[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
日野OL不倫放火殺人事件
602
:
紫煙狼
:2009/05/21(木) 23:53:35
>>601
結婚詐欺師は、掃いて捨てるほどいるけれど、そういう人たち全員に
>実際 死んで欲しい。
と思うなら公平だけど…mi-さんはどうなんでしょうね。相手が強い侮蔑の対象であっても
「死んで欲しい」なんて思うのはかなり短絡的な印象を受けます。(別にかまいませんがw)
>追い詰めて結果、発狂(殺人)させた。
に関しては、私は少し疑問です。キャシーには「別れる」という選択肢が常に残されていたはずなので、
むしろ自ら破滅への道を選んだとは言えないでしょうか?不適切な表現かもしれませんがキャシーの行動は
1・スーパーマリオブラザーズにはまる
2・ピーチ姫をクッパから救出できずゲームオーバーになる
3・意地でもクッパを倒すぞ!と、また課金する
4・2と3を延々と繰り返す
5・財布の中がカラになる
6・はらいせにゲーム機をぶんなぐる
という行動パターンに似ているように、私は感じていて、1の時点では師匠の甘言という要素が大きく、
その点についてのみ、師匠は強い批難の対象となりえますが、キャシー自身3の段階で既に師匠への
愛情より「クッパを倒す(妻より女性的価値が高いと実証する)」という自分のプライドのための思考に
移行していたと思うので、3以降の部分に関しては師匠に主導権があったとは思えず、師匠を批難の対象と
することに躊躇します。
(2度目の中絶は、既成事実に対する師匠の道徳心を利用し完全な支配下に置くための戦略と解します)
もちろん、師匠の道義的責任について全面的に擁護できるものではありませんが、この事件の本質は
「男の甘い言葉に騙された哀しい女の犯行」ではなく「異常なまでに強い自尊心に自滅させられた女の犯行」
と捉えることはできませんでしょうか?
603
:
無精髭
:2009/05/22(金) 00:38:44
>>600-601
とりあえず、不倫が悪いっていうことと、放火殺人が悪いっていうことは
区別しておいたほうが好いんじゃないですかね。(区別できていなさるのならごめんなさい)
いくら「師匠」からの誘惑があったにしても、「キャシー」のようなおぼこにだって
当然妻子ある男性と交際することの社会的意味くらいは認識できるもんでしょう。
本当にだまされていて、自分が既婚者と交際しているとは夢にも思わなかったということなら
いざしらず、自分は不倫しているんだな、という自覚がある以上は、自分から始めたことでなくても
相手と同じくらい悪いですよ。どちらが積極的なアプローチで交際を迫ってきたか、とか、
未練たらたら言い訳がましいことでその場を凌いだのはどちらのほうか、なんて余計な詮索は
一切不要です。一方が他方へ不倫関係を強要した/力ずくで不倫させられたなどといったことがない限り、
(語弊がありますけど)ともに確信犯で共犯関係なら、二人とも同じぐらい悪い(不道徳)ですよ。
不倫は一人じゃ出来ませんし、複数人がお互い合意の上でやるんですから。
大体が、お互い合意の上で好きに不倫している人たちのことを考慮してやる義理なんて、
不倫関係の埒外にあるにんげんにゃあ、ありゃしませんって。少なくとも、連れ合い・
あるいは親に不倫で裏切られた人たち(この事件では、「師匠」の妻、そして忘れちゃ
ならないのが、「キャシー」に焼き殺された子どもたち)にとっちゃ、不倫において
どちらがより悪いなんて悠長なこと、いっちゃおれんでしょう。公平無私な態度なんか
かなぐり捨てて、ひとっ括りに断罪したくなるのが人の性ってもんです。
ただ、不倫ってのは許されうる、不倫で傷つけられた連れ合い・子どもが許せば
責任はチャラになる。他方で、殺人や放火はそうもいかん、と。
放火殺人事件が起きる前の、「師匠」と「キャシー」の不倫について
実質的に善し悪しを問えるのは、この二人の関係者だけですよ。
604
:
無精髭
:2009/05/22(金) 00:57:48
さて、この事件は「師匠」が「キャシー」のようなキチガイに手を出したから起きたんじゃい、
更には、「師匠」はキャシーの犯行を予想できたはずだ、という意見があるようですけど。
そんなもん、しょせん結果論に過ぎませんよ。万事が済んだ後だから一部始終がクリアに
見渡せるわけです。今まで意味連関を欠いていた一つ一つの出来事が、観測者の主観によって、
突如として関係性を持ってたち現れてくるんですよ。
世の中にどれだけ不倫が蔓延しているかは知る由もありませんが、痴情の縺れの果てに
犯罪が待ち構えているってほどのシビアな認識を、不倫当事者当人たちに求めるのって、
率直に言ってしまうと、無い物ねだり。ところで、不倫が犯罪に帰結するようなケースって
世の中にどれくらいあるんでしょ?
・・・もしかしたら、こんな読みも出来るかも。「師匠」は当初「キャシー」を
適当な遊び相手と見ていたのだが、付き合いが長くなってくるうち、「キャシー」について
「この女、ここで別れようなんて俺が言ったら、何しでかすかわかんねーよ。」
みたいな一種の恐怖感を抱くようになってしまった。だから、適当なところで
不倫を終わらせたくても「キャシー」が怖くて出来なかったんじゃないか、と。
つまり、この程度には女を弄ぶことの因果応報的な帰結を予想していたかも知れないです。
ただ、実際には「キャシー」の被害妄想は「師匠」の想像をはるかに超えていたのですけどね。
大変長くなりましたが、以上のことを加味して
>>601
に再びレス。
「キャシー」が一番で、「師匠」が二番目に悪いというのは、どうもおかしいように思われますけど。
この二人のしたことはそれぞれ別の種類の悪だから序列化できないと思うのですが、仮に比較や序列化が
できるとしても、この事件の場合は、不倫という悪が放火殺人という悪を含みこんでいるわけですから、
不倫のきっかけを作ったとされる「師匠」が一番悪いということになりそうですけど。
>>601
を読むと、mi-さんの意図とは裏腹に、「師匠」が一番悪いと仰っているかのように記述からは
受け取れるのですけど、それって私だけでしょうかね。mi-さんのご意見って、
>>601
のままだと
過去に書き込みされていたjackalという方(もっと前にはポアロさんという方もいて、私見では、
この人の意見にも通底しているところがmi-さんにはあるようですね)と悪さの序列が逆なんですけど、
たぶんmi-さんが勘違いされているからそうなるんじゃないかと。件の方と同意見なんじゃないでしょうか。
605
:
無精髭
:2009/05/22(金) 01:00:58
シェンさんのレスが流れちゃいましたけど。。。
この事件の元凶は「師匠」であるみたいな考えをお持ちの方には、
もしかしたら下記のWikipediaの記事が誤解を晴らしてくれる一助に
なるのではないかと思います。お暇があれば、ぜひともご参照ください。
先後関係と因果関係
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%88%E5%BE%8C%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%81%A8%E5%9B%A0%E6%9E%9C%E9%96%A2%E4%BF%82
606
:
mi-
:2009/05/22(金) 12:49:41
>>602
シェンさんのレスはいつも分かり易くておばかな私にはとてもありがたいです。
マリオの例えゲーマーの私はすんなり入ってきて笑ってしまいました。
>結婚詐欺師は、掃いて捨てるほどいるけれど
たしかに公平に見てませんね。事件の事を知ってるから
どうしても(ただの不倫してた男)に見えないのかも知れません。私には。
>男の甘い言葉に騙された哀しい女の犯行」ではなく「異常なまでに強い自尊心に自滅させられた女の犯行」
と捉えることはできませんでしょうか?
もちろんキャシーの事を騙された哀しい女とは微塵も思ってません。
私は後者の考えです。
最後に、このスレの
>>444
の書き込みを読んだ時、感動しました。
607
:
mi-
:2009/05/22(金) 13:39:13
>>603-605
そうですね、切り離して考えなきゃ行けない問題ですよね。
wikiの参考記事ありがとうございます。読みました。
師匠も、事件の被害者であり、またほかの所でも、犠牲者だったのかも知れませんね。
>過去に書き込みされていたjackalという方(もっと前にはポアロさんという方もいて、私見では、
この人の意見にも通底しているところがmi-さんにはあるようですね)
いえ、私はjackalさんやポアロさんみたく悪の根源は師匠だとは思ってません。
私の書き込みをみるとそう取られても仕方ない感じですね。すみません。
文才(それ以前の問題)がなくてうまく言葉にできてません;
放火をしたキャシーが一番悪くて二番目に悪いのは師匠と書きましたが
一番と二番の間にはとてつもない壁というか、隔たりが存在するのです。
キャシー<<(さつずんにかべ)<<<(別次元)|<<<<師匠<<奥さん<子供達 みたいな。
あれ?逆か?
師匠が不倫しなければこうにはならなかった。と書くだけ書いた今は
本当にそうかな?と思います。冷静になったのか、はたまた無精髭さんとかの書き込みをみたからなのか。
今はまだ分かりませんが…
608
:
無精髭
:2009/05/23(土) 00:30:50
「シェンさん」って呼び方、私の専売特許なのに...(嘘)。
この事件って、そんなに教訓的ですかね。実際の出来事において教訓的であるとは、
当事者関係を離れて事態を客観的に見れば、凡百の人生においてありがちな過ちを回避させ、
正しい方向へと誘導してくれる道しるべのような、ありがたいお話のはずですよね。
なら、反面教師な事例であったとしても、個々の事実とその相互関係が単純かつ明確で、
発生において偶然的要素が乏しく、万人にとって納得がいく心理的因果で記述されている
内容でなければ、それはけっして教訓といえないのではないかと。
tomorさんは、神様が「キャシー」や「師匠」夫婦に罪を与えるため、子どもたちを
犠牲にしたのではないかと仰いましたが、もし本当にそうだとしたら、ひどい神様が
いたもんです。まるでヨブ記のごとき不条理ですよ(冗談)。私に信仰心が足りない
せいかもしれませんが。そんなプラス思考は私には到底かないません。
ヨブ記
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%96%E8%A8%98
まあ、話を宗教的な性格から切り離して考えますと、この事件は単純に因果応報の
教訓を表現しているのだということになるんだと思いますけど。それでも腑に落ちない
ことがあります。
大抵教訓として解釈される一連の事象って、「○○すると決まって△△が起きる」(必然性)とか
「××すると□□になることが多い(十中八九□□になる)」(蓋然性の高さ)などといった
各自による観測なり推論を経て、因果連関がはっきりした後からでなければ、多くの人にとって
「―――だから○○すべき(あるいは○○すべきでない)」という理由付けは難しいでしょう。
言い換えれば、そういう信念と結びつくのは容易でないということですが。
「○○するとたまに△△になる」「××すると□□が起きるかもしれない
(それが起きる可能性が否定できない)」などといった弱い因果連関では
その後主観において「―――だから(略)」と続けることが難しいのは、
卑近な例で試していただければ実感できるかと思います。発生の確率が低い
事象については偶然と片付けられ、人々とか社会の教訓となるまでに印象儚く
立ち消えてしまうんじゃないでしょうかね。よほど執念深い人の場合を除いて。
609
:
無精髭
:2009/05/23(土) 00:47:45
以上のようなことをつらつらと考えますとね、この不倫&放火殺人事件のような稀有な出来事から
普遍的な教訓を引き出せるか、といいますと、どうも無理なんじゃないかと私には思われるんですよね。
「既婚者が会社の部下(とりあえず未婚であれば、同僚でも上司でも可)と不倫すると、
配偶者・嫡出子(親兄弟でも何でもいいんですが)が命を脅かされるほどの危険な目に
遭うかもしれない」って、こんなものが不倫を撲滅させるほどの教訓になりうるのかなあ、と。
むしろ、「既婚者が会社の部下と不倫すると、」という前段に次のような仮のお話を
くっ付けてやると、案外、不倫について肯定的な内容と取れる教訓が生まれるやも知れませんw
「配偶者や子どもに家庭での居場所を取られ、甲斐性なしといびられて、肩身の狭い思いを
しているしがない中年男性(笑い)の、『結婚に失敗したなぁ』という嘆きが、(不倫に
熱中することで)解消され、これまでの灰色と感じられていた自分の人生に対して抱いていた
徒労感が嘘のように、がぜんヤル気と奮起がみなぎって来ることもあるかもしれない」www
あと、まあこの事件の発端は「師匠」の言動にあり、みたいなことを力説すると、この事件の
因果関係が運命論を現わしているように思われるので、要注意です。もし運命論に対して
無反省でいると、ややもすれば「師匠」に弄ばれたという理由だけを強調することになり、
「キャシー」の意志が全く考慮に入ってきませんから、「キャシー」が自分の意志で
「師匠」の影響力を脱して復讐を断念することも出来たはずだ、といった発想の芽を摘んで
しまうんじゃないですか。このように自分が傀儡と見做されて、「キャシー」にとっても
いい迷惑かもしれませんね。
610
:
紫煙狼
:2009/05/24(日) 00:02:51
>>606
>たしかに公平に見てませんね。事件の事を知ってるから
>どうしても(ただの不倫してた男)に見えないのかも知れません。私には。
別に公平である必要もないのですが、mi-さんは別に師匠に恨みがあるわけではない。
個人的な恨みを持っているわけでもない相手に公平なジャッジを下せない理由を
もうひとつ掘り下げて考えてみると、妙なことに気づきませんか?
もし、キャシーが子供を焼き殺さなければ、師匠なんて人物は「不倫は文化」と言い放つ
厚顔無恥の同類程度でしかありえなかった訳です。こんな相手に私が「死ねばいいのに!」
と言おうものなら「そいつぁモテない男のヒガミじゃないのか?」と哂われかねない(笑)
でも、本件に関して私が「師匠が全ての根源であり、師匠には死に値する責任がある」と
言うスタンスを取っていたとしたら、それはそれで賛同者が少なからず居たと思うのです。
そう考えると、キャシーは不倫相手の子供を無差別殺人的に焼死させることで、師匠夫婦に
痛烈な仕返しをすると同時に、師匠と言う人物を稀代の大悪人と印象付け、かてて加えて、
自分もまた被害者であるかのように印象付けることに成功した。これに死者が師匠の親族に
限定された偶然が重なった結果、自分の犯行によって命を奪われかねなかった「放火の被災
者たち」から助命嘆願まで取り付るというオマケまでついた。これで判決が無期懲役なら、
キャシーの「人生を賭けた大復讐劇」は大成功と言っても過言ではありません。
こうなると、私はキャシーの策略に踊らされたくないわけで…。
<いまさらながら…>
キャシーの2度目の中絶を「戦略」と表現することからも、私がキャシーに対して一定方向の
偏見を持っていることは皆様よくご理解いただけているものと思われますが、これはあくまで、
自分がキャシーの立場であったとしたら、何をどのように考え、物事をいかに利用し有利に事を
進めようと考えるだろうか?という仮定に基づくものであり、同時に私の犯罪者としての素質を
露呈しているものにほかなりません。また、この方法による推察は師匠目線からも妻目線からも
同様に行っており、識域下の作為を否定するものではありませんが、意図してキャシーに対して
のみ悪意的に評価している自覚はありません。
611
:
紫煙狼
:2009/05/24(日) 00:06:57
>>609
いやいや「不徳は好事を生まず」程度の教訓は引き出せるでしょう。
その教訓にどれほどの再発防止効果があるかはわかりませんが…。
612
:
無精髭
:2009/05/24(日) 14:53:43
>>611
ふふっ。そうです。再発防止効果の期待できぬような標語なぞ、私の場合「教訓」とは呼ばないのです(笑)。
女子コンクリスレで「風化」について書き込みしたときと同様、なんでこんなくだらないことにこだわるのか、
倫理的潔癖からか、はたまた単なる偏屈な性分からか、自分で自分を図りかねておりますので、今一つ判断が
付きませんけどね。大目に見てやってくださいw 以下は教訓と経験則との親和性についての私の個人的見解ですが・・・
「教訓」とは一般的に事象生滅の因果関係や確率を問題とする以上、帰納法的判断(経験的推論)から
導かれますので、その真偽は完全には定まりません。現実においては個々の事象は無限に存在しうるので
(というより私たちの観測・推論能力の限界によるところが大きい)具体的事例を取りこぼしてしまうのが
常だからです。つまり、この事件から一般的教訓を類推できるように思われたとしても、本当に誤謬なく
引き出せたとまで結論し得るかどうかは、いまだ不明だということですね。少なくとも現に正しく導出できるか
どうかという実践的な推論はいまだ行われていないわけですから、ここから先、何がしかの教訓(と、本当に
呼ぶ価値のあるもの)を引き出せるかどうかは、個人の力量(人生経験の質・量でもいいんですが)によるのでは
ないかと。このスレッドで議論されている事件を一歩引いた地点から考察するに当たって、自らの判断に
正確性(誠実さ?)を求めるのなら、「不徳は好事を生まず」という教訓が錯誤である可能性は拭いきれません。
私は「教訓」という言葉にそこまでの意味を求めますよ(笑)。正しいこと(?)を一所懸命言おう言おうと
しているんだけれども、無反省に・大した意味も込めずに、「教訓」だの「風化」だのといった
口当たりのいい言葉を乱発する人が世の中には多いですものから。周りの共感を得やすい言葉を発しているだけで
正義が果たせるというのは、ただの迎合精神であります。Jackalさんの言葉じゃないですが、お目出度いの一言ですわ。
とは言え、語義や定義に関する煩雑な議論を避け、実社会を生き抜くための実践的な知恵というものを
第一として世間に臨むなら、もちろんシェンさんの仰ったことには賛成せざるを得ません。おそらく
大抵の人には不徳で利するような社会に住んでいるという実感がないため、さらには不正・不徳によって
社会が維持されているとの認識は受け入れがたいがため、一般論を教訓と信じることができる(自己内部に
おいて信条化できる)のではないでしょうか。偽善者と呼ばれた私にもそういう自覚があるため、私も一応
善良な市民ということになるのでしょう。
613
:
無精髭
:2009/05/24(日) 15:01:52
なんというか、
>>611
のお言葉って、私のイメージでは教訓というより道徳律に近いんですよね。この事件を
知る前から社会を生きる上で・良好な人間関係を築く上で知ってなきゃいけない当然の理というか。
これに対して私の場合は仮言命法っていうんですかね、
>>608-609
ではそのような考え方が念頭にありました。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/6495/philosophy_text3.html
>>611
で仰っているようなことは、この事件からのみ導き出せるような特異な教訓ではないと思いますし
(事件の異常性とその教訓とが固有性において釣り合っていない)、もしかしたらこの事件を知る前から
了解していた考えをこの事件の顛末に当てはめただけじゃないか(「はーぁ、やっぱり不倫は<不徳だから>
ろくなことになりゃしないんだよなあ」的な心理プロセス)という疑いも覚えます。はたまた、もう一段
深く切り込んだ(?)問題として私を悩ませていることは、「不倫は好事を生まず」という消極的教訓の
導出可能性については一般論として譲歩できるが、「不倫は悪だ」という積極的教訓を引き出すのは
やっぱり無理なんじゃないかということです。これについては考えている時間がないので、棚上げにいたしますけど。
先回のレスで、この事件からは教訓を引き出せないのではないかと申しましたのは、不倫は不徳と言えるか、
とのたまう人間もいるでしょうし、先々回のレスでも申しましたように、不倫は許されうる、といったことが
理由として考えられたからでした。現実の社会とは必ずしも道徳的理想を体現したものではありませんから、
その中に生きる人間が社会規則における不合理な部分について妙な勘違いを胸に生活しているとしても、
別におかしくはないでしょう。その内の何人かは、不倫という事象を恋愛自由主義というお門違いの観点から
正当化しているかも知れません。あるいは、もっと単純に言って、不倫を不徳と感じられない者が
実は相当な数いるのではないかとの印象があります。ちなみに関係のない話ですが、不倫が(制度的に)
許容される社会というのはありえますが、不倫が善いとされる社会はありえないように思われます。
たとえば、前者について実例を挙げますと、昭和22年に削除された姦通罪(刑183)は、妻を持つ夫には
適用されませんでした。また、夫の容認があれば妻も間男も罰せられなかったということです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%A6%E9%80%9A%E7%BD%AA
ただし、後者においては、結婚という契約そのものの存在意義を根幹から否定してしまっているので、
結婚は道徳的行為・選択であるという考えを持ち、道徳が社会の成り立ちの普遍的原理の一つになっている
という前提に立っている者にとってそれは受け入れがたい社会のあり方でしょう。・・・こういったことも、
真剣に考えちゃうと馬鹿馬鹿しい問題なんですけどね。
614
:
無精髭
:2009/05/24(日) 15:19:19
<長くなってしまいました。。。過去ログを読んで大いに啓発されたので、言いたいことが増えてしまいました。もうちょっと続けさせて下さい>
早い話が、シェンさんのように清廉潔白で、家庭を大事にし、その行為によって自分も満たされている
(大げさかもしれませんけど)からこそ、「不徳は好事を生まず」ということを一般論以上に実感として
受け止められるのではないでしょうか。いな、愛妻家であるという理由以上に、シェンさんは道徳的良心や
遵法精神の強い方だとお見受けするから、不倫を不徳と言い切れる下地は、現在の人間関係に関わらず、
元から出来ていらっしゃったのでしょう。
でも、先回のレスでも書きましたけど、結婚に失敗しているような人、不倫ってある種の救いになるのかもしれないなあ、
と思ったりもしますね。中年男性の例はふざけすぎでしたけどね。夫からのDVで苦しめられている女性が紳士的な
(語弊がありまくりww)男性の優しさによって、救われるみたいなドラマチックな展開なんていうのはどうですか。
渡辺淳一の『失楽園』みたいな・・・。いずれにせよ、のっけから不倫は悪いと考えている人にとっては、この事件は
特別な教訓にはならないでしょうし(つまり一般論にしかならない)、不倫上等なんて思っている人にとっては
こんなの普通の不倫じゃない(苦笑)ということを理由に、「不倫は好事を生まず」という一般論を歯牙にも
掛けるないんじゃないでしょうか。極端な例・記述ばかり並べてしまい申し訳ないのですが、この事件から教訓が
生まれるかどうかについて、シェンさんと私は、それぞれ観点が異なれども、結論は同じですね。
(しかしまあ、教訓の話はさておき、シェンさんの日野OLスレッドのレスでの分析力には鬼気迫るものが
感じられて、私なんかは舌を巻いてしまいますが。)
615
:
無精髭
:2009/05/24(日) 17:25:23
(すみません。
>>613
「『失楽園』みたいな・・・」の前にあるべき「あるいは」という接続詞が抜けておりました。)
私は、この悲惨な事件から何がしかの教訓を引き出してくるという行為に、どうもさもしさの
ようなものを感じてしまう(ごめんなさいね)。tomorさんのように、神の視点やら市民感覚から
乖離した超越的な罪の観念やらを用いることで、当事者にとっては悲劇でしかないこの事件を
ポジティヴに解釈し直そうとするのは、感情的にいやだというほかありません。結果的に
子どもが殺されたことを「盲目なる悪人にその罪を自覚させたのだから」という理由を付けて
善いことだと言っているに等しいのですから。人間の死をなんかわけの分からん宿命やら教義やらで
受け入れよ、と迫る思考方法については断固として拒否いたします。その点、事件の分析には
克明を極めながらも、控えめな教訓しか引き出さないシェンさんの態度にはgoodと言わざるを得ない。
不倫は一言で言うと、裏切りであり、人間関係の破綻です。それは裏を返せば、いつでも修復可能である、
簡単に元の鞘に収まり得るということですね。ただし、そのためには不倫をした者とされた者との間で、
再び契約・約束を取り結ばなければならないでしょう。そして、裏切られた方は、自分の連れ添いあるいは
親の不倫相手にも関係修復のための犠牲となってもらわねばならないでしょう。
忘れちゃならないのが、この事件の場合は、不倫の被害者には「師匠」の妻だけではなく、殺された
子どもも含まれるんですよ。不倫について「師匠」夫妻がどういう話し合いをしたかは知る由もありませんが、
6歳と1歳の子どもたちの前でそういう話をしなかったであろう、したとしても長女から見て事情が分かるように
は話し合わなかったであろうということは想像に難くありません。おそらく妻からすれば自分が一番の被害者だ
という意識があったでしょうし、はじめから子どものことなど、夫婦喧嘩の話題の埒外にあったことでしょう。
せいぜいが、不倫の発覚によって離婚という選択肢が現実味を帯びてきた雰囲気の中で、家庭生活の破綻とか
将来への不安とかを考える要素に過ぎなかったでしょう。まあ、当時、妻のほうは夫による裏切りに心深く傷つけ
られたことで自分のことにしか頭が回らず、父親による裏切りによる子どもの被害にまで想像力を働かせるほどの
余裕がなかったのかもしれません。しかし、私が考える理想では、子どもたちの人格をちゃんと尊重するためにも、
お父さんがお母さんと違う女の人と一緒になってお母さんやあなたたちを裏切ったんだよ、ということを
教える責任が「師匠」夫妻にはあったのであると思いたいのです。それは不倫発覚の時点ですぐに果たさなければ
ならなかったわけではありません。2人の子どもが大きくなり、道徳的な事柄にも一定の理解が及ぶ年頃に
なったと両親が判断したときに、改めて「師匠」は子どもたちに懺悔すればよかったのです。
しかし、突然の「キャシー」による犯罪によって、将来父親を裁く権利を約束された子どもたちは死んでしまいした。
「師匠」は、妻には裁かれましたが、幸か不幸か子どもたちには裁かれませんでした。不倫による裏切りだけでなく、
将来父親の不貞を知らされ/それを裁く権利を与えられるという約束をも踏みにじられ、父親を赦すも赦さぬもなしに、
父親の裏切りなど露思わずに殺されてしまったのです(しかも、「師匠」とともに自分たちを裏切った女によって)。
私はこの事件が悲劇である最大の所以はここにあると思いますよ。
世の中には「師匠」夫婦の関係が破綻しないことに違和感を感じている人がいるみたいですけど、またまた
私の勝手な解釈では、結果として子どもたちに真実を告白できなかった両親たちが、もっぱら供養と懺悔のために、
夫婦関係を続けているのだと思いますね。永遠に自分を裁くことが出来なくなった子どもたちへの「師匠」なりの
責任のとり方ですよ、たぶん。その潔さと悔悟の深さに妻は共感した、だからいつまでも関係を続けているんじゃないですかね。
まっ、以上のようなことが仮に事実だとしても、その後「師匠」夫妻がなんで新たに子どもを儲けたのかが説明不能に
なるのですが(笑)。「キャシー」に殺された子どもたちが生きていた時点での夫婦関係の状態を維持するために、
「子は鎹(かすがい)」という理由で、少々無理しているとも考えられますけどね。いずれにせよ、天国にいる子どもら
にしてみれば、お父さんとお母さんが不倫や犯罪をきっかけに別れるよりは、自分たちが生きていた頃と変わらない
状態でいてくれるほうがいいのではないかな。
616
:
紫煙狼
:2009/05/24(日) 20:35:45
>>612-615
あははは、私は「不倫が不徳だ」とは言っていないよ(笑)もちろん、堂々と胸を張って
世間様に主張できるような立派な行為だとも思わないけれどね。
確かに「不徳は好事を生まず」という言葉は、正直、犯罪全般から引き出すことのできる
道徳律であって、それゆえに、この言葉が「不倫による悲劇を減少させる」力を持ちえるか?
というなら、私だって懐疑的にならざるを得ない。しかしながら、この事件から本件特有で
万人に反省を促すような教訓を引き出す必要もないのですよ。少なくとも一般的な道徳律に
相反するような教訓を引き出すのは、本件からは不可能でしょう。
本件における私の考える不徳というのは、師匠が自分の妻に対しても、子供に対しても、
不倫相手に対しても、それぞれとの関係に大きな亀裂を生じさせる恐れのあることを
するにあたって、責任を負うツモリもないまま、その場の勢いだけで行動し、責任を負い
きれない領域に土足で踏み込んだ…という点かな。
つまり婚姻関係を持つ者が配偶者以外の第三者に強い好意を抱くことを否定するとか、逆に
婚姻関係を持つものに対して第三者が強い好意を抱くという事を不徳と見做すのではなく、
他者を自分の人生に巻き込むにあたって、累が及びうる範囲の事人物に対する責任の自覚を
持っていただろうか?という点であり、こればかりは師匠からもキャシーからも微塵にすら
感じられない。これこそが私の言う不徳なんだ。
そう考えると無精髭さんの考える教訓が存在するとしても、それは「不徳は好事を生まず」
という言葉に内包されると考えることはできないだろうか?もちろん、こうやって汎用な
言葉に置き換えてしまうと、その言葉自体が持つ重みなんてのは薄まるよ。無添加100%
純粋に本件からだけ抽出した言葉ではないからね。(もっとも、逆に本件から無添加100%
の教訓を引き出しえたとして、それが適応される事象は限りなく少なく、それくらいなら
汎用で使いまわしのきく表現のほうがマシとも思うんだけどね。)そして、汎用ゆえに
重みを失った教訓(道徳律)の意味するものを再確認させる実例のひとつとして、
あらゆる事件が語り継がれる、語り継がれる必要があるのではないか?と私は思うね(笑)
617
:
無精髭
:2009/05/24(日) 21:27:34
>>616
申し訳ないです。「不倫が不徳だ」発言は意図的な言い換えによるものです(笑)。
でも、書き進めていくうちにシェンさんの発言を意図的に言い換えたことを
忘れてしまっていたのは事実です。まあ、私は不倫は不徳だと思いますけど。
ただこういう言明は当たり前すぎてか、不倫を不徳と思わない人が結構いるためか、
ちゃんとした教訓にはなっていないよな、という疑問があったんですね。
教訓って言うのは実際の事件に結びついて(言葉を超えて)十分な効力を
発揮するものと私は考えますので、シェンさんの仰る、あらゆる事件における
語り継ぎの必要性については、実によくわかります。
そういえば私がこちらの掲示板に初めて書き込んでから一年がたちましたけど。
シェンさんはもうお気づきかと思いますが、私がどうもこれは疑えないんじゃないかと
考えるのは、経験則の一致がなければ人々は分かり合えない、ということです。
「同情」についての問題で、何度か書き込んだことがあります。それも、この度の
書き込みには影響してますね。他人事のようですが。
ボーっとしていると、フッと
>>615
みたいなことが思い浮かんでしまう人間なわけですよ、私は。
この事件から得られるかも知れない教訓の重要性よりも、どうにもこうにもその独自性である
悲劇性ばかりに目が向いてしまうんですねぇ。
たぶん言葉の意味に引きずられる性分だから、この事件を知る者のなかでおそらく誰も
抱かないような、無駄で狂気じみた発想が浮かぶんだと思います。
>>612-615
の全文に
アンカーを付けてくれる奇特な人なんて、ほんとシェンさんくらいだと思いますよ。
たとえ愚考を四苦八苦と表現した駄文であったとしても誰かに読んでもらえたのだと
分かったときは、やっぱり感涙ものですね。
618
:
ちゃきい
:2009/08/29(土) 22:24:46
土曜の夜、時間にまかせて読みふけりました。(でも後半はすっ飛ばしまった)
流れが止まっているようなので感情論満載の書き逃げみたいになりますが。
余計なお世話ですが書いてらっしゃる男性の方は、家庭円満なのかしら?(すみません)
私が師匠の気持ちなんてさらっさら分からないように、男性(と思われる)方も、女ゴコロの掴みがどうも的外れだったり。
不倫の末に相手の子供を焼き殺す、そんなことは滅多にありません(滅多にあったら困ります)
それはたぶん子供がどうこうじゃなく「そんなことをしたらかわいそう」というより「そんなことをしたら自分が破滅する」と計算できるから。
私からしたら(もし読んでる方がいらっしゃったら反論されるでしょうが)「恋愛の愛憎に飲み込まれた純粋な人」になるのですけれど。
奥さんが離婚せずに今も一緒にいる理由は、手記に書いているような綺麗な話ではありません。
女の意地、それだけです。
ずっと上の方で書かれている方の言葉を引用しますが「あなたが壊そうとした家庭は壊れていません。私たちは幸せです。」という宣言。
奇麗事でやっていかれるほど、信頼が壊れた男性と再構築するのは生易しいことではありません。(まともな神経の女なら)
でも、個人的には、意地だけで続く人生なんて虚しいし、大人の意地の上に育つ子供が哀れですね。
同じ妻として、こんな風にはなりたくないと思う女性です。
私が独身時代、誘ってくる既婚男性はたくさんいました。
(特別美人とかお尻が軽いということではなく。不倫は一度もしていません)
最初だけ積極的で、こんなことになると尻すぼみ。挙句にキャシーに極刑を望むって、あんた・・・。
今は苦しい日々を過ごしているのでは?という記述もありましたが、私はそうは思いません。
家庭ほったらかしで愛人宅で暮らしまくり旅行しまくり、妻子と暮らす自宅にもあげちゃう無神経さ。
事件後も妻が許せは子供を作り続け、世間には沈黙を通す小心さ。外見だけで、一皮むけばすっからかん。
そんな男が、人間らしい感情を持つと思えるでしょうか。まー女の敵を絵に描いたような男性なので辛らつは入ってますが。
どなたかが言ってました、石投げることがあったら私の分も投げてきてほしいです。
刑罰に処することはできないかもしれません。でもせめて男性の方々、この事件を反面教師に、よーーーく考えてください。
最後になってしまい恐縮ですが、大人3人の自制心のなさから犠牲になったお子様方のご冥福をお祈りします。
619
:
ちゃきい
:2009/08/30(日) 00:25:15
何度も失礼します。少々本題から脱線しますが。
今になって最後の方をツラツラと読みましたが、今更ながら思ったのですが
「不倫ってのは「既婚男性と独身女」って組み合わせって前提なのだなあ」と。
女ってある年頃になると「カレが浮気したらどうしよう」とか「既婚男からの身のかわし方」とか、実地で学んでゆく。
だからこの種の事件も、どこか自分の身に置き換えて、感情移入してしまう。
でも、男は「女房が浮気したらどうするか」なんて考えなんでしょうね。「自分の女は自分だけのもの」と信じて疑わない。
もしこの事件が、性欲余った中年女性が若い男を追いかけ回し、手練手管でひっぱって、最後は若い男が子供を焼き殺す
とかだったら、世論はどこか違ってたのかしら。いや、違わないか?
不倫を楽しげに語る男性に伺いたいのですが、ちょっと想像してみてください。
もし、ですよ、もし自分の女房が若い男を誑かし「旦那なんか死ねばいい。そうしたらアナタと結婚する」とか言って何年も裏切って
2回も中絶し、自分のいない間に自宅で暮らすわ、自分と若い愛人を何食わぬ顔で対面させるわなんてあったら?どうします?
挙句に狂気に囚われた若い男が自分の子供を焼き殺したら?そんな女房ともう一度やり直そうと思うものでしょうか?
「事件後に妻と同盟的な連帯意識が形成された」なんて、信憑性はあるでしょうか?
良し悪しは別として、キャシーの心理の変化は私、なんとなく掴めるんです。
でも、この妻にはなんていうか嫌悪感しか感じない。女の意地と執念だけでまた子供を産むなんて、気持ち悪い。
男性から見たら、いかがでしょうか?
っていうか、もう誰も読んでないかな〜〜
620
:
無精髭
:2009/08/30(日) 03:06:01
>>618
ウーン。そもそも私の場合、不倫関係にあった師匠とキャシーの内心なんぞには、全くと言って好いほど
関心はありませんので(苦笑)。相手が既婚者であると知りながら誘惑に負けて(?)フラフラと靡いて
しまう女ゴコロどころか、おぼこであるのを好いことに離婚話のような甘言を餌にして相手の身体を貪る
男のスケベゴコロなんてものについても、この事件を語る上で特に知る必要がないように感じられますけど。
前に書いたことですが、不倫を始めるに当たりどちらか一方が、例えば自分が既婚者であるにもかかわらず
「私は既婚者ではないよ。だから君は私と交際してもなんの咎もないよ」などと騙したりするのでなければ、
交際を申し込んだのはどちらかということに関係なく、両方とも同等に悪いと考えております(1)。で、
その後のことですが、この事件に即して言えば、男が「妻と別れる」みたいなことを匂わせながら結局は別れ
なかったりだとか、避妊を拒否したりだとか、堕胎を迫ったりだとか、明らかに相手の女性の身体目当てで
不倫関係を続けようと画策している場合(2)など、それが詐欺師のやり口に似ているのではないかという
批判を見かけますけど、はっきり言って私には全く以て理解が及びません。双方合意の上で不倫という
(犯罪行為ではないですが、家庭を壊し、親類縁者や知己を裏切るような)反社会的行為を犯しておきながら、
その限られた関係の中で更に不道徳且つ卑劣な(しかしこれもまた犯罪とまでは言えないような)行為が
行われたからと言って、その関係の外にいて・しかも彼らが不倫しているなどとは露疑っていなかった者から
してみれば、言葉は悪いですが、んなもん、どっちもどっちだろ、不倫の果てにどちらかが不幸になろうが
知ったこっちゃねぇ、って話でしょう。こんな考えを持っているのは私だけかも知れませんけれども、
キャシーに対する師匠の言動を詐欺的行為と呼ぶのなら、キャシーと師匠が彼らの狭い社会(世間)に対して
取った行動も実は詐欺に近いものがあるのではあるまいかと思われてなりません。人々の信頼を悪用して私利
私欲を満たすのが詐欺師だとすれば、家族や親しい友人に黙って(話せばその信頼を失うだろうから)コソコソと
密会を重ねることは、不倫関係を続けながらもそれとは相反し・両立しないような平穏な関係をも同時に保持
しようとしている点で、かなり悪質で貪欲な感じがしませんかしら? このように周囲の人々を騙すことは
世の中の常識に背を向けることでもあるのですから、それなりのリスクを背負ってもらわねばならないですよね。
それこそ禁断の果実を食べてエデンの園を追われたアダムとイブのように、お二人で好きなことをしたんだから
それからの人生はどうぞご勝手に生きて下さいよ、但しこちらから援助することは何もないですよって感じですね。
ですから、私はキャシーに対してはあんまり同情できないし、師匠に関しても不倫以上の悪行を論う気にはなれない
ですね。この二人の行いを区別するという発想がまず分からないので。
まあ、以上が当事件に対する私の感情論かなぁ。もし以上が辛辣な内容になっているとしたら、私自身が不倫の
被害を受けたことがあるからかも知れないです。
(1)この事件の場合、キャシーと師匠が肉体関係を結ぶ前に、デートしたりだとか、師匠の妻の流産にキャシーが
同情したりだとか言ったことが色々あったみたいですが、これを不倫と呼ぶかどうかはもしかしたら人によって
違うかも知れませんね。キャシーは当初は一線を越えないようにしていたみたいですが、お堅い私なんかには、
なんかこの時点で少々ズレてるなぁと思われるのですが(苦笑)。…ちなみに脱線しますが、純愛志向だろうが
SEX目的だろうが不倫を始めるに当たっては双方とも同じように不道徳であると私は感じるのですが、師匠の妻が
半ば夫を庇うようにしてキャシーを責めたらしいのには、ちょっと付いて行けないものを感じましたね。私個人の
感想では、キャシーを責めるように夫も責めるべきでしたし、それが嫌なら夫を許したようにキャシーを許すべき
でした。勿論、キャシーが凶行に及ぶ前の段階での話しになりますけれども。
(2)もしかしたら師匠の方でもどうにかキャシーと手を切ろうとしていたかも分かりません。彼にとって
キャシーとの関係が遊びだったのであれば、キャシーの変化を目の当たりにして別れ話を切り出せずに、
ついつい都合の好い話でキャシーのご機嫌を取ってその場をしのいでいたとも可能性として考えられはしませんか。
キャシーに思い切った行動を取られてしまったら、師匠の立場はなくなるわけですから。
621
:
無精髭
:2009/08/30(日) 03:06:26
さて、永らくお待たせ致しました。以下が反論となります。
>不倫の末に相手の子供を焼き殺す、そんなことは滅多にありません(滅多にあったら困ります)
>それはたぶん子供がどうこうじゃなく「そんなことをしたらかわいそう」というより「そんなことをしたら自分が破滅する」と計算できるから。
上記において長い布石を打って置きましたので私の申し上げたいことはもうお分かりになろうかと思いますが、
不倫相手もしくはその家族を焼き殺すなんてことが滅多に起こらないことの理由なんてどうでもよくて、不倫を
したら自分もしくは親しい者が破滅する可能性があるくらいの計算ができなければ不倫なんてバカなことはすんなよ
って話なんですよ。ちゃきいさんの仰る「恋愛の愛憎に飲み込まれた純粋な人」というのは、不倫関係を始めるに
当たっても自己責任を負えずに何でもかんでも相手のせいにしてしまうような頭の足りない人のことなのですか?
>奥さんが離婚せずに今も一緒にいる理由は、手記に書いているような綺麗な話ではありません。
>女の意地、それだけです。
自分の夫を誘惑し、挙句の果てに愛するわが子を焼き殺した憎き女に対する意地だけで、過ちを犯した夫と関係の
関係を修復し、しかも新たに子どもまで作ったと? どうやらちゃきいさんがそうおっしゃるにはそれなりの根拠が
おありのようですね。実際に師匠夫婦の暮らしぶりをご存知とお見受けしました。でしたら話は早いです。ここで
師匠夫婦の個人情報を公開するのはお控え下さい(笑)。
>私が独身時代、誘ってくる既婚男性はたくさんいました。
そりゃあそんな風にお書きになったら、キャシーのように不倫しても仕方がないなみたいな受け取られ方をする、
キャシーの輪をかけて「純粋な」頭の人が出てきちゃいますよw 思い返していただけるならお分かりになるかと
思いますが、事実、誘ってこない既婚男性のほうが多かったのではないですか?
>どなたかが言ってました、石投げることがあったら私の分も投げてきてほしいです。
気づいていらっしゃらないようなので少なからず愕然としておりますけど、既にちゃきいさんは石を投げていらっ
しゃいますよ。
>>618
を投稿されたことでね。で、ちゃきいさんのような存在が世間に絶えないのでしたら、ちゃきい
さんの予想とは裏腹に、現在の師匠夫婦の暮らしは決して安泰とは言えないだろうなと思う今日この頃な訳です。
>>619
につきましては申し訳ございません、本音を申しますと内容が余りにも酷いのでレスの仕様がないのです。
ただ、こちらからアドバイスできることが一つだけあります。ちゃきいさんは男女についてかなり造詣が深いというか、
ご自分の意見に随分と自信がおありのようですが、ちゃきいさんの女性としての自覚・感性や、ちゃきいさんご自身が
出会ったり見聞きしたりして得た男性に関する知識・経験は、一般女性の持つ(べき?)感性・経験であるとまで
断言できはしないだろう、ということです。またまた私個人の感覚から物を申すようで恐縮ですが、ちゃきいさんの
ような女性は珍しいような気がします。ちなみに、私は男女についてそこまでステレオタイプに考えたことはないです。
そもそもこのような事件に対してですら、女性の立場からどうだとか、男性の立場からどうだとかということを強調
することに全く意義を感じない性分なものですから。
622
:
ちゃきい
:2009/08/30(日) 10:44:46
レスがついていたので、びっくり。早いですね(苦笑)
せっかくなのに恐縮ですが、こちらの都合ですが時間がなくて全部読めませんでした。
まーひとつひとつをじっくり読んでいちいち反論してたら戦場になるかもしれないし、そういうのは好まないというのもあります。
ただ、私の文章も長いと言われますが、私以上ですね。失礼ながら読解するのに時間と労力を要します。
もう少し要点をまとめると、例えば私のような読解力のない人間にも響くのではないでしょうか。
みんながみんな「ぜひ無精髭さんの考えを聞きたい!」と熱意溢れて読むとも限りませんし、相手に届かなければ半減でしょう。
悦に入って文章の言い回しを考えるのは楽しそうなので、それだけが目的でしたら良いですけれど。
そういえば、最初はいろんな方が行き交っていたようですが、最近はお二方の語り場になってるみたいですね。失礼しました。
2点だけ
>>
>>619
につきましては申し訳ございません、本音を申しますと内容が余りにも酷いのでレスの仕様がないのです。
私が質問した回答でしたので、ここは読ませて/反論させていただきますが。
私は作り話を書いたのではありません。その余りにも酷いことが実際に起こったのです。
だからこれほどまでにスレが伸びているのではないですか?
>>さて、永らくお待たせ致しました。以下が反論となります。
ここは、冒頭の一行なので目に留まりました。(一々言い訳書かないと因縁つけられそう)
そんな時間、誰がそこまであなたの反論を待ってるのか分かりませんが、自意識過剰では?
っていうか、待たせてると思いつつのダラダラ書きはタチが悪いですね(苦笑)
623
:
無精髭
:2009/08/30(日) 12:39:21
>>621
は推敲を好い加減にしつつ全く読み返しもせずに投稿してしまったので、おかしな所がけっこうあるのですが、
訂正してもどうやら無駄なようですね。
無精髭はちゃきいさんに全く賛同できないと言う意図さえ伝わったのなら、議論をすることが目的でない人にとっては
十分でしょうね。私のレスをよく咀嚼して読む人なら、私がテーマとなる事象について画一的な見方を避けていること、
読む者に対して単純な賛否を求めているわけではないことなどを察知できるはずです(そこだけは自信満々)。
他所でも長文の書き込みをすることがありますので、ろくに読まれずにレスされてガッカリすることは度々です。
ですが、ちゃんと読んだ上で的確にレスをして下さる奇特な方もいらっしゃいますので、やはり自分の主張や疑問に
思うことなどは、できるだけ余すところなく書いた方が良いのではないかと思うのです。私は例外なく他者からの
反論・批判を期待した上でネットに書き込んでおりますので、ちゃんとこちらの書いた内容に沿ったレスであれば、
賛否両論を問わず、望むところなのですが。
勿論、「待たせてると思いつつのダラダラ書き」のような要点を逸した書き込みに堕する危険性はその分高くなるわけ
ですが、かと言って、一言二言殴り書きをしたり、他人に対してスッと頭に入るような内容の書き込みをしたりするのも
話題によっては相応しくないかと思われますので、やっぱり私は今までのスタイルを変える気はありませんね。基本、
不器用なので。それどころか、大した考えもなく相手に譲歩したりその場の空気やレスの流れに合わせたりすれば、
議論が深まらないのではないですか。そこへ私のような人間が書き込んだりなどしたら、無意味な感情的応酬に終始
したり要らぬ誤解を抱いたままレスが流れてしまうこと必至でしょう。日本だけの現象かも知れませんが、ネットでは
単なる個人の価値観を各人が主張し合っているだけで、議論をするほどにまでは暗黙のルールのようなものが成熟して
いない場がまだまだ多い気がしております。あと、意見と事実の区別が付かない人もね。。。
最後に一つお聞きしたいことがあります。ちゃきいさんはなぜこのBBSに
>>618-619
のような書き込みをされたのですか?
