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テロを根絶するためには・・・・

121ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/11/08(月) 19:55
ちなみに、イスラムというのは最後発の一神教だけあって、当初は非常に現実的だったんですよね。
よく言われるところの「コーランか、剣か(改宗するか戦って死ぬか)」なんかの場合も、もうひとつ、「それとも金を払って改宗しないまま服従するか」という選択肢がありましたしね。
また、コーランがきめ細かに規定している「生き方」(顔の洗い方、ラマダンの意味、喜捨などなど)は、すべて砂漠という過酷な環境で合理的に生きるためのマニュアルであったわけで。もともと余裕のない厳しい世界で暮らさなければならなかったが故に、その戒律を定めたコーランが受け入れられたと考えられましょう。

キリスト教もユダヤ教に追い立てられていた発生当初は、やはりローマ帝国という「過酷な抑圧原因」を抱え、これまた砂漠で育まれたわけですよね。
楽には生きていけない環境だから、約束を守ることが何より大事だった。だから、キリスト教のバイブルと言えば「新約聖書」。キリスト教の場合も、「唯一の神と契約する」のが基盤にありますのは、やはり「約束を守る」「信頼を勝ち得る」のが、サバイバルの基本にある厳しい環境にあったからでしょう。

宗教というのは「その地域・社会で、人間の集団が調整しながら生きていくための方便」であり、そこから(法の根拠とする神を信じる)信仰が抜け落ちたものが、政治になっていくのだと思っています。繰り返しになりますが、本来の宗教には政治と同じことが目的として最初から内包されていた、ということ。
そう考えると、「自国の宗教でうまくいった」と考える人は、その「うまくいった方法を、他の地域にも広げるべきだ」という考えを、善意から持つようになります。
アメリカが資本主義を輸出したり、ソ連が革命を輸出したり、日本が明治維新を輸出しようとしたり(受け取ってもらえませんでしたが)したのと同様でしょう。

そうなると、どちらも善意だから始末に負えない。
それが資本主義だなんだという政治に関する話の場合、如何に哲学・思想の部分が勝っていても、「背に腹は代えられない」という事態になれば、ロシアですら資本主義の国に代わっていきます。
が、「神」というのは代わりがあってはいけない(代わりがあったら宗旨が崩壊しますから)わけで、神を拠り所に集団/社会を経営していくことの危うさは、そこにあるのではないかと思います。

また、神に依存する統治は「指導者=神の地上の代弁者」に過度に依存する人治主義・英雄主義にもなりかねないわけで、70年そこそこしか生きない指導者が代替わりしてもシステム/制度が引き継がれるようにさせるためには、やはり宗教に依存した「集団」に近代的な政治を任せるのは難しいのではないかと思う次第です。


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