したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

狭山事件の真相は?

1狭山現調隊:2003/08/24(日) 10:42
狭山事件については2ちゃんねるで議論されて来ましたが
見苦しい荒らしも多く議論が進まないのでこちらでの検討
もお願いします。


>参考< 
 ××××××狭山事件××××××(2000.11〜12)21レス
  http://mimizun.mine.nu:81/2chlog/occult/piza.2ch.net/occult/kako/975/975464201.html
 狭山事件(2002.2〜7)
  http://de.geocities.com/zeroyaruki/sayama/sayama01.html
 底知れぬ暗黒、狭山事件2rd(2002.7〜10)
  http://de.geocities.com/zeroyaruki/sayama/sayama02.html
 狂気の迷宮・狭山事件3rd(2002.10〜2003.1)
  http://hobby2.2ch.net/occult/kako/1034/10346/1034680074.html
 殺意の因習、狭山事件4th (2003.1〜5)(html化待ち)
  http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/occult/1043835444/
 虚構の闇、狭山事件5th (2003.5〜8)
  http://hobby4.2ch.net/test/read.cgi/occult/1053532994/l50
 無限回廊内のページ
  http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/sayama.htm

 盛況氏のHPで4thと5thを読むことができます。
  http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Poplar/6601/index.html

39Dark:2004/01/08(木) 23:09
こんな話題を引きづりたくはないですがもうひとこと。
少なくとも私は、「石川さん有罪」も議論としては成り立つと言った。
それを議論したいのならそれでいい。
しかし>100/Sさんは結局、議論を逃げているね。これはほかの有罪論者にも言いたい。

>自分の思う事を書いたら無知だとアザケ笑われる。。

初めに「無罪論者」(つまりはこのスレそのもの)を無知呼ばわりしたのはあなたなんですけど。
だって、
>無罪派?の方々はそれらを知らないからだと思う。
「知らないから」つまりは「無知」だから、ということだろう。
ひとに言った言葉は、自分にかえってくるんだよ。
それで「はいはい無罪無罪」などとからかうしかなくて逃げをうつのは、
やっぱりあなたがほんとに議論のしかたも知らない「無知」ということです。

こういうのではなく、真面目な議論として、石川さんの「有罪・無罪」について、
議論を戦わせたいという人がいるならば、私は大歓迎したいと思いますよ。

40黒たん:2004/01/09(金) 07:22
ここのスレッドには全然ノータッチの身でありながら、横から口挟むの、失礼
かも知れませんが・・。
自分はこう思うってぶつけるのは間違っていないと思う。それに対して
「自分もそう思う」「それはちょっと違くない?」etc.
といった反響も出てくるワケじゃないですか。100人いれば100人皆同じとは限
らないし、中にはぶつかる事もあるし。
「やっぱりそうだよね」「ゴメンね、間違ってた」「確かにおっしゃるとおり。で
 もこういう事もないとは言えないと思うんだ」etc.
って応えれば、まだ少しは円く収まると思うのよ。「まだ少しは」って事であっ
て、このやり方が果たして善いのかどうか・・ですが。それを

>自分の思う事を書いたら無知だとアザケ笑われる
>こんなバカらしい事にはもうかかわり合いたくないのでもう二度とページを
 開く事もないでしょう

と言うのは・・事件の論議(とは言えないのかも知れませんが)どうこう以前に、
人としていかがなものかと。きつい事言ってるかも知れません、でも少なくと
も私はそう思います。

・・白紙に、と言いますか、本題に戻しましょう。その方が善いかもね。

41黒たん:2004/01/10(土) 08:14
「本題に戻そう」と言いながらしつこく続き、ゴメンナサイ。あと一言だけいい
ですか?
>>40を書き込みしていたら出勤前で時間が少なくなって、大慌てで書いたもの
ですから・・ちゃんとご飯食べて、会社も間に合いましたが。それはいいとしま
して、後々自分で読み返したら、自分ながらきつい言い方&言葉が足りなかっ
たかなって。御覧の方々で、感じ悪い思いされた方がいらしたらごめんなさい。
>>40でも書いたように、自分の思いをぶつけるのは悪いことなんかでは決して
ないと思うの。それに対して色々反応があって、中には意見&考えの相違が出
てくるのだって珍しくもないですよね。
そこであの言い方・・そんな言い草があるのか、ふざけるな、だよね。真面目に
議論している&書き込みしている方々に対して、ひいてはこのサイトの管理者
boroさんに対して失礼じゃない、って。余計なお世話かもしれないけど、そう
感じまして・・。ゴメンナサイ。

「一言」と言いながら長々とスミマセン。今度こそ本題へ・・。

42ひばり:2004/01/10(土) 14:47
当時のように「自白」が被疑者にとって不利な証拠となる冤罪事件は過去のもののようにも思えますが、
ゴビンダ判決のように今も冤罪「風」の事件が後をたたないことに戦慄を覚えます。
ただ、狭山事件の周辺は「イデオロギー」と結びついた側面が強く、そのイデオロギーが邪魔をして
すんなりと無罪を支持することができない、という人がいるのではないでしょうか。
石川さんのように明らかに無実だろうと思っていても、ある「イデオロギー」に与することを良しとしない、
感情とでもいうのでしょうか。死刑反対運動にもそんな側面があるような気がします。
駄スレ失礼。

43Dark:2004/01/10(土) 17:16
>42
イデオロギーが正常な議論のジャマをしてるというのはそのとおりだと思いますね。
正しいとわかっていてもイデオロギー上正しいといえない。または、
あるイデオロギーの連中がそれをいうから正しくない。

しかしそれは没論理というもの。
有罪無罪どちらを主張するにせよ、自分のイデオロギー(とかあるイデオロギーに対する反感)
はヌキにしてやるべきでしょうね。

私から云わせりゃ、
とにかく冤罪なんだから何がなんでも冤罪だ、というのと、
ああいう連中が冤罪といってるんだから有罪だ、とか、
とにかく最高裁が認めてるんだから有罪だ、というのも全部同じレベルなわけでね。

44むむ・・・:2004/01/11(日) 00:11
明らかに冤罪と思われる事件でもなかなか再審決定は出ず、政府は受刑者&元受刑者の死を待っているだけのような印象を受けますが、なぜでしょうね。
法曹は実際は限られた少数の大学の出身者が多く、先輩後輩の序列がうるさいのは日本では常識ですから、やはり「先輩の決定を覆すのは後輩のなすべきことではない」という考えが支配的なせいかと思います。
一応大学を出ている自分の感覚としては、そう思いますが、皆さんの意見はいかがですか?

45Dark:2004/01/11(日) 03:58
ではまず私から…年功序列による組織の硬直化は一般的にもあり、それは法曹界でもあると
いうことはそのとおりでしょうね。とくに学閥的なことがあるとすればなおさらに。
裁判所ではそれに加えてたとえば判例といういってみればこれも「先輩が出した結論」も重視されてますね。

もっとも、いろんな裁判で逆転判決もけっして少なくない。
だがこと狭山裁判特有の要因を考えると、やはりイデオロギーがらみがあると思う。
はっきりいえば、この裁判を「差別裁判」として盛り上がった解同の運動への反発というか、
警戒感ですよ。仮に再審決定、逆転無罪になったとした時に、その判決が解同に与える弾みは、
容易に想像できる。それを考えると私も複雑な気分になるくらいだ。
やはり狭山事件の再審がなかなか通らないのは、
再審運動に解同がかかわっているからだろう。裁判所も含めた「権力側」が、
それを怖れていると思うが。

ゆえに、イデオロギーは正当な裁判そのもののジャマにもなっている。

46むむ・・・:2004/01/11(日) 14:58
難しいことろですね。ニワトリが先か卵が先か。イデオロギーが先か権力が先か。

47ひばり:2004/01/11(日) 16:01
同じような議論があったなら申し訳ないのですが、私にはこの事件の「動機」がよくわかりません。
石川氏が自供させたれた動機は論外としても、解同側が主張する「近親憎悪、遺産」云々という動機にもすんなり納得できずにいます。
どなたかその辺の情報をご教授願えますでしょうか?

48通りすがり:2004/01/12(月) 17:15
>>47
動機が分れば事件はほぼ解決ですよ。
なお、解同は以前は近親者に疑いの眼を向けていたが、
現在はそれには触れないようにしているみたいです。
確証がない以上、新たな人権問題を起しかねないし、
第一、事件自体はとっくに時効だから、真犯人を追及しても無駄
ということらしい。

49名無しレスラー:2004/01/14(水) 00:03
>>47-48
>動機が分れば事件はほぼ解決ですよ。
そう。この事件で最もわからないのが、そもそも動機はなんなのか。それがわかればあとは比較的簡単にゆくと言える。
皆さんもそうでしょうけど私も、2スレのほうをずっと見てきましたが、そこでもさまざまな説があります。
身代金、近親憎悪、近親相姦、財産、怨恨、不倫清算、痴情、謀略、利権、などなど。
事件おもての額面どおりに身代金目的ならば、サノヤの件もすらっと行くのだろうが、
もしそうでないならば、サノヤをどう解釈するかをはじめとして、謎が続出するわけだが・・・。

ところで全然べつの話ですが、2スレをつまらないと言うやつがいる。
たしかに1、2のころのハラハラドキドキにくらべるとそういうことも言えるのだろうが、
7までくればそうそうネタがあるわけでなし、しかたがないことと思うのだが、どうなんでしょうね。
私は、いままで出たネタの検証をしてゆく時期に来たと思うんですがね。

50おにぎり:2004/01/14(水) 07:47
日本の司法の体質という問題があると思います。
警察・検察・判事三位一体でやられると、ムジツの
被告はとってもかないません。よって「冤罪」が生
まれるわけで。
原因は戦後司法関係の体質改善がおこなわれず(戦犯
ゼロ)旧態依然の別世界にあると思います。
裁判を公正にするためには司法改革が必要でしょう。
検察のもっている証拠を開示すること、さらには「
陪審制」を復活させること・・などなど。狭山事件が
抱えている問題は実におおきなものがあります。