624
:
紫煙狼
:2009/08/30(日) 18:25:35
1)周囲(管理人を含む)に迷惑をかける恐れがないかぎり、スレ趣旨に則った投稿を妨げる理由はない。
2)自分の投稿に対してレスが返ったからといって、読まなければならない義務はない。
3)必ずしもレスを返す義務も負わない。
ここまでは良しとして、ちゃきいさんはレスを返すことを選択したわけですから
4)レスを返す以上、相手の文章の意図を汲み取らなければならない。
5)レスを返す以上、相手の意図が汲み取れるまで、何度でも読み返さなければならない。
というマナーに関しては「同意」していただかなければなりません。このマナーは、ここ(無限回廊掲示板)に
限らずネット上のすべての掲示板において共通のマナーであり、一般社会においても、これができない人は
「困ったちゃん」の烙印を押されること免れざるものです。
ところが
・はなっから、相手の意図を汲み取ろうともせず
・あまつさえ、相手の文章が酷い物であるかのような物言いをして
・自らの読解力のなさを正当化し
・挙句、相手をあざ笑うかのごとく暴言を吐く
のであれば、今一度自らを鏡に映し、よくよく猛省することを望むものであります。
なお
>>622
>私は作り話を書いたのではありません。その余りにも酷いことが実際に起こったのです。
>だからこれほどまでにスレが伸びているのではないですか?
に関しては
>>619
>女の意地と執念だけでまた子供を産むなんて、気持ち悪い。
のごとく、事実に基づかない、もしくはそれが事実であることを確認できない内容に関して
自分の願望に基づく妄想で現実を歪曲し、貴方の考えとは反対の事実が存在しうる可能性を考慮せず、
浅はかで安っぽい正義感を充足させるために「社会正義」を大義名分に流用しようとさえする、
自己観念過剰な蒙昧が後を絶たないから…ではないでしょうか?
625
:
ちゃきい
:2009/08/30(日) 21:08:15
火をつけてしまったようですね。
そのマナーというのがどこに明記されているのか私は存じませんが
私としては、自分宛のレスを読んだらなるべく早く「読んだよ」と伝えることがマナーかと思ってました。(仕事は別です。一緒にされては困ります)
言い訳がましいですが、書き込んだ10分後には出かけました。時間が不十分だったのも本当です。
無精髭さんのスレを読みながら「なげ〜よ。時間ないよ」と一人つっこみ入れてアワアワしてましたから。
ですが正直なところは
「まーひとつひとつをじっくり読んでいちいち反論してたら戦場になるかもしれないし、そういうのは好まないというのもあります」
の気持ちのが強かったのも本当です。
が、確かにきちんと読む努力もせずに安易にレスするなと言われれば、その通りです。不精髭さん、謝ります。ごめんなさい。
>>最後に一つお聞きしたいことがあります。ちゃきいさんはなぜこのBBSに
>>618-619
のような書き込みをされたのですか?
この事件についてYahooで検索したらここがヒットして、私も思いや考えを書きたいと思い、書きました。
>・はなっから、相手の意図を汲み取ろうともせず
>・あまつさえ、相手の文章が酷い物であるかのような物言いをして
>・自らの読解力のなさを正当化し
>・挙句、相手をあざ笑うかのごとく暴言を吐く
のであれば、今一度自らを鏡に映し、よくよく猛省することを望むものであります。
ただ主観で感じたことをそのまま正として言っているなら、私も同じことをされていると感じてますが。
(私から読めばこれも暴言です)
>だからこれほどまでにスレが伸びているのではないですか?
>女の意地と執念だけでまた子供を産むなんて、気持ち悪い。
>のごとく、事実に基づかない、もしくはそれが事実であることを確認できない内容に関して
>自分の願望に基づく妄想で現実を歪曲し、貴方の考えとは反対の事実が存在しうる可能性を考慮せず、
>浅はかで安っぽい正義感を充足させるために「社会正義」を大義名分に流用しようとさえする、
>自己観念過剰な蒙昧が後を絶たないから…ではないでしょうか?
これに関しては、このスレにおいて、妻の行動の不可解さが主流でのびている印象はないので、そうは思いません。
これで私宛てのレスには返したと思います。
招かれざる客のようですので、これで去ります。失礼しました。
626
:
無精髭
:2009/08/30(日) 22:59:33
>>625
これしきのことで「火が付いた」と形容されるところを見ますと、ちゃきいさんはフレーム化したやり取りしかやって
来なかったか、ネット上の議論には慣れていらっしゃらないかのいずれかであろうとお察しします。
>まーひとつひとつをじっくり読んでいちいち反論してたら戦場になるかもしれないし、そういうのは好まないというのもあります。
その点については心配なさる必要は全然なかったですよ。元来私は反論を期待している口ですし、マナー違反の虞のある
ような常軌を逸した感情的な書き込みは神に誓って致しませんから(万が一粗相をしてしまった場合はいつでも謝罪する
覚悟です)。むしろ、師匠夫婦への批判や私へのレスを拝見するに付け、感情的になる危険があるのは私よりも
ちゃきいさんの方だと思われてなりませんが。
ちゃきいさんが
>>621
に対してネチケットが守られていないという感想をお持ちになったのであれば、私はリンチ推奨論者や
匿名を好いことに無責任な発言をする者に対して守るマナーなど一切持ち合わせていないとだけ断言しておきましょう。
>この事件についてYahooで検索したらここがヒットして、私も思いや考えを書きたいと思い、書きました。
ホラ、また私のレスをよく読んでいない。こちらへ書き込んだ動機なんて聞いてないですよ。お聞きしているのは
>>618-619
の内容についてです。なぜ被害者を誹謗中傷するようなことを飄々と書いたのですか? ということです。
何か正当化できる理由があるのでしたら是非教えて頂きたい。……そういえば、
>これに関しては、このスレにおいて、妻の行動の不可解さが主流でのびている印象はないので、そうは思いません。
という回答も的外れですねぇ。お仕事が暇になってからでも好いですから、もう一度お読み下さいね(笑)。
>ただ主観で感じたことをそのまま正として言っているなら、私も同じことをされていると感じてますが。
>(私から読めばこれも暴言です)
その暴言とやらが私や紫煙狼さんに向けられたものであったのならまだ良かったのですよ。我慢すればいいんですよ、
仮にも大人だもん。ですが、私にとってはどうしても看過できないことがあったのです。それはきゃちいさんが
暴言をこの事件の被害者に向けたことですよ。それこそがきゃちいさんを幼稚に見せている最大の要因でしょう。
しかも、それについて全く意に介していない節があると来たものだから、こちらとしてはその無神経さに呆れてしまい
まして、反論も
>>619
のようなグダグダな内容になってしまったのです。呆れ果てた気持ちを表現したかったと言うのも
理由としてありますけどね。
本音を申しますと、私は被害者夫婦のことはどうでもいいのですが、親を悪く言われることで肩身の狭い思いを
しなければならない子どもたちが実に気の毒だなと思うのです。加えて、きゃちいさんのように被害者夫婦のことを
悪く言うことがこのサイトの存続を危うくすることに繋がるかも知れないと言う心配が強いんですね。
かと言って、きゃちいさんのように被害者批判をする者を排除したいというわけでもなく、矛盾していると
言われれば矛盾しているのですが。先述した道徳的な問題とは別に、自分とは違う感覚を持った人がどのように
それを言葉で伝えてくれるかということに興味がありますので。私にも実感できるように伝えてもらえるのであれば
とても素晴らしいことです。残念なことに、滅多にないことなんですが。
>招かれざる客のようですので、これで去ります。失礼しました。
別に退散することなんてないですよ。他所の掲示板の関連スレッドを見るに付け、ちゃきいさんと同じような考えを
持った人たちがいるのは自明ですから、気長に待てばその内そちらの意見に同調する人たちも沸いて出てくることでしょう。
大体、被害者を攻撃するくらいの度胸がおありなら、最後まで私たちの相手をすること位容易いでしょう?
別に何週間、何ヶ月かかってもこちらとしては一向に構わないです。
627
:
紫煙狼
:2009/08/31(月) 13:10:01
>火をつけてしまったようですね。
火がついたんですか?それは早期に消火したほうが良いかも知れえませんね。
>そのマナーというのがどこに明記されているのか私は存じませんが
今からおよそ15年程前にはネット上でのマナーを取り上げたハウツー本が多く
出版されておりました。そういう本にはBBS(掲示板・ネット会議室・パティオ)への参加について
「過去ログを読むこと」「数ヶ月はROMし、掲示板の雰囲気をつかんでから投稿すること」など
ありとあらゆるマナーが載っていましたね。現在はそれが「常識」となったいるせいか、
そういうマナーも守れない者が主流になり、マナー自体が過去のものとなったのかは知りませんが、
「現在出版されているもので、その手のマナーを明文化しているもの」は私も確かに知りません。
ただ…「お葬式に白いネクタイで出席してはいけない」と同レベルではないですかね。
(ネットを利用しない人にも必用なマナーですから、マナー本には未だに載っていますね。)
>私としては、自分宛のレスを読んだらなるべく早く「読んだよ」と伝えることがマナーかと思ってました。
はい、そういうマナーは大歓迎です。あえて望むらくは、「レスの存在は認識しているが、今は内容を理解
する時間がないので、少々待ってほしい」と返信すればよいかと。
>のであれば、今一度自らを鏡に映し、よくよく猛省することを望むものであります。
「のであれば」猛省を望むものであり「のでないなら」気になさる必要はありません。
>招かれざる客のようですので、これで去ります。
少なくとも、私や無精髭さんに「招かない」などという感覚もなければ権限もありませんので、
たとえトンチンカンな意見であれなんであれ、公序良俗に反しないものである限り大歓迎ですよ。
またのお越しをお待ちしております。
628
:
Ken
:2009/09/02(水) 15:09:22
事件の事実関係に関して一切合財忘れちゃって
1)放火殺人を犯す
2)不倫する
3)女の維持と執念だけで子どもを産む
どれが一番悪いかというと1)ですね。ダントツで。2)は今の日本じゃ犯罪ではないですけど、社会の倫理にもとる行為であり、それなりの社会的制裁を受けることがあります。3)は子どもを産むこと自体は社会の倫理にもとるわけでも、ましてや犯罪でもなく、どちらかというと好ましい事態ですね。「結婚して幸せのうちに子どもを産む」と比べるとその理由・動機がちょっと不純で不幸な感じがしなくもないですけど。
それでまあ、事件の事実関係を当てはめると言うまでもなく、1)キャシー、2)師匠、3)妻なんですけど、キャシーが一番悪くて、それと比べると師匠の罪ははそれほど重くなく、妻はただの被害者、ということになります。誰が悪くて誰が悪くないかって、男だから、女だから、騙したからとか騙されたとか関係ないんですよ。
もう一つの問題点は1)と2)は裁判なんかで事実関係がはっきりしてるんですけど、3)に関しては子どもを産んだというのは事実でしょうが、その理由なんて第三者に分かるはずもなく憶測で語ってもしょうがない、というのもあります。
ときどき妻をひどく悪く言う人が出てくるんですけど、なんだか私には理解不能です。好ましい生き方かと言われればそうではないとは思いますし、自分だったらこういう生き方はやですけど、キャシーや師匠の悪事と同じ俎上で同列に論じるようなことではないです。
630
:
boro
:2009/09/10(木) 00:18:15
レスひとつ削除しました。
631
:
紫煙狼
:2009/09/10(木) 01:39:54
とても不思議なんですが…。
奥様が「女の意地と執念だけで離婚もせずに子供を生み育てている」という発想は何を基に生まれるのでしょう?
それは「自分が奥様の立場であって、そういう選択をするとすれば、ほかに理由が考えられない」という、
自分の思考パターンを投影させた結果なのでしょうか?「自分ならそうする!」という意思表明でしょうか?
しかし、じゃぁ、本当に奥様の立場であったとして、そういう理由で、そういう選択をするかといえば、
「嫌悪感を感じる」とか「自分ならそうしない」という結論に達するのではないでしょうか?
ならば、奥様も「女の意地と執念だけで離婚もせずに子供を生み育てる」という選択肢に対し「人として嫌悪感を感じ」
結果的に「別の道を選んだだろう」という結論に達しませんか?そう考えると、奥様が「離婚もせずに子供を生み育てる」
という道を選んだ理由は「女の意地と執念」ではなく、もっと別の理由があったと考えたほうが自然ではないでしょうか???
おそらく、その「もっと別の理由」というのが、多くのヒトには思いつかないわけですよね?ただ、正解を含まない
幾千の選択肢を消去法で消していっても、正解が含まれないのですから、最後に残った一つも正解ではないわけです。
どのみち、正解を知るすべがありませんからね。全ての選択肢が「正解の可能性を残した推測」の範囲を超えない。
ところで、少なくとも、この事件において「倫理的に許されざることをした」もしくは「犯罪を犯した」確証があるのは
師匠とキャシーに限定されると思いますがいかがでしょう?ならば推測だけを根拠に倫理的に許されないことをした確証の
ない人(奥様)を誹謗中傷する権限をお持ちの方は、この世のどこにいらっしゃいますか?
632
:
無精髭
:2009/09/10(木) 02:14:18
察するに、きゃちいさんの思考パターン及び倫理観は、
・同情できれば善い
・同情できなければ悪い
ということに尽きるかと。
きゃちいさんが
>>619
で挙げていた「既婚女性(妻)と独身男性」という例に即して考えて見ますと、
妻が浮気して純朴な青年を弄んだその挙句わが子を焼き殺されたら、自分の場合なら、当然妻を憎む
ことになるでしょうな。とは言え、実際そういう目に遭って見なければ確かなことは言えないのですが、
おそらくそのまま夫婦関係を続けることなどありえないように思われます。その点、きゃちいさんの
言い分も分からなくはないです。が、もしそれが私ではなく他人の場合だと全く事情が異なります。
例えば私の友人が先述したような目に遭ったのに妻を許し、おまけに新たに子どもまで作ったとしても、
全く以て気持ち悪いとは思わないですね。せいぜいが、なんてお人よしなんだろうと呆れるだけかと。
むしろ場合によっては、よく出来た旦那だなあと感心するかも知れません。いずれにせよ、その事件が
きっかけとなってこれまでの友人関係にひびが入るなんてことはありえないように思われますね。
同じような境遇・局面でも、他人と言うのは自分が取るであろう行動とは異なった(思いもよらぬ)
行動を取ることがある存在であるのは、特別自分と他人との違いに注意していなくとも事ある毎に
気付かされることでしょう。それを一々、お前がどう感じようと私にはこうとしか感じられないのだから
きっとお前は錯覚を起しているのだみたいに短絡したり、他人が自分と違う感覚・考え方を持っている
ことに違和感や苛立ちを感じたりしていては社会生活において円滑なコミュニケーションの遂行は望むべくも
ないでしょうから、そこらへんに対する忍耐あるいは単純な見切りについては、誰しも己の長い人生の
中で着実に学んでいくのでしょうね。確率的にはすごく低いでしょうけど、もし自分がきゃちいさんが
仰ったような目にあった後に友人も同じような目に遭った場合でも、私は友人のような生き方をするのは
無理と分かっていても、彼の意思については尊重したいと思いますし、お節介でなければ彼が取った行動に
ついても理解してみたいと思いますよ。ましてや、気持ち悪い生き方だとか、君みたいなヤツとは絶好だ、
だなんて風には絶対に考えないと断言します。
自分の感性に正直であること、感じたままに語ること、自然に同情してしまうことがそれ自体で悪いことだ
とはさすがに私も思いません。ただ、ある人物・立場に対する偏った同情・行過ぎた同情は、他の人物・立場に
対する無思慮・無配慮にすらつながりかねませんので、結果的に事態を客観的に見ることを難しくする要因に
なるのではないかと私なぞは常日頃から危ぶんでおります。感情を尺度にして物事の是非を問う(本当は
問うてなどいない)のは、ほどほどにしておいた方がいいかも知れません。どうかきゃちいさんには自然に
同情するというような受身な態度ではなく、たとえ全く共感できないような立場の人間にも意識的に同情
できるようになる、そのための技術を身に付けて戴きたいものです。それは「共感」のような受動的・
無意識的な同情ではなく、能動的・意識的な同情―――「感情移入」とは正にそのことなのですが、
これを成功させるためには、およそ人間のとる行動に対して、一面的な捉え方をするのを止め、そこに
多様な解釈の可能性を見ること、そして自らの感情による評価を度外視できることが必要です。
まぁ、いろんな立場の人に同情できる方が情緒豊かと言えるでしょうし、そういった感情の多様性を有していなければ、
自分のためになるばかりでなく他人のためにさえなるような同情なんて絶対に出来やしないと思いませんかね。
私にとって、被害者夫婦は反面教師にはなりえませんでしたが、その点きゃちいさんは資格充分でしたね。
同様に、この事件は私個人にとっては全く教訓にならないのですが、きゃちいさんさんの件については色んな意味で
教訓になりました。まぁそれはともかくとして、きゃちいさんが過去ログを一から読んだ結果が
>>618-619
なのも奇異な感じがしますけど、それ以上になんで私に
>>622
のようなつんけんしたレスをお返しになったのかが
私には不思議でなりません。また、不倫よりも犯罪被害者を攻撃することの方が「自分が破滅する」可能性は断然高い
のにもかかわらず、どうやらその計算が出来ていらっしゃらなかったと思しき点についても、、、
ガクガク(((( ;゚Д゚))))ブルブル<女性ってこわーい
633
:
無精髭
:2009/09/10(木) 02:28:30
>>628
(1)と(2)の間に
・第三者が正義と称して私的な制裁を下す
というケースを加えて戴けたら、と思います。(笑)
きゃちいさんや青空さんだったら、きっと(2)よりも
・身体目当てで交際相手を言葉巧み(?)に騙して快楽を貪る
ことの方が悪いに決まっている、という立場でしょうが。
惜しむらくは、もしも師匠が独身であったとして、キャシーに
殺されたのが彼の親兄弟だったとしたら、つまりこの二人の
男女関係が不倫じゃなくただの恋愛関係だったら、
お二人のご主張にも一理あるのになあ、、、
と私は思うわけですが。
ところで、「キャシーも師匠と示し合わせて背徳的な関係を続けている以上、師匠の詐欺紛いの行為や
キャシーが弄ばれたという被害事実については、それらが犯罪に関わることでもない限り―――より正確に
言えば、不倫以上の悪事に関わることでない限り、その二人以外の者は善し悪しを問うべきでないし、
問う必要もない」なんて偉そうなことを自信満々に書きましたが、果たしてそれで好いのか、と不安に
なって参りました。
以前書きましたように、配偶者からも子どもからも蔑ろにされている者にとって不倫がある種の冒険なり
救いなりになり得るかも知れませんし、畢竟、不倫の中にも真実の愛がある場合も考えられます。略奪婚
によって以前の結婚生活の時よりも幸せになる者だっていても別におかしくはありません。つまり、
私の疑問は、妻や子どもに対する裏切りを除き、キャシーの理想を見事に打ち砕きその信頼をも裏切った
という点のみで、ちゃきいさんや青空さんのように師匠を悪く言うことが妥当であるかどうか、という
ことなのです。この二人のいずれにも同情しない私には全く判定のしようがないですね。
ただし、繰り返しになりますが、良い不倫であろうが悪い不倫であろうが、不倫関係の外にいる人たち
―――特に配偶者や子どもにとっては何ら違いはないでしょう。不倫関係内での善悪と不倫関係外での
善悪は次元が異なるのだということです♯。一方で、不倫から離婚、そして再婚に至って大きな満足を得る
者があったとすれば、他方ではその離婚によって捨てられたも同然の配偶者がいるわけです。彼(彼女)
にとっては離婚相手のその後の人生などどうだって良いでしょう。逆に、新たな結婚生活における満足
なんてとんでもない、私の時よりももっとひどい失敗をしろ、とでも望むのが自然とも考えられます。
♯善悪の次元を簡単に分けますと、法規的善悪(正・不正)、道徳的善悪(利他・利己)、個人的善悪
(快・不快)の3つになろうかと。この事件の場合だと、まず不倫が道徳的に悪であり、次に師匠と
キャシーの間でDVが行われていたなら、言わば道徳的悪の内部に法規的悪(犯罪)が別個に存在していた
ことになり、シェンさんが仰るように単に主導権を奪い合っていただけであるならこの場合は道徳的悪の
内部に双方の個人的善悪が渦巻き、火花を散らしていただけになる、というわけです。
634
:
Ken
:2009/09/16(水) 14:57:43
もしも自分が女性だったとして妻のような人生は私も御免被りたいですね。不倫が発覚した時点で子ども連れて出て行くと思います。ただ、世間にはそうできない人もたくさんいるわけで、知り合いにもそういう人いますけど、自分がそう考えているからといってそれを他人に押し付ける気はないですね。事情は人それぞれなんで。
635
:
めろん
:2009/10/03(土) 03:27:00
生まれて初めて書き込みいたします。
この事件はとてもインパクトがあり記憶にのこっていたので気になって検索したところ
こちらの掲示板に行き着きました。
*この事件で印象深かったのは
・お互いを師匠とキャシーと呼ぶ気持持ち悪さ
・明らかにダメンズな師匠に執着するキャシーに覚えた不快感
・そしてキャシーは自己の自尊心を守るため、師匠、その妻に対する
最上級の復讐を成し遂げ生き地獄を味あわせる為に、二人の愛する子供に
火を放ったことです。
師匠への因果応報を成し遂げたキャシーに同情の余地は全く無いと思います。
いかなる理由があったとしてもです。
キャシーに自分の愛する者を失なわされた師匠は生き地獄を死ぬまで味わうことに
成ると思います。
自分の非で苦しみながら死んでいったわが子のことを思いながら一生後悔の念に
にくれるというのが彼の十字架と思います。
事件後の彼女の後悔は、事件を起こしたことではなく師匠と出会ったことではないかなと思います。
そう思わなければ人殺しなど普通の神経ではできないと思います。
師匠の妻への手紙で子供も被害者だが、私も被害者です。書いてあったという記事を
読みました。(新潮のその後の師匠妻の取材記事)
また、色々な意見あると思いますが、その後の夫婦のことは
子供が好きでなかったら、また新たに子作りなどしないのではと思いますが
あれだけの事件の後で離婚しないのは、師匠夫婦もなんらかの依存関係にあるのではと思います。
それが事件のことかはわかりかねますが。
この事件で学んだことは多いです。
636
:
無精髭
:2009/10/18(日) 21:55:47
>事件後の彼女の後悔は、事件を起こしたことではなく師匠と出会ったことではないかなと思います。
>そう思わなければ人殺しなど普通の神経ではできないと思います。
もし今現在も、めろんさんの仰るようにキャシーが、放火で子どもを殺したことではなく
師匠と出会ったことの方を後悔しているのだとしたら、言葉が悪いかも知れませんが、
救いようがないですね。そういうのって深読みすると、自分の犯した罪を他人にも
負わせるかのような言説を不用意に口にしているようですし、しかも現在刑に服していることを
不運だと考えているようにも見受けられますから。私は、キャシーが事件を起したことで
自分は不幸になってしまったのだと考えることを道徳的に良くないことではないかと考えます。
新潮の取材記事というのは、新潮45の2003年1月号の記事のことですよね?
その中で言及されているキャシーからの手紙というのはいつ送られてきたものなんでしょう?
キャシーがメロンさんの仰るような心境だったとしても、その時点での話なら
まだ懺悔が足りなくても仕方がないとひょっとしたら言えるかも知れませんけど、
今も手紙を書いた時の心境に変わりがないのだとしたら、懲役刑ではキャシーの
異常性をとうとう矯正することができなかったのだな、と思うしかないです。
「私も被害者です」か…。その認識を持っているというだけでも私は諸手を挙げたく
なるのですが、そんなことを放火殺人と不倫の二重の被害者である奥さんに向かって
書いたのがマジなら、実に見上げた度胸と言うべきです。
とりあえず、既婚者と独身者が肉体関係を結んだ場合、既婚者の方により重い責任が
圧し掛かるのは当然だ、といううまい逃げ口上を忌避することが更正への出発点だと
私は考えております。
637
:
さざえのつぶやき
:2009/11/01(日) 13:21:55
既に書かれたレスを読まずに投稿する人がいるから同じ議論が堂々廻りになって終わりません。
前レスを読まない感覚の人は、犯罪を犯して人のせいにする人と精神的には同レベルだと思います。
「私は知らない。私は悪くない」と言っているのと同じですから。
638
:
無精髭
:2009/11/05(木) 01:16:30
何か、的外れなことを言ってしまいそうで怖いんですけど。
私個人の考えを述べさせて頂きますとね。このスレがここまで伸びていることについて、
私はサザエさんとは違って、同じ議論が繰り返されていることの結果であるという風には
捉えていないんです。むしろ、スレ立て当初から現在に至るまで、様々な人たちがそれぞれ
独自の見地・動機を以て書き込んでいるために、なかなか議論が纏まりにくい・多方向に
進行してしまう土壌が形成されてしまったのだということも原因として考えられはしない
だろうかと思っているんです。モラルに反するかどうかはさておき、また、個々の見解に
独自性があるといっても程度の差はあるでしょうが、過去ログを読めばお分かりのように、
これだけ多種多様な考えが持ち寄られている以上、先にも申したように議論が不完全燃焼に
終わったり、このスレに書き込む人たちの間で互いの意見が未消化のまま話が進んでしまったり
することは、当然というか避けられないという気がするのです。だからこそ、過去ログを読む・
読まないに関係なく、いずれ誰かが過去の議論・論点を蒸し返しても何ら不思議はないわけで。
見方によっては、ひと段落した議論はあると言えるかも知れませんので、部分的には既に
片付けられた問題を殊更取り上げる必要はないのでしょうけど、全体としてみればこの事件に
対する道徳上の問題はまだ未解決ではないかとの思いが拭えません。(誰が悪いか、といった
悪さの序列の問題についてはもう答えは出ていると思いますけど。。。とはいえ、絶対そうだ
と言い切る自信はありませんが。)
もしかしたら、そもそもこの事件の特異性がこちらに書き込む人たちの間で共通の認識が
生まれるのを阻む要因になっているかも知れません。でも、言うまでもなくそれは他所の
掲示板に立てられている当事件のスレッドにも言えることでして、私が思うにサザエさんの
苦言はこのスレよりも例えば2chの日野OLスレに向けられるべきでしょう。スレがどのように
伸びているかを比較してみれば違いが分かるはずです。
で、このスレで行われているような言わば「意見交換」によるスレの伸びを、不毛と見るか
豊穣と見るかが、私とサザエさんの違いなのでしょうけど、無論私は後者の視点に立っている
わけです。私がこのスレに書き込むようになってからも、それなりの収穫はあったと感じています。
他の方々はかなりの労力を費やしたかも知れませんが。でもまあ、青空さんもちゃきいさんも、
この事件へのアプローチとして新奇な主張なり見解なりがまだまだ残されていたということを
それぞれ身を以て証明してくれましたから。見方を変えれば、珍妙奇天烈な書き込みに対して
紫煙狼さんやKenさんのレスがあったということは、明らかにこのスレにとってはプラスでしょうから、
それだけでも結果オーライだったと言えるのではないでしょうかね。
…あと、>637中の「前レスを読まずに投稿する人=犯罪を犯して人のせいにする人」という件は
さすがに言いすぎだと思いました。
639
:
Ken
:2009/11/06(金) 12:41:05
600以上投稿がありますからね。普通いちいち読まんでしょう。
ところで『黒い下着の女 雷魚』という映画があるそうです。
http://www6.big.or.jp/~syntax/otherstories/pink-archive2-1.htm
http://www.geocities.jp/shinsuke_0126/raigyo.html
事件の後に、失意のうち孤独な人生を送っていた師匠が札幌テレクラ殺人事件の犯人と出合った、というようなプロット。いちおうポルノに分類されるようなので実際に鑑賞しようという方はご注意ください。
640
:
無精髭
:2009/11/09(月) 17:11:28
この事件の通称でググればどれもすぐに見つかる記事だと思いますし、
既に読まれた方も多いかと思いますが、この事件に対する多面的な
理解のよすがになるかと思いますので以下の通りリンクを張らせて
戴きます。
1.
http://www.shinchosha.co.jp/books/html/123915.html
2.
http://d.hatena.ne.jp/dan127u/20041210
#c1102752182
3.
http://blog.goo.ne.jp/masakichi917/e/27b73797c883defe5cec6a9ae8494fc2
1.については、少なくとも以下の奥さんの言葉だけは何度も読んで肝に銘じて置くべきでしょう。
「北村は、誰が何を言おうと、もはや心を満足させることはないと思います。破壊的な人……。自分が罪もない子供二人を殺した事実は変らないのに、裁判でも不倫で傷ついたという話ばかり。彼女から送られてきた謝罪文も同じでした。“とても悪いことをした。だけど……。でも、こういう気持に翻弄されて……”。必ず“だけど”をつけるんです」
「pはqよりも悪い」という前提を受け入れるならば、pとqを逆接で結ぶ際には
「pしかしq」としなければ、少なくとも日常言語の慣用としてはおかしいでしょう。
要するに奥さんに対する謝罪文の中でキャシーは「私はあいつを殴った、だけど、あいつは
私の足を踏んだのだ」と言っているようなものです。はいはい。だから何なのさ? これが
逆だったら、つまり「わたしはあいつの足を踏んだ、だけど、あいつは私を殴ったのだ」
であれば、意味合いが違ってくるんですけどねぇ。
2.は新潮45の例の記事についての感想に過ぎませんが、事件後妻が離婚せず、
さらに子どもをもうけたことの背景に実は「子供を亡くした痛みを共有できるのは夫だけ」
という妻自身の切実な心境があったのだということが紹介されており、私もさも
あらんと感じました。ところが、コメントの方についてはどれもいまいち賛同
しかねるものでして、例えば「全員悪いように思える」というような意見は
他所の掲示板でもよく見かけるのですが、これはそもそも「悪い」ということの
定義が、事件当事者3名それぞれの場合において異なるということを理解していない
から起こる、一種の誤謬と言えるでしょう。
「殺人」「放火」といった犯罪行為や、「不倫」「不貞」のような背信行為に
ついてはいざ知らず、「落ち度がある」「言葉が汚い」「嘘を付く」「スケベ」
「優柔不断」等々についても「悪い」という言葉を当てている人がいますが、
言葉の意味と現実とが相互に即応し合う関係を無条件に認めてしまっているかの観が
あるのでいただけません。
問題なのは「全員が悪い」という表現を用いることによってこの事件関係者各自の行為が
区別されない嫌いが出てくることでしょう。しかし、これを避けるためだからと言って、
「皆それぞれ悪いところがある」という表現を用いたとしても、事実関係が不明な部分に
関してまで事の是非を問う姿勢を改めないのでは、とても公平無私な態度を取っている
とは言えないでしょう。
3.も「事件関係者全員が悪い」といった部類の感想。ただし、誰がどのように・どの程度
悪いかということについては区別して書かれているようですが。
641
:
無精髭
:2009/11/09(月) 23:12:20
キャシーの接続詞の使い方がおかしいことを説明するために、「pがqよりも悪い」という
事にキャシーが反対しない(つまり冷静な状態では悪さに関して程度の違いを判断できる)
と言うことを想定した上で、仮に「p」は「殴る」、「q」は「足を踏む」というふうに
それぞれ対応させた後、本来なら「pしかしq」としなければならないところをキャシーは
「qしかしp」としている―――と、こんな感じのことを書きましたが、後で読み返してみて
もしかしたらキャシーは次のようなことを考えを以て「だけど」だの「でも」だの書いていた
のではないかと思い至りました。
キャシーにとってみれば、私がpやqとした文に、「殴る」や「足を踏む」という述語のみを
対応付けるのは不正確であり、「私は」とか「あいつは」という主語もセットで対応付けなければ
本当の彼女の文法、もとい言語感覚には迫れないのではないか。例えばキャシーにとっては
「私が足を踏む」ことと「あいつが足を踏む」ことは同じ悪さではないかも知れないということ
(文として見ても同値ではないのは明らかなので、私よりもキャシーの方が言語使用においては
正確)。これは「私の足が踏まれる」ことと「あいつの足が踏まれる」ことが同じ不幸でないかも
知れないということも意味します。
ですから、キャシーは「私はあいつを殴った、だけど、あいつは私の足を踏んだ」というような
文において、「私があいつを殴ることよりもあいつが私の足を踏む方が悪い」ということを言い
たいのではないかと。これなら「p」と「q」の対応付けをせずとも、「pしかしq」の日常言語の
語法に反することなく意味が通りそうです。
まあ、「しかし」は「それはそれとして」などと同じで話題を転じる際に用いる接続詞でも
ありますから、「だけど」とか「でも」によって単に自分の犯した悪事から奥さんの目を
逸らしたかっただけなのかも知れませんね。
642
:
無精髭
:2009/11/09(月) 23:12:44
某掲示板の関連スレを読んでいて思ったことなんですが。。。
今、奥さんを批判(というか、笑いものに)するのがごく一部の人たちの間でちょっとした
ブームになっているのでしょうかね? こちらでは珍しいことも他所では当たり前のようですね。
ちゃきいさんも結局はミーハーだっ(ry
…あと他に気になったのは、
「少しでも被害者夫婦を批判すると、キャシー擁護に回っているなどと決め付けて来る
ヤツがいるが、それは間違い。誰もキャシーが悪くないなんて一言も言っていない。」
みたいな書き込み。そりゃ、事件に全く無関係な者からすれば、その3名を事件に関連付けて
裁断することには何ら支障はないでしょう。たとえ頭の中のことであれ、他人の視点に立つよりも
自分の立場を離れない方がえてして気楽なものだからです。実は、単純にキャシーに同情して
被害者夫婦の言動を否定的に捉えるというような人よりも始末が悪いのではないかと思われる
んですね。なぜといって、被害者夫婦を批判することの拠り所を示さずに、自身が関与していない
出来事について客観的態度を僭称しつつ、その実、怠惰な自己流の説教を垂れ流しているだけとしか
思われないからです。この事件そのものを批判的に分析するならばともかく、卑しくもこの事件の
関係者を批判するならば、徹底してこの事件に関する情報の内部に留まりつつ関係者の心理や視点に
立つということを厭うようなことがあってはならないでしょう。そういうことって、他人の不幸を
(特に公共の場で)語る上で当然求められるべき倫理ではないですかねえ。上記のような発言が
出てくるところの立場は、この事件の関係者の一人ひとりの視点に立って事件を考えるとかそれぞれ
の事情を汲むとかいった立場と似ているように感じられるかも知れませんが、そこからひねり出される
結論としてはせいぜい
「キャシー・師匠・奥は三馬鹿トリオだな。こいつらが役者として同じ舞台に上がって
乱痴気騒ぎを 起したのだから、全く罪のない子どもたちが焼け死んだなんて俄には信じ
がたい結末にも納得がいくというものだ」
くらいが関の山でしょう。
それに、この事件でのキャシーの犯行を以下のような事件に近いと解釈する人もいましたね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1092670770/222-223
いじめと不倫を類比するとはね…。いや、不倫している最中にいじめがあったというのなら
話は分かりますが。要するに紫煙狼さんが仰っているように奥さんとキャシーの間で
師匠争奪戦が行われていたとしても、その敗者が不倫の被害者になるということは
ありえないでしょう。だって、後にも先にも不倫の被害者は奥さん(とその子どもたち)
しかいないわけだから。
643
:
無精髭
:2009/11/10(火) 00:08:52
この事件に対して勝手に私が問題だと思っている、あるいは私がこの事件を教訓にして(苦笑)、
それを元にひねり出した疑問(と暫定的な答え)がいくつかありまして。。。部分的には
以前から考えていたことでもありまして、ちょっとあれこれと悩むのも飽きてきた、というか、
糞詰まりが苦しくなってきた、というか、そんな不純な動機ですが、今が好い機会だと勝手に
思いましたので、少しの間だけ展開させて下さい。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
不倫仲の男女が結婚の約束をした。。。さて、この契約は履行されるべきか否か。
不倫関係を解消するには、
・離婚する
・愛人と別れる
2つの手段があると思いますが、どちらを選択しても誰かしら傷つくことになるでしょう。
問題は、離婚することと愛人と別れることの内、どちらの痛みがそれが回復されるべきだ
という観点から社会的な正当性を持つのか、ということです。私は不倫関係の解消に伴う
痛みという点に限っては愛人の方に我慢してもらうのが順当ではないかと思っています。
これは現在、愛人という立場に特別の権利が許されていないのと、社会が・誰もがその存在を
許容できるための法による保護がない、つまり社会において居場所がないことと、結婚制度の
社会的意義や森永卓郎氏の言う「オンリーユー・フォーエバー症候群」の禁欲的な利点を
一応認めているため、半ば仕方なしに主張しているに過ぎませんが。極端なことを言えば、
一夫一妻制や結婚と言う制度を廃止すればこんな問題に悩む必要はなくなるわけです。
そうしたら親子関係を含む家族のあり方も今と比べてだいぶ様変わりすることでしょう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
不倫の中で金銭的な詐欺が行われたならともかく、不倫の中で結婚詐欺が行われることの
問題性ってあるのでしょうか? 注意していただきたいのは、結婚詐欺によって不倫が
始まった場合のことを申しているのではないですよ? それなら問題大有りですからね。
不倫関係にある男女の間で、犯罪が行われたのならともかく、不倫に直接関わる行為や障害
―――言い換えれば、その関係を維持するための行為や、不倫による恋愛から自然と生ずる
ような障害があったから言って、そのことについて両者のどちらが悪いかと問うのは果たして
有用な問いなのか、ということ。相手からどんな無理難題を押し付けられたにしても、
最終的に自らの意志で決断できる可能性が残されていたのであれば、果たして師匠の取った
一連の「悪事」―――結婚詐欺紛いの言動や保身目的の中絶嘆願(強要と言えるのでしょうか?)、
加えて、中絶したばかりのキャシーを妻に引き合わせた無神経さについて、一方的に師匠が
悪いと言えるのでしょうかね。で、もし一方的に師匠が悪いと言えないのであれば、その一連の
行為に限っては、師匠とキャシーの悪さを区別するなんてことは端的に言って無用だと思うのですね。
644
:
無精髭
:2009/11/10(火) 00:10:18
――――――――――――――――――――――――――――――――――
たとえば、不倫における場合かそうでないかによって、性交時に避妊具を付けて
くれなかったという訴えの正当性が変化するのではないかという疑い。
ただし、避妊具を付けてくれなければ性交はゴメンだと女性が強く意思表示したのに、
男性がそれを聞き入れずに事を遂げてしまった場合、DV認定は可能かも知れません。
女性の意思表示と男性の強引さがどの程度のものだったのかが焦点となりそうです。
(以下、蛇足。)
とはいえ、boroさんの記事によればキャシーは性交時において奥さんと自分の扱いが違うことが
哀しかったということを理由に(?)避妊を拒否したことがあったと語ったらしいですけどね。
師匠が避妊をしなくなったのはその後のことだということなので、不倫関係にあるにもかかわらず
妊娠したことについてはキャシーがきっかけを作ったとも取れますよね。少なくとも初めの妊娠
にはキャシーの行動が因子となって働いている側面もあるとは言えませんか。そして、本当は産み
たかったにも関わらず意志を曲げてまで、中絶してくれとの頼みを聞き入れたというキャシーの
行動が、師匠のような男に対しては、私は妊娠することに対して抵抗が少ないのだということを
同時に示すような危険な行為でもあったのかも知れませんよね。これを考慮に入れると、2度目の
妊娠についても師匠の責任とばかりは言えなくなるのではありませんか。再び中絶したことに
ついてはキャシー一人で決めたということですから、自己責任を承知の上で取った行動としか
見なせないです。相談したところでどうせまた堕ろしてくれるよう頼まれるだけだろうと勝手に
推断するのではなしに、一応師匠の意向を聞くべきでした。ちゃんと話すことで責任を押し付ける
べきでした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
師匠と男女の関係を持つことの意味を知りつつもこれを断ち切る道義心をついぞ持つことが
出来なかったキャシーが、後になって師匠による弄び・騙し・賺しを糾弾するというのは、
所詮、パチ物と知っていて師匠から鞄なり時計なりを買ったは好いが、後で欠陥や不具合が
見つかったので、消費者センターに相談するというような愚行に過ぎないという気がします。
645
:
無精髭
:2009/11/10(火) 20:53:19
>>640
訂正
>「pしかしq」としなければ、少なくとも日常言語の慣用としてはおかしいでしょう。
「qしかしp」の間違い。
同じく
>>641
訂正
>それぞれ対応させた後、本来なら「pしかしq」としなければならないところをキャシーは
>「qしかしp」としている
前が「qしかしp」で、後が「pしかしq」です。
>たいのではないかと。これなら「p」と「q」の対応付けをせずとも、「pしかしq」の日常言語の
これも逆。「qしかしp」となります。
646
:
Ken
:2009/11/13(金) 13:20:33
>>640
1.で重要なのは『この記事[Ken註:月刊「現代」(平成七年九・十月号)誌上で二回にわたり公表された弁護士にあてた北村の私信]によって、北村に対する同情論が決定的なものとなった。』の部分でしょ。当時、被害者側の言い分はほとんど報道されてなかったのと違いますかね。これだからマスゴミは...
3.はそういう偏向報道を真に受けた一例ですね。
>>娑婆にいる方が絶対にいい
不倫だけで檻に入るやつなんていねーヨ
>>男性は、私的なラブアフェアではあるものの、NECのイメージを毀損したと思うのですが、遺族だったからということなのでしょうか、懲戒ではなく依願退職になっています。
いい悪いは別にして、現行では不倫に対する社会的制裁ってそんなもんだべ。
>>こういう意地悪な見方をしたくはないのですが、どうしても北村受刑囚との境遇の圧倒的な差が理不尽に思えるのです。
理不尽じゃねーヨ。放火殺人で二人殺して無期懲役って軽いほうだべ。
>>男性の方の不実は勿論なのですが、妻の方もちょっと変です。(中略)92年といえば、まだ携帯電話が普及する前ですが、たまには家に電話したりしなかったんでしょうか? 渡辺淳一チックな金のある高級おぢさんであれば、遊びの金と時間の工面は容易かもしれませんが、子供が小さい30代前半の夫婦で、旦那がこんなにフリーにしてもらえるんでしょうかね。
悲しいことに不倫って別に珍しいことではないのです。なかなか気づかない人もたくさんいるのです。奥さんが寝ている自宅に女を連れ込んでコトに及んだ、それで奥さんはずっと後になるまで知らなかった、なんて例も知ってます。
>>そして遂に「生きた子供を平気でお腹から掻き出す人ような人なのよ、あなたは」という妻の決定的な一言が引き金となって、悲劇が起こってしまった。(中略)だから、妻が否定しようと、この問題発言はおそらくあったのだろうと思います。
これも何度もここでは話題になったのでいまさら繰り返さないですが...
ただ、一つ思い至ったのはただの不倫OLと放火殺人の間の隔たりが大きすぎて、きっと何かとんでもないきっかけがあったはずだ、と考える人が多いのは自然なのかも知れません。それで放火殺人犯の証言を真に受けちゃうと。
648
:
芝生
:2009/12/30(水) 10:40:10
ところで、この女性って懲役何年でしたっけ?
無期懲役でしたかね。
とすると17年あたりで娑婆に戻りますね。
もうすぐのような・・・
649
:
重千代
:2009/12/30(水) 18:22:44
「生きた子供を平気でお腹から掻き出す人ような人なのよ、あなたは」
キャシーは師匠の妻にこう言われた、と主張していますが、妻は言った覚えがないと言っています。これほどひどい言い方ではないにしろそれに近いようなことを言ったんだと思います。
一人目の子どもを堕ろしたのは師匠から「頼むから堕ろしてくれ」と言われて仕方なく堕ろしたのであってキャシーが望んで堕ろしたわけではないですね。二人目の子どもはキャシー自らの意志で堕ろしていますが、師匠に相談すれば一人目と同じように堕ろすように言われるだろうと思って迷惑をかけたくないという気持ちもあって相談せずに堕ろしているわけで、本来なら堕ろしたくなかったはず。
それにもかかわらず、師匠の妻から「生きた子供を平気でお腹から掻き出す人ような人なのよ、あなたは」といったようなことを言われ、それに対し怒りをあらわにしない人はいないんじゃないでしょうか?
「平気でお腹から掻き出す」・・・?
子どもは子どもでも生まれてくる前の胎児だからその子ども2人を堕胎によって失ったとしても生まれてきた師匠の2人の子どもを焼き殺される悲しみに比べたらたいしたことない?
懲役5年くらいが妥当な線だと思いますね。
650
:
ufloat
:2009/12/31(木) 00:09:07
>>649
これが例えば、
「既婚者のAはBと不倫をしていた。Bは妊娠したが2度も堕胎した。
Aの妻であるCはBに対して暴言を吐き、Bは追い詰められていった。
最終的にBは爆発し、Aを殺害してしまった」
などであれば、懲役5年程度が妥当かはともかく、まだ同情する意見は分かります。
しかし、重千代さんの視点には、完全に「何も過失がないのに焼き殺された子どもたち」
の部分が欠如しています。これで懲役5年では、大変に理不尽極まりないでしょう。
重千代さんは「堕胎された2人」と「焼き殺された2人」の命の重さを比較することで
この視点を認識しているつもりなのかもしれませんが、焼き殺された2人が堕胎させた
わけでもなし、彼らに責任を取らなくてはならないことなど何ら存在しないのです。
以下のような話があったとして、理不尽とは考えられませんでしょうか。
「Xは既婚者のAと不倫していた。Aの妻のBは怒り、Xに対して暴言を吐いた。
それに怒ったXはCとDを焼き殺した。Xには懲役5年の判決が下った」
無辜の幼子2人を放火で殺害して無期懲役とは、温情この上ないですね。
651
:
無精髭
:2009/12/31(木) 08:56:23
>649
前に書いたことですが、キャシーの意思表示がきっかけで師匠は避妊しなくなったんですよ。
しかも、事実が記事の通りであるとするなら、それ以後「常に」避妊しなかった、のではなく、
「ときどき」避妊しなかった、ということです。なら、避妊した時もあったんでしょうね。
まぁ詳しくは無限回廊の記事を読んでいただきたいのですが、最初の妊娠についてはキャシーにも
責任があったと見るべきでしょう。つまり妊娠に関して師匠の不埒な行動が原因であると同時に、
キャシー自らが望んだ結果でもあると言えるのなら(双方に責任が生ずるなら)、当然堕胎に
関しても双方が相手とは関係なく自ら責任を負うべきであると言わなくてはならないのでは
ありませんか? 妊娠しなければ堕胎など出来ないわけですから、そういう事態を考慮した上で
私なんかは妊娠と堕胎を分けて考えずに一つの事象として捉える必要を感じます。不倫という
フザケタ事象に一括してね。で、新たな命を生み出すならちゃんとその命を維持するための
環境を整えてからでなくては無責任でしょう? もしもそのための努力もせず、後先考えずに
命を生み出す行為に及んでしまい、その結果作られた命を維持する目途が立たないので結局処分
する他ないということになったら、責任の所在については処分がどうこうという問題よりも前に、
そもそもそれを生産すべきであったかどうかということにまで遡って論じられるべきではないでしょうか。
>仕方なく堕ろした
>迷惑を掛けたくなくて(誰に?)堕ろした
重千代さんの書き込みを読んで今更ながら気が付いたのですが、最終的には堕胎も放火殺人も
キャシーが自らの意志で決めて行ったことなんですよ。つまり、堕胎もしなければ放火殺人も
しないことも選択できたわけです。少なくともいざやるとなれば放火殺人の方が堕胎よりも
心理的抵抗を強く感じそうなものですがね。まぁ急を要することではなかったのは確かですから、
いつでも思い直す余地はあったわけです。ましてや家事調停中だったわけですし。ただ重千代さんの
口振りだと、堕胎は放火殺人と同程度に悪いということを暗に前提としているような気がして
なりません。そしてキャシーは状況的に見て堕胎を強要されたに等しいと見なし、夫の不倫に関して
関知すらしていなかった妻が言ったとされる一言を楯にこの上放火殺人を犯しても無理はないとは、
一体どんな論理の飛躍でしょうか?
