ってらっしゃるのでしょうか・・・?
「どうして、人を殺しちゃいけないの?」という議論って、よくありますよね。
 あくまで個人的な考えですが、私が思うのは、
「人間が、他人の痛みや悲しみを想像し、(無意識だが)自分に置き換えて考え、
その痛みを僅かながらでも共有し、感じることができるから」だと思います。
だから「自分がされてイヤな事は、他人にもするべきではない」、
という感情が自ずと沸くのだと思います。
「想像力」は、人間に与えられた、本当にすばらしい能力だと思います。
「殺人がなぜダメなの?」という人は、「他人の気持ちを想像し、共感する」
というところが、苦手というか、乏しいように思います。
 場合によっては、脳に損傷を受けたり、生まれながらに何らか脳に障害があり、
知能は高くても、「他人の気持ちが、全然分からない。共感できない。故に、
何が人を傷つけるのか?何をしたらいけないのか?分からず、善悪の判断がつかない」
というような、感情障害が生じる場合があります。それは、ある意味悲劇です。
 また、後天的に、生育環境などで、ずっと迫害を受けていた場合もやはり、
健全な感情の発達を阻害し、多大なダメージを受ける危険性があると思います。何故なら
「その人自身が、周り(親など)から、共感されること無く、痛みを感じてもらえずに、
感情を抑圧され、感情を破壊され続けて、生きてきた」わけですから。
 もちろん持って生まれた気質や性格によって違いますが、その受けた迫害が強い場合
往々にして、他人に対して想像力が働かず、共感する気持ちの生まれない、
「自分のことさえ良ければ」という風な人間になってしまうことがあります。
「自分を迫害する存在である他人」から「攻撃」というかたちで自分を守ろうとします。
このような場合も、やはりある意味、悲劇なのだと思います。

 芥川さん、あなたがそうような考えを持つに至ったのは、何故なのですか?
大変余計なお世話ですが、そのような考えを持ってらっしゃるあなたが、少し心配です。
もし良かったら、教えてください。

114はな:2004/09/07(火) 04:09
↑ ×そうような
  ○そのような  失礼しました。

115特命希望:2004/09/07(火) 05:57
芥川さんへ

掲示板上で書き手の真意を汲み取り、また自分の意見を理解してもらうのは、なかなか難しいですよね。会って話し合ったって通じないことが多いのですから(笑)。
少しあなたの考えていることがわかる気がしました。

つまり私の解釈によれば、
加害者だけが悪ではなく、被害者にも一端の原因はあるということでしょうか。
確かに被害者に同情しがたい事件も多い。
しかし、どこかで一線を引いておかないと収拾がつかないのが人間社会です。
理想論とか正議論とか、そういう前提をすりぬけて、いけないことはいけない!
なぜなのかなんて理由もいらない。

私は皆さんのように難しい事は言えませんが、
殺人はこの世の最大の罪悪だと思います。

芥川さん、たぶんまだお若い人かしら。
何かに捉われていないでね。
もっと想像力を働かせて、世の中を見廻してみましょうよ。
あなたを取り囲む周りの人たちだけが、
世の中を動かしている若い世代だけが、
マスメディアに流れることばかりが、
この世界ではないはず。
今までの自分を外側から観たら目からウロコが落ちちゃったなんてこともありますよ。

なぁんて、独り善がりで偉そうなこと言ってしまいました。
失礼します。

116:2004/09/07(火) 23:06
芥川さん>
そう思われるのなら改めてこの事件の背景を一から「客観的な目」で調べられることをお勧めいたします。
私にも言えることなんですがテレビの報道だけで全てを把握したと思わないほうがいいかもしれません。
原因は何か?その背景は何か?その事実を調べるのです。
本でもラジオでもネットでもいろいろな話を見て聞いていくと自分自身が最初に受けた印象からだんだんと違った感覚が生まれてくるはずです。
但し全てを納得することはありません。
かといって気に入らない意見を撥ねつけてはいけません。
一つ一つを検証してそこで出たあなたの答えを自らの考えとすること。
それが必要ではないですか?
当然それは勉強不足な私にも言えることです。

117KM:2004/09/08(水) 07:52
初めまして。

芥川さんの言葉に、自分の意見と非常に近いものを感じていました(”加害者擁護”等の意味は全くありません)
いくつかのレスが、芥川さんの発言の意図と噛みあっていない印象を受け、気になったので書き込みします。
(でも私の芥川さんの発言への理解が違っている可能性もあるんですが)

>殺人はワルイコトだと基本的には定められています。ソレだけじゃなくならないですよね

確かに悪い事と決めただけでは、それはなくならないのです。
『人を傷つけたり、ましてや殺してはいけないよ』『どうして?』と子供に聞かれたときにどれだけの人が、真摯に必死になって子供らが心から理解できるまで向き合って説明できるのか、非常に疑問です。
まさかその疑問に対して『いけないことだから』と答える大人はいないでしょうが(それこそ答えになってません。でも今時はそんな大人も少なくないかな…)
『命は大切なものなんだよ』『尊いものなんだ』と命の重さをこれらの一くくりで訴えて、答えた気になっているのだとしたら、私には、それこそ芥川さんの言う”正統派の意見”ばかりを吐いたものにしか聞こえません。
どうして命が大切で尊いのか、他の命をむやみに傷つけるものではないという、本質に対しての答えになっていないでしょう。