51Dark:2004/01/14(水) 22:30
おにぎりさん、私はあなたの言うことにはまったく反対ですよ。
>警察・検察・判事三位一体でやられると、ムジツの被告はとってもかないません
そこまでは賛同です。だが、
>原因は戦後司法関係の体質改善がおこなわれず(戦犯ゼロ)
ってなんだろう。「戦犯」ということは、東京裁判で司法員も戦犯になれば良かったということだと思うが、
東京裁判なんてあなた、冤罪で死刑になった者続出ですよ。「旧態依然」というけれど、
戦前の司法が全部悪かったかといえば、では明治二十四年ニコライ二世暗殺未遂事件が起きた「大津事件」のとき、
当時の大審院は政府(行政府)が津田三蔵の死刑を要求したことにあくまでも反対して、
法律どおりに津田を裁きました。
つまり、「戦後、体質改善」がおこなわれなかったことが問題なのではなく、
むしろ戦後特有のイデオロギーとしての「部落解放」が、かえって狭山事件の場合は、ジャマをしていると、
言いたいわけだ、私は。
「司法改革」が必要だということには賛同するが、
そのときに「戦犯ゼロ」とか、「戦後」とかは、別次元だ。
それに、司法関係の戦犯は「ゼロ」ではありませんでしたよ。
司法、行政、立法はもとより、多くの一般国民が、「戦争犯罪」の汚名を着せられ
 (むろんほんとうに戦争犯罪を犯したものもいた。しかしそれは裁いた側も同じかそれ以上に犯してもいた。
  さらに「平和に対する罪」に至っては、法理論上、まったくのインチキをやった)
なかにはまさに「冤罪」で「死刑」になった人々もいた。

そういうことを、「狭山事件」に関連して、そんなに軽く言うのはやめたほうがいい。
「陪審制」については、それこそ意見の相違があり、
陪審制がなかったから、狭山事件の冤罪があったなどというのは、やめてほしいですね。

52おにぎり:2004/01/14(水) 23:10
>>51
ま、BBSは文字ばかりで、対面して語るニュアンスというのが表現
されにくいですから・・。darkさんの意見は勿論わかります。端的
に表現したもので反論は当然のことと思います。
BBSである以上極論はやむを得ないのかもしれませんが、どんなもん
でしょうか・・・。

53Dark:2004/01/15(木) 06:57
そうですね、ややきつい表現でそのてんは失礼いたしました。
やはり論点は「イデオロギー」についてだったんですが、
また今度、詳しく書きます。

54おにぎり:2004/01/16(金) 22:06
司法制度の件ですが、冤罪が人間の限界として避けられないのであれば
「時効」は無くした方がいいと考えます。官僚の事務が「地球より重い」
一個人の命を左右する・・これはまさに前現代的遺物だと思うのですが。

石川さんが無罪であることは、他に真犯人がいるということです。しかし
時効となっています。いまさら・・という必然性の欠如もあるのかと。
警察・検察・判事ら関係者は恩給もしっかりいただいたでしょうからね。
イデオロギー的になりますが、狭山事件を司法は「国権」を「人権」の
上に置いて裁こうとしているのですが、一人の命は地球より重い・・許
せない・・とわたしは考えてしまうのです。

55むむ・・・:2004/01/17(土) 11:39
イデオロギーなどと難しいことより、もっと単純に個人のプライドや面子の問題だと思いますよ。権力もイデオロギーも所詮は個人の集合体。
たとえば、古畑鑑定は真犯人の出現によって覆ったことが何度かありますが、彼の鑑定にすら誤りがあると積極的に認めることについては、赤門出身者の中には堪えがたい屈辱だと感じる者もいるでしょう。
同僚や同窓生を守ることは自分を守ることにもなる。たまには変わり者もいますが。

56Dark:2004/01/17(土) 19:32
私のはおにぎりさんが「戦犯ゼロ」と書いたことに反応したものでした。
戦犯、つまり東京裁判史観もひとつのイデオロギーなので、それをこの事件に持ち込むことは、
あまりよくないと言いたかったわけです。その書き方が「よくなかった」のは反省。
じつは>45での自分が書いたことにもうひとつ、こっちのほうが自分的には本題なんですが、
再審を決定すると、
この事件での警察の数々の小細工、冤罪づくりの構造が、おおやけにならざるを得ず、
それを避けるための政治的判断が、裁判所にあるのではないかと。
よって、石川氏には無期懲役が確定したままでとりあえず仮釈放を認めて社会に出しておいて、
再審は棄却を繰り返して石川氏が寿命を全うするまでやりすごしているのでは。と。

57おにぎり:2004/01/18(日) 14:37
狭山事件主任弁護人青木英五郎著「狭山裁判批判」に司法の体質
が厳しく指弾されています。別スレになりますが、守大助氏の筋
弛緩剤混入事件(仙台北陵クリニック筋弛緩剤混入事件)はリア
ルタイムの裁判で、来月結審3月判決という予定ですが、注目し
ています。というのは守氏の「獄中日記」によれば、40年前石
川さんが長谷部や遠藤から受けた自白強要とまったくおなじよう
なことがおこなわれています。警察・検察・判事の三位一体が客
観的事実に反してこの事件を裁くようなことがあれば、日本には
公正な裁判が存在しないということになりそうです。

>56
事実、仮釈放の時は、石川さんは罪を背負ったまま社会に出るの
を拒否しました。刑務所が「なんとか出てくれないか」と石川さ
んに頼んだのです。なんか変ですよね・・。

58おにぎり:2004/01/19(月) 16:58
訂正

「獄中日記」→「勾留日記」

59通りすがり:2004/01/19(月) 18:13
冤罪を生む原因として、司法制度の問題が確かにあり、これを改革すべきことは
当然なのだが、狭山事件をはじめ他の多くの冤罪事件のほとんどは、日本の悪名高き
「代用監獄制度」と長すぎる拘留期間によって発生している。
これを是正しないことには、これからも冤罪は発生し続けるだろう。

60おにぎり:2004/01/19(月) 20:28
>59
まったく同感です。それとアメリカでは取調べに弁護士
を同席させることも可能と聞いたことがあります。石川さん
が逮捕されたとき、日本の司法制度が被疑者に対して人権を
尊重する制度が確立されていれば・・・と思うと残念でなり
ません。そして、それが今でも私たちの目に見えないところ
でおこなわれているかと思うと、この国に生きるものとして
哀しくなります。

61オッサン2号:2004/01/21(水) 01:13
>>49
2板では自殺をしたO富氏の単独犯行の可能性について、
原点に戻った検証中のようですよ。
たしかにあすこの板に限らずとにかく40年も経た今、
特に目立つ新しいネタがあるわけではなく、難しいでしょうが、
これまでにあがった情報を丹念に再検討して見えてくるものもあるでしょう。

なお、
この事件と解同の問題については→http://money.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1072598230/l50
で、けっこう面白い議論がありました。一時はお祭り状態だったみたいです。

62おにぎり:2004/01/25(日) 21:41
現行の司法制度を根本から見直す。
冤罪の発生をできるだけ抑える。
司法の三位一体を無くし、被疑者の人権を尊重する公正な裁判が
おこなわれることを心から期待します。検察の証拠開示について
今の国会で福島氏が要求してましたが、それも大きなポイント。
「狭山事件」をこの国の旧態依然・閉鎖的司法の改革の突破口に
しなくてはならないと思うのです。
石川さんご本人は無罪獲得の暁には「刑務所の人権」というテーマ
に取り組みたいと言っておられます。千葉刑務所に17年と数ヶ月、
受刑者の先輩として新参の人たちの待遇改善をおこなったことは
あまり知られていませんが、これも司法改革という大きなテーマに
つながるものと思います。

63ゼロ:2004/01/25(日) 22:37
石川氏は冤罪であることは間違いないことです。
だから再審をしてほしい、というよりも東京高裁での審理が杜撰であったから
再審してほしい、という考えです。警察の捜査も杜撰ですが
東京高裁の寺尾正二裁判長による審理も杜撰です。これは誰もが
認めるところでしょう。石川氏が生きている間に再審をするべきでしょうね。
狭山事件と帝銀事件は戦後の二大冤罪事件と言われていますが
帝銀事件の平沢貞通は再審が行われることなく亡くなってしまいました。
せめて石川氏が生きている間に狭山事件は再審をしてほしいですね。

64通りすがり:2004/01/26(月) 16:05
石川氏自身も言ってることであるが、確定判決に間違いがないというのなら、
その後に出てきた新証拠について、最低限の証拠調べをしてくれ、ということ
ですね。
特に脅迫状と封筒に関する斎藤鑑定は、明らかに判決とは矛盾している。
これをみたら誰でも「では証人を呼んでもっとよく調べてみよう」と思わなければ
おかしいのだが、一体全体判事の頭の中の構造はどうなっているのか。

65おにぎり:2004/01/26(月) 20:21
一審内田死刑判決は、いろいろ問題があるとしても
石川さん自身が検察の主張をすべて認めたので、やむ
を得ないものがあります。しかし、二審の寺尾はいか
に当時の社会状況(三里塚や民主化運動の高揚)を抑
える目的とか内田と司法研修時代同期の桜だったとい
う同情心があったとしても、完全にペテン判決だった
わけで。さらには上告棄却決定した最高裁はさまざま
な新証拠が提出されているにもかかわらず一切事実調
べをしないで、いわば不公正に門前払いをしたことは
許せないものがあります。
そして、それがいまでも裁判所の判断として生きてい
る事実が日本の司法の遅れを露呈していますね。

最近、某県の留置所で起訴拘留中の男性が入浴中溺死
しました。看守の監視下で・・こんなことはありえな
いことだと思うのですが。代用監獄での不審な死。結
局解明されず闇に葬られるのでしょうか。

66サーハン:2004/01/27(火) 03:30
いろいろと狭山事件に関する本を読んできましたが
一番怪しいのは被害者の一番上の兄だと思うのですが
どうやらそうじゃないという意見もあるようですね。
そこで皆さんにお聞きしたいのですが
長兄が犯人ではないという根拠は何でしょうか?
できれば説得力のある意見を期待しています。

67おにぎり:2004/01/27(火) 07:28
2ch過去ログ「入曽歴3年」さんの説は説得力があります。

68おにぎり:2004/01/27(火) 21:25
「善枝さん殺人事件」は現在入手できる書籍から犯人を推論する
しかないので、どうしても亀井説が主力にならざるを得ないので
すが、2chで全く別系ソースの情報が提供されて(「入曽歴3年」
さん)これまでの犯人像が転換をせまられたものと評価されます。
すなわちOG氏の恋愛ざたとかNK真犯人説とかの根拠になって
いるものと全く別の他の理由がこの事件を誘発させたことも大い
に考えられることになりました。わたしはNKは犯人ではない・・
と考えます。