652
:
無精髭
:2009/12/31(木) 08:56:51
時系列的に無理がありますが、例えばキャシーが師匠の妻に「家の旦那とヤって出来た子ども
なんて堕ろせよ。さもないとこんな風に毎日毎晩嫌がらせの電話を掛けてやるから」という感じで
堕胎を強要されていた場合は、「奥さん。あんたのやってることは言い過ぎを通り越して犯罪ですよ」
と言いたくなるくらいにはキャシーに同情もしますがね。でも、堕胎については本心ではしたく
なかったのでしょうけど、結局は、不倫相手に裏切られたも同然の現在の境遇と、父親のいない子ども
との慎ましい(?)将来の生活とを天秤に掛けた上で決断したことでしょう? これだけでも随分と
利己的だなぁと思うのですが、師匠の妻に「よく堕胎なんか出来るわね? このアバズレ」とか
言われたことに対して「あん? なんでそんなことアンタに言われなきゃならないんだよ。妊娠と
堕胎については私と師匠の間の問題であってアンタは関係ないだろ。」といった反応を示すようでは
私としてははっきり言ってお手上げ状態ですね。その時点でのキャシーには自分がしていたことを
胸に手を置いてよおーく省みる必要がありましたね。もとよりその場合、キャシーは妻からどんな
罵詈雑言を大量に吐かれようとも「こんなにひどいことを言わせてしまうくらい私や師匠は奥さんを
苦しめていたのね」と反省すべきなんじゃないですか? それだけのことを師匠とともにキャシーは
していたのですよ? 妻の言葉を額面どおりに受け取るのではなく、こんな突拍子もないことを言って
までキャシーを傷付けようとする妻の心境というものを推し量ることが出来れば、妻がキャシーに
言ったとされる暴言も取立てて言うほど酷い内容でもないと思いますがね。ことキャシーと妻の件で、
キャシーに同情して妻を非難する人の気持ちは私には解せないなぁ。
653
:
無精髭
:2009/12/31(木) 08:57:14
ましてや「本当は堕胎したくなかったのに…あいつのせいで」なんて発想が生まれる背景には
「不倫相手である師匠と結ばれて幸せな家庭を作る」という自惚れがまずあって、それが頓挫
したからこそ「本当は…したくなかったのに」なんて馬鹿なことが言えるのではありませんかねぇ。
「したくない」というのが本心だったらしなければよかったじゃないですか。そうじゃないでしょ。
本当は「したくなかった」んじゃなくて「『したくない』が『した方が好い』に勝った」んでしょ。
堕胎を人のせいにするくらいの気概があるなら産んで育てろよ、というのは言い過ぎですか?
仮に堕胎について「したくなかった」というのが本心だったとしても、出産については当然「したかった」
のでなければおかしいですよね。「堕胎したくもないし出産したくもない」というのは自家撞着と
言って好いですから。ではなぜキャシーは出産したかったのでしょう? 師匠とキャシーが売買春
を行っていたというのならそもそも出産はご法度でしょう。不倫関係内であるとはいえ強姦が行われた
とキャシーが見なすことが出来たとしても、無理やり孕まされた子どもを出産したいと思いますかね?
キャシーが堕胎を禁じる宗教にでもかぶれていたとか個人的に堕胎を殺人と同一視するような高潔な
心の持ち主だった(笑。だったら不倫なんてしないだろうな)とか言うのならともかく、そうでなければ
彼女なりの特別な理由があるにしろ、師匠との間に出来た子どもを持つことを彼女は望んでいたと
みるべきでしょう。つまり堕胎したくなかったというのは、裏を返せば妊娠したかったということでしょう。
私はキャシーのそういうところに、目的のために「子ども」を利用するしたたかさを感じますよ。
彼女にとっては「子ども」の命を尊重することなんか二の次で、終始「子ども」は師匠を自分の方へ
引き寄せるための道具としての扱いだったと考える方が私としてはしっくり来ます。結局私が言いたいのは、
キャシーのように世間からの同情が集まる立場の人間が本当に「したくなかった」のは「堕胎」ではなくて
「妊娠」であるべきでしたよねってことなんですが。
キャシーの願望が成就するには師匠の家庭の安寧を犠牲にしなければならないんですよ。その結果、
師匠の妻や子どもたちが傷付くんですよ。百歩譲って妻は大人だからお金で片が付くかも知れないけど、
子どもたちはどうなります? そういうことを考慮できずに何が「本来は」ですか? これは不倫や
略奪婚を肯定していることに変わりはないですから、この時点でキャシーの恨み辛みなど、どう解釈しても
社会的な正当性など見出せないもの、所詮は恋愛敗者の戯言、負け犬の遠吠えです。一生言ってろって
感じですね(笑)。
654
:
無精髭
:2009/12/31(木) 08:58:02
第一、キャシーの証言においては、師匠の妻は堕された子どものことを悪く言っているのではなく、
キャシーがそれを堕胎したことについて悪く言っているわけですよね。むしろ師匠の妻はキャシー
による堕胎を殺人と同一に見なすことで、逆に堕された(つまり殺された)子どもたちの命を尊重
しているように思われるのですけどね。。。
それをなんでキャシーは「私の子どもが侮辱された」なんて言う風に曲解したのでしょう?
更にはそれがエスカレートして、子どものためとかなんとか意味不明な理由をつけて師匠夫婦の子どもを
殺したのはなぜでしょう? 私が思うにその理由は、堕胎で死んだ子どもたちのためというよりは、
師匠の妻に堕胎を殺人と決め付けられたことが癪に障っただけではないでしょうか。師匠の妻については
元から良い印象を持っていたとは考えにくいですから、多分自分の行為(苦渋の決断ww)に対して
そういう相手からケチをつけられたのが我慢ならなかったのでしょう。
本音を言うと、私ゃあ、おっくさんのことなんか知りませんよ。重千代さんの書き込みに類した
ものを見かけると、決まって最初から子どもたちの視座が欠落していますから、それが非常に
残念ですね(親を悪く言われて喜ぶ子どもがいますか?)。例えば師匠夫婦のことをさんざん
悪く言っといて犠牲となったその子どもたちについてちゃっかし「ご冥福をお祈りいたします」
みたいに書ける神経の図太さには寒気を通り越して怖気がします。逆を言えば、死んだ子どもたちの
ことを案じているのだと表明しさえすれば、この事件について憶測を根拠に適当なことを言っても
多少は許される、と考えている人間には絶望せざるを得ません。おおっぴらに誹謗中傷したいのは
分かりますけど、体裁を取り繕うために死者を利用するのは如何なものかと。こういう人に限って
反論されずに賛同だけを得たいという下心が見え見えです。重千代さんもお気を付け下さい。
>650
早い話「堕胎を侮辱したのだから子どもを焼き殺された悲しみは甘受すべし」というのが重千代さんの
価値観なんでしょう。それにしても、何を根拠に「懲役5年が妥当」と仰っているのやら。キャシーは
子どもを焼き殺すつもりで火を付けたことを認めているのにね。
せっかく家事調停中だったのだから被害を訴えたければそこで言えばよかったでしょう。
結婚を餌に肉体を弄ばれたとか堕胎を迫られたとかこれらについて一方的に非難されたとか
いった理由で放火殺人は仕方ないという思考過程を平気で辿るような人はおっそろしいです。
655
:
重千代
:2009/12/31(木) 09:00:13
>重千代さんの視点には、完全に「何も過失がないのに焼き殺された子どもたち」
の部分が欠如しています。
「何の過失もないのに」堕胎によって殺された子ども2人は生まれる前ですからそういう意味で子どもではないと言われればそれまでですが、どちらも「何の過失もないのに子ども2人を失った」ことには違いないわけです。
それと、ここで私が言いたかったのはその上に書いたことで、望んでいないのにお願いされて堕胎し、さらにそのことで罵られたことです。「堕胎したくなかったのに堕胎させられて、お前は平気で堕胎するような女」とは言われたくないですよね。
656
:
無精髭
:2009/12/31(木) 09:21:27
>655
>どちらも「何の過失もないのに子ども2人を失ったこと」には違いない
上の発言、正気ですか?
>望んでいないのにお願いされて堕胎し、さらにそのことで罵られたこと
同一人物によるものではありませんよ?
657
:
重千代
:2009/12/31(木) 13:21:16
どちらも「何の過失もないのに子ども2人を失ったこと」には違いない
>上の発言、正気ですか?
正気です。子ども4人とも「何の過失もない」ということに関してはその通りですよね。ただ、前にも書きましたが、生まれてくる前の子どもは単なる胎児であり、意識もなく、堕胎によって死んだのと生まれてきた子どもが焼き殺されるというのはやはり同じ子どもであっても違う、と言われればそれまでです。ですが、キャシーはそうは考えなかったということでしょう。
>望んでいないのにお願いされて堕胎し、さらにそのことで罵られたこと
>同一人物によるものではありませんよ?
それは分かっています。ちゃんと読めば「師匠に〜と言われた」や「師匠の妻に〜と言われた」と私本人が書いていますから、別人物が言ったことは当然、分かっています。もし、同一人物が「お願いだから堕ろしてくれ」と言って、キャシーが堕ろした後に「お前は平気で堕胎する奴だ」と言ったら、そう言った奴はバカとか鬼とかでしょう。自分が望んでいないことを頼まれてやったのに、他の誰からもそのことで罵られたくはないですよね。
658
:
無精髭
:2009/12/31(木) 14:32:03
誰も子どもたちに過失があるとは言ってませんよ。別に焼き殺された子どもに過失はない
と主張しても、堕胎された子どもに過失があるということにはならないでしょう?
というか、重千代さんがなぜ過失の有無にこだわるのかがよく分からないのですが。
この点について一言だけ申し上げておきますと、ufloatさんが過失の有無を持ち出したのは
おそらく子どもに過失がないことを強調したかったからではなくて、キャシーと師匠による
過失が否定できないこと、要するにこれは子どもがどうこうという問題ではなく専ら大人たちの
責任だということですよ。特にキャシーに至っては、師匠と一緒になって妻(子どももね)を
騙していたにもかかわらず、その件でケチョンケチョンに言われたらお門違いに逆ギレして
「そんなこと言うんだったらあたしがお前の大事なものを奪ってやるよ。そうしたら私が失った
ものの大切さが嫌と言うほど分かるだろ」てな勢いで師匠夫婦の子どもたちを―――過失のない
子どもたちを!!焼き殺してしまったのですから、師匠よりも始末が悪い。
私が分からないのは、そこでなぜ重千代さんは話を堕ろされた子どもたちの方に持って行きたがる
のかと言うことなんですけど。。。たとえ私やufloatさんが堕ろされた胎児を社会通念上の
「子ども」と認めたとしても、だから何なのでしょう? しかもキャシーの証言を信じる限り、
師匠の妻は重千代さんと同意見ですよね? 何が仰りたいのだか、よく分からない。
自分の胎児について焼き殺された子どもたちと同等に見なすような価値観を持った人間がですよ、
性交の相手から頼まれたくらいで堕胎なんてしますか? 私はこの点について一度目二度目に
関わらず堕胎時点ではキャシーは堕ろした子どもに対して、師匠の妻が自分の子どもに対して
抱いていた感情を抱いていたとは信じられません。師匠の妻に罵詈雑言を浴びせられたことで
初めて「子ども」の命の価値を意識するようになったのではないでしょうか。私には、もはや
失われてしまった理想の残影にがむしゃらにしがみ付いた、という風にしか感じられませんけど。
重千代さんの仰るような生命観や子ども愛を持っている人にはどんな事情であれ、子どもを堕ろす
なんてことが出来るわけがない。けれど、事実キャシーは堕ろしたのですから、胎児や堕胎について
多くの人と大して変わらない認識しか持っていなかったと見るべきでしょう。
659
:
無精髭
:2009/12/31(木) 14:32:49
堕胎を罵られたくないというのは分かりました。確かにそうでしょう。ただでさえ不倫がバレて
決まりが悪い思いをしているのに、堕胎の件についても追い討ちを掛けて責められるのはおかしい
ですもんね。でも、それについてやんわりと言い返すならともかく、相手の子どもを焼き殺すなんて
暴挙に出たのはどうなんでしょうねぇ(苦笑)。第一、不倫しなければ堕胎を行う羽目になることも
なかったのですけどねw やなことがあっても不倫に関係することであるなら、そこのところは
じっと耐えなければならなかったでしょう。それと何度も言いますが、キャシーは家事調停中でした。
660
:
ufloat
:2009/12/31(木) 14:47:43
>>655
>「何の過失もないのに」堕胎によって殺された子ども2人は生まれる前ですからそういう意味で子どもではないと言われればそれまでですが、どちらも「何の過失もないのに子ども2人を失った」ことには違いないわけです。
>>657
>生まれてくる前の子どもは単なる胎児であり、意識もなく、堕胎によって死んだのと生まれてきた子どもが焼き殺されるというのはやはり同じ子どもであっても違う
何がどうしてこのような発想になるのでしょう。
胎児の価値がどうとかいうことは、本件の量刑には何の関係もありません。
仕方がないので、もう一度書いておきます。
「XはAと不倫関係にあり、2度も堕胎した。Aの妻のBはXを罵倒した。
怒ったXは(AやBを攻撃するでもなく、なぜか罪のない)CとDを殺害した」
こういうのを日本語で「八つ当たり」といいます。
XとAとBがどのようなケンカをしようが知ったことではありません。しかし、無関係の
CとDを殺害したことに関しては、Xに100%の責任を取ってもらうのは当然のことでしょう。
いくらXがAとBに冷たく扱われたとしても、CとD殺害の罪はいささかも軽くなりません。
CとDには何の関係もなく、ただの八つ当たりなのですから当然です。
これは仮に、堕胎を殺人として、堕胎の責任が100%相手にあっても同じです。
「AとBはXの子ども2人を殺害したが、罪に問われることはなかった。
怒ったXはAとBの子どもであるCとDを殺害した」
これでAやBを攻撃するならまだ同情の余地はありますが、CとDを殺害したわけです。
これでXが微罪で済むとしたら、罪もなく殺されたCとDの権利はどうなりますか。
「親がひどいやつなら、子どもは殺されて構わない」わけがありません。
つまり、「胎児の価値」など最初から論点にすらなり得ないのです。
>それと、ここで私が言いたかったのはその上に書いたことで、望んでいないのにお願いされて堕胎し、さらにそのことで罵られたことです。「堕胎したくなかったのに堕胎させられて、お前は平気で堕胎するような女」とは言われたくないですよね。
それは嫌でしょうが、なぜそれで「無関係で全く罪のない子ども2人を殺害しても懲役5年」
という理屈が出てくるのでしょう。子どもたちが堕胎させたり罵倒したでもあるまいし。
>>654
>早い話「堕胎を侮辱したのだから子どもを焼き殺された悲しみは甘受すべし」というのが重千代さんの
>価値観なんでしょう。
「あいつは私の壷を割った。だから私もあいつの壷を割ってやるのだ」程度の話なら
ともかく、その「悲しみ」を相手にも味わわせる「道具」として殺害された子どもたちが
納得しませんよね、こんな言い分では。
>例えば師匠夫婦のことをさんざん
>悪く言っといて犠牲となったその子どもたちについてちゃっかし「ご冥福をお祈りいたします」
>みたいに書ける神経の図太さには寒気を通り越して怖気がします。
全く同感です。
「犯人は(あまり)悪くない。悪いのは不倫野郎や暴言妻だ。
犠牲になった子どもたちのご冥福をお祈りします」
(誰とは申しませんが)過去ログにもそういう主張が散見されますが、
殺された子どもたちの権利は置き去りですか。八つ当たりで殺された上に
「犯人の罰は軽くすべき」と言われるのでは、まさに殺され損というものです。
冥福どころか、化けて出られても文句は言えないでしょう。
661
:
無精髭
:2009/12/31(木) 15:35:40
>どちらも「何の過失もないのに子ども2人を失ったこと」には違いない
上の発言は、師匠の妻、キャシー双方に「何の過失もない」ということを含意しているのですよね?
なわけないないじゃないですか(爆笑)。私は師匠と不倫した時点でキャシーにも過失大有りだと
思っているのですがね。そして、不倫関係上の性交・妊娠はその過失を更に重くするものでしょう。
加えて、堕胎するか否かについては、不倫を隠蔽・維持するかもう一段高い次元である関係に引き
上げるかという問題を孕むかと思うのですが、不倫を全く関知していない師匠やキャシーの関係者に
からしてみれば、堕胎は証拠隠滅に比し(つまり不倫関係の維持)、出産については裁判沙汰を
避けられないでしょうから、いずれにしろ周りに迷惑が掛かりますわな(不倫がバレなきゃ実質的には
迷惑がかからないという感想をお持ちですか??)。
ということで、私が「正気か?」と申し上げたことに対して、
>子ども4人とも「何の過失もない」ということに関してはその通りですよね。
この返答は見当違いです。「師匠の妻とキャシーのどちらにも過失はない」という重千代さんの
ご主張に、「んなわけあるか」と私が申し上げたら、「子ども4人とも過失はない。ただ胎児と
生まれてきた子どもは人間としての扱われ方が異なる以上、前者の堕胎と後者の焼死は同じ人為的
なものであっても性質が異なると言われたら仕方ない。だが、キャシーはそう考えなかったらしい」
などというレスをお返しになるのはどういうご了見なのでしょう? 誰も子どものことなんか
お聞きしていないのに、、、論点のすり替え?
(・・・まったく大晦日っていうのになんでこんな話してるんだっ)
662
:
重千代
:2009/12/31(木) 15:48:00
AとBはCとDとは無関係ということで例にあげていますが、この事件のCとDはAとBの子どもですから無関係ではないです。だから「八つ当たり」とは言わないでしょう。「八つ当たり」というのはまったく関係のない人に対する暴力だと思います。CとDを焼き殺したのはAやBに対する復讐ですから本来ならAやBに対して暴力をふるうべきだったのだとは思いますが、世間一般で言うところの「八つ当たり」ではなく、どちらかと言うと関係があることから「復讐」ということなるかと思います。
>それは嫌でしょうが、なぜそれで「無関係で全く罪のない子ども2人を殺害しても懲役5年」
子ども2人はその夫婦の子どもでそういう意味では「無関係」ではないですね。ただ、子ども本人に殺される理由がまったくないという意味では「無関係」とも言えます。連日連夜?電話でたとえどんなことを言われようと耐えて事件を起こさないような強靭な精神の持ち主出ない限り、キャシーでなくても何らかの行動を起こしていたと思いますね。キャシーによれば罵られたことによって殺意が芽生えたということですから、彼女ひとりが悪いみたいなとらえ方はどうかなと思います。こういうことは量刑にも関係してきますから、妻がどのような罵り方をしたかは重要だと思います。録音はしていなかったようですから言った言わないの話になってしまいますが、、、。「懲役5年」には何の根拠もないです。ただ、これくらいが妥当かなと単に思っただけですね。
663
:
重千代
:2009/12/31(木) 16:01:45
>「師匠の妻とキャシーのどちらにも過失はない」という重千代さんのご主張に
そんなこと言っていませんし、そんなあるわけがありません。だから、この人たちの過失を言っているとはハナから思っていません。誰かが「何の過失もないのに子ども2人を失ったこと」と主語が抜けたことを書いていたので、子ども自身の過失?と思って、子ども4人とも「何の過失もない」ということに関してはその通りですよね。と確認するような書き込みをしたわけです。
664
:
無精髭
:2009/12/31(木) 16:48:43
>そんなこと言っていませんし、そんなあるわけがありません。
その件については単に重千代さんの書き方が不適切だったのが原因。
>この事件のCとDはAとBの子どもですから無関係ではないです。
うん。確かに厳密に言ったらそうなんですけど、その理屈だとキャシーの父親や
NECの同僚も無関係とは言えませんよね。
>「八つ当たり」というのはまったく関係のない人に対する暴力だと思います。
身近な人間が「八つ当たり」をしている様を見たことはございませんか?
仕事のことでムシャクシャしている親父が妻や子どもに当り散らす、とか、
苛められっ子の兄が弟を苛めて憂さを晴らす、なんていうのは「八つ当たり」
とは言いませんか? これを「復讐」と言い換えたらどんなにおかしいかは
ご想像にお任せします。
重千代さんは「八つ当たり」の意味における「関係がない」ということを誤解
していらっしゃいますね。たとえCとDがAとBの子どもだったとしても、
AとBが関わっている事件に無関係であることは当然ありえますし、この事件に
おいてもそれは当てはまりますよ。
665
:
無精髭
:2009/12/31(木) 16:49:13
>子ども2人はその夫婦の子どもでそういう意味では「無関係」ではないですね。ただ、子ども本人に殺される理由がまったくないという意味では「無関係」とも言えます。
子ども本人に殺される理由がまったくない、と言い直すなら、どうしてわざわざ
夫婦の子どもということのみで彼らが事件と関係があるということを強調したのですか?
確認のために書いておきますが、私やufloatさんが言っているのは「事件が起きた
ことと関係があるか否か」ということです。私たちの問題意識においては師匠夫婦
の子どもたちは事件の被害者だから関係あるんだという主張すらナンセンスです。
あと、「八つ当たり」を「復讐」と言い換えたところで、それは語用論的な問題
であって、ufloatさんの仰りたいことの本質には何の影響もないでしょう。
ufloatさんの代わりに申しますが、もうちょっとマシな反論をお願いしますね(笑)。
>キャシーでなくても何らかの行動を起こしていたと思いますね。
だからそのためにはいくらでも合法的・平和的な手段があったろうに、と口を酸っぱく
して申し上げておるわけでございますが。。。事実、キャシーにしたって犯行に及ぶ前に
訴訟を起こしていますよね。
>妻がどのような罵り方をしたかは重要だと思います。
まっ、「生きた子供を平気でお腹から掻き出す人ような人なのよ、あなたは」以上のことは
言われていないでしょう。それ以上のことを言われていたら必ずキャシーは証言したでしょうね。
ただしそういうことも含めて、子どもの死について妻に非があるとは到底言えないというのが、
私やufloatさんの意見なのですがね。
まっ、重千代さんが法の裁きにご関心がないのは分かりましたよ。。。
666
:
重千代
:2009/12/31(木) 17:30:26
>その件については単に重千代さんの書き方が不適切だったのが原因。
いやあ、主語なしの文でどちらにも解釈できる書き方人が原因では?
>うん。確かに厳密に言ったらそうなんですけど、その理屈だとキャシーの父親や
NECの同僚も無関係とは言えませんよね。
うん。確かに厳密に言ったらそうなんですけど、キャシーの父親やNECの同僚は事件に直接関与していませんよね。
わざわざ出向いてその子どもであるCとDを殺すのを「八つ当たり」と言うんですか? 「復讐」でしょう。
>子ども本人に殺される理由がまったくない、と言い直すなら、どうしてわざわざ
夫婦の子どもということのみで彼らが事件と関係があるということを強調したのですか?
それはね、親子なのに「無関係」と言ったから「無関係」じゃないと訂正し、でも事件に関しては「無関係」だからそう言ったまでです。
>あと、「八つ当たり」を「復讐」と言い換えたところで、それは語用論的な問題
であって、ufloatさんの仰りたいことの本質には何の影響もないでしょう。
え? 「八つ当たり」という言葉を使うことによって、関係ない人を殺しているという印象がありますが、「復讐」にはそういう印象がありません。実際、その子どもを殺害、つまり「復讐」をしているわけです。本質的に何の影響もないわけではありません。その子どもを殺すのとまったく関係のない子どもを殺すのでは意味が違うのでは?
>だからそのためにはいくらでも合法的・平和的な手段があったろうに、と口を酸っぱく
して申し上げておるわけでございますが。。。事実、キャシーにしたって犯行に及ぶ前に
訴訟を起こしていますよね。
その通りですね。でも、それ以外の行動を起こしてしまったわけで、キャシーはそういう罵りに堪えられなかったし、他の人でも同じようにしたかもしれないと言ったのです。そのことに対し、まるで口酸っぱく言っているのに分かってもらえていないみたいな書き方するのはどうかなと思いますね。
>まっ、重千代さんが法の裁きにご関心がないのは分かりましたよ。。。
「懲役」とか「量刑」とかいう言葉を使ってはいます。そんなこと言われたくはないですね。
667
:
無精髭
:2009/12/31(木) 21:35:38
>いやあ、主語なしの文でどちらにも解釈できる書き方人が原因では?
私の方では既に問題の箇所を挙げておりますが、重千代さんは挙げて
いらっしゃいませんよね? 宜しかったら後学の為にご教示ください。
>キャシーの父親やNECの同僚は事件に直接関与していませんよね。
ええ。その理屈に変更くださるのであれば、焼き殺された子どもたちも
事件(の発生に)直接関与しているとはいえないですよ(笑)。しかし
ながら、おかげで重千代さんの論旨は大体把握することができました。
ところで「八つ当たり」という言い方がお気に召さなかったご様子。でもこの事件の場合、
それを「復讐」と言い換えたところでキャシーの罪が軽くなったり師匠の妻の責任が
重くなったりするのでしょうか? むしろufloatさんはキャシーの行動からそういう
印象を払拭して適正に裁断するためにあえて「八つ当たり」という言葉を使ったのだと
思いますけど。でも結局これはレトリックですから、ufloatさんの論旨の枢要とは
言えないと思います。ちなみに他の方も同じような表現を使っています。
>それはね、親子なのに「無関係」と言ったから「無関係」じゃないと訂正し、でも事件に関しては「無関係」だからそう言ったまでです。
そこは「寛容の原則」を通すべきです。重千代さんも後者の意味でufloatさんが
「無関係」という言葉を使っているのはご存知だったのではありませんか?
実はかくいう私も重千代さんが>655で大人の過失の有無についてではなく、子どもの
過失の有無について仰っているだろうということは、文脈からおおよその当りは付けて
おりましたけれども。「正気か?」などと、言い方が不適切だったかも知れません。
ご容赦ください。
668
:
無精髭
:2009/12/31(木) 21:38:29
>>復讐と八つ当たりについて
この事件の場合の「復讐」というのは、キャシーの主観の中で、堕胎で死んだ子どもの
無念を、堕胎を促し・堕胎を侮辱した夫婦の子どもを殺すことで晴らすという理由付けを
された上で取られた行動なので、本来は彼女が「自暴自棄」になってやってしまったこと、
というのが正しい気がします。つまり復讐の直接的対象は事件に無関係の子どもたちではなく、
師匠やその妻であるべきなのはお分かりでしょう。焼き殺された子どもたちはキャシーから
恨みを買うようなことはしていなかったのですから。
一方、師匠やその妻にとってはキャシーの犯行は他ならぬ自分たちへの復讐であった
という事実を知ることは、多少時間を要するかも知れませんが容易でしょう。
しかし復讐それ自体に様々な方法があるとは言え、「AにやられたことをAにやり返す」
という直接的報復と「AにやられたことをAにとって大切なBにやり返す」という間接的
報復とでは、それに関わる当事者の意識が異なっていることが推測されます。間接的報復
の場合、その対象であるAとBは、報復を受けることにより直接被害者と間接被害者に
分類されるとするなら、報復行為を名目に直接危害を加えられるBはそれがAへの復讐
であると気づくことが出来るでしょうか? Aが報復者にしたことに関する情報を知って
いなければきわめて困難であると言わざるを得ないでしょう。Aの方はどうでしょうか?
大切なBに危害を加えた者の行動に自分への報復の意図を読み込むことは可能でしょうか?
可能であるとすれば、それはBの被害を悲しむ自分の気持ちが加害者の意図によって引き
起こされたものであるとAが察することが出来るということですから、そのためには自分と
加害者との間に起きたことを丁寧に想起する必要があるでしょう。つまり逆を言えばAの
場合もBの場合も条件を満たさなければたとえ誰かから復讐を受けたとしてもそれが復讐
であると気づくことが出来ないということです。条件が満たされていない場合は、加害者
にとっては復讐であることが自明であるような行為について、AもBも自分から気づく
ことは出来ないでしょう。
上記をこの事件に当てはめて考えれば、焼き殺された子どもたちにとってはキャシーの
行為は復讐行為ではなく単なる「八つ当たり」だったというふうに私たちが捉えても
おかしくはないと思うのです。重千代さんがキャシーの視点に立って彼女の犯行を
「復讐」と解釈することが許されるなら、私やufloatさんが犠牲となった子供の視点に
立ってそれを「八つ当たり」と解釈することも許されていいのではないかと。犯行時の
キャシーの本心について実際のところが不明である以上、キャシーの証言を真に受ける
必要を私は感じません。
事件と直接関係のある者を殺すことと事件とまったく関係のない者を殺すことは異なった
言葉を宛がうべきかも知れませんが、事件に直接関係ないが事件関係者の家族だからという
理由で事件に巻き込まれてしまったケースは前の二つのケースと比べていささか曖昧ですから、
その分幅を持った表現を用いることが妥当です。それは複数の表現だけを用いることが
許される、またある程度曖昧な表現をすることが好ましいということです。でなければ
多様な観察事実に対応する自由な解釈は望むべくもないでしょう。
キャシーの犯行を内側から見れば「復讐」、外側から見れば「八つ当たり」としか映らない
わけで、これはやっぱり語用論的な問題ですよ。私も復讐観念を持っておりますけど、
この事件におけるキャシーの復讐観念については理解が及びません。はっきり言って
狂気の沙汰としか思えないです。
669
:
無精髭
:2009/12/31(木) 21:45:07
仮に夫の不倫に逆上した妻が復讐を考えた場合、以下の行動のうちどれをとることが適切(笑)でしょう。
(1)師匠を殺す
(2)キャシーを殺す
(3)師匠とキャシーを殺す
(4)キャシーの肉親を殺す
(5)自分も不倫する
たぶん重千代さんは(1)とお答えになるのではないかな。つまり不倫に関する一切のことについては
師匠に責任がある。少なくともキャシーが同程度悪いなんてことはありえない、と。(5)は冗談ですが、
これこそ本当の意味での復讐ではないかと考える人は要注意です。不倫した夫とキャシーに対して
妻がどこぞの誰かと不倫し返したところで、むしろ彼らにとっては都合が好いわけですから、全く
復讐になりませんよね。
師匠の妻に非があるとすれば、キャシーが中絶していなかったとして、師匠の妻が耳を塞ぎたく
なるような暴言を吐いたことが引き金となってキャシーが流産してしまった場合しか私には考えられません。
670
:
無精髭(今日はこれでラストね)
:2009/12/31(木) 21:46:03
もしかすると重千代さんは不倫による被害と言うのを軽視していはしませんか? 少なくとも
言葉による暴力、電話による嫌がらせよりは軽いなどとお思いなのではありませんか?
この事件について言えば、師匠の妻は旦那と縒りが戻ったのだから、被害なんて微々たるものだ
というわけにはいかないんですよ。少し注意して考えれば、まだ幼い子どもに対しても師匠や
キャシーは不実を働いていたとさえ解釈可能ですし、キャシーの肉親についても娘が不倫して
いることを知れば、何かと心配の種でしょう。後から見れば、妻の行動がやたら目立ってしまった
ようで、まるで不倫の被害者は妻一人ということになっているかの観がありますけど、それは全く違います。
要するにキャシーは師匠夫婦の子どもたちを殺したというよりは、自分のした不倫の被害者
とも言うべき子どもたちを殺したことになるのです。自分だって不倫の被害者なんだという
間違った信念を抱きつつ。個人的にはこんな人間を簡単に許すことは出来ないですね。
>でも、それ以外の行動を起こしてしまったわけで、キャシーはそういう罵りに堪えられなかったし、他の人でも同じようにしたかもしれないと言ったのです。
感性?価値観?の違いなのかな。私としては、キャシーの行動や思考が他の人々にとって珍しい
ものであろうがなかろうがそんなこととは無関係に、不倫のいざこざに関わっていない子どもを
巻き込んだりしちゃだめだろ、と思うのですが。こんなの日ごろから肝に銘じておくべきことでは
ありませんか? なぜに重千代さんの口からはキャシーは師匠の妻の暴言を耐えなければいけなかった、
という言葉が出てこないのでしょう? それだけですね、本当に私が申し上げたいのは。
言葉の暴力や嫌がらせ電話があったくらいで、この事件に関して師匠の妻の責任を追及したり
キャシーに対して情状酌量をするのはどうかなという思いが強いです。この点については
ご理解いただけないでしょうね。
ただ一つ考慮していただきたいのは、妻も夫の不倫相手であったキャシーに対して「八つ当たり」
ではなく「復讐」しているわけです。この点には常に注意していただきたいものです。したがって
キャシーの犯行は正確に言うと「復讐」ではなく「復讐に対する復讐」ではないかと思います。
>「懲役」とか「量刑」とかいう言葉を使ってはいます。そんなこと言われたくはないですね。
根拠レスなことをお書きになったようだからちょいと反論したまでです。法律や裁判にご興味が
おありならufloatさんとはその方面で議論されてはいかがですか? 私は「不倫は悪である
としか言えないのではないか」という道徳上の問題の方が気になって仕方がないですから、
「懲役」とか「量刑」とかいった言葉を用いて思索を進める気にはどうもなれません。
671
:
重千代
:2009/12/31(木) 22:41:06
「八つ当たり」を「復讐」と言い換えたところで、それは語用論的な問題であって、ufloatさんの仰りたいことの本質には何の影響もないでしょう。
と書いておきながら「復讐と八つ当たり」について長々と説明しているのはこれらの言葉についてこだわりをもっているからではないでしょうか?
私は頭が悪いので、668に書いてある「復讐と八つ当たり」に関しては理解できないです。
私の話はこれで終わります。反論されてもかまいませんが、それについては反論しませんのでよろしくお願いします。
年末だというのにつまらない書き込みにお付き合いしていただきありがとうございます。
672
:
紫煙狼
:2010/01/01(金) 01:45:47
なんだか、非常に興味深いお話をしていらっしゃったんですね。参加できなくて残念でした。
「八つ当たり」と「復讐」に関しては特に今までになく掘り下げられた感があります。
何らかの害を受けた者が、害を与えた者に対し、痛みを味あわせることが「復讐」ですね。
何らかの害を受けた者が、お門違いな方向にに対し、痛みを味あわせれば「八つ当たり」ですね。
つまり、この二つは同時に成立し得るものではないですか?だから
>「八つ当たり」を「復讐」と言い換えたところで、それは語用論的な問題であって、
>ufloatさんの仰りたいことの本質には何の影響もないでしょう。
と言えるのだと思います。
私が重千代さんを「教祖」や「神」のごとく崇拝していて、重千代さんなしには生きていかれないほど
心酔していた。私にとって親兄弟家族恋人などとは比較にならないくらい重千代さんが大切な存在で
あった…として、私に恨みを持つ何者かが、私の精神的破滅を目論んで重千代さんを殺害した。
この何者かは間違いなく「復讐した」わけですね。ただ、この一連の流れの中で殺害される重千代さんは、
自分が殺される理由を「復讐」と見るか「八つ当たり」と見るか。当事者を主体と見るか、被害者を主体と
見るかで「言い回し」は変わりますが「事実に変わりはない」のではないでしょうか?
親の犯した犯罪のせいで子が職業選択や婚姻に一定の制限を受けるのは、現在の日本ではあまり珍しくない
話なのですが、これは本来あってはならないことですよね?子は子で一個人として平等に尊重されなければ
ならず、親がどのような罪人であっても、子の素行・人間性に問題がない限り、等しく基本的人権が尊重
されなければ法の下の平等に反します。これは法の精神以前に、人としての尊厳、知的生命体のモラルを
問われる問題です。
従って、焼死した二人に対し「師匠と妻の子だから標的とされるのは仕方がない」とか「師匠と妻の子どもを
殺すことも復讐としてはアリ」あまつさえ「師匠と妻の子供である限り無関係ではない」と結論するのは
知恵の回る者であれば避けたいところなのですが、おそらく重千代さんもそのあたりは重々承知の上で、
敢えてこのような無茶を言わずにはいられないほどのショックをこの事件に感じられたのでしょうね。
ただ…。
私はたった一つだけ
>これほどひどい言い方ではないにしろそれに近いようなことを言ったんだと思います。
と信じる根拠は教えていただきたかったと思います。ここに関してはキャシー側と妻側では証言が食い違って
いる上に、今では事実関係の解明が無理な部分なので、両者に公平であろうと思うのであれば、この部分の
有無を何らかの判断の基準に持ち込むのは不公平極まりなく「あった」とするのも「なかった」とするのも、
既に何らかの偏重があることを示すものですから、この偏重を正当化するためには事実関係を推量するに
十分な根拠が提示される必要があると思います。
伺えなくて残念です。
673
:
紫煙狼
:2010/01/01(金) 01:59:26
それから…。
重千代さんの主張を可能な限り鵜呑みに承諾するとしても、被害の程度を加害者の
意思によって限定しえない「放火」という方法を用いた犯人に対し
>懲役5年くらいが妥当な線だと思いますね。
と思ってしまうところは、是非とも認識を改められるように強く要望いたします。
現住建造物放火殺人は無差別テロでしかありません。どのような事情を酌みしても
無差別テロに対して懲役5年という結論はあってはならない。その点だけは
再考し猛省すべきです。
674
:
ufloat
:2010/01/01(金) 07:05:51
> 私の話はこれで終わります。反論されてもかまいませんが、それについては反論しませんのでよろしくお願いします。
以前にも見た気がするパターンですね。「デジャ・ヴ」というやつでしょうか。
とりあえず、私の意図を繊細に補足してくださった無精髭さんへのお礼の意味も込めて、
一筆書いておきましょうか。
>>666
> それはね、親子なのに「無関係」と言ったから「無関係」じゃないと訂正し
そりゃどうも。しかし、これは到底「訂正」などといえたものではなく、
私の真意を汲んでくださった無精髭さんは「こんなもの訂正と呼べる代物ではない」と
おっしゃりたかったのではありませんかね。
>>670
>> 「懲役」とか「量刑」とかいう言葉を使ってはいます。そんなこと言われたくはないですね。
> 根拠レスなことをお書きになったようだからちょいと反論したまでです。法律や裁判にご興味が
> おありならufloatさんとはその方面で議論されてはいかがですか?
いや、その方面で議論をするのは構いませんが、
> 「懲役」とか「量刑」とかいう言葉を使ってはいます。そんなこと言われたくはないですね。
とおっしゃっていながら、量刑の根拠として
> 「懲役5年」には何の根拠もないです。ただ、これくらいが妥当かなと単に思っただけですね。
などと主張されている方とは、いくら無知で法についてド素人の私が相手であっても、
議論するどころではないのではありますまいか。
>復讐 or 八つ当たり
犯人にとっては、不倫相手と妻(真偽は不明だが、犯人は暴言を吐いたと主張している)
の子を殺すのは「不倫相手」と「暴言妻」への復讐のつもりであったかもしれませんし、
本事件について知った人が、犯人の行為は復讐であると主張なさるのも結構。
それでは、この犯人が不倫相手とその妻に行った行為が復讐であるとして、
この犯人が被害者たる子どもたちに行った行為は何でしょう。
どう考えても「虐殺」以外の何者でもありません。間違っても復讐であるわけがありません。
子ども2人を虐殺して懲役5年などとは、そんなバカな話があるわけないでしょう。
> 「懲役」とか「量刑」とかいう言葉を使ってはいます。そんなこと言われたくはないですね。
などとおっしゃっていますが、子どもたちに対する虐殺行為(+ 周囲に与えた公共の危険)の責任を
裁くのが我が国の法律であって、被害者に復讐されるいわれなどないわけですから、
「これは復讐だから懲役5年」なんてふざけた判決は絶対にあり得ません。
これが「不倫相手の大切な道具を破壊した」などであれば、「犯人 -> 不倫相手」の加害の図式が
成り立つので情状酌量もあるかもしれませんが、日本の殺人罪は「犯人 -> 被害者」の加害を
裁くものであって、この図式に「親」なんざ出てこないので(子どもは親の所有物ではない)、
復讐だから罪を軽くすべきなどといった珍妙な話が出てくるわけがないのです。
無論、法に関する話を度外視するならそれもありかもしれませんが、無精髭さんの
> まっ、重千代さんが法の裁きにご関心がないのは分かりましたよ。。。
これに対して「法なんかより、〜といった問題が重要と思っています」などと返答されていれば
まだそちらの方向で話を進めることができる余地はあったところを、
> そんなこと言われたくはないですね。
と返答されつつ、日本国の法律で認められるわけもない復讐だのという珍妙な話を持ち出し、
懲役5年などの主張をなさって「量刑とかの言葉を使ってはいる」などと言われましては、
これはもう、さすがにあきれる以外に反応しようがないです。
>>673
紫煙狼さんのおっしゃりたいことは百も承知していますが、あえて言わせていただけば、
「ある日、突如として知らない人が目の前に現れ、ガソリンを撒き散らして火をつけた。
傍らにいた弟がまず火達磨になり、そして自分も炎に包まれ、全身を焼かれながら力尽きた。
ところが近頃、私たちを焼き殺した犯人は懲役5年でいいなどと言い出す人が現れた」
このような話ですから、仮に公共の危険がなかったとしても、懲役5年なんて言い分は
再考すべきですね。重千代さんはこのように殺されても平気なのかもしれませんが、
私は嫌です。どうして自分に無関係の問題で殺され、しかも自分に無関係な問題のせいで
「自分らを殺害した」という行為の責任さえ軽くなることが許されましょうか。
それで、ここまで書けば大体お分かりになるかと思いますが、私が以前に雑談スレッドで書いた駄文
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1047995308/2632-2633
は、本件のようなケースを念頭に置いているものです。
675
:
ゴムテツ
:2010/01/01(金) 12:43:41
無精髭さん、それに紫煙狼さん、ufloatさんも、論点ずれまくりですよ。
書けば書くほど、貴殿達の賢さは現われますが、無理解ぶりも著しいです。
自分の主張を考えるより前に、
重千代さんの言わんとしていることを理解しなくちゃ。
そりゃ無学かもしれないし、言葉足らずでしょうけど。
前にも同じ様な書き込みもありましたが、やはり理解されていなかった。
残念です。
676
:
Ken
:2010/01/01(金) 16:37:13
いや、だから論点て何さ。キャシーの量刑として無期懲役が妥当かどうかじゃないの?重千代さんはキャシーには相当酌むべき事由があるから無期懲役は重過ぎる、5年くらいが妥当、それ以外の人はキャシーには情状酌量される余地はあまりないから無期懲役は重すぎるとはいえない、という感じでしょ。重千代さんのあいまいな書き方の点に関して途中でやや脱線してますけど、それ以外は普通に議論が成り立ってると思いますよ。
>>662
連日連夜?電話でたとえどんなことを言われようと耐えて事件を起こさないような強靭な精神の持ち主出ない限り、キャシーでなくても何らかの行動を起こしていたと思いますね。
>>666
でも、それ以外の行動を起こしてしまったわけで、キャシーはそういう罵りに堪えられなかったし、他の人でも同じようにしたかもしれないと言ったのです。
いや、そんなことないって。連日連夜同じ人物から電話がかかってきて参ってしまうってよくあることですよ。私も過去に二度ほど。でも、それでいちいち相手の子どもをぶち殺してたら世間はものすごく混乱しちゃいます。だからこそ、この事件には厳罰が必要なわけです。
放火殺人で被害者二人というのは死刑になってもおかしくないわけで、無期懲役で済んだというのは情状酌量されたからでしょう。もうちょっと他の事件も見てみれば「懲役5年」というのは放火殺人の相場観から著しくかけ離れていることがわかるはずです。
あと、いつも書きますけど、書いたあとに読み返すのは大事ね。それで、自分の書いたのがどんな風に読めるのかチェック。そうじゃないと、どうでもいいようなことで話がどんどん脇にそれちゃうから。
>>「何の過失もないのに子ども2人を失った」
は主語が省略されてますけど、主語は「妻は」あるいは「キャシーは」しかありえないです。「(子どもたちは)子ども2人を失った」は日本語としておかしいです。
重千代さんの妊娠・中絶に関する認識が変だなあと。ふつう大人は、セックスしたら妊娠することがあること、結婚もせずに妊娠したら困ってしまうことを知っています。さらに、キャシーは一度実際にそれを経験したにも関わらず二度目の妊娠をするわけです。中絶手術も本人の同意がないと受けれらないです。ですから、妊娠・中絶に関してはキャシーにも相応の責任があります。
一方で、それは妻の預かり知らないところで起きたわけで、妻には責任が一切ないです。ですから、中絶手術の痛みを妻に負わせようとするのは八つ当たりであって復讐とは呼べないです。
妻に責任があるとしたら「暴言」に関してのみ。暴言に対する対応として世間一般で許容されるのは、暴言を返すとか、平手打ちにするとか、という程度であって、子どもを焼き殺すのはもってのほかです。
677
:
無精髭(明けましておめでとうございます)
:2010/01/03(日) 01:07:11
>私の話はこれで終わります。反論されてもかまいませんが、それについては反論しませんのでよろしくお願いします。
それは残念です。私の方では常時反論を受け付けておりますので、お気が変わりましたらいつでもどうぞ。
>>「八つ当たり」を「復讐」と言い換えたところで、それは語用論的な問題であって、ufloatさんの仰りたいことの本質には何の影響もないでしょう。
>
>と書いておきながら「復讐と八つ当たり」について長々と説明しているのはこれらの言葉についてこだわりをもっているからではないでしょうか?
もちろんこだわってます。ufloatさんにとっては瑣末な問題でも、重千代さんにとっては重要な問題だったのでしょう?