>ただ、善悪の判断が何か曖昧でどうにかしないといけないもので、
>そのままで悪やらを判断するのは納得いかないな、と。

善悪の基準は言葉で規定されるほど明確で簡単なものではありません。
良識のある方にとっては既に疑問すら持たないであろう事柄にも、子供は純粋に『なんで?』と疑問を持って聞いてきます。
『それって悪いことだからダメなんだってさ』と表面の言葉だけを復唱するような子供は、一見ごく普通の子だったり時には模範生だったりもするかもしれないですね。
なぜ悪いことなのか、言葉に迷って悩んで足りなくなるほど向き合って考える姿勢を、先にもつことが大事なような気がします。
そうして考えていけば、善悪の基準が、心情から考えれば非常に明解であるようなのに、実は曖昧で簡単に線引きできないものだと言うことも自ずと分かるのではないでしょうか。
答えが必要なのではなく、そうやって思考力を働かせ想像力を豊かにし、判断力をつけていけば、結果的に行動として非道徳・非常識な行動は減るのではないかと思います。

>正統派な意見ばかり吐いて生きたくないです。
>正統な意見ほど恐ろしいものはないですよ。

個別の事件の動機・背景等の事実を知ることは大変重要で、大切で、必要です(方法論には別に意見はあります)。
でも事件経過から時間が経つにつれ、あくまで個別のケースとして掘り下げられる面が強調されてゆくように感じています。
同時にどこかで本質を見失ったような、奇妙な印象を強く受けるのです。
一見まともな意見(芥川さんの言う”正統な意見”にあたるのかな、と思います)に、非常に短絡的・恣意的なものを感じることが少なくない日本の現状です。

自分が正しいと信じていることに(実際それが社会通念として正しいのだとしても)、常に疑問を持ち振り返る姿勢が、
大人にも子供にも必要なのではないですか?

118芥川ユウヒ:2004/09/08(水) 10:08
私は只、昔から築き上げてきて間違っているはずなのに流れていってしまうようなこと
が許せないただの一般人です。
こういった意見を書くと必ず中学生か?若いんだろう?と聞かれます。それもです。
何かに反する意見を書くのは頭の悪いガキンチョ、ですか?
若いからこそ見えるものの存在を認めてはくれないんですか?
和解からこそいえる真意は、無いんですか?

119仙道:2004/09/08(水) 10:23
以前から同じ様な事を、他の掲示板に書き込んでいるんでしょうか?
だとしたら、そこでの反応は如何でしたか?納得の行く答えが得られ
無くてここに来られたのでしょうか?おそらく芥川さんの求める様な
答えは、ここでも得にくいと思いますよ。答えでは無く、ただたんに
自分の意見を述べただけ。と言うなら少々無責任かもしれませんね。

120特命希望:2004/09/08(水) 11:34
KMさん、
>>まさかその疑問に対して『いけないことだから』と答える大人はいないでしょうが

すみません、そのまさかの大人は私です(苦笑)。
無責任な答えに見えたでしょうが、
頭でばかり考え込んでいないで、違った世界にたくさん触れて、自分の心で感じることを経験して欲しいという意味です。
ところが、この頭と心の使い分けというのは難しいものでして、
頭で考えないで=理性を働かせないでとは違うんです。
そこを誤解されて
「何も考えずに、自分の心の向くままに思ったとおりにすればいいんだな」なんて思われちゃ困るので、あえてそれ以上書きませんでしたけど。

殺人は是非は理屈じゃないと思います。

121特命希望:2004/09/08(水) 11:38
芥川さん、
>若いからこそ見えるものの存在を認めてはくれないんですか?

大人たちは皆、若いからこそ見えるものの存在をすでに経験してきたので、認める認めないというよりも、すでに知っているはずです。
だからこそ皆さんは、あなたのことを心配してレスをつけているのではないですか?

あなたの望むことは何でしょう。
ここで皆があなたに賛同してくれることなのでしょうか。

122ごみ・チリ:2004/09/08(水) 12:02
新聞の記事やテレビのニュース報道を鵜呑みにする芥川は少なくとも知能レベルは
最低だな。チンカス級だよ。警察や司法に携わって組織の中からみてみなよ。
ブルーカラーの貴殿には無理だろうけど プッ

123とおりすがり:2004/09/08(水) 12:28
>>まさかその疑問に対して『いけないことだから』と答える大人はいないでしょうが

これは、基本的には間違っていないとは思いますよ。
ただそれだけでは、理解はしてもらえないでしょうが、
良い悪いの判断をきちんと示すのは、親がするべき重要な
要素の一つだと思います。