以下【私論(勝手論)】を述べます。(あくまで私の想像です、批判は
ご勝手ですがお応えはしませんのでご了解ください)

-------------
【背 景】
母ミツの謎の死・異父兄弟の存在・異父の財産を中田家が得た事実・急激な狭山の開発・4/30選挙・富豪・地域実力者と中田家の確執

【推 論】
中田家は、利権がらみから以前から地元有力者Xに「言うとおりにしなければ、家の秘密をばらす。家族の身に不幸が起こる」と脅迫されていた。逆襲を考えた賢治は、Xの使いであるとともに中田家の元小作人奥富玄二(板ばさみ)を説得し、いったん事件があれば利用しようと「脅迫状」を口述し作成させる。Xの狙いは、30日の選挙にあったために、「脅迫状」の日付は29日とした。身代金の受け渡し場所は自宅の「前の門」とした。自作の「脅迫状」は中田家にあった。
29日は、善枝がJRCの課外活動で出掛けたため、なにも起こらなかった。中田家の強い抵抗と30日の選挙結果に怒りを感じたXは、5月1日、善枝殺害の実行を決意する。
5月1日、午後2時30分ころ、善枝さんは一旦下校しXに指示された「犯人」とも知らずに、第二ガードで待ち合わせるが、「犯人」は現れない。再び学校へ戻り小一時間してこんどは第一ガードへ行くがそこでも会えなかったため、自転車に乗って帰宅し、おやつにトマトとおにぎりを食べる。そこで、「犯人」からあらためて連絡が入り、農作業をしている兄弟に気づかれないよう、こっそり家を出て「犯人」と合流する。「犯人」は①奥富玄二②種違いの兄③掘兼中学の先輩のチンピラのうちのだれか。いずれにしろ背景には地元実力者Xがいる。善枝さんは拉致監禁される。
午後5時、中田家に善枝誘拐の連絡が入る。中田家に対する報復の殺人予告であったと思われる。賢治は、さっそく逆襲に転じる。自作の「脅迫状」を使って誘拐事件として警察に通報するとともに、親戚に善枝さん探しを依頼する。警察は西武園や狭山湖の捜索に乗り出す。因みに、「脅迫状」の二重封筒が開封されていたのは、賢治が善枝さんの学生証を入れるためだったと思われる。
午後12時、「脅迫状」に29日とあっても誘拐が勃発したのは5月1日だから警察はこの日張り込みを行う。張り込み警察のミスで、登美江は大声を出し張り込みは失敗する。もちろん「犯人」は現れない。「犯人」はこのころ遺体を埋める作業にかかっていた。
犯人取り逃がしによる善枝殺害という最悪の結果を恐れた警察は、想像される世論の攻撃をいくらかでも和らげるために「脅迫状」の訂正をおこない、5月3日午前0時10分佐野屋で大芝居を打つ。「犯人」と賢治は、痛みわけとなる。「犯人」は、これ以上中田家を攻撃することはできなくなり中田家の秘密を永久に封印せざるを得なくなった。一方中田家は「犯人」逮捕をあきらめることになる。

【証拠品】
善枝さんは一旦帰宅しているから、いわゆる「証拠品」はすべて中田家にあったわけで、賢治がすべて処分してしまったものと考えられる。
○賢治がでっちあげたと思われる証拠品
ノート類・鞄・スコップ
○警察がでっちあげたと思われる証拠品
万年筆・時計・ゴムひも
------------

69サーハン:2004/01/27(火) 23:01
母親の死亡はいつ頃のことですか?

「賢治」というのは長兄のことですか?

犯人が現れないのだから、張り込みに失敗したことにはならないのでは?
それよりも3日に、取り逃がし(の大芝居を打つほう)が世間の非難を浴びるのでは?

私が間違って解釈しているかもしれませんが、ちょっと疑問に思ったことを
書いてみました。よろしくお願いします。

70オッサン2号:2004/01/28(水) 01:18
批判ではなくて質問させて下さい。
大変面白い説で、脅迫状は実は被害者家族(長兄)が用意した部分は2板スレでの3-679さんの
説にも似ています(もしかするとおにぎりさんかも知れませんが→というのは
3-679さんがその説の参考に上げていた2スレの投稿も入曽歴さんのものだったので)
質問というのは、脅迫状作成が長兄の逆襲ということの意味がよくわからないので教えてください。

ちょっと自分で考えたのは、つまり脅迫状を用意して身代金誘拐にすることにより、
「家族の秘密」を守ろうとしたのかな?ってことですが、それも違うかなあ。
身代金誘拐にしてもXがおかまいなく秘密をばらしてしまったら、意味がないし…。

71おにぎり:2004/01/28(水) 07:13
>>69
1953.12.30精神病院に入院、10日後亡くなっています。病名は脳腫瘍
とされました。
1日の張り込み失敗が善枝さんの死をまねいたことが明らかになれば
警察の責任は重大です。一日ずらすと、犯人はすでに殺害実行後みの
しろ金をとりにきたことになります。取り逃がしても警察の責任は相
対的に減りますから。ま、これは亀井説ですが。

>>70
善枝さんを拉致すれば大変な事態になる(警察が誘拐事件として本格的
に動く)という意味での「逆襲」戦略です。いずれにしろXとN家の攻
防は表ざたにできない深いわけがあって、そのタブーを脅迫状作成によ
ってあえて犯し厳しい反撃を狙ったのではないかと・・。

あくまで「私見」です。石川さん無罪を証明するため真犯人をイメージ
することは避けて通れない問題で、このことにある程度決着をつけてお
かないとイライラするものですから(失礼)。このへんでご容赦くださ
い。

72おにぎり:2004/01/30(金) 21:24
司法制度改革推進本部の「裁判員制度」について朝日新聞がコメント
しています。これでは公正な裁判はムリ。(ちょっとスレ違いですが)

73やぶちゃん:2004/02/05(木) 23:28
雑談&連絡スレッドの370で、
盛況さんから、こちらも覗いて下さるとのことです。

といって私自身、盛況さんの関心を惹くような
議論を活性化できるようなものを持ち合わせているわけではないのですが、
一つ、事件の周辺的な事柄で、
皆さんのご意見をお聞きできればと思います。
被害者の長兄が、石川さんの逮捕後に書いたあの不思議な文章と、
(よく言われるのは、
本当にこの人なのかというような表現や、
被害者遺族にしては冷静過ぎるという批評や、
被害者の名前の一部がアナグラムされて何か暗示しているかのような印象等など)
ずっと後に自殺する被害者の次兄の不思議な遺書、
(こちらも単独で考えても、
やはり遺書として私は歌詞の一部のような、
甚だ奇妙な文章だと思うのですが)
この二つの文章には、
いわく言いがたいのですが、その文のリズムというか、意味深な言い回しというか、
何か妙な類似性を感じるのですが。
皆さんは如何でしょうか。
事件の核心とはずれるのかも知れませんが、以前から気になって仕方がありません。

74やぶちゃん:2004/02/05(木) 23:29
雑談&連絡スレッドの370で、
盛況さんから、こちらも覗いて下さるとのことです。

といって私自身、盛況さんの関心を惹くような
議論を活性化できるようなものを持ち合わせているわけではないのですが、
一つ、事件の周辺的な事柄で、
皆さんのご意見をお聞きできればと思います。
被害者の長兄が、石川さんの逮捕後に書いたあの不思議な文章と、
(よく言われるのは、
本当にこの人なのかというような表現や、
被害者遺族にしては冷静過ぎるという批評や、
被害者の名前の一部がアナグラムされて何か暗示しているかのような印象等など)
ずっと後に自殺する被害者の次兄の不思議な遺書、
(こちらも単独で考えても、
やはり遺書として私は歌詞の一部のような、
甚だ奇妙な文章だと思うのですが)
この二つの文章には、
いわく言いがたいのですが、その文のリズムというか、意味深な言い回しというか、
何か妙な類似性を感じるのですが。
皆さんは如何でしょうか。
事件の核心とはずれるのかも知れませんが、以前から気になって仕方がありません。

75やぶちゃん:2004/02/05(木) 23:33
すみません、パソコン不具合でダブりました。これと74、お手数ですが削除お願いします。

76おにぎり:2004/02/06(金) 09:19
サンケイ新聞夕刊(1963.5.23石川さん別件逮捕日)

「犯人たるおまえに・・・」

善枝の位牌の前で犯人逮捕の報をきき
「善枝!本当にこの人なのか?」
と聞いても遺影は何も言わず、表情すら
変えられないのです。
全国から多大なる激励、慰めの手紙をいただき
一刻も早く今日のこの日を待って居たのですが
長びいてしまいました。これも農村という古
くからの何ものかがひそんで居たのではないのか?
と責めざるお得ないのです
この様な憎むべき犯罪が善枝以外に誰の許
にも起らぬ様、世の皆様にお願い致します
苦しかった事だろう 善枝よ!
安らかにねむりたまえ!