だからこそufloatさんの書き込みの骨子を無視してまで言葉遣いにこだわったのではありませんか? 事の次第は、
重千代さんが妙なこだわりを見せたから、それに対して私がこだわったと言うに過ぎません。ちなみに議論(?)が
横道に逸れたのはKenさんが仰るように、思わせぶりな書き込みをしたり瑣末なことにこだわった重千代さんが原因です。
しかも私の質問にろくすっぽ答えてくれないまま、議論(?)を打ち切ってしまわれたのには、開いた口が塞がりません。
あと、師匠の妻を批判することが「つまらない書き込み」なわけがありませんよ。書き方次第では師匠の妻を中傷する
おバカな輩を調子付かせて現在の師匠夫婦とその子どもたちの平穏をぶち壊してしまうかも知れないのですから。
下手をすればもっととんでもないことを引き起こすきっかけになるかも知れないのです。だから釈明も何もせずに
議論を放棄することは無責任とさえ言い得るのです。ログはいつまでも残り得るわけですから、例えば数年後に
重千代さんの書き込みを読んだ人が開眼してしまうことだって完全には否定できないわけです。
どうやら重千代さんみたいな人には、>660において「八つ当たり」を「復讐」と言い換えたところで
その論旨に影響はない、ということを該当箇所を挙げて説明する必要がありそうですね。
>「XはAと不倫関係にあり、2度も堕胎した。Aの妻のBはXを罵倒した。
>怒ったXは(AやBを攻撃するでもなく、なぜか罪のない)CとDを殺害した」
>こういうのを日本語で「八つ当たり」といいます。
上記「八つ当たり」を「復讐」と言い換えても、「こういうのを日本語で〜といいます」が
「(AやBを攻撃するでもなく、なぜか罪のない)CとDを殺害した」に掛かっていたのが、
「XはAと不倫関係にあり、2度も堕胎した。Aの妻のBはXを罵倒した」に掛かるというだけです。
「XとAとBがどのようなケンカをしようが知ったことではありません」以下の文章との関係で
考えれば、言い換え後、急に「(AやBを攻撃するでもなく、なぜか罪のない)CとDを殺害した」
に対する言及に切り替わることになるわけですから、ややちくはぐな印象を持たれるかも知れ
ませんが、その後論者の姿勢は貫徹されているわけですから、語用論的な意味で論旨展開に
無理が生じているとも言えないでしょう。ただし
>CとDには何の関係もなく、ただの八つ当たりなのですから当然です。
ここも「復讐」と言い換えなければならないとすれば、語用論的に無理が生じるかも知れません。
とはいえ「ただの」と修飾されているのを考慮すれば、「無意味な復讐」という意味に読み替える
こともできますから、あながちそうとも言い切れない気もしますが。ましてや
>これでXが微罪で済むとしたら、罪もなく殺されたCとDの権利はどうなりますか。
>「親がひどいやつなら、子どもは殺されて構わない」わけがありません。
>つまり、「胎児の価値」など最初から論点にすらなり得ないのです。
ここが>660の論旨にとって一番の要だと思うのですが、ここでは「復讐」とか「八つ当たり」
とかいった言葉が出てきません。しかし、この文章を読むに付け、子どもたちが殺されたことを
的確に言い表す言葉として、「復讐」より「八つ当たり」が相応しいとされていることは明らかです。
注意していただきたいのは、ここより前の文章で否定されている「復讐」とは「目的が子ども
である場合」のそれであって、重千代さんご執心の「目的が親である場合」のそれではない
ということです。(ただ、こう言われるだけでは全くお分かりにならないかも知れませんので、
後に詳述したいと思います。)
678
:
無精髭
:2010/01/03(日) 01:09:01
言葉の印象というのは言論の本質に影響することなどないです。レトリックとロジックは両立し得ますからね。
「八つ当たり」と「復讐」は語義が違うので、表現としてどちらを使うかによって言論の印象は変わるでしょう。
しかし、あくまで表現の一手段として言葉が選ばれる限りは、言論の本質に影響を与えるとまでは参りません。
師匠に堕胎を頼まれて・その妻に堕胎を侮辱されて、その腹いせ(子どもの無念を晴らす??)に師匠夫婦の
子どもを焼き殺したことをどう呼称するにしても、とどのつまりは価値判断によって選ばれるのですから別の
解釈も可能である点に留意しましょう。解釈が変われば呼称も変わるのは必然です。
死んだ胎児を弔うための放火殺人という行為について、死んだ胎児を弔うためというキャシーの理由付けが
彼女以外の人間にとっても自明なものであるとは言えないため、立場や見方を変える中でいくつもの解釈の
余地が生じても不思議はないという次第です。これが例えば「放火殺人」という事実について「絞殺そして
放火」という判断を下したり、本来、現住建造物等放火罪に当たる行為に非現住建造物等放火罪を適用した
場合は誤謬となりますが、目的・理由はそもそも事実判断に基くものではありませんし(「原因」と違うこと
に注意)、それらがはっきりしていないならば、事象について様々な憶測を招いてしまうのは避けられない
でしょう。キャシーですら「中絶で死んだ胎児=焼け死ぬ子ども」という価値判断に基いて凶行に及んだわけ
です。ちなみに重千代さんの解釈を信じる限り、キャシーは「中絶で胎児が殺された」と思っていたのか、
「堕胎を侮辱されたことで胎児も侮辱された」と思っていたのか、その点が曖昧です。前者が理由となって
いる場合、復讐の対象は師匠だけでありますから(だとしてもキャシーに責任がないわけではない)妻は
とばっちりを受けたことになり、後者が理由となっている場合は復讐の対象は妻だけでありますから今度は
師匠がとばっちりを受けたことになります。しかし後者に基いて相手の子どもを殺せばKenさんが仰るように
過剰報復と言わざるを得ませんから断じて許されるわけがありません。そして前者においてキャシーの責任が
否定できず、後者がそもそも論外である以上、仮に両方が復讐の理由になっているとすれば、それは狂気の
沙汰としか言えないと言う結論になります。(しかしながら前にも書いたように、キャシーが堕胎したことを
侮辱しても胎児を侮辱したことにはならないので、思考の推移や等価の図式については、キャシーが狂っているか
重千代さんが間違っているか、どちらかであると言わざるを得ません。)
「八つ当たり」や「復讐」という言葉が言論の本質に影響を与えるとすれば、言論の中でそれらの言葉の意味が
考察の対象となっている場合です。概念を分析したり綜合したりする際にはそれが言葉として元々持っていた
意味や使用例に着目しなければなりませんから、そういう考察対象に言及するならより厳密な言語使用が求め
られるのです。換言すれば、事実(辞書的な意味・慣用)と意見(定義・解釈)を明確に分けて論じる必要が
あるのです。
679
:
無精髭
:2010/01/03(日) 01:10:53
ufloatさんが終始仰っているのは、「ある者との間に揉め事があったとして、どんな理由付けをしようとも、
その揉め事とは関係のない者に危害を加えるのは間違っている」ということです。この事件にそれを当てはめるなら、
「堕胎しなければならなかったことと堕胎を責められたことを理由にして子どもを殺すなんて馬鹿げている」
ということになりますか。
それに対して重千代さんは「もしキャシーの言うとおり師匠の妻が罵詈雑言を浴びせたのが事実なら復讐されても仕方ない」
の一点張りでした。しかしながら仮に復讐心が芽生えるのを抑えられないのだとしても、方法や対象を選択することは
できるわけで、そういう意味でufloatさんは「キャシーが師匠夫婦に危害を加えたのならまだ話は分かるが」と譲歩されて
いたのにもかかわらず重千代さんが歩み寄る姿勢をお見せにならなかった以上は、キャシーが復讐方法やその対象に
放火殺人や不倫トラブルと無関係な子どもたちを選んだことを肯定するものだと断定されても仕方がないわけですよ。
そこで問題になるのはその肯定の仕方です。重千代さんが仰るように師匠とその妻の言動がキャシーの凶行の原因に
なったとして、復讐心の芽生えから犯罪計画の実行という流れが、(1)キャシーという特定の個人の場合にしか
起こりえなかったと主張されているのか―――つまりこの事件で子どもたちのような無関係な者が死ななければ
ならなかったのはキャシーが特別な人間だったからと仰っているのか―――、それとも(2)キャシー以外の多くの
者にも起こりえたと主張されているのか、ということですね。ところで、もし(2)のケースに重千代さんも含まれる
のであれば、そんな危ない人と議論なんかしている場合じゃありませんけどね(笑)。しかし、このbbsに書き込んで
来られた以上、それはありえないなと一応判断させていただきましたが。
重千代さんが(1)のように本件の復讐を肯定されている場合、その根拠はおそらくこうでしょう。
「あの時のキャシーの心理状態については師匠とその妻の言動によるストレスか何かで狂気に囚われて理性が
麻痺してしまっていたと捉えるべきだ。そうでなければなぜあんな馬鹿なことができたのか説明が付かない。
それは善悪を弁識する能力が極限まで減退していたと捉えるべき状態なのであり、正にそういう状態であったのが
事実であるならば刑法39条2項に基き最低限にまで減刑すべきだ」重千代さんが復讐そのものを肯定しているのでない
限り、こういう風に本件において復讐の発生が不可避であったと、やや遠回しな肯定をされているのだと解釈するのが
マナーと言うものでしょう。
680
:
無精髭
:2010/01/03(日) 01:11:34
(以下、本来「心神耗弱者」とすべきところをあえて曖昧に「狂人」と表記させていただきます。)
その妻の暴言について事実関係が明白でない以上(否、キャシーと師匠の間で交わされた言葉のやり取りについても、
先入観を払拭して見返せばまた違った解釈が出来るかと思いますが)、重千代さんの主張にはそれなりの説得力があります。
但し、Kenさんもご指摘されていますが、重千代さんは同じ条件下でならキャシー以外の者にも凶行の可能性はあったと
はっきりお書きになっているから、その言説においてキャシーを特殊な人間として扱う(1)のような復讐の(否定的な)
擁護が成立する余地はないはずです。「キャシー以外の者」と言う部分に「キャシー以外の狂人」という意味を込めて
用いていらっしゃるのであれば話は別ですが。しかしそうだとしたら、重千代さんの認識では、ネット上で誤解を招く
ような書き方をしてまで一々擁護して回らねばならぬほど世の中は狂人で溢れ返っている、ということになりますね。
また、その他の狂人たちがまるで示し合わせたかのように狂人キャシーと同じ行動を取るとも限りませんし。キャシーと
同様、善悪を弁識する能力が減退していたとしても、あくまで異なる人間である以上は、その他の狂人にとっても
キャシーの復讐までの経緯が自明であるとは限らないわけです。
さてそうなりますと、重千代さんが本件の復讐を肯定する仕方は(2)ということになるでしょうが、既にお書きした
ように「キャシー以外の多くの者」という部分が「キャシー以外の多くの狂人」を指すとはちょっと考えにくいので、
その部分に関しては余計な意味を付与したりせず字義通りに解釈すべきでしょう。すなわち「キャシーの立場に立てば、
キャシーが特別とは言えないくらいきっと多くの人(心身ともに健康で、平均的知性を持っている女性の多く)が
凶行に及んだことだろう」というのが重千代さんのご主張かと思われます。
それに対する私の意見については遠回しにお書きしたつもりだったのですが、どうも伝わらなかったようですね。
分かりやすく一言で返答しますと「うん。仮にそうだとしても、だから何?」に尽きます。こと犯罪行為に関すること
なのですから、いくら多くの人の内には何かあれば復讐心を抑えきれずに暴発してしまう傾向があるからと言って、
自分もそれに合わせる必要はありませんし、自分にその傾向があるのが否定できないとしてもそれを直したり抑えたり
できないと決まったわけでもありません。その点、重千代さんは私と反対の立場らしいですから、私は重千代さんの
ことを哀れみの意を込めてペシミストとお呼びしたいと思います。というか、多少なりとも共感の意味を込めて
キャシーの気持ちが分かる・彼女が復讐した理由も分かるとか言っている人たちは、今すぐ考えを改めた方が好いですよ。
681
:
無精髭
:2010/01/03(日) 01:12:02
>668に書いてある「復讐と八つ当たり」に関しては理解できないです。
仰るとおり分かりにくかったかも知れないですね。文章が下手なのは自覚しております。ただ文脈さえ掴めれば大して
難しい(他人に理解できないほど特殊な)ことは書いていないと思うのですが。内容の方は難しくないという証拠に、
紫煙狼さんの>672の前半部分「何らかの害を受けた者が、(中略)「事実に変わりはない」のではないでしょうか?」
(4行目〜16行目)は私が>668で書いたこととほぼ同じ内容を述べたものですが分かりやすいです。特に、11行目
から16行目までの文章は>668の見事な要約です。更には、ufloatさんは>674の「それでは、この犯人が不倫相手と
その妻に行った行為が復讐であるとして、この犯人が被害者たる子どもたちに行った行為は何でしょう。どう考えても
「虐殺」以外の何者でもありません。」という部分で、キャシーの犯行目的が曖昧なところを指摘しつつ複数の解釈が
成り立つということをお書きになっていますが、こちらも私の考えと共通しています。紫煙狼さんも復讐と八つ当たりは
同時に成立し得るものではないかとお書きになっていますし。しかもufloatさんは当初から「重千代さんの視点には、
完全に「何も過失がないのに焼き殺された子どもたち」の部分が欠如しています」(>650)とご指摘されているでは
ありませんか。
被害を受けた子どもたちにとってキャシーの行為が復讐となり得ないのは、それがあくまで「親への復讐」として認識
されるに止まるからであり、子どもたちが親の関わっているトラブルとは無縁の立場にある以上は、永久に「自分たち
への復讐」と認識されることはありえないのです。本件で焼き殺された子どもたちに限らず誰でもそうだと思いますが、
人から何か危害を加えられた場合、その目的が「自分への復讐」でなく「自分にとって親しい者への復讐」だったとしても
実際に危害を受けたのは他ならぬ自分なのだから、「自分が危害を受けたことで自分にとって親しい者が精神的に傷付く」
ということとは別に、実際に自分に加えられた危害の意味について新たに認識し直すことはむしろ自然なことでしょう。
つまり(間接的)報復者による間接的危害と直接的危害を別々の名前で呼んで区別することは、特に危害を受けた側の人
たちにとっては自分たちが各々暴力に対抗する権利を持ち、その範囲内でそれを行使することが許されている以上、
当然の要請でしょう。
つか、なんでキャシーにとって復讐であるというだけで、身に覚えもないことで子どもたちが焼き殺されたのが
「復讐」されたことにならなければならないのでしょう? キャシーにとっては子どもたちが焼き殺されたことに
師匠夫婦が「復讐」の意味を見出す必要があるんでしょうけど、じゃあ焼き殺された子どもたちは自分たちが焼き
殺されたことにどんな意味を見出せというのですか。キャシーははなっから子どもたちに対して自分の行為の意味を
用意していなかったか、「憎い夫婦の子どもだから憎い。だから殺してしまえ」くらいの真意はあったが余りにも
情けない理由なので話したくなかったのか、どちらかでしょう。いずれにせよ、キャシーの放火は子どもたちに
とっては無意味な暴力であることに変わりはないのです。こういう暴力に対し、「八つ当たり」と言おうが
「腹いせ」と言おうが「虐殺」と言おうが、率直に言って子どもたちの自由でしょう。重千代さんはその権利を
子どもたちから奪おうとしていることに気付くべきです。
682
:
無精髭
:2010/01/03(日) 01:13:41
せっかくですから>668を砕いて言うと、「俺が思うにキャシーが殺したいほど憎かったのは、本当は子どもじゃなくて
師匠夫婦なんだろ? でも、大人を殺すような力も度胸もなかったから仕方なしにその矛先を子どもに向けただけ
なんだろうな。まあ、こんなふうに考えたら、その呼び名については八つ当たりでも復讐でも好いやんけ」となります。
もう少し補足するなら「キャシーは、師匠による堕胎の強要(?)と妻による堕胎の侮辱(?)に対してあまりに腹が
立ったので、腹いせに奴らの子どもを殺してやろう、と考えたのだろう。でも子どもたちは事件とは無関係だから八つ
当たりだよな」というのが私やufloatさんの意見。
一方、重千代さんの意見は「師匠夫婦から不愉快な思いをした腹いせにその子どもたちを殺すのは八つ当たりではなく、
子を殺すことによる親への復讐というべきである」ということ。そこで私が「でもやっぱ子どもは事件とは無関係だから
その意味では八つ当たりだよな。その意味でも八つ当たりじゃないんだったら、子どもじゃなく師匠夫婦を殺すでしょ」
と反論したつもりです。おそらくこれに対する重千代さんの反論は「しかし焼き殺された子どもは師匠夫婦の子どもだから、
キャシーの場合それを殺せば復讐になる」という感じになるのではないでしょうか。全く以て不毛な議論ですね。
閑話休題。
>656で「同一人物によるものではありませんよ?」と私が申し上げたことに対して重千代さんは完全に意図を読み違えて
いらっしゃったようですなので解説いたします。私が申し上げたかったのは、「堕胎してくれ」と「堕胎するなんてバカ?」
の二つを一人の人間に言われたのならキャシーが混乱するのも無理はないが、それぞれ違う人間から言われたのならそれを
言った方の人間に対して感情の矛先を向けるべきで、言っていない人間に矛先を向けるのは間違っている、ということです。
要するに夫婦だからと言って、師匠の頼みを聞き入れざるを得なかったことから来る感情(怒りなのか悲しみなのかは
知りませんけど)を師匠の妻に向けるのはお門違いですし、師匠の妻が堕胎について暴言を吐いたことへの恨みを師匠に
向けるのも先と同様です。一緒くたにして恨みを増幅させんなよってことですね。
>「堕胎したくなかったのに堕胎させられて、お前は平気で堕胎するような女」とは言われたくないですよね。
>自分が望んでいないことを頼まれてやったのに、他の誰からもそのことで罵られたくはないですよね。
ああ。要は「事情も知らないくせに知ったようなこと抜かすな」と言いたいわけですか。でもだったら重千代さんも
同様の過ちを事件当事者に対して犯していることをまずは自覚しましょう。話はそれからです。
P.S. 重千代さんは、不倫も頼まれてやったとか言いそうでコワイw
683
:
無精髭
:2010/01/03(日) 01:14:47
>675
八つ当たりと復讐に関しては重千代さんが持ち出した論点だから、この点で議論が横道に逸れたとすれば重千代さんのせい
でしょう。私やufloatさんや紫煙狼さんは重千代さんとは異質な主張を展開しているわけで、しかも重千代さんの主張には
賛同できるところが皆無であるどころか認めたくないところばかりですから歩み寄ろうにも歩み寄れず、結果として議論が
かみ合わないという事態になるのは致し方ないでしょう。それを傍から見た人にすれば、どちらの主張に肩入れして解釈
するかによって、もう一方の側の主張に対して「論点ずれまくり」と感じてしまうのは当たり前です。私やufloatさんの
立場からすれば、重千代さんのレスも「論点ずれまくり」であると言えるでしょう。まあ客観的な見方をすれば、
どちらにもそれ相応の道理というものを見つけることは出来るんじゃないですかね? 尤も私は自分の考えを度外視しても
重千代さんの考えには賛同できそうにありませんがね。あと、そんな重千代さんの主張であれ、ある程度は理解している
からこそ賛成とか反対とか言えるのですよ。
>前にも同じ様な書き込みもありましたが、やはり理解されていなかった。
どの書き込みのことですか? 分かるような分からないような。ただね、少なくとも私はufloatさんや紫煙狼さんやKenさん
と比べてメチャクチャ長くて読みづらい文章を投稿していますけど、確か過去ログにて私と同じような意見を簡潔明瞭に
書いている人が結構いたはずですよ。にもかかわらず重千代さんのような書き込みをする人は絶えないわけですから、
そういう人たちからすれば私が考えているようなことって理解しづらい考えなのでしょうね。まあお互い様と言うことで。
ところでゴムテツさんは重千代さんの真意を汲んでいらっしゃるようだから、代わりに議論に参加していただければ幸甚です。
議論したい(互いの主張を戦わせたい)わけではなく、ただ自分の主張にある程度理解と賛意を示して欲しいと仰るのなら、
重千代さんの考えには賛同できそうにないとは申しましたが、決してその用意がないわけではありません。>626で
>かと言って、きゃちいさんのように被害者批判をする者を排除したいというわけでもなく、矛盾していると
>言われれば矛盾しているのですが。先述した道徳的な問題とは別に、自分とは違う感覚を持った人がどのように
>それを言葉で伝えてくれるかということに興味がありますので。私にも実感できるように伝えてもらえるのであれば
>とても素晴らしいことです。
と書いた通りでございます。ただし表現の仕方にはくれぐれも気を付けて頂きたいです。そのことに関しては一言二言
突っ込むことがあるかも知れません。
「自分の主張を考えるより前に、重千代さんの言わんとしていることを理解しなくちゃ。」と仰ったことについては
確かにその通りだと思いますし、これまで私もそうしているつもりでいたのですが、ゴムテツさんから見れば全然
そうなってはいなかったのですね。ゴムテツさんが本当に残念だと感じていらっしゃるのであれば、私のような出来の悪い
生徒にも重千代さんとの議論で一体何がどう間違っていたのかをきちんとお教え下さるものと信じております。
684
:
ufloat
:2010/01/03(日) 10:30:27
>>675
ゴムテツさんのお考えになる論点とは一体何なのでしょうか。
この話はまず重千代さんの「懲役5年くらいが妥当」という問題提起から始まって、
重千代さんが議論拒否宣言をなさるまで続いているわけです。
ゴムテツさんは「いや、量刑問題など無関係。論点は別にある」と主張なさるかも
しれませんが、無精髭さんが
>重千代さんが法の裁きにご関心がないのは分かりましたよ。。。
と一種の「助け舟」を出されたことに対し、重千代さんが
>「懲役」とか「量刑」とかいう言葉を使ってはいます。そんなこと言われたくはないですね。
と返した以上、ゴムテツさんのお考えはどうあれ、重千代さんとの議論の中では、
少なくとも「量刑」の論点が否定されなかったことは明らかでしょう。
ここで「その通り。懲役5年は全くのたとえ話で、私がしたいのは別の議論だ」
と重千代さんがご返答なさっていたなら、まだ話は違うのですが。
>>677
>ややちくはぐな印象を〜
すみません、分かりづらかったでしょうか。だからこそKenさんのおっしゃる通り、
十分読み返すのが重要なのですが、推敲・訂正が甘かったようです。
それはともかく、本件に関しては、2賢者と1バカ、それにKenさんを加えた4者で
要点を統一するのは簡単ですが、あえて各者異なる問題点を指摘しているのが面白いですね。
少なくとも私は半分意図的にやっていたので、他の方もそうではないかと。
・無精髭さん
不倫を行ったのは犯人の側にも相応の責任があるし、関係を持った末に堕胎に至ったのも同様。
「合意の上での不倫の末、堕胎したことに関する相手側の責任」と「相手の子2人を焼き殺す行為の責任」が
等価であろうわけがない。
・私
親の間でいかなるいさかいがあっても、何の罪もない子に矛先を向ける行為は
理不尽かつ非道な殺人以外の何者でもない。肯定されることはあり得ない。
・紫煙狼さん
そもそも妻が暴言を吐いたというのは、犯人がそう言っているに過ぎないわけだし、
やった証拠はない。妻の責任を指摘するなら、暴言があったと信じるに足る理由を出すべき。
それから、危険性の高い放火殺人は何があっても許されざるものだ。
・Kenさん
不倫や堕胎に関しては、妻には何一つとして責任を負うべき事情はない。
仮に妻が暴言を吐いていたとしても、それで子2人を殺そうとするのは逆恨みでしかない。
これだけの要点が、何ら矛盾なくすべて成立してしまうわけです。
ゴムテツさんは分かっておられるようですが、重千代さんの主張なさっていた論点とは
一体何なのでしょう。いくら重千代さんの考えを理解しようと努力してみても、これらの要点に
すべて矛盾せず成立するような仮説を、私はただの一つとして出すことができませんでした。
ぜひともご教授をお願いします。
685
:
ufloat
:2010/01/03(日) 11:36:43
さて、ここからは全くもって蛇足なのですが、少しばかり補足を。
私の主張に次のような疑問を持たれた方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれません
(事実、紫煙狼さんやKenさんがその後に書き込まれた記事には、この部分の論点を
補足する内容が含まれています)。
1.どうして妻が暴言を吐いたことを前提としているのか。
2.妻が暴言を吐いたからといって、妻に不倫、堕胎その他の責任はないのに、どうして
「A(不倫相手)やB(その妻)を攻撃するならまだ同情の余地がある」と主張するのか。
まず1に関しては、私はそもそも「何があっても無関係の子を攻撃する道理はない」
という立場ですので、以下のような不毛な議論が発生することを嫌ったためです。
「そもそも妻が暴言を吐いた証拠がない」
「しかし、犯人が放火殺人にまで至った以上、暴言はあったと考えるのが妥当だ」
「なぜ妥当なのか。決め付けではないか」
「そうでなければ放火殺人まで起こすわけがない」
「なぜ放火殺人から暴言を推測できるのか」
「暴言がなければ放火殺人はあり得ないからだ」
この意味不明な堂々巡りを回避するために、「暴言があった」という最悪のケースを
仮定した上で、「仮にそうであっても子どもを焼き殺す理由はない」と主張した
までで、妻が暴言を吐いた事実を是認・肯定する意図は一切ありません。
次に2。上記の理屈から行けば、上記のようなタイプの「あった」側の主張は
「暴言がなかったなら放火殺人など発生するわけがない。
すなわち、放火殺人に至るまでには暴言があったと推測される」
とでもなりましょうが、言うまでもなくすさまじい価値観です。
暴言と放火殺人は普通は結びつかないわけで、仮にこのような思考回路の人が
大半であれば、日本では各地で連日「のろし」が確認されることでしょう。
しかし、「暴言 -> 放火殺人」が結びつく人に対し、必死でそうでないことを
訴えてもやはり堂々巡りですので、あえて「妻への攻撃はまだ分かる」が
「子どもに攻撃するのは許されない」と私の本筋の主張をしたわけです。
ちなみに「攻撃」といっても、暴言に慰謝料を求める、悪質なら被害届けを出す、
といった合法的なやり方や、侮辱で返す、ひっぱたくといった非合法ながら
悪質性の低い方法もあるのは、無精髭さんやKenさんがおっしゃっている通りです。
686
:
CとD
:2010/01/03(日) 16:26:09
無精髭様のおっしゃることは100%正しいです。誰が何と言おうとまちがいはありません。よ〜く読んでください。おかしいと感じるところや矛盾していると感じる個所があると思われるかもしれませんが、それは気のせいです。もう一度、ちゃんと彼が書いたものを隅から隅まで何度も読み返してみましょう。ね、彼が正しいことがお分かりになりでしょう。彼の書いたことはいつだって正しいんです!間違いはないんです!分かってもらえない方のためにあえて書いてみました。よろしくお願いしましゅー。
687
:
無精髭
:2010/01/03(日) 22:47:08
>686
ここ一連の書き込みの流れを追っている者として、>686さんの投稿からはゴムテツさんの文章と同じか
それ以上に唐突な印象を受けたため、非常に失礼ながら初見の際、一体何を書いていらっしゃるのかが
よく理解できませんでした。元い、>686の読解に際して頭の中が混乱してしまいました。私は>677-683において
自分なりに重千代さんの論旨にかなり接近した上で批判を展開したつもりでいましたから、>686さんは私がそこで
ある程度重千代さんの考えに理解を示していることを指して「無精髭様のおっしゃることは100%正しいです」
とお書きになったのであろうかと思った位です。つまり、「誰が何と言おうとまちがいはありません」以下の
文章は、私の方では反対(というか拒絶)したとは言え、そういう姿勢を正当化するために一定の理解を示さざる
を得なかった(論拠も示さずにただ反対したのでは議論に参加する資格があるとは言えないですから)当の
重千代さんの考えについて言及されたものではあるまいかと一寸の間、勘違いしてしまったほど、頭の中が
混乱いたしました次第です。>686では私の名前は冒頭で一度しか出て来ておりませんし、その後三度出てくる
「彼」というのが重千代さんを指している可能性が否定できなかったことが原因なのですが(重千代さんの
性別などこの際どうでも好いでしょう)、もちろん当方の勘違いで宜しいのですよね? 万が一そうでなかった
場合、重千代さんの名誉(?)の為に書かせていただきますが、私が批判せずともufloatさんその他の諸賢が
お書きになったことだけで重千代さんの論旨が完璧でありえないのは証明されているように思われます。
ですから重千代さんの書き込みについて「おかしいと感じるところや矛盾していると感じる個所があると思われる」
のは、あながち「気のせい」とも言えないのではないかと思います。私は重千代さんを批判する文章を書く上で
何度も重千代さんの文章を参照いたしましたが、読めば読むほど重千代さんの考えが正しいことが自明になる
どころか、議論に望む態度や論旨展開、果ては倫理観に至るまでこりゃ間違っているぞという思いが強く
ならざるを得ませんでした。彼の良心の居所が全く掴めなかったのです。
ですから、「彼の書いたことはいつだって正しい」といった過大な評価は、却って重千代さんの主張における
本当の値打ちを下げることになるのではないかと危惧いたします。重千代さんの言い分にだって、盗人にも
三分の理ではありませんが、蟻の鼻糞ほどの道理もないとは言えないでしょう(私が気付かないと言うだけで)。
意図的にではないにしろ、それを>686さんは一掃するに等しいことをなさっているわけですから、繰り返しますが、
重千代さんの名誉の為に、そういう過大評価は控えていただきたいなぁ、と思います。「分かってもらえない方」
―――つまり重千代さんのためにあえてお書きになるのなら、重千代さんやゴムテツさんと同様、>686さんも
論拠を明示する必要があります。現時点では前のお二方も論拠と呼べるようなものを明示されておりませんが。
参考にした記事
ほめ殺し
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BB%E3%82%81%E6%AE%BA%E3%81%97
>誹謗中傷ならば侮辱や名誉毀損で訴えることもできるが、形の上では「賞賛」しているため、
>訴えることもできないという攻撃対象者にとっては嫌味以外の何物でもない政治手法である。
688
:
無精髭
:2010/01/03(日) 22:48:02
>687に書いたことが全て私の杞憂でしたら>686は私に関して言及されたものでしょうから、仮にそうである
ことを念頭に、改めて以下の通りお返事を書かせていただきます。
>686
この度は小生の愚考にご賛同いただきまして、誠にありがとうございます。正直申して、この身に余るほどの
栄誉でございます。ちなみに愚考と申しましたのは、私を含めこのスレッドに書き込んでいらっしゃる方々は、
本件において被害者を批判することは妥当か否かという非常にデリケートな問題も同時に扱っておりますので、
それに対して私なりに一所懸命に考えを巡らせているのですが、一向に要領を得ない書き込みしか出来ないので
歯痒く思っている気持ちを表したものです。
しかしながら折角のお言葉ですが、たとえこのBBSにおいても私がいつも正しいことを言うわけはありません。
>686には「おかしいと感じるところや矛盾していると感じる個所があると思われるかもしれませんが」という記述も
見えることですし、>686さんもどうかそれを単なる「気のせい」と思わず、何か私の論旨に違和感を感じましたら
ご遠慮なくお知らせいただきたく存じます(笑)。むしろ私が他者に求めているのは理由なき賛同ではなく、一言で
言って、問題意識を共有してくれることです。私が取り組んでいる問題を一緒に考えていただきさえすれば、
私の考えに賛成するか反対するかなど私にとっては実に些細なことなのですよ。反論を望むといつも申しているのは、
一般的に見て人は、反論する時の方が同意や擁護のために論じる時よりも論理的であろうとするからです。
私は自分の主張を通すために長文を書いているのではなく、自分の弱点を晒すために・批判を仰ぐために
省略できることをあえて省略せず、疑問に思ったことは一切合財自論に書き加えるようにしていて、その
ために文章が長くなるのです。つまり私の場合、物事の正否についての判断基準は最終的には他力本願
みたいなものなので、長文を投稿するのは、相手を威圧したりうんざりさせたりすることを狙ってのこと
ではなく、単に自信のなさの表れだと思っていただきたいです。
>686さんだけでなく、ufloatさんや紫煙狼さん、そしてKenさんも私の論旨におかしなところがあれば
遠慮なくご指摘いただければ幸甚です。
689
:
CとD
:2010/01/03(日) 23:02:57
無精髭様のおっしゃることは100%正しいです。誰が何と言おうとまちがいはありません。よ〜く読んでください。おかしいと感じるところや矛盾していると感じる個所があると思われるかもしれませんが、それは気のせいです。もう一度、ちゃんと無精髭様が書いたものを隅から隅まで何度も読み返してみましょう。ね、無精髭様が正しいことがお分かりになりでしょう。無精髭様の書いたことはいつだって正しいんです!間違いはないんです!分かってもらえない方のためにあえて書いてみました。よろしくお願いしましゅー。
690
:
マリア
:2010/01/09(土) 23:21:52
http://www.ohzora.co.jp/release/images/cover/reprint/081108/2633.jpg
この真ん中の人がキャシーですか?
691
:
ゼロ
:2010/01/10(日) 08:26:01
真ん中には2人いますが、鉄網格子越しに見えている伏し目がちの女性はいわゆる「セレブ妻」の「カオリン」です。夫バラバラ殺人事件の容疑者です。その下は言わなくても分かると思いますが、福田和子ですね。キャシーはたしか「身の毛もよだつ・・・」とかいうムック本に写真がでていたような気がします。違っていたらごめんなさい。
692
:
ゼロ
:2010/01/10(日) 10:54:36
訂正します。キャシーの写真は「身の毛もよだつ・・・」ではなく「隣の殺人者」という宝島社のムック本に掲載されていました。
693
:
無精髭
:2010/01/20(水) 22:53:43
「キャシーに焼き殺された6歳の女児と1歳の男児」さんの書き込みが気になって自分の文章を読み返していたのですが、
「おかしいと感じるところ」は分かりませんでしたが、「矛盾していると感じる個所」は確かにありました。
(瑣末なミスや要領の得ない説明の仕方、論旨の繰り返し、飛躍や省略や根拠不足のためにやや難解にならざるを
得なかった箇所などを除いて、あからさまに「おかしいと感じる」箇所は見つけられなかったのですが、、、)
>680
>その言説においてキャシーを特殊な人間として扱う(1)のような復讐の(否定的な)
>擁護が成立する余地はないはずです。
一応、括弧書きした意図(括弧の内と外とでは指示対象が異なる点)を汲んでいただきたかったのですが、ちと読み手の
想像力に頼りすぎましたかね。「復讐の(ある面、否定的な)擁護」とお書きすればお分かりになるでしょうか。
この部分は>679の「重千代さんが復讐そのものを肯定しているのでない限り、こういう風に本件において復讐の発生が
不可避であったと、やや遠回しな肯定をされているのだと解釈するのがマナーと言うものでしょう。」の一節を念頭に置き
ながら書いたものです。要するに「否定的な」と言うのは、>679中の「重千代さんが復讐そのものを肯定しているのでない限り」
を指しております。それを強めに言い換えると「重千代さんが復讐そのものを否定している限り」になろうかと思われ
ましたので、「復讐(そのものに対しては否定的な)擁護」という風に読まれることを期待してお書きしたのでした。
しかし、そうだったら「復讐の(消極的な)擁護」と書けばよかったではないか、と思われた方がいるかも知れません。
もしかしたら>679を読まれた方の中にも、上記「肯定しているのでない限り」を「否定している限り」と言い換える
ことには無理がある、なぜなら「肯定も否定もしていない」という状態があり得るから、という感想を懐かれた方が
いらっしゃったのではないでしょうか。こういった違和感を消すためにも「消極的」と書いた方が適切だったのかも
知れません。
ただ、「消極的」という言葉を使うことによる文の伝わりやすさを犠牲にして他の語を選んだのにも相応の理由がありまして、
それは、重千代さんは「本件において復讐の発生が不可避であった」という認識に固執している点で、この復讐を特殊な
事例として擁護しているとも言えるが、「復讐そのもの」は否定している、ということを強調したかったからでした。
今から思えば、先方が復讐そのものを否定しているなどと断定できるような根拠は全くなく、むしろ「自分も同じように
されたら何をするか分からない」と仰るくらいの御仁なのだから、復讐そのものも肯定していると推測すべきだったのかも
知れません。先方に対して、「復讐の(否定的な)擁護」という表現で私なりに気を遣ったつもりだったのですが、
誰の目から見ても失敗だったのでしょうね。
以上、申し上げましたような点については指摘されれば注釈が可能なのですが、私の文章における表現上の不味さや
非論理性については、私の文章や論旨全体に亘る特徴かと思われますので、もし違和感を感じられた方がいてその旨を
訴えられたとしても、こちらとしてはこれを矯正するのは非常に難しい。こういった欠点なり怠慢なりを埋め合わせる
かのように、読み手に対して、文法的観点から見ても必要以上の読解力を求めているという点で、尋常でない負担を
掛けているかと思われます。この点については認めざるを得ないです。(と言いつつも投稿を止める気はない。)
追記:「おかしいと感じるところ」もあった。。。
>668
>それは複数の表現だけを用いることが許される、
一見「だけ」が不要かと思われますが、たった一つの表現でその全てを処理(理解)
することが出来ないということ―――対象となるそれを、一つの事象・一つの意味に
固定させるような表現を用いることはむしろ許されないということを申し上げたかった
んですね(笑)。
694
:
通りすがり
:2010/02/02(火) 21:46:09
この無精髭って男?
詭弁と屁理屈、あげくには反論に馬鹿にするような返事。
女性の本音と建前を知らない人だね。
なんかまさに女の敵みたいな人。
695
:
無精髭
:2010/02/02(火) 23:13:03
>>694
師匠の妻は女ではないのですか?
696
:
東京リーマン
:2010/02/03(水) 01:10:10
>>694
はこっから来てわざわざ発言ですかね?
日野不倫OL放火殺人事件☆15
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/archives/1261805185/
554 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2010/02/02(火) 21:40:20 ID:XQfkwZFg
ここで言うシンパと、同じことを無精髭というコテが連投して延々一人語りしてる掲示板よ
>>553
矛盾を矛盾とも気付かず、延々と持論を繰り広げてる。
ここまでくると、相当この夫婦にシンパ感じてると思う。気持ち悪いくらいだよ。
私は奥さん批判を一切したことがないけど、北村も可哀相だと意見を述べたことがある。
あのコテはそれすら切り捨てるほどのある意味女の敵。
697
:
Ken
:2010/02/03(水) 14:31:33
髭さんの人気に嫉妬w
髭さんの切り返し(というかまぜっ返し)が全く理解されてないことに絶望w
698
:
ufloat
:2010/02/03(水) 19:48:58
犯罪加害者に同情したら
「普通の人間は同情しないぞ、良心が腐ったヤツめ」
と言われ、
犯罪加害者に同情しなかったら
「矛盾を矛盾とも気付かぬ、気持ち悪い被害者シンパ」
と言われ、
無精髭さんも大変ですね。
699
:
紫煙狼
:2010/02/03(水) 22:29:07
あちらの板は知的レベルの高い常識人が敢えて愚か者を演じ、「誰が最優秀演技賞を勝ち取るか」
「誰が一番本当のバカに近いバカを具現して見せたか」を競うところですから、髭さんの文章を
理解できるなんて知的レベルの高さを誇示しようものならノミネート選外ですもの。
あちらでは、分かっていても理解できないフリをするのが「格好良い」のだと思いますね。
まさに文化の違いでしょう。
にしても…髭さん本当に人気あるなぁ。僕はちょっと寂しい(笑)
700
:
Ken
:2010/02/04(木) 13:19:35
いや、紫煙狼さんはまだましですよ。名前は少なくとも出てくる。Ufloatさんの名前さえ出てくるのに、紫煙狼さんに次いで古参の私が一切無視されるって...:-(
701
:
Sub
:2010/02/05(金) 01:34:41
こちらに来て何していくと思いきや、議論もせずに言い逃げですか。
情けないですなあ…。(笑)
まあ議論して勝てないのがわかっているんでしょうな。お気の毒に。
逃げていく気持ちは分からなくもないですけどね。
感情的で論理性がないようなので。
702
:
ufloat
:2010/02/05(金) 05:42:23
やった、ついにKenさんに勝った!
>感情的で論理性がないようなので。
ギクッ!
えーと、その、私も「何の罪もないのに焼き殺された幼子2人」に関して
感情的にならず、できるだけ感情を排して論理性重視で論を唱えて
いたならば、圧倒的人気の無精髭さんには無理でも、
紫煙狼さんになら勝てたかもなあ、と(笑)。
703
:
無精髭
:2010/02/06(土) 08:02:24
2chの書き込みと無限回廊bbsの書き込みの違いは
次の点にありますね。すなわち、私も紫煙狼さんも
ufloatさんもKenさんも、ここで何を書いたかを
リアルでも相手を選ばずに話せるのだけど、あちらの
住人の大半にはどうやらそれが無理っぽいことw
704
:
Ken
:2010/02/06(土) 14:27:40
なるほど。確かにあの調子で面と向かってコミュニケートしてたらちょっと怖いですね。
705
:
Sub
:2010/02/07(日) 17:03:27
2ちゃんも夫婦避難派の原住民が、たまに来る異論派を叩き出すというやり方で
ごく少数の人間のみでまわしているんだと思いますけどね。
議論の域に達していないように見えます。あと言葉使いが下品すぎますね。
706
:
泰子
:2010/03/29(月) 22:35:09
グーグルの画像検索でキャシーの名前を調べたら彼女が出てきたんですが・・・
彼女がキャシーなのでしょうか?
http://images.google.co.jp/imglanding?q=%E5%8C%97%E6%9D%91%E6%9C%89%E7%B4%80%E6%81%B5&imgurl=http://www.nazoo.org/distress/anatahan1.jpg&imgrefurl=http://yomi.mobi/read.cgi/changi/changi_ms_1225927513&usg=__DOwEpOx4mG2Oh4A2llPp7E_NMIE=&h=222&w=172&sz=11&hl=ja&um=1&itbs=1&tbnid=_6YQDymno31kcM:&tbnh=107&tbnw=83&prev=/images%3Fq%3D%25E5%258C%2597%25E6%259D%2591%25E6%259C%2589%25E7%25B4%2580%25E6%2581%25B5%26um%3D1%26hl%3Dja%26safe%3Doff%26gbv%3D2%26tbs%3Disch:1&um=1&safe=off&gbv=2&tbs=isch:1&start=5
#tbnid=_6YQDymno31kcM&start=9
707
:
無精髭
:2010/03/29(月) 22:46:52
>706
それは通称「アナタハンの女王」と呼ばれた比嘉和子ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%82%BF%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6
708
:
ジジ
:2010/04/05(月) 05:18:40
こんばんは。
「八日目の蝉」をググったらここに来ました。
読むともなしに読んでいたのですが、ついつい皆さんの議論に引き込まれて、最後まで3時間かけて読ませていただきました。事件自体は、ほんとうに哀しくて心が苦しくなるようなものでしたが、そこから様々な人の意見交換がはじまって、それぞれ人の感じ方、捉え方が違うのが見えてくるのは、とても意味のあることだと思います。なので、あまり上手に書けるかどうかわからないのですが、私も意見や感じたことを残していきたいと思います。
私は女性で、不倫経験もある独身女性です。そんな私から見ても、Kさんはあまりに独善的で自己中心的だと感じました。罪もない幼い子どもたちの命を奪い、誰が巻き添えになるかもわからない放火という罪に対する判決は、無期懲役で妥当だと思います。(その理由は、様々な見解から完全にシェンさんにアグリーという感じです)いや本来なら死刑が妥当かもしれませんが、女性として母としての「本当の痛み」を考える時間を与えられたという、未熟さに対する情状酌量的な判決だったのではないかと感じています。
ですから、「女性は守られるべき存在」だからという観点で不倫相手のSさんこそ事件の原因とする方、「子どもを亡くした悲しみが生んだ復讐」として大幅に情状酌量すべきという方などには、賛同できません。
私は、一人の人間は「個」として扱われるべきであり、女性も子どももそうでなくてはならないと思います。そして、その「個」は大人として成熟したなら、自らの行動を律していく必要があると。ですから、どんなに甘言があったとしても、Sさんの人間性を見抜き、自らの過ちを悔いてまっとうな方法で立ち直る責任がKさんにはあった。そういうチャンスはたくさんあったはず。それなのに、ずるずると関係を続け、それがギリギリの段階になって爆発したのは、あまりに未熟すぎます。
強い情動に突き動かされ、相手の甘い言葉に惑わされて、不倫という苦い恋を経験した女性の多くは、様々な合法的な方法で、必死になって自らを立て直し、生き続けています。それが、間違ってしまった場合の大人の“ケリ”の付け方でしょう。「Sさんに会わなければこんなことしなかった」と言い続けている彼女からは、「社会が悪いから」という通り魔と同じ匂いを感じます。
また母性による復讐説も、すごく違和感を感じます。「二人を中絶した」その事実に対して、“自分”の辛さの方が大きくて、“子ども自身”の苦しみや悲しみに対する観点が欠けているように思えるからです。火事で亡くなった子どもたちは、それぞれが生きる「個」ではなく、彼らの「所有物」だった。だからこそ「この悲しみを彼らにも味合わせてやりたい」という復讐心がトリガーになったのではないかと思うのです。その時に、自分たちの子どもと同じ思いをさせてはいけない、という気持ちがあれば、こんな残酷なことはできなかったはずなのに…。
大人になってからの未熟さって、、始末におえない。もちろん、未熟でも「犯罪」には至らず、周りに迷惑をかけて生きている人はたくさんいるのでしょう。そうSさんのように。そうならないよう、いろんなものの見方や考え方に触れ、自分でも考えることが大切なのでしょうね。がんばりますー。
いきなりきて、長いスレすみません。
709
:
ジジ
:2010/04/05(月) 05:42:55
続けて失礼します。
ずっと拝見していて、女性の意見に多かったのが、Kさんが相手を傷つける方法として子どもを復讐の対象にしたことに対する賛同(私もあるかも、的な)が多かったように思いました。「自分も傷つけられたのだから、相手も傷つけられるべきだ」と考えてしまったのは仕方がない、というご意見ですね。
時々子どものいる女性と接すると「自分の所有物」という感覚がすごく強くてびっくりすることがあります。たぶん、子どもは自分の分身であり、自己実現であり、存在意義であり、、みたいなものが、もうDNA的に皮膚感覚として女性にはあるのだと思います。私はまだ子どもはいませんが、その感覚は想像できます。だからこそ、身を呈してまで愛情を注ぐという利点もあるのですが、、実はこれってすごくコワイ感覚なのかなとも思いました。自分に対する攻撃と、子どもに対する攻撃を混同する。相手に対しても同様に。それで、八つ当たりなのか復讐なのかといった話にもなるのでしょう。
子どもを「個」として理性的に見る知性が、母親には必要なのかもしれないですね。多分、私も子どもを持った時、「自分の一部」という感覚と、「いやいや別の個体だから」という感覚の中で揺れ動くのでしょう。その感覚が女性にデフォルトであることをご理解いただけると、理論的にがしがしお話を進められる男性の方々も、女性のちょっとヒステリックな意見にも対応できるのではないかと思いました。
これって時々自分の夫に対してもやる人いるんですよね。夫がえらくなると自分も偉くなったような(笑)。この自己同一視というか?ホント厄介です。でも、愛の一種でもあるのかな?ちょっと違う気もするけど。ちょっと脱線しましたが。
710
:
ami
:2010/04/12(月) 14:15:33
この事件は本当によく覚えています。人間に宿る業を感じますね。
この事件の経緯をよく調べましたが、確かに加害者が放火殺人にまで至った動機が分かる気がします。
彼女は、自分ではどうすることもできない怒りをぶつける場所がなかったのでしょう。
不倫女性は世の中に沢山いますが、彼女のように純粋で真面目な人が泥沼化すると危険です。
私も不倫経験がありますが、本当に駄目だとわかっても好きだと引き寄せられてしまうんです。
彼女は結婚を考える年齢でもあったので、自分が結婚できると希望を抱いたんでしょう。
それが完全に裏切られた。残った自分の体はボロボロ。そして愛した人までが、いまや
裁判で訴えてきた妻の味方になってしまった現実。想像すると胸が痛みます・・・
罪を償って牢屋から出てきたら、新しい人生を元気に過ごしてほしいです。
711
:
ami
:2010/04/12(月) 14:33:21
前述の記載間違えました。裁判で訴えたのは、加害者でした。
調停の最中に事件を起こしたようです。
原田(夫)は、加害者に電話で「君は卑怯だ」といったそうです。
お前が一番卑怯じゃないかい・・・?
