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解決黒頭巾先生に質問②

83名無しさん:2010/04/06(火) 21:13:58
659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/12(火) 22:48:04 ID:d6SnNuIP
関ヶ原合戦に勝利した東軍は翌日から直ぐ様、石田三成の居城である佐和山城を攻めるため
行軍を始めたその時のお話

17日になっても街道は多数の軍勢、そしてそれを支える小荷駄の駄馬によって大渋滞をしていた
相当、苛立っていたであろう家康はある小荷駄に目を向けた
それは小荷駄を載せた馬三十疋、野陣小屋道具を載せた馬三疋で、家康は誰の小荷駄かと聞いたが
小荷駄の者は恐れて
(これからも相当、不機嫌であったのが垣間見える)告げなかったが側衆が阿部左馬介
(おそらく阿部正次、当時二千石、31歳)
と告げると、
「今時の若い者は、この程度の陣でこんなにも陣道具を持ち歩くとは腹立たしい、
昔の者ならこんなことは無かった」 ←w
と大そう腹を立てていると、今度はそれ以上の小荷駄馬に、小屋道具付の馬十三疋の行列が通った
当然の如く、怒り心頭の家康は腹立たしく誰の行列かと尋ねると
「渡辺忠右衛門(おそらく渡辺守綱、所謂「槍の半蔵」、当時、三千石、58歳)」
と変事が返ってくると家康、
「…………」
何にも言えずにそのままスルー
同じく老功の水野左近(二千石)にも特に何も言わず、これを見た供の者は忍び笑いを
禁じえなかったという

自分で勝手に上ったとはいえ、老巧の家臣に梯子を外された家康
三河武士はこういう点もKYなのであった


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