あらためて読み返してみました。エクスクラメーション・マークで
強調された文全体のもっているリズムが脅迫状の大文字の与えるリ
ズムと酷似していますね。それと、詩の形態をとっていることに
第三者的目線を感じ違和感をおぼえます。

次兄の遺言状の本文、紹介してくれませんか。私の手元に見当たら
ないものですから。

77おにぎり:2004/02/06(金) 09:22
おっと、「遺言状」→「遺書」でした。

78やぶちゃん:2004/02/06(金) 18:33
以下の「次兄の遺書」は、盛況さんのスレッドにあるものをコピーしたものです。これで全文のようです。

***(引用始め)

私の生きる道はどこにあるのかしら。
社会は流れ、
私も流されるとしたら、
余りにもさみしい夜になるでしょう。
明日の社会も今日の社会も余り変わりはないけれど、
私はただ私の社会の中にきょうという日を見つめて生きるのです。
そしてまた、
私は古いものの中にいつまでもいいところもあることを願いたい。
すべて終わり、
すべては夢だったのね。

***(引用終わり)

79おにぎり:2004/02/06(金) 19:37
はじめて見ました。ありがとうございました。

これが「遺書」とは・・・、まるで演歌の歌詞ですね。それに
微妙に女性言葉、今まさに死のうとしている者がこんな歌をう
たうものでしょうか。抽象的すぎます。恨み辛さを場合によっ
ては実名を記して訴えるはず。仮に本人が書いた遺書でないと
すると、「犯人」は文学的なものに憧れているそんな性癖があ
るのかもしれませんね。それも稚拙な・・。

奥富の遺書もアイマイなものでしたね、欠勤届け用紙の裏に
殴り書きしていたとか。

「真犯人探し」は人権上批判を受けているようですが、「狭
山事件」を考えるには避けて通れない重要なポイントだと思
います。

80おにぎり:2004/02/06(金) 20:07
次兄の「遺書」にこんなことを思いました。
これは、実名をあげることのできない「犯人」に対しての
メッセージだったのではないかと。さらに言えば、この
女性言葉から察するに、原文が存在していて(それも遺書
として)、読めばその意味がわかり相当のダメージを受け
ることを知っていたのではないかと。一人の人間が死を選
ぶとき、それ相応の意味をこの世に残すはずです。

81やぶちゃん:2004/02/06(金) 21:08
おにぎりさん、早速のレスありがとう!
自分にとって参考になるものをコピーしてまとめていたので、
ちゃんと元レスを提示しておきます。
殺意の因習スレッド4の以下の書き込みです。現書を確認していないので、
本当かと言われれば困りますが、とりあえず私は真として議論しますね。

***(引用始め)

03/04/28 15:41
今日発売の実話GONナックルズで作家の本橋信宏氏連載「昭和のミステリー」
に、狭山事件が書かれています。この板のことも載せている。
れいの次兄が1977年自殺したいままで謎だった遺書まで
載っけてます。善枝ちゃんが憑依したかのよう・・・・。
「私の生きる道はどこにあるのかしら。社会は流れ、私も
流されるとしたら、余りにもさみしい夜になるでしょう。
あすの社会もきょうの社会も余り変わりはないけれど
・・・・」
恐いッ!!

***(引用終わり)

82むむ・・・:2004/02/06(金) 21:17
常識的に考えて、次兄の遺書は女が書いたのではないですか。
その頃、「そうなのヨ」みたいな流行語もありましたが、当時を知っている私の感覚では男性はこんな文章を書きません。

ケビン・コスナー主演の「JFK」で、デイビッド・フェリーが明らかに他殺らしき自殺を遂げたとき、宛名のない不自然な遺書が二通見つかる場面がありますが、よく似ていませんか。

83やぶちゃん:2004/02/06(金) 21:50
激です。何だかチャットみたい(実はやったことがありませんが)!

ごめんなさい、では戻って長兄の手記からまず検討したいと思うのですが、
これについては、盛況さんのスレッドの1で、

亀井トム「狭山事件権力犯人と真犯人」の232ページからの転載と記されている504のレスのものと、
おにぎりさんのレス76のものと、
殿岡駿星氏の「犯人」の385ページのものとに、
微妙に表記の違いがあるのを発見しました。

句読点等、いちいち挙げるとくだくだしくなるのですが、
たとえばおにぎりさんのと殿岡版では、
504にある「と聞いても」と「遺影は」の部分のスペースがありません。
また、殿岡版では「世の皆様にお願い」が「世の皆様にお願ひ」となっています。
おにぎりさんのと殿岡版の方が正しいのかなと思ったりするのですが、
特にスペースには私の解析のこだわりがあるので、
どれが正しいのか、サンケイ新聞を今、確認することが出来ず、
ちょっと困っています。
しかし、今日はじっくり細部を語って見たいと思っていますので、
とりあえず、私は盛況さんのスレッドの1の504記載の次の表記で私見を述べたいと思いますので、ご了承下さい。
今後、何らかの形で原版との校合がなされなくてはいけないと切に思います。

また、もう一つ、同じサンケイ新聞に掲載されたという次の一文も問題にしたいと思います。
スレッド1の796にあります。

***(引用始め)

796 名前:488投稿日:02/07/15 10:49
犯人たるおまえに
なぜ善人に戻って呉れなかったのか、悪に取りつかれたおまえでさえ戻るのみの善をおまえは
もって居た筈であり、その善は今日のこの日を待っては居なかった筈なのに……

これも5月23日のサンケイ新聞夕刊に掲載された長兄の手記の一部とのことだが、
>>764の原文にはこの一節はない。
あとからの版か地元の版で付け加えられたのか、あるいは削られたのか、
そのへんの事情は調べてみたがよく判らなかった。

***(引用終わり)

ソースの不確かさが気になりますが、
やっぱり「気になる」文章ではありませんか?

84おにぎり:2004/02/06(金) 21:50
次兄の「遺書」であることにするためには、女言葉はあえて
避けると思います。

「遺書」は、いかにも死者の真実のメッセージのように思われ
がちので、これはちょっと疑ってかかった方がいいですよね。

それにしても、謎の遺書です。

85やぶちゃん:2004/02/06(金) 21:56
今日、長兄と次兄の手記についてちょっと時間をかけて考えてみたのです。
以下、ちょっと長いですが、よかったら、おにぎりさん、お付き合い下さい。
長兄の手記は素直に読んだとき、
この時点では、
筆者は石川さんが犯人ではないのではないかという否定的感懐を、
なぜか半ば以上、
持っているのではないかと思えるのです。
以下、当たり前と感じられるくどい部分がありますが、私見を述べます(以下、すみませんが常体で書きます)。

まずサンケイ新聞昭和38年5月23日夕刊掲載分について。
冒頭、わざわざ「犯人逮捕の報」と表現しながら、それに対する心因反応が「善○!本当にこの人なのか?」という極めて強い確認と疑義となっている点である。エクスクラメンションとクエスチョン・マークの使用がご本人によるのか、それとも記者による装飾なのかは不明だが、仮に後者であったとしても、その強い念押しの確認の要求と、詰問と言ってもいい厳しさは記号なしでも十分伝わってくる。
次にそれを受ける「聞いても」の逆接の接続助詞「も」の持つ前文への否定的効果である。
そして続く一字アケである。これは、まるで映画のように、疑問を投げかける兄から仏壇のカット、そしてゆっくりとした遺影へのズームインのようである。この映像的効果自体が私に、それこそ謀略物の日本映画のワンシーンを見るような、否定的な感じを促しさえするのだ。
「何もいわず」「表情すら変えられない」では、沈黙の否認イメージに、副助詞「すら」でさらにマイナスの駄目押しが加えられる。「られない」は勿論、被害者の死の無念を示すように表面上は読めるが、同時に、実は「犯人ではない」とはっきりと訴えたいのに訴え「られない」ではないか? と筆者が考えていることの反映された表現としても十分読める。
以下の新聞掲載の礼儀としての公的な謝辞の後(ここでは当然「(犯人逮捕の)この日を待っていた」という表現が、前文との齟齬で少しも真実味を帯びていないのが判然とする)、その尋常さを打ち破るように再び意味深長なスペースがくる。
続く「これ」の指示語は何を指すのか? これは犯人逮捕という事実、即ち、石川さんの犯行事実やその様態・動機等を指すのではなく、『この事件の意味する総体』を指しているのは明白である。
ちなみに、ここであえて「もの(物)」を「者」と表記しているところに、別な真犯人として特定の「人物」を暗示しているという解釈の可能性も成り立つであろう。
「何者かゞ」のあとも「何者か」に立ち止まらせ、印象付ける効果的なスペースだ。
ここまで来て再び、我々はまた不可思議な疑問文にぶつかる。「これも農村という古くからの何者かゞ ひそんで居たのではないのか?」
核心部、「何者か」は伝統に呪縛された前近代的な「農村という」運命共同体の中に「ひそんで」いる、特殊な属性を持ったなにものかだと言う。
では「何者か」とは何か? それは民俗学的な,隠蔽されてきた陰の習俗か負の思想か? おぞましき伝承? 淫猥なる秘儀? 封印された呪詛? 想像を絶する冷徹な戒め? しかし、そこで読者は霧に断ち切られてしまう。
しかし確実に言えることは、筆者もその属性の中に『現に生きており/生かされており/その属性を持ち』、その非を痛いほど理解し、それ打ち破りたいと思うが打ち破れないという悔恨があり、『そのような特殊な属性を持ったなにものかを背景としてこの事件は起こり、結果、妹は殺されなければならなくなった』と言っているのである。だからこそ『自分を』「責めざるお得ないのです」と述べているのである。
ともかくここに至って、実は、犯人逮捕の問題は、どこかへ吹き飛んでさえいるではないか。
ただ、それが筆者の主意として必ずしも読者に迫ってこないのは、それは、ひとえに、先ほどの謝辞や、やはりこの後の尋常な「この様な」以下の文辞にはさまれているからに過ぎないと思うのである。
犯人逮捕の報を受けた親族の一言としては、極めて不可思議なの手記だと思うのである。

86やぶちゃん:2004/02/06(金) 21:59
(つづき)
サンケイ新聞昭和38年5月23日夕刊掲載の手記の一部とされるものについて。

「犯人たるおまえに」という見出しのような書き出しは、明らかに前文の「この人なのか?」という書き出しと対照的にきっぱりとしている。
後ろの一気に続く一文は、どう読んでも、初対面の見ず知らずの犯人(とされた石川さん)をイメージして問いかけているとは思えない。
「戻って呉れなかったのか」の「呉れる」という補助動詞は、このような場合の容疑者にはまず使わないだろう。そもそも「戻る」という語は、本来の状態(善人である時のおまえ)を知っているとも取れる(もちろん知らなくてもよいのだが)。そして以下は次のようにも解釈される。
(あの時、私には)「悪に取りつかれた」(かのように見えていた)「おまえでも」、(私には良くわかっているぞ。おまえには、あの時)「戻るのみの善」(しかなかったはずだということを。私にそれがなぜ分かるかと言えば)、(そんな善を私とお前は共有していたからだ。そうだ、そのような)「善をおまえはもって居た筈なのに」、(なぜその善に従って「呉れなかったのか」)。
私には原文に奇妙な臨場感が感じられるのである。
彼が語りかけている人物は、かつて筆者の前に現にいた、熟知した人物のではないか、という臨場感である。
ここでは善人や善は宗教的な言辞として用いられているのであろうが、指摘されているように被害者の名前の一部と同字であり、そこに真犯人へのメッセージ性を読み取る識者もいる。私も、それが『真犯人への』メッセージであるかどうかは微妙に留保するが、明らかに『ある有意性を狙ったもの』だと考える。
最後の、「もって居た筈なのに」「待っては居なかった筈なのに」という両表現に至って、限りない愛惜と悔恨が強烈に感じられるのである。
これは断じて、妹を殺された兄が、見ず知らずの犯人に対して、なおかつ、前半で述べたような、その人物が犯人ではないかも知れないというアンビバレントな心情を持っている状態で記された手記とは思えないのである(強固な信仰に基づく考え方が筆者の中にある場合は書き得るとする意見もあろうが、私はその場合、表現はもっと異なってくると思う)。