ともあれ、この裁判にまで発展したことが、殺人を犯す一番の要因になったかと思われます。
712
:
ufloat
:2010/04/12(月) 23:53:14
切り口の違うお2人の書き込み、興味深く拝見させていただいております。
>>708-709
>「自分の所有物」という感覚が〜
確かに、これによるのではないかとみられる事件はありますね。通称「お受験」殺人だとか。
ただ、そういう考えの人はその考えなりに想像力を働かせるべきかと。
「自分の分身というほどかわいい我が子2人が、本人は何も悪いことをしていないのに、
父親なり親戚なりといった別人への恨みが原因で殺された。あなたは温情判決にすべきと言えるか」。
>>710-711
>本当に駄目だとわかっても好きだと引き寄せられてしまう
ここはひとまず理解するにしても、なぜそういったダメだと分かっていることをやって、
破綻すると予想できるはずのものが破綻して、それで幼子を焼き殺そうとするのか。
不倫などしているからには、つらい結末になることは分かりきっていたはずですし、
もし分かっていないなら、「純粋で真面目」どころか単なるお子様でしょう。
ジジさんが良いことおっしゃっていますので、お借りしておきます。
「自らの過ちを悔いてまっとうな方法で立ち直る責任がKさんにはあった。(中略)ずるずると関係を続け、それがギリギリの段階になって爆発したのは、あまりに未熟すぎます」
「不倫という苦い恋を経験した女性の多くは、様々な合法的な方法で、必死になって自らを立て直し、生き続けています。それが、間違ってしまった場合の大人の“ケリ”の付け方でしょう」
>それが完全に裏切られた。残った自分の体はボロボロ。そして愛した人までが〜
それならどうして裏切り者の不倫相手を殺害しないのでしょう。
もし不倫相手があまりにもひどい(ほとんどの人が殺意を抱いておかしくないような)
態度を取っており、それに耐えかねて加害者が「不倫相手を」殺害したのであれば、
この事件はもっと多くの同情が得られていたはずです。
私が以前から不思議なのは、加害者擁護論の大半に「殺された子どもたち」の視点がない点ですね。
「父親が不倫相手を傷つけた」なんて理由で殺されるのは、誰だって嫌ではないですか?
(それと、もう1つ不思議で仕方ないのは、本件を「加害者に同情する」か
「不倫相手に同情する」かの二者択一と考えている人がいるらしいこと。
「特にどちらにも同情しないが、子どもたちには同情する」という選択肢はどこでございましょう)
713
:
無精髭
:2010/04/13(火) 03:25:05
ジジさんとamiさんはともにキャシーの人間性に注目しておられるようですが、
恋愛感情や復讐心(八つ当たり)を「人間に宿る業」として認めるかどうか
と言う点でいくつか見解が相違しているようですね。
その中で私が気になったのは、ジジさんとamiさんとが同じような問題意識を
お持ちでいながら、当の問題にどのように対処すればいいかでどうやら異なった
態度を表明されていらっしゃるらしいということです。
少し詳しく書かせてもらいますと、愛する人のパーソナリティを自分の一部として
しまうこと、つまりナルシシズム的な恋愛感情の自然さについて、ジジさんは厄介、
amiさんは危険と仰るけど、それを純粋と見るか不純と見るかでお二人は異なって
いるわけです。ジジさんは、相手がいかなる他者であってもその人を「個」と見なす
理性を自分が持つことで件の感情表出について対処できるとお考えなわけでして、
それを踏まえた上で、愛を口実に一個の人格を無視して自己同一視を正当化するのは
むしろ不純であると主張されています。これに対して、amiさんは、恋愛感情の自然な
流れには誰しも抗いがたく、まして気がある人物からの誘惑に対する耐性に関しては
個人差があるという事実から、理性の力が及ばないほどの強さを持った感情というもの
があるのだと主張されているようです。おそらく、理性と感情のバランスを欠いた状態、
理性と感情が別個に存在している状態、理性よりも感情が強いことが恒常化している
状態等々を、心が純粋であることの証左であると仰っているとお見受けしました。
私見では、amiさんは純粋な心という一見自明そうでありながら、それは具体的にどんな
心的状態を指すのかと問われれば説明に窮してしまうような難物を、「子ども」に対する
世間一般の見方を参考にすることで明確なイメージを導き出していらっしゃるようで、
これが正しいとすると、キャシーは「大人になりきれていなかった子ども」ということ
になりそうです。
私見を述べさせていただくなら、amiさんが「業」と仰っている(と思われる)ものの
表出は理性で抑えられなくはないですから「業」とは言えないのではないでしょうか。
そもそも理性ではその発現が抑えられない本能的なもの、例えば三大欲求なんかが「業」
と言うにふさわしいのではないかと思っております(狭い意味での性欲は理性で抑え
られるかも知れませんが)。
ただ、人を好きになる、恋をするっていうのは大抵の人にとってはごく自然なことなのでしょうね。
しかもamiさんによれば、心が純粋であればあるほど恋愛感情は表出されやすいということらしいですね。
そういうことを踏まえますと、純粋無垢な心が恋愛感情を持ったとき道徳的理性が無力化するというのは、
感情が理性を圧倒したということに他ならないわけですから、とにもかくにも理性なき人への同情は
禁じえないという理性的な判断が人々の間で生まれてもおかしくはないですね。。。
また、それと対になって、実生活において理性で感情を抑えられない人の心は純粋であると言えるかも
しれないけれども、この事件について語る上で、理性よりも感情を優位に置く人の心は純粋じゃないの
だろうなーとかいった感想も出てくるでしょうねw 作為的であるか否か、意志が介入する余地があった
かどうかで純粋であるかどうかも変わるということですかね。
714
:
無精髭
:2010/04/13(火) 03:56:22
しかしながら、私には「純粋な人」というのがやっぱりよく飲み込めないです。この事件に則して
私の疑問を手っ取り早く言ってしまうと、理性で抑えられない感情の表出という点でキャシーの行為が
正当化ないし同情の対象とされるのなら、そのことは師匠の不埒な言動や妻の暴言(事実かどうかは
分からない)にも当てはまるはずですよね。なのに、キャシーを純粋な人だという人は大抵、師匠は
不純だし、妻はキャシーほどに純粋でないと考えているみたいなんですよ。私のような未熟者からしても、
キャシーと同じくらい、師匠も子どもに見えて仕方がないのですが。
また、別の見方をさせてもらいますと、師匠を結婚詐欺師と同じくらいに狡猾であると解釈することが
できるなら、師匠ほどではないにせよ、情事や妻との会話においてキャシーも打算的に行動したかも
知れないという可能性を見出すことはさほど難しくないはずなんですけどね。キャシーが殺人を犯した
ことや自分が付けた火が隣家へ燃え広がる可能性を認識できなかったということから、犯行に及ぶずっと
前からキャシーが打算的でなかった(純粋だった?)と推定することは率直に言って間違っていると
思いますよ。だいいち、人間関係において将来を見据えて自分の有利になるように行動できなかった
からと言って、その人に打算的に行動しようとする意思が全くなかったとは言えないでしょう。
自分では打算的に行動してきたつもりが、意思に反する結果となってしまったなんてことはよくあるので。
おそらくそれを他人が一連の行動過程を無視し結果だけをみて、理性的でない行動と判断するだけですね。
目的を遂行することに失敗してしまえば、その途中経過においては打算的であるとしか言えない言動であっても、
もはや打算的ではありえないことになる、というところでしょうか。それはそれですっきりとした魅力的な
考え方であることは否定しませんが、色々と反論を思いつくことができるので、やっぱり私は違うと思うなー。
ちなみに、>708-711を注意して読ませていただきますと、恋愛や心の取り扱いに関する見解
ばかりでなく、子どもに関する見解においてもジジさんとamiさんの違いが表れているようで
非常に興味深いと思いましたね。
ん?
>711にある「この裁判にまで発展したことが、殺人を犯す一番の要因になった」ってどういう
ことでしょうか。師匠の妻が訴訟を起こしたことがキャシーが殺人を犯す要因になったというのなら
分かりますが(事実とは異なりますが)、キャシーが自ら起こした訴訟が要因となって殺人を犯した
のなら、自業自得としか言えないんじゃぁ。。。でなければ、人を殺すための理由をわざわざ自分
から作り出したんじゃないかといった、身の毛立つほど恐ろしい発想が。。。
そうじゃなくて、何かが裁判にまで発展したってことが、キャシーが殺人を犯す一番の要因になった
ということを仰りたいのでしょうか。だとすれば、一体何が裁判にまで発展したのでしょう?
しかも、その発展した何かとは、おそらくキャシーの意思とは全然関わりがないのですよね?
715
:
無精髭
:2010/04/13(火) 04:11:30
>712
>(それと、もう1つ不思議で仕方ないのは、本件を「加害者に同情する」か
>「不倫相手に同情する」かの二者択一と考えている人がいるらしいこと。
>「特にどちらにも同情しないが、子どもたちには同情する」という選択肢はどこでございましょう)
子どもたちに同情しない人がいる背景にはたぶんこういう事情が絡んでいるのでは?
どこにでもあるような情事がこんな事件に発展してしまったのは、この事件の関係者が
揃いも揃って稀に見るバカだったからだ、と考える人が意外に多くいて、バカどもが起こした
バカな事件の被害者なんて、しょせんバカな夫婦によるバカな愛の営みから生まれたのだから
バカな子どもだったに決まっている、そんなバカな被害者に同情するのもバカな話だ、
などと吹聴していたりなんかして。
まぁ、「特にどちらにも同情しないし、関係者全員が非難されて当然」という人は
珍しくないと思いますけど、そういう人が更に過激になって、子どもを親の所有物
と見なすことを比喩以上の意味で捉え出してしまうと、深く考えもせずに「子ども
の犠牲は器物の損壊に比することができる」と思ってしまうみたいなんですね。
その人個人にとってはそれでもいいんでしょうけど、他人を評価するのにまで
そんな考えを持ち出してきてしまう必要性はない気がします。他人がどんな理由で
子どもを作ったのか、子どもに対してどういうふうに接しているかを論じることには
慎重にならなければなりませんよね。
ふと思ったのですが、自分の子どもをどういうふうに捉えればいいかということは、
たとえば臓器移植が必要な子どもを救うために両親がもう一人子どもを作ってその
臓器を用立てる、いわゆる救世主兄弟の問題とかにも繋がるんじゃないですかねぇ。
子どもを作る目的がどんなものであるかによっては、たとえ子どもをモノ扱い
することでも一概に悪いとは言えなくなるのではありませんかねぇ。
何はともあれ、事件後に縒りを戻して子どもを作った被害者夫婦を非難する人たち
の論旨は、なぜだか省略されすぎていて、よく分からないことが多いです。
表面上、見解の異なる者同士がお互いに言葉を尽くすことによって、自分にとって
自明であることが他人にとっては全く違うということに気づかされたときの驚きを
味わえるというのも、えも言われぬ議論の醍醐味だと思うのですが。
(実のところ、その人が子どもに同情しないのはジジさんが仰るように子どもを
モノとしてしか見ていないからなのかも知れませんねぇ。だけど、そうなると
事件後に縒りを戻して子どもを作った被害者夫婦を同じ理由で非難することは
言動不一致ということになりますよね。同じ人が、子どもに感情移入できない
ような認識を持っていて、なおかつ事件後の被害者夫婦の行動を非難している
なんてことはたとえストレス発散のための書き込みであっても馬鹿げたことに
変わりはありませんから、万に一つもありえないだろうとは思っておりますがね。)
716
:
ufloat
:2010/04/13(火) 20:23:51
>>715
無精髭さんが誤解されていないことは十分承知しておりますが、他の方々への
補足として、あえて揚げ足を取らせてください。
>子どもたちに同情しない人がいる〜
子どもたちに同情しないこと自体は、私は「あり」だと考えております。
私自身は子どもたちに同情しますが、あえてそれをしないのも選択肢の1つではあろうかと。
ちょうど無精髭さんが、「宮崎勤死刑執行」で「被害者に同情しない」とおっしゃったのと同じですね。
ただ、私がここで言いたかったのは、
「加害者、不倫相手、その妻、殺された子どもたち、その他様々な関係者の行動や態度、被害は、
それぞれ個別に(同情でも非難でも)評価されてよいし、そうすべきではないか」ということです。
要は、凶悪放火殺人犯を非難する人について、なぜか不倫相手に共感していると勝手に決め付けてしまう
(どちらに同情するかの二者択一)、特殊な思考回路の人々に対して疑問を呈したわけです。
>事件後に縒りを戻して子どもを作った被害者夫婦を非難
私、これが不思議で仕方ありません。
世の中、不倫をしている夫(妻)などいくらでもいるわけですが、それが妻(夫)に
バレた際、相手を許すも、離婚して慰謝料を取るも、当然ながら妻(夫)の勝手です。
「夫(妻)の不倫が発覚。しかし妻(夫)は耐えがたきを耐え、それを許す決断をした」
などという話、その辺の低俗ゴシップ誌や三流ドラマのお涙頂戴シーンにさえあふれているでしょう。
私が疑問なのは、世の中に五万と存在する「より戻し」夫婦に対しては批判を加えようともしないくせに、
たまたま不倫した相手が狂人で、夫婦の子どもを焼き殺した場合には、なぜか夫婦を批判する人。
>「子どもの犠牲は器物の損壊に比することができる」
ここ、ぜひとも加害者擁護の方にお伺いしたい点ですね。
「加害者の不倫相手(暴言を問題にする人はその妻も)は人間である。
いくら不倫相手を殺してやりたくても、人殺しはやってはいけない。
だから不倫相手が所有している器物(子どもたち)を代わりに破壊すればいい」
などという空恐ろしい想像さえしてしまいましたので、ぜひともこれを否定して欲しいです。
717
:
かもめ
:2010/04/14(水) 04:51:20
「八日目の蝉」から探して来ました。あれですらファンタジーだったのかと、
びっくりしています。
思い返してみれば私も、職場の既婚者の男性から、
師匠のようなことを言われたことがあります。
でも、まず既婚であると思っていたので、ご家庭の悩み(特にお相手の対人関係)
を聞くにとどまりました。
また、何の約束もしてない人と深い関係になりそうになったこともあるのですが、その時は
子供は産んでくれる親を選べないので不道徳なことをしてはいけない
といったような話をして、防止しました。
あまり理解がないのに意見して申し訳ありませんが、多分(古いですが)
「生涯の伴侶」「操を守る」「結婚前の娘さんに傷がついてはいけない」
などの基本的な倫理、
子供をまだ持っていない人は、
自分がその後生まれた子供だったらどうしよう
と、ことが起こる前に考えればよかったのではないでしょうか。
そしてここまで異常な状態になる前に、
第三者がその問題を聞いてあげればよかったんじゃないでしょうか。
そんなのわかってたら誰も苦労しないよという声が聞こえそうですが、
どうかしたら起こりそうな事件なだけに、私も気をつけ、
周りの人などそのようなことで悩んでいたら、できるだけ気づいて声をかけるようにしたいと思います。
718
:
無精髭
:2010/04/14(水) 06:35:03
>710-711
そうそう。amiさんにこれだけはお聞きしたかった。
キャシーが不倫の泥沼にはまり込んでしまい、結果的に殺人を犯してしまったのは、
自らの業の深さゆえとお考えなのでしょうか? それとも純粋で真面目な人だったから
とお考えなのでしょうか? このいずれでもないとすれば、amiさんの考えでは、業が
深いことと純粋で真面目であることとは同じことだとされているのでしょうか?
ウソを見抜けなかったり、
まぁ同じことかもしれませんが、簡単に騙されたり(誘惑に弱かったり)、
意志が弱く、自立心に欠け、人に言われるがままに行動してしまったり、
秩序や道徳を無視して自分の欲求の赴くままに行動したり、
まぁ同じことかもしれませんが、理性よりも感情に重きを置く姿勢を貫いたり、
善悪の区別が付かなかったり、などなど、
こういった性向を世間一般では「純粋さ」と呼んでいるのでしょうかねぇ。
キャシーを「純粋な人」と呼ぶ人はちょこちょこ見かけますけど、私には
キャシーのどこらへんが純粋なのかがイマイチ理解できませんねぇ。
いや、むしろキャシーを「純粋な人」と言う人が「純粋」という言葉を
どのように定義しているのかが全く分からないということこそ、
問題の本質なのでしょう。マジで教えていただきたい。
まぁ、それはともかくとして、キャシーが仮に純粋であったとしても、
それを強調することは少しもキャシーの擁護にはならないと思うのですがね。
というのも、キャシーが本当に純粋無垢であったとしても、それゆえに罪なき
幼子を二人も殺し、あまつさえ放火が甚大なる二次被害を生む可能性に思い至ら
なかった以上、その冷酷無情な純粋性は社会にとって有害でしかないということ
にならざるを得ないからです。つまり、法や道徳に依拠した観点から、純粋である
ことは悪いことだと言ってしまえばよいことになります。キャシーに同情する人や
キャシーを擁護する人が「純粋さ」という美辞麗句を活用することによって
結果的にキャシーに対する世間の見方(キャシーの社会的評価)が変わっても、
相変わらずキャシーは何を仕出かすかわからないようなキチガイというレッテルを
貼られ、頭の治療が終わるまでの間、牢屋に繋がれることになるでしょう。
純粋であることは責任回避のための免罪符にはならないわけで、結局は何らかの形
で責任を取らされる(割りを食わされる)のです。
これは蛇足ですが、仮にキャシー本人が刑事責任を免れたとしても、今度はそんな
手に余る純粋性をキャシーが持っているのはなぜだ、なんて疑問の声が上がりそう
ですね。つまり、キャシーが勉強や仕事はできたが、社交術において白痴だったのは
ひとえに親の教育が間違っていたからではないか、などといったような一種の犯人
探しが盛んに行われそうですね。
あとまぁ、繰り返して言うようですが、「純粋な人」というイメージを作り出すこと
によって、キャシーを擁護するだけならまだしも、更にその純粋な人をコテンパン
に痛めつけたということを理由に師匠や妻を非難する人は、純粋な人をコテンパン
に痛めつけたということが逆に師匠や妻の純粋性を証明しているということを失念
しています。言葉の意味が持つ普遍性に気づかずに危ない綱渡りをしているわけです。
定義のあいまいな純粋性によってキャシーを擁護できるのであれば、それと同じ理屈
によって師匠や妻にもあいまいな純粋性を見出すことができないはずはありません。
そして、本件は純粋な人たちが起こした悲劇なのだと言って片付けてしまうことに、
いったいどんな意味があるのでしょうか?
719
:
無精髭
:2010/04/14(水) 06:36:55
>716
白状しますと、私は事件が起きたのはキャシー、師匠、妻がそれぞれ前代未聞のバカっぷりを
余すところなく発揮したからではあるまいかという考えには少なからず共感しているところも
あるんですよ。ただ、彼らを3馬鹿トリオと呼ぶ人たちの言い分に共通して言えることは、
彼らのバカさ加減がどのように本件を有機的に構成し、事を最悪な結末へと一歩ずつ着実に
進展させていったかについての詳細な分析が全くと言っていいほど見当たらないことなんです。
あえて避けているのか何なのかは知りませんが、それが私には不満この上ないですね。極端な話、
「師匠は下半身でものを考えるようなバカ。そんなだめんずに惚れたキャシーも当然バカ。
そして、下半身バカと結婚した妻が別の意味でのバカであることはもちろんだが、彼女が
身の程知らずなキャシーとバカな男の取り合いをして、自分が劣勢と見るや前後不覚に陥り、
前代未聞なバカ発言をしてしまったとしても、何の不思議があろうぞ」といった程度の見解を
ここで披露したとしても、何も言わないに等しいと思いますし(バカという言葉の乱用・
同義語の頻出によって事件を画一化しているに過ぎない)、この事件についての新たな
見識を得ることは誰にもできないと思います。たとえばバカという人間に酷似した動物の生態を
解明することに関して、私たちはバカではなく人間だからバカの気持ちは分からないと匙を
投げたようなものですから。ちなみに、三人のうち誰か一人でも賢ければ、この事件は起き
なかったとか書く人がいますが、これもよく分かりません。こういうことを書く人はこの三人が
それぞれどうしようもないことを仕出かしたのを根拠に矯正不可能なまでにバカであることを
論っているわけで、そんなふうに事件当事者がバカであることを言い立てれば、同時に彼らに
対して「少しでも賢ければ…」などと想定したりすることに何の意味もなくなりますからね。
言い換えれば、常人を逸した三者のバカさ加減が事件発生のファクターとして三つ巴のように
絡まっていることを強調すればするほど、彼らに賢さの片鱗を見出そうとしたりする努力は
無駄だと言っていることになるわけです。
ところで、誰も擁護しないよとうそぶく人たちに限って、キャシーに対する非難よりも師匠や妻に
対する非難により大きなウェイトが置かれているように感じられるのは、私の勘違いですかね?
他にも、キャシーを擁護する発言には寛容なのに、師匠や妻を擁護する発言には排他的だったり
するんですよねぇ。で、被害者を叩いて犯罪者を擁護するなんてお前ら人間の屑だなというふうに
言われても、もし本当に自分が誰も擁護しない派だったらスルーすればいいだけのはずなのに、
大抵はスルーできないみたいなんですよ。おそらくキャシーが叩かれたからではなく自分が
叩かれたから、自分を擁護するために言い返すのでしょうが、事件関係者を擁護しないという
ことを徹底している人が、なんで自分を擁護しないということも徹底できないのかが不思議なんです。
そもそも事件関係者を擁護するということは、その事件に関して限られた情報しか持ち合わせて
いない第三者が、その事件を詳細に語るため・真実に近づくために、事件関係者の目を借りて
事件の経過を辿ったり、事件関係者の主張によく耳を傾けようという意図から彼と同じ立場に
立ったりすることに他ならないわけでしょう。そういったことを一切試みることなく、事件を
再構成、あるいは関係者の動向を客観視できるというんですからね! だったら、誰も擁護
しないイコール自分の意見にだけすがりつくというのは、第三者に求められる当然の倫理的要請
として今言った目的を完遂しなければならないことを考えると、非常に危うい姿勢だという気が
するのですが。この点について、あまりにも無神経な人が多すぎることに私は驚いていますよ。
誰に対しても同情しないよと言う人たちの多くが、キャシーを擁護する発言をしてさえいなければ、
被害者に対して自分勝手なことがいえるのだと勘違いしているのであれば、私たちは彼らが何らか
の秩序に基づいた良心から発言していると見なすことができなくなります。見方を変えればキャシー
が被害者で師匠夫婦が加害者とも言えるなどとのたまう過激な人もその事例に含まれるでしょう。
誰にも同情しない者がなぜ事件に並々ならぬ興味を持つのか(他人から指摘されればそれすら否定
しかねませんが)、彼らにはなぜそんな批判をする必要があるのかを無闇に分からなくさせなくても
いいものなのに。
720
:
無精髭
:2010/04/14(水) 06:37:30
「特殊な思考回路」云々に関しては禿同ですねぇ。私の場合も師匠の妻を擁護しているのはある種の
ポーズに過ぎないものがあって、私のレスをよく読んでくれる人には何となく分かるかと思うのですが、
私は自分が関与していない事件における人間関係について何か発言する際には、その人間関係をリアルに
感じるために必ずその中の誰か一人を選んで、その人の立場に立ってみて色々と考えを巡らすように
していますね。それが加害者擁護の人たちとか夫婦批判の人たちとかには全然分からないみたいなので
辟易していますよ。
重千代さんとのやり取りの辺りから、子どもたちを擁護するには無理やりにでも師匠の妻の立場に
立たなければならないのかなぁと感じるようになって来ましたよ。だいたい被害者が子どもで、
しかも不倫騒動とは直接は無関係だったためか、生前の被害者に関する情報が致命的なまでに
不足しているでしょう? だから、半ば補完的に子どもたちについて誰よりも詳しく、また同情的
でもあろう妻の立場というものに固執せざるを得ませんでしたね。
ですから、師匠の妻を擁護するのは子どもに感情移入するためで、便宜上やっているに過ぎない
ところが私にはありますね。本音を言うと、私は子どもに同情すること自体かなり困難(というか抵抗)
を感じていたのですが、妻が持つ被害者としての目線を利用することで幾分かすんなりと子どもについて
語れるようになりました。子どもたちも母親同様に不倫の被害者であるとかいった行き過ぎな観点を
事ある毎に私が強調するのは、私が子どもを被害者として見ることに実は抵抗を感じていて、それを
乗り越えるためにしているからなのかも知れないなと思い至りました。
そろそろ師匠の妻に同情するのにも飽きたので、今度は難易度が更に高い師匠にでも同情するとしますか(笑)。
前に書いたことですが、事件当事者の誰にも同情しない人は、人間関係の外部にとどまることで
一見公平で客観的な姿勢を保持しているように思われますが、実は事件当事者の誰に対しても
同じような評価しかできない立場に陥ることになりかねませんし、そういう自己本位な立場に立った
見解に固執しているがゆえに、ともすれば自分とは異なる心を持つだろう他者を自分が理解できる範囲で
矮小化してしまう危険性があります。誰にも同情しないと言うことがこの事件を語る上で何らかのポーズを示す、
よほどの道徳的な動機に支えられているのでない限り、底が浅い不毛な議論を繰り返すだけになるかと思われます。
ところで、私にも気になっていることがあるんです。それは、子どもたちに同情する人たちの中に、
子どもが殺されたことを親のせいにする人たちがいるってことですね。人によって、師匠の不埒な
言動のせいにしたり、妻の暴言のせいにしたり、またはその二人のせいにしたり、とさまざまですが、
こういう人たちが子どもたちに向ける感情って、他方で子どもたちの死に関しては殺したキャシーが
悪いに決まっていると主張する人たちが子どもたちへ向ける同情と同じものなのでしょうか?
非難の念と同情の念は表裏一体であるのだとすれば、たとえばキャシー非難派と師匠夫婦非難派とで
非難の内容が異なれば、同情の内容も異なるのが当然ではあるまいかと今のところ私は考えているのですが。
子どもたちへの同情から出発してキャシーへの非難に帰結するのはまぁ分かるのですが、
子どもたちへの同情から出発して師匠夫婦への非難に帰結するのはどういうことなのでしょう?
前者の場合、出発点である子どもたちへの同情が比較的明瞭であるという感じがするのに対し、
後者の場合、出発点である子どもたちへの同情が捉えどころのないものに感じられるのです。
721
:
紫煙狼
:2010/04/15(木) 00:46:22
>>710
>彼女のように純粋で真面目な人が泥沼化すると危険です。
うーん…彼女は本当に純粋で真面目な人だったのでしょうか。こういう言い方をすると手ひどく
叱られそうですが、純粋な人が純粋な気持ちのままで誰かを強く愛する、とした場合、その相手が
妻帯者であり、それでもその愛を貫こうと思うのであれば「日陰の女」を受け入れませんか?
一番でなくても構わない。妻になれなくても構わない。子供を持てなくても構わない。
ただ、ただ、その人と過ごす時間を持てるのであれば、いや、その人を影からでも見つめることが
出来るのであれば、それだけで構わない。片思いでも構わない。一生彼のことだけを思って、
彼との思い出だけを宝物に生きていこう…。
こんな女性の方が何万倍も何億倍も純粋だと私は思いますね。私はそういう考え方だから、
彼女に対しては逆に「不必要に高いプライドとそれを守るためには手段を選ばない怖さ」を
感じるのです。決して道化では終わらないというプライドの高さ。常に自分が勝者でなければ
ならないという強迫観念。そのためには不道徳なことも非合法なことも厭わぬ捨て身さ。
そんなものしか感じられないのです。そして、彼女の行動パターンは、そういう性格であると
したとき、もっとも矛盾無く手に取るように説明がつくと思います。
むしろ、師匠の妻の方が何千億倍も純粋だと思いますよ?師匠の妻が守ろうとしたものは
「妻の座」ではなく「子供達にとって良き両親」「子供達にとって良い家庭環境」であり、
それは必ずしも「自分のため」ではないのですから。
私は北海道出身だからか、師匠の妻からは「子を守るために身を捨てる母熊の凶暴さ」を
感じても、キャシーからは「自分を守るための凶暴さ」しか感じられないのです。
722
:
紫煙狼
:2010/04/15(木) 01:16:31
こんな事をキャシーに求めるのは酷な話ですが「愛すればこそ身を引く」
純粋な不倫女に残された、ただひとつの道ではないですかね?
大岡裁きの逸話を引き合いに出すなら、母親を名乗る二人の女。
赤子の手足を引っ張り合うが、赤子可愛さゆえに先に手を放したほうが真の母親。
師匠という赤子の手足を引っ張り合う妻とキャシー。
妻は師匠を愛するが故ではなく、あくまで子供にとって最適な環境の一部品として
師匠の手を放さない。キャシーは師匠を愛するが故ではなく、自分が勝者である
ために師匠の手を放さない。二人とも「師匠自体はどうでもいい」から師匠が
二つに引き裂かれようとも手を放さない。かくして力負けしたキャシー。
しかし、若くも美しくも無い妻にキャシーが負ける。そんなこと認められない。
キャシーのプライドはそんな不名誉に耐えられない。キャシーは妻に負けたわけでは
ない。妻は単に子供達の代理人にすぎない。キャシーは師匠と妻の間に生まれた子供達に
負けたわけです。あの子供達さえ居なければ、自分は決して負けなかったのです。
だから怒りが、だから殺意が子供達に向けられるのです。
キャシーは復讐する相手を間違えたのではなく「純粋に」子供達を殺したかったのです。
おお、キャシーにも純粋なところがありましたね。
723
:
ラフマニノフ
:2010/04/16(金) 00:08:53
女:優秀でお堅く真面目一辺倒。その反動か、一度肉体的快楽を伴う関係に
陥ると男の甘言に騙され続ける。しかし、恐らくその事実は認めたくは
ない。結果、ドロ沼の不倫関係から抜け出せなくなる。そして、今は
法律上の婚姻を結べないと分かってはいるが、快楽を求め男の要求に応
じ無計画にも妊娠してしまう。結果、2度も堕胎。
男:始めは好意を持っていたかも知れないが、要は、妻以外にもタダで性欲
処理をする相手が欲しかっただけ。「妻とは離婚する」、などの甘言は
ご都合主義人間の常套句。欲望のおもむくまま無計画にも妊娠させた。
一方で、恐らくは離婚によるリスクを恐れて、何食わぬ顔で夫婦生活を
営んでる小賢しさ。(こんな男はゴマンといるだろう)
この男女と妻、3人の思惑と感情がもつれあい最悪の結末を迎えた。
ほぼ思考停止状態の、後先考えない短慮な女による現住建造物放火。
何の罪もない幼子2人が生きたまま焼き殺された。この事実は重い。
キャシーは中年になった。何を思っているだろう。達成感か?後悔か?
もう少し、いい意味いい加減だったらこんな結末は無かったかもしれない。
小狡い師匠のような男と出会わなければ。
しかし、キャシーを擁護するものではない。放火殺人は重罪である。
724
:
ufloat
:2010/04/19(月) 06:31:40
amiさんのご主張が正しいならば、加害者に同情すべき部分はあれど、なぜその矛先が
子どもたちに向いたのか明白ではない(不倫相手を殺したなら「復讐」として同情も
ありうるが、子どもたちを殺したのは八つ当たりなので同情のしようがない)のに比べ、
紫煙狼さんのご意見では子どもたちに矛先が向いた理由が明白ながら、同情ができませんね(笑)。
さて、実は私、本件においてあまり「妻」を批判する気にはなれないのです。
関係者は「3バカ」ではなく「2バカ」であるか、せいぜい「2.5バカ」ではないかと。
もし妻が、一部の人々が盛んに喧伝しているような「度を越した行為」を取っていたのなら、
妻にも一分の問題があったということになりましょうが、今のところ証拠が存在しない以上、
とりあえず「妻は暴言を吐いた可能性がある」と仮定する以上のことはできません。
その上で、それぞれ関係者が取った以下の4つの行為のうち、より罪が重い行為と
さほどでもない行為、あるいは無精髭さんの言うところの「関係者の立場に立って」考えた際、
自分も取ってしまうかもしれない行為とそうでない行為を考えるとしたら、一体どうなるでしょう。
1.不倫をめぐるイザコザから、不倫相手の子ども2人を焼殺する。
2.未婚者を甘い言葉で誘い、しばらく不倫を続けた後、配偶者とよりを戻す。
3.配偶者の不倫を知り、不倫相手をなじる。
4.この世に生を受けて数年生きる。
まず4に何の過失もないのは明白ですね。これで殺されなくてはならないのなら、
今ごろ皆様と議論などできていません(笑)。
次に3、これは厳密には法に触れる可能性のある行為ですが、そもそも不倫は自分または
相手の配偶者を裏切る行為ですから、なじられる覚悟もなしに不倫などしてはダメ
(覚悟があってもダメですが)で、ある意味暴言を吐かれて当然ではないでしょうか。
正直、自分が妻の立場にあって、夫の不倫が分かってパニックや憔悴状態に陥れば、
私も不倫相手に暴言の1つも吐いてしまうかもしれません。
社会的・道義的に考えれば、この程度はやむを得ないとみなされるのではないかと
(繰り返しますが、相当に度を越した行為についてはまた別の問題です)。
2の行為は道徳的に問題がありますが、困ったことに世の中にはこのような人が大勢います。
さだまさしの歌でも「俺は浮気はしない。多分しないと思う。しないんじゃないかな」などと
言われるほどですからねえ。無論、発覚の際には配偶者に訴えられ、慰謝料を支払った上に
離婚され、さらには社会的評価を落とすリスクを甘受しなくてはなりません。
さて、肝心の1ですが、普通の人はこんなことはしません。
妻を批判し、加害者を擁護している人からすれば、妻が暴言を吐くのは
「突拍子もない、あり得ない」行為で、加害者の放火殺人は
「自分もやってしまうかもしれない、共感できる」行為なのでしょうか。
私はむしろ、暴言は不倫の被害者の行動として想定可能な範疇に入ると考えているのですが。
さらには前に書いたように、妻が夫とよりを戻した行為については、妻に責められるべき点は
何一つないわけですから、妻が「暴言」程度では済まないほどの暴挙に出ているのでもない限り、
犯人を擁護しつつ妻を「事件の責任者」とみなす意見にはもちろんのこと、
「3バカ」の一角として扱うのにも、正直言って抵抗があります
(ただ、無精髭さんは「妻にかなりの暴挙があった」という最悪のケースを前提にした上で
考察を進められているのではないかと推察しておりますが)。
725
:
紫煙狼
:2010/04/19(月) 12:38:12
妻を批難する心理には少なからず逆算の構図があると思います。
キャシーはダメ男に騙されるようなウブで純情な女性です。
愛する人と結ばれることだけを願い、断腸の思いで中絶すら受け入れた
耐える・かよわき女性です。彼女は誰かに迷惑をかけるくらいなら、
自分の死をも受け入れるでしょう!!
しかし、そんな彼女が、こともあろうか、子供を放火殺人したのです。
ウブで・純情で・我慢強くて・かよわい女性が放火した。人を殺した。
そこには「通常では考えられないような凄惨な切欠」が必要です。
そして、キャシーの証言では彼女を狂わせるに充分な発言が妻から
浴びせかけられた…となっている。ならば、それが事実でもない限り
こんな放火殺人をキャシーが起こすわけが無い。故に妻の暴言は事実だ。
キャシーに殺人を犯させるほどの暴言を吐いた妻、許すまじ!!!
まぁ、キャシーが弱い者であるという大前提が誤っていますけれどね。
726
:
かもめ
:2010/04/20(火) 02:38:44
>キャシーに殺人を犯させるほどの暴言を吐いた妻、許すまじ!!!
変なたとえですみませんが、もし必殺仕事人がいたら始末されるべき人
・・といったような感覚なのかも。
私は前述の方々のようにすごい考察はできないので、
普通にもしそれぞれの人だったら、どうすれば犯罪が防げたのか?
という視点で考えてみようかと思います。
師匠:不倫はいけません。避妊なしもダメです。
特に家に子供ができ、訴訟まで起こされようというところまで来れば
早期に既婚男性なり、弁護士に相談して、自分が社会的にどうなるのか
予期すべきだったと思います。
キャシー:おおむね師匠と同じですが、こちらは
遅くとも一度目の中絶の時点で医師によく相談し、将来の体調、自分の
家庭生活について熟慮すべきだったと思います。
また、法的措置を求めるならその間の不利な行動など、控える。
妻:関係が終わってるのに、相手に向かって直接ファイアーさせるようなまねをしては
ダメです!いくら腹立たしくても、ストーカーを刺激するようなものだと思います。
師匠とまだ続いてるのでは・・ということなら興信所や弁護士にまかせる
(そのくらいの資金ありそうだし)またもし暴言をしたのなら、その後の警戒を
怠るべきではなかったと思います。
全員こんなに理性的だったら大事は起こらなかったとは思いますが・・・
不倫や中絶が軽犯罪にでもなれば少しは抑止力になるのかな?
ストーカー被害にあった人の話なら聞いたことがありますが、警察からは、
事が起こらない限り介入できないと言われたそうです。
個人的にはキャシーは再犯しなさそう(法的措置のアプローチもなしにいきなり
犯罪に及んだら別ですが)だし、夫妻もあまり子供を大事にしてるように見えないので
極刑はしなくていいと思います。
事件後まもなく子供をもうけたのは、師匠がまた不倫をするかもしれないから
だったかもしれませんが・・・
727
:
無精髭
:2010/04/20(火) 06:21:49
(以下に連投させていただくのは、重千代さんとやり取りをしてまもなく大半を
書きあげたものをこの度加筆修正したものです。なのでスレの流れから浮いて
しまう部分もあるかと思いますが、その点、ご容赦いただきたく思います。)
『現代』※と無限回廊その他の事件サイトとの事実関係における食い違いは、
この事件に興味のある人にとっては周知の事実なんですかね。以下、2chの
関連スレの頭によくコピペされている資料を元に書き込みたいと思います。
(2chのソースと言えども出典は明記されているし、その扱いにもぞんざい
という感じは受けないので、一応その情報と分析は真実を物語っているものとする。)
http://yomi.mobi/read.cgi/human7/human7_ms_1195568678
http://www.unkar.org/read/human7.2ch.net/ms/1213756624
http://logs.dreamhosters.com/html/1/215/151/1215151126.html
※『月刊現代1997年9月号・10月号 獄中手記 私が落ちた愛欲の地獄』講談社
キャシーが親元を離れて一人暮らしを始めた理由を「毎日でもデートしたかった
から」とするのは、以下が事実だとすると時系列的に無理があるとのこと。
師匠とキャシーの仲が上司・部下の関係から男女の関係に深まっていったのは、
90年10月にキャシーが他の職場へ異動になっていた師匠と偶然再会してからの
ことだそうです。そして、師匠がキャシーを初めてデートに誘ったのが12月。
ところが、キャシーが一人暮らしを始めたのはその年の8月だそうですから、
それ以前から二人の間が親密なものであったといったことがなかったとすれば、
引越しの件については師匠のこととは別の理由がキャシーにはあったとしなけ
ればならないのではないかと。
以上により、「時間に余裕をもって仕事したいから」というのが一番の理由
だったとしても不思議はありませんね。
キャシーの体重が激減した時期についても異説があるようです。無限回廊の
記事に従えば、師匠の妻による「執拗な電話攻勢」が始まってから「お腹から
掻き出す」発言が出てくるまでの間に起こったことという風に捉えざるを
得ないですが、『現代』によれば、問題の発言があった同じ日に師匠が別れ話
をしにキャシーのアパートを訪ねたらしく、キャシーの友人を間に挟んだその
話し合いの途中から猛烈な下痢となり、以降、体調を崩してしまったらしい
です。つまりそこでは問題発言以後の出来事とされています。
ちなみに体重激減の原因については、無限回廊の記事では師匠の妻による
「執拗な電話攻勢(その中で発せられたであろう罵詈雑言)」とされている
のに対し、『現代』を参考にした2chの書き込みでは、問題の発言と別れ話の
ショックが原因、みたいな分析がされています。
ただ原因に限って言えば、この二つの説は相補し得るのではないかと思われ
ます。不倫が発覚した5月18日から妻の発言&別れ話があった7月26日まで
の間に師匠の妻によって行われたとされる電話攻撃が、実はいつ変調を来た
してもおかしくない状態にまでキャシーの精神や身体を追い詰めていたので
あり、師匠の妻による問題発言や師匠から切り出された別れ話なんていうのは、
消化器が悪くなったり不眠症になったりするかしないかの一歩手前のところ
でそれらを引き起こすような、単なるきっかけに過ぎなかったのだ、というふうに。
『現代』と無限回廊その他の事件サイトとの事実関係における食い違いについては、
この他にも、キャシーが犯行時に使った合鍵をどこで手に入れたのかということが
ありますが、以下に展開させていただく私の愚考には関係がないので省略させていただきます。
728
:
無精髭
:2010/04/20(火) 06:26:54
師匠の妻が取ったと伝えられる言動については以前から疑問に思っていた
ことがあります。
・なぜキャシーに電話を掛け続けたのか?
師匠の妻が夫の不倫を知った5月18日から問題の発言があったとされる7月26日
までの間、師匠の妻がキャシーに電話を掛け続けたというのは、どう考えても
尋常ではないでしょう。だからこそ、そこに師匠の妻の異常性を見て取る
ことは容易いのです。しかし、だからと言ってそれが他の解釈を退けるほど
説得力のある見方でないのは言うまでもありません。むしろ師匠の妻は至って
普通であったとした上で、しつこく電話を掛けたのはそうしなければならない・
止むに止まれぬ事情があったからではないかという方向で考えていく方が
適当ではないかと思うのです。
無限回廊の記事によればキャシーは「妻子ある男と不倫したのだから自分が
悪いという気持ちがあり、ひたすら謝るだけだった」とあり、師匠の妻は
その素直な応対に拍子抜けがしたと書かれていますが、ならばなぜ師匠の妻は
その後もキャシーへ執拗に電話を掛け続けた(挙句の果てに件の言葉を発する
まで電話攻勢がエスカレートした)のでしょうか。
自ら非を認めて、電話口でとは心から言え反省していることを態度で示している
相手に対して、二ヶ月強も続けて一方的に、しかもだんだん攻勢を強めていきながら
(相手の都合を無視して)電話を掛け続けるなんてことが普通考えられますでしょうか。
(ちなみに私は、師匠の妻が「頻繁に電話を掛けた」とか「電話口で一方的
にまくし立てた」とかいった情報についても、実際にあったこととの間に
ズレないし隔たりがあるのではないかと疑う。)
いやあり得ないことではない、実際師匠の妻はそんな心性の持ち主だった
のだろう、と結論するのは先に書いたように簡単ですが、冒頭で挙げたよう
に、不倫が発覚した後も師匠とキャシーの関係は完全に切れていたわけでは
ないということを暗に示す資料もあるわけです。
さて、不倫がバレて、一度は愛人と手を切ると約束したにも関わらず、夫が
愛人と手を切ったという確証が一向に得られず、それどころか愛人に対する
未練をいまだ断ち切れずにいる様子を目の当たりにすれば、いても立っても
いられずに愛人宅へ電話を掛けて、あんたの方から振ってくれと要求するの
は、別に不自然な言動ではないと言えるでしょう。
もしキャシーが無限回廊の記事にもあるように心から反省していたのだと
すれば、妻の要求を聞き入れることに何の躊躇いがあるでしょう。そして
キャシーが妻の要求に応えて自ら師匠から手を引きさえすれば、妻の方では
少なくともしつこく愛人宅へ電話を掛ける必要はなくなるはずです。ですが、
実際はそのようにならなかった模様。
不倫が妻にバレた師匠は、自分の意思でか妻に指示されてかは不明ですが、
ともかくその日にキャシーのアパートを訪ねて、借金があることなどを理由
に別れ話を切り出します。しかしキャシーは、おそらく妻にこっぴどくやら
れて意気消沈していたであろう師匠を見て、奥さんと離婚すれば色々とお金
が掛かるのは分かっている、一緒に働いて返していこう、と逆に励ました
そうです。無限回廊の記事では、2度目の中絶を自ら決行した際には師匠との
関係を終わらせる気持ちが強まっていたと書かれてありますが、(これも
併せて考慮した場合)その一ヵ月後、不倫が師匠の妻にバレたのがきっかけ
で、師匠との関係に未練を感じ始めたということになるかと思われます。
つまりキャシーの目には、師匠の離婚が現実味を帯びてきたことに便乗して、
再び師匠の心をこちらへ傾かせることができ、あわよくば師匠との結婚を
実現するための好機という具合に、不倫発覚が映っていた可能性があります。
729
:
無精髭
:2010/04/20(火) 06:28:50
(それまでは不倫を続けるも止めるも、師匠とキャシーの判断如何によって
いたので、結婚する約束を破っただの子どもを堕ろしただのと言っても、
結局はこの二人が自分たちにしか関わらない揉め事を周りに内緒で自己生産
していたに過ぎませんでした。が、師匠の妻にその関係がバレたことにより、
良くも悪くも自分(たち)で終わらせるつもりだったものが、否応なく
部外者の手で終止符を打たれるかも知れなくなったのです。夢が夢の
まま朧気に立ち消えていくのではなく、現実との衝突でだしぬけに壊れて
しまうこと。夢から覚めると決まっているなら、誰であろうとも、人から
叩き起こされるより、自ずからの心地よい目覚めを期待するものでしょう。
不倫の失敗と不倫の発覚は、二つとも破局という同じ結末を迎える事態
なのでしょうが、キャシーにとって師匠との結婚を断念することは、
一から十まで他人(当の師匠は含まれるかどうか)に強制されるような
ことではなかったのかも知れません。意中の相手、そしてその人との
共同生活(の基盤)を手に入れるということは、自らの意志でその相手を
捨てたりも出来るような自由を持つということでもあるのです。)
一方師匠の方も、自分に対するキャシーの愛が冷めていないことを知って
別れ話を引っ込めたらしいです。以後、師匠は離婚するか否かについて
優柔不断な態度を取り続けたとのこと。
7月26日に師匠からキャシーに電話があり、「やっぱりキャシーと一緒に
なれそうもない」と悲痛な声で訴えたと言います。これに対しキャシーは
「何言ってんの。また奥さんに何か言われたんでしょう。 今まで頑張って
きたんでしょ、夢をあきらめてもいいの? 自分で考えたことをすぐに
放り出すの?」と言ったそうで、これが事実だとするなら、不倫発覚後も
師匠はキャシーと連絡を取りつつそれに後押しされて、妻に対し何度か
離婚話を持ちかけていたと見るのが順当かと思われます。そして、妻の
説得に失敗する度にキャシーと一緒になることを諦め、その意をキャシー
に伝えると逆に思い直すよう説得されて、再び離婚しようと考える、
この繰り返しだったのではあるまいかと。(あるいは、持ちかけようとは
していたが踏ん切りがつかず、結局妻に対しても優柔不断な態度を取って
いたかも知れない。)
以上を考慮すると、妻からの電話に対するキャシーの対応には何らかの
問題があったと推測できるかと思います。例えば、不倫していたことに
ついて謝るだけで師匠から手を引こうとは確約しない・「自分も悪いが
師匠も悪い、私だって中絶しているのだから被害者なんです」と妻の感情
を逆なでするような言葉を吐く・関係のない話でお茶を濁す等々が考え
られます。結果、妻の不満を募らせてしまったとしても不思議はありません。
不満が募れば話が長くなり、話が長くなればそれは縺れてほどけなくなり、
電話を切っても不満は収まらず、頭では無駄と分かっていても今度こそは
という意気込みで再び電話を掛けてしまうという悪循環。私としては、
妻はキャシーの煮え切らない態度にだんだん腹が立ってきて、暴言が
混じるようになり、果ては単なる口論に発展してしまったのではないかと
考えています。
師匠の妻は夫と別れるつもりはなかったみたいですから、夫が自分や
子どもたちの元を去っていくのを防ぐという目的で、キャシーをどうにか
説得したかったのかも知れません。当然、妻にとっては夫の愛人と長々と
電話するのは苦痛でもあったでしょう。しかしそれを耐えてまで(あるい
は気にならなかっただけかも知れませんが)キャシーに電話しなければ
ならない事情、元い、家庭を守るためには愛人に苦汁を嘗めてもらわねば
ならない、正にそういうことを愛人に対して行う権利が不倫の被害者には
あるのだといった大義名分が妻にはあったわけで、これはキャシーとの
電話でのやり取りが口論に成り下がっていた時点でも、妻の念頭には
常にあったのではないでしょうか。
730
:
無精髭
:2010/04/20(火) 06:30:24
ちなみにキャシーは8月3日に弁護士に会って、訴訟の準備を始めます。
11日には前日に師匠から訴訟の件を聞かされたであろう妻と電話で話をし、
「もし訴えたらあなたを恨む」と言われたそうです。ところで不倫発覚から
その日までの間、妻の方もキャシーを相手取って訴訟を起こすことが出来た
にも関わらず起こさなかったのには相応の理由があったと考えるべきです。
不倫の一部始終が会社にバレれば、夫が仕事を続けられなくなる可能性が
あったというのも一つでしょう。訴えられたキャシーが沈黙を守るとも
思われませんし。だとすれば、「もし訴えたらあなたを恨む」という発言も、
妻はキャシーの父親に対して訴訟を思いとどまるようにと言って説得した
というのも、妻の立場からすれば至極当然の行為だったと思います。
この時点でも例えば妻が逆に訴訟を起こせばキャシーにとって分が悪い
のは言うまでもないことですから、訴訟まで起こす必要は無い、元の鞘に
収まるのが一番、という妻の言葉についてはむしろ好意的に捉えるべき
だと思います(キャシーが起こした訴訟においても事がキャシーに対して
有利に動いたとは限らない)。
・なぜ「お腹から掻き出す」などと発言したのか?
