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解決黒頭巾先生に質問②
453
:
名無しさん
:2011/12/11(日) 17:17:10
118 :名無しさん@12周年:2011/12/09(金) 12:26:54.04 ID:Ou3QMgHb0
セオドア・ルーズベルトを多くの日本人は親日家だと信じている。
しかし彼の本音はまったく違い、日本を叩き潰すことにあった。
そのきっかけは1893年、アメリカのハワイ王朝乗っ取りだった。
アメリカ戦艦ボストンがリリオカラニ女王の宮殿に砲口を向け彼女を退位させた直後、
日本の巡洋艦「浪速」と「金剛」がホノルルに入り
戦艦ボストンをはさむように錨を下ろした。
アメリカの横暴を牽制したもので、アメリカはハワイの併合を断念、
ハワイ共和国という体裁をとった。
巡洋艦の艦長は東郷平八郎といい、彼は翌年もホノルルにやってきたが、
ハワイ共和国建国一周年を祝う礼砲要請を
「その要を認めず」と断った。ハワイは報復に日系移民の帰化を拒否した。
当時、アメリカ海軍省次官だったルーズベルトは1897年3月、友人に
「できることなら今すぐにハワイを併合し、ニカラグア運河を完成させ、日本を凌ぐ軍艦を建造したい。
私は日本の脅威をひしひしと感じている」と書き送っている。
そのために彼は新聞王のハーストと組み、世論を焚きつけて
反日キャンペーンを展開、脅威の日本人をアメリカから追い出す作業も始めた。
その一つが併合を済ませたハワイの日系人の本土移住の禁止措置だ。
結果、日系人の子弟は学校から締め出され、土地所有を禁じられ、市民権の取得も拒否された。
しかし当時の駐米大使・珍田捨己はアメリカ人の善意を信じることから始めた。
「日本への批判が出るのは我々の側に問題があるのではないか」
彼は日系の移民7万人を調査し「750人が花札などよからぬことをしていた」と外務省に報告。
「移民はいわば民間の外交官であり、その心がけが足りない」と逆に日本人を叱責している。
「まず相手を信じ、反省する」この珍田方式が以降、日本外交の基本姿勢となる。
そんなバカをしているからロシアから一銭の賠償も取れない講和を
押し付けるルーズベルトを本気で恩人と思ったりする。
彼を継いだウッドロー・ウイルソンは日本を弱体化するために国際社会からも締め出そうとした。
ワシントン会議では日英同盟を破棄させ、日本を孤立に追い込んだ。
しかし当の日本は、ウイルソンはいい人で、この会議も海軍の軍縮会議だと今でも信じている。
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