87おにぎり:2004/02/06(金) 22:10
ちなみに、私が引用した長兄の文は「狭山事件への告発状」(亀井トム)
からです。

どうも長兄は真犯人を知ってるようですね。よくわかりました。

今日はショックでした。次兄の遺言・・これは要チェック。

88やぶちゃん:2004/02/06(金) 22:24
付き合いすみません。
さて、最後に、次兄の遺書を検討を一応、してみましょう。

単純な点から言うと、どちらも(長兄のものは前の長い方と比較して)五文によって構成されています。
試みに対応させて通し番号と記号を振ってみます。
なお、句読点を時々省略する傾向のある長兄の文(スレッド版)には句読点を補います。
兄の最後は二文ともとれますが、
これは
「苦しかった事だろう、安らかにねむりたまえ!」の中間部に、
被害者への呼びかけが挿入された一文と解釈します。

①(A 兄)善枝の位牌の前で犯人逮捕の報をきき(、)「善○!本当にこの人なのか?」と聞いても(、)遺影は何もいわず、表情すら変えられないのです。
 (B 弟)私の生きる道はどこにあるのかしら。

②(A 兄)全国から多大なる激励、慰めの手紙をいただき(、)一刻も早く今日のこの日を待って居たのですが(、)長びいてしまいました。
 (B 弟)社会は流れ、私も流されるとしたら、余りにもさみしい夜になるでしょう。

③(A 兄)これも農村という古くからの何者かゞ(、)ひそんで居たのではないのか? と責めざるお得ないのです(。)
 (B 弟)明日の社会も今日の社会も余り変わりはないけれど、私はただ私の社会の中にきょうという日を見つめて生きるのです。

④(A 兄)この様な憎むべき犯罪が善枝以外に(、)誰の許にも起こらぬ様世の皆様にお願い致します(。)
 (B 弟)そしてまた、私は古いものの中にいつまでもいいところもあることを願いたい。

⑤(A 兄)苦しかった事だろう(、)善○よ! 安らかに(、)ねむりたまえ!
 (B 弟)すべて終わり、すべては夢だったのね。

すると、奇妙な一致が見られます。

①Aでは、死者の遺影は語らず、写真の冷たいのっぺりとした表情のまま『答えはない』。
 Bでも、個としての生の絶望から、明らかに突き放した表現で、『答えはない』ことが分かっている諦観が示されます。
②Aは『公』への礼儀としての謝辞。
 Bも社会という『公』への末期の疑問です。「余りにもさみしい夜」とはいつの夜なのか?
③Aは手記の核心部です。『古い因習』への強い猜疑が示され、「何者か」に事件の真相が暗示されます。
 Bも自殺に至る心境の核心部です。私の社会が「今日」も持つ『古い』「なにものか」に押しつぶされつつあること、即ち自殺の真相が暗示されます。
④Aは懇願です。
 Bも懇願です。
⑤Aは被害者の鎮魂の言葉です。「安らか」な「ねむり」を祈って終わります。
 Bも訣別、虚無への回帰、自己の魂の己が挽歌です。「すべては終わり」であり、「すべては夢」だと。

どうみても、これは次兄が長兄の手記を意識して記述した遺書としか思えません。
だとすると、これは極めて異様に不可解です。
自己の経営する店の経営に苦しんでいたとされる(それが自殺の原因と聞いています)次兄が、
何ゆえに、自分の自殺の動機とは無関係なはずの(何らかの事件のトラウマが彼のノイローゼ様症状と関係がなかったとは言えないと思いますが)、
過去のの思い出したくもないはずの忌まわしい親族の事件の、
選りに選って、犯人逮捕時の、
どうみても異様な長兄の手記を、モデルにしなければならなかったのか。
そこには、おのずと隠されたメッセージ性を読み解きたくなってしまうのです。

推理小説の読み過ぎかしら?
(実は推理小説は年をとってからはほとんど読まないのですが)
それとも、う〜ん、やっぱりこれは、おにぎりさんの言うように、ライターにはめられたのかな?

とりあえず、牛のよだれみたいなレスでごめんなさい。

89やぶちゃん:2004/02/07(土) 00:14
次兄の引用元を間違えました。全文掲示はもっと後の部分でした。
引用しておきますね。

***(引用始め)

03/05/01 12:59
「私の生きる道はどこにあるのかしら。社会は流れ、私も流されるとしたら、
余りにもさみしい夜になるでしょう。明日の社会も今日の社会も余り変わり
はないけれど、私はただ私の社会の中にきょうという日を見つめて生きるの
です。そしてまた、私は古いものの中にいつまでもいいところもあることを
願いたい。すべて終わり、すべては夢だったのね。」

実話GONナックルズ6月号「ミステリーの交差点」
本橋信弘氏の文より抜粋しました。
たったの2ページだけど、氏の実体験とスレのまとめのような感じで
とてもおもしろい。
もっと読みたいなぁ。

***(引用終わり)

なお、このあとに、かなりこの本橋氏の記事に批判的なレスも見られます。
ただ、 記事自体がでっちあげとの印象は少なくとも感じられません。
ただ、この次兄についての情報は非常に少なく、
資料的に確度が高いのは、殿岡氏の「犯人」の358/359ページの記事ぐらいでしょうか。
ちなみに、それによると
「(石川さんの)二審が終わってから三年後の一九七七年一〇月四日に自宅で変死」
「遺書はあったらしい」
とあります。

90おにぎり:2004/02/07(土) 20:55
遺書といえば、限りなくあやしい奥富のは、

病気にまけた。申し訳ない。
父母たのむ。
兄姉様

とあったそうですが、これまた不自然ですね。もう少し
死に臨むリアルさが滲むものだと思うのですが。

91おにぎり:2004/02/07(土) 21:00
(補足)
自殺の原因は「病気」なんだとムリに強調しているようで。
事実病気だとしても、もう少し書きようがあるんじゃないか
と考えます。結婚式を翌日に控えているわけですから。これ
では、婚約者は納得できないでしょう。婚約者に対する謝罪
も無いというのも不自然です。

92むむ・・・:2004/02/07(土) 22:49
どの遺書も自殺した本人が書いたようには見えない。?????

93やぶちゃん:2004/02/08(日) 10:56
おにぎさんやむむ…さんのご意見を聞いてみて、
まさにこの事件に関わる、脅迫状、手記、複数の遺書といった、
実際に書かれた文書類の、
極めて不可解な書記法、表現、記述目的との不整合といった、
不可解な共通性が浮かび上がってきたと実感しています。
今後も、折に触れて考えてみたいと思います。

94盛況 ◆cQ5CwQT2.c:2004/02/09(月) 20:08
やぶちゃんさんにお誘い頂いたので、チョット投稿します。
>>83での、原本に忠実な「長兄の手記」について。

 善枝の位牌の前で犯人逮捕の報をきき
「善枝!本当に この人なのか?」
 と聞いても 遺影は何もいわず、表情すら
 変えられないのです。
 全国から多大なる激励、慰めの手紙をいただき
 一刻も早く今日のこの日を待って居たのですが
 長びいてしまいました。 これも農村という古
 くからの何者かゞ ひそんで居たのではないのか?
 と責めざるお得ないのです。
 この様な憎むべき犯罪が善枝以外に 誰の許 
 にも起らぬ様、世の皆様にお願ひ致します。
                      (4、5行アキ)
 苦しかった事だろう 善枝よ!
 安らかに ねむりたまえ!

これが正確な処だと思われます。これは既述の如く、『狭山事件権力犯人と真犯人』
に画像で転載されておる物です。但し、スペースはそれが実際明確にスペースのつもり
で書かれたものかどうかは、読む人の解釈しだいと言う部分もあるでしょう。そう言う
意味でスペースかどうかやや疑わしい部分は、
 「本当に」の後
 「聞いても」の後
普通に読めばスペースと解釈出来る為、上記ではそのように記載しました。

あと「世の皆様にお願ひ」の「ひ」は、「い」の草書風とも見えるが、他の部分の「い」
とは明確に違うので「ひ」と解釈するのが正しいでしょう。

更に、「犯人たるおまえに」以降の部分はこの画像では見当たらず、御指摘の通り、ど
こにどう付いていたのかは不明。
亀井本では『「犯人たるおまえに‥‥」と題した手記』と書かれて上記の画像が掲載さ
れているが、画像にも本文にも「犯人たる‥」以降の記述は無し。
殿岡本ではその部分の記述は何も無し(本文のみの紹介)。
甲斐本では「苦しかった事だろう」の前に「犯人たる‥」があったかのような記述の仕
方。
取り敢えず、以上です。

95やぶちゃん:2004/02/09(月) 22:34
盛況さん、早速のご投稿、嬉しい限りです! 
手記の字句表記その他の情報、ありがとうございます。
あつかましいお願いですが、次兄の遺書の情報についてはどのようにお考えか、
またの機会にお教え下さい。

96おにぎり:2004/02/23(月) 21:04
狭山事件は「謎の脅迫状」から始まっていますが、特に「少時様」
(わざと読みとれるように斜線数本で消してある)とは、いった
い誰のことか・・単なる架空の名前としても、この文字から受け
る印象は大きいものがあります。まさに「謎」めいています。

先日購入した古本(明治三十四年刊の復刻版)の末尾にこんな
広告がありました。

 『豪傑の少時』(タイトル)
  ・・・古豪傑が少年時代に於ける・・・(解説)
明治時代には「幼年」「幼時」を意味するのに「少時」も使われて
いたことがわかりました。

こんなことを考えました。

「少時」=子ども時代
宛名の「中田栄さく」=「少時」
(中田栄作は幼年期に、ごく一部の親しい人達から「少時」とニック
ネームで呼ばれていたのではないか・・あくまで推量ですが)
脅迫状の元の宛名「少時」は、実は読む人が見ればそれが誰をさして
いるのか、ひょっとしたらこの脅迫状を出した「犯人」がだれである
かすら分かるような用語だったのでは・・・。

5月2日の「佐野屋」での張り込みの前に、栄作と登美恵が「善枝」は
もう殺されていると言って泣き出したこととか、「犯人は多分知ってい
る人だから・・」といったコメントが栄作からあったことの矛盾が解け
るような気がします。ご意見を期待します。

97入間川:2004/03/31(水) 05:11
狭山事件の犯人は、もう死んでいる。この事件は、もう終わっている。真犯人は、今はもう墓の下にいる。

9898:2004/04/16(金) 16:21
真犯人が死んでいたとしても、真相が明かされない限り
「もう終わっている」ことには絶対ならない。

99ろった:2004/04/16(金) 22:20
ちょうけいでしょう。

100おにぎり:2004/04/17(土) 22:12
真相が明かされていないため、石川一雄氏はいまでも犯人
扱いで、ここに「狭山事件」が今の問題としてあるわけで
す。多分、真犯人は墓の中ですね。いいかげん、司法が信
頼を得るかどうかのひとつのバロメーターが「狭山事件」
でしょう。70年代の司法の右傾化がいまでも続いている
のでしょうね・・、「三権分立」って死語なんですか?