師匠の妻当人は発言を否定していますが※、仮にキャシーの証言が正し
かったとしても、言った当人である妻の心境を離れてその発言だけが一人
歩きしてしまっているとの印象は否めません。どんな言葉であれそれが
発せられ伝達される以上、その背景には、それを発する者の立場は勿論、
それを向けられた当の相手や、それが向かう先の状況、つまり何が話題
となっているとか、会話のつながり(先後関係)などといった要素が密接
に絡み合っているのです。これを考慮に入れることが出来なければ、その
発言意図(その言葉の修辞的意味)にもまた理解が及ぶことはないでしょう。
※横に逸れますが、他所の事件サイト「事件史探求」の当該記事には
「Xさんの妻は公判でそのような事を言ったことは無いと否定して
いる」という記述があるのですが、
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage243.htm
そもそも妻が証人として出廷したという事実はあるのでしょうか?
一方では
>>16-17
にもあるように、その事実を否定するような情報が
あるのですが。師匠が証人として出廷した際に(
>>62
)、妻の言葉
を伝えたのでしょうかね?
断るまでもないことですが、キャシーは師匠の妻が一方的にまくし立てる
のを黙って聞いていたわけではないです。件の暴言があったとされる日、
好い加減夫から手を引け、堕ろした子供についても責任は取れない、と
いう風に妻から言われて、「あたしと彼のことだから言わないでください」
と言い返したそうです。更に「彼が(2番目の)子どもが流れちゃえば
いいって言っていたんですよ」などと、わざわざ言わなくても良さそう
なことまで言ったらしいです。これに関してはそれ以前の妻とキャシー
の会話が省略されているので、なぜキャシーが今になってそんなことを
告げたのかについて事実関係は不明(真実を述べたものであるかも不明)
ですが、もしかしたら子どもを堕したことについて師匠が責任を分かち
持ってくれないことに業を煮やし、あまつさえ自分と二人っきりの時と
言い分が違うから、妻に隠しておいても仕方ない、もう言ってしまえ、
などと勢い任せ(破れかぶれ?)に言ってしまったのではないでしょうか。
師匠は師匠で自分に面と向かって言えないから妻に言わせているみたいだし、
妻は妻で関係ないくせにしゃしゃり出てきてうっとおしいから、いっちょ
黙らせてやるか、という意図がキャシーにあったとも考えられます。
不倫発覚当初の「うちの主人が無理やりレイプでもしたと言うんですか」
発言も、それ以前にキャシーの弁明が全くなかったとしたら、頭に血が
上った妻が口を滑らしたというだけの、ただの突拍子もない発言になって
しまうでしょう。与えられた情報に対して客観的な姿勢を保ち、全ての
事件当事者に対して公平であろうと努める者であれば、不倫発覚直後から
キャシーが「師匠から交際を迫られた」「誘惑されたのは自分だ」「身体
を積極的に求めてきたのは師匠の方だ」などと言い訳していたと考える
べきではないかと私は考えます。(事実関係に不明な部分が多すぎるからこそ)
その上で妻の発言を考慮すべきだと思うわけです。
731
:
無精髭
:2010/04/20(火) 06:31:01
また、8月11日に「子どもを抱いたあの気持ちは…」とキャシーに言った
ことや「知り合いに5回も6回も中絶している人もいるから、あなたも2回
なら大丈夫かも」などと言った件についても、キャシーの主観によって
妻の発言意図が歪められている可能性があります。前者については必ず
しもキャシーに対して自分の母性愛を見せ付けたいとの意図があっての
ものではなかったかも知れませんし、後者についてはキャシーの身を
ある程度気遣っての言葉かも分かりません(「普通こんなこと言って慰め
ようとするかあ?」「あまりに無神経だろ」という声が聞こえてきそうですが、
師匠の妻が私たちと同じ常識を持っていたらもっと違ったことを言ったはず
などといった問題にかかずらうのを極力避けて、あくまで妻にどのような
意図があってそのような発言をしたのかを発言内容から考えてみる必要が
あると私は感じるのです。前者のような問題にかかずらっていると、真偽の
ほどは分からないが、とりあえず本件について考察するために今分かっている
情報を真実だと仮定し、それを元に本件を再構成する必要があるということの
諸々の重要性がおそらく霞んでしまうでしょう)。しかし、不倫の被害者であり
キャシーを憎んでいたはずの妻がキャシーを気遣うなんてことはありえないようにも
思われますので、もしかしたら訴訟を思い止まらせるために単にキャシーの
機嫌を取ったつもりだったのかも知れません。いずれにしろ、キャシーが
中絶のことで師匠の妻に対し何らかの恨み言を述べたのは想像に難くないです。
ひょっとしたら先月末の「お腹から掻き出す」発言(あるいは堕胎・流産にまで
及んだ口論で不愉快な思いをした件)を根に持っていたのかも知れませんが。
このように「子どもを掻き出す」発言前後の状況を考慮すると、キャシー
と師匠の妻との間には不倫発覚時から「そもそも被害者は誰であるか」
という点で見解に食い違いがあり、それに端を発して徐々に深まって
いったと思われる二人の確執が、7月のあの日に最悪な形で結実して
しまったのだと考えるべきではないでしょうか。加えて、不倫発覚後
もキャシーと師匠の関係がまだ終わっていず(これも双方に責任アリ)、
師匠の優柔不断な態度(あるいはその場凌ぎの逃げ口上)が事態を
ややこしくした可能性が否めませんので、この二人の確執が取り返し
の付かないところまで深まってしまった背景を考える上で、意外にも
師匠の存在(不倫発覚後の立ち回りに関する推察)は欠かせないのだ
と考えます。
(不倫発覚前の師匠による無責任な・あるいは仁義に悖る(?)発言
についても、その聞き手が不倫相手(キャシー)だったことに着目できる
者からすれば、相手側の発言やその二人の会話の流れというものを他の者が
度外視して一方の発言のみを評価の対象とするのを見て、間が抜けていると
思わざるを得ないでしょう。誰にも邪魔されぬ二人だけの空間において、
例えば師匠にそんなことを言わせるような雰囲気をキャシーが醸し出したの
かも知れません。その際のキャシーの表情、口調、相槌の調子がどんなもの
だったかをぜひ想像して見て下さい。)
732
:
無精髭
:2010/04/20(火) 06:32:34
あと、忘れてはならないのは、「子どもを掻き出す」発言について、
キャシーは実際にそれがあったとただ主張しているだけで、それが
言われたところの背景―――その発言前後の会話のつながりはどう
だったのかについての説明が不十分な点です。これは師匠の妻に対し
ても言えることですが(しかし彼女にそれを説明する義務があるとも
思われない)、ただ彼女の方は、後年その発言を否定するだけではなく、
二人目の子を流産してしまった際に産科医から言われた言葉をキャシー
に伝えたことは認めています。そして、その際キャシーを愚弄する
つもりはなかったのだということを付け加えています。すなわち、
キャシーと師匠の妻との間でどういった会話が行われていたかについて、
こと問題発言の件に限って言えば、(その信憑性はともかく)その時の
状況を具体的に説明したのはキャシーではなく師匠の妻だったという
ことです。キャシーは他人から何を言われたか・何をされたかについて
は実に多弁でありますが、その口調からは散漫な印象を受けざるを
得ません。特に師匠の妻との口論に関しては、実際に自分が相手に対し
何を言ったのかについての説明が不足しているとの観が否定できない
です。こういったことを看過して、一方の言い分にのみ耳を傾けて
いる者には、厳しい言い方ですが、口喧嘩を裁く資格などないでしょう。
口が裂けても言ってはいけないことがあるのだとしても、それに該当
することを他人から言われた際に暴力が正当化されるかどうかは別の
問題であるべきです。別の文脈ですが、たとえ暴言によって追い詰め
られたのはキャシーであったとしても、不倫によって追い詰められた
のは師匠の妻であるということを忘れてはなりません(繰り返すよう
ですが、不倫が発覚しても不埒な男女がきっぱりと手を切らなかった
ことも師匠の妻を追い詰めた原因だったと思われます)。ちなみに、
男が避妊しなかったために中絶せざるをえなかった女性に「よくそんな
ひどいことできたね。人殺しみたいなのに」と言うことが不倫よりも
道徳的に悪いことになるのは、そんなふうに侮辱的な言葉をかけた者が
相手の女性が中絶せざるをえなかったという事情を理解していた場合に
限られるでしょうね。個人的には、夫の不倫発覚から2ヶ月弱も師匠の妻が
「口が裂けても言ってはいけないこと」を言わなかったことについて、
よく我慢できたなぁと感心します。
・いや、ちょっと待てよ。そもそもなんで師匠の妻とキャシーのやり取り
で話題が不倫のことから堕胎した子どものことにシフトしたんだ?
そこらへんについてboroさんが簡潔明瞭な記述をしているせいか、
大半の人は油断して読み流してしまっているのかも知れませんが、
注意深く読めば、本来口論の種となるべきものからとてもそうとは
言えないものへと話が飛躍していることが自ずと知れるでしょう。
傍から見れば、犬も食わぬような痴話喧嘩にだって規則性や一貫性が
あるものです。なので、口論になれば攻撃の的を増やすため枝葉末節
にまで話が広がるものだといった考えを捨て、この飛躍の原因を探る
ことに傾注すべきです。
とは言え、当の電話でのやり取りに関する情報は事実関係を解明する
ほど充実しているわけではないのは勿論、むしろどこまで信用するに
足りるか怪しいくらいですから、原因を求める思索の精度はおそらく
その者の想像力と価値観に左右されるでしょう。しかしながらそうい
った個人の限界以前に、二人の会話の展開について考える上で出来る
だけ中立的な観点を取ろうとする者にとっては、秋の空のように変わ
りやすい心に分け入ってその動きを調べるよりは、限られた情報や
二人が置かれた状況を頼りに、両人において理性の存在をどうにか
推定した上で思索を進めた方が好いのではないかと思います。
733
:
無精髭
:2010/04/20(火) 06:33:33
妻にとってキャシーに電話を掛ける目的は、不倫の被害を訴え、夫と
別れるように要求するため、そして後腐れのないように相手が夫から
被った不利益については我慢してもらうため、そうすることで家庭を
守るためでしょう。他方、キャシーにとって妻との電話のやりとりを
続ける理由があったとすれば、師匠との関係を続けるために電話相手
の女と師匠を別れさせるためではないでしょうか。
さて、繰り返しますが、発話状況、発話者の個性からその発言だけを
切り離して評価するのはキャシーと同じ過ちを犯していることになります
(詳しくは紫煙狼さんと酒井さんのやり取りを見よ)。尤も、師匠の言葉を
真に受けたキャシーならば、妻の暴言を真に受けるのは必然と言えるのかも
知れませんが。
以上を踏まえて、妻の発言の意図を汲みつつ、妻による問題の発言を
補完してみましょう。
「子どもをおろしてしまったことの辛さは分かる。でも、私に分かるのは
あなた自身が受けた中絶手術の痛みだけ。あなたが必死に訴えている、
おろされた子どものことまでは私は知らない。あなた自身のことでさえ
全てが夫の責任とは言えないのに、そればかりか中絶で死んだ子どもの
ことにまで話を広げようとするなんて…。第一、おろすと決めたのは
あなた自身でしょう? 夫に責任を押し付けるためにあなたがどう言い
繕ったとしても、『生きた子どもを平気でお腹から掻き出すような人
なのよ、あなたは』」
かなり印象が変わったと思いますが、逆に問題の発言が問題である
所以も浮き彫りになっちゃったかも。「掻き出す」よりも「平気で」
の方がよほど問題かと。
「お腹から掻き出す」という言葉は産科医からの受け売りだそうですから、
妻の言うとおり、その産科医がこの言葉に特別な意味を持たせておらず、
ごく普通に使っていたのだとしたら、妻も産科医と同じ感覚で堕胎を
表現したと見なすべきだと思います。「生きた子どもを平気で中絶する
ような人なのよ、あなたは」これなら意味は同じでも若干インパクトが
落ちるのではないでしょうか。
「あんたは生きている子を平気でお腹から掻き出すような人なのよ。
そんな恐ろしい人のくせに」という発言だったという情報もあるよう
ですね。「そんな恐ろしい人のくせに」の部分を何の疑いもなく読んで
しまえば、妻の言い分は全くの言い掛かりにしか聞こえないでしょう。
しかし一般的に「○○の癖に…」という表現は、自分に向けられた
非難を、その非難の主である者の欠点を指摘することで相殺するため
のものです。例えば、ああだこうだと非難してくる相手に対して、
お前だって斯く斯く云々だから人のこと言えないだろとやり返すときに
使われます。これは終助詞として用いられる場合でも、相手からの
非難を前提にしますから意味は変わりません。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E3%81%8F%E3%81%9B%E3%81%AB&enc=UTF-8&stype=1&dtype=0&dname=0ss
接続助詞的用例:「バカの癖に俺のことをアホと言うな」
終助詞的用例:「(アホだと言ってくる者に対して)黙れ、バカの癖に」
さて、妻の言葉は「癖に」の終助詞的用例に当てはまりますから、
接続助詞として用いられる場合に明記・明言されるところの
相手からの非難の部分が省略されています。ですからこれを浮かび
上がらせるには、あの言葉を放った上で妻の中で暗黙の前提となって
いるキャシーからの非難について、それが現にあったとすればどんな
ものだったのかを推理しなければならないのです。
「そんな恐ろしい人のくせに」の部分については勿論のこと、問題の発言
全体についても「(あんたは)生きている子を平気でお腹から掻き出すような人の
くせに」と言い換えることが出来ますから、もし師匠の妻がこんなこと
を言ったのだとすれば、その直前にキャシーもキャシーで相当無神経な
ことを妻に対して言ったのではないかと思われます。
734
:
無精髭
:2010/04/20(火) 06:35:19
師匠の妻は平謝りに謝っていたキャシーに対して嘲笑しながらあの言葉
を言い放ったんだ、こりゃもう鬼としか言えないだろ、という感想を懐く
方はいるでしょう。しかし、キャシーと妻の電話でのやり取りは終始一貫
して妻による一方的な攻撃だったのではなく、無限回廊の記事にもある
ように実際は「応酬」だったのかも知れません。だとすれば、流布して
いる情報とは逆に、キャシーが電話でのやり取りにおいても妻を追い
詰めた可能性さえ否定できないのです。
5月18日に不倫が発覚してから2ヶ月弱経って、やっとこさ師匠の妻に
夫の元愛人を嘲笑する余裕が出来たのだとしても、その余裕がキャシー
の受け身な態度に起因していたとすれば、不倫のショックから立ち直った
妻にわざわざキャシーを嘲笑する必要などあるのでしょうか。
嘲笑したのが事実だとすれば、単なる空元気によるものだったとも
考えられます。その場合、キャシーに対して虚勢を張らなければ
ならない理由が妻にはあったのではないかと考えるべきでしょう。
妻のあの発言がなければキャシーは犯行に及ばなかったのだということ
を理由に妻を非難する人は、妻の発言が直前のキャシーの何らかの
アクションによって引き起こされた可能性があるということを
失念しているのでしょうか。キャシーの犯した罪が重いのは重々承知
しているが、妻の発言だって人道的に許されるものではないと考える
人は、仮にその人道的に許されない発言も誰かの言動によって引き起
こされたのだとすれば、その誘因となった事象については特に人道に
背くような問題点はないと考えるのでしょうか。こういう人はおそらく
不倫をすることは中絶を侮辱することよりも悪くないと考えて恥じない
ところがあるのでしょう。
私が口喧嘩を裁く立場なら、人道的に許されない発言の誘因となった発言も
人道的に許されないかも知れないのでそれを、いやそれが出されたところの
話題に関係する発言全てをできる限り明るみに出そうと努力しますが。
二ヶ月以上に亘る電話でのやり取りの終盤において、妻が以上のような
心境であったということから、キャシーが堕胎によって自分も相当に
傷ついたのだと執念深く訴えていた、ということが想像できます。
ただし序盤においては、師匠の妻に不倫がバレたことは、今まで暖簾に
腕押しだったことに不満だったキャシーにとっては却って事態が好転した
に等しかったのではないかと私は考えております。
私の思い描くキャシー像(不倫発覚当初)は以下の通りです。
確かに不倫が相手の家族にバレたこと自体は決まりが悪いに違いないが、
落ち着いて考えてみれば、諦めかけた夢を叶えるチャンスが巡って来た
のだとも言える。このいざこざに乗じて、師匠と妻の仲が悪くなるように
画策すれば、晴れて公に師匠と結ばれることも夢ではない。
そのためには師匠よりもむしろ妻を篭絡しなければならない。弱みを
握っているとは言え、師匠を言い含めて妻の説得に向かわせるよりも、
妻が師匠に対し愛想を尽かすようにこちらが色々と証言した方が、
この二人が離婚する確率は高まりそうだ。妻に師匠を嫌わせるために
やるべきことが二つある。一つは、不倫に関しては自分にも非があるという
ことを反省の意を込めて素直に認めること。狙いは妻に師匠を嫌わせ
ることであり、自分が嫌われることではない。もし師匠よりも自分の
方が嫌われてしまえば、自分の口からそれとなく師匠への嫌悪感を
煽るようなことを話しても全く効果が出ないだろう。おそらく夫よりも
更に深刻な憎悪の対象であろう自分には、これ以上妻に嫌われない
ように媚び諂う必要がある。
もう一つは、師匠が不倫中に語ったことや自身の中絶について妻に
打ち明けること。思ったほど悪い女ではなさそうだと妻に印象付ける
ことに成功したとしても、本当の狙いは師匠を嫌わせることである。
たとえ夫の浮気を知ったとしても、離婚したいと思うほど妻が嫌う
とは限らない。それどころか、家庭を守るためにあえて夫の不始末を
許すことだってあり得る。ならば、師匠の弱みを握っている自分が
全てを打ち明けさえすれば、妻を自分の思惑通りに操縦することは
簡単なのではないか。師匠との不倫において非があるのは、一切の
経緯を知った者であれば誰から見ても師匠の方だと感じざるを得ない
だろうから。
735
:
無精髭
:2010/04/20(火) 07:10:12
先ほど投稿した長文群にある、「二ヶ月弱」というのは「二ヶ月強」の間違いです。
ざっと確認した限りでは
>>732
と
>>734
に一箇所ずつ記述ミスがありました。
>>726
>(上略)夫妻もあまり子供を大事にしてるように見えないので極刑はしなくていいと思います。
なんかスゴイことをさらっと書いておられるけど、、、
かもめさんの目にはどうしてそう見えたのでしょう?
それと、仮に夫妻が子どもを大事にしていなかったとしても、
それでキャシーの罪が軽くなるというのはずいぶんと理不尽な気が
するのですが。
かもめさんは、子どもの死に関しては、妻にも果たすべき何らかの
責任があって、それが満足に果たされていなかったとお考えなのですね。
はてさて、この事件以前に(あるいは現在この事件を知らない人の中で)
中絶を侮辱すると自分の身内に危害が及ぶかも知れないという認識に
至ることができた(できる)人がいったい何人いた(いる)ことやら。
736
:
紫煙狼
:2010/04/20(火) 14:06:31
>>726
>全員こんなに理性的だったら大事は起こらなかったとは思いますが・・・
理性を求めるとすれば相手は師匠とキャシーですね。妻に求めるのはお門違いです。
>不倫や中絶が軽犯罪にでもなれば少しは抑止力になるのかな?
何を抑止したいのでしょう???
不倫を罪と規定しても未婚のスケコマシーが2マタ3マタかけて女を泣かすのは裁けませんね。
中絶を罪と規定することによって、本当に望まれない子供が生まれてきて育児放棄されて虐待されて
何か良いことはありますか?そういう無責任な親を保護責任者遺棄や殺人で罰することが出来るように
なるだけですよね?無責任な性交による妊娠はもちろん道義的責任と負うべきではありますが、
何でも罪と規定することにより抑止効果が望めると考えるのは愚の骨頂です。
>個人的にはキャシーは再犯しなさそう
確かに、再犯の可能性は低いでしょうね。
>(法的措置のアプローチもなしにいきなり犯罪に及んだら別ですが)
理解不能。むしろ訴訟の最中に犯行に及んだ事の方が許されないと思いますが。
>夫妻もあまり子供を大事にしてるように見えないので極刑はしなくていいと思います。
ここはもう少し丁寧に説明しないと貴方が子供の命を軽視していると受け取られかねませんよ。
確かに極刑を言い渡す理由の一つとして被害者遺族の処罰感情の強さを挙げる判事が居ますね。
かもめサンはそこを皮肉ったわけですね?
こんなの当たり前の話ですが、遺族の処罰感情が強かろうと弱かろうと、そんなのは極刑を選択する、
もしくは回避する主たる理由になり得ません。まして被害者遺族に制裁的苦痛を与える目的で
加害者の罪を軽くするなんてのは絶対に許されません。
以上、かもめサンの思惑通り釣られてみました(^^)
737
:
ufloat
:2010/04/20(火) 19:04:20
>>725
逆算の論理については、いかに発想力貧困な私といえど、妻批判の人々の書き込みから
ある程度読み取ってはおりました。
ただ、それはそれでやはり全く理解不能なのです。
「こんなことで加害者が重大行為に及ぶはずがない」から「被害者サイドに問題があった」と
根拠もなく決め付け、あろうことかそれをもとに批判を行うのが許されるならば、
例えば「駅で肩がぶつかった」からと相手を攻撃し、死に至らしめた事件。
普通、肩がぶつかった程度で命を奪ったりはしませんが、逆算の理屈でいくならば、
「被害者は肩がぶつかる以上のことをやったはずだ。でなければ加害者は命までは奪わない。
何らかの暴挙に出たであろう被害者許すまじ!」という意味不明な結論が出されかねません。
これに対しては「肩がぶつかる程度で人を殺す野蛮人と、「純粋」な本件の加害者は違う」という
反論がなされそうですが、世の中「おとなしくて親切な人」や「物静かでやさしい少年」が
起こす事件など山のようにあるわけです。
まして、本件の加害者は不倫の加害者でもあり、妻は不倫の被害者の立場にあるのですから、
妻がそれを非難するのはある意味当然です。いかなる定数をどれだけ恣意的に用いて逆算すれば、
「加害者が非常に特異な人間であった」とか、せいぜい「夫にも原因があった」といった結論
ではなく、「妻が非道な行為に出た」という結論が出せるのか、それが全く分からないのです。
>>726
すでにお2方が指摘されている点について、私がまた何か書くのもどうかという気は
しないでもありませんが、かもめさんが子どもたちの命や人格について理解していない
とは思えませんので、真意を確認させてください。
>夫妻もあまり子供を大事にしてるように見えないので極刑はしなくていい
とのことですが、もし
>>721-722
で紫煙狼さんが推測された通りなら、少なくとも妻には
子への愛情があったかもしれませんし、夫も甲斐性なしなりに愛情を持っていたかもしれません。
ただ、こればかりは確かめようのないことですので、とりあえず
「夫婦は子を大事にしていなかった」と仮定して考えてみましょう。
人間誰しも、愛情あふれる暖かな家庭に生まれ育ちたいと考えるものです。
しかし、それは必ずしも実現されるとは限りません。まさに
>子供は産んでくれる親を選べない
のです。
さて、そのような家庭に生まれた不幸な子どもが、自分には何も非がないのに、
誰か他人(例えば父親の不倫相手)に人生を断たれたとしましょう。全く救いのない話ですね。
ところが、「夫婦が子を大事にしていない」からといって、子を殺した加害者への罰を軽減
することが許されるならば、この子を殺した犯人への罰は、愛情を受けて育てられていた子を
殺害した犯人への罰に比べ、相対的に軽いものであって構わないということになります。
これは大変に理不尽ではないでしょうか。
738
:
紫煙狼
:2010/04/21(水) 00:26:19
>>737
>まして、本件の加害者は(中略)結論が出せるのか、それが全く分からないのです。
これは物語の前半と後半を区別できる人の言い分…なのでしょう。そしてそれが出来ない人が
世の中には大勢居るということなのでしょうね。
たとえば、Uさんの出した「肩がぶつかった程度で人を殺す優しい少年」ですがね?
その事件をいきなり新聞で読んだら「そいつおかしくない?」と10中8〜9はなるのですが、
この少年があらゆる困難を知恵と勇気で乗り越え、ようやく全てが軌道に乗ったというところで
不幸にも全てが水泡に帰して、あげく、それまでにない失意のどん底に落ちて、もはや身も世も無い
心境で街を歩いていたら肩がぶつかった。そのぶつかった相手は見るからにヤクザ風の男で、
「どこに目ぇつけとんのじゃい!いわすぞワレぇ!!」とすごんだ。その瞬間、少年の全ての怒りが
この男に向いてしまった…。そして、何たる運命の悪戯。少年の手にはナイフが握られていた…。
なんてフィクション小説ならば、読者の多くは「あぁ、なんて不幸な少年」と、いっそう憐憫の情に
駆られるのではないでしょうかね。
でも、ぶつかられた方が、ぶつかってきた方に文句を言うのは珍しいことではないし、たまたま言葉
遣いの粗暴な男だっただけで、人相が悪いのも単に生まれつき…。なんてのが現実でよくよく考えれば、
「そんな事で刺してはいけない」わけですよ。
つまりね。キャシー可哀想さに妻を中傷する人というのは、実は、この事件が現実のことであるという
視点を忘れて「悲恋に始まり悲劇に終わる」メロドラマのように受け止めているのではないでしょうか?
キャシーは師匠に騙されていた(個人的にはここにも異論があるのですが)という導入部を経て、
読者はキャシーにのみ感情移入を許され、このヒロインの視線で物事を見れば、その後の登場人物は
全て敵。全て憎むべき悪人。全て死んでも良いような奴で構成されているわけですよ。
だからこそ
>キャシーが弱い者であるという大前提が誤っていますけれどね。
言い換えるなら「キャシーが感情移入するに値する人物である」という大前提が間違っていると思うのです。
739
:
無精髭
:2010/04/21(水) 05:53:59
>>個人的にはキャシーは再犯しなさそう(法的措置のアプローチもなしにいきなり
>>犯罪に及んだら別ですが)だし、(中略)極刑はしなくていいと思います。
>理解不能。むしろ訴訟の最中に犯行に及んだ事の方が許されないと思いますが。
ああ。確かにシェンさんの仰ったような読み方もできますね。
私は、「法的措置のアプローチもなしにいきなり犯罪に及ぶような
人間だったら再犯しそう」ぐらいの意味だろうなと思ってましたが。
とりあえずかもめさんは私が
>>727
で張ったリンク先に跳んで
スレ冒頭にコピペされた資料をお読みになった方がよろしいかと。
かもめさんは、連日連夜に亘る抗議(嫌がらせ?)の電話とか、
例の中絶を侮辱するような発言とかいった妻の言動こそ、放火
殺人事件が起きた直接的原因なのだとお考えなのでしょうか。
でなければ、妻がキャシーの犯行を煽るような真似をしたなど
とは口が裂けても言えないでしょうから。しかし、本当の放火殺人
の直接的原因は何かと問われれば、放火殺人を行った当の者の
意志であるとしか言えないんですけどね。
法定上の親に子どもに対する保護責任があるのは当然のことですから、
子どもに何かあった場合、その親の責任を追及することを前面に押し
出してくる他人が出てきても別に不思議はないんですが、そういった
責任論に依拠した問題提起では犯罪原因論は語り尽くせない、と言うか
議論が果てしなくずれてしまいそうです。殺人者と単なる無責任者を
同列に扱おうとすること自体が、異なる文脈の混同を表しているでしょう。
本件において、果てしなき責任追及という形を取った保護責任論に
よって犯罪原因論をカバーしようとすれば、妻の場合、暴言や執拗に
電話を掛けることで犯行を煽ったのでなければ、次はキャシーの凶手
から子どもを守れなかったことが問題とされるのだからヒドイ話です。
かもめさんは本件の妻の行動を、炎天下に子どもを車に寝かし
つけたまま、親はパチンコやりにレッツゴーとかいった事例と
一緒にしていませんか? 炎天下にエアコンもかけずに子どもを
車に置き去りにすりゃ死ぬのは当たり前ですが、もはや配偶者との
関係が切れた不倫相手をなじり続けると自分とか親しい者が殺され
ちゃうのは物理的に当たり前なことと言えますかね? 不倫する
ような人間っていうのは第三者から不倫したことを非難されると
反論もできずに意志も何もない物体―――その代わり道徳的非難に
対しては一定(想定内)の暴力的動作を出力するような機械と化して
しまうのでしょうか? まぁ、キャシーがそういった世にも珍しい
人間だったのであると証明されたら、誰も文句は付けられないのですが。
そうそう。ためしにこの事件を知らない人に、キャシーが子供を
焼き殺したという結末だけを伏せて一連の経緯を話して聞かせる
んです。そして、例の妻の一言でキャシーは何をしようと思った
のかと質問するんですよ。キャシーをか弱き純情な乙女と捉えて
いる人なら、自殺しようと思ったと答えるんじゃないかな。
純粋で一途な人とは思わないがキャシーに同情くらいはする
という人でさえ、復讐しようと思ったという答えを思いつくことは
できても、子どもだけをターゲットにした放火殺人を行おうと思った
と答えられる人がどれだけいるか気になりますね。
740
:
かもめ
:2010/04/21(水) 06:48:21
こんにちわ。
丁寧なご指摘やご説明、とても参考になりました。
また、重複してはいけないと思いおおざっぱな書き込みになり、
ご不快をかけてしまったとしたら誠に申し訳ございません!
個人的には、法を抜きにすると
3者3様、度合いの差こそあれど、何らかの犯罪を誘発する原因があり、
本当に被害を受けたのは4人(ないしは6人)の子供だと思います。
極刑についてそこまでしなくてよいと意見したのは、
事故、犯罪の現場や、事故や処刑の画像を見てしまったことがあるからです。
正直人間以前に生き物の本能として恐ろしく、
私がもし火災の現場やキャシーの死刑執行など見てしまったら、とてもこれ以上
意見できないと思います。
それを踏まえ、このような悲惨なことが身近に起こらないにはどうしたらいいか?
という視点からカキコしました。
(スレ違いになるのでこれ以上は遠慮させていただきます・・・)
夫妻の子供についての思いについては、少々乱暴な書き方をしてしまったかと
反省しています。
ただ願わくば、現在養育している子たちには、今件のようなことがないように
健全な家庭を営んでほしいと思います!
741
:
村雨
:2010/04/23(金) 01:07:34
>丁寧なご指摘やご説明、とても参考になりました。
と書いておきながら
>3者3様、度合いの差こそあれど、何らかの犯罪を誘発する原因があり、
本当に被害を受けたのは4人(ないしは6人)の子供だと思います。
と言い放ってしまう所に、どうなんでしょうと思わずにはいられないですね。
742
:
かもめ
:2010/04/23(金) 05:00:07
取り急ぎ。一凡人の思ったことですので、細かいことはあまり気にしないで下さい 汗
>>741
・・・(困)何が言いたいの?どうしてほしいの?もしどうしても私からの
レスが必要なら忌憚なくお知らせ下さい。
くどいようですが、私の視点はあくまで防犯です。
また、議論ですので、既出の方々の意見を否定したり、
自分の意見だけを正当化するつもりはありません。
スレを無駄に沸き立ててしまったようですみませんでした。
今後は何がしか役に立つ発言や、特に参加者様が疑問に思うことなどがもしあれば、
レスさせていただきます。
743
:
ufloat
:2010/04/23(金) 06:56:25
>>740
文章が短いので、
>>741
の方の真意は分かりませんが・・・。
「関係者の行為が犯罪の引き金となったか否かと、その人に責任があるか否かは違う」
のではありませんかねえ。
例えば、このスレッドにかもめさんが投稿された記事を読んで、
「この事件の関係者は生きている価値がない。殺害してやる」
などというおかしな人が出現し、事件が発生してしまった場合を考えてみましょう。
この場合、「かもめさんの記事が事件を誘発した」「かもめさんの記事がなければ
事件は発生しなかった」わけですが、これでかもめさんまで殺人の責任を追及
されるとしたら、ずいぶん理不尽な話ですね。
したがって、仮に「妻の行動がこの放火殺人を誘発した」のであるとしても、
それすなわち「妻にも責任がある」とはいえないのではないか、と私は考えるのです。
もちろん暴言を吐くのはよくないことですから、そういう意味では妻にも非があると
いえなくはありません。しかし、それによって妻が負わなくてはならない責任の大きさは
「世間一般において、配偶者が不倫をしていたことが分かり、その不倫相手をなじった不倫被害者」
より上でも下でもないはずで、むしろ世間一般の価値観からすれば、不倫被害者が配偶者の
不倫相手をなじるのは、ある程度自然な行為であるとみなされてもおかしくありません。
これで妻に放火殺人の責任の一端まで求めるのは、いくらなんでも無茶な話でしょう。
かもめさんがおっしゃる「防犯」の観点から考えても、
「配偶者に不倫されて憔悴し、不倫相手に暴言を吐く」という行為が放火殺人を誘発すると
予想するのはまず不可能ですし、またそのような観点から犯罪の誘発を予防しようとすると、
駅で肩がぶつかるとか、電車内の携帯通話を注意するとか、夜道を歩くとか、BBSに書き込むとか、
そういった無限の事例について、「犯罪を誘発する可能性がある」ということがいえてしまいます
(この放火事件で妻の行為が「放火殺人を誘発した」と言えるのは、結果論だから)。
誰かの行為が(結果論として)犯罪を誘発したかどうかと、その人に犯罪の責任があるかどうかは、
分けて評価されるべきではないでしょうか。
744
:
Ken
:2010/04/23(金) 13:20:20
>>740
に対しては私も村雨さんと同様の感想を抱いたわけですが...
二人の子供の死は両親にも責任があると考えるのは個人の自由なわけで別に構いませんが、その場合は紫煙狼さんの投稿に納得していないわけで「丁寧なご指摘やご説明、とても参考になりました」などと思ってもないこと書いちゃダメですよ。
悲しいことに世間には不倫なんてごまんとあるわけですが、その結果子供が焼き殺されるというのはこの事件しかないわけで、非常に特殊な例なわけです。そういう特殊な事例から防犯上の教訓を汲み取ることは不可能かと。
一方で、家や車に置き去りにされた子供が事件・事故に巻き込まれるというのはたびたび起きるわけで、そこから防犯上の教訓は導けるわけですが、その場合、子供を置き去りにするという行為と不倫との間にはなんら関連性はないです。
745
:
l
:2010/09/19(日) 08:24:59
http://wakaresase.iga-log.com/
746
:
bigpink
:2011/01/10(月) 10:57:26
ココの書き込み止ってますね。
偶然発見して3日間読みふけってしまった。
連休を返せw
ところで、シェンさんの書き込みは、僕も同郷ということもあって、
すごく判りやすく、納得できる意見だと思いながら読んだ。
道民気質が感じられると思うよ。
そんで、ひとつだけ言いたい事があるので、書き込む気になった。
キャシーに同情する人は、はっきりは言わないけど、
自分の同じ状況になったら同じことしてしまうだろう、、
ということを暗に仄めかしてるんだと思います。
恨みに思った直接の相手を殺してもそれで終わりだが、
相手が大切にしてるものを奪えば、相手は一生悲しみ続けるからね。
そのほうが「恨みを晴らす」なら効果的ですね。
そう考える人が居るのは別に普通だと思うなあ。
もちろん良い悪いは別にしてですよ。
でも実際にそういう人は居るのだから、
そういう人の被害に遭わないよう僕らは気をつけましょう、
また、自分もそんなことしないよう常に自分を抑えていましょう、
という戒めですね。この事件で思ったのはそういうことです。
747
:
俺
:2011/01/14(金) 22:01:26
もし、この事件が起こった時、裁判員制度があったとしたら、
果たして無期懲役の判決が出たであろうか?懲役15年程度が妥当と思うのだが?
あの男と出会っていなければ、今頃まだNECにいたのでしょうね。
748
:
紫煙狼
:2011/01/16(日) 02:30:23
>>747
>懲役15年程度が妥当と思うのだが?
この事件が発生した当時の有期懲役は加重なしの場合で15年、加重して20年でしたね。
キャシーの罪状は「現住建造物等放火」と「殺人」ですから、有期懲役の判決を下す場合、
最長で20年の有期懲役を言い渡すことができたと思いますが、15年が妥当ですか…。
俺さんが15年が妥当、と考えるのには、おそらく何らかの情状酌量をした結果ですよね?
そこで、逆に、情状酌量を一切行わなかった場合は、俺さんの価値観ではどれくらいの
罪に値するのでしょう?俺さんの考える「情状酌量すべき事由」によって「刑罰をどれくらい
割引き」した結果が「懲役15年」なのでしょう?
つまり、俺さんの考える「現住建造物等放火&殺人」への見積もりと、キャシーが置かれた
状況に対する「酌量」の見積もりのバランスを知りたいです。
と、言うのもですね、この事件ではキャシーに情状酌量すべき事由を認めるか否かという、
非常に大きな要素があるのではないか、と思うわけです。なにしろ、この事件の犠牲者は
事件発生の要因に対して何ら落ち度がない。師匠夫妻と血のつながりがある以外は、全く
の部外者ですからね。キャシー視線でどうなるかは別として「たまたま師匠夫妻と同じ
建物に住んでいた赤の他人」レベルの関わりですよ。
「色々と苦汁をなめさせられ、心身ともに疲れ果て、ズタボロになった不幸な女」には
第三者を事件に巻き込む正当性がある、と考えるか否かですね。そのあたりの俺さんの
見解を伺えたら、勉強になります。
749
:
Ken
:2011/01/16(日) 13:11:01
>>747
いや、逆でしょう。この20年でずいぶん厳罰化が進んだので、放火で二人殺人で有期刑というのは厳しいと思います。
750
:
ufloat
:2011/01/16(日) 16:51:08
>>746
確かに、「相手に直接危害を加えるより、相手が大切にしているものを攻撃する」
ことで相手に苦しみを与えようと考えるのは、分からないではありません。
ただ、この問題が厄介なのは、その「相手が大切にしているもの」が器物ではなく、
苦しめたい相手とは別個の生命・人格・人権を持った人間である、という点ですね。
もし他人の恨みを買ってしまえば、自分の大切な人が被害にあうかもしれないから、
他人を苦しめるようなことはしないようにしよう、という心がけは、それはそれで
立派なこととは思いますが、逆に言えば「自分は何も悪いことをしていないのに、
誰かの行為のとばっちりを食い、面識すらない人から殺されるかもしれない」わけで、
これはものすごく理不尽な話ではないでしょうか。
ましてや、本件の被害者は幼子で、本人には何の落ち度もなければ、
殺人犯から自分の身を守ることもできないわけですから。
bigpinkさんご自身のお考えは違うものと思いますが、仮に
>自分の同じ状況になったら同じことしてしまうだろう
とお考えの人が本当にいるのなら、そこを今一度考えてほしいですね。
>>749
>>747
には
>もし、この事件が起こった時
とありますから、たぶん「あの当時に裁判員制度があって、当時の基準で判断した場合」
ではないかと。最近なら検察も死刑を求刑したのではないかと思います。
751
:
俺
:2011/01/17(月) 22:04:40
>>748
>第三者を事件に巻き込む正当性がある、と考えるか否かですね
正当性はないです。
>>749
厳罰化と言っても裁判員はその枠外にいます。どういう判決が出るかは
判りません。
>>750
>最近なら検察も死刑を求刑したのではないかと思います
最近でもさすがに死刑判決までは出ないでしょうね。
752
:
紫煙狼
:2011/01/17(月) 22:42:13
>>751
俺さんの考え方では「放火殺人で犠牲者2人」という事件の被告人に対し、
死刑判決は、まず、ないだろう、お考えということですか?
753
:
それは
:2011/01/17(月) 23:46:14
これが、大奥の中で繰り広げられた事件だったならば、「女の戦」なんとかいうタイトルになってしまう子殺しなのに、今の時代は、なんでもない一般市民の男がやらかしちゃった残念な話になってしまう。小さな命を無駄に消す国の戦争と同じ・・・今の時代も終わりなく続く殺し合い・・・。私の親もこんな親だったから、被害者になった自分を残念に思いますが、父の不倫相手を憎む気にもなりませんね。いつの時代もどんな場合でも、犠牲者は小さな子供であり、やがて大人に成長した子供もまた、犠牲者を出す大人になり、ただただ、そんなくだらないことが永遠に繰り返される。そんな世の中でも生きていたいと願う自分って??
754
:
無精髭
:2011/01/18(火) 08:23:01
>>747
当時、裁判員制度があっても、無期懲役の判決が出たんじゃないですかね。
全ての審理において無期懲役の判決が下ったということには、おそらく
当時の裁判官の量刑判断における一般的な傾向が現れているのだと思います。
また、検察の求刑通りの判決だったわけですから、当時の裁判官の立場からすれば
本件に関して被告を厳罰に処したという実感があったのではないでしょうか。
これらを踏まえますと、事件当時に導入されたとする裁判員制度が現行と同じ
ものである限りは、仮に全ての裁判員が有期懲役との判断で一致したとしても、
その判断が判決に反映されることはなかったと考えるのが妥当かと思われます。
>>751
>厳罰化と言っても裁判員はその枠外にいます。
裁判官と一緒に審理するので、さすがに「枠外」にはいられないですよ。
>最近でもさすがに死刑判決までは出ないでしょうね。
「どういう判決が出るかは判らない」と仰いましたよね。裁判員が
「厳罰化の枠外」にいるとすれば、なお更ではありませんか。
要は、俺さんはキャシーの弁護人と同じことを仰りたいのでしょう。
キャシーを擁護する主張の中で、唯一まともだと思えるのはそれくらいですし。
755
:
無精髭
:2011/01/18(火) 20:49:14
付け焼刃の知識でレスしたから、不安になってググったら間違ってた。
裁判官3人が有期刑、裁判員6人が無期刑だったら、裁判官の意見が採用されますが、
裁判官3人が無期刑、裁判員6人が有期刑だったら、裁判員の意見が採用されますね。
ある意味で良心設計だと分かり、安心しました。
もし当時、裁判員裁判が行われていたとすれば、キャシーに有期刑の判決が下った
可能性はあったかも知れないですね。ただ、裁判官たちからすれば、裁判員2人を
抱き込めば、自分たちの判断を判決として成立させることができるわけですから、
必死になって(あの手この手で?)説き伏せにかかってくるかと。
それに法律の素人が堪えられるでしょうか? まぁ、法律のプロよりも論理的な
(というより議論に強い)素人がいたら、それはそれでドラマチックですが。
756
:
紫煙狼
:2011/01/19(水) 00:48:59
この事件、有期懲役が妥当であると考える人って、そんなに多いのでしょうか?
つまり、裁判員制度が当時すでに導入されていたとして、有期懲役判決が出た可能性は
そこまで高いでしょうか?
自分にも非がある不貞行為の挙句の果てに、恨みの対象としてはお門違いな相手に明確な殺意を持ち、周到に
準備し、多くの人を巻き込みかねない方法(被害の限度を特定できない方法)で殺害した事実に対する刑罰が
有期懲役で充分とする見解が多くの人々にとって「ごく普通の感覚」なのでしょうか?
