したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

テロを根絶するためには・・・・

120ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/11/08(月) 19:43
「殺すなかれ。ただし、異教徒は別だ」
といって煽った宗教指導者はけっこういたと思いますよ。
キリスト教側では十字軍時代の人々がそうですし、イスラム教側では昨今の「米軍は殺していい」という宗教令を出した例がありましたし。
ちなみに、仏教でも「僧兵」がいたりしましたね。

大多数の人は、「世界の平和」を祈っているのではなく、「自分の目が届く範囲だけでいいから平和を」と祈っているのでは。
イカフライ女史仰るところの「うまい飯が食えてうまい酒が飲めてゆっくりタバコが吸えること」
生理的欲求(飢餓の充足、排泄、睡眠、温暖、もちろん性交も入りますよね(^^;))が満たせること、ですな。
思想はそのための方便。

日本は政教分離が前提となっているため、宗教が政治に介入することを嫌いますが、本来的には宗教と政治というのは同質・同目的のものだったはずなんですよねー。
政治というのは、集団/社会を形成した人間が、個人同士の欲求を対立爆発させないように調整を取っていくことを目的に発達した、「社会の制御方法」。
そのためのプロトコルの違いが、「民主主義」「共産主義」などの思想の違いにあるわけで。

一方で、宗教(と、信仰は分けて考えてくださいね)というのもまた、「集団/社会を形成した人間が、その地域・社会で個人の欲求を爆発させすぎないように、調整や抑制を促す」ということを目的に発達したものと言えます。
教義は「ルール=法(の、原形)」ですし、神という絶対性のあるシンボルを法(教義)の遵守根拠に据え、司祭・教祖・導師が指導的立場に立ち、教団内に「順位」や「階級」を作ることで、上下関係を定義して対立を抑制しよう、というもの。
人間が少ないうちは宗教や政治は不要ですが、人間が増えてくると欲望の抑制や調整のために、宗教や政治が必要になってくる。

これが本来的な宗教の発生原理だとすれば、 宗教が政治の舵取りをしようとする中東型のイスラム革命も不自然ではないわけですが……
宗教によって集団(社会)を導こうとする場合、どうしても指導者は「神に準じる絶対性」を発揮せねばなりません。
そうなると、どんどん排他性が高まり、異なる性質のものを受け入れられなくなっていってしまいます。(神の名の下に政治を行うのが宗教国家ですから、神を超越する、異なる神や概念が、自国の神と対等になっては内政が崩壊します)

キリスト教国家、といっても近代国家の多くは、「キリスト教そのものに国政が左右される」というのはほぼありません。
が、イスラム系国家のうち、政府が宗教によって国内掌握をしようとした国々は、おしなべて「さらに純粋な、融通の利かない宗教指導者」の出現で、国を掌握できなくなってしまいます。
現在の中東や中央アジアのテロリスト、武装勢力の指導者は、そのほとんどが「宗教的導師」であったり、その肩書きを使っていたりしますね。
この辺りの硬質さというか、融通の利かない頑なさが、「排他性」という一神教の脆さを強めすぎてしまっているようにも思います。

そもそも生理的欲求が満たされないことを埋めるために出てきたはずの「方便」が、方便の正当性のために生理的欲求を破壊していくというのはどうしたもんなのかと悲しくはなりますね。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板