101ろった:2004/04/17(土) 22:30
人間世界なんでそうなるんでしょうねぇ。人間は人と人が
つながっていますしねぇ。

102盛況 ◆cQ5CwQT2.c:2004/05/04(火) 23:58

>>96でのおにぎり氏の投稿にもある通り、脅迫状の「少時様」に就いては、
現在迄様々な説があり大きな謎の1つです。この「少時様」に関連して、
今回、2板の新井 泉、1−531両氏と共に行った現地での調査の結果、
若干の新事実を見い出しました。
現在正確な事実関係を確認の為、鋭意再調査中です。

新井氏及び1−531氏とも協議の上、然るべき時期が参りました際、
それらの事実につき投稿させて頂くと共に、小生サイトにその報告を(取り敢えず
推理は別として)UPする所存です。

103新井 泉:2004/05/05(水) 00:39
取敢えず2chのスレが荒れ放題で、5月1日にも事件についての書き込みが無い
と云うのを見て少々がっかりしました。
申し訳御座いませんが暫らくこちらのスレをお借りして、事件についての投稿を
させていただきます。

さて、>>102 盛況 様の投稿に有りますように我々は被害者の命日と思われる
5月1日に現地巡見を行いました。
その巡見に於きまして、脅迫状の新解釈に繋がる事項の発見に至りました。
そちらの方については、プライバシー等に係わる事項も含まれておりますので、
我々も細心の注意を払っての発表とさせて戴きたく思います。
現在現地の写真を含めまして、盛況 様にHPの製作依頼をさせて戴いております。
近い将来公開できるようになると思いますので御期待願います。

先ずはご挨拶までに。

1041-531:2004/05/05(水) 02:24
102盛況氏にて紹介をいただきました1−531でございます。
新井氏のプロデュースによりまして、上記のごとく現地を廻ってまいりました。
これまで我々が知り得なかった事実による、脅迫状新解釈から推理を膨らませて、
新たな「説」を構築すべく準備しております。
盛況・新井両氏とも協議しながら、私の冥想を迷走させてみたいと思います。

以後わたくしは「犬神」と名乗らせて頂きます。

105盛況 ◆cQ5CwQT2.c:2004/05/05(水) 23:31
脅迫状の宛名「少時様」についてこれまでに推理されて来た事は主として、
「しょうじ様と言う名の他家の子供を誘拐しようとしていた偽装」或いは「時
が少ないと言う犯人側か、被害者宅か、その心理や状態を表したもの」との事
であった。また被害者一家周辺に「しょうじ」と言う人物がいたのではないか
との推理も様々に為されていたのであった。

今回地元在住の新井 泉氏の尽力により、1−531氏(改メ犬神氏)と共に、
自転車を使用しての肌理細かな実地見分を行う事が出来た結果、特に少時様の
問題につき示唆を与えると思われる事実を発見した次第。

取り敢えず現時点での詳細に就きましては新井&531両氏に願うとして、暫
定的且つ簡単な頁を作成しましたのでそちらをこれよりUPしておきます。

106新井 泉:2004/05/06(木) 00:01
それでは盛況 様の後を引き継ぐ形になりますが、『正治』様についての考察を投稿します。

今回の巡見中、中田家の墓所を偶然発見することができました。
被害者であるYさん、次女であるTさんの墓を参りご冥福を祈った後、偶然にも
盛況 様が右から3番目の墓石の側に刻まれた『正治』様の文字を発見しました。
つまり、かつて中田家に『しょうじ』様が居たのです。
この方は、昭和19年に31歳で台湾に於いて戦死された方で、
年齢的に推測すると『栄作』氏の弟に当たるのではないか?と云う事になります。
ここで我々は以下の推理をしました。

①脅迫状にある『少時様』は『正治』氏の事ではないか?
②『正治』様は何か中田家に於いて過去に忌まわしい事件に係わっていたのではないか?
③犯人は脅迫状を書くに当たって②の事項を知っていた人物ではないのか?

等々であります。この「正治」様が、果して事件に関連性がある名前であるのか否か、
また関連性があるとしたらそれはどの様なものであったのか、それについては調査を継続
し、僅かでも事件の真実に接近出来る様、努力して行く次第であります。

107おにぎり:2004/05/06(木) 07:13
画期的な発見ですね!今後の成果期待してます。

ところで、「少時」という言葉を、また別のところで発見
しました。

「自分は訳もなく非常に感動した。広いパリーの都、広い
フランスの国に、今自分を知って居るものは、全く此の内儀
一人。然し今宵、此の都を去って了へば、其れが最後で、
少時(しばらく)にして、二人は何もかも忘れ果てて了ふの
であろう。彼女は時が来れば勝手に死んで了ひ、自分も亦、
何処かの国で病気にかかって斃れて了うのだ」(永井荷風
「船と車」)

ここでは、亀井説のように「少時」が使われています。今では
奇異にみえる「少時」という単語も明治には結構一般的に使わ
れていたんですね。

108behavio:2004/05/06(木) 14:10
盛況氏に質問ですが
貴殿のサイトの死体埋没状況の写真はどこから入手さたのでしょうか?
他にもナマナマしい写真はお持ちなのでしょうか?

109通りすがり:2004/05/06(木) 15:58
亀井トム著「狭山事件・権力犯罪の構造」という本に
載っていますよ。
この本は、今でも比較的手に入れ易い。
盛況氏サイトの写真も、おそらくこれを転載したものだろう。

110レイムダック:2004/05/06(木) 16:55
盛況さん達は、奇しくも被害者の命日(本当は違うかもしれないが)
にお墓参りをしたわけですね。

ところで、盛況さんのHPにUPされているお墓の写真は、
5月1日当日に撮影されたものですよね?
命日にしては、花なども奉られていないし、
家族が墓参りした形跡がないようで、この点がちょっと
気になりますね。

それと自殺(?)した次女のお墓の苗字は、嫁ぎ先の
苗字になっているとは知っていたが、それなら当然、
Y家のお墓に眠っているとばかり思っていたが、お墓は
N家で、被害者である妹の横に並んでいたんですね。

どのような事情があったかは知らないが、この事実は、
いささか感慨深い。

111盛況 ◆cQ5CwQT2.c:2004/05/06(木) 18:36
>>107
今回「正治」様の名前を見い出し得た事は(またその前にそもそも墓所を発見
し得た事)全くの僥倖でしたが、それから考えている事は亀井氏やおにぎりさ
んが書いている意味と、この「正治」様を掛けているのではないか?と言う事
です。そもそもこの脅迫状は既に多く語られている様に、門をカドと読ませる
意図であったと思われる事に代表的な様に、所謂「掛け言葉」を駆使している
と考えられる為です。
しかし今の処、見い出した事実が実際どのように事件と繋がるのかと言う「推
理」の前に、事実の正確な取り纏めを小生としては優先しております。

>>108->>109
本件に関連した写真を所有している訳ではありません。小生も写真は精々が市
場で入手可能な書籍かネット上で見るだけです。但し、屍体埋没状況の物は、
以前に2板で「オカ板画像掲示板」と言う所に誰かが貼ったモノを使用。初め
は直リンであったが、消えたのでキャッシュに残ったモノを自分でUPした、
と言う事です。勿論亀井本のはそれ以前に見ていましたが。

>>110
小生自説では命日と言う事になっているので、当然それを意識して現地に向い
ました。そして命日にしては花も手向けられてないし線香も無い。しかし、近
日UPしますが、新井氏に追加調査を依頼しまして、その画像が届きましたが、
4日に新井氏が再度赴いた際、御遺族が墓参をしていた様です。その写真には
被害者の墓に(そしてこの墓にのみ)花が手向けられています。詳細は新井氏
の報告を望む。

更に、姉のお墓の件は我々も実に不可思議です。やはり公判での夫YH氏の態
度に顕われていた様に、相当に深い事情がその裏に横たわっておるものと見ら
れます。

112レイムダック:2004/05/06(木) 19:02
>>111
そうですか。では家族のお墓参りは1日の夕方か、翌日くらいだったのかな。
人ごとながら、いくぶんほっとしました。
自殺した次兄のお墓もあったんですよね?

