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テロを根絶するためには・・・・
122
:
ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2004/11/08(月) 20:06
オマケ。
宗教と信仰は別、という話はきっとわかりにくいと思います。
これまでにも何度か折に触れて述べてきましたが、改めて。
宗教というのは、「教えを宗とする」と書きますね。
神様の名前を決め、教典の内容を決め、祈る方角や回数を定めて、信徒が同じ行為をするように、「ルールを整備して守らせる」のが宗教です。
いわば、ベクトルを決めるのが宗教。
対して、信仰というのは「仰ぎ信じる」でして、神の名前や守るルールではなく、それを信用・信頼・信心する心の強さ、深さについて言う言葉。
いわば、テンションを示すのが信仰。
よく日本人は無宗教だと言いますが、実際、「特定の宗旨に厳密になるのが苦手」という意味でなら確かに日本人は無宗教・無宗派の人が大多数でしょう。七五三は神社、結婚は教会、盆はと正月とクリスマスをやって、初詣は神社でも寺でもok、葬式は普通仏教。
これほど宗旨替えが甚だしければ、「無宗教」と言われても反論できません(^^;)
一方で、日本人はこれでけっこう「信心深い」ところがあったりします。
ただしこの場合の信心には、鰯の頭も含まれます。罰当たりを恐れたり、神様仏様に同時に祈ったり、願掛け、ゲン担ぎ、絵馬のお札にお守りに破魔矢に酉の市の熊手などなど、これ全て信仰心の賜物。
宗教心と信仰心が分離独立していることの根元は、やはり「八百万の神々」というか汎アジア的な汎神観が底辺にあるからというのは否めないと思います。
宗教と信仰が完全に一体化している(決まり事を厳密に守らなければ立ちゆかない世界の一神教)ヨーロッパ/イスラム圏の人々と、文化や民族の混濁が激しく、信仰心と宗教心が一体化しなかった日本(というか、中朝韓を除く、環太平洋的な)の違いはそこにあるのでしょう。
他国についてしたり顔で語るのはなかなか難しいことではありますけれども、それ以上に「自国をまず知る」ことも大切なのかもしれません。
「日本人の当たり前」を外国人に説明することは、実際難しいですから。
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