>ただ、善悪の判断が何か曖昧でどうにかしないといけないもので、
>そのままで悪やらを判断するのは納得いかないな、と。

私は善悪の判断は自分の心に聞きなさいと、幼稚園の先生に
教えて頂いた事を今でもはっきりと覚えています。
良心というのは、みんな持っていると信じたいですし、
法がどうとか、罰がどうではなく、良心にしたがって
行動するのが、人間だと思っています。

>122
私も、サカキバラを賞賛するかのごとき、書き込みをする人には
まともなレスをするきにはなれません。
彼(サカキバラ)がどうという前に、殺された被害者の事を考えれば、
賞賛するような書き込みが、いかに常軌を逸しているか、
通常なら判断できるはずです。
しかしながら、そのような煽りを入れることも非常に見苦しいと
思いますし、場が荒れるのでお控えいただきたく思います。

124KM:2004/09/08(水) 14:42
>120
特命希望さん
>すみません、そのまさかの大人は私です(苦笑)。
こちらこそ言葉足らずで申し訳なかったです。すみません。
芥川さんにしてレスをつけられた方々のご意見に対してどうこうということではないのです。
分かっている人に対しては、今更何を言っている?という範囲の問題なのは私も良く分かっています。
そうした今更〜の範囲のことについて、素で『なんで?』と聞いてしまう子供が少なくないのが現状で、
このギャップを分かっていないままに対応しても、本質的に効果がないな、と思っているというだけです。
このスレッドを立てられた、特命希望さんの最初のコメントに私は同意です。

個人的には芥川さんはご自身の”思い”に囚われて、ご自身にとって分かりやすい”答え”が欲しいだけのようですね。
同じ頭を使うなら、皆さんのレスに既に沢山のアドバイスとヒントがあることに早く気づいて、よく”考え”て見て欲しいなというのが私の意見です。
そのために、もっと現実の人間関係の中で沢山の体験・経験として欲しいのは私も同じ気持ちです。
芥川さんには”思う”と”考える”の意味の違いに気づいて欲しいです。

>123
とおりすがり さん
>良い悪いの判断をきちんと示すのは、親がするべき重要な
要素の一つだと思います。
おっしゃるとおりです。
『いけないことだから』の理由を提示し、心の面できちんと子供と向き合って何が善で悪なのか考え、理解させるのは親の務めだと思います。
幼児期にこれがきちんと出来ていれば、反社会的行動を自覚無しに取るような子供はずっと減るのではないかと思います。


なんか、余計なレスをつけたのかな、と思って反省しています。失礼を致しました。

125KM:2004/09/08(水) 16:07
>118
 芥川さん
>こういった意見を書くと必ず中学生か?若いんだろう?と聞かれます。それもです。
>何かに反する意見を書くのは頭の悪いガキンチョ、ですか?
>若いからこそ見えるものの存在を認めてはくれないんですか?

若さからの熱意や懸命さは大切ですし、今しか持てないかけがえの無いものでもあると思います。
むしろその時を過ぎてしまった私にはうらやましいくらいですよ、ホント。
でも、何故他の人に「中学生か?」「若いんじゃないか?」と指摘されるのかも、一度考えてみてはいかがでしょう。
しかも”必ず聞かれる”様なら尚更。我が身を省みるのもとても大事なことです。

若いからこそ見える、感じられる貴重な時間を、実際の生活の人間関係の中で使うのは将来必ず宝になります。
ネットの世界の中だけでなく、外の世界からも色々学んで下さい。
(老婆心ながら申し上げました。失礼。)

126とおりすがり:2004/09/08(水) 16:08
>なんか、余計なレスをつけたのかな、と思って反省しています。失礼を致しました。

そんな事ないと思いますよ。
同意する点の多い、思いやりのある意見だと思います。

蛇足ですが、事件を考えるにあたり、
加害者には、一種独特の個性や、特殊な性癖、考え方、独特の思想を持つ者、
一見、非常に好奇心をくすぐられる対象の人もいるでしょう。
しかしながら、まず、第一に考えるのは、被害者であり、
その犠牲になった方の無念の情に思いをはせ、事件を考察する事を
忘れてはならないと思います。

127:2004/09/08(水) 16:13
私達が子供の頃に悪い事とは親に叱られる事、親が悲しむ事で充分で、
理屈や理由はわからなくても抑止力になってた気がします。
親に「なんで?」て聞いても「なんでも」てな感じで、それくらい自分で
考えなさいよと....。
あまり説明や理屈をいわれなかったですね。
今の子供は気をつかわれ過ぎてるというか、
もっと子供扱いしていいのではないでしょうか?

128特命希望:2004/09/08(水) 17:01
KMさん、
わざわざお返事くださって恐縮です。
私も反論したわけじゃなく、やはり言葉が足りなくて通じてないなと反省の意味で書きました。
いつも文章が下手ですみません。やはりネットはむずかしいですね。
(おまえは引っ込んでろ〜と、いつも自分に言い聞かせているんですが、このところつい嵌まってしまってます^^;)

芥川さんには、
色々なレスの言葉尻だけでなく、ここで皆さんが異口同音に芥川さんに伝えようとしている意味、その言葉の背景や真意にまで思いを馳せてくれるといいのですが。。。


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