次姉のお墓については、まだ正式に嫁入りしたわけではなかったので、
実家の墓地に埋葬されたのでしょうか。
戸籍上は改姓していたことと、形式上は結婚していたことの、せめてもの
証拠としてY姓にしたのかもしれませんね。
それに、死んだからといってN姓に戻すと「離婚した」ことになってしまうし。

お墓がN家の墓地になったのは、若くしてこの世を去った四女が淋しくないよう
にと、遺族が希望しY家も承諾した結果なのかもしれませんね。
そうだとしたら、むしろいい話だと思いますが。

113新井 泉:2004/05/06(木) 20:01
>>112 レイムダック様
>>111の盛況様の投稿の補足をさせて戴きます。
我々は被害者の命日と云う事も意識して、巡見の日程を5月1日としました。
偶然に被害者の墓を発見出来たのは、何か引き付けられる物があったからかもしれません。
私は以前にも何度か一人で周辺を回ってみたのですが、N家の墓所については発見する事が
出来ませんでした。
N家の墓所は、恐らく平成になってから大規模な改修があった様です。
想像するに父親E氏が亡くなったのを機に施工されたと思われます。
この時期にN家とY家での話し合い等があり、次女Tさんの墓もN家の墓所に移設されたの
ではないかと思います。

Y家ではTさんが亡くなって約40年、Tさんの事を知る人もいなくなり無縁仏になろうと
していた所、不憫に思ったN家が墓所の改修を機にTさんの墓をN家墓所内に移設したのでは
ないかと想像する次第です。

また、1日当日はN家の墓所が解らなかった為、手ぶらでの墓参りとなってしまいました。
後日補足調査を兼ねて花を持って再びYさんの墓を参ると、花と線香が手向けてありました。
僭越ながら持参した花を供え、改めてYさんのご冥福をお祈りしました。

またN家の墓所は本家の物のようで、分家となった次兄の墓はありませんでした。

114レイムダック:2004/05/06(木) 21:25
>>113
父親のEさんはいつ亡くなったのかは分りますか?

115レイムダック:2004/05/06(木) 21:26
>>113
父親のEさんは、いつ亡くなったのか分りますか?

116盛況 ◆cQ5CwQT2.c:2004/05/06(木) 21:57
>>114
平成2年7月28日、84歳で逝去されています。

以前は殿岡氏改良説の頑固な保持者であった小生ですが、考えと月日を重ねて
いるうちに「被害者宅はやはり被害者だ」(まあ当然ですが)との思いを持ち
今回墓所に参って、
そんな思いを強める事となった。被害者一家に関わり事件の動機に繋がる事実
が、もしあったとしてもである。
であるから、これから作成しようとする今回の見分を基にしたやや詳細な報告
頁は、個人的には相当複雑な思いを抱きつつ、と言う事になる。その為ネット
上で公開出来る範囲の事とし、一部仮名での制作とさせて頂きます。

その頁の制作にこれから取り掛かる為、この後のレスは少々お休みさせて頂き
ます。

117新井 泉:2004/05/07(金) 19:52
今回の巡見にて知り得た名前ネタをもう1つ。
既刊の出版物により既出だったら、申し訳ないのですが三女の名前と兄弟の名前の
共通性についてを投稿します。

先ず三女の名前は『登伏子』ちゃんと表記がありました。(読み方については解りません、
また行年より三女と判断しました。)
この事を踏まえて、長男『健治』長女『喜代子』次女『登美恵』三女『登伏子』次男『喜代治』
四女『善枝』三男『武志』と云う事となります。

まず名前の共通性として長男と次男に『治』の文字が見受けられます。
次に長女と次男には『喜』の文字が見受けられます。
次女と三女には『登』の文字が見受けられます。
ここまではある程度、法則性に則ったものと思われます。
(先祖よりの名前から字をいただいて子の名を付ける。または、兄弟で同じ文字を使う事により
他人が見ても兄弟と判別し易くする等々)
然し四女『善枝』三男『武志』とここからは、兄姉との共通性が見出せません。

ここまで踏み込んだ事になると調べようがないので想像になってしまうのですが、
上記の事より思い出されるのが母の乱行。
N家では、四女が『種違い』(ひょっとすると三男も?)であると云う事を
子供が生まれた時点より、強く意識していたのでしょうか?
若しくは単なる偶然なのでしょうか?

118おにぎり:2004/05/07(金) 22:17
> 117
系字的分析、説得力があります。新情報ありがとうござい
ました。
ところで、2歳で亡くなった三女ですが、「登伏子」で間違い
ないでしょうか。「伏」という文字はあまり人名には用いられ
ないような気がするのです。たとえば「登代子」という可能性
はありませんか?

119レイムダック:2004/05/08(土) 11:36
>117
なるほど。
確かに某巨大掲示板では書きにくい内容ですね。
夭逝した三女の名は、私も「登代子」であるような気がします。
ちょっと調べてみても、こういう字の女性の名前は見当たらなかった。
他の兄弟にはごく普通の漢字を用いているので、なおさらそういう気がしますが。
墓石の写真はありませんか?

120新井 泉:2004/05/08(土) 15:10
>>118 おにぎり様
そう言われると自信がないですが、私も少々首を捻りながら(読み方が解らないの意)
メモを取っていた覚えがあるので恐らく間違いはないと思います。
この点については再々度調査してみます。
『登』と『子』は間違いないので、それまでは仮名とさせて戴きます。
また墓石には2歳ではなく、3歳となっておりました。
こちらはそれ程問題ではなく、数え年と生まれ年の表記の違いと思われます。
(3女は2女と年子で、もし数え年の表記だとしたらTさんと双子と云う事になってしまう)

>>119 レイムダック様
HDのファイルを見ましたら、その写真は撮り忘れてる事に気付きました。
写真を撮りに行く事はさして難しい事ではないのですが、それを公開するのは少々問題が
ありますので要検討という事になってしまいます。
またこちらの板をお借りしてる理由の一つに『真面目な(現調)隊員』を増やすと云うのも
あります。
遠方にて参加出来ない方もいらっしゃるでしょうが、御自分の目で現地の空気や事件の
あった場所を確認する事によって、何かを感じ取って戴けると思います。
これから現調予定等も書き込みますので、そちらに参加される事をお勧めします。

不完全な報告となってしまい申し訳ありません。

121レイムダック:2004/05/08(土) 23:46
N家当主の弟さんについては、「昭和19年に31歳で台湾に於いて戦死された」
とありますが、これは墓石に刻まれているのですか?
それとも別の調査での発見ですか?
某掲示板では、弟さん(被害者Yさんからみると叔父さん)の戦死について、
Yさんの母の死とからめて疑問視する死者を侮辱するともとれる投稿が
なされています。

私は住んでいるところが九州と遠いのですが、現調は3度ほど経験しました。
石川氏と奥さんにもお逢いしてお話を伺ったことがあります。
石川氏はN家については全くの被害者という認識で、長兄さんが犯人扱い
されたことを、我が事のように憤っておられました。
真犯人については自殺した元作男を疑っておられるようです。
奥さんは「単独犯ではない」というご意見でした。

「鴨居の万年筆を仕掛けた」とされる巡査は、石川氏を冤罪に陥れたにっくき
張本人のはずですが、事件前にだいぶ世話になったせいなのか、それほどの
悪感情を持っておられないのはちょっと意外でした。
ただ、「一番悪いのはH」と、「十年で出してやる」と約束して自白させられた
あの警視のことを言っておられました。

122犬神(1−531):2004/05/09(日) 01:32
「昭和19年に31歳で台湾に於いて戦死された」
これは墓石に刻まれていたものです。

123盛況 ◆cQ5CwQT2.c:2004/05/09(日) 13:27

姉(次姉)の墓について、小生としてはこう考えています。
この墓石の建立者は父(栄作氏)となっています。この事から、やはり逝去後、
この被害者宅の墓所に葬られたのではないかと言う推測です。戸籍上はY家の
嫁となっていた姉ですが、亡くなる年の秋に挙式の予定であったので、挙式を
以て「正式」な婚儀と考えていたならば、挙式前且つ実家での死去であるから、
実家の墓所に葬ったと言う事です。その際、墓石に刻む氏名としては戸籍上の
氏名を重んじた、と。
もっとも、これは嫁ぎ先の墓所に一旦入ってから、父生存中(平成2年7月以
前)に新井氏が投稿されているような経緯があって、移築されたと言う事も勿
論考えられます。

124レイムダック:2004/05/10(月) 13:54
>>123
実況見分の解説読みました。
その詳細は考察に敬意を表したいと思います。
三女の名は、長女と次男の名前から推測すると、やはり「代」の字が
正しいように思われますね。
墓石を実際に見ていないのでなんともいえませんが。

四女(被害者)と三男の名前の付け方は、確かに上の兄姉達とは
違いますね。四女は片親違いらしいですが、三男もそうなのでしょうか。
四女は非業の死を遂げ、三男ものちに養子に出たそうですが・・・

125M_I:2004/05/10(月) 19:46
>>石川氏はN家については全くの被害者という認識で、長兄さんが犯人扱い
されたことを、我が事のように憤っておられました。

横から失礼します。それはとても興味深いです。もし詳しくご記憶されていましたら
具体的にどのような内容(言い回し)だったのか教えて頂けると嬉しいです。

遺体の埋葬のされ方はその集落の慣わし(?)的なものだったという発言を見かけたことが
あるのですが、これは本当なのでしょうか?違った場合、遺体の詳しい状態を知りたいのですけど
文章ではちょっと(僕は)想像できませんでしたので、何かの文献で絵か図で載ってないですかね。

126レイムダック:2004/05/10(月) 21:01
>>125
遺体埋没の情況は、亀井トム著「狭山事件」(上・下)が詳しいですよ。
この本は今でも比較的古本で手に入れ易いと思います。
亀井本は今では評判悪いですが、この本は初期のもので、比較的冷静な推理が
展開されています。高裁の寺尾判事も「参考に読んだ本」の中に挙げていました
(ご存知の通り、判決には全く反映されていませんが)。
遺体埋没については、一口で言うと「この地方の埋葬方法の逆形式をとっている」
ということですね。
「犯人〜狭山事件より」を書いた殿岡氏は新聞記者のようです。

石川氏が言及された事件の件については、彼が仮釈放中ということもあり、
あまりおおっぴらにできない微妙な部分もあります。
石川氏を支援する人の中には、被害者家族を疑う人もまだ多いようですが、
石川氏は、その考えは間違いであると、はっきり述べておられます。

127おにぎり:2004/05/10(月) 21:19
>>125
さらに補足すれば、遺体や証拠品など、事件の第一次的証拠は
「狭山事件公判調書目録」(部落解放同盟中央本部発行)
にあります。実にリアルです。古本で入手可能かと思われます。

それと・・真犯人ですが、石川さんは自分を牢獄につないだ長谷部警
部補や寺尾を許せないわけで、犯人探しはさほど意識してないと思わ
れるのですが。

128盛況 ◆cQ5CwQT2.c:2004/05/10(月) 21:24
>>124 レイムダック氏
恐縮です。今回の見分については、投稿だけでするよりも、画像を見て頂いた
方が解り易いと思い、先に頁を制作しての発表とさせて頂きました。
夭折された三女の名前について、新井氏が御多忙と推察されるので結果のみ小
生から申し上げます。先程頂いた新井氏の報告によりますと、おにぎりさんや
レイムダックさんの御推察の通り、「代」の字が正しいと解りました。詳細は
新井氏の報告を望みます。