俺さんの意見には説明が全くなくて、ただ見解としての結論だけ端的に…なので
その結論に至った根拠が一切わからなくて、私には理解(共感)しづらいです。
757
:
ななし
:2011/02/10(木) 18:53:24
八日目の蝉で検索してたどり着きました。
すれ違いですが書かずにはいられなかったので、お目汚し失礼します。
私は数年前この事件と似たような状況におり、相手の女性に何度も電話したことがあります。
理由はもちろん主人がどちらも選べないというので向こうから手を離してもらいたかったからです。
その際、相手はかなり高圧的でした。主人とはしおらしくやりとりしていましたが、私にはかなり「あんたの旦那が来るのがいけない」と強気でした。
私は「うちの子ども達の立場にもなって考えて欲しい、もし貴方のお父様が同じ事をし両親が離婚したら貴方はどう感じますか?」と言ったことがあります。
その時から「あんたは私だけでなくうちの親まで侮辱した」と言うようになりました。
この事件の記事を見て、当時私が売り言葉に買い言葉で同じように罵ったりしていたら、もしかしたらうちの子ども達に何かあったかもしれないと思うと
改めて怖くなりました。
事件の加害女性と、元不倫相手の妻、どちらの言うことが本当なのか(どちらも本当でない可能性もありますが)わかりません。
しかし、相手を罵倒するような言葉でなくとも「侮辱された」と受け取られることは実際にあるので、私には妻の言っていることの方が真実に近いのではないかなと思います。
まぁ私の場合は完全に妻側に感情移入しがちな立場ですので、参考にはならないでしょうが。
でも実際経験したのです。とにかく冷静に、言葉を選んで、相手を非難することを極力避けて「お願い」をする中で、
すべての言葉を悪意を持って受け取られ、全く取り合ってもらえなかった。それどころか言ってもいない罵詈雑言を浴びせられたと
主人に訴えられストーカーや無言電話など嫌がらせの濡れ衣まで着せられました。
本当に怖いことです。
本当に、この事件他人事とは思えません。怖い。
758
:
俺
:2011/02/11(金) 22:52:45
>>757
それは災難でしたね。でも殺人が起こるのは稀で特殊なケースです。
ちなみに不倫してる人は他にも沢山いるでしょうし、妻バレしてるケースも
それなりにあると思います。貴女だけではありません。
759
:
紫煙狼
:2011/02/13(日) 00:09:56
>>757
>当時私が売り言葉に買い言葉で同じように罵ったりしていたら、もしかしたら
>うちの子ども達に何かあったかもしれないと思うと改めて怖くなりました。
>相手を罵倒するような言葉でなくとも「侮辱された」と受け取られることは実際に
>あるので、私には妻の言っていることの方が真実に近いのではないかなと思います。
これは深いですよ。順番を逆にしてみると如実に判ると思うのですが、妻vs愛人の会話では
妻が愛人を罵っていなくても愛人に「罵られた」と受け取られることはあり得るのですよね?
と、いうことは「売り言葉に買い言葉で同じように罵ったりして」いなくても、お子様達に
何かあったかもしれないわけですよね?
結局、幸いなことに757さんのお子様達は「愛人に何かをされる」という最悪な事態は起きなかった。
でも、当時の757さんが、あと少し愛人の気分を害していたら「何かあった」かもしれない。それは
実際にそうなのでしょうけれど、結果論に過ぎません。愛人さんが757さんの言葉を悪意に取って
勝手に気分を害してお子様達に何かしてしまっていた可能性は充分に考えられた、というコトの方が
757さんの「本当に、この事件他人事とは思えません。怖い。」の本質ですよね?
>>758
の俺さんが言うとおり、妻バレのケースなんて珍しくもないし、妻vs愛人の激闘で売り言葉に
買い言葉でエスカレートすることも、実際は珍しいことではありません。それが殺人にエスカレート
するかしないかの差は、妻の対応に依存する割合よりも、愛人のイカレ具合に依存する割合の方が
高いのではないでしょうか?そう考えると、この事件と、757さんのケースの差は、単に757さんと対決した
愛人さんが殺人を犯すほど常軌を逸していなかった。外道は外道なりに小指のつめの先程度にはマトモな
ところが残っていたというだけなのではないでしょうか?
どちらにしても、怖い話に変わりはありませんね。757さんのお子様達に何事もなくて、本当に良かったです。
760
:
mnh
:2011/02/13(日) 05:30:40
横ですが。
「八日目の蝉」、人気のある本ですよね。
私はちょっと駄目だったけど。
子供を誘拐して逃げる話なんですけど…主人公はものすごく子供に執着している
けれど、育てるという視点に欠けているんです。
普通に結婚して子供が生まれていたら、私も夫から守られ、親から守られするはずだ、
みたいな記述が随所に見られ、いやいや、あんた、子供産んだら守る人になるん
だよ、あんたみたいに守られたい病の人は、やめといたほうがいいよ、と説教したく
なる。
で、逃亡中だから仕方がないんだけど、いろんなところにもぐりこむのだが、
それがことごとく、自分の保護者を求める行為のようでね。気持ちが悪い。
それで誘拐された子供は、親元に戻されるんだが、家庭の中の異分子になってしまい、
親とは上手くいかない。ところが彼女もまた不倫をして妊娠する。
産もう、と決断するのはいいんだが、さぁ親に会いに行こう、受け入れてもら
えるかどうかわからないけど、子供ができたから受け入れてもらいたい、
という流れになる結末なんですよ。
え、親になるのに、なんで保護者を求めるの、親になるって大人になるって
ことだと何でわからないの、と、またしても説教したくなる。
その上、思いっきり、男性不在の小説なんですよ。相手の人柄とかほとんど
描かれていない。
ただもう子供を持つと、孤独じゃなくなる、守ってもらえると思い込んでいる
病気というのかな…母性がどうとか評されていましたけど、母性というより、
インナーチャイルド全開!でしたね。
それで日野も、この手の内面の幼さが起した犯罪だったのかな、と思いました。
761
:
無精髭
:2011/02/14(月) 00:56:46
ななしさんを俺さんは慰めていらっしゃるのですね。優しいなぁ。
>>757
ななしさんの書き込みで興味深いのは、妻(不倫の被害者)の視点を前面に
押し出そうとしている点ではなくて、キャシーが妻を逆恨みしていたかも
知れないことを示唆している点ですね。
キャシーが妻に対してどの時期にどんな気持ちを抱いていたかなんてこと、
事件記事にはほとんど書かれていないですからね。情報が不足しているからには、
キャシーが妻に対し憎しみを抱いていなかったとか、キャシーの妻に対する恨みの方が
妻のキャシーに対する恨みよりも弱いなんてことは、全然自明じゃないわけです。
したがって、誰の証言を信じるかによって・事件当事者の誰に感情移入するかによって、
キャシーや妻に対する印象は異なるでしょう。逆を言えば、キャシーや妻の印象は
何ら確定的なものではなく(つまり事実ではなく)、第三者の信念や感情によって
玉虫色のように変化するということです(しょせん各人の解釈に過ぎない)。
ななしさんご自身の場合、憎悪に燃えてたのは旦那さんの元不倫相手の女性
とのことですが、本件の場合は、キャシーではなく妻とされることが多い
みたいです。ココが私にとっては謎なんですよねぇ。
しかし、以上は、ななしさんの視点から本件を眺めるとこうなるという話であって、
ななしさんの体験を本件と同列化すると、ななしさんの証言の信憑性も実は怪しく
なります。旦那さんの元不倫相手の言い分を詳しく聞いたわけでもない第三者から
すれば、ななしさんの言い分だけを鵜呑みにして元不倫相手の女を悪者扱いすることは
絶対に避けなければなりません。不倫が悪いとか殺人が悪いとかいったことを抜きに
した場合、ななしさんの言い分を善意に解釈できるなら、キャシーの言い分も善意に
解釈できるはずですし、キャシーの言い分を悪意に解釈できるなら、ななしさんの
言い分も悪意に解釈できるはずです。
こういうディレンマを回避するためにこそ、事件当事者の持つイメージは不確定である
が故に無視すべきである、法的にせよ、道徳的にせよ、悪いかどうかは、当事者の
イメージとは関係なく判断すべきだということに徹するべきではないでしょうか。
言い換えれば、その人間が悪いかどうかということよりも、その人間が行った
「行為」が悪いかどうかを問うべきではないでしょうか。
>>759
誰も罵ってないのに「罵られた」と感じることと、罵られたら復讐することは
違いますよね。この二つが繋がるとすれば、罵られてもないのに「罵られた」
と感じる人が、同時に天然記念物並みに復讐心旺盛な人でもあった場合ですよね。
これはかなりレアなケースですよねw
ななしさんの発言により、被害妄想の強めな人でも犯罪に走るわけではない
というのが分かりました。つまり、被害妄想狂は復讐の鬼とは限らないわけです。
これは実に貴重な証言。
しかし、一方で、侮辱されたら犯罪を犯してまでも復讐するかも知れないとか
いったことを公の場で恥ずかしげもなく発言する人をたまに見かけますけど、
実際、こういう人って他人から罵られてもないのに「罵られた」とか感じちゃう
ことがあるんでしょうかねぇ。つまり、感情の抑制が効かない人は、同時に
被害妄想狂なのか、もしくはそうなるリスクは高いのかっていうのが気になるところ。
762
:
無精髭
:2011/02/14(月) 01:31:24
>>760
その小説で母性が中途半端に描かれている(?)のは、作者の角田光代氏が意図したからじゃないでしょうかね。
インタビュー:角田光代、「八日目の蝉」で描く母性の問題
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-19480920110210
―――
「(最近の子供虐待の新聞報道には)実の母親なのになぜ虐待ができるのかという論調が非常に多いが、そこで父性は問われないのだろうかとか、母性というものをあまりにも当たり前に女性に押し付けているのではないか。そのことが女性たちを苦しめているのではないか」と同氏はこの小説のテーマを語った。
また母性に対する過度な期待は日本独特のものではないかとも指摘。「周りがあまりに母親とはこういうものだと決め付けているだけに、子供をかわいく思えないと自分は母親失格だと、無言のプレッシャーに追い詰められている女性は多いのではないか」と話す。
―――
上のインタビューを読む限りでは、どうやら従来の母性観を否定、または空洞化な母性を
父性(保護者)によって補完することで刷新することをテーマにしたかったみたいですね。
角田氏にしてみれば、mnhさんの発言―――「子ども産んだら守る人になる」とか「親になる
って大人になるってこと」こそが母性の押し付けに他ならないのだと思います。実際には母性に
何でもかんでもやりこなせるわけがない、女性一人の力では子の親という役割は務まらないから、
誰かの助けが必要だってことを角田氏は強調したかったんじゃないでしょうか。「自分の保護者
を求める行為」を多く描写したのは、そういう不完全な母性が実は一般的である(虐待を起こさ
ないのは単に恵まれているだけである)ことを読者に伝えたかったからではないかと思います。
>その上、思いっきり、男性不在の小説なんですよ。相手の人柄とか/ほとんど描かれていない。
いいんですよ。角田氏的にはそれでも。さっき言ったように、母親に育児の責任を押し付けるのは
過度なストレスを与えることになるから、父親も半分くらいは責任持てよ、周囲も理解の上、協力
してよって感じでしょう。
インタビューで語ったテーマで小説を書きたかったんなら、別に不倫&赤ちゃん泥棒なんて
ストーリーにする必要はないと思われるかも知れませんが、非力な女性が誰からの協力も
得られない環境下で育児の責任を一身に担ったらどうなるのか、という思考実験を行いた
かったのであれば、主人公が不倫して、愛人の子どもを盗み、逃げながら育てるという設定は、
案外いい線いってるんじゃないでしょうか。こんなふうに書くと、身も蓋もないのですが。
「八日目の蝉」という題名の由来にもマッチするでしょうし。
まぁ、角田氏の言ってることは小説の話の中でなら通用するんですけど、事実は小説よりも
奇なりと言いますし、現実の話にまで持って行くとあまりにも視野が狭すぎる考え方ですね。
763
:
無精髭
:2011/02/14(月) 01:33:25
角田氏は心理学者でも社会学者でもないので、前レスで挙げたような印象論で語るしかないので
しょうけど、虐待が起きる原因は、親自身の成育環境や、親の精神・人格の問題、子どもの性格
や健康状態や障害、経済的状況、夫婦間のトラブル、核家族化、等々、たくさんあるわけですよ。
そういうのが複雑に絡み合って虐待は起きるわけですね。角田氏のような直感的な推測は、小説を
書く上では格好のモチベーションになるのかもしれませんが、実際の虐待について考察する上では
あまり役立ちそうにありません。
(日本独特の)母性に対する周囲の期待感が虐待を生む遠因になっているなんて簡単に言いますけど、
母性押し付け論調の根源であるとされる新聞やニュースを見ない人とか、「母親とはこういうもの
だと決め付けて」くるような周囲とか地域社会から切り離された人って珍しくないので、角田氏が
指摘するような「無言のプレッシャー」を感じずに虐待している親だって少なからずいなきゃおかしい
はずです。むしろ、周囲からの押し付けが、親の中で虐待の抑止力になるようなモラル形成への
きっかけになっている可能性もあるんじゃないでしょうか。親としての自覚を促すという意味で。
だとしたら、押し付けの圏外にいる人間のほうが虐待を起こしやすいという考え方も当然できるでしょう。
あと、角田氏の推測とは対照的に、母性本能を否定し、女性の社会進出をラディカルに推し進めるべきだと
主張する一部のフェミニズムの影響のために、子どもを可愛く思えなくてもいい、出産や育児は女性の社会
進出において障害になるのだ、といった考えが社会に浸透したことが虐待増加の背景にあるという仮説も
あります。つまり、角田氏が想定するような「母性の押し付け」など、実社会ではすでに機能を失効して
いる可能性がある、だからこそ虐待が増えているのだとも言えるわけです。まさにアンチノミーですな。
http://fs1.law.keio.ac.jp/~hkatoh/gyakutai/2_1_B.htm
上に挙げたデータの中で角田氏の主張に一番近いと思われるのは、「育児負担感の増加」の箇所でしょう。
しかし、それも角田氏が推測するような「周りからの押し付け」が直接的な原因じゃなくて、そもそも相談
できる相手が誰もいないとか、保育園が足りないとか、育児を始めてみたら思った以上に大変だったとか
いったことに端を発していることでしょう。更に言うと、父性が問われる・問われない以前に、父親が
育児に参加しているかどうかの問題でしょう。察するに、角田氏には社会問題を物質的な問題からでは
なくて、精神的な問題から論じたがる癖があるんじゃないかなあ。それが小説家たるゆえんなのかも...。
764
:
無精髭
:2011/02/14(月) 01:35:32
余談ですが、角田氏の小説観には賛同できかねますなぁ。
―――
角田氏はこの20年で日本の小説をめぐる環境は大きく変わったと指摘する。若い作家が増え、ジャンルが多様になり、小説に対しての敷居が低くなったことで、より身近なものとなった一方、「チープ」になったという。「チープになったという言葉はネガティブすぎるかもしれないが、ほとんど多くの読者の価値観が似てきてしまい、読んでわからない、難解なものをつまらないというようになったのは残念」と語った。
―――
若い作家が増えたら小説がチープになるって、これは若い書き手を軽視した言葉だし、大体、
年寄りの方が若者よりも良い小説を書くって決めたのは誰なんだと。同じ年寄りじゃないかと。
あと、ジャンルが多様になったら小説がチープになるって、ある特定のジャンルが小説界を
守っているしこれからも牽引すべきなんだーとかいった、よくありがちな古臭い文学観です。
良い小説の条件はジャンルの創造ではない、小説家個人の創造力である、とか、文学の伝統を守る、
とか、聞こえはいいですけど、こういうのって、自分たちの狭い世界だけで享受されている、だから
全然普遍的じゃない価値を一元的なものだと偽るために、他のジャンルに対して排外的になっている
原理主義者みたいなところがありますよ。
若い書き手が増えて小説の質が落ちることと、読み手が馬鹿になることの繋がりも良く分からない
ですね。若い書き手がチープな小説を大量生産しているから読み手が十分に教育されない、そして
チープな小説ばかり読んでる読者が「私でも小説書けるヮ」とか勘違いを起こして、それ以上に
チープな小説を書いちゃってまた読者が十分に教育されない、そういう悪循環が働いているとか
言いたいんでしょうかね。むしろ、こっちのほうが「残念」な小説観じゃないかと。
そのくせ、自分の小説は広く読まれてもチープにならないって言うんでしょ。
敷居が低くなったというのは、ライトノベルとかケータイ小説の台頭のことを指しているんだと
思いますが、見方を変えれば今までは敷居が高すぎた―――そのくせ敷居の向こう側には大した
ものがなかった―――人々の多様な欲求を満たせるだけの普遍的な価値がなかった、だから人々は
欲求を満たすために、まずは敷居のこちら側で新たなジャンルを次々と生成するしかなかった、
というのが実状ではないかと。
下記でもおんなじことを言ってますが。
http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/200810/10toku1.php
文学が人間の感情の多様性を支えるってのは、驕りでなくて何なのかと。で、ジャンルが
多様になれば、価値観も多様になるでしょう、常識的に考えて。それなのに、なんで逆に
価値観が画一化・平板化するんでしょうか。あと、高級な文学が読まれないことと、人間の
感情が荒廃していることなんて何のカンケーもねーよ、と言いたいですな。
まぁ、とにかくこういう感性の古臭くて、視野も狭く、おまけに不勉強な人が文学賞の
選考委員とかやってるんですから、日本の文壇も相当やばい。
おまけ。こんなのありましたー。
Mother (テレビドラマ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/Mother_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)
765
:
紫煙狼
:2011/02/14(月) 16:20:21
>>761
ん?レアケースを想定してはマズかった?
>罵られてもないのに「罵られた」と感じる人
これは珍しくないよねぇ。脅されても居ないのに「脅された」と騒ぐ人とか
最近見たような気がするよ?もしかしたら髭さんにも心当たりが有るのでは?
これは「レアな人」というよりは、むしろ「アレな人」だよね。
>復讐心旺盛な人
これは「旺盛」をどう定義するかにもよる。けれど、そもそも復讐心と言うのは
被害感情に依存するものであって、客観的事実としての被害の大きさとは無関係
ではないのかなぁ?実際、このスレには「月に代わってお仕置きよ(はーと)」という
復讐代行業の人(被害感受性豊かな人?)が非常に多いように見受けられますよ?
と、考えると上記の二つを同時に満たすなんてのは「極めてレア」とは言えない。
だから、問題は「復讐心を満たす為には犯罪をも厭わない」人がレアなのだよね。
でも、それを言い出したら「刑事犯罪を起こす人」自体がそもそもレアじゃないか?
敢えて言うならば、レアな人は、アレな人に多そうな(自粛)
766
:
無精髭
:2011/02/16(水) 12:51:49
せっかく忘れてたのに、あの人のことを思い出しちゃいましたよ...(泣)。
と言うのは嘘で、別のスレでシェンさんから、あの人のことを忘れたほうが
いいと助言されましたけど、実を言いますと、かえってそれがあの人のこと
についてもっと深く考えるきっかけになってしまいまして、、、実は、あれ
からあれこれと書き溜めていたんです。近いうちにまとめて投稿しますが、
それと
>>761
のご指摘の箇所は密接に関係しております。
さて、レアケースについてですけど、私はシェンさんやななしさんのように
我慢強くもなければ、石橋を叩いて渡るようなタイプでもないので、誰かの
勝手な都合で自分が不利な状況に追い込まれたりなんかしたら、言うべきことは
言ってやりますし、場合によっては法的手段も辞さないつもりです。で、それには
相手がレア、もといアレであるかも知れないといった推測は邪魔になる、というか、
無視せざるを得ません。他人の中にアレな人間が結構な割合で存在するなんて
思ってたら、危なっかしくて何もできない、ただ泣き寝入りするしかありません。
まぁ、ですから、可能性は否定できないんでしょうけど、それを基に行動計画を
立てる気にはなれないなぁ、といったところですかね。レアケースを想定するのが
マズイというより、レアケースであってくれなきゃ文句一つも言えないので非常に
困ります(笑)。
>罵られてもないのに「罵られた」と感じる人
どうでしょう。各人の人生経験によるのかも知れませんけど、少なくとも私に
とってはレアケースでしたね。ななしさんに因縁を付けた人とか、例の御仁の
ような極端な人物には、リアルではメッタにお目にかかれないです。
いや、まぁ、しかし、それが仮に誰にとっても珍しくない存在だとしても、です。
私は、罵られてもないのに「罵られた」と感じる人という存在を、二重の意味で
捉えているというか、二つのタイプに分けているというか、少し複雑に理解して
いるようです。
私からすると、ななしさんの旦那さんの元不倫相手とか、あの人の場合、被害
妄想狂であるかどうかという以前に独自文法を操る人だったから、人間不振に
陥るまで精神的被害が彼らの中で拡大してしまったのか、それとも、もともと
単に傷つきやすいメンタリティの持ち主だったから被害妄想から抜け出せなく
なってしまったのか、それが謎なんですよ。つまり、被害感情(精神的虚弱)
が先か、独自文法(知的不能)が先か、ということです。普段は頭がいいのに、
口論になると熱くなりすぎて頭が回らなくなる人もいれば、頭が悪いからこそ、
何でもかんでも誹謗中傷と受け取ってしまう人もいるんじゃないでしょうか。
ちなみに、独自文法に囚われている場合、極端な話、実際に被害感情を抱いて
いなくても、被害者ぶることができると思います。なぜって、普通は罵詈雑言
でないとされる言葉遣いも、罵りの言葉と解する文法・語法に照らし合わせれば、
文法・語法上の「客観的事実」と言えるからです。言い換えると、独自文法の
持ち主には、自分が当の言葉を投げかけられてどう感じるかということを抜きに
しても、それが罵りの言葉であることは自明なわけです。つまり、自分に向け
られた言葉が罵りの言葉であると認識することと、その言葉で傷つくことは違う、
ということです。罵りの言葉であると認識するに留まり、心に大したダメージを
負わない人は、被害感情抜きに被害を訴えることができるでしょう。そして、
周りもなんとなくそれに惑わされることがあるかも知れません。彼にとっては、
自分が傷ついたということよりも、誹謗中傷されたという事実のほうが大事であり、
誹謗中傷した相手を槍玉に挙げることのほうがもっと大事なのです。
767
:
無精髭
:2011/02/16(水) 12:52:13
>復讐心旺盛な人
罵られたらやり返すヤツは珍しくないが、過剰にやり返すやつは珍しいって話
ですよね、分かります。「復讐心旺盛」という表現を使ったのは、被害感情を
念頭に置いていたからではなく、攻撃本能とか、衝動性、暴力性を意識していた
からです。ストレスを入れる器が小さい、ということなのかも知れませんが。
という次第なので、もちろん、過剰報復を内から支える心情的基盤のことを
「復讐心旺盛」というふうに私は定義、というか念頭においていました。これは
殺人までエスカレートしかねないケースと補い合う関係ではないでしょうか。
つまり、被害感情は復讐心(報復感情)の必要条件ですが、十分条件
ではないというようなことを言いたかったわけです。
とは言うものの、復讐心が被害感情に依存するかどうかまでは、私にはどうも
良く分からないんです。仮に依存するかどうかを勝手に決めていいのだとすると、
それこそ「被害感情」の方を定義しなければならないと思います。これは独自文法の
問題とも絡むのですが、たとえばシェンさんが仰っているような「復讐代行業の人」は、
被害感情を持っているのですよね。私にはそれがとても不思議です。自分が直接被害を
受けたワケでもなければ、被害者の関係者でもないのに、なぜ被害感情を持つことが
できるのでしょうか。この場合の被害感情というのは、被害者やその関係者が抱く
感情とは別種のものであるはずです。これはたぶん同情とか共感というヤツです。
仮にこれを被害感情と呼ぶことが許されるとしても、私が思うに、もう一つ問題が
あります。私たちから見てお門違いな復讐心を抱く人は、メディアの情報(真偽の
ほどは別にしても)に触れたのをきっかけにして、復讐心なり被害感情なりを
抱き始めるわけでしょう。真実であろうがデマであろうが、情報として存在する
ことは客観的な事実であるのだから、そういうものでしか赤の他人の犯罪被害を
知ることができない(被害者やその関係者じゃない)完全なる第三者の場合、
復讐心や被害感情は、客観的事実と無関係と言えるどころか、客観的事実の内容に
大きく左右されざるを得ません。
768
:
紫煙狼
:2011/02/17(木) 02:49:01
>>766
実は
>>765
の文章は、およそ5倍の分量から削って削ってあの量にして物でして…(苦笑)
・万引き犯を追いかけて捕まえたら刺し殺された
・イヤホンの音漏れを注意したら刺し殺された
・精神病患者の治療をしていたら撃ち殺された
・飛行機が墜落して多数の死者が出た
これらはいずれも実際に起きた事件ですよね?確かに極めてレアなケースです。
しかし、これらの事件のおかげで、万引き犯を追い詰めてはいけないという認識が広がり、
一時的に、もしかすると今でも、万引き犯の対応をする人は慎重に対応するようになりました。
イヤホンの音漏れを注意することに、一瞬なりとも頭を恐怖がよぎるようになった人がいます。
攻撃的兆候の強い精神病患者の治療に後ろ向きになる医者が増えました。
もとから飛行機嫌いの人の「飛行機が嫌いな理由」が増えました。
良いか悪いかではなく、可能性が高いか低いかではなく、どんなに稀な事象であっても、
たった一度の実例があれば、それが通常考えられない事であるほど、過敏になる人がいる。
似た経験をしたことがあれば、自分や家族が被害者になっていたかもしれないと思うのは、
これはもう、数学の世界の話ではなく、心理学の世界の話ですよ。羹に懲りて膾吹くというのは、
元来、行き過ぎ・やりすぎを嘲笑う諺だと思いますが、本人にとっては大問題なのですよ。
だから、日野OL放火殺人なんてのは極めてレアな事件ではあるけれど、そのたった一度の実例で
恐怖におののく人には「自分にも降りかかりかねない事象」なのですよ。
「明日、試験なんだ。落ちたらどうしよう?」という問いに対して
「なら、一度テキストを読み返しておいたら?」という返答は間違ってはいないはず。
「いや、合格率95%の簡単な試験だから大丈夫でしょう」という返答が正しいといえるのは、
それまで不安を感じている本人が充分に対策をしてきたと認められる場合だけでしょう。
と、言うと「お前は恐怖をあおっているだけじゃなかったか?」と言われそうですが、
私が言及した例では、すでに危機は脱しているのだから、あとは無事を喜ぶだけで充分に
彼女も安心する…。もしかすると「一層、無事であることへの喜びも深まるだろう」という
勝手な判断に基づくものであって、さすがに「今、丁度、夫の愛人とモメていて…」という話なら、
私も「危険だよ〜」とは言えないよなぁ(苦笑)
769
:
紫煙狼
:2011/02/17(木) 02:49:31
>>767
「主観と客観」のような哲学的な方向に話を引っ張るツモリはないのですが(笑)
「女生徒一人が路上で30箇所以上刺され失血死した」と被害者の生前の顔写真入りで新聞に
載ったとして、ここまでの情報は髭さんにとっても、私にとっても客観的事実でよいと思います。
が、ここに同情なり共感という要素(被害感情・復讐心の代行)を私情抜きで定量的に持つことが
出来る人はどれだけいるのでしょうね?実は客観的事実だけでは同情すべきなのかどうかさえ
判断がつかないはずなのではないでしょうか?(それが髭さんのスタンスだよね?)
ところが公開された女生徒の顔写真が…。まぁブスと言うか何というか、見られたものではない。
とたんに人の同情は色々な方向に分岐するわけですよ。
・こんな不細工は、案外本人も死んでよかったんじゃないの?(2chにありがち)
・不細工は世の中に不要だから犯人も不細工を狙ったんだね。
・ただでさえ不細工と言うハンデを持って、それでも一生懸命生きている人を殺すなんて!!
・世間一般の評価は別に、実は俺はこういうタイプが好きだから、殺したやつは許せない
逆に超美少女だったとしても、結果はそう変わらない。
・美人は何かと妬まれるっていうしね。刺されるようなことでもしてたんじゃないの?
・そりゃ、殺すなら不細工より美人を殺したいっていう犯人の気持ちも分からないでもないよな
・世間一般の評価は別に、実は俺はこういうタイプがキライだから、どーでもいい
「30箇所以上刺して」という情報も主観と無縁ではいられない。30箇所以上さすという行為が
残忍極まりないと考えて加害者に怒りをもつ者もいれば、逆に、それなりの事情があったに違いないと
加害者サイドからものを見ようとする者もいる。もちろん、多角的に考えあらゆる方向から見極める
ことで客観的であろうとする努力は認めても良いけれど、実際に客観的と言って差し付けないレベルまで
客観的を目指す義務を負う人は殆どいないのだから、結局、自分の主観の居心地の良いところで探求は
終わってしまう。そうでなければ、そもそも自分が関与しない事件の登場人物に感情移入する人が
増えたとしても、その事件に対して皆が持つ同情と言うのは、およそ誤差の範囲内に収まる…。つまり
皆がみな似たり寄ったりの結論で終わるはずじゃないですかね?「師匠死ね」とか「キャシー最悪」と
いう不毛な論争が延々と続くワケがない。一番客観的であってしかるべき部外者でさえ、なかなか
主観を排除することは出来ないって事ですよ。
770
:
紫煙狼
:2011/02/17(木) 02:49:55
もう少し付け加えさせてください。
そもそも人は快楽に対して正確な量的判断を求められることはないのです。「1つ2つ3ついっぱい」でいい。
ところが、不快感に対しては非常にシビアに量的判断をする。でなければ、病院にいくとか手当てするという、
生存するために必要な行為の判断が難しくなる。だから同じ物でも得たときと失ったときでは、失ったときの方が
心を大きくゆすぶられる訳です。
「結婚して、子供が出来て、幸せな日々を得た喜び」「妻・子供を同時に突発性の病魔に奪われた悲しみ」
これをどこまでも数学的に処理すれば「妻と子供を得て」「妻と子供を失う」のですからプラマイゼロ。
あえて言うなら、別れの時で続いた幸せな日々の分、トータルでプラスですよね?でも、心という要素は、
そんな単純計算を絶対に認めない。
失った物の、その人にとっての価値と言う主観的基準も存在する。たかがバナナ1本、という価値観と
俺のバナナ取りやがったな!という価値観、これはその人の主観に依存するものでしょう?
復讐代行業なんてのは「そもそもが負の方向に陥りやすい人の主観(被害感情)に依存する」とでも考えなければ
説明のつかない話ではないでしょうかしら?もちろん、この先には自分は被害にあっていないはずなのに、
なぜか興味本位で過去の事件を調べて勝手に登場人物に復讐心を持つという迷惑な人の存在を確認できるわけです。
なるほどね、記事という客観的事実の存在がなければ、主観を呼び起こすことは出来ない…。
いや?本当にそう?実際は「勝手に妄想に浸った挙句、一人で被害感情を高ぶらせて」という事例もあるでしょう。
先ほど出した精神科医の例では客観的事実は「治療した」のではないでしょうか?でも患者の主観的事実は、
それとはかけ離れていた結果、勝手に復讐心を燃やして拳銃を手に取ったのではないでしょうか?
こう考えると、延長線上に
>そもそも復讐心と言うのは被害感情に依存するものであって、
>客観的事実としての被害の大きさとは無関係ではないのかなぁ?
と考えただけの話なんです。
771
:
桃煙狸
:2011/06/02(木) 06:03:25
被害者がブスなのか超美少女なのか
とか、どこまでも数学的に処理すれば
「妻と子供を得て」「妻と子供を失う」のですからプラマイゼロ
とか、どこまでも薄っぺらいな。
772
:
恐縮です。
:2011/06/07(火) 21:01:39
このスレどこまで行っても堂々廻りなのが、事件の本質なのかも知れません。
お互い住む世界の違う人達のやり取りなので、正直宇宙人同士。
言葉が違うから通じない。
773
:
恐縮ですか?
:2011/06/08(水) 01:39:28
「既婚の中年男が、部下である若き未婚の女性と不倫している」と聞いたら誰でも
手練手管の中年男が主導権を握って、若い女性を弄んでいる図しか思い浮かばない。
多くの視聴者が「女性は弱者であり、男たるもの弱者を守る存在であって欲しい」と
思っていて「ささやかな幸せを求め、愛に生きる女」の姿に共感し「より立場の弱い
方の女を応援したい」と感じてしまう。
そんなメロドラマ性をこの事件に期待し、予定調和にそぐわない台本にダメ出しする、
ハタ迷惑な脚本家やディレクターが後を絶たないって事では?
774
:
こだま
:2012/01/28(土) 15:00:56
この事件、まだ2chで話題になってるんですね。
加害者と事件後、かわら版なるもので、接する機会があり少しは
彼女よりの応援者でしたが、詳細書けませんが、やはり異常な神経というか
劇場型な人です。
人の優しさ思いやりを受け入れる人になって、早く世間に出てやり直しほしい
ものです。
やはり、子供二人殺した罪で、死刑にならなかったのは、裁判官の温情だと
心に刻んでほしいものです。
775
:
無精髭
:2012/01/28(土) 23:55:40
2chのスレを覗いてみました。大した感想はないですが。
いつも思っていることですが、被害者・加害者に関わらず相手を叩いていると、いつか予期せぬ形で自分に跳ね返ってくるかも知れません。
スマイリーキクチさんの件もありましたし
http://www.jinken.ne.jp/flat_now/kurashi/2011/11/25/1335.html
日々のストレス発散はほどほどにしておいたほうがいいですよね。
あと、こんな書き込みがありました。
http://logsoku.com/thread/toro.2ch.net/news2/1317728689/544-
boroさんの当事件についての書き方が加害者寄りに思われるということで、すでに
>>533-535
>>540
で議論されていることですが、これについては少し異論があります。
まず、情報が客観的な形で存在する―――誰でも同じ情報にアクセスできるということと、その情報の質が客観的である―――伝え手の主観を排しているということは違うということに留意すべきです。
また、放火殺人に帰結した不倫という一連の出来事についての言説は、その殆どが加害者側から出された情報で構成されているかの観があり、すでにその時点で情報全体の客観性(中立性)は保障されたものではありません。
boroさんは、この事件に限らず全ての事件について文献を基にして記事をお書きになっていますから、この場合の客観性というのは、感情を排するという意味での客観性のことではなく、文献中の記述に対しての客観性のことでしょう。それは、インプット・アウトプットの両面から目の前の情報内容に対し忠実に接するということですから、文献中の記述が主観的、ないし関係者の一人を中心にしたものであれば、それを基にした記事もその傾向が反映されざるを得ないわけですね。もちろん、文献の選択にboroさん自身の主観が働いてしまった、ということはあるのでしょうけど、当事件の関連文献の多くが加害者側から出た情報に依拠しているようですし、逆に被害者側から出された既存の情報に比重を置いて当事件の詳細を書くのは非常に困難であるという事情も考慮すれば、boroさんの文献の選択もあながちバイアスが効いているとも言えないのではないでしょうか。
雑談スレでのboroさんの書き込みを読んでいたことも手伝って、私は以上のように得心いたしました。
以下は、何年か前に別スレでもリンクを張った記事ですけど。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E7%9A%84%E3%81%AA%E8%A6%B3%E7%82%B9
ところで、以上は
>>767
「真実であろうがデマであろうが、情報として存在する/ことは客観的な事実であるのだから、」以下の主張ともリンクする考えです。冒頭で挙げた2chの書き込みや村雨さんの問題提起は決して珍しいものではなく、他に事例がいくらでも転がっているくらい現実味を帯びたものであって、だからこそ
>>767
での解釈の余地も生じるわけです(雑談スレでのゴタゴタや震災で、この件について書き溜めていた文章の存在をすっかり忘れていたので、近いうちにまとめて投稿したいと思います)。
776
:
無精髭
:2012/01/29(日) 23:40:07
そういえば、2chという言葉で思い出したのですが
http://media.excite.co.jp/book/interview/200311/p03.html
http://web-en.com/main5_023.html
ねらーの自治性としての側面、そして倫理性でもあるアイロニーが失われつつある、と言われて久しいですが、哀しいことですね。
ただ、本件に関してはあまりユーザーややり取りの質に変化は見られないと思いますけど。
http://www.geocities.jp/logupper/hino/hino02.html
本件のような実際に起きた事件に関する言説の場としても、2ちゃんねるに期待がないわけではないので、どうせ暇つぶしやストレス発散をするなら、本件について安易な一元論化を許さない・徹底的な相対化や、極限まで距離を置いた・斜に構えた果てにもはや本件について語っているとは思えないほどの脱線振り、暴走振りを発揮してもらいたいものです。被害者悪い、加害者悪い、といくら表現を変えて主張しても、先のような欲望を満たす上では不完全燃焼に終わる気がして仕方ないのです。
実際の事件を語ることで、関係者に対する実害を伴わずに暇つぶしやストレス発散をするには、相当の工夫と機転が必要かと思いますが、それは各人の腕の見せ所でしょう。
さて、ほぼ一年前に自分で書いた覚書を読み返してみましたが、本当に思いついたことを書き散らした程度のものなので、個々の文章間における論旨のつながりやら、そもそもどうしてこんなことを書いたのかすらも忘れている部分が多く、とどのつまり、当時の問題意識に頭を切り替えて、これを起承転結のある文章に纏めるのは無理だと判断しました。それでも一応通読できる程度には文の体裁を整える必要がありましたので、10分の1くらいは削って、少し書き足しましたが、結局、ほぼ原型と変わらないものを以下に投稿することにいたします。いずれにせよ、遅きに失した感は否めませんが。
―――
私とシェンさんとの意見の齟齬がどこにあるのかをハッキリさせるためにも、
まずは
>>769
の論点を私なりに整理させていただく必要がありそうです。
>「女生徒一人が路上で30箇所以上刺され失血死した」と被害者の生前の顔写真入りで新聞に載った
客観的事実に違いないが、これだけでは復讐心にまで成長しうるほどの強い同情を被害者に対して抱くことは
できない。そのためには私情が不可欠である。
>公開された女生徒の顔写真が…ブスor美少女
被害者の顔写真を主観的判断で評価することで得られた、主観的事実というべきもの。
客観的事実が主観というフィルターを通して同情の対象とされていくことを示す。
主観的事実とは各人各様の事実である。自分にとっては主観的事実だからといって、
他人にとっても主観的事実であるとは限らない。
>客観的事実は主観に対して一様の影響力を持つことはできない
各人が自らの価値観に見合った解釈に安住する。でなければ、客観的事実の同一性により
各人の解釈の差は埋まるはず。しかし、実際には各人の意見はバラバラである。したがって、
客観的事実は各人の主観を統一することができない。逆に、主観からすれば、客観的事実を
認識する上で、己の判断基準・価値基準(外部に対する評価・解釈的なもの)を排することが
できない。
客観的事実が誰から見ても同一であるのに、各人の主観が多様であるのは、主に主観に原因
がある、というのがシェンさんの主張。
シェンさんの論旨を簡潔にまとめると以下のようになるでしょう。
(1)客観的事実が主観に及ぼしうる心的効果の限界を指摘する。
(2)客観的事実が私情を通して捉えられたときの同情(解釈)多様性を指摘する。
(3)逆戻りして、実際の同情は多様である。だから、事実は私情を通して捉えられているに違いない。そこに客観的事実の限界がある。
一方、私の主張は「客観的事実の存在がなければ、主観を呼び起こすことは出来ない」というもの
ではなくて、「客観的事実は第三者の主観に大きな影響を及ぼす」というものです。シェンさんが
主観一般を考察対象としているのに対し、私はある事態に対する第三者の主観以外には、これと
いって言及しておりません。そして、私は、客観的事実が主観(的内容?事実?)の原因であると
主張したのではなくて、客観的事実が主観に与える影響の大きさを示唆したに留まっております。
777
:
無精髭
:2012/01/29(日) 23:42:58
つまり、私とシェンさんの食い違いが何に起因するかと言うと―――
・事象・状況に対する立場上の違いから主観を区別するかしないか。
・客観的事実を既存の主観内容に対する影響因子と見なすか、主観内容が生じるための要因と見なさないか。
以上の二点かと思われます。しかしながら、後者の相違点というのは、そもそも同じ問題において対立する
論点なのでしょうか? どちらも客観的事実とは無縁に主観が存在していることを前提にしつつ、一方は
影響因子(可塑性)についての問い、もう一方は生成(存在)要因についての問いかと思うのですが。
また、前者の相違点は、主観に関する一般論・総論的考察と特殊論・各論的考察の相違かと思われるかも
知れませんが、そう話は簡単ではなく、シェンさんは、主観に関して個人的な違いを指摘しておられますが、
立場上の違いには言及されていない、というより、ある理由からその違いを無視することができるという
ように書かれていらっしゃいます(この点については、私の考えと併せて後述いたします)。
さて、私とシェンさんにおいて意見が一致している点を挙げてみましょう。それは、上記(1)についてです。
客観的事実が主観に及ぼしうる心的効果が存在することには何ら不思議はありません。かといって、自然に
任せるままに、その限界が何の対処もなくそのまま放置されるのであれば、主観は客観的事実を(心的・感情的に)
認識(感知)し得ないでしょう。だから、その間隙を埋めるために主観の側から私情が動員されます。
これは確かなことだと思われますので、さしずめ問題なのは次の二点です。
(a)実際の同情は多様であるか
(b)どの客観的事実も私情を通して捉えられているか
前者は上の(3)の肝となる部分への疑問。後者は(2)と(3)に跨った疑問となるでしょう。
(a)実際の同情は多様であるか
いきなり自ら出鼻を挫くようで恐縮ですが、ある被害に対する人々の同情が多様かどうかを
調べる上で、人々が全く同じ情報を共有しているとは限らないということは非常に悩ましい
ところです。なぜなら、一つの客観的な情報を知ることで人々の同情が多様になるかどうかを
知りたいのに、一つの客観的事実を伝える客観的な情報が沢山あったりしたら、人々の様々な
同情は、様々な情報を知ることで生まれるのか、一つの客観的な情報を知るだけでも生まれ
うるのかが、分からなくなるからです。
被害に関する情報は、捜査の進展や各種報道機関の情報収集等を含む時間経過の中で、それが
起きた時間や場所の情報、さらに被害者や加害者の情報、警察の捜査や取調べなどの情報、
そしてそれらに対する評価的言説などと組み合わさることにより、一つの膨大な事件情報を
構成する一要素となります。
一つの客観的な情報内容が一意的である(誰から見ても同一の存在で、かつ単一の意味を持つ)
ということと、一つの客観的な情報内容が多義的である(誰から見ても同一の存在で、かつ
あいまいな意味を持つ)というのは違いますから、これに併せて、一つの事件が多くの情報で
伝達されている状況、情報そのものの多様性、こういったものに晒されている人々の間で意見が
割れることと、私情の個人差が原因で意見が割れることは区別しなければなりません。
多様性とはどのようなものかを考える上で欠かせないのは、一方で各人の私情に即した多様性、
そして他方で私情とは異なる多様性の区別であり、人は、知識の複数性と私情の固有性を同じ
主観に宿している、というわけです。
そこで私が思うのは、実際は各人の同情が多様なのではなく、ただ多様に見えるというだけで、
それは各人が発する言葉が多様であることに起因しているからなのかも知れない、ということです。
つまり、表層上異なって見えるものが本質まで異なっているとは限らないのです。少なくとも、
ネットでの言説に対して多少でも注意深くあろうとする者であれば、ネット上で行き交う様々な
同情の声を、個々人の基底的な価値観なり本心なりが直に反映されたものであると額面通りに
受け取るわけには参りますまい。
778
:
無精髭
:2012/01/29(日) 23:46:16
(b)どの客観的事実も私情を通して捉えられているか
シェンさんが例に挙げたような客観的事実だけでは「同情なり共感という要素(被害感情・復讐心の代行)」を
「定量的に持つこと」ができないだろうという点については、おそらくそうではないかと思います。
ただ、この場合は、客観的事実云々というのは関係なく、単に情報不足だから、事件への(ある一定以上の)
関心を呼び起こせないということはあるかと思います(情報不足、すなわち謎が多いからこそ、特に興味を
引かれるという人も中にはいるでしょうが)。日時や場所、事件に関する詳しい経緯や加害者に関する情報
などが分かれば、人々の関心を呼び起こすことはできるかも知れません。あるいは、犯行現場が現に自分の
住んでいる場所とか実家とか思い入れのある場所に近かったり、女生徒と同じ年頃の子どもを持っていたり
すれば、事件への特別な関心は湧くのではないでしょうか。
私が言いたいのは、ある一定以上の情報が提供されていない、もしくは自分と事件との間に関連がほとんど
ないことが情報を通じて分かる場合、さまざまな憶測が飛び交う余地も生まれるのではないか、ということです。
これは事実関係が不明な場合でも同様ではないでしょうか(狭山事件の場合など)。
まず、各人の立場が違うのを理由に被害感情を区別することをシェンさんは拒否するわけですよね。
犯罪の直接被害者が被害感情を持つ。
犯罪被害者の関係者が被害感情を持つ。
犯罪報道で第三者が被害感情(?)を持つ。
客観的被害の大きさとは無関係に主観的被害が拡大しうる―――実際の被害がない場合でも
被害感情が生まれることがあるのを根拠に、この三つを同質のものであると見なすわけですよね。
そして、赤の他人の犯罪被害を報道で知って同情することと、単なる被害妄想を持つことは、
実際に被害を受けていないのに被害感情を持つ、という点で本質的に同じものとのことですから、
犯罪被害者が持っている被害感情も妄想的部分があるということですよね。
ところで、被害感情というのは、被害を受けるのは自分である、害悪は自分の外部からやってくる
という意識を伴うものです。直接被害者がそのような被害感情を持つのは当然であるとして(実際には
自分が被害に遭っているのに被害者は他人だと思う人も稀にいるかもしれませんが)、その関係者が
そのような被害感情を持つことができるのは、直接被害者と自分を同一視するからですよね。自分と、
家族や友人とはいえ他者を同一視できることの延長線上に、自分と赤の他人を同一視できることも
見えてくるわけでしょう。しかし、一般に家族とか友人に同情するのと比べて、見ず知らずの他人に
同情するのは、そうすんなりとはいかないものでしょう。
さて、ようやく本題に移りますが、本当に被害感情は客観的被害の影響を受けないのでしょうか。
実際の犯罪被害から生まれた被害感情
家族が犯罪に巻き込まれたことから生まれた被害感情
全くの赤の他人が犯罪被害に遭ったことから生まれた被害感情
事を「主観と客観」という原理原則的な話にまで拡大させるなら、シェンさんの仰る通り
なのでしょうけど、私とシェンさんとで意見が食い違っているのは、おそらくそんなに
大げさな話ではないですよ。先述したように、私は「どんな立場にあろうが人間の主観は
客観的事実から生まれる」とは言ってなくて、「ある事態に対して第三者的立場にいる
人間の主観は、ある事態についての客観的事実から大きな影響を受けざるを得ない」と
言っているのですね。よくマスコミの印象操作がネットで批判されたりとか、社会調査の
作為性が問題になったりとかしますが、そういうものにまんまと嵌ってしまう人たちが
いるからこそ、私は「客観的事実の内容に大きく左右されざるを得ない」と書きました。
ご存知のように、震災・原発事故・放射能の件についても、各人のリテラシーの差―――
主観の違いによって意見が紛糾しましたけど、別の側面では、情報に踊らされたという見方も
できるでしょうし、政府の情報公開・秘匿に対する世論の反応を見るにつけ、いかに情報が
自分たちの判断や行動に多大な影響を及ぼしうるものなのかを国民は自覚している、と言っても
構わないのではないでしょうか。
くどいようですが、客観的事実としての情報さえも主観と無縁ではいられない、という点には
同意しております。しかしながら、私見では、客観的事実としての情報が主観に深刻かつ多大な
影響を及ぼす可能性があるような気がしてならないのです。
779
:
無精髭
:2012/01/29(日) 23:47:57
断片的な情報一つ取っても、様々な解釈がありうる・人によって解釈が異なる、というのは
よく分かるのですが、情報内容が不確かな場合とか、事実の記述よりも解釈(評価情報)の方が
多くを占めている場合では、それを享受する人々の内でも、何らかの傾向なり偏りが見られる
のではないでしょうか。人々の意見の違い・争いは、情報の客観性ではなく、個別主観の特殊性に
起因するというシェンさんの説が正しいなら、どんな情報に対しても各主観の区別なり差異なりが
一様に反映されるはずですが、実際は情報によって主観の間で一致が多く見られたり、反対に
ばらつきが激しかったりするのではないでしょうか。これを同情とか共感の偏差、と言っていいか
どうかは分かりませんが、シェンさんの説に従えば、人々の同情や共感の偏差は、どんな情報に
対しても関係なくランダムに定まっているかのように観察されるはず。しかし、それを評価する上で
意見の割れやすい・割れにくい(賛同または反発の流れを形成しやすい)情報というのはやはりあるでしょう。
繰り返しますが、実際は情報内容の違いによって人々の同情の偏差は大きかったり小さかったり
しますよね? たとえば、女子コンクリの場合。第三者による意見の大半が、被害者への同情と
加害者に対する憎しみで占められているかと思うのですが、あの事件にもし、被害者に明確な落ち度が
あった、とか、一種の報復だったとかいった事実があって、誰もが確認できるように報道されていた
としたら、日野OLのような泥沼になったかも知れません。日野OLの場合は、シェンさんも私も夙に
指摘しているように、事実関係に不明な部分が多いですし、事実関係が分かっている部分でも、それを
構成する要素であるキャシーの証言には信憑性の疑わしい部分もあります。このような情報内容では、
第三者間において意見(解釈)が分かれるのは半ば必然であると言えるのではないでしょうか。もし、
そこに決定的な物証―――妻とキャシーの会話を録音したテープなどが見つかりさえすれば、
これまでのように異なる意見が拮抗するかのような事態から脱却し、趨勢が変わるかも知れません。
また、秋葉原通り魔の加藤被告についても、被告の生い立ちを知るのと知らないのとでは、そこに
集中する同情・反感の量は異なるのではないでしょうか。ある事実の発見によって、加害者サイドから
被害者サイドに同情の対象が移る人もいるでしょう(逆もまた然り)。逆に、事実なしに解釈を深める
だけでそういう転向を遂げる人はほとんどいないのではないでしょうか。
別に実際の事件報道でなくとも良いのです。事実を記述した文章は読み手に対して真偽を
問わせる方向へと誘導し、評価を記述した文章は読み手に対して肯定と否定(あるいは留保)
のいずれかの印象を抱くように仕向け、あいまいな文章は読み手に対して意味を確定させる
ことを中々許さないものでしょう。
シェンさんが例として挙げている架空の新聞報道にしても、情報の質的な違いが人々の意見を
別々の意味で分岐させてしまうとも考えられます。
・女子高生が刺された
・女子高生が美人(ブス)だった
いずれに対しても人々の意見は分岐するでしょうが、前者が事実、後者が評価である以上、
分岐の種類が異なるのではないでしょうか。前者においては、なぜ刺されたのかについて意見が
分岐することが多いのに対し、後者においては、前者と違って事件に関係ない話題で意見が
分岐しうる(ただ、意見が分かれたとしても事件をネタにして盛り上がっている点では同等かも)、
といった違いが見られるとか。人々がどの事実に注目するかは、各人の主観によって決まるのでしょうが、
注目するも何も事実がなければ、分岐(主観の違いが顕在化すること)もありえないでしょう。
ただ、注意していただきたいのは、私が言っているのは、美人とかブスなどと評価される客観的
対象がなければ、それを評価する主観も起こりえないという話ではないのです。ある客観的事実の
有無以前に主観が存在するのは自明でしょう。そして、その事実を受容するのも主観以外にはありえません。
ただ、全ての人間は主観に囚われているという考えは、各人の主観が現に異なっていること、及び
いかに異なっているかの説明にはなるでしょうが、各人の主観がどのように生成し変化していくかの
説明にはならないです。それを説明するためには、ある特定の人物の主観が客観的事実をいかに加工して
主観的事実としたかを、そして、それが元の客観的事実と比較していかに異なっているかを、
彼の言動という客観的事実から推理する必要があるでしょう。
780
:
無精髭
:2012/01/29(日) 23:49:05
ちなみに、これに関するシェンさんの表現をものすごく抽象化すると、ある主観は別の主観に依存する、
ということですよね。たとえば、復讐心という主観は被害感情という主観に依存する、とか。
解釈は別の解釈を呼び起こす、とも言い直せるかと。こう書くと同語反復みたいなので、胡散
臭さが漂う気がしなくもないのですが、実は私が
>>766
の後半で「独自文法」を仮定した時の
考え方に極めて近い考え方だと思います。私はそこで「客観的な文法では誤りとされる言語使用が、
独自文法においては客観的事実とされる場合がある」というような意味のことをお書きしましたが、
それはシェンさんが書いて下さった「主観的判断」の一節や、「主観的事実」の問題とほとんど
同じものだと思って下さって構いません。主観が自らを対象化することで負のスパイラルが働く
ということに反対する者などおそらくいないのではないでしょうか。もちろん、私が提起した問題も
それ自体では、復讐の鬼の出現というレアケースを十全に説明するための道標にはなりえません。
シェンさんは、かなりレアケースに寄り添った考え方をしているなあと思いますが、
私は、ネットユーザーの主観の多様性と、キャシーとか医者を刺し殺した患者の主観の
特異性を分けないと共感についてうまく説明できない、と思うんですよね。
なぜって、主観の多様性だけで共感とか同情を説明しちゃうと、たとえばキャシーに同情する者たちが
次々と現われても、それぞれ勝手な動機で同情してるだけだから、そういう人たち同士の間で意見が一致
したとしても、ただの偶然、ってことになっちゃうから。俺はこういう考えだけど、お前もそうなんだね、、、
コレで終わり。ここまでしか説明できない。しかし実際、同じ考えの持ち主達は往々にして、俺とお前は
仲間だ、というところにまで発展しますけど、紫煙狼さんの考えだと、それを奇怪な現象としてしか
捉えられないのではないかなぁ。
共感や同情という心理作用の場というのは、何も自分と被害者という縦のつながりだけではなく、
同じ被害者に対して共感(反感)する者同士の横のつながりもありますからね。(第三者による)
共感・同情には、ある事象に対する作用の面とは別に、他の共感・同情に対する作用の面、つまり
横のつながりに対する共感・同情の連鎖も無視できません。ジャスミン革命等のきっかけとなった
と言われるソーシャルメディアでは、おそらくその傾向が顕著に出ているのではないでしょうか。
シェンさんが挙げてくださった、様々な共感(反感)のパターンも、他人の影響を免れているとは
限りません。他人や周りの雰囲気に感化されやすい人はいますし、何にでも反対したがる天邪鬼な人
もいます。他人がこうしているからという理由も、自分の共感(反感)の仕方に影響を与える可能性は
あるでしょう。言うまでもなく、他人がしている共感・同情というのも自己にとっては客観的事実に
違いないのです。
シェンさん流の主観説に従うと、第三者同士で共感したり同情したりすることは、単にその人たちの
主観が似ているからであって、個々人の主観が似ているのは偶然に過ぎない、ということになるんで
しょうけど、ある事象に対する共感や同情の面では一致しているかに見える人たちでも、他のことに
なると意見が異なる、全然似ていない主観を持っているなんてことがありますからね。先に挙げた
革命でも、一致団結して独裁政権を倒したは良いが、その後どうやって新たな国づくりをするかについて
皆が皆好き勝手なことを言い出して意見がまとまらないなんて事態に陥ったそうですね。
―――
781
:
こだま
:2012/01/30(月) 23:23:03
キャッシーは
何度か写真見ましたが、そこそこな顔でしたが。。。。
それと、妹さんは結婚して幸せにしています。
782
:
紫煙狼
:2012/01/30(月) 23:28:40
無精髭さんの熱いラブコールを無視するわけにはいきませんなぁ(笑)僕はいつでも臨戦態勢よ(はぁと)
>私とシェンさんとの意見の齟齬がどこにあるのかをハッキリさせるためにも、
そもそも、無精髭さんと私の意見の間に「齟齬」なんてありますかしら?
