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解決黒頭巾先生に質問②
661
:
名無しさん
:2012/05/20(日) 12:28:50
ニュースの眼/朝鮮戦争時の米軍の虐殺
AP通信が朝鮮戦争(1950年6月25日〜53年7月27日)当時の
米軍による住民虐殺事件を報じて以来、南朝鮮では連日、真相究明を求める声の高まりと
同時に、他の虐殺事件も続々と明らかになっている。13日現在、その数は12件に
及んでいるが、さらに増えることは確実だ。
AP通信が9月30日に報じた老斤里虐殺事件というのは、朝鮮戦争が
始まって間もない50年7月27日、忠清北道の老斤里という村で、米軍が住民らを
避難させると偽って鉄橋の上に連れ出し300人以上を虐殺したというもの。
事件直後の50年8月10日に「朝鮮人民報」がルポを掲載したのをはじめ、
最近でも南朝鮮の良心的メディアが数回にわたって事件を取り上げてきた。
本紙も97年10月9日付の朝鮮語版で紹介している。
また60年には遺族らが米軍に請願書を提出し、米国政府や南朝鮮当局に事件の真相解明を
求めていた。しかし「請願期間が過ぎた」(米軍)とか「証拠がない」(南朝鮮当局)との
理由で、門前払いされた。
事件が50年ぶりに日の目を見たのは、AP通信が機密解除になった米公文書から軍の
虐殺命令書を発見したからだ。
今年2月、老斤里虐殺事件をテーマにした論文を書いた忠北大学歴史教育課の
崔炳秀教授(50、音訳)は、この事件が「戦闘と関連のない事件」だと指摘。
虐殺の理由として(1)相次ぐ敗戦による重圧感(2)避難民に偽装した人民軍ゲリラの
戦術に対する恐怖(3)避難民が作戦遂行の障害となるなどを挙げ、それらが複合的に
作用したと分析する。
当時、米軍は朝鮮人民軍の攻勢に敗走につぐ敗走を重ねていた。
また表の(6)にもあるように米軍は、人民軍の侵攻をくい止めるために避難民が
まだ通過中にもかかわらず橋を爆破し、数百人を虐殺した例もある。これらは崔教授の指摘を
補完するものだ。
ttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj1999/sinboj99-10/sinboj991018/sinboj99101861.htm
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