>>125 M_I氏
レイムダックさんが投稿された通りです。
本件の屍体遺棄のされ方が「両墓制の逆形式」である事を唱えたのが亀井トム
で、「本当」と言うよりもそう言う推理も有り得ると言う事です。確かに土葬
では4本の縄で棺桶を墓穴に降ろし、降ろしたら縄を外す。屍体には荒縄が外
されぬままぐるぐる巻きにされていた。両墓制の埋め墓に置く拝み石が穴から
見つかった玉石、犬ハジキ棒(埋め墓に立てておく)が芋穴にあった棒切れ、
との推理、簡単に言うと。

遺体の状態は通常に購入出来る本では「無実の獄25年」か「差別が奪った青
春」と言った処でしょう。後は絶版モノが多いですが「狭山事件 権力犯罪の
構造」などをネットの古本販売で根気良く検索すれば手に入るでしょう。更に
極めつけがおにぎりさんがお薦めした「狭山事件公判調書目録」です。

129テフテCテタテ_テbテN:2004/05/10(月) 21:46

確かにそうですね。
ただ、石川氏はこうも言っておられます。
「いかに長谷部らの卑劣な罠に引っかかったとは言っても、自分が嘘の自白さえ
しなければ、真犯人は捕まっていたかもしれない。
その意味では、善枝ちゃんとご家族の方には本当に申し訳なく思っています。」

やはり「代」でしたか。
となるとやはり四女と三男の名前に違和感を感じますね。
なんらかの事情があったとしても、それを名前に反映させるとは、それ(スキャ
ンダル?)を暗に認めたことにもなるわけですから、そう考えるとかなり複雑に
なりますが。
旧来の家父長制の習俗の残滓だったのでしょうか?
「N家に生まれた女の子は育たない」という噂話は、どういう根拠だったのか、
なにかのスキャンダルがあったとして、真犯人はそれを利用しようとしていたの
かも興味深いこととではありますね。

130レイムダック:2004/05/10(月) 21:49
失礼。名前欄がなぜか文字化けしていました。
>>129の投稿は前段が>>127おにぎりさんに、後段は>>128盛況さんに
宛てた私のものです。

131behavio:2004/05/11(火) 00:34
>>128
「無実の獄25年」という本を最近購入しましたが、死体の写真はなかったです
イラストはありました。またこの本には中田家の葬式の様子が
写ってるという話をどこかのスレで読みましたが、私がかった本には
それもありませんでした。初期に発行されたものとは
内容が多少違うのでしょうか?

「狭山事件公判調書目録」にはいろんな写真が載っているのでしょうか?

132Dark:2004/05/11(火) 01:12
横レスです。
>>131
>>109で投稿されてる本にその写真はあります。他には載ってなかったと思います。
「狭山事件写真集」については、地蔵の写真が違うようですが、
他は同じだと思います。
本の質問は2ちゃんの狭山スレあたりでした方が良いでしょう。

133レイムダック:2004/05/11(火) 14:15
現調に何度も行っている人に確認したのですが、次姉のお墓は、最初からN家の
墓地に、被害者である四女の隣に建立されていたそうです。
そもそも「夫」であるYHさんは、葬儀はおろか通夜にも参席していない(あるい
は参列を拒否された?)上、自分宛の遺書さえ見せられただけで貰っていないと、
公判で証言しています。
ということは、喪主はN家の父親だったはずですから、葬儀に参列していない
(させていない?)Y家の墓地に、遺体だけ埋葬するというのはまずあり得ない
話でしょう。

134盛況 ◆cQ5CwQT2.c:2004/05/11(火) 20:51
その姉の遺書についてですが、公判証言をつぶさに読んで見たところでは、
「遺書」がどのような形態であったのかも語っていないし、と言う事は、その
「遺書」が夫宛のものであったかどうかも結局の処不明です。
しかし『Yさん、幸せになって下さい』と言う様な文面があったと言い、その
様にある程度内容に関してはっきりと証言していると言う事は、夫は確かに、
ある種の遺書的な文面は家族から見せられたのでしょう。

そうすると言うと、この「遺書」(姉の、夫宛の)はあったのかどうか、と言
う事になるわけですが、小生は、これは姉の日記(の最後の頁)に書いてあっ
た事を、夫はその時見せられたのではないか、と。
要するに姉の「遺書」と称する物は、「日記」に書いてあったのではないか。
 (個別宛の「封書」ではなく)
ト言うのが、現在小生がこの「姉の遺書」について考える処です。

>>129後段でレイムダックさんの投稿内容については、実は小生も全く同じ様
な方向で考えてはいます。が、その詳細はまだ個人的に練れてませんから、も
う少し考慮したいと思います。そのあたりの考慮を突き詰めて行けば>>78以降
でやぶちゃんさんが考察しておられた次兄の「遺書」に関する事迄、結果的に
は行着くと思いますが‥‥。

135レイムダック:2004/05/11(火) 21:42
>>134
公判記録などによると、次女の遺書は3通で2通が父と兄弟宛てで、残り1通が
「夫」宛てとのことです。ただし「夫」は遺書は見せられたがどんな内容だった
か、縦書きか横書きかさえ忘れています(法廷証言は次女の死から8年後)。
遺書は日記にしていた大学ノートを引きちぎって書かれていたそうで、枕の下にあり、
封筒はなかったとのことです。

136M_I:2004/05/11(火) 22:51
>>126>>127>>128レイムダック氏、おにぎり氏、盛況氏
ご親切なレスポン感謝致します、とても参考になりました。
それで遺体に施されたものから素直に読み取るのは難しいということのようですね。
自分は最近になってこの事件を知りザバっと成り行きを読んだ程度の者なのですが、
遺留品はとりあえず「両墓制」という埋葬形式を意識されたと思われる上に、
それを逆にされている(そう見ることも出来る)ということですか。
これはちょっと嫌な感じではありますがこの事件らしい全体に漂う「工作」感があらわれていますよね。
一発目にこの事件を知った時は「劇場型」・「愉快犯」をイメージしたのですが、とりあえずこれを温存しておきます。

自分は2ちゃんの議論等を経験してない分、表面的な印象を諸に拾える状態にあります、
これを利点として(活用して)違ったアプローチが出来れば良いかなと思います。
あらゆる可能性は皆さんが拾ってらっしゃるようですから、厳密なほうに1名加担するよりも
変わった方向に割り振られたほうが良さそうな感じがします。
それにしましても皆さん真剣に追跡されてますよね、敬意を称します。
発生から40年ですよ、これひっくり返したら(当たり前ですが)オオゴトですよ(笑)

>>129レイムダック氏
貴重なお話有難う御座います。
僕が思っていたのとは違うかもしれないし、そうかもしれないという微妙な感じです。
確か石川氏は被害者家族と面識がなかったようなので、石川氏も事件に無関係であれば
当然彼自身にとっても狭山事件は客観視するしか方法がないですから、第三者同様に
文献を読み、長兄さんに疑念を持つはずだろうと考えました。
事件後も周辺の人間も自殺かどうかは分かりませんが亡くなってますよね、
「何か知ってるかもしれない人物」はもう一人しかいないと言ってもいいくらいですよ、
時効にもなっていることですし「自分が出られるとしたら関係者の自供しかない」と
石川氏は気づいて良心に訴えかけるような圧をかけているのかなと推測してました。
この解釈は事件解決にあたって特に意味がある訳でもないばかりか、地元有力者の件を
差し挟むと弱くなってしまいますが、地元有力者の件を「切り捨てる」とまだ生きてきますよね。

姉の日記もあるんですか、実は今一番欲しいといえば、
「被害者の日記」と「長兄さんの報道陣にやった推理」ですね。
文献にあたってみます。(絵で良かったのに遺体の写真が載ってるんですね、それもリアルに)
とりあえず僕は勘を足掛かりに可能性を狭めて考えてみたいです。

137盛況 ◆cQ5CwQT2.c:2004/05/11(火) 23:05
>>レイムダック氏
「夫宛」の遺書に限定して言うと遺族に(この夫も遺族なのですが)「遺書」
を見せられた処「ぼくのことが書いてあって‥」と言う事で、その言いっぷり
を一応信用すれば、それは実は夫宛の遺書ではなく、家族宛のものに書いてあ
ったか、やはり日記の文言を見せられたのではないか‥?と言う意味でした。

しかしこれは長兄の「日記には常識では考えられない事が書いてあったんだが」
と言う言葉を、姉のお墓の前で思い出した時に、浮かんだ考えです。つまり、
「日記」(その最後の部分が遺書を兼ねていたのかも知れない)にはその「常
識では考えられない事」が書いてあった為、夫には全部を見せられなかったか、
夫はそれも読んだが、勿論公判では全てを語る事など出来なかった‥‥のか、
と言う事です。
しかしチョット空想が先走りました。

本題に戻ると、何故亡くなった姉は実家の墓に嫁ぎ先の姓で入っているのか、
と言う事は素直に考えれば>>123前段の小生自身の投稿の様であったとは思う
けども、夫が何故通夜にも葬式にも行かなかった(行けなかった)のかにつ
いては、その裏にどうも事件総体の真相にも関わる、相当な事情があったので
はないか‥‥と考えています。
ではその「相当な事情」とは何か。それが問題で。

138盛況:2004/05/11(火) 23:19
 (もう面倒なので2板のトリは外します)
>>M_I氏
屍体埋没の仕方についてですが、亀井氏や甲斐氏そして殿岡氏も、その細工に
身内的な人物が犯行に関わっていた形跡が見られるとの言説でした。自分もあ
る時期迄これに可也影響されておりましたが、現在はむしろ遺体を「冒涜」す
る「怨恨の表現」としてこれを見ています。
その上で、ここに「両墓制の逆」を見る事も可能であると。これはコレでまた、
多くの考察を要するテーマです。なにしろこの事件、考えなければいけない事
が多すぎるので事件全体像を推理する総合的な説を立てる事は、なかなか困難。

今迄の先入観に囚われぬ考察期待しております。これがネットの利点です。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板