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解決黒頭巾先生に質問②
231
:
名無しさん
:2011/04/26(火) 23:11:36
板倉由明『本当はこうだった南京事件』より
この大捕虜群は、十五日朝から歩三八第十中隊、歩二〇第三中隊、第六中隊その他によって護送され、
同日午後麒麟門の公路傍の建物 (工路試験場 ?) に収容され、
十七日夕刻、入城式の終わった後中山門から城内に収容された。
(中略)
なお、城内に収容された捕虜のその後については、
『南京戦史』第六章第六節「南京付近に収容した捕虜の状況」に詳しいが、
最初一万人程度の捕虜が収容され、翌昭和十三年一月六日に
「三千六百七十人もいるそうだ」と第十六師団経理部の小原立一少尉の日記に記されている。
約半数が昭和十二年末ころ上海に送られたものと見られ、
残りが汪兆銘の南京政府軍に編入された という事実はよく知られている。
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