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総理輩出県と童話地区が瀬戸内海沿岸に多い理由

1実は大室問題にリンクしてた=自民党の権力基盤!:2003/09/12(金) 18:08
(以下コピー)
もしあなたがホンモノの鹿島さんなら質問だけど
明治維新とは簡単に言ってしまえば「鳥羽伏見の戦い」事で
問題は維新のタブーとされてる部分の質問。
田布施町麻郷の井神の高松八幡宮(私が七五三に利用!)(入り口手前に私の家の先祖の墓がある)
において1867年12月9日に王政復古の大号令をそこでしめやかに執り行い、鳥羽伏見の
戦いに勝って1868年1月10日、寅之祐が京都御所に入るまでの話だが

1、寅之祐は軍艦にのって瀬戸内海を東征し大阪湾におくれて(わざっとみの安全のため)やってきて鳥羽伏見の戦い
の時は大阪湾上の軍船の上にいたと思うが寅之祐がチャーターしてきた軍船は田布施のどの港から出航したんだろう?
(それとも三田尻から船に乗ったのか?)
2、寅之祐に先行する形で薩長土肥軍は多分船ではなく陸上ルートで田布施から鳥羽伏見まで
歩きで行った。←これはあってるか?(多分30キロを2日で行進したのではないか?)

  ※総理大臣輩出県って瀬戸内海沿岸県に多い。童話地区も実は同様。
京都竹田の改進地区は前にも書いたが地区の先祖が鳥羽伏見の戦いの真実を知ってた。この戦いは実は
薩長奇兵隊天皇による京都御所のっとり戦争だと。
(もしかしたら慶喜軍と薩長軍両方に錦の御旗が掲げられていたかも?)
京都御所のほうには京都明治天皇睦仁がまだいたしすなわちこのときの薩長は
朝敵だったはずだから。麻郷の竹重地区の人間は昔徳川家系柳生の忍者跡で大室天皇家と対立していたので
もちろん明治天皇が田布施町出身である事くらい500%知ってた。

だから維新後秘密を隠蔽するために
その地区の人間を童話に落とし仮にその地区の人間が「明治天皇は田布施町麻郷大室出身のクセに偉くなりやがって」
といっても「どうせ「その」地区の言う事なんて。童話の人間が言う事なんて信じられないよ」
と軽く流せる事に「できる」わけだし体制派にとって童話に落とせば非常に秘密を隠蔽するのにやりやすい。
鳥羽伏見の戦いの「真実」をまじかで見て知ってる竹田 改進地区の皆様も同様に童話に落とされたわけだ。

 ※さて瀬戸内海沿岸に総理大臣輩出県(自民党の権力基盤=体制派)および童話地区(反体制派)がなぜ多いのか?
 もうわかるでしょう。鳥羽伏見の戦いの時薩長土肥軍が田布施町から鳥羽伏見まで軍事行進したルートこそ
山口県(安倍、佐藤、岸、高村)→広島(亀井、宮沢、中川秀直)→岡山(平沼、橋本)→兵庫→大阪→京都(愛媛→香川も総理大臣多数)(つまり伊藤が爵位乱発して大室天皇の秘密を押さえたように戦後の自民党も総理大臣という名のアメちゃんをしゃぶらせ黙らせた)
だからでしょうよ。  w


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