無精髭さんは「一般的に主観は客観的事実に影響される」と言っていて、これは私も認めているつもりです。
それに対して私は「復讐心の強さは主観に影響され、必ずしも客観的被害の大小に比例しない」と言っています。
二つとも同時に成立しうると思いますが、いかがでしょう?
あと「客観的事実の存在がなければ、主観を呼び起こすことは出来ない」は私の言葉ですよね。
これは
>>770
で言う「なぜか興味本位で過去の事件を調べて勝手に登場人物に復讐心を持つという迷惑な人」にとって
「客観的事実が及ぼした影響」を抽出しただけで、常に「客観的事実の存在がなければ、主観を呼び起こすことは出来ない」
が成立するという意図ではありませんでした。これは私の書き方が悪かったですね。
むしろ、私が言わんとしていたのは
「なぜか興味本位で過去の事件を調べて勝手に登場人物に復讐心を持つという迷惑な人」が欲しているのは
「感情移入しやすくて、誰かを罵る大義名分をこしらえやすいスキャンダラスな事件記事」であって、
本人達はそれを「正義だ」などと言っている。本人達は大真面目に「社会の不正に対する正義の心」として
登場人物を罵倒し、さも、自分が事件の生き証人であったり、さも、当事者であるかのように言うけれど、
実際はそんな「正義」なんていう大層なものではなく、単に悪趣味な覗き見主義であったり、自分の日ごろの
鬱憤を晴らす題材としてのイケニエを求め「こいつ相手なら、罵詈雑言を浴びせかけても多くの賛同を得られるだろう」
なんていう「さもしい・見下げ果てた根性」の表れに過ぎないのではないか?ということです。
(それこそ、太宰の何とかにも通じるものがある。)
つまり、無精髭さんは「たまたま事件を知ってしまった人が、顛末を知り、主観を動かされた」と考えるのに対し、
私は「もともと主観を動かすために、利便性の高い客観的事実を探していた人が、たまたま事件を知った」と考えます。
おそらく、無精髭さんは本当に前者に属するのでしょう。実は私も前者に属するクチです。そういう意味では、
後者に属する人と言うのは「非常にレアケース」なのだろうとはおもいます。
ですが、ある意味、このスレが延々と同じことの繰り返しなのは「世間的にはレアケースな人が密集した」からでは?
そして、レアな人にはアレな人が(自主規制)とでも考えなければ、説明が付かないというコトです。
ちなみに
>>771
>どこまでも薄っぺらいな。
あなたは、読み込みが薄い(笑)
783
:
無精髭
:2012/02/02(木) 21:27:24
正直に言いますと、不毛な論争が終わらないことと、そこにアレな人が参加していることの因果関係が
よく分かんなかったんですよね。
アレな人がいなくても論争ってしばしば不毛なやり取りに発展しますし。とはいえ、不毛かどうかはともかく、
論争に参加すること自体がレアだし、ある意味ではアレだとはいえるのでしょうが、それでも、シェンさんの
想定されているだろう「アレ」でなくても別にいい気がするし。
で、いろいろ考えてみた末、ある事象が起こる原因についてこういうふうにしか説明できない、とシェンさんが
仰るのがイマイチピンとこなかったのは、シェンさんが想定されている事象を、そもそも私が同じように認識
できていなかったからなのだろうと思い至りました。
というのも、客観的に見れば同じことの繰り返しでも、その実態は、一部のアレな人々が事件に固執している
のではなく、普通の人が短期間に現れては消え、また新しい人が短期間に現れては消え…、これが繰り返されて
いるだけ、という可能性もあるからです。事件関係者に同情したり、あるいは責めたりする気持ちが湧くのは
特におかしな感覚とはいえないでしょうし、自分の私的な意見を、後先の考えもなく、うっかり・おおげさに
公言してしまうような失敗、おっちょこちょいな癖、というのも別段珍しいものではないでしょう。
>つまり、無精髭さんは「たまたま事件を知ってしまった人が、顛末を知り、主観を動かされた」と考える
まさにその通りです。なので、
>「もともと主観を動かすために、利便性の高い客観的事実を探していた人が、たまたま事件を知った」
そうでない可能性もある(そうでない人が(も)原因かも知れない)ので、いくらなんでも「アレな人がいる
とでも考えなければ、説明がつかない」ことはないだろう、と思ったのでした。もちろん、シェンさんの想定
されているような状況が、現在のこのスレの実態なのだとすれば、仰るように考えないと説明がつかないと思います。
以上の点を除けば、シェンと私の違いは、認識論上の問題にあるのではなく、また、同じ問題において対立
しているのでもなく、この事件とそこに群がる人たちをどう捉えるかという点にあるというだけですね。要するに、
同じ問題に異なるアプローチをしている、あるいは、異なる個別問題に関心がある、ということでしょう。
たとえば、AKBなり、ある人気商品なりに、コアなファンなり、愛着を持った固定客なりがいて、それに
興味のない人たちから見たら、全く意味のなさそうな議論なり、情報交換なりに日々勤しんでいたとして、
こういった現象を分析するのに、シェンさんは、消費者の行動や心理、つまり人間の方に注目するのに対し、
私は、商品としてのアイドルやその売り方や広告、つまり物や情報に注目するわけです。
主体か環境か、の違いと言ってもいいでしょう。
私が思うに、特定の何かに執着する人は、それだけで(周りと比べて)少し変な人ですけど、「延々と
同じことの繰り返し」ならぬ「同じことを飽きもせず繰り返す」のは、そうすること自体が快感に
なっているからじゃないかと思っています。ちょっとした刺激に対してもドーパミンが出まくりなわけです。
もちろん、他の人が特に何も感じないことにある人が快感を感じているなら、よし、そいつだけを調査対象
にしようという話になるのは自然だと思います。それでも、そいつだけを、否、そいつの頭なり心理なりだけを
調べたとしても、快感を覚えること一般の仕組み、快感時の脳の働き一般を知ることはできるでしょうけど
(頭か心によほどの異常を抱えている者でもない限り、各主体間において算出される個体差は、それこそ誤差かと)、
なぜその人はそれに快感を感じるのか、というような、特殊事例に関する問いには、その応答として、やはり
具体的な客観物の分析も不可欠である、と思われるんですよね。
実を言いますと、「利便性の高い客観的事実」っていう表現を私は気に入っていて、その「事実」は、
アレな人にとってそうであるばかりでなく、それ以外の人にもそうであるかも知れませんよね。
フツーの人が、この事件を知ってアレな人になった、あるいは、今まで潜伏していたアレな素質を
開花させた、という事態も考えられるので。
784
:
無精髭
:2012/02/02(木) 21:58:04
すみません。前のレスで、敬称をお付けするのを忘れた箇所がございました。これが先ほど申した、
おっちょこちょいな癖、というやつです。で、シェンさんとか私をよく知らない人がこのやり取りを見たら、
二人は喧嘩しているように思われるかもしれません。逆に、アレな人の事情をよく知らない私からすれば、
シェンさんに不毛だと思われているやり取りをいつまで経っても続けている連中は、時間つぶしかストレス
発散のために戯れているだけとしか思われません(苦笑)。本当は事件のことなんかどうでもよくって、
単にいけ好かないことを書き込んでくる奴を叩き潰すのが楽しいだけなんじゃないかと。
さて、前置きはこれくらいにして、もうちょっと続けます。
―――
うむむ。シェンさんの見解は、事象を合理的に説明する点において汎用的かつ万能だと思うのですが、
では、こう考えてみてはどうでしょうか?
>つまり、無精髭さんは「たまたま事件を知ってしまった人が、顛末を知り、主観を動かされた」と考えるのに対し、
>私は「もともと主観を動かすために、利便性の高い客観的事実を探していた人が、たまたま事件を知った」と考えます。
>>769
でも仰っているように、数ある事件の中でも、この事件って意見が割れていますよね。たとえば、加害者を擁護する
人たちと被害者を擁護する人たちのどちらが優勢かもはっきりしない。第一、誰が本当の加害者・被害者なのかという時点で
意見が割れている始末ですから。
その点、女子コンクリなどと違うわけですよ。女子コンクリの場合、誰が悪いかで意見が割れるなんて事態にはおそらく
滅多にお目にかかれないでしょう。
にもかかわらず、女子コンクリの件でも日野olの件でも、皆が話し合うことと言えば、大抵おんなじことの繰り返し・
蒸し返しです。そこで私は、ともに一部の人々にとって長らく人気のコンテンツでありながら、女子コンクリと日野olにおいては、
それぞれ一部の人を引き付けている要因が異なるのではないか、と考えているのです。そして、ここが重要なのですが、
その要因の違いは各人の主観の特異性に起因しているというより、ちゃんと誰にでも確認できる(すなわち客観的な)もので、
各事件に関する情報の違いに対応しているのではないかというのが私の見立てです。
その上で、私は、いわゆる正義の味方気取りの人が、なぜ本件のような事件に興味を持つのかなぁ、と不思議に思うんです。
そういう人にとっては、善悪の構図がはっきりとしていて分かりやすく、自分の欲望を曝け出しても他人から文句を言われる
どころか賛同される可能性が高い、いわば自身にふさわしい話題や場所というのがあるはずなのに、わざわざ日野OLのような
狭い人間関係のどろどろとした愛憎劇を自らの正義感を満たすための話題なり舞台なりに選ぶっていうのは、俄かには信じ難い
ことです。アレな人が私利私欲を満たすためにわざわざ格好のネタを探しているのが事実だとすれば、なお更です。
あと、「このスレが延々と同じことの繰り返し」という点については、私個人としては全力で反対するしかないなぁ。
他の方もシェンさんと同じことを書いていらっしゃいますけど、そういう書き込みを目にするごとに、自分を特別視
するわけではないですが、私の努力は報われていないんだなぁ、という感慨に浸ってしまいます。これでも私は、
議論がフレーム化・陳腐化しないように結構無理して頑張ってるつもりなんですが(苦笑)。現に、このスレで
こうやってシェンさんとしているやり取りも、他所で飽かず行われているであろう「延々と同じことの繰り返し」
の中からは、おそらく生まれないのではないでしょうか。
これは個人的な意見ですけど、キャシーを擁護するにしろ師匠の妻を非難するにしろ、もうちょっと骨のある、そして
合理的な議論を展開していただきたいものです。キャシー批判や妻擁護の議論はもはや出尽くした感がありますので、
これに反対する立場の人たちには、そろそろこれに対する有効な反論を期待する所存。いつまでも先行者のそれと
大して変わらない内容の発言ばかりされても、こちらは困惑するばかりです。
785
:
紫煙狼
:2012/02/06(月) 23:35:59
>>783
>アレな人がいなくても論争ってしばしば不毛なやり取りに発展しますし。
正解といえるものが存在しない話題って、しばしば不毛なやり取りに発展しがちですね。
評価の仕方によって、相反する意見のどちらも正しいと言わざるを得ない場合があって、
でも、活発に意見している人は対立する意見と共存できないからエスカレートする場合。
こういうときは、ハタから見ると非常に不毛です。 (例)SMAPが一番か、嵐が一番か、KA-TUNが一番か…。
でも、こと、この事件に関しては、正解が存在しないから続いているとは言いがたいですね。
>正直に言いますと、不毛な論争が終わらないこ(中略)よく分かんなかったんですよね。
うん、そこは少なくとも私は説明を端折っていたフシがありますね。なにしろ、晴れた日の
頭上に広がる素晴らしい世界を冒涜するかのようなハンドルネームの大馬鹿者が脳裏に
あったものですから、無精髭さんには言わずとも伝わるかと…(笑)
まぁ、アホゾラさんを代表とするような「正義の名の下、師匠夫婦を晒してしまえ」派のヒトとか、
そうでなくとも、さしたる過失があるわけでもない妻に「嫌悪感を抱く」などと言って憚らない
「およびでない人々」とかが居るおかげで、このスレは延々と同じことを繰り返しているわけです。
無精髭さんは、こういう「勘違いさん」たちが後を絶たない理由を、これらの人々が受け取った
情報に何らかの問題があるから、勘違いさんたちが量産されている…と思ってはいませんか?
とある学校で数学のテストをしたら、生徒の大半が同じ間違いをした。とすれば、一番有力な説明は
「そこの数学教師の教え方に、間違いを誘発するような何かがあった」もしくは、その問題に生徒が
陥りがちな間違いを誘発する「ひっかけ」があった、となるでしょう。
でも、軽く世の中を見渡して、この事件に関する記述・記載・記事なんてのは、どれも大同小異で、
文章が秀逸であるとか、良く纏まっているとか、ちょっと読みづらいとか、ちょっと表現が変とか
あるにせよ、妻を極めて悪逆非道な人物に描いていたり、キャシーを極めて薄倖の佳人に描いている
ようなモノは見当たりません。もし、そういう情報を読んでいたとしても、無限回廊の事件記事を読めば
「そういう事実に即さない(妄想の域を出ない)情報」と「客観的事実」の相違には気付くはずです。
無精髭さんは前から「日野OL放火殺人事件に格別の思い入れは無い」というようなコトを言っていましたよね?
つまり、無精髭さんはこの事件自体への興味と言うよりは、この事件に対する各人の意見が、どうしてこんなに
多様になるのか、どうして同じことの繰り返しになるのか、なぜワケのわからぬ言いがかりのような意見を
恥ずかしいとも思わずに言ってのける馬鹿者どもが多いのか、というところの方が興味の対象なのだと、
私は勝手に理解していますが、それは、このスレに投稿する者の中では少数派…まさにレアだと思います。
むしろ、この事件のスキャンダラスで意表をついた結末までを、お昼のメロドラマの愛憎劇を楽しむ感覚で読みふけり、
その登場人物に感情移入し、ドラマ批評をする感覚のまま、現実に起きた悲しい事件にモノ申そうとする輩が後を絶たない
のではないか、そういうヒトの方が多いのではないか、と私は考えています。
つまり、私が見る限り、困ったサンたちが目にした情報に問題があるのではなく、困ったサンたちの
「情報の受け取り方」に何らかの恣意的なねじ曲げが存在するのではないか、というのが私の着眼点です。
786
:
紫煙狼
:2012/02/06(月) 23:36:43
妻に関しても、詳細な記述が殆ど存在しない「妻」に対して、詳細な記述が無いのをいいことに、妄想で補完して、
「嫌悪すべき、憎悪すべき妻像」を勝手に作り上げて、勝手に物語を面白おかしくして、現実と妄想の区別が
出来なくなった状態で「自分が作り上げた妻像への悪口雑言」を、喚き立てているのではないか、と思うのです。
だって、キャシーは師匠に騙されていた。師匠は女を手玉に取るスケコマシだ!と仮定するなら、
妻だって師匠に騙されていた。しかも、今尚、騙され続けているかもしれない。と想像するほうが、
よっぽど分かりやすいと思いませんか?
なのに、妻を批難する人々は、まるで、師匠と妻が共謀してキャシーをジワリジワリと追い詰めて行ったかのように、
あたかも、キャシーが「人殺し」という暴挙に出ざるを得ない方向に(知っていて)導いていったかのように解釈
しているでしょう?私は実際の妻がどういうヒトなのかは一切存じませんが、少なくとも、どこの記述を見ても、
そういう人物像を裏付けるモノは「ひとっつも」ありませんよ。
キャシーの中絶にしてもね。「中絶は殺人である」という考え方など「中絶」に対する心理的抵抗感を持つ人は
多いでしょうが、そもそも「中絶」をしたくないなら「正しく避妊」すれば良かったワケですよね?
まぁ、百歩譲って、避妊していたが、外科手術以外の方法で100%避妊するのは難しい。作る気はなかったが
授かってしまった…という状況だったとしても、キャシーには「産んで認知させる」という選択肢もあった。
まぁ、何より「師匠が離婚して自分のところに来るまで、肉体関係を持たない」のが当たり前ですよ。
ところが実際は「奥さんと同じにして欲しい」という欲望から避妊を拒んだ、となれば、受胎するのも仕方の
無い話で、挙句、キャシーが薬を盛られて意識を失っている間に強制的に中絶させられたならまだしも、
師匠の説得に負けて中絶と言う選択肢に同意したのは「キャシー自身」ですから、言い方を変えれば、
「キャシーのお腹の子供を殺したのはキャシー自身」であって、少なくとも妻ではない。自分で自分の子供を
中絶するという方法に同意した以上、これは他人に何を言われても仕方が無いでしょう。
もし、キャシーの供述どおり「掻き出して平気なヒトなのよ」発言があったとしても、それを恨みに思うなど
お門違いも甚だしい。お腹の子の父親に祝福されないとしても、自分ひとりででも産んで育てる、という選択肢より
中絶という選択肢の方が平気だったから、そちらを選んだのであって、苦しんだとか、悩んだとか、悲しんだと
言ってみた所で「わが子を手にかけた鬼畜母」であることに変わりはない。わが子を殺された悲劇の母ではなく、
わが子を殺した張本人なのですよ。自己憐憫にふけるのもいい加減にして欲しい。
787
:
紫煙狼
:2012/02/06(月) 23:37:09
また、考えようによっては、妻なんてのは、可哀想に可哀想を重ねたほど哀れなヒトですよ。
かわいい子供と、優しい夫。平凡だけれど幸せな日々を送っていたら、ある日突然、青天の霹靂。
実は夫が不貞を働いていたことを知らされる。でも、妻は気付いていないけれど、夫は稀代のスケコマシ。
上手い具合に「オレは悪くない。悪いのはキャシーだ。」くらいにまるめこまれて。妻は妻なりに
夫を愛しているし。キャシーさえ居なくなれば、また、平々凡々なりの幸せの日々が戻ってくるのですから、
夫からキャシーを遠ざけ、幸せな家庭を守るためなら何でもしますよ。
稀代のスケコマシーに騙されてそれに気付かないような妻ですから、彼女だって色々苦労して手に入れた
ほんの小さな、でも何物にも変えがたい幸せを壊されそうになったら半狂乱ですよ。それを批難するなんて、
赤い血の流れている人間のするべきことだとは思えませんね。
まして、結果的に、大切な子供達を焼き殺されて。それでもまだ、夫の真の姿に気付くことなく、
いまだに夫婦を続けているのだとすれば、それは嫌悪されるべきというより、
「こんな目に遭っても、まだ気付かないなんて、哀れなヒト。馬鹿な女。」と同情されるべき。
もしくは、もし妻が師匠と離婚していたら、師匠は「野放し」にされていたわけで、
こんな「下半身に閉まりのないオトコ」を世に放つことなく、捕まえ続けてくれているのだから
「なんて奇特なヒト。ご立派!」と感謝されこそすれ、嫌悪されたり批判される筋合いは、これっぽっちもない。
ね、おなじ「足りない情報を妄想で埋める」なら、こういう方向の「勘違い」があってもイイわけですよ。
ところが、みんな、一様に妻を悪者に仕立て上げる。なぜなら、その方が面白いからですよ。
その方が「後味の悪さを楽しめる」からですよ。最初からキャシーを弱者に仕立て上げるためには、
妻は強くて、女の汚い部分だけで生きているようなヒトに仕立て上げたいという「ねじまげ」が存在するからですよ。
そういうシナリオを好み、そういう脚色をしたい人々にとっては、事実も正解も、既にどうでもいいのですよ。
そして、現実を突きつけられても、自分の妄想のシナリオにそぐわないから「納得しない」のですよ。
だから、正論をぶつけられても、自分のシナリオを受け入れてくれる場所を捜し求めて、2chで同じ話題のスレを
「やられても、やられても、めげることなく、何度でも立ち上げる」のですよ。結局、何度やっても、
どこでやっても、正論をぶつけられて、自己実現の場を失うから、場所を変えて同じことをくり返すのですよ。
そして、ごく稀に、そういう妄想で脚色された非現実と、現実の情報の区別が出来ない、スキあらばいつでも
非現実の世界に没頭したいと待ち望んでいる「困ったサン予備軍」が感染して、発病するのですよ。
788
:
紫煙狼
:2012/02/06(月) 23:37:29
悲しいかな、浮気だ、不倫だ、横恋慕だ、などと言う話題は見に周りに掃いて捨てるほど溢れています。
生まれて初めて恋愛感情を持った相手に告白され、円満に交際し、順調に結婚し、めくるめく幸せの日々の中
子供を授かり、他の異性に心を動かされることも無く、浮気もせず、横恋慕もされず、死が二人を分かつまで、
互いを思いやり一生を添い遂げる。自分もそうなら、自分の周りもみなそういう人々だけで、それこそ、不倫とか
浮気なんて、小説の中でしか起きない出来事で、いまひとつ実感もわかない。ってか、夫以外、妻以外の異性と
どうこうしようだなんて、身の毛もよだつ。。。
なんてヒトは、極めて稀で。
浮気した事があるとか、浮気された事があるとか、浮気心が疼いた事があるとか、あやうく浮気されかけたとか。
不倫している友達が居るとか、恋愛でボロボロになった友達が居るとか、殆どの人々が、愛憎劇の泥沼を身近に
知っているわけですよ。直接的・間接的に経験しているわけですよ。
そして、人様に起きた出来事を、あろうことか、自分の経験と照らし合わせて、勝手に理解したツモリになりたい
わけですよ。あたかも当事者の一人であるかのごとく「経験者は語る」したいわけですよ。あまつさえ、事実を
自分に理解できるストーリーに改ざんするわけですよ。そして、登場人物を批判して、自分だけは気分よくなりたい。
キャシーに同情するのも自分のためなら、妻や師匠を晒し上げるのも自分のため。そして、それが正義だと信じて疑わない。
自分の醜い欲望を満たすために、現実に起きた悲しい事件、悲惨で酸鼻をつく事件を利用していることに気付いていない。
それが「妻批判」の正体だと私は考えています。だから「アレなヒト」と表現しています。
そういう意味では、これからも後から後からやってくる「妻批判」の方々は、「不倫」と「殺人事件」を切り分けて、
それぞれに善悪のジャッジを下している人も稀だし、それが出来ていても「不倫」へのジャッジメントが非常にお粗末であると
私は予言します。こういう「事の大小」の区別も出来ない「困ったサン」が居なくならない限り、このスレが廃れることも、
不毛なやり取りが解消されることもないと断言します。
もし、この予言、この断言が、本当にそのとおりになったら…。
無精髭さんの頭には「?」が増え、僕の胃には穴が増えるのでしょうなぁ…(泣)
789
:
雄峰
:2012/02/08(水) 23:40:05
紫煙狼氏の意見は、何かに対する怒りをもって書かれている。
その何か、とは、誰もが持っている心の闇のようなものではないか。
正義を騙る偽善に対する偽悪のようなものを感じました。
790
:
無精髭
:2012/02/10(金) 22:32:54
いくら妄想豊かな私でも、あの御仁みたいな人が何人も密集している(?!)なんて
状況は想像できませんでしたw 勘弁してくださいよぉ。
まぁ、あの御仁については、シェンさんと老婆心さんの文章が、言い回しが異なるだけで
論理的には同一内容であるのを見抜けなかったのか何なのか、前者に反撥したのなら当然後者
にも反撥すべきところを、何を血迷ったのか理解を示してしまった、というのが印象的でした。
でも、たとえ同一内容の情報でも、形式が異なると同一内容だと認識できなくなる人の典型
だと言えなくもないので、アレな人は情弱である(情報に流されやすい)という私の考えの
正しさを証明してくれるような恩人でもあるのかもw まぁ、冗談ですが。
ただ、このスレを辿ってみると分かりますが、妻に批判的な人たちにも色んな人がいるわけで、
シェンさんが仰るようにアレな人も結構いますけど、私が言うように普通の人もそれなりにいるのでは
ないかと。これは私が勝手に考えた区別ですけど、妻批判をしている人でも、あくまで情報の枠の中で
批判している人と、更にそこからはみ出て、自身の経験に(必要以上に・極端に)引き付けて批判する人
とがいて、それぞれ毛色が異なるのではないかなぁ、と思っています(ちなみに、事件情報を自身の経験を
基に解釈するのが普通ですが、後者の人の場合、いわば事件情報という主と自身の経験という従の関係が
逆転していて、自身の経験を事件情報を用いて再確認・再肯定・再強化するのです)。
私が念頭に置いている「妻批判の人たち」というのは、基本的に、情報に対して特殊な解釈を
施しているというよりも、情報の一部分(記事のある一文)にこだわりを持ち、そこから
ストレートに感情(生理的反応)を呼び起こされている、という気がします。私見では、捻じ曲げも
何も、彼らは出された情報を(良くも悪くも)そのまんま受け取っていて、登場人物に特別な感情移入も
しなければ、その時の状況も読み取りもせず、普段の生活で自身がそれに従っているところの、大抵仲間内
でしか通用しない常識でもって、性急に評価を下そうとする傾向があります。たとえば以下のように。
「有紀恵には(中略)悪いという気持ちがあった。だから、ひたすら、すみませんを繰り返すだけだった。その素直な応対に雅子は拍子抜けしてしまい、電話を勝手に切った」
一度諦めたのに、
「だが、それだけでは終わらなかった。毎夜のように雅子は有紀恵に電話をかけ、罵詈雑言を浴びせた(下略)」
なんだ、この粘着。
不倫する奴も悪いが、これは明らかにストーカー。
放火殺人を仕出かしたキャシーの前に犯罪行為に走った馬鹿がいたんだな。
「『生きた子どもを平気でお腹から掻き出すような人なのよ、あなたは』」
どんな相手にだって、人として言っちゃいけないことがあるだろ!
「雅子は『彼女に支払い能力があるとかないとか、(中略)私だけは許さない』と言いきった」
とか啖呵切ったくせに
「1997年(平成9年)7月、杉田夫妻との和解が成立した。(中略)さらに3155万円の支払いの義務に応じることに同意した」
和解してんじゃねーよ。結局、金が欲しかったのかよ。
「杉田は事件後、依願退職させられたが、妻と離婚することもなく、一男一女をもうけている」
よく不倫した奴と縒り戻せるよな。子どもまで作ってさ。気持ち悪りぃ。
もしかしたらシェンさんには、これぞアレな人たちの典型的反応じゃないかと思われるかも知れませんし、
あるいはこういう反応の裏には穢れた欲望が渦巻いているのだと仰るのかもわかりませんが、私はそういう
判断をあえて保留して、次のように考えるのです。上記のような反応をする人たちというのは、情報の
ある細部にしか関心がなく、それはいわば情報を断片的にしか受け取っていないのと変わらないので、
おそらくこういう人たちの頭の中では情報の内容がリアルだと感じられていない、何かフィクションのように
感じられているのではないかと。ここに、情報の受け手が自由に善悪の評価を下しても何の問題も生じない
という錯覚、驕り、大いなる勘違いが流れ込むわけです。しかし、これは裏を返せば、一旦その人に情報を
リアルだと思わせればそういう考えなり発想は(嘘を付き通しでもしない限り)なくなるわけで、そのためには
誰かが協力して、断片的な情報をもっと大きな情報の文脈へと統合してやったり、登場人物やそれを取り巻く
状況について詳しい情報を付与してやったりすることが必要なのです。
791
:
無精髭
:2012/02/10(金) 22:34:29
その役目を担うのは、大抵の場合は見ず知らずの他人ではなくて、親兄弟だったり教師だったり親友だったり
恋人だったり教祖さまだったりするのかも知れませんが、いずれにせよ、更生の可能性がある人、否、他人の
説得を聞き入れられて自分の考えを修正できるくらいには頭の柔らかい人なら、妻批判をしていてもまだ
普通の人の範疇に入るのではないかと思います。あと、個人的な動機でやってるのではなく、もっぱら
コミュニケーションのためにやってる人だっているかも、とか考えております。こういう人については、
治療は可能、もしくはネタでやっているのだから治療はそもそも不要、ということになるのかも知れません。
大体、妻に対して批判的な考えを持つからアレだ、というのではなく、そういう考えを変えることが
できないからアレなのでしょう。はっきり言って私なら、今妻批判している人の十倍くらいひどい
ことを書けますが、だからといって無精髭はアレだということにはならないので。
普通の人には妻批判なんて発想自体がありえないだろう、と考える人がいたとすれば、実はそのような人の
考え方こそ偏狭に他なりません。こんなことを言うと人によっては驚かれるかも知れませんが、妻批判の
おかしさを徹底的に反駁するには、まずは試しに自分も妻批判をしてみて、その思考過程のおかしさを身を
もって知ることが必要だとさえ、私は思っているのですよ。
私の経験から言わせていただくと、妻批判(妻の粗探し)は簡単にできるが、(ちゃんとした)妻擁護は
それよりもいくらか難しい。要は頭を使わなきゃならないわけです。こういう実感があるために、私は、
妻批判をしている人は殆ど頭を使っていないのではないかと疑うのです。そして、こちらからの働きかけ
によって多少なりとも頭を使うようになれば、もしかしたら妻擁護の可能性に気づくことだってあるかも
知れないなどと淡い期待を持つ次第なのです。
そもそも論になってしまうかも知れませんが、アレな人っていうのは話が通じないだろうからお手上げ
なんですよね。話が通じないというのは、説得が効かない、相互理解がありえない、ということですから、
その人には何を言っても無駄になるのです。ですから、そういう人がこちらに書き込んできても、それに
対して反論を書くとなれば、その人自身に向けてではなく、第三者に向けて書くことになる。でなければ、
そもそも無視するか。
でも、それじゃあまりにもペシミスティックだから、実際はどうであれ、とりあえず相手は話が通じる、
説得が効く、相互理解がありえる、という意味で、普通の人であるということにして相手をするゼ、
という心構えで行くわけです(…と書いていてふと気づいたのですが、以上の話は
>>766
中段にある、
自分と揉めている人をレアケースだと思わない云々の話に繋がってましたw)。
そういう前提に立った上で、相手の内側に存する情報である欲望とかパーソナリティよりも、外側に存する
情報である「言葉」やコンテキストに着目するのは、以下の考察からも合理的だと考えております。前に
シェンさんがバナナを例に出して考えを展開されていらっしゃいましたので、私もそれに倣うことといたしましょう。
いくらバナナの(物としての)客観的性質を分析したり、学術的特徴(「熱帯アジア原産の
バショウ科の植物で...」)を調べても、「たかがバナナ」という価値観や「俺の大切なバナナ」
という価値観などのような、各人において異なる様々な価値観は抽出できないのは自明です。
ところで、バナナとその人しか存在しない世界なんてものはありえませんので、両者の関係性を
考える上では、それらを取り巻く状況、彼の価値観とバナナという具体物の価値が結びつく情況を
明らかにする必要があります。
さて、状況(情況)分析の結果、たとえば当のバナナが誰かからの贈り物であることや、一房
数千円もするバナナであることが明らかになるかも知れません。どこのスーパーでも売ってるような
バナナにはこれといったストーリーはありませんが、人から貰ったバナナや高級なバナナには、
特別なストーリーが付加価値としてあるわけですね。そして、そういう状況が明らかにされることで、
「俺の大切なバナナ」という価値観は、それを判断基準としている主観以外の第三者にも幾分か理解
しやすいものになろうかと思われます。
ここで重要なのは、ある人にとっての物の価値について考えるのに、もっぱらその人の主観的基準を
掘り下げるよりも、ただ状況(情況)を明らかにする方が、少なくとも第三者の理解の助けにはなる、
ということです。「なるほど、そういう事情があるからそういう価値を見出すのか」といった具合に。
792
:
無精髭
:2012/02/10(金) 22:47:38
まあ、話があちこちに脱線しているように思われるでしょうけど、私個人としては、世界のグローバル化と
情報化に伴って、これからの日本社会においても他者とのコミュニケーションコストは上がっていかざるを
得ないでしょうし、結局それはアレな人が増えてくる、身近なところにいても何ら不思議ではないという
ことですから、そういう人とも同じ国、同じ社会で生きていかなくてはならない以上、うまい共存・共栄の
仕方を探る努力は怠ってはいけないな、と思うわけです(苦笑)。
で、もうちょっと「情報」の問題に絡めて考察を続けてみます。
日野olを巡る第三者間のやり取りが、シェンさんが仰るような事態になってしまう、そもそもの原因として、
加害者中心に書かれた事件記事や、マスコミの偏向報道、キャシーのインタビューや手記を載せた各週刊誌の
手法を挙げる人たちがいますが、私は彼らに一理あるとは思いながらも、そういう考えと自分の考えとは
一線を画しているつもりなんです。理由は簡単で、先述の人たちは既存の情報がいわば主観的(一人物中心的)
であるのが問題であり、その主観に同一化(主体に感情移入)する輩が次々と現れてしまうのだと主張して
いるのに対し、私は既存の情報は受け手によってどうとでも解釈できると思っていて、その意味ではむしろ
客観的だとさえ思っているからです(ちなみに、既存の情報が本当に主観的だったら第三者の間で揉め事が起きる
機会はずいぶんと減ったのでは)。もう少し詳しく言うと、一つの主観の他にいくつもの主観を内在、あるいは
併記している(いわば複主観的、ないし並列主観的)ように思われ、それが「問題」だとは全く思いませんが、
様々な意見を生む主な要因の一つになっている(多様な意見が出てくる傾向に拍車をかけている)のではないか
と思っているのです。受け手にしてみれば、情報内の主体が複数あり、各々が別の主体を相対化しているように
見えるはずで、受け手によってどうとでも解釈できるという意味では、客観的とも言えるのではないかと。
ただし、キャシー視点(というか主体)の記述がかなりの部分を占めている点は否めませんが。
ただ、主観的だろうが客観的だろうが事実はきちんと伝わるので、既存の事件情報に何らかの瑕疵があるとは
言えないでしょう。ですから、強いて論うのであれば、情報に何らかの問題があるから勘違いさんが量産されている、
というよりも、(情報そのものに問題がない以上は)本件そのものに何らかの問題があるから勘違いさんが量産
されている、と考えるべきなのかも知れませんね。
しかしながら、既存の情報に問題があろうが、事件そのものに問題があろうが、私としてはそこにこだわる
つもりは少しもないのです。なので、たとえば無限回廊の記事について、ある箇所を削除したりある記述を
付け加えたりすることを推奨するつもりは全くないですね。
ところで、一口に情報と言っても、無限回廊のような事件記事だけが情報ではなくて、事件情報を読んだ人たちが
話し合ったことも情報になりますし、独自に取材して得たネタも情報になります。
アレな人の言うことがおかしな原因は、私たちの知らない情報を基にしているからかも知れないのです。
2chでは、キャシーの家族構成について色んな憶測が飛び交っていますし、師匠については賠償金で夜遊び
したのを週刊誌にすっぱ抜かれたとか言われていますし、妻についてはヤンキーとか言われてますし、
まあ言いたい放題なんですけど、私がふと思ったのは、あれ? この人たちってもしかしたら、私たちと
共通の情報を基にやりとりしているのではなく、そもそも前提にしている情報が大きく異なるのではないか、
ということなんですね。公には一切出回っていない特ダネ情報を個人が掴んでいる、あるいは複数人で
共有している可能性は無きにしも非ずなので。
しかし、これは別にこの事件に限ったことではなく、2chの情報を鵜呑みにしてここに勇んでやってきた人が
メッキを剥がされてスゴスゴと元いた巣へと帰って行った、なんてケースがありましたが、同じことを
テーマにして話し合っているつもりでも、各々全く違う情報を基にやり取りしているなんてことは決して
珍しくはないでしょう。
793
:
無精髭
:2012/02/10(金) 22:48:19
以上、長々と書き込んで参りましたが、最後に、本音と呼ぶにはあまりにも情けない弱音みたいな感想をば。
実を申しますと、私としては、被害者批判とか、そもそも事件とは無関係な人・自らの意思と関係なく
巻き込まれてしまった人に対する批判の問題性を指摘していく気概よりも、事件とは無関係で、大した
情報も持っていない第三者がしたり顔で事件や関係者を論評することに対する違和感の方が強いのです
(私がやっていることといえば、そういうお節介な人の主張に寄り添い、それとは異なる解釈の可能性を
指摘するために、ああでもない・こうでもないと長文を書き込むくらいです)。
シェンさんは、先回のレスでは、妻批判をする人の問題にしか触れていらっしゃらなかったですが、
これまでの書き込みを拝見いたしますに、キャシー批判をする人の問題とも併せて考慮した上で、
この事件に関する第三者の勝手な論争の不毛性や有害性については、妻批判を繰り返す輩の責任に
ばかり押し付けられるような性質ではないと考えている私に共通するものを誠に勝手ながら感じ
取っているのですが、いかがでしょう? この事件で誰が一番悪いかみたいなことを話し合ったり、
事件関係者を断罪しようとしたりするのは、吊るし上げと大差なく、本当に下品だな、としか
思えないのです。
794
:
元NEC
:2012/07/25(水) 17:36:06
師匠は結果離婚もせず
子供にも恵まれ
仕事を失ったけど
損害賠償の金はもらえた。
キャッシーは仮出所したら
どうするんだろうね?
795
:
芥
:2012/08/03(金) 11:42:35
死んだ子がかわいそのこじゃなくて可哀想。
バカ女。
797
:
あみ
:2012/10/27(土) 12:21:10
師匠とその嫁許せない!
私が殺してやろうか
798
:
芝生
:2012/10/31(水) 16:26:03
キャシー出てきましたか?
800
:
boro
:2013/09/24(火) 20:46:21
不適切な投稿を削除しました。
801
:
unkoman
:2015/04/23(木) 12:32:56
仮釈放はありません。
死刑スレスレの無期には仮はないんです。
802
:
たま
:2017/05/27(土) 20:36:21
>>15
一番の犠牲者は子供達だとは思う。
不倫相手の妻に復讐したいというより、
同じ女として子を失った悲しみを理解して
欲しかったんではないかと。
妻は夫を許してはいないと思う。
今の二人の子供を見れば否が応でも
自分の不倫のせいで死んだ子供を思い出すでしょうから、妻の夫に対する復讐のように思います。
803
:
テスト
:2019/01/12(土) 04:04:33